ぬちぐすい。

ぬちぐすい。

小さなものさし




~ 小さなものさし~


  今 はまっているモンパチの唄の中に・・・

  「自分らしさ 自分捜す旅 自分の事だけ
  親のおかげ 周りの支え 今のあなたあるの
  そんな小さなものさしで 誰と比べるのあなたの価値」

  ・・・こんな歌詞がある。

  今は「自分の気持ちが 一番 大事」みたいな・・・
  あたかも自分の感情のままに動くことが
  自分に正直な生き方として支持される気がする。
  確かに「自分を犠牲にしてまでも・・・」というのは
  いつかどこかでそのゆがみがでてくるように思えるが
  だからといって気持ちのおもむくままに行動することがいい
  ・・・ということには結びつかないのではないかと思う。

  「自分が」「自分は」「自分の」・・・
  すべての基準が「自分」というのは 一見 よさそうに見えるが
  実は ほんの小さな自分というものさしで考え 行動していく・・・
  ということになりかねないのかもしれない。
  それでは かえって自分の可能性や価値 自分の知り得なかった事。
  そんなものたちを自ら取りこぼし 放棄していくことになりかねない。


  「自分ありき」もありなんだろうけれど・・・
  今の私は「他人があっての自分」って感じがしています。

  自分の感情だけで 行動してしまうとき・・・
  何もかも自分だけ背負えるのならばいいのだろうけれど
  ここまで生きてきて 自分を取りまく人々との切っても切れない関係。
  そういう自分以外の人たちまで 巻き込んでしまうことになるのは
  容易に考えられることである・・・それも覚悟の上だとしても
  やはり自分のエゴを押しつけてしまう事に変わりはないのではないだろうか。

  私は 今 ここにこうしていることができてよかったと心から思える。
  毎日 平凡な同じ出来事の繰り返しばかりなのだけれども・・・・
  こんな平凡な日々に身をおいていられることに幸せを感じている。
  一時の自分だけの感情に身を委ねていたら この幸せはなかっただろう。
  ようやく長いトンネル・・・メビウスの輪のような繰り言から
  開放された 今だからこそ この幸せを噛みしめられるのだと思う。

  「自分の寂しさは自分で埋める」
  自分の中の寂しさは 他人では埋められないのだ。
  自分をわかってあげられるのは やはり自分だけだから。
  他人やモノに埋めてもらった寂しさは もっともっとと欲が出るだろう。
  そして その欲が満たされないことに失望し また 寂しさが増してしまう。


  人間は基本的に誰でも一人なわけだから・・・
  その一人の寂しさに どう向き合っていくのかで人生は変わってくる。


  モンパチのこの曲の最後の部分の歌詞は・・・


  「あぁ 生きていてよかったと 永遠の淵に 言えますように
  どんな小さな花でさえ 風に吹かれ 人に踏まれ輝いている」


  永遠の淵に・・・最期のときに・・・。
  「生きていてよかった」と思えればいいな・・・。

                           2002.5.13 記







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