狎鴎亭的横濱生活

狎鴎亭的横濱生活

Dec 30, 2004
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子供を育てるってエネルギーの要ることだ。

時には、「自分は本当に子供が好きだったのか」と疑いたくなる瞬間さえある。

赤ちゃんの間は、ただただ泣く自分の子供にどうして良いか分からず、その自分の不甲斐なさから、子供への「どうして泣くの」という苛つきに変わる。
でも、よく考えたら言葉のできない、泣く事でしか意思表示のできない、まだ人間らしくない小さな我が子に怒ったって仕方ないと思えたりする。

そして子供は成長する。
言葉を覚え、いろんなことを理解しようとするようになる。
その過程で、言葉を変に覚えたり、間違って使ったり、理解の仕方が自分勝手だったり、ある一部分しか見えなくて理解する事が出てくる。
親にはそれが「反抗」に見えたり、「馬鹿にしてる」ように見えるかもしれない。

でもそれは、日本で今はやっている言葉を使えば、親と子供の「温度差」なのだ。
全てをすっかり理解し、察する事ができるようになった大人の親と、まだまだその発展途上にいる子供との。

昨日、そんな親子がいたようだ。
親は子供にある事を注意した。「3回言って直らなかったら雷が落ちるよ」と母は言った。
子供は3回同じ事をした。
そして母は言った。「直らなかったんだから、出て行きなさい」と。
子供は泣きながら家を出て行ったそうだ。
子供はまだ小学生にならない年長の子。

午後に出て行って、夜になっても探しに行かなかった母。
もう「どうでも良い」と思ったそうだ。
幸い子供は保護されたそうだけど。


何で真剣に聞かないの!と。
注意したのに、またすぐあとで同じ事を繰り返すと、キ~となることもある。
さっき言ったばかりでしょう!と。

その時は頭にカ~と血が上るので、なかなか冷静に考えられないのだが、よく考えてみると、子供は子供なのだ。

母親が今真剣に怒ってるかどうか、まだまだ「察する」事ができない未熟な子供。


言葉や行動だけはまるで一人前の大人のようにできる幼稚園児。おかげで自分の言っている事や分かる事を同じように理解し、できるようになるとつい思ってしまう。
だけど、実は頭の中はまだまだ発達の途中なのだ。

そう理解できたら、子供の腹立つ行動の一つ一つは、実は親を馬鹿にしたり無視してるから出るものではない事も分かるはずなのだが・・・。

「どうでも良い」と思うこと自体が子供をすでに大人扱いしている。「どうでも良い」とは、すでに何でもできる、一人で生きていける人に対して思う感情だ。
出て行ったら一人で成す術のない子供に対するものではない。

かくいう私も、毎日子供に大きな声を出し、時には子供に能力以上のことを求めてしまっていることもある。
怒った時はつい口走ってしまって、後から反省することもしばしばだ。

パパがよく私に言う。
「子供たちに頭にきたときは、子供の足を見るようにするんだ。この膝から下の所を見るとね、まだこんなに小さい子供なんだって思って、ス~ッと怒りがひいていくんだよ。」
そういうパパも普段は子供にそんな事言ったって・・・と思うことで怒ったりするけど。

私は子供の手を握る。そしてその顔を両手で触ってみる。
その小ささを実感した時、私の心は愛おしさでいっぱいになるのだ。






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Last updated  Dec 30, 2004 05:40:01 PM
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