北海道のアウトドア!

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愛の形 「大きな木」

 愛、愛情、、、誰もが真剣に考えたことのあるテーマですね。

ここで私が昔から大好きで、今でも読み返す絵本を紹介させてください。

放浪のヒッピー作家、アメリカのシエル・シルヴァスタインさんが書いた絵本。題名は 「大きな木」 (要約)




むかし おおきな おおきな りんごの木がありました。りんごの木は、ひとりのチビッコと大のなかよし。ちびっこも木がすきでした。

 チビッコは まいにちやってきて、えだにぶらさがったり、はをあつめたり、りんごをたべてあそびました。チビッコは 木がだいすきです。 

          だから 木も うれしかった。


 じかんがすぎて、チビッコは すこし おとなになりました。しばらくぶりにやってきた チビッコは おかねがほしいと いいました。 木はありっだけのリンゴをチビッコにあげて、チビッコは、それをおかねに かえました。

          木は それで うれしかった。


 またしばらくして チビッコがやってきました。こんどは おうちがほしいといって、えだをぜんぶ きっていきました。つぎにきたときは、とおくに いくのに ふねがほしいといって 木のみきをきりたおしました。

          木は、それで うれしかった。


 ながいじかんが すぎて としをとった チビッコがかえってきました。木が そのおとこのひとに あたえられるものといったら、ふるぼけた きりかぶしかありませんでした。おとこのひとは その きりかぶにすわって ためいきをしながら やすみました。


          木は、それで うれしかった
                              (要約)


(「大きな木」/シエル・シルヴァスタイン作/篠崎書林/訳:本田綿一郎)




 私は、今までの人生の中で何人かの女性に 「I love you 」 を伝えたことがあります。真剣に魂のすべてをかけて告白しました。胸が熱く、その場から逃げ出したくなるような瞬間でした。

しかし、今になって振返って見ると、その言葉の奥底には 「Love me like I love you 」( 僕が愛するように貴方も愛して!)が、少なからずあったように感じています。

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 もうすぐ新学期、入学シーズンの到来ですね。ピカピカの一年生は、その体と比べてずいぶん大きなランドセルを背負い、希望に胸を膨らませてフラフラしながら登校していくことでしょう。

不安と期待のなか、子供を励まし応援する、おとうさん、お母さん。その後ろ、切ないまでの表情で孫を見送る、おじいちゃんとおばあちゃんがいます。近所でも見かけることのできる場面かもしれませんが 、「Love me like I love you 」 は、そこにはありません。

愛情の形とは、どんなものでしょう?愛する心とはどこにあるのでしょう?

 私は最近になって、このように感じるようになりました。

貴方が心から愛する家族が病気をしたり怪我をしてしまったら、貴方は幸福でいることが出来るでしょうか?また、前出したようなご近所の家族に同じことが起きてしまったら、貴方は心安らかですか?不安と心配を抱いてしまいますね。そこには少なからずあなたの愛情が生きているのです。

この方程式をもっと広げてはみませんか?

貴方の住む地域社会の子供たちや老人が、不都合に悩み苦しんでいて、自分の確かな幸福を構築することが出来るものでしょうか?世界ではものすごい数の子供たちが病気や飢餓で苦しみ、幼い命を落としていきます。戦争も終わることはありません。いつも苦しむのは老人と子供たちです。

 「そんなこと、関係ない」、「勝手にすれば」と言っていた子供たちが成長して、今までに体験したことがないような凶悪事件を起こしています。

 ユングは、人類の心の深層は、すべからく繋がっているのだと訴えています。釈迦は「慈悲」を説き、キリストは「隣人愛」を説いています。

いずれの偉人達も目指したものは人の行ないによって達成しうる社会の繁栄と、その上に成り立つことの出来る自己の実現ではないでしょうか。私の大好きなジョンレノンも「イマジン」のなかで
人類の普遍的関係を語っています。


 いったい、身近で素敵な愛の形はどこにあるのでしょうか?私は、思い続けることが大切ではないかと感じています。「思う」という人間のリアリティはいつの日か形を形成して行動という正義に変わると信じているからです。

 貴方の出来る範囲の心配をどこかに広げて見ませんか?時間はきっとかかるけれども、家族に、地域に、そして世界に、いつか貴方の愛情が染み渡っていくことでしょう。

願いは祈りに。祈りはいつか行動へ。変化を遂げていくものです。


多聞は明日、ポケットマネーをユニセフに募金します。



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今日はここまで。北海道!札幌は紅葉の秋を迎えています。

秋は光の中に。

光は秋の空に。

空はひとみに。

素晴らしい季節ですね。今日は私の秋の詩「なみだ」でお別れします。

BGMが素晴らしいのです 。←クリック
貴方もきっと大粒の涙で秋を感じていただけると思います。

ではでは、また明日。多聞でした。バイバイ。



******




「 な み だ  」



その胸にそっと力をためて

君は笑顔を見せている


時雨が窓を叩いて濡らすように

心の内側が曇っている君がいる


ぬぐう窓には秋の雨

冷たい時雨に曇る窓


涙を流していいのにね

偽らなくていいのにね

優しい君はいなくても

今は泣いてもいいのにね


君の季節は涙が迎えて

君の季節は涙と別れて


人はみな錬金術師みたいだ

思い通りにいかないからね


そおして自分を見つけるよ

泣きながら見つけていくよ

泣いた分だけ発見をするよ


いま月に光り野で鳴く虫達

一生をかけて儚い夜に鳴く


僕は泣くことはしないけれど

心の涙を止めることがないよ


涙を流していいのにね

偽らなくていいのにね

今は泣いてもいいのにね


人は孤独に涙して

人は見つけるために涙する


人は愛することに涙して

人は後悔の涙を美しく流す



涙を流していいのにね

偽らなくていいのにね

今は泣いてもいいんだよ


涙を流して君を見つめて

思いっきり涙をながしてね

心から君を愛しているんだよ





松尾多聞



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