海の散歩道

子どものトラウマと親のトラウマと虐待






昨日紹介した

【子どものトラウマ】

さっき読み終えました

なかなか興味深い内容でした







この本の表紙には

身体の傷は治っても

心の傷は消えない

人格を、時には人生さえ支配してしまうトラウマとは何か

第一線での臨床活動をふまえて

「子どもの虐待」の問題をとらえなおし

傷付いた子どもと親の心の回復を説く

とあるんですが

内容はまさにその通りで期待を裏切ってくれませんでした








冒頭に面白い内容のものがあった




そもそも日本語で虐待と言われているものは

英語ではabuseと言うそうです

それを日本語に直訳すると

「正しくない用い方」になるらしい

著者は

和訳には本来の意味との間にかなりのギャップを感じるらしい

でも正確に和訳されている言葉もあるらしく

例えば

alcohol abuseはアルコール乱用

drug abuseは薬物乱用

ならば

child abuseは子どもの虐待と訳すより

子どもの乱用と訳したほうが意を得るらしい

確かに本を読み進めていくうちに

著者が冒頭でこの話をしてくれたおかげで

虐待の背景(虐待する親の心理)がとても分かりやすかった






本にはこう書かれていた

子どもと養育者の大人との関係の土台には

子どもの欲求が存在する

大人が子どもの健康的な成長を考えて

その欲求に応じたり

あるいは制限を加えることが

親子関係の基礎となる

一方で乱用(日本で言うところの虐待)とは

子どもの欲求や要求と無関係なところで

子どもとの関係を持とうとする場合に生じる

そうした関係の背後、あるいは土台には

子どもの欲求ではなく

親の欲求が存在している

つまり

親が自分自身の欲求の満足を求めて子どもと関わる時

そこに【子どもの乱用】が生じる

いわゆる日本語でいう【虐待】は

そもそも言葉の持つイメージがとても悪い

虐殺とか残虐とか・・・

だから【あんたのしてることは虐待だ】と言われても

【あたしのしてることは虐待じゃない】と思うけど

【あんたのしてることは子どもの乱用だ】と言われたとしたら

【・・・そうかもしれない】と思うかもしれない

言葉のもつイメージが

【虐待】そのものを認めたがらない理由の1つのような気がした







あたし自身もその渦中にいると思っているけど

よく【虐待の世代連鎖】という言葉を耳にする

近親者から暴力を受けたことがない人からすれば

【自分がやられて辛い思いしたのになんで子どもに同じことを!?】

と理解に苦しむだろうけど

これは【家庭はこういうものなんだ】

【躾とはこういうものなんだ】と

幼少期から学んだのだからある意味仕方が無いような気がする

子どもは親の背中を見て育つ

良くも悪くも

親が躾だと称して虐待をしていたとしたら

自分の家庭と言う狭い社会しか知らない子どもは

親の言うことが正しいと思わざるを得なくなる

虐待を受けていた子どもが大人になって子供を持ったとき

これは躾なんだと手を挙げてしまうことを

だれが咎められるんだろうか






確かに人の命は守るべきものだし

子どもの人権や幸せも守るべきもの

でもそういう社会の声が出だしたのはつい最近のこと

あたしが子供のときには

児童相談所が介入するなんてありえなかった

あたしが子供の頃に

手を差し伸べてくれる大人がいたら

あたしはもっと違った人生を歩んでいたのかもしれない













この本の最後に

親の生育暦を

その家族関係の中心にていねいに理解し

その心に潜むトラウマという観点から

子どもへの虐待という現象を見ることができるようになった時

子どもだけでなく

親も援助を必要としていることが分かってくる

虐待を生じる親には非難や罰だけでなく

援助こそが必要なのである

そして、その援助とは

親自信が抱えるトラウマの癒しに他ならないのである

とあった





医療や福祉の専門家達が

虐待する親にかかわりを持ち、虐待の実態を知ったとき

親に対して非常に強い怒りを覚えたり

(これはニュースを見た人たちも同じだろうけど)

虐待を止めようとあれこれしてみてもなかなか虐待が行為が止まらず

強い無力感に襲われることがあるらしい

その怒りや無力感が親への攻撃や非難になってしまうこともあるらしい

(これはあたしも経験済)

でも本の中ではこれをしても何も始まらないと言っている

親を責めることで福祉関係者や医療関係者の怒りや無力感は解消されるだろうけど

その他人の怒りが親の虐待に拍車をかけることもあるという

だからこそ表面的な事実だけでなく

親の心に潜んでいるトラウマにも目を向けるべきだと・・・





今の日本の福祉では

虐待によってトラウマを抱えた子どものケアも

十分にはできていないそうです

できることといえば

非虐待的な環境にうつすことだけ

だから当然、親のトラウマにまで目を向けられない

虐待そのものから長い間目を背けてきた日本

こんな国に生まれた自分を恨むしかないんでしょうかね

こんな国に生まれた自分を諦めるしかないんでしょうかね














あたしは長男との間にある何かを見つけたくてこの本を手に取りました

長男と関わると【死】を直結して考えてしまうあたしは

カウンセラーや主治医から

【今しばらくは長男と関わらないように】と言われています

でも、このままでは

将来、長男があたしと同じように苦しむのではないかと心配もしています

あたしは両親からそんな心配されていなかったと思います

だからこそ今、あたしは苦しんでる

長男とのことをこのまま放置しておくのは簡単なことだけど

それでは長男が将来苦しむことになる

それが分かっているんだから何かができるはず

まだ遅くは無いはず

そう思えるようになって何かを得るように本を読み漁ってきました

だからといって

【こうすればいいんだ】という明確な何かが見つかったわけじゃないけど

まずはこうして自分の心に耳を傾けていれば

いつか長男の心にも耳を傾けられるんじゃないかと思っています

その頃に長男があたしに心を預けてくれるか分からないけど






年内に長男に手紙を書いてみようと思います

それを読む読まないは長男の自由だけど

少しだけこっちから距離を縮めてみようと思います・・・











November 21, 2005 14:55:35






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