さ・る・の・あ・な・た

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孤児たちの城



孤児たちの城・新潮社刊.JPG

「ジャノのお母さんは肺病で死にかけていて、私の腕にジャノを押しつけて
『早く連れていって』と叫んだわ、あなた知っているでしょう」

「でも、人は私を人買いといった。売名行為だという人もいた」

「それは違うわ。本当に子どもたちのことを思って、そして大切に育てたわ」

彼女は泣きつづけた。私は言葉もなく見ていた。

       (歌に愛に生きる~ジョセフィン・ベーカー 石井好子 )

戦前、パリのレビューで活躍し、「琥珀の女王」と絶賛されたうつくしき黒人ダンサー、
ジョセフィン・ベーカー。

故国アメリカの激しい人種差別を嫌ってパリに新天地を求めた彼女は
歌手としても成功をおさめた一級のエンターテイナーでした。
有名なエリザベス・サンダースホームの創始者・澤田美喜とジョセフィンの交流は
戦前にさかのぼり、戦後の初めての来日公演でジョセフィンは収益をそっくりホームに
寄付して、共鳴する澤田女史の事業に貢献します。
自身も人種差別に悩んだジョセフィンはホームからふたりの孤児をひきとりました。
のみならず、世界中の施設から人種の異なるこどもたちをひきとり、
施設兼テーマパークに改造したフランス・ミランドの古城に総勢12人のこどもたちを
住まわせた彼女には人種差別撤廃の夢がありました。
まさに、「人類みなきょうだい」が彼女の理想だったのですね。
しかし、現実は過酷でした。
客足が伸びずテーマパークは採算がとれなくなり、
芸能界のスターだったジョセフィン自身の金銭感覚のなさ
もあってついに破産、ミランドのお城は抵当入り・・・、12人のこどもたちが
ちょうど思春期を迎えた時期の話です。
その後さいわいにもモナコのグレース王妃(自身もアメリカ出身ですね)
の支援で住む場所を確保できた彼女は、再びショービジネスにカムバック。
最期はまもなく舞台開幕というときに昏倒して永眠。
みごとにステージ上の女王として全うした生涯でした。

・・・ジョセフィンの伝記はたくさん出ていますが、
「虹のこどもたち」(目も髪も肌の色も異なる各国の出自をもつ養子を、
彼女は七色の虹になぞらえてこう呼びました。
彼女が女主人として君臨するミランドの古城から、世界中からあつまった
彼女のこどもたちがともに手をとりふたたび世界にでてゆき
差別も民族の壁も国境もない理想社会をつくりあげることが
彼女のビジョンでした)
自身に関する本は私の知る限り、はじめてなのでさっそく本書を購入して読了。

・・・予期していたものの、やはり索漠とした思いが胸に残りました。

日本からジョセフィンにもらわれていったふたり、とくに
彼女が「長男」に決めたアキオ・ブイヨン氏をメインに書かれています。

1950年代初頭、日本人女性と不明な父親(おそらく在日米軍兵士? と推測されるのみ)
のあいだに望まれない子として生をうけ、横浜ですてられた
「時代の子」は、
奇しくもフランスのレビューの女王・ジョセフィン・ベーカーの養子となり、
古城での王子さまのような生活から一転して破産、差し押さえにあう悲運も
体験するわけですが、なにより「長男」として
良くも悪くもジョセフィンにほんろうされた苦難の半生が生々しいです。

ジョセフィンの理想は輝かしく崇高なものだったけれども
彼女が(今流行りのことばでいうところの)相当な「毒親」だったことも
まぎれもない事実のようで、
彼女の専横な、あるいはエキセントリックなふるまいが
複数の証言者によって淡々と語られてゆきます。
成長したこどもたちが当然ながら自分の意志をもち、自分らしくあるがままに
行動しようとするのを彼女は許さず、自分の頑なな思い込みどおりにコントロール
しようとしたらしいですね。
ジョセフィンはみずからを聖母マリアになぞらえ、
こどもたちも自分の思い通りの「天使」でありつづけることを望んだようです。

・・・たとえば、冒頭に引用された悲痛な述懐、これは実際にあった出来事ではなく
ジョセフィンの作り話もしくは記憶ちがいであることが本文中に語られています。

(生粋の舞台人である彼女が、それ以外でも芝居がかった演出や賞賛を好んだ
ことはなんだかわかるような気がします・・・。)
各国の著名人に接見し、超VIPの待遇ながら
「見世物のごとくあつかわれる」ことに、アキオ氏らは自然に反発したらしいですね。

ジョセフィン自身、なんら教育をうけず天性の才能のみをよりどころに
生きてきた人ですから、いきなり理想的なお母さんになること自体
無理があったであろうと思われます。
有能なブレーンもいなかったか、あるいは諫言する人は
容赦なく彼女に切り捨てられたであろうことが示唆されています。
フィンランド系の養子をもらいながら、彼が彼女の意にそわないとみるや
あっさり追放して「虹のこどもたち」の系譜から抹消したり、
彼女の楽団員でもあった夫ブイヨン氏とも養育に関する意見のくいちがいから
別れてしまいます。
(このブイヨン氏、同性愛者だったと本書のなかで暴露されていますが
モラルも教養もあり、こどもたちの周囲にいる数少ない常識人だったようで、
成人してからもアキオ氏は彼を慕って彼のすむアルゼンチンに数年逗留した
と語られています・・・)

著者・高山文彦氏の目を通してみえる現在のアキオ氏は
やはり、永遠のアイデンティティ喪失者、根無し草のイメージがあります。
・・・現在、世界各地に散らばっている「虹のこどもたち」は
結束はいまもあるものの、結婚しているかまたは結婚歴のある人はうち
ふたりにすぎず、あとはアキオ氏をはじめ独身とのこと。
孤児の運命や生育歴が濃い陰をおとしている
と感じるのは思い込みが強すぎるでしょうか・・・。

自分が本当はなにものかわからずに成長し、
「母」ジョセフィンの怒涛のごとき激情にほんろうされ、
ジョセフィン亡きあとも生涯つきまとう彼女の面影から離れられない・・・、
ときに反発し疲弊しながら、にもかかわらず同時に
「母」を慕っているアキオ氏の心情も浮き彫りにされています。
まさに「氏より育ち」で、アキオ氏にとってどこの誰かもわからない
日本人の実母は存在せず、母は唯一「ママ・ジョセフィン」なのですね。
感動というより、胸がしめつけられる心境です。

元夫のブイヨン氏、グレース王妃、澤田美喜女史・・・
ジョセフィン自身も、彼女を実際に知る人の多くもいまは故人となっています。
彼女と親しい日本人で、いまも健在なのは
冒頭に著書を引用させていただいた石井好子さんくらいでしょうか。
それでもジョセフィンが亡くなったのは1975年ですから
そんなに遠い昔ではないのですね。

・・・本書は力作ですが、なんだか
続きが読みたいのに未完のまま終了してしまった
連載小説のような、もうひとつ語りつくされていないようなもどかしさがあります。
それは、アキオ氏と面談して本音にせまりながら、
なにかいちばん肝心なことを聞き出せずにいる著者自身の焦燥とも
重なる気がします。

ジョセフィンがこの世を去っても、アキオ氏は
永久にジョセフィンの影をひきずりながら生き続ける。
そしていつか氏自身の生を全うしたら、天国で再会できるでしょうか。

幼いアキオ氏がエリザベス・サンダース・ホームの孤児として
フランスのスター、ジョセフィン・ベーカーの養子になり
フランスにもらわれていったことは当時かなり報道されたようです。
本文中に往年の記事も引用されていますが、
ジョセフィンに対する讃辞はまさに聖母にむけてのそれ
で、事実の冷静な報道でもなければ分析や批判精神のカケラもなく、
今日の視点で読めば礼賛過剰で気分が悪くなるほどです(苦笑)・・・。
それはまた「時代」を知る、貴重な資料でもありますね。
敗戦国日本の悲しい現実を体現する象徴でもあった混血孤児。
その子をひきとろうとする欧米の養親、それも有名人ともなれば
浮足立ってますます反動としての欧米礼賛に拍車がかかる、
戦後日本の悲しくもこっけいな一側面・・・。
そして冒頭に引用した彼女に対する「人買い」「売名」批判も、
同じく現在の立場でみると的をえているといえなくもないですね
(そんな感想もつこと自体、恵まれた時代の恵まれた国に生まれた幸運の証左なのでしょう・・・)。

・・・余談になりますが、ジョセフィンはミランドのテーマパーク内の
教会に自分とそっくりなマリアの聖母子像をおいていたそうです。
こちらはフィクションですが、名作コミックの「タイガーマスク」に
主人公が建設中の孤児たちのためのアミューズメントパークに
まっさきに巨大なタイガーマスク像をつくる場面がありますが
古今東西、人の考えることはさして変わらないのでしょうか(@_@;)。

(高山文彦著・新潮社刊・2008年9月)

(Oct 20, 2008)


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