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親愛なるシレーナへ。 この手紙は、君に届くかな…。 わからないけど、伝わることを祈って綴るよ。 肉体を失くした今、私の髪は何色なんだろう。銀色? それとも、彼の焦げ茶色? まあ、どちらでも変わらないけれど。 ようやく思い出したんだ。 あの時、焦げ茶の髪をしていたとき、私はいわゆる海賊に親しい友人がいて。 まともな商人なら報酬を払えば護衛もする、弱小商人の寄り合い船なら頼まれなくても護ってやる、でも悪徳で儲けてるなら容赦はしない、という義賊のような奴らだった。 友人の船長は、一見華奢なくらい細身な黒髪の若い男。 黙っていれば日に焼けた美少年といっても通りそうな顔で、ガハハと地中海の夏の太陽みたいに笑う。 敏捷で剣の使い手で、流行っていたボードゲームにやたらと強かった。 私は一年の半分ほどを彼に請われて、その海賊船に乗っていたんだ。 仕事は医者さ。 いつも大きな鞄を二つ持って、片方には宿がなくても二三日は大丈夫な装備、もう片方には薬草や何かの仕事用具と本。そして護身用の剣。 あの洞窟で出会ったとき、ずいぶん荷物が多いのね、って君に驚かれたっけね。 一年の残りの半分は、薬草や新しい医術を仕入れたり、無医村をまわっていたりした。 行かなきゃいけないと決まっている場所はなかったけれど、何年か続けていると待っていてくれる人が何人もいたからね。 君の海に行きたいと思ったとき、彼らの顔が頭にうかんだ。 私が行かなければ、必要な薬草が手に入らない彼らのことが。栽培ができるものは種を分けて植えて薬にするまでの方法を教えていたけれど、土地によってはどうしても合いにくいものもあるしね。 陸の仕事を終えなければ、海にはゆけない。 それを聞いて、もしかして私はどこかほっとしたのかもしれない。 どれほど強く君に惹かれていても、苦しんでいる彼らを見捨てて海に飛び込むことは… 私には、ひどく辛いことだった。 だから、まず彼らへの仕事をきっちりと終わらせること、それを目標に据えて私は戻ったんだ。陸へ。 もちろん友人の海賊船へも以前通りに乗っていたよ。 彼らにも医者は必要だったし、まだ若い船医に知っていることを教え伝えるのも私の役目だった。 きっぷのいい海賊たちと酒を飲んだり、甲板で仕合ったりするのも楽しかったよ。 時々波間を眺めては、君はどこにいるんだろうと思っていた。 寄港した後には必ず花を一輪買って海に投げていたんだけれど、君は気づいてくれたかな……。 皆は私の相手が人魚だとは知らないから、誰か大切な人が海で死んだのだと思っていたみたいだ。誰も何も聞かず、そっとしておいてくれたよ。 優しい仲間たちだった。 焦げ茶の髪の私が死んだのは、彼らの船が襲撃に遭った時だ。 逆恨みで攻撃されたのは、そうだね、銀髪の私の最期とよく似ている。転生した魂は、同じような最期を迎えることが多いのかな…。 以前にこちらが襲撃していた悪徳商人たちが、三隻くらい徒党を組んで襲ってきた。 よほど恐れられていたのだろうね。 四方八方から鉤をひっかけて甲板に登ってくるやつらを、皆でかたっぱしから倒していったっけ。 あのとき船長の剣技は澄み渡ってたな。見事だった。 勝敗がどうなったのか、私は知らない。 その前に囲まれてやられてしまったから。 血まみれで海に落ちるとき、まだ息があったなら君に迎えてもらえたのかな。 死んでしまっていると駄目なのだね…。奥津城に葬られるしかないのか。 せっかく海に居たのに、ごめん。 あのときも、もう少しだったのかもしれないね……。 一度目は海で、二度目は陸で。あと少し、というところで手が届かなかった。 だけど三度目に出会えたらきっと、一緒になれるんじゃないかと思ったんだ。 もう肉体は無いけれど……。 だから、今、こうして君に言葉を綴っている。 できるかぎり誠実に気持ちを辿って言葉に織ってゆくことだけが、唯一の確実な手段だから。 焦げ茶の髪の私が言っていたこと、覚えているよ。 「いつか、君の海に迎え入れてもらえたら。ワルツを教えてあげるよ、お姫様」 そういって微笑んだ。君は、私には尾鰭しかないのに、といって笑ったよね。 そして私は、海の中なんだからべつにかまわないと思うよ、と答えてキスをしたんだ。 覚えてるよ、シシィ。 覚えてる。 生きているとき、どうしても届かなかった薄雲が晴れて、たしかに私の記憶なんだと思える。 シシィ。 今なら、君に本当に逢いにゆける。 彼と私の約束を果たせるよ。 生前、私は彼のことを思い出せなかった。 だけど、私は私のままで君を想った。 まっさらで出会って、何も持っていなくても、やっぱり君に惹かれたんだ。 そこに理由なんかない。 生まれ変わりだからじゃない。だって私はそれをずっと理解できなかったし、むしろ彼に対して違和感を持ち続けていたのだから。 彼は… 正直なところ、当時の私にとって、他人、だった。 ずっとね。。 君には悪いと思っていたけど、どうしても、どうしてもわからなかったんだ。 でもわかっていたら、すぐに君に惹かれていただろうか? それは、本当に「私の」気持ちだっただろうか? ……きっと私は、今度はそのことに悩んだだろうと思う。生まれ変わりだから惹かれたのかと。 気持ちの理由は過去生とやらにあったのかと。 違うよ。 違う。 シシィ。 私は君に出逢った。 月が二度満ちる間たくさんの話をして、季節が三度めぐる間離れていた。 陸に生きながら、自分の仕事をしながら、そして君への想いを考えていた。 そこにあるのか、ないのか、それは私のものなのかを。 ずっと確かめていたんだ。 それはきっと、私にとって、とても必要な時間だった。 …私のものだったよ。 マントをあつらえ、リボンを選んだのは、間違いなくこの銀髪の私の、今ここの想いだった。 だから、シシィ。 いま、私は私のこころからまっすぐに君に言える。 Ti amo, Sirena. (愛してる、シレーナ Noi mantenere la promessa del mare. (海の約束を守るよ 私を海に迎えてくれるかい? 焦げ茶と銀の私達を。 Con amore il giorno di Natale, Ray. ------◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆【外伝 目次】皆様、旧年中は大変お世話になりました。年明けのご挨拶を申し上げます。あけおめ記事を書こうかと思ったのですが、今年は喪中の方も多くいらっしゃるでしょうし…ということで、いっそレイ(作中の男性です。正式にはたぶん、レイモンドかな)のらぶれたーで代わりにしてみました←けっこうな方から続編のリクエストをいただいてましたのでw概要が見えたのがクリスマスだったので、そんな署名になってますけどちょっと良い感じの内容だし年始でもいいかなーと。。笑手紙形式なので、返事がわからないのがアレですが多分そのうちシレーナさんのブログのほうに載せていただけると思います。ちなみにダメとかヤダとか言われるかもしれませんがそれは知りませんww←(「Stripe Volume」http://blog.goo.ne.jp/hadaly2501)今年もどうぞよろしくお願いいたします♪応援ぽちしてくださると幸せ♪→ ◆人気Blog Ranking◆webコンテンツ・ファンタジー小説部門に登録してみました♪→★お年玉Special★ 1/1~1/8 はじまりの光&ドラゴンヒーリング
2012年01月05日
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胸元の小瓶から、海のちいさな囁きが聴こえる。 列車の窓からはもう、青く広い輝きが見えていた。 もう少し。 もう少し。 はやる心を抑え、何度目か荷物を確認する。 旅行用のマントがひとつ。鞄の中には私の本と、身近な細々としたものが少し、それから金髪にも黒髪にも似合いそうな、金色の縁取りのついた鮮やかな緑色のリボン。 自分なりの身仕舞いをととのえて、私はあの海に向かっていた。 陸に戻ってからずっと、繰り返していた自問。 私の前世だという焦げ茶の髪の男のことは、やはり未だによくわからない。 それが自分だという実感がないから、戻ると言った彼の約束を、彼としての私は果たせそうになかった。 けれど。 私は私自身の望みとして、鱗が傷つかないよう彼女を抱き上げるだろう。 岩に擦れて痛そうだと、傷をつけたくないと、彼がどうであるかに関わらず今ここの私が思うから。 彼と同じことを思う彼がわからないままの私を、彼女は受け入れてくれるだろうか? 三年の間、まなかいに立って離れぬ面影を思い返すと心臓が踊る。 もし受け入れてもらえなかったら…… そうしたら、近隣の伝承でも集めながら、近くに職を求め海を眺めて暮らそう。 もう少し。 もう少し。 窓枠に肘をついて外を眺めていると、陽の光を反射する青いきらめきが、徐々に近くなってくる。 最後の大きなカーブを列車が曲がり始めたとき、手前の駅で向かいの席に乗ってきた男に名を尋ねられた。軽く振り向いてええそうですがと答えた途端、大きな音が聞こえて衝撃が走る。 周囲で起こる悲鳴、胸を貫いた熱。 目をゆっくりと戻すと、私のシャツに赤い染みが広がっていた。視線を上げた先には、向かいの席で銃を構える見知らぬ顔。 「へ、へへ、よし。この列車に乗ってる、長い銀髪に青い眼の背の高い男。荷物は鞄ひとつとマントだけ。名前も聞いた。お前だ」 男はへへへと笑い続けながらぱっと立つと、カーブで減速していた列車の窓から身軽に飛び降りた。いくつもの顔が窓から外を見つめたが、牧草の生えた青々とした斜面にごろごろと転がる姿はすぐに見えなくなってしまう。 異常に気付いた車掌が慌ててやってきて、誰か乗客に医者はいないかと絶叫している。 そうしている間にも、シャツの染みはどんどんと大きくなって耳も目もぼんやりときかなくなってきた。 もう少し。 もう少し。 もう少し … だった、のに。 重くなった頭を無理やり動かして、窓枠によりかかる。わずかに近くなった海の青。 伸ばした手は窓に邪魔をされ、透明なガラスに赤く指の跡がついた。口元は自分の息でかすかに白く曇っている。 赤と白の命の証。 陸のことを身仕舞して、それでも忘れられなかったら海に会いにゆく。 その約束は自分の心の中だけだったから、彼女は知らない。 必ず戻ると約束して半ばに果てた彼のかなしみを、再現させたくはなかったから。 もう一度会ったら伝えようと、心に包んでいた言葉も彼女は知らない。 マントは丈夫で潮に濡れても手入れのしやすいものにしたことも、リボンは市にでかけて何種類もからようやく選んだことも。そしてあの本も。 伝えたいことは、たくさんあるのに。 海のものと陸のもの、溶けあうには人魚姫の伝説のように、どちらかの国の存在にならなくてはならない。 だから、海に。 一度死んで君に助けられた命だから。 最後の力でつかんだ胸の小瓶から、かすかな海の気配。 波に触れればあなたがわかるからと、君は言っていただろうか? 二人を分かつ、越えられない透明な薄い板。もどかしい。 こんなに… こんなに近くまで、やってきたのに。 瞼が重くなり、静寂の闇が私を包む。 もう少しで … 届くのに。 このマントで君を包んで、驚かせようと思っていたのに。 シシィ … シレーナ。 … 私の、人魚姫。 ------◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆【外伝 目次】海の約束。応援ぽちしてくださると幸せ♪→ ◆人気Blog Ranking◆webコンテンツ・ファンタジー小説部門に登録してみました♪→
2011年12月19日
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一日二日で、足は立ち上がって水場に行ったり周囲に生えている食べられそうな草を採ってくるくらいはできるようになった。 しかし思ったよりも難儀したのが左手首で、甲をそらせると鋭い痛みが走る。力を入れてオールを漕ぐことはしばらく難しそうだった。 流された小舟もなかなか見つからず、月が二度満ちるほどの間、私はその岩場に暮らした。 何度も彼女が海藻や貝を届けてくれた。夜に見た時は黒かった長い髪は、昼は青い海に映えるまぶしい金髪に変わり、私は最初他のセイレーンと間違えてしまった。 摘んできた野草ともらった海の幸を焚火で煮たり焼いたりして食べながら、お互いに遠い国の話をした。 彼女は海の中のことを(海の中のものは海藻すら友達ではないのかと提供を申し訳ながる私に、精霊のように優しい存在ではないから大丈夫と笑いながら)。 私は陸のはるかな国のことを。 あるとき、海の中から歌が聴こえることに気づいた。それは弔いの歌なのだと彼女が教えてくれる。 「そうか……。セイレーンが船を難破させるのではなく、難破した船からさまよう魂たちのために、君たちは歌うのだね。死して弔ってもらった者たちは言うに及ばず、私のように、命を助けてもらった者も多かったろうに」 ごめん、と私は頭をさげた。 人の世の誤解は、あまりにもひどいと思えたから。 口に手をあててコロコロと笑った彼女は、笑いをおさめると面白そうな目でこちらを見た。 「人に謝られたのは……二度目よ。まともに話したのも。長く生きてきたけれど」 切なげな瞳をまばたいて続ける。 たいていは人の命を助けても、(思い出してはいけない、忘れなさい)と言ってすぐに陸に帰すのだという。相手も怯えていて、逃げるように去ってゆくのが普通なのだと。 「あなたは船乗りではないのね。星図も読めるようだし、操船を知らないわけでもない。でも船乗りならば、セイレーンと話したり、まして謝ることなんてないわ」 何者なの? といたずらっぽく聞かれたのへ苦笑を返した。 さあ、私は何者なのだろう。 何者でありたいと思っているのだろう。 父から継いだ事業家、それが一応の肩書きではあるけれども。本当は妖精や不思議な生き物についての各地の伝承を集めるのが好きで、趣味が高じて講義をひとつやってみないかと地元の大学から持ちかけられている。 しかしいずれにせよ海難事故の後数週間も留守にしていたら、死んだと思われているに違いなかったが。 何人かのセイレーン仲間たちが、物珍しげに見物に来ることもあった。 私の真面目すぎる返答が面白いと言われたが、大らかに海が笑うように思えて嫌な感じはしなかった。 誘惑者と言われ船乗りには嫌われている彼らだが、蠱惑的というよりも自然の豊かさや深さを体現しているように、私には思えた。 「……帰る?」 ある日、そろそろ治ってきた左手で小舟のオールを握ってみていると、彼女が聞いてきた。一拍おいてゆっくりと顔をあげ、そうだね、と答える。 朝夕の月の満ち欠けと海の潮汐。 私が指折っていたのは何のためだったろう。 月を見上げ数えている姿を、彼女が少し寂しげに見ていることは知っていた。 陸に待つものは、おそらく善い思いであるまい。 私が死んだほうが都合のいい親戚が、いくらでもいた。ここで生きて帰ったなら、むしろ彼らに憎まれることくらい簡単に想像がつく。 それでも帰ることを選んだのは、「陸の命を精一杯に生きなければ海のものにはなれないから、焦げ茶の髪の男を陸に帰したのだ」と、彼女から聞いたからかもしれなかった。 その男のことは、正直今でもよくわからない。 他人のような他人ではないような感じがするのは、あなたのことだ、と最初に言われたからかもしれない。 実際に言動の端々が似ているからかもしれない。 自分ならやりそうだと思う部分と、いや少し違うだろうという部分が同居しており、完全に自分だとも思えなければ、まったく別人とも言い難い、不思議な感じだった。 私には妻子も家族もない。待つ者のいない陸の国へ戻るのは、やりかけで残してきた責を果たすため…… それは、「陸の命を精一杯に生きる」ことのように思えた。 「先生」 呼ばれて顔をあげると、数人の学生が輪のように私の机を囲んでいた。夕焼けの光が窓越しに部屋を金色に染めている。 茶色いくせっ毛の男子学生が口火を切った。 「なんだい?」 「それは…… その、何ですか?」 全員の視線が、私の胸元に揺れる指の先ほどの小瓶に吸い寄せられている。慣れた質問に私は笑って、長い鎖をつけたそれをそっと掲げて見せた。 「これかい? 人魚の鱗だよ」 うそっ、ほら噂通りだろ、本当に? といった声が口々にあがり、小さな準備室はあっという間に賑やかになった。 鎖を外さないままで彼らの前に見せた小瓶の中には、通常の魚よりも少し大きな、不思議な虹色をたたえた鱗が一枚、入っている。 じっと見つめていた金髪の女子学生が、目をきらきらさせた。 「先生、人魚って本当にいるんですか? 船を難破させるのでしょう?」 「うん、いるよ。私は逆に、海難で死ぬところを助けてもらった。怪我が治るまで何度か話もしてね。この鱗は、もうそんな事故に遭わないようにと、彼女がくれたんだよ」 指先につまむ小瓶から、遠い海の囁きが聴こえる。 もらった鱗を身に着けるにも、穴を開けたら彼女が痛いのではないかという気がして、小さな硝子の小瓶を探し回った。 あれから三年。 事業を整理して親類に譲る手続きのかたわら、私は話のあった大学で講師として教鞭をとっていた。 週一度でも楽しかったし、仲良くなった教授の後押しで、今まで集めた伝説を本としてまとめることができた。 刷り上がったのは昨日だ。 セイレーンの頁にはこう書いてある。 「難破した船からさまよう魂たちのために歌い、海難で亡くなった遺体を海の奥津城へと弔ってくれる優しい存在」 届いたばかりの本の表紙を撫でてぱらぱらとめくり、一冊鞄につめて、残りを研究室の本棚の空いている最下段へと移した。 真新しいインクの匂いが鼻をかすめる。 「先生……、本当に行っちゃうんですか?」 「うん、一年の約束だったしね。この本は置き土産… 皆で好きに読んでくれるといいな。欲しい人にはあげるよ」 「駄目ですよ、ちゃんと俺らにも売らないと」 「いいんだ。もしお金を払ってくれるなら、その分どこかの募金箱に入れてくれたらいい。私はいいから」 すると、さっすが現役の事業家は違う、と誰かが口笛を吹いた。 静かにね、と苦笑で応じて立ち上がる。 講師契約が終わり、事業の移譲も終わったら私は旅に出ることにしていた。 家族のいない私の跡を誰が継ぐか、親戚の中には狙う者もいたようだ。 海辺に居た二か月の間、うまくまとめてくれていた叔父に渡すことに私は決めていたのだが、その叔父が去年病で急逝してしまい、話がこじれてしまったのだった。 しかしそれもどうにか収拾をつけ、新しい人物に移譲の手続きも済ませてある。 後はもう好きにしてほしい… 事業も財産もすべて譲り、肩の荷をおろした気分で私はそう思っていた。 次の社長に選ばれなかった親族に逆恨みされていることも知らないわけではなかったが、財産は分けたしそれなりの役職にもついてもらっている。それ以上のことはやりようがない。 本の入った鞄を掌でかるく叩くと、私は学生たちに別れを告げた。 ------◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆【外伝 目次】To be continued …応援ぽちしてくださると幸せ♪→ ◆人気Blog Ranking◆webコンテンツ・ファンタジー小説部門に登録してみました♪→☆ゲリラ開催☆ 11/28~12/4 REF&ロシアンレムリアン 一斉ヒーリング 11/29 エレスチャル・ヒーリング
2011年11月29日
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ごほっ、と水を吐いた。 しばらく咳き込み、やっとのことで上半身を起こすと足に刺すような痛みが走った。生きている。思わず自分の手を見つめた。 白く浮かぶ月に寄せ返す波音。 「ここは…。君は……?」 岩礁に両手をついてこちらを見ている若い女性に問いかけた。 その下半身は岩に隠れて見えないが、波の下のはず。長く波打つ夜色の髪も濡れ、服は着ていないように見えた。 彼女が助けてくれたのだと聞いて、ほっと息をつき落ちかかっていた銀髪をかきあげて礼を言う。 セイレーン、という単語が胸をよぎった。 美しい歌声で航行中の人を惑わし、遭難や難破に遭わせるという人魚。 蒐集していた伝説の登場人物が現れたのだろうかと、すこし目をみはる。居ないと思っていたわけではないけれど、自分が会えるとは思っていなかったから。 しかしじろじろ見ては失礼になることに気づいて、はっと視線を外した。 ぱちぱちと焚火が爆ぜる。 踊る炎に照らされる彼女の姿は、やはり人魚だった。 岩に登って横に腰かけてきたとき、怖くはなかったが手を貸していいものかどうか戸惑った。二本の脚ではない、鱗に覆われた魚の下半身では登りにくかろうし、岩肌に鱗が擦れて痛そうだ。 しかしセイレーンなる存在は誇り高いと聞いていたし、人間の手を借りるのは潔しとしないかもしれない。 そんなことを考えているうちに彼女はさっさと岩に上がり、長い尻尾の先で波をさらさらと触れながら半身をひねってこちらを覗きこんだ。 生命力に満ちた、意志の強そうな瞳が火影にきらめく。 波音を背景にぽつぽつと語られた話は、すぐには信じがたいものだった。 何十年か昔、今ここに居る私がこの世に生を享ける前。 彼女が愛し、彼女を愛していた「私」が出会いのために中断していた旅を再開し、途中海戦に巻き込まれて死んだこと。 血をひいて沈む遺体を、彼女が海の奥津城に連れて行って葬ったこと。 あなたのことよ、と細く白い指が私を指した。 何と応えてよいかわからず、思わず目をしばたたく。 旅に生きる本好きな男。君の鱗に傷がつくからと、岩に上がろうとする彼女をマントで包んだのだという。 やりそうだ、と思う。そう、もしもそれが私なら。 先程、鱗が擦れて痛そうだと思った。結局動けず、悩んだだけで終わってしまったけれど。 もしも手元にマントがあり、彼女を抱き上げられるほど健康で、そして彼女を愛していたなら―― どこにも、躊躇する理由がない。 潮がマントに染みることなど、同じく気にしないだろうと思った。 けれども今、ここにマントはなく、足首の負傷は自分が立ち上がることさえ妨げ、……彼女のことをどう思っているのか、自分にもわからずにいた。 嫌ったり怖がったりしていないことは確かだったが、愛しているかと問われればどうなのだろう。 愛というのはそんなふうに、突然に降ってわいてくるようなものなのだろうか? 困った顔をして首をかしげると、彼女は苦笑した。 「いいのよ。ごめんなさい。分からなくて当たり前のことだから。……そのとき恋仲だったから、また愛して欲しいと言いたいのでは無いの」 丸みを帯びてきた月に照らされる、哀しそうな微笑。長い睫を寂しげに伏せたその姿に、胸がずきりと痛んだ。 思い出せたらいいのに、と。 もしもそれが本当に自分だったのなら、思い出せたらいいのにと。 されば彼女の憂いは晴れるだろうかと思った音は、どの弦がはじかれたものだろう。同情か、憐れみか、それとも愛か。私には判別がつかなかった。 「今度はあなたが沈む前に息を繋げられたから、良かったと思ったのよ。私には嬉しいことだった」 彼女は白い月を見上げる。 「でも。あなたにはあまり嬉しいことでは無かった。……そうなのね?」 戻ってきた視線に、私はまた答えられなかった。 海の中ぶくぶくと引いてゆく細かい泡をぼんやりと眺めながら、ああこれで楽になれるかと思ったのも事実だったから。 事業家の父が遺した巨額の負債をひっくり返そうと、躍起になっていたところ。 かなりの財産を処分することでほとんどは返済したが、残っている事業を立て直さなければならなかった。 そのこと自体は挑戦の楽しみもあり、たいして苦ではなかったが、数年がたち借金がなくなって黒字の匂いがしてくると、途端にハイエナたちが群がり出す。 恥という単語を辞書に持たない親戚たちの言動に心底辟易して、ほとんど発作的にすべてを投げ出したくなっていたところだった。 斜めに海に沈んでいったとき、不思議と苦しいとは思わなかった。その後一度意識を失い、彼女に助けられて岩場で息をふきかえした時の方が苦しかったくらいだ。 だが、彼女にとっては。 もしも私が彼で、そして望まぬ遺体として再会していたなら、生きている私を助けられたことは嬉しいことだったろう。 生まれ変わりを知る能力があるのなら、たとえ覚えていないとは知りつつも、かつての恋人を見つければ淡い期待もするだろう。 彼女のことを覚えておらず、愛しているとも言えず、まして生き延びたことすら喜んでいない私の存在は、わざとではないにせよ彼女の想いをことごとく否定していた。 申し訳ないとは思ったものの、海難に巻き込まれて死にかけた命を拾ったばかりでもある。まだ何もかもが急すぎたし、嘘を言うのもまた誠実な態度とはいえない。 黙って炎を見つめていると彼女は言った。 「…あなたは陸にお帰りなさい。私、小船を見つけてくるわ。怪我がもう少し良くなったら、船を操ることも出来るでしょう」 どこかの… 港の近くまでは送ってあげる。そうしたら、さよならね。 水の禍にはもう巻き込まれませぬように。 護りを渡すわ。あなたに。 月光の届く波間を見つめ、呟くように言う。 「……シシィ?」 問いかけた声には、なんでもないわと笑った横顔が返ってきたけれど。 「……日が昇ったらまた来るわ。じゃあね」 こちらを振り向かぬよう深夜の海に飛び込んだ彼女は、きっと泣いているのだろうと思った。 <Sirena - Alba ->http://blog.goo.ne.jp/hadaly2501/e/c12d0d571029b815929b90fe51f3c459<Sirena - Brezza marina ->http://blog.goo.ne.jp/hadaly2501/e/eb18d43daf442a147ab1c5cad843dd39<Sirena - Il suo mare ->http://blog.goo.ne.jp/hadaly2501/e/0e116b62c65ea1db753dfce9ee932ec5------◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆【外伝 目次】To be continued …新月と日蝕、胎動する昏き朔の日に。応援ぽちしてくださると幸せ♪→ ◆人気Blog Ranking◆webコンテンツ・ファンタジー小説部門に登録してみました♪→☆ゲリラ開催☆ 11/22~11/27 REF&はじまりのひかり 一斉ヒーリング
2011年11月25日
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「式から二か月か~。あの人たち、ちょっとは落ち着いたのかしらねぇ?」 大きなトートバッグにお勧めの食材をつめたアンナが同僚を振り返る。 「どうかしら。式前は神殿での訓練込みで半同棲から潔斎で、手伝いに行く機会もなかったし。こないだひと月経って、そろそろ遊びに行こうか、なんて話していたところで爆破騒ぎだったものね」 土産のワインを持ったジェズが首をかしげた。 「有名人の夫を持つと、いろいろ大変よねぇ」 「うん。軍人とはいえ、普通爆破騒ぎまではありえないでしょ」 「でも大祭は綺麗だったわぁ…。 大礼拝堂の祝福では感動したもの」 「ほんと。でもアルディアス様の化粧の似合いっぷりときたら、反則よねー」 「そうそうそう。あれは絶対反則よ、反則!!」 かしましく歩く道に、仲秋の陽が長く影を引いておちかかる。 暑さの盛りだった大祭から二か月弱、ヴェールの並木道は金色に染まって、すっかり長袖のカーディガンに上着かストールが欲しい季節になった。 翌日が非番の仕事帰り、フェロウ邸でのホームパーティに招かれているのだ。 アルディアスの隊からは、ニールスとオーディンが招待されているということだった。 以前はオーディンのことを嫌っていたジェズだが、披露宴を機にその誤解も解けている。今日は新婚の二人に、アンナが郷里の得意料理を披露することになっていた。 料理は粉を水で溶いて、卵、野菜、魚介類などを混ぜて焼き、各種のソースやハーブで味つけして食べるという、いわゆるオープンオムレツのようなものだ。 オムレツ自体は中央にもある料理だが、アンナは西方の小都市の出身で、そちらでは小麦の栽培が難しいため、雑穀の粉をよく使う。 その配合にも地域独自のこだわりがあるため、彼女はわざわざ郷里に連絡して粉を送ってもらっていた。 フェロウ邸に着くと、夫婦に加えて夜勤明けのニールスとオーディンが揃っていた。 アンナとジェズだけでは女性だらけの中にアルディアス独りになってしまうため、それではと階級が高すぎず気の置けない二人も一緒に招待したのだ。 玄関で簡単な挨拶が交わされ、ダイニングではさっそく食材やワインがテーブルに並べられてゆく。 それを手伝っていてジェズと目の会ったオーディンが、一瞬の躊躇ののちに口を開いた。 「よう… お嬢さん」 「ジェズよジェズ。あなたまた人の名前覚えてないんでしょ。というかそもそも覚える気ないんじゃないの?」 ここは職場ではないから、敬語は使わないというのが約束事。フローライトのような黒に近い濃紫のきれいな瞳できっと睨まれて、オーディンは目を白黒させた。 ジェズは少し前まで、彼の後方支援担当だったのだ。生活のあれこれを世話になっておいて、未だに名前を覚えていないのでは怒られても仕方がない。 「……すいません」 頭をがりがりと掻きながらぼそっと呟かれた言葉に、ジェズは破顔した。 「まあ、いいけど。どうせ男の人の名前も憶えてないんでしょ?」 「あー… まあ…」 「オーリイはそういうの苦手だから。自分の隊の隊長の名前も知らない時あったよ」 リフィアの指示でワイングラスを出しながら、ニールスが苦笑する。 「えーそうなの? 今はわかってるのでしょ、オーディンさん?」 葉野菜を台所で洗いながらアンナが鮮やかなブルージルコンの視線を投げると、オーディンは慌ててうなずいた。こころなしか胸を張って続ける。 「もちろん今はわかってるとも。アルディアス・フェロウ隊長」 「正解。光栄でございます、ガーフェル軍曹」 おどけたように当人が一礼したから、一座は笑いに包まれた。 「ところでリフィア、お鍋はもしかしてあのホットプレート?」 「あ、うん、実家であれ借りてきたんだけど…。違った?」 テーブル上に鎮座している大きなホットプレートに、アンナが苦笑する。 「そうじゃなくてぇ~。オーブン用の鋳鉄でできた深めのお鍋よぅ。蓋してじっくり焼くの。それで焼けたら、保温したホットプレートか大きなお皿にぱかっとひっくり返して、トッピングして切り分けて食べるわけよ」 「そうなの、私、段取りがよくわかってなかったわ。急いで借りてこようかしら?」 「ううん、平気平気。無きゃ無いなりにできるわよ~。大きいフライパンっても、二人暮らし始めたばっかりじゃ限界がありそうね。あのホットプレート蓋できる?」 アンナの視線に応えて、テーブル脇にいたニールスが大きな蓋をひらひらさせた。 「んじゃ大丈夫。あれでそのまま焼きましょ。ちょっと時間かかるかもしれないけどね」 話しながらも、アンナと長い黒髪を背で三つ編みにまとめたジェズの手が、リズミカルに食材を刻み、粉を水で溶いて加え生地を作ってゆく。 中央地区の主なタンパク源は魚介類と鳥類だが、前の大戦で土地が痩せているためか川魚はあまり獲れない。海の魚は、大きくて身のしっかりした白身の魚が主であるため、最初から切り身で売っていて魚の形がわかるような調理にはならないことが多かった。 リフィアがテーブルを整え、卓上のホットプレートが温まる頃にはあっという間に下準備が完了し、アンナの指示のもと油がひかれて生地が落とされた。 じゅわっという食欲をそそる音がする。上に大きめの魚介を並べると蓋をして、その間にサラダや他のつまみ類の用意。 ドレッシングまでできたところでフライ返しを二本手にすると、アンナは大きな生地をひょいとひっくり返した。丸い生地にはきれいなきつね色の焼き色がつき、こんがりした香りがただよっている。 満足げにそれを眺め、彼女は片目をつぶって唇に人差し指を立てた。 「これでもう少し。あとは仕上げをごろうじろ」 「すっげえ…」 手際のよさに感嘆の息を漏らしたのはオーディンだ。 ワインで乾杯し、サラダなどをつつきながらお喋りしている間にメインディッシュが頃合いになる。 皿に切り分けてハーブを散らしてから常備してあるトマトジュレを添えようとしたリフィアに、アンナの厳しいチェックが入った。 「違う違う。まずジュレが先よ。たっぷり塗って、チーズを乗せて、ちょっと蒸らして溶かしてからハーブ、それでホットプレートに載せたまま切るの。そうしたらずっと熱々で食べられるでしょ」 「ああ、なるほど」 切り分けようとした木べらを止めると、立ち上がったアンナが大き目のスプーンで持ち込みのジュレを塗りはじめる。 味の濃い肉厚のトマトをコンソメで煮込んだジュレは、どこの家庭にも常備されているポピュラーな調味料だ。市販品も沢山あるが、それぞれ家庭ごとのこだわりがあったりもする。 立ち上るいい香りにオーディンが目を細めたのを、ワイングラスを置いたアルディアスがみつけて笑った。 「オーディンはジュレにこだわりがあるから」 「おうよ。これで味が全然変わるんだぜ。あとハーブの調合な」 「へえ、オーディンさん料理なんかするの?」 手を動かしつつ、アンナが大きな瞳をくるっと回す。うなずいたのはニールスだった。 「野戦料理が得意なんだよ」 「オーディンのスープは本当に美味しいからね」 「材料とかどうするの?」 「真空パックの保存肉あるだろ。あれにそのとき手に入る野菜と、トマトジュレとハーブと塩。 ……、あ、もうハーブいいんじゃね?」 「あっだめっ」 ジェズに答えている間にチーズが蒸されて美味しそうにとろけている。湯気の中脇に置いてあるハーブ類を適当に散らそうとしたオーディンの手を、いたずらっぽい目をしたアンナがぺちんと叩いた。 「自分でハーブの調合って言ったばっかりでしょ。地方の味にするならこだわりがちゃんとあるのよ」 「…すいません。…なんかさっきからいいとこないじゃん俺…」 「まあまあ、オーリイ。ここは女性陣に任せようよ」 くすくす笑ったアルディアスがぽんと肩をたたくと、オーディンが大げさに頭を抱える。 その眼前に、楽しそうに笑いながら湯気のたつ皿が差し出された。 「ほぉら、できたわよ。アンナさん特製オープンオムレツ!」 こんがり焼けた雑穀の香ばしさと魚介、トッピングしたトマトやチーズ、ハーブなどが相まって、食欲をそそる匂いが鼻腔を刺激する。 アンナは6人分を切り分けると、手早く二枚目を準備して自分も席についた。 熱々の具だくさんオムレツは、たしかに家族や仲良い友達との団欒にぴったりで。 二枚目は混ぜる具とハーブの組み合わせで少し変化を出し、他愛もないお喋りも尽きることなくワインのボトルが二本ほど空になる。 人数のわりに減りが少ないのは、女性陣を車で送るためにニールスが飲んでいないのと、それにつきあってアルディアスとオーディンも口を湿らせる程度に留めているからだ。 ほんのり頬を染めたアンナとジェズに礼を言って送り出した後、アルディアスは長い銀髪をひょいひょいと三つ編みにすると、妻に手渡されたギャルソンエプロンを締めた。 「さて、では後の片づけは我々が。リンもお疲れ様。ニールスが帰ってきたら少し飲むから、先に休んでていいよ。明日は仕事だろう」 「そう? ありがとう。じゃあ二階の客間を準備したら先に休ませてもらうわね」 「ありがとう、おやすみ」 黒髪の同僚があえて視線をあわせずに、キッチンに下げる食器の重ね方を試行錯誤しているのを目の端に確認して、頬に軽くキスをする。 腕まくりして皿洗いを始めると、隣でオーディンがそれを拭きはじめた。 「仲良いなあ…。新婚だもんな」 「どういたしまして」 何を言っていいか困った、という感じに呟かれたから、アルディアスは笑うしかない。オーディンもそれで二の句に困ったとみえて、話題は水切りのようにひょいと跳んだ。 「運転手はニールスが適任だよな、うん」 「そうだねえ。私じゃ必要以上に恐縮されてしまいそうだし」 「俺じゃどう考えても会話が続かねえもんな」 きゅっきゅっとグラスを磨きながら、しみじみ述懐する。どうやら自覚はあるのらしかった。電灯の光をぴかりと反射するグラスを満足げに眺めた後に脇へ置いて、新しく濡れた皿を手にする。 「あいつもいい娘がいりゃあいいのに、どうなんだろ」 「さあ…。 ニールスは女の子にも評判いいと思うけどね」 「一番縁遠そうなあんたがうまいこと片付いたんだから、あいつだって縁談あってもいいよなあ」 「……え?」 思わず流していた水を止めて、アルディアスが振り返る。オーディンは濃い青の瞳で、いつの間にか自分を追い越した長身を見上げてにやっと笑った。 その笑いにはしかし、深い慈しみのようなものがあふれている。 「あんたは、なんでも背負っちまうからさ。二等兵だった昔からそうだ…。 だからきっと、神殿でもそうなんだろ。そんなふうに一人で抱え込むなっつっても、多分いろんな意味でどうにもならない部分もあるんだなってのはわかってきたけどさ」 「オーリイ…」 「まあよっぽどの物好きでないとあんたの相手は務まらんよな、と心配していたわけだ。うん。よかったよかった」 皿を拭きながら照れ隠しのように何度もうなずく。 アルディアスは止めた手を再開して、最後に外して水を張ってあったホットプレートを洗い上げた。手を拭いて、乾いた食器を棚にしまってゆく。 「これでもかなり、周りに頼れるようになったんだよ。あの頃に比べればね」 グラスを並べながら苦笑したのは、二等兵の頃を思い出したから。 「そうだなあ…。 あの頃のあんたはどこか、触れなば切れん、て感じだったしな」 なんだか放っておけなくて、見かけるたびに声かけたっけな。名前は上司になるまで覚えてなかったけど。 えらいなつっこい顔で笑うから、お前本当に軍人かって百回は訊きかけた。 「だから…、うん、よかったよなぁ」 手の中の小さな丸っこい陶器に呟きかけるようにして、オーディンはそれを戸棚にしまった。 -----文字数の関係でリンク等はコメント欄に。
2011年11月16日
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「ああ~…」 乾杯の後冷たい発泡酒のジョッキを握ったまま、オーディンは年輪のざらりと浮き出た店の木机に突っ伏した。 隣のニールスが、さりげなく背をぽんぽんと叩いてくれる。 約束通りセラフィトの奢りで飲みに来た店は、落ちついたカントリー調の内装で静かすぎず賑やかすぎず、士官クラスならわりと気軽に入れる店だ。 どちらかというと軍人御用達な趣で、飢えた男たちの腹を満たす食事メニューが充実している。 半個室の落ちつける場所に席を占めると、分厚い木材の肌触りが頬にここちよかった。 張りつめていたのが緩んだのもあるし、何より隊長が強すぎてあきれる。 手合せは初めてではないがあきれる。というか毎回こんな感じだ。 がっくり果てたオーディンの向かいでは、揺らめくろうそくの灯りをはさんでエル・フィンが無言でジョッキを傾けていた。 左の壁際では、セラフィトが面白そうに二人を眺め、アルディアスに何事か囁いている。 上司殿はといえば、細長い曲線を描く小さめのグラスを片手に、相変わらずゆったりと唇に微笑みを浮かべて僚友の話を聞いていて、二人の疲れの見えないその様子にもオーディンはあきれた。 この部隊になってそこそこの自分だってこうなのだ。合同演習で一緒になっただけの連中が、半死状態になったとて仕方はない。 突っ伏した体勢のまま横目でちらりと上司たちを確認して、改めてゆっくりしみじみとため息をつく。 「はあ~…」 身体じゅうの酸素を吐き出して、ようやくオーディンは起き直った。 そのタイミングを待っていたように、セラフィトが全員にむけて口を開く。 「……で、例の件だけどな」 ひそめられたその声に、全員が少し耳をそばだてた。和やかだった場が一気に引き締まり、皆わずかに顔をよせる。 セラフィトは少し前のめりになりながら声を落とした。 「いまいちだ。やはり手強いな」 「……」 アルディアスが一瞬静かに椅子の背にもたれ、目を閉じる。早急に片をつけてしまいたいところであったが、なかなかそうもいかぬらしい。 無言を続けるエル・フィンの瞳が、強いネオンブルーにきらめいた。 少しテーブルを見るような感じで考えていたニールスが、セラフィトの話を組み入れ、現時点でのまとめを報告する。オーディンはそれらを聞きながら、タイミングを失って手にしたジョッキの酒を飲めずにいた。 できれば一網打尽にしたいものの、なかなかスクリーニングにひっかかってこない。あたりはつけてあり、外れている可能性は低いのだが、具体的証拠をつかめなければ仕方がなかった。 冷えた水滴がジョッキの表面をすべって落ちてゆく。 それに気づいたアルディアスが、さりげなく自分のグラスに口をつける。ようやく喉を潤して、オーディンが大きく息をついたときだった。 「あの、すいません」 遠慮がちに背後から声をかけてきたのは、違う部隊の数人だ。中央の赤毛の若者の背を、両脇の先輩と友人が押している。 「フェロウ准将… 大神官さまですよね? あの、今度こいつが結婚するんで。よかったら祝福してやっていただけませんか」 その言葉に、テーブル全員の目が奥の壁際にいたアルディアスに注がれた。目をしばたたいたアルディアスが、気軽に笑って席を立つ。こんなことには慣れているのだろう。 銀髪の男は店の邪魔にならないような位置に立つと、緊張している若者の額に手をかざした。 「結婚おめでとう。ヴェールの花が満ちるように、二人の未来が幸せに満ちているように」 ふあん、と祝福のやさしい光が流れたように感じたのは、オーディンの気のせいであったろうか。敬虔に頭をたれていた若者は、ぱっと顔をあげると右隣の先輩の背を押し出した。 「ありがとうございます! それであの、先輩んとこは来月奥さんに子供が生まれるんで」 (おいおい、こっちも今は勤務時間外だぞ) オーディンの唇から洩れた小さな呟きは、テーブルに座るものだけがかろうじて聞き取れた。口には出さずとも、皆同じ思いではあるのだろう。セラフィトが苦笑している。 しかしアルディアスはにっこり笑って、金髪を短く刈り上げた男の手をとった。 「では君の手に託すよ。祝福のうちに安らかに生まれ、楽しく輝ける日々を過ごすように。家に帰ったら、奥様のお腹を撫でてあげてね」 「はいっ。ありがとうございます、大神官様」 軍服を着ている相手に呼びかけるのも不思議なものだが、実際にそうなのだから仕方がない。 どういたしましてと応えて席に戻ると、セラフィトが苦笑のままで言った。 「相変わらず、二足の草鞋も大変そうだな。奥方と一緒のときもこうか?」 「いや。さすがに女性と二人だと遠慮されるらしくてね。席を立ったタイミングなんかには言われることもあるけれど…。祝福してほしいというのを、無下にもできないしね」 「やれやれ。外じゃほろ酔いにもなれんか。気が休まる時がないな」 親友の溜息に、アルディアスは軽く肩をすくめただけだった。 「准将の銀髪は目立ちますしねえ」 ニールスがちらりと向かいの半個室に視線を投げつつ呟く。そこに席を占めている男たちの中に、先程の赤毛の若者とその先輩がいた。 間近で祝福を受けてどうだったかと、同僚たちに質問攻めにあっているようだ。完全に仕切られているわけではないので、ある程度の声は互いに聞こえる。 それから何かを思いついたように、ニールスは少しはっきりした声を出した。 「先日のお呼び出しでは、誤解もはなはだしくて大変でしたね。あの方がああいうご趣味だったとは知りませんでした。エル・フィン、君も槍玉に上がってたよ」 「は? 俺がですか」 「そうそう、准将と仲良いと昇進しやすくていいとかさ。階級が上にしては嫌味のレベルが…」 テーブルの者にだけ片目をつぶって語尾を濁す。 こころえたセラフィトが片手に酒杯を持ち、大仰にアルディアスの肩を抱えるようにして応えた。 「もうこいつときたらこの外見だろ? 若いころからさんざんそういう目に遭ってるんだよ。そうだよな?」 「まあねえ……。ありがたいことに、全部未遂で終わっているけれど」 「今じゃでかいけど、ガキの頃はほんとに細っこくてな。オーディンは知ってるか」 斜向かいの男たちが聞き耳を立てているのが気配でわかる。彼らの耳と好奇心を感じながら、オーディンは慎重に口を開いた。 「ああ、知ってる。女に間違われることもあるんじゃねえかって思った」 「美人だから、うっかりするとどっかに誘拐されてたかもなあ?」 「闇ムービーとか… 怖いですよねえ」 しれっとニールスが続ける。 「個人の嗜好をどうこういうつもりはないけれど、対象が子供だったり暴虐なものだったりするとね……。 やはり、ぞっとするよ」 「そういう嗜好は数年で変わるようなものでもないでしょうしね。十五年前も、好き者は同じことをやっていそうです」 恣意的に微妙に話題を混ぜながら会話は続く。 「子供って言えばさ。今年もあれ、やるんだろ? 神殿の」 「ああ、うん。冬祭りのお楽しみだからね」 ヴェールの冬祭りは、夏の大祭に比べるとずっとおとなしい。もちろん実際は神事があるのだが露出が少ないため、大衆にとってはどちらかというと神殿色の薄い、様々な出店やイベントがたのしみな祭りになっている。 期間中神殿の正門は解放され、ずっと参道の両脇に、飴やら揚げた芋やら様々なおもちゃやらを扱う店が並ぶ。季節ごとの市の出展もあるから、内容もさまざまバラエティ豊かだ。 正門内では高舞台がしつらえられており、期間中に一度だけ、子供たちの無病息災と健やかな成長を祈って飴が撒かれる。 一人にひとつ、なるべくたくさんの子供に、というのが約束だから、きれいに包まれた飴を運よく手にした子は舞台前から退き、後ろの子たちと交代することになっている。 それでも神殿内でだけ栽培されている、ヴェータも原料となる果実の汁を煮詰めて作った珍しい飴だけに、小さな胸は期待ではずんでいた。 「毎年盛況だもんな。賑やかなのが何人くらい来るんだ? (こないだ空爆してきたルビィキャットだが、さっきの演習に混じってた。基礎体力が足らんでへろへろだったが、子供に間違われそうなくらい小柄だったぞ)」 セラフィトの声に、思わず銀髪の男は友人を見直した。ルビィキャットの機体マークと話は聞いていても、外見特徴までは知らなかったのだ。 (空戦隊は混ざっていないのかと思っていたよ。他に貸すかもと聞いていたからね。では相手した中にいたのかな?) (3戦目だったかな。小柄で赤い髪と朱色の瞳、耳の横に細い三つ編みをたらしてる) (ああ、わかった…… なるほど、彼が) ふらつく足で木刀を振り上げていた姿を思い出して、アルディアスはふっと苦笑した。彼より30cmほど小柄な姿は、パイロットとしては確かに最適だろうが今日の演習はきつかったに違いない。 まるっこい童顔は西方に多い顔立ちだが、聞いていた年齢よりも確かに若く見える。 アルディアスは手元のグラスを傾けると、声を戻しセラフィトに答えた。 「さて。飴は毎年千個くらい作っているはずだけど、残らないねえ。 (紅い翼は人数が減ってきて、全体異動の話もちらほら可能性レベルで出ているよ。引き抜きかけてみようかな?)」 「千個ぉ? 思ったよりずいぶん作ってんだな。でも足りねえんだったらもっと作ればいいんじゃねえの。 (いいんじゃねえ? あいつはうち向きだ。とりあえず研修で囮捜査ってのどうだ)」 「……人使いの荒いことだねえ」 部隊長兼大神官は苦笑した。 ------- ◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆【第二部 陽の雫】 目次 お待たせしてすみません。111111ってことで物語本編再開♪下書きはずいぶん前にしてあったのですが、なんかアップできずにいたら急に必要が出て、今日になって書き足した部分があったりするのがさすがプロデューサー様の采配って言うか←今日出せってことなのねそうなのね 苦笑応援ぽちしてくださると幸せ♪→ ◆人気Blog Ranking◆webコンテンツ・ファンタジー小説部門に登録してみました♪→☆ゲリラ開催☆ 11/7~11/13 REF&はじまりのひかり 一斉ヒーリング ★111111Special★ 11/11 豊穣の祈り ~ 一斉ヒーリング
2011年11月11日
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※作中えぐい表現があります。苦手な方はお気を付け下さい。------ 夢に、うなされる。 遠く時を経て、過去の痛みを見つめながら。 足を引きずって歩いている。手をついた壁に、不規則に途切れた赤い波線がいくつも描かれてゆく。 死体置き場から出ようとして。 浅い呼吸。 酸素が足りず、長くゆっくり息を吸おうとすると冷や汗が額に吹き出す。 歩いても歩いても、灰色の廊下が終わらない。 辿り着いた部屋の医師が、肥った女幹部に姿を変えて傷をメスで抉ろうとする。 「お前は私のものだ」 呪詛のような声が響く。 「お前は私のものだ。その背に刻印があるのだから」 背中の新しい刺青、女の紋章を太い指がなぞる。 吐き気を催して必死に逃れようとする。 違う、お前のものじゃない。 「私のものだ、グラディウス。私の玩具」 「お前をわかっているのは俺だけだ」 かぶさる声はあの男の。 「他の奴なんか駄目だよ、グラディウス。皆お前を捨ててゆく。ほら」 指さされて目を上げた先には、遠く去ってゆこうとする横顔。 親しげに誰かの肩を抱き、笑顔を浮かべている黄緑の瞳。 違う。 愕然とする自らを奮い立たせるように、両腕を抱いてかたくなに首を振る。違う、違う。 「違わない。俺だけがお前を愛してる。俺は心変わりしないぜ?」 見つめて銀髪に口づけてくる。ただし何人もの中のひとりにすぎないことを知っている。 この男の愛は、数がたくさん、ある。 それが悪いとは言わないけれど、いざ天秤にかけなければならないとなったとき、こいつはどうするのだろうかと思う。 多くに同じく愛をささやくように、多くを同じくばっさりと切り捨てるのだろう。なんの悪気もなく。 そしてまた捨てられる。一番ではないのだから。 躊躇もなく女王の命令の下に来る程度のものでしかないのだから。 この男は都合のいいところを取りたいだけにすぎない。 「忘れちまえよ…。忘れさせてやるよ」 いらない。忘れたくない。 何度も謝ってくれた。 何度も手を差し伸べてくれた。 背中の傷にキスしてくれた。 汚いなんて言われなかった。 捕まえようと広げられた腕を避けて走り出す。 あの横顔のほうへ。 あれは幻影かもしれない。誰かのほうへ行ってしまう姿なら幻でいい。 けれど恐ろしい夢の中、そこに居ないかもしれないと思うのも胸の中を氷塊が滑りおりるようで。 幻であればいい。 幻であって欲しくない。 駆ける足に黒い墨のようなねばついた雲が絡まり重い。折れそうになる膝を叱咤する。 伸ばした手が届かない。 行けばきっと…、そう、行けばきっと、抱きしめてもらえるとどこかが知っているのに。 背中と腰の傷が痛い。 痛い …。。 ------ 一度目は焼かれ、二度目は皮膚ごと剥がされた。 生皮とはいえ痛覚遮断処理された人工皮膚だったから、痛みは思ったよりもなかったけれど。 ぬるりという感触が熟れた果物のようだった。 ひとしきり遊ばれた後は、また新しい人工皮膚を移植された。 三つ目の刺青は、途中で当時の飼い主が死亡したため、線彫りの入れかけでそのまま背に残っている。 子供から大人になるとき、押し込められた隙間に何を置き去ってきただろう。紅い瞳は、その色とは裏腹に硬く、かたく凍りついていった。 視覚、聴覚、嗅覚、嗅覚、触覚。 五感のどれにも検査上の異常はなかったが、すべて感覚が遠い。 昼は戦場に出て命を奪い、夜は誰かの相手をさせられる。ただその繰り返しの生活は、痛みも苦しみもかなしみもさびしさも、はるか触れえぬものとして暗闇の中に忘れさせていった。 ただひたすらに人を殺す自動人形、あるいは美しく強い獣。 施設の研究員たちが造りだそうと目指しているものは、つまり人ではない。 触れれば指が切れそうな、氷温下に凍てついた死神…。 人間ならぬそれは、彼らにとってはよい作品であったやもしれぬ。 混沌とした暗闇が周囲を包む。 蹴り出して走り出そうにも感触がなく、手探りをすれば空を掴む。 遠い空の真ん中にぽっかりと浮いているようで、胸のうつろを冷えた風が吹き過ぎた。 風が吹く感触があるなら、それはそこにいるからだと、言えるだろうか。 ああしかし、虚無を吹き抜ける冷たさが本物の風であると、どうして言うことができるだろう? この感覚が間違いではないと、証明することなどできはしない。 きっと感じている気がしているだけ。 自分を騙し、なにも持たない寂寞の不安から目をそらしていたいだけ…… あるとき、暗闇にほそい一条の光が射した。 それは名刺大の紙のカードで、緑の縁取りがついていた。 『この部屋は、私の名前で一日キープしてある。 鍵はそれしかないから、今日は誰も入れない。 私は其所へは行かないから、残りの時間はお前の自由にしていい。 以上。』 それだけの短いメッセージ。 見世物として目隠しと手枷に戒められた10代の子供を相手にさせられたその人が、今日はお前を0時まで借り受けることにしていると、最後に口に銜えさせてくれたカードキー。 部屋に行くとその人はおらず、テーブルにカードが置いてあった。 もっと幼い子供と間違えられたのだろうか。何もかもが奪われることが普通だった自分に、生まれて初めて、キスをしてもいいかいと静かな声で聞いてきた人。 可否を聞かれて、迷ったもののすでに失うものもなかったからYESと答えた。生贄に意志を聞いてくる優しい言の葉の感触に、もう少し触れてみたかった。 どんな相手かと思っていたから、顔が見られないのは残念に思ったほどだ。 カードをとり、どこかにイニシャルでもないかとベッドに転がって裏表たっぷり眺めて……、気がついたら、そのまま時間まで泥のように眠っていた。 私物は持てなかったから、折ってベルトの裏に細工して隠した。夢も見ずに眠れた時間の御守のように。 一年ほど経って、戦場で失くしたときは探し回った。 よりどころを改めて喪ってしまったような気分になっていたから、急激に背が伸び出す直前、もう一度その相手に当たったときは幸運を感じた。 しかし小声で話しかけても返事はなく、当然だとなかば諦めながらも、どこか残念な心持ちがしたのだった。 いっときの相手でも愛さずにいられないその人が若い新任司令官のひとりであり、相手に当たった戦闘員をチームに迎えることになれば使いにくいからという理由で自らも目と耳を封じていた、と知ったのはずっと……ずっと、気が遠くなるほど後のことだ。 意図は通じていないまま、結ばれかけていた糸。 ----- 走る。 何度目の悪夢だろう。 うつろな幻を追うよりも、もっと確実な場所を思いついた。 あの時にひとつひとつ実際に積み重ねた、強い記憶と経験。 この場所があの基地なら。 生まれてすぐ捨てられて、その時から暮らし、戦場に出続けたあの基地なら。 彼は戦略執務室に居る。 戦場から帰還するとき、よく帰投ゲートに立っていた。自チームの戦闘員たちの帰りを待って。 誰も帰れないかもしれなくても、立って待っていた。 ゲートに立つ余裕のないときは、執務室に必ず居た。 規定の報告をするより前に執務室のドアを開けると、必ず、「おかえり」と微笑むのだ。 その顔が見たくて、どんな戦場からも戻った。 今の自分は、彼のもとに配属された20歳の頃より少し若い。 エリート待遇の諜報暗殺員から戦闘員に転籍し、いろいろな意味でもっとも命の危険が多かった16歳の頃の姿。 まだまだ華奢な身体は成人後より背丈も頭ひとつ分は低く、未だ女性に間違えられることもある。 かすめた出会いはどれも朧で、だからこの姿を当時の彼は知らないけれど。 けれどもこれは夢だと、過去にからんだ悪夢だとわかっている。 だからきっと会いにゆけるはず。 あの部屋のドアを開ければ、きっと。 だから、走る。 背後の手と声を振り切って走る。 どちらを選びたいかなんて、とうに決まっているのだから。 どちらを信じたいかも、とうに決まっているのだから。 目を閉じても歩けるほど慣れている基地の通路を、靴音を響かせて駆ける。 あの角を曲がって、すぐの右側のドア。 走り寄って確認したプレートに見慣れた文字。 どきりと踊る心臓を叱咤してノブを回す。 「デューク!」 息をきらしてドアを開ければ。 ……望みの人が微笑んでいる。おかえり、と。 だから、まっすぐにその腕に飛び込んだ。 あの当時、気持ちはあっても自覚がなく、ついに唇に乗せることのなかった言葉を抱いて。 ただいま。 ありがとう、待っていてくれて。 ------◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆【外伝 目次】今日はハロウィン、ケルトの一年が終わり、新しい年がやってくる日。なにかが終わり、なにかが始まる。あのドアを開ければ … きっと。この少年が、おかげさまで今は剣職人さんやってるのです。とても楽しそうに生き生きとwご心配くださった皆様、どうもありがとうございます。Trick or treat!応援ぽちしてくださると幸せ♪→ ◆人気Blog Ranking◆webコンテンツ・ファンタジー小説部門に登録してみました♪→11/1 比翼連理 ~ 融和のヒーリング
2011年10月31日
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※作中えぐい表現があります。苦手な方はお気を付け下さい。------「よう。元気か?」 無遠慮に開けられたドアの脇。若い男の赤茶の髪をかすめ、飛ばした指弾が硬質な音を立てて跳ね返る。うっかり制服組に当てたら処罰ものだから、銀玉は威嚇であってはなから当てるつもりはない。 体内時計は、約20時間眠ったと告げている。 声の主は小さく口笛を吹いて、面白そうに緑色の目を細めた。 「弱っても戦闘員か。たいしたもんだ」 「……」 「そんな目で見るな。お前のチーム司令官が土産を持って来たんだぞ?」 男は今の「飼い主」の遠縁にあたるという、幹部候補だった。戦略部の司令官は1年だけの腰掛けという話だ。家は豪邸で、家柄が良くてきれいな婚約者がちゃんと待っているらしい。 男はベッドサイドテーブルに持っていた袋からミネラルウォーターやゼリー飲料をいくつか出しながら、ねっとりした視線を絡めてきた。 「女王がお待ちかねだ。…だがその様子じゃすぐは無理だな。5日、休暇をやるからその間に治せ。通ってやるから」 「……」 「愛してるよ、グラディウス」 舌なめずりする男。 嘘とわかっていても愛の言葉を囁かれるのは滅多になくて、だから一瞬心が揺れる。 揺れた後に、そんなにも飢えているのかと自分に呆れ果てる。 幻想を追って、最後に傷つくのは自分なのに。自らを「父さん」と呼ばせていた前の飼い主にあっさりと捨てられた時、嫌でも身に染みたはずなのに。 誰も、信じてはならないのだと…。 それでも、5日の休暇は魅力的だった。 水を飲んだ後小一時間相手をしてやり、満足げにドアが閉められた直後にベッドの上へ突っ伏す。急に催して血の混じった胃液を横の床に吐いてしまったが、掃除する気力はすでになかった。 何に吐き気を催したろう。行為に、相手に、あるいは刹那の快楽に溺れようとする自分自身にか。 悪臭が立ち込めるだろうが、それが人払いになるならいいか、という思考が脳裏をよぎる。 そしてまた神経の一部を立てたまま、眠りの海に落ちた。 「汚いね。なんて汚らしい背中だ」 5日後、背中一面のゼリーパッドを剥がさせた「女王」は、不機嫌そうに煙草をベッド脇の灰皿におしつけた。 以前の飼い主に入れられた刺青を消すため、全面を焼かれた背中は所々に水ぶくれが破れ、茶色い皮膚が垂れさがっている。その上何か所にもつけられた傷には筋肉が盛り上がり、お世辞にも綺麗とは言い難い。 右腰は刺し傷がふさがったばかりで、縫合の糸もまだついたままだった。 「…申し訳ありません」 せいぜいしおらしく詫びる。刺青を入れたのも消したのも怪我をしたのも自分の意志ではなかったが、使い捨て玩具のような自分たちには、その答えしか許されてはいない。 女性幹部の太い指が顎をわしづかみにし、彼女のほうを向かせる。長く伸ばした爪が頬に食い込んだ。 「あんたたちは所詮ドブネズミ。人間様とは違うんだから、せいぜい綺麗にしておかなけりゃ。そうだろう?」 「はい」 「それがこんなに汚くちゃ興醒めだ。せっかく珍しい顔している若いのを手に入れたのに。いっそ皮膚移植でもしたほうが早いかね?」 顎を掴んだまま振り返ると、あの赤い髪の男が笑っていた。 「そうですね。実験体からきれいなのを選べば、それもいいかと。あるいは新開発の人工皮膚もありますよ。痛覚遮断の仕掛けがあるとかで」「痛覚遮断?」「ええ、戦闘員専用です。神経節に伝わる痛みのシグナルを減殺させることで、より戦闘に特化させる。研究員がちょうどこんな実験体を探していましたよ」男の声に、女は少年の顎を握ったままでにんまりと笑った。「そうするかね。痛みを知らず攻めてゆけば戦績も上がるだろう。どうせ数年の使い捨てだ、見栄えもケロイドよりましだろう」「かしこまりました。手配しましょう」慇懃に一礼した男は、底光りする瞳をあげた。「ついでに新しい刺青の手配も?」「そうだね。前の飼い主のがあるのは苛々する。といってこのままケロイドの汚いのも嫌だし、のっぺりした人工皮膚もね」「今度のは本物とそう区別がつかないそうですよ」ふん、と女は吐き捨てると、男の膝元に傷を負った細い身体を突き飛ばし、ぺろりと自分の唇を舐めた。 「まあ、今日はあたしはもういい。あんたがやりな。見てるのならとびきり痛いのがいいね」 「かしこまりました、女王様」 恭しく答えてのしかかってきた男が、耳元で囁く。 「可哀想に、そんな訳だから今日は諦めてくれ。また今度、優しく抱いてやるからな。俺は他の奴らとは違うんだ。愛してるよ、グラディウス」 愛の言葉とキスで始まるそれは、しかし注文通りにひどく痛くて。擦れた背中から、そして指を突きこまれた右腰からまた新しい血が流れた。 「ほんとに汚ねえな…。せっかく紅顔の美少年てやつなんだから、こう、白くて滑らかな背中ならもっとそそるのに」 追従か本心か、呟かれた言葉が耳に入る。 身体も心も痛みはもうとうに麻痺して、ただ遠くに感じるだけだった。しかし鳴かなければもっとひどくされるから、適当にくぐもった悲鳴を出しておく。 男がまた囁いた。 「明日は戦闘だから、手加減しておくよ。勝ってこいよな」 無茶なことを言っているという自覚は、おそらくないのだろう。 どうせ皆好き勝手に使い捨てて通り過ぎてゆく… 今自分に乗っている男も飼い主の女も、刹那の一幕を演じこの身体を好きに抱いて去ってゆけばいい。 …… 誰も、残りはしないのだから。 ------◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆【外伝 目次】新月新月←応援ぽちしてくださると幸せ♪→ ◆人気Blog Ranking◆webコンテンツ・ファンタジー小説部門に登録してみました♪→☆ゲリラ開催☆ 10/24~10/30 にじいろのゆめ 一斉ヒーリング
2011年10月28日
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※作中えぐい表現があります。苦手な方はお気を付け下さい。------と呼ばれたグラディウスが、まだ10代半ばの少年の頃の話。 背中の激痛で、一瞬目が霞んだ。 戦場でそれは命取りだ。右腰に重い一撃を受け、衝撃で前にのめる。どうにか踏みとどまると、振り返りざまに相手の脇をかいくぐって致命傷を与えた。 片手で傷をかばっていては戦えない。 患部の筋肉に力を入れて、血止めを意識する。手持ちの布を巻きつけて戦い続けどうにか帰還したものの、やはり傷は開いて戦略部に出頭するどころではなかった。 背中の大火傷もまだまだ、ようやく歩けるようになったばかりだ。 医務室へ行き先を変更するのは勇気が要るが仕方がない。 戦闘員にとって、医務室行きは死神の賽をふるのと同じことだ。 治療にかこつけてありとあらゆる実験体に使われる可能性が高いから、皆ぎりぎりまで避けるか、逆に医師を圧倒できる余力があるときに選択しようとする。 壁に手をつき足をひきずりながら医務室に向かう足元に血が垂れる。 医務室の扉を開けて… 倒れ込むように、意識が飛んだ。 …不覚。 次に目が覚めたのは、強い腐臭に満ちた暗闇だった。 遠く強い痛みと腰の傷をくすぐられるような感触。飛び交う虫の羽音。 隅に縦長に漏れている光に向けて、どうにか体を動かそうともがいてみる。臭く冷たく固い、布に包まれた何かに阻まれる。 右腰の傷に当てた手の指の隙間から、ぼろぼろと蠢きながら零れ落ちてゆく何か。 (蛆…。ここは死体置き場か) 手元の何匹かを払い落し、残りはそのままにしてよろめきながら横に積み上がる死体によりかかる。立ち上がろうとする膝ががくがく震えた。 熱が出ているのか意識が朦朧とする。 瀕死の重傷を負って意識を飛ばした自分を、医局は廃棄処分に決定したのだ。 死体と認定して解剖実験のための仮置き場に放り込んだのだと、ざっと状況を把握する。 しかし、ここで死ぬわけにはいかない。 普段、あれほどに生きている意味などないと思っているのに、自殺せずとも死ねるこの環境はチャンスであるはずなのに、なぜかそう思った。 ここで死ぬわけにはいかない。生き延びなければならない。 あのひとに会うために。 それが誰か、なぜそう思うのか、まったくわからなかったけれども、その気持ちは消えぬ熾火のように、思いのほか強く身体を動かした。 壁に押しつけて立ち上がった身体を文字通りひきずって、奥の光を目指す。記憶が正しければ、研究棟の解剖室に繋がっているはずだった。 途中左手でポケットを探り、小さなナイフを探り当てた。刃は鋭く研いである。少々心許ないが、無いよりはずっとましだ。 暗闇を足先で探りながら歩く中、大儀そうに長く尾をひく自分の呼吸音がやけに大きく耳に響いた。息をする音と心臓が脈打つ音。普段は聞こえないはずのその音が、瀕死だ休めと警鐘を鳴らして脳内を占拠する。 身じろぐたびに腐臭が鼻をつくのは、どうやら自分から発しているかららしかった。 (…俺か。腐っているのは) 自嘲気味に唇の端をゆがめて扉の手前に足を止め、呼吸を整えて中の気配を探る。 一人… 動きは素早くない。 そっとドアノブに触れると、鍵はかかっていなかった。 中の人間の気配を完璧に把握して、手前に来たところでドアを開け、左手のナイフを喉元に突きつける。 これだけの動きでもぬるりとした冷や汗が噴き出たが、眼鏡をかけた青白い顔の医師を脅して、治療を開始させることには成功した。 椅子にもたれて背中を向ける。鏡を通してやっていることは監視していた。 「あの、横になったほうが…」 「要らん。麻酔も要らんからそのままやれ」 「しかし、縫合しなくては」 「構わん」 振り向いた瞬間、刺された点滴のうち一つの管をナイフで切り裂いた。麻酔薬の入った栄養剤。こんなところで眠っては、よくて死体置き場戻りだ。 目論見を見透かされた医師は、舌打ちをしたそうな表情になってかがみこんだ。傷口を覆っている蛆虫をビニール袋に取ってゆく。 蛆は腐った肉汁をすすり再生を促すから、今回は蟲に救われたことになる。喰われる感触はあまり気持ちのいいものではなかったが…。 麻酔抜きの縫合にもうめき声ひとつ出さない。もうずっと痛みには慣れ過ぎて、感じることそのものをやめてしまった。 額には汗の玉が浮かんでいたが、さりげなく横にあった布でぬぐう。所詮、戦闘員は使い捨てのきく駒か玩具。本物の痛覚も涙も要らぬのだ。 「終わりました」 「全治は?」 「火傷もまだ治っていませんし… 最低でも三か月は」 「どうも。 …通報するか?」 刃を突きつけ紅い瞳でじっと見つめると、医師は苦笑をうかべて首を横に振った。 「しません。すれば間違いなく貴方に殺される。私は自分が生きているほうがいい」 「よし。交渉成立だ」 立ち上がり、備蓄のゼリー状栄養食や当座必要な薬品をいくつか手に入れて自室に戻る。入室コードはまだそのままだったから、死体扱いにされてから48時間は経っていないらしい。 背と腰に当てないように注意してどうにかシャワーを浴び、ベッドに転がった。火傷をさせられてすぐは全面が燃えるようで、立つことも座ることも眠ることもできなかった。あのときに比べれば、今はずっと楽だ。冷や汗をかきながらでも、少なくともうつ伏せになっていられる。 時計のデジタル表示を確認し、あとどれくらい眠れるかを計算する。オフは何日あったろうか。 戦闘に出られなければ、あっという間に廃棄処分されてしまう。傷病休暇をくれる上司はほとんどいないから、長く休むことは死への切符を切ることだ。 それに戦場に出る前にはトレーニングもしておかなくては、行った先で殺される。 進んでも戻っても留まっても、戦闘員を待ち受けるものは… 死。 まずは眠れるときに眠らなくては。 しかし完全に眠ってはならない。 うつ伏せの手元にいくつかの小さな銀玉を握り込み、ゆっくりと息を吐く。 どんなに疲れていても、どんなに朦朧としていても、意識のすべてを手放してはならないのだ。 死体置き場に放られたくらいなら、まだましな方なのだから。 ------◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆【外伝 目次】ちょっと前に激落ちしてたときの話。相変わらず、シックスアイルズのグラディウス話はえぐくてすみません (汗でもここがなかったら今の私は確実にいないと思うし、今日は蠍座の新月だから徹底的でもまあいいかなっていう理由で←これで週一更新だとあんまりですので、一段落までの3話くらいをあんまり間あけずに更新しようかなあと思っております。ヒーリング募集もかけなくちゃですが。しばしおつきあいいただければ幸いでございます。応援ぽちしてくださると幸せ♪→ ◆人気Blog Ranking◆webコンテンツ・ファンタジー小説部門に登録してみました♪→☆ゲリラ開催☆ 10/24~10/30 にじいろのゆめ 一斉ヒーリング
2011年10月27日
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エル・フィンとともに銀髪の上司殿と正対したオーディンは思わず舌打ちした。 長い銀髪を背に流した流麗な余裕のある立ち姿には、まったく隙がない。 いったいどこから仕掛ければいいというのだ。 目の隅でエル・フィンの気配を追うと、じわじわと相手の背後に回りこんでいるところだった。 彼が上司の死角に入った瞬間、オーディンは仕掛けた。 しかし斜め上から振り下ろした剣は、なめらかに踏み出しながら突き出された木刀に軌道を変えられてしまう。 アルディアスは踏み込んだ片足を軸に回転しつつエル・フィンの剣を鮮やかに受け流し、そのまま円弧を描いてオーディンの胴を攻撃した。 ガキン、という音とともに黒髪の男が下げた鍔元で受け止める。同時にエル・フィンが猫のように背後から飛びかかった。 上司が長い銀髪を風になびかせ、斜めに一歩退くと同時に下から上にすくいあげるように刃がエル・フィンを襲う。 彼は咄嗟に飛び退り、ぎりぎりでそれをかわした。 「さすが、なかなかいいコンビネーションだね」 アルディアスの眼が楽しそうに細められる。 「恐れ入ります」 ひそかに息を整えながらエル・フィンは応じた。 上司の剣筋は優雅といってもいいほどでありながら、スピードは恐ろしく速い。 二人がかりでもついてゆくのが精一杯だった。 しかしこの人と対戦していると、少しずつ自分の動きにも無駄がなくなってゆくのがわかる。 それがエル・フィンには楽しかったが、もしかしたら上司はそれを承知で導いてくれているのかもしれなかった。 厚い掌をうちわにして顔に風を送りながらセラフィトが笑っている。 「オルダス、まだスピードが落ちねえのか。お前の体力も半端じゃねえな、相変わらず」 「君に言われたくないね、セリー。私ひとりだったら、対戦はせいぜい三十人が限度だよ。誰のせいで倍になったんだい」 「もちろん合同演習のせいだな。いいじゃねえか、半分こで一人頭はやっぱ三十だ」 飄々と責任転嫁をしておいて、セラフィトは二人の対戦者を見た。 はずみかけていた息を整えることには成功したようだ。もっとも、アルディアスにとっても休憩時間になってしまっただろうが。 「二人とも頑張れよー。オルダスに勝ったら好きなもん奢ってやるからなー」 「あんた、絶対ないと思ってるだろ」 ぼそっと呟くオーディンに、セラフィトが悪びれず歯を見せて笑う。 「ばれたか。じゃ、オルダスを本気にさせたら、にハードル下げてやるから、とにかく頑張れ」 「セラフィト様……それも怖いんですが」 「大丈夫、死にやしねえよ。よかったな、味方で」 物騒なことをさらりと言って、開始の合図というようにセラフィトは軽く首を振った。 いっときリラックスした三人の集中力が、またぴんと高められてゆく。 友人と部下の漫才に笑っていたアルディアスは、流れるような動作で木刀を構えた。 今度はこちらから攻めてゆこうか。 「では行くよ?」 穏やかな声とともに、ふ、と上司殿が微笑んだような気がした。 次の瞬間、頭の上に危険を感じてとっさに腰を落とし、左手で構えた剣の平に右手を添えて防御する。 びりびりと腕を伝う重い衝撃が、エル・フィンのその行動が正しかったことを証明した。 「よく止めたねえ」 おっとりした声が降ってくる。 「恐、縮、です」 三段階に力をためて、覆いかぶさっている長身を渾身の力で押し戻す。 同時に立ち上がり、背後に撃ちかかるオーディンの剣と挟撃すべく間髪入れずに斬撃を放った。 退路を絶たれたはずの上司殿は、しかし焦りもせずに反転しつつ木刀を斜めに構えると、さらりと二人の攻撃を受け流した。 オーディンは右利き、エル・フィンは左利き。つまり通常、剣筋はほとんど左右逆になるため、挟撃されれば同じ回転方向に両方を受け流すことは難しい。 そこは二人の有利な点であるはず……なのだが、こうも素早くあっさりとかわされると、何がどうなってそうなったのかもよくわからない有様だった。 「オーリイ、今のわかったか」 「わからん。挟み撃ちにできると思ったんだが、気づいたらこうだ」 「……だよな」 二人は首を振った。 観客席に視線を流すと、にやにや笑っているセラフィトを除き、皆それぞれ首を横に振っている。どうやら解説してくれそうな人間はいないらしい。 それでも一応、エル・フィンは声をかけてみた。 「セラフィト様……聞いても無駄ですよね」 「おう。だが約束どおり奢ってはやるよ」 言われて銀髪の上司を改めて見れば、その夜空の瞳からわずかに色が退いていた。 どうやら半分ほど本気にすることはできたらしい。 わざわざ自分達の退路を絶ってしまったような気もするが。 オーディンは剣を構えながらじりじりと半円を描くように移動し、タイミングを計っていた。 上司殿の立ち姿は、相変わらず舞の一場面のようだ。 その微笑がにっこり、から凄絶、に印象を変えつつあるように見えるのは、たぶんこちらの気のせいだろう。 気のせいであってほしい。 せっかくその微笑から逃れたと思ったのに、ふいと明るい空色になった瞳が楽しげにオーディンを捕らえた。 「次はオーリイだね。いいかい?」 オーディンは返事をしなかった。 それどころではなかったからだ。 すべるように間合いを詰められたと思う間に、右、左、右と鋭い斬撃が立て続けに襲ってくる。 ほとんど本能と歴戦の反射神経で防ぎながら、それでもオーディンはブルースピネルの瞳を細めて反撃の機会を狙った。 ここぞと思った一瞬、大きく踏み出し正面から本気の一撃を放つ。寸止めできるかどうかも危ういスピードと重さ。 しかしアルディアスは逆に半歩踏み出したと見るや、刃をあわせながら上半身をひねってその勢いを見事にいなした。 力いっぱい撃ちかかった分、いなされれば自分の力の慣性ではじかれてしまう。 「エル・フィン!」 斜め遠くに軌道をそらされ、よろめいた体勢を立て直しつつ、オーディンは叫んだ。 上司は彼の一撃をいなした勢いをまったく殺さずに僚友に撃ちかかっていったのだ。 エル・フィンが危ういところで斬撃を防ぎ、ほっとしたのも束の間、今度は電光のような突きがオーディンを襲う。 慌てて身体を開いて避けようとしたが、気づくと木刀はぴたりと彼の心臓の上に切っ先を構えていた。 (うへえ、かなわねえ) 避けられるかと思ったのだが、これは完全に勝負ありだ。 固唾を飲んで見守っていた観衆から拍手が沸き起こり、オーディンは息をついて剣を下ろす。 そのときにはもう、上司殿は金髪の青年と剣を合わせている最中だった。 一合、二合。そこまでは防ぎきったエル・フィンだったが、応援のいなくなったところで三合目に剣をはじきとばされた。 試合終了。 三人が顔を合わせて一礼すると、周囲から大歓声があがった。 ------- ◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆【第二部 陽の雫】 目次 アルディアス部隊ではこういう試合が日常で、とても楽しかったですw応援ぽちしてくださると幸せ♪→ ◆人気Blog Ranking◆webコンテンツ・ファンタジー小説部門に登録してみました♪→☆ゲリラ開催☆ 10/12~10/16 にじいろのゆめ 一斉ヒーリング
2011年10月13日
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星を、眺めているのが好きだ。 大きな翼を高い山の頂に休め、眼下の雲海と星の海がひとつに混ざってゆくさまを見ているのが。 音がしそうな満天の星が、中天をめぐり人界に流れこんでゆく。 生命のいない岩山の上で、ちいさないのちの息吹を雲の下遠く確かに感じながら、眠るのが好きだ。 ああ生まれくるのだ、と思う。 はかない泡のように結んでは消えてゆくいのちの輪廻。 我が翼は白銀の息吹。 遠く凍る天に羽ばたけば氷雪を喚ぶ。 大きな翼にくるみ、安息の国へ旅逝く者たちを連れてゆく。 ある人々は我を死神の竜であるという。 秋のなかばに現れて、冬の寒さと暗さを呼び寄せると。 それは真実ではないが、その呼び名も嫌いではない。 生命の盛りの日々を終えて、ほっと瞑目する安らぎの風。 白く音無く世界を覆って休ませる雪の上掛け。 ある人々は我を春を喚ぶものであるという。 雪を割って流れるつめたい小川。 所々に白いしぶきを立てて冬乾きの大地を潤し、野原に春の黄色い花を咲かせる。 それもまた好む呼ばれ方。 我は我であり、そのほかのものにはなりようがない。 故に皆好きに呼ぶがいいのだ。 それがその者の求める真実のかけらなのだから。 雲ひとつない、どこまでも青い空を飛び続けるのも好きだ。 雲があってもいい、なくてもいい。 海と空の間に溶けるように翔ぶのもいい。 大きな翼を悠々とはばたかせる空間にさえぎるものはなく、遠く、遠く、翔けてゆく。 思い切り遠くまで … … 氷雪を喚んで飛ぶ我の翼は凍えているのだろうか。 この指はかじかんでいるのだろうか。 死にゆくもの生まれくるもの、そのはざまに在りてすでにして長く、しかし知らぬ答え。 長く長く、ひとり孤独を愛するがゆえに。 その答えを、いつか我は見つけるだろうか … ? 冬が終わり春が来て、木々に新緑の衣がうすく萌え始める。 春満ちた報せの明るい陽光が射すとともに、我の時間は終わる。 木の葉ずれにきらめく木漏れ日。 生まれ生まれた者たちの産声。 朧をすぎてやわらかく冴えはじめる月のひかり。 我は、その時がたまらなく好きなのだ。 木陰にぼんやりと翼を休める、その時が好きなのだ。 ------- ◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆外伝 目次 これ、多分このヒトのお話です。どこへ行くのかと思っていたのですが、どうもどこへも行く気がないっぽい。とか思っていたら怪しい記憶が 苦笑どこんちの子かと思ってたけど… もしやわたしなのか←頭の中をぐるぐるしていて、吐き出すまでは本編を書かせてもらえそうにないのでとりあえずアップしてみました~応援ぽちしてくださると幸せ♪→ ◆人気Blog Ranking◆webコンテンツ・ファンタジー小説部門に登録してみました♪→☆ゲリラ開催☆ 10/3~10/10 にじいろのゆめ 一斉ヒーリング
2011年10月05日
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うおおおお、と隊員達が沸いた。 「俺とオルダスは木刀で円の中心、お前らは剣で四人から六人で順番に来い。残った奴らは、倒れた奴が踏まれないように回収。いいか?」 「イエス・サー!」 上司二人を中心にあっという間に広い円陣が組まれ、ニールスやエル・フィンの采配で最初の六人が前へ出る。 フル装備で長距離を走ったり匍匐前進をしたり、基礎訓練をこなした後のお楽しみは、上司との模擬戦だった。 最初の六人は、明らかに基礎訓練だけでへとへとになっているのがわかる。 「なんだよ。これじゃやりがいがねえな」 セラフィトが吐き捨てると、もっともらしくエル・フィンが言った。 「他部隊の者ですから。今日は合同演習でしたからね」 「ふふん。そうかお前ら、陰口を叩いてた奴らか」 にやりとセラフィトの唇の端が上がる。猛禽のような武人の睥睨に、六人は見てわかるほど身体を震わせた。 アルディアス・フェロウ部隊では、階級に関わりなく作戦にふさわしい人物の抜擢が行われる。 尉官が偵察艇の指揮を任されることも珍しくはなく、通常中佐でないとできない仕事を目の当たりにした他部隊の者達は「いいよな、部隊長のお気に入りは」などと陰口を叩いてくるのだった。 またそういう輩は、アルディアス自身の出世の早さも同じく下世話な噂話のネタにする。 十五で入隊してからもうさんざん言われ慣れているため、本人はそれほど気にしていないが、隊員たちの腸は既にほどよく煮えていた。 そこで願ってもない合同訓練。しかも相手部隊の指揮官が不在のため、フェロウ隊が預かって面倒を見る形になっている。 前任者の時に引き抜きに遭って人数のかなり少ないフェロウ隊の隊員たちは、たゆまぬ訓練によって少数精鋭と言えるレベルになっていた。 フル装備でマラソンをした後、少々の休憩を挟んでの模擬戦は彼らにとってはお楽しみなのだが、他部隊の者達は基礎体力の差を見せつけられていた。 「なんでお前ら、そんなに元気なんだよ……」 六人のうち一人が、げっそりした顔でクラウドを見る。色黒の偉丈夫は平然とした顔で笑った。 「これくらい、うちの部隊では普通だ。お前らの鍛え方が足りないんだよ。だいたい武装走歩の途中でへばりやがって、回収してやったんだからありがたく思え」 「このへばりようじゃ相手にもならんがな。しょうがねえ、ニールス、始めろ」 「はい、セラフィト様。……始め!」 ニールスの声が響くと、それでも六人は一斉に雄叫びをあげて飛びかかってきた。 その剣筋は鈍くぶれて、フェロウ隊では使い物にならない。 アルディアスとセラフィトは、やれやれ、という態で六本の真剣を木刀で捌き、それぞれ急所を軽く突いてあっという間に一戦を終わらせた。 「次!」 セラフィトの声に、エル・フィンとオーディンが次のグループを前へ送る。円陣を組む観客が倒れた者の身体をひきよせ、第二戦目。 五戦目まではそんな感じで、疲れ果てた他部隊員達の相手をすることになった。 「次!」「次っ!」 だんだんとリズムに乗って、セラフィトの身体が楽しそうに弾む。二人はまだ汗ひとつかかず、余裕のある態度を崩していない。 部隊長がじきじきに剣の手合わせをすることは、ここでは珍しくないが普通はめったにない。 隊員達は目を輝かせて声援を送り、お楽しみに熱中していた。 セラフィトは厚い身体を効果的に使い、突風のように踏み出してはその質量に相手がひるんでいる隙に素早い一本をとる。その豪腕から繰り出される剣は、受けたとしてもとても重い。 対してアルディアスの動きは舞のようだ。普段の立ち姿やたたずまいからして動きが流れるような彼だが、剣を持つその動きは流麗で無駄がない。 対照的な剣豪二人に相手してもらえるとあって、隊員たちの士気は高かった。 やがて疲弊した他部隊の者たちが一巡し、やきもきして待っていたフェロウ隊員たちの番になった。 さすがに剣を構える姿からして、余力が違うことを伺わせる。うっかり回収の遅れた他部隊員が軍靴で踏まれ、怨嗟のうめき声を出したが誰も聞いていない。 「お、ようやく俺達の部隊になったか。よおし、遠慮なくかかってこい」 「始め!」 ニールスが声を響かせ、観客達の声援がますます熱を帯びる。先ほどよりも撃ち合いの回数を増やして、それでも着々と順番は回っていった。 これまた六戦はしただろうか。いよいよ最後の面子は、エル・フィン、ニールス、オーディン、クラウドの四名だった。 「おいおい、その面子で真剣は卑怯だろう」 さすがに汗をかき、上着を脱ぎ捨てたセラフィトが笑う。 「これくらいでもいいと思いますけどねえ……それでは、木刀で」 四人が木刀に持ち替えて位置につくと、周り中からいっそうの歓声が上がった。 背中合わせに立つ上司二人を囲むように、じりじりと間合いを詰める。 アルディアスもうっすらと汗をかき、軍服の襟元をくつろげていたが、まだ呼吸は乱れていなかった。 (これで本当に何組ともやった後か? この方は) 基礎訓練も当然のように部隊員と同じにこなした後なのだ。無表情に距離を詰めながら、内心エル・フィンは舌を巻いた。 視線を上司から動かさずに目の端で仲間の様子をうかがい、誰ともなく一致したタイミングで輪の中心に襲いかかる。 重い木刀同士がぶつかり合う鈍い音が響いた。 一合、二合。 さすがに部隊の生え抜き四人では、そうすぐすぐに決着はつかない。 相変わらず優雅な動作で剣を捌きながら、アルディアスは部下達を見た。 剣筋を見ていると人となりがわかる。 エル・フィンの剣は教本通りの正確無比。体中がばねでできているかのごとく素早い動きで無駄のない一撃を放ち、鳥が身を翻して飛ぶような鮮やかな身のこなしをする。 オーディンはおそらく、剣を覚えたのは小さい頃のちゃんばらごっこだろう。自己流の癖のある剣筋は読まれにくいが、一度見切られると逆に後が予想されやすいという欠点もある。だが自己流に生じるわずかな無駄や隙も、逆にしっかり自分のものとして使いこなしている鷹揚さがあった。 ニールスの剣技はその俊足を生かしている。 基本に忠実なところはエル・フィンと同じだが、膂力がわずかに劣るのだろう。斬撃の重さが少し足りないが、その分フットワークの軽い足取りで攻撃回数は誰よりも多く、早い。 クラウドはニールスと同程度か。がっしりした長身の操る剣は、セラフィトに一番似ているだろう。こちらはニールスとは逆に攻撃回数は少ないが、その分一撃一撃がとても重い。 アルディアスはふっと微笑んで身をかがめると、まるで踊るように踏み込んで剣先をニールスの喉元で寸止めした。 「うっ……」 顎を上げられ、ニールスが剣を下ろす。横を見れば、クラウドもちょうどセラフィトに胴を払われて退場したところだった。 「ニールス様! クラウド、お前はもうちょっと粘れよ」 「しょうがねえだろっ」 「これで形勢逆転、か?」 にやりと笑ったセラフィトは、しかし剣を下ろした。二対二では勝負にならない。彼はアルディアスに任せると、一時観客席に退場した。 ------- ◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆【第二部 陽の雫】 目次 応援ぽちしてくださると幸せ♪→ ◆人気Blog Ranking◆webコンテンツ・ファンタジー小説部門に登録してみました♪→★すぺさるヒーリングPart.3★ 9/21~9/26 REFフルバージョン
2011年09月23日
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戦場は混乱していた。 敵方有利となってしまった場所から離脱したいが退却のタイミングが掴めず、右翼が消耗戦になってしまっている。 中央を任されている指揮官の命令が遅い。 左翼に配置されたフェロウ隊は単独で距離をとることに成功しているものの、そのまま中央のフォローに回っている状況であり、右翼を応援するほどの余力はまだなかった。 空戦隊の単機がいくつも、晴れた空に白い軌跡を描いている。 空にも地上にも、さまざまな金属音に爆撃音、怒号や叫びが乱れ飛んでいた。 そんな中ひときわ重い衝撃が腹に響き、オーディンが咄嗟に探すと最前線の味方すれすれに何発もが着弾したところだった。 もうもうと土と黒煙が吹き上がる中を、ものすごい速度で弧を描いて飛び去る戦闘機。遅れて耳に届く爆音。 戦闘機の軌跡は他の味方とは別のルートを描き、敵味方の判別がつかない。 「馬ッ鹿野郎! 危ねえだろうが!」 「どっちだあれは」 目にしたすべての兵達が、オーディンやエル・フィンと同じ疑問を胸に抱えた。 空戦隊への応援要請とその返答時間、そこから導き出される到着予想時間、それらはみな把握している。 だからあれは味方のはずだとわかっているのだが、寝返りかと思うような至近距離への着弾を見ては自信が持てない。 案の定、もともと膠着状態に陥っていた右翼は混乱をきたして逃げ惑う気配を見せ始めた。 猛スピードでもう一度やってきた機体の識別マークを見た通信士官が絶叫する。 「あ、紅い翼…! やはり味方! 味方の機体です!」 「やっぱりか。じゃあなんでこっちに攻撃してくるんだ」 「わ、わ、わかりませんっ。また来た!」 哀れな通信士官にそんな答えがわかるわけがない。一気に浮足立ちかけた部隊に、銀髪の隊長の声が響き渡る。テレパシーと同時に届けられるその声は、混乱のさなかでも落ち着きを失っておらず、はっきりと聞きやすく部隊員の心を安定させた。 「落ち着いて、総員退避準備。まだ動かないように、しかしすぐに速やかに動けるように」 言いながらアルディアスは、目を細めて中空の機体を見やった。 太陽を背に負ってカーブを描き一撃離脱を繰り返しているその胴体には、白地に翼と猫のマークが鮮やかな紅で描かれている。 (ルビィキャット…?) その通り名を彼は聞いたことがあった。西の辺境出身の若き天才パイロット。精密機器との間で接触テレパスを保つような素質を持っているらしい。 どんな乗り物でも自分の体のように易々と動かし、その動きは破天荒にして大胆。しかし狙いは恐ろしいほど精密という噂だった。 視線を転じてよく地上を見やれば、紅い翼が撃っている弾幕は毎回味方のぎりぎりをかすめ、劣勢の味方が逃げやすいように敵味方を遮断している。 上がる煙、届く爆音、鋭い弧を描いて繰り返されるそのリズム。 確信をもってアルディアスは叫んだ。 「大丈夫。あれはルビィキャット、我々の味方だ。彼の弾幕を無駄にしないように援護する。射撃準備。右翼のホールディ隊から逃がすよ」 片手をあげ、空と地上とを睨みつつタイミングを計る。紅い翼が旋回し、もう一度やってきた、そのとき。 「撃て!」 アルディアスの右手も振り下ろされ、同時に地上からの弾幕が白く敵の視界を遮った。 「あ、気づいたな」 小柄な身体を操縦席におさめたルヴ・イース・ドロテェア少尉は、ヘルメットの中で我が意を得たりとにやっと笑った。 「さっすがアイドル部隊のたいちょーさん。俺の技に気づいてくれないと、やりがいないもんね」 左右に並んだ戦闘機のエース二人と親指を立てて見せ合い、細い滝が自在に流れるようにそれぞれの軌跡を空に描き出してゆく。 空戦隊でも紅い翼はエースを多く抱えるがその分無茶が多く、新人が配属されても胃痛で辞めてしまうという噂がある。 それは事実なのだが、他人はともかく自分が無茶をしているという自覚は半分以下なルビィであった。愛機のカメラが捉える映像を自分の目で見ているかのように知覚しつつ、彼は敵味方を分断できそうなポイントに的確に爆弾を落としていった。途中で逃げ惑いかけた味方を発見し、 「おっと、そっちからこっちは来ちゃダメだよー」 緊張感のない声でふっと高度を下げると、狙い済ました機銃掃射。もちろん当人は、帰る方向はあっちだよと親切に味方に教えているつもりだ。 人死も出していないのだし、これで気づいてくれないとこまるではないか。 「おい、機銃掃射しやがったぞ…」 半ば呆然としてオーディンが呟いた。 「うまいものだねえ」 ルビィと聞き比べる者がいたらいい勝負だと言われそうなのんびりした声で、アルディアスが目を細めた。 すぐ隣で双眼鏡を覗くニールスが、「本当だ、たしかに援護だ」とあきれた声を出す。 もはや職人芸としか言いようのない紙一重のライン。 寝返りかと一度は腰を浮かしかけたオーディンだが、なんだか無性におかしくなってくつくつと笑い始めた。 「おもしれえ、おもしれえ奴だ、・・・だけどとんでもねえ奴だ」 笑いながら一人ごちると、周囲からも笑顔が漏れる。クラウドが日に焼けた額の汗をぬぐった。 「あれは、うちの部隊向きかもしれんぜ」 「なにしろユニークな人材ぞろいだからな」 「てめえもだろ。だがもちろん、中でも隊長が一番だがな」 「何か言ったかい?」 「いえいえ、隊長が一番とんでもないなんて、小官は口が裂けても言いませんであります」 おどけた敬礼。軽口のたたき合いに隊長が気軽に混ざってくるのも、この部隊ならではだった。 しかし口を動かしながらも、手は的確に仕事を続けている。 一撃離脱を繰り返すルビィのリズムに合わせて援護射撃をしながら、フェロウ隊の面々は最後まで戦場に踏みとどまっていた。 殿軍をつとめながらもどこかで笑いを忘れないのは、ピクニック隊の面目躍如というところだ。 「笑ってるからといって、真剣じゃねえわけじゃねえ。遊ぶときは真剣に遊ぶもんだ」 まだ頼りなげな笑顔をひくつかせている新兵に、オーディンは片眉をあげてにやりと笑ってみせる。 鍛えられたその腕がライフルに弾薬を装填し、無駄のない動作で援護射撃するのを、若い新兵は感心しきって眺めていた。 「おい、弾!」と叫ばれて飛び上がり、慌てて新しいパックを手渡す。 「……そろそろ退くな」 「総員、退避準備。我々も退くぞ!」 照準器から目をあげたオーディンの呟きと、アルディアスの命令はほとんど同時だった。 さらに部隊の歴戦の戦士たちもまた同じタイミングを読んでいる。空でも同じく読んだのだろう、今度は彼らを護るために落とされる爆弾の数々。 「敵はこっから進入禁止ー」 中空からそんな声が聞こえそうな、精密かつ絶妙な機銃掃射。 舞い上がる煙幕を利用し、命令から数秒の素早さでフェロウ隊は整然と後退を始めた。 空では赤い翼を生やした猫が、楽しげにくるくると円を描いている。僚友のエースらを待って翼を振り、三機そろって帰途につく姿は、意志を疎通した楽しさに踊っているようにも見えた。 赤い髪のルヴ・イース・ドロテェア少尉が自他ともに「フェロウ隊の運転手」と言われるようになるのは、もう少し後の話である。 Thanks for (c) Ciel photography 2011 ------- ◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆【第二部 陽の雫】 目次 ルビィさん登場! これから色々とご活躍の予定です~♪なんと本物戦闘機の写真つきでお送りします。シエルさんありがとうございます♪応援ぽちしてくださると幸せ♪→ ◆人気Blog Ranking◆webコンテンツ・ファンタジー小説部門に登録してみました♪→★200万HIT記念スペシャル★ 9/13 満ちる月と大地のうた ~ ★すぺさるヒーリングPart.2★ 9/12~9/19 REFフルバージョン
2011年09月13日
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「よう、リフィア」 「にいさん! 久しぶりね」 ショッピングモールで声をかけてきた背の高い男性に、リフィアは笑顔をむけた。 赤みがかった金髪の男性は従兄なのだが、実の兄よりも年が近く、リフィアにとっては親しい相手だった。 地方赴任中の従兄が結婚祝いを兼ねて訪ねてきてくれるというので、彼女は甘党の彼のために茶菓子を買いに出ていたのだ。リフィアの従兄だから、当初はアルディアスが買い物に出る予定だったが、急な仕事が入ってしまったのだった。 従兄の手にもケーキの包みらしきものがあるところを見ると、手土産を同じモールで物色していたものらしい。 朱色の瞳で優しく従妹を見て、彼は言った。 「久しぶりに中央に来たから、家に連絡とったらお前が結婚したって言うからさ。でもおじさんもおばさんも、何か要領を得ないんだよな……。変な奴じゃないんだろう?」 「もちろんよ。いやね、もう」 実家にアルディアスが挨拶に行ったときの顛末を思い出して、リフィアは吹きだした。 上級将校で大神官の夫を歓迎しつつも、どうやら完全に両親の理解の範疇を超えているらしい。 「私、ここまでは車で来たの。一緒に乗っていきましょ」 「じゃあ俺が運転するよ。そのほうが道順覚えるから、隣で教えてくれ」 金髪の従兄は運転席に座ると、慣れた様子で車を走らせ始めた。 とりとめもなく話しながら一緒に官舎まで帰り、玄関のドアを開ける。 家の中が静かなところを見ると、奥の書斎でアルディアスはまだ仕事中なのだろう。端末で映像を見ながら話さないと、どうにもならない用件のようだった。 「どうぞ入って。彼はまだ仕事中みたいで悪いけれど」 「こちらこそ、忙しいときに失礼」 リフィアは従兄を明るいリビングに招きいれた。普段はパーテーションで真ん中あたりを区切って使っているが、今日はお客様が来るということで全解放して広くしてある。 昼下がりのリビングで紅茶がカップ半分ほど消費されたころ、奥の書斎のドアが開く気配がした。 「初めまして。遅くなって申し訳ありませ……」 廊下から現れた銀髪の長身が、客人を見て動きを止める。従兄のほうも、飲むために持ち上げたカップが途中のまま固まってしまった。 「デオン?」 「准将!?」 同時に声をあげる。作戦で会った時は子供の手前もあってマスターと呼んでいたデオンだが、その後通信などで話す機会があってからは呼びやすい階級呼称に戻していた。 間にはさまった格好のリフィアが、双方を見比べて不思議そうな顔をした。 「まあ、二人とも知り合いなの?」 二人とも軍人ではあるが、赴任場所がはるかに離れているから、まさか顔を知っているとは思わなかった。驚きから立ち直ったらしいアルディアスが微笑みかける。 「大祭前の作戦は、デオンの隊と一緒だったんだよ」 「ああ、エル・フィンさんが戻るきっかけになった」 「そう。デオンとエル・フィンも、結構昔からの知り合いらしい……ああ、堅苦しい挨拶はいらないよ。ここは軍じゃないのだから」 台詞の後半は、思わず立ち上がって敬礼しかけたデオンに対するものだった。 「それより、改めて。今度一族の端に加えてもらった、アルディアス・フェロウです。どうぞよろしく」 にこにこと手を差し出す。その手をとって握手しながら、デオンはまだ狐につままれたような顔をしていた。 「デオン・グラッシェアンスです。それにしても、まさかあなたがリフィアの相手だったとは……」 「そんなに不思議かい?」 「教えてもらった住所表記がフェロウだったので、おや?とは思ったんですがねえ。一族の跳ねっかえり娘が首尾よく准将兼大神官を射止めるとは、よもや思わないでしょう」 「まあ、ひどいわね、にいさんたら」 アルディアスの分の紅茶を淹れながら、リフィアがぷっとふくれてみせる。それに笑って、デオンは続けた。 「いや実は、伯父伯母の話がどうも要領を得ないので、リフィアの相手が変な奴だったら殴り倒して取り返そうかと思っていたんですよ。でも准将なら安心です」 「ありがとう」 アルディアスは、デオンの腕っぷしがかなり強いことを知っている。だからはったりではないのだろうし、もし本当にやったとしたら、その相手は気の毒なことになっていただろう。 リフィアには優秀なナイトがついてくれていたものだ。 それからしばらくは、一族の話題に花が咲いた。 なにしろリフィアは、生まれた瞬間にもう叔母だったくらい親族が多い。 いきなり一族が増えに増えたアルディアスにとっては、誰が誰か、覚えるのも難しいありさまだった。 「仕方がないですよ、准将。俺達ですら全員はたぶん把握してないですから。な、リフィア」 「そうねえ。私もいとこたちは、年の近い人の名前しかわからないわ」 「……そんなものかい?」 一族の少ない家に生まれたアルディアスには、その感覚はよくわからない。といって、一生懸命全員覚えようとしてもとても無理な人数ではあった。 「だって、二十歳から年が違ったら、いとこっていうより伯父伯母になっちゃうでしょ、感覚的に」 「親達は、住んでいる地域や屋号で呼びわけしてますけどね。ファーストネームの同じ奴も結構いますから」 「あの会話にはついてゆけないわよね。私達まだ未熟者だもの」 「まったくだよな」 デオンは従妹と顔を見合わせてうなずいた。リフィアの実家に挨拶に行ったとき、アルディアスもその一端を耳にはさんでいる。 賑やかで話好きが多くて、……とても暖かい家族だった。 やがて日が落ちて、話は夕食とともに続けられた。 腕をふるった湯気の立つ料理を取り分けながら、リフィアが男達を見る。 「ねえアルディ、にいさん、誰がどう知り合いなの? 言える範囲でいいから教えてくれる?」 「うーん……、エル・フィンとデオンは、数年前の作戦で知り合ったんだろう?」 「そうです、あのときは同じ部隊にいましたので。准将とも同じ部隊だったと知っていれば、引き抜きにも応じなかったんですがね」 「ああ、私もそのころはまだ部隊を預かっていなかったが、まったく知らずに惜しいことをしたよ」 アルディアスは笑った。 どうやら三人とも同じ部隊にいたことがあったようなのだが、階級もそれぞれ違ったし、ちょうど入れ替わりのように作戦に駆り出されて会ったことがなかったのだ。 それからオーディンとも、彼は面識があるらしい。とはいえこちらは、先日の作戦まではせいぜい見覚えがある、という程度のものだったようだ。 アルディアス隊の面々については、会ったことのあるないにかかわらず、全員の名前をひととおり知っていると金髪の青年は笑った。 デオンのような優秀な人材を引き抜かれていたとは、後から知ってみると非常に惜しい。 まあ、他部署に気心のしれた相手がいるというのも悪くはないが。 「デオンの隊はいつからだい?」 「彼らも一緒ですね。エルンストはちょっと遅れてますが、他の奴はだからほぼエル・フィンとは面識があったわけで」 「なるほどね。じゃあうちの部隊は、将来有望な人材をごっそり持っていかれてしまったわけだ」 銀髪の男が肩をすくめると、スープを飲み下してデオンは笑った。 「何をおっしゃいます。今、准将の部隊は羨望の的ですよ」 「お祭り騒ぎ、だろう? いや、ピクニック隊、かな?」 「さすが良くご存知で。羨み半分、やっかみ半分ですからね」 互いににやりと笑う。アルディアスの隊は雰囲気が和やかで、周囲からそう陰口を叩かれることがあった。しかし実際戦場に出たときの戦果はもちろん、生存率も高いのが特徴だったから、実際兵士たちの羨望の的というのは外れではない。 和気藹々のうちに食後のお茶も終わって、リフィアが泊まりの準備をしようとしたころ、デオンは椅子から腰を浮かした。 「泊まってはいかないのかい?」 「すみません、今日は実家に顔見せろって言われてまして。久しぶりなもので」 「まあ、それじゃ家まで送るわ。ねえアルディ?」 「いいってリフィア、適当に帰るから」 「いや、今車を出すから」 アルディアスは気軽に席を立って駐車場に向かった。自家用車は所有していないが、今はちょうど立て込んでいるので軍の車を一台借りている。 「准将に運転していただくわけには……」 「従弟なら別にいいだろう?」 玄関先に車を廻し、運転席から微笑む。 デオンの実家は、リフィアの実家の近くにあった。官舎からだと10キロほどの距離だ。 「今日はありがとう。また中央に来たらぜひ寄っておくれ。リフィアも喜ぶから」 「こちらこそお世話になりました。リフィア、またな」 デオンの実家の前で、車を降りた彼と窓越しに握手をして別れる。リフィアはまたね、と手を振った。 道もわかったことで、それからデオンはアルディアスの長期不在の折など、中央にいればたまに顔を出してリフィアの話し相手になってくれた。 それは、一人ぼっちのリフィアを心配していたアルディアスにとっても、願ってもないことだった。 (c) Ciel photography 2011 ------- ◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆【第二部 陽の雫】 目次 こんなところに親戚関係がw今日は重陽の節句。おととしはフェンリルシリーズを出して、去年は大祭の祝福あたりを出したので今年も物語を出すことにしました。そして今時点(朝8時半)、あと200くらいで200万アクセスになりそうです。御節句に重なって、なんだかおめでたいー♪ いいこと重なりそうで嬉しいな♪遊びに来て下さる皆様、いつもどうもありがとうございます♪♪そうそう、昨日寝る前に、ふと、「あ、変わったな」って思ったのです。何が変わったかわからないんだけど←そしてちょうど、0時過ぎて30分ほど経った頃だったので、日付は9月9日。もしかしたらなにかふわっと、花びらが開きだすような日なのかもしれません。陽の重なるめでたい日をはじまりに、しあわせがいっぱい重なりだしますように♪応援ぽちしてくださると幸せ♪→ ◆人気Blog Ranking◆webコンテンツ・ファンタジー小説部門に登録してみました♪→ ☆ゲリラ開催☆ 9/6~9/11 はじまりの闇 一斉ヒーリング
2011年09月09日
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(……カメラ二つ、盗聴器三つ) 一瞬ざわりと長い銀髪が広がったのは、今度こそ気のせいではあるまい。 「なっ……」 厳重な結界を施していたはずの部屋でいきなり心話が聞こえ、驚いた大将が急に喉を押さえた。そしてその手を離し、目を白黒させる。 (私を部屋に入れるからと、周到に準備をなさいましたね。けっこうなことだ……しかし、証拠など残しはしない。話したいことがあれば心話でなさい。足りない分はフォローしてさしあげます) (こ、この部屋にはESP検知器も仕掛けてある。お前がサイキックを使えば証拠が残るぞ) 手の動きもキネシスによって制御され、微動だにできない大将がせいいっぱい目を剥き出す。銀髪の男は凍った湖の色を超えようとしている瞳で、ふっとかすかに微笑んだ。 オーディンの心に秘めた事情を知るアルディアスには、先ほどの侮辱はとても赦せないものだ。 (検知器の針を振れさせなければいいことです。カメラも角度をずらして遠景に調整しましたから、表情を見せようとしても無駄ですよ) (そ、そんな、ことが……) ふと手が自由になり、大将は喉を押さえた。必死に呼吸しようとしても、気道を酸素が通ってゆかない。 ひゅううっと喉が鳴った。 「大将、大丈夫でありますか。私は医師の資格を持っておりますので、失礼いたします。ニールス、オーディン」 かたかたと震えて必死に息をしようとする肥った身体に、アルディアスはさも心配げに駆け寄った。 呆然としているオーディンの脇をニールスがつつく。 蜂蜜色の髪の青年は勿論僚友の事情など知る由もないが、今までの会話からその聡い頭脳で敬愛する上司が何か意趣返しをしようとしていることを理解していた。まして自らも蹴り飛ばしたいと願ったばかりの相手だ。協力するに否やはない。 (ニールス、もうちょっと左だ。オーディンはそこでいい。そう。それでカメラからは完全に隠れる) (な…、なにを、す……) (なに、少しばかり御身の前の酸素濃度を下げただけですよ。私自身のことだけならばともかく……今まで傷つけた者の辛さ苦しさを、少しは体感なさるといい) 床に膝をついた大将を抱きかかえるように見せながら、アルディアスの大きな手が、優雅なしぐさで男の喉にかかった。その動きにはまったく力みがなく、ただ脈をとっているようにも見えるが、的確に急所を押さえている。 脂汗を浮かべひゅうひゅうと喉を鳴らしながら、男は恐怖と苦しさのあまり目に涙を溜めだした。 (た、たすけ……) (今まで何人の同じ願いを、あなたは無視してきたんです?) 「お苦しいですか。それはいけない。僭越ながらヒーリングをさせていただきましょう」 (も……、も、しな…) 大将の顔色が赤を通り越して紫色になってくる。目を細めそれをぎりぎりまで見届けてから、アルディアスは酸素濃度を元に戻した。 かつての少年と同じように前かがみで必死に呼吸する背中をさするように見せかけて、部屋の全員に公開した心話を続ける。 (ここで手を下してはオーディンの後生が悪いですからね、殺しはしません。しかし……次はない) 冷徹にきらめく瞳は紅い色を帯びていて、肩越しに振り向いた男は息を飲んだ。 「な……」 (心話で) (な、なんで部下ごときのために、そこまで) (彼らは私の大切な部下であると同時に、大事な友人です。目の前で友人を侮辱されて黙っていられるほど、私は暢気ではない) (そんな、馬鹿な……) (馬鹿だと思うなら、思わなくなるまで地獄を見ておいでなさい。いつでもエスコートしてさしあげましょう) 今度は急に上げられた酸素濃度に、男の神経系が悲鳴をあげて痙攣が始まった。この状態で全身に六メートル水深程度の圧をかけると、不可逆的に神経がやられてしまうことを医師資格を持つアルディアスは知っている。 (わ、わか、わかった) ちかちかする目を震える手で押さえ、哀れっぽい声を出した男を執務机の椅子に座らせると、濃度を戻してアルディアスはわざとらしく敬礼した。 「発作は治まられたようですね。良うございました。それでは失礼いたします。くれぐれもご無理を致しませぬように」 部屋に居る者だけに通じる脅しの言葉に、大将が怯えた目でしきりにうなずく。 嫣然とそれに微笑みかけ、アルディアスは部下をいざなうと長身を翻した。 「准将、あんた……。こんなことしてただじゃ済まねえんじゃないか? あいつ、執念深いぞ」 ドアから廊下に出て歩き出し、角を曲がったところでオーディンが言う。今まで言葉を発することもできなかった彼に、アルディアスは柔らかく微笑んだ。 「大丈夫、証拠は何一つ残していないよ。私を査問にかけることはできない」 「でもよ、あいつの恨みは残るだろう。腐っても大将だ、会議やなんかでいびられるんじゃねえか?」 「その時は、またちょっとばかり彼の口元の空気でもいじって気づかせてあげることにするよ」 彼は私を本気で怒らせたからね、と呟く微笑が深く怖い。 オーディンは上司がみだりにその力を使う人ではないことを熟知していたから、どれほど彼が怒っているかがよくわかった。 尋常ならざるサイキックを誇るどころか、通常範囲の人間であり続けるように、むしろ心を砕いているような人なのだ。 その彼をして、将官会議での能力発動も厭わないと言わせるほどの怒りはいかほどだろう。 十五年越しの恩返しだよ。 しかしそう言って、銀髪の上司は少年の頃と変わらない笑顔を見せたのだった。 「それにしてもあの顔色は、紫なんとかを彷彿とさせるよな……」 「へ?」 ニールスが表情も変えずに首を捻っている。 「ほら、何ていったっけな。種無し紫なんとか。手に乗るくらいの楕円形の実がなるやつさ」 「あああれか……薄い紫から、熟すと赤っぽい紫になるやつだろ。さっくり甘くて、けっこう旨いよな。なんだっけ」 オーディンも腕を組んだ。横でアルディアスが口に拳を当て、くすくすと笑う。 「確かに、さっきの大将殿の顔色に似ているねえ」 「……アレ美味しいのに、当分食べられないですよ。むさい顔が浮かんじゃう。もったいない」 真面目くさった顔でしれっと言うので、オーディンは涙が滲むほど盛大に噴きだしてしまった。 ------- ◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆【第二部 陽の雫】 目次 最後に笑わせてくれるニールスさんがすてき♪応援ぽちしてくださると幸せ♪→ ◆人気Blog Ranking◆webコンテンツ・ファンタジー小説部門に登録してみました♪→ ☆ゲリラ開催☆ 8/29~9/4 はじまりの闇 一斉ヒーリング
2011年09月01日
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アルディアスが上官の執務室に呼び出されたのは、軍用車の爆破事件から数日後のことだった。 右後ろにニールス、左後ろにオーディンを従えた状態で、扉を背に背を伸ばす。 「フェロウ准将、ヴァリスバーグ中佐、ガーフェル軍曹、参上しました」 「クレインヴァー少尉は?」 「本日は地方に出張しております。お呼び出しが急でしたので間に合いませんでした。申し訳ございません、グエン大将」 穏やかさを崩さないアルディアスに対し、恰幅のいい壮年の男は見るからにイライラと机の周りを歩いていたが、つと足を止めるとはるかに背の高い部下を嫌らしい目つきでねめあげた。 「ふん。気に入りの部下は出張が多くて大変だな。女性と結婚して本当によかったのか?」 「おっしゃることがわかりませんが……?」 静かにアルディアスは答えた。長い銀髪がかすかに揺れたように見えたのは、空調の風だろうか。 「見目麗しい上官に仕込まれて、端正な部下も出世が早いのだろうという意味だよ」「こっ……」 (おさえて、オーディン) 上司の心話が届いて、ようやくオーディンは激発を抑える。 彼は少年の首に刻まれた痣を忘れることはできなかったし、当事者のアルディアスは言うまでもなかろう。 一人当時の事情を知らないニールスが心話で呼びかける。 (……同性愛者だからといってどうこう言うつもりはありませんが、こんなつまらない嫌味を言うために我々を呼び出したんでしょうかね) (多分そうだろうねえ) (信じられねえ暇人だな。代わってやりてえくらいだ) (おやオーリイ、昇進する気になった?) (冗談だろ。奴が軍曹になったら、ひとつ上くらいには上がってやってもいいけどな) 戦場で鍛えられた無表情の仮面の下、三人で心話が交わされる。 通常将官の部屋には対サイキック結界が厳重に敷かれており、上官の知らぬところで心話等ができないようになっているのだが、この程度アルディアスにはなんの制約にもならない。 (オーリイ、ずいぶんと大将を嫌ってるんだ) (おうよ。……そうか、ニールスは知らねえのか。将官になってからこっち、奴もさすがに大っぴらにはしてなかったからな) ヴェールでは同性同士の結婚も普通に認知されているから、そういう嗜好に対する偏見はない。力づくで襲うなどのあからさまな犯罪行為でなければ、問題になることはなかった。 (え? 准将とエル・フィンの噂は、女の子達が盛り上がってるのを俺も小耳に挟んだことがあるけど、それとは違うのか?) (……) 銀髪藍色の眼の上官と金髪碧眼の下士官の噂は、基地の女の子達の格好の噂の的になったことがある。元々はムービー事件の捜査に関して、敵方がプロジェクト関係者に対しての嫌味な噂を広げたようだが、女の子達の口を経ているうちに、すっかりただのからかい話に変貌してしまっていた。 呆然としたリフィア経由でアルディアスも耳にしていたが、大笑して終わりである。自身もその程度に受け取っていたらしいニールスの不思議そうな声に、オーディンは黙ってしまった。 過去の話を、彼からは口が裂けても教えるわけにはいかない。そこへ穏やかな上司の声が割って入った。 (あの噂も、恐らく発信源はこのお方だと思うよ、ニールス) (そうなんですか? でも何で……もしや准将に焦がれてたとか?) 察しのいい副官に、アルディアスが内心微笑む。 (焦がれられても嬉しくないけどね。ずいぶん昔、まだ私が入隊したての頃、このお方に襲われかけたことがあるんだ) (ええっ……!) 絶句したニールスがちらりと横を見ると、苦虫を噛み潰した顔でブルースピネルの瞳がうなずいている。 その表情を見るに、どうやら未遂であってもずいぶんとひどい状況だったのだと、聡いニールスはすぐに理解した。 入隊したての頃といえば、当時のアルディアスは十五歳、せいぜい十六歳くらいのはずだ。とたんに燃え上がりかける怒りを、銀髪の上司から流れる波動がなだめる。 (未遂だったから大丈夫だよ、ニールス。襲われかけるなんていうのは、その後も何度もあったしね) (何度も……、ですか) ニールスは眉をしかめた。ずばぬけた長身と均整のとれた体格を持つ今でさえ、彼の上司は優美とか優雅とかいう形容詞が似合う。これが身体のでききらない華奢な少年の頃であったなら、長い銀髪もあいまって少女に間違われることさえあったのかもしれない。 (そういうこと。でも次からはちゃんと撃退しているよ。同じ相手から二度襲われるのはごめんだからね) いたずらっぽいウィンクを混ぜたような心話が届く。「ちゃんと撃退」された相手は、さぞ怖い思いをしたことだろうとニールスは思った。無論相手への同情などこれっぽっちも沸かず、半殺しくらいしてやっても全く良心は痛まない。 今目の前にいる相手だけが無傷でその場を逃れたかと思うと、今からでも蹴り飛ばしてやりたい衝動を抑えるのが大変だった。 彼らの心話の間、ほとんど無視されていた上官が苛ついた声をあげる。 「返事がないな。肯定か」 「お言葉ながら、その程度の技で軍人が昇進できるならば、世界の平和を讃えるべきでしょうね。失礼ですが、ご用件がそれだけならば演習に行かねばなりませんので」 すっぱりとかわした藍色の瞳を、熊の上官が憎々しげに見上げた。 「事件捜査の進捗状況を」 「その件については、二ヶ月前に報告書を上げた通りです」 妥協のかけらも見せぬ巌のごとき返答に、グエン大将は舌打ちをもらし、視線をそらした。 粘つくその目が、意味ありげにオーディンを見やる。 「万年軍曹はまだ独り身だそうだな。あの後楽しんだのか? 上司が結婚してしまうのはさぞ寂しかろう」 あの後、とは勿論十五年前のことだ。倉庫に駆け込んできたのがオーディンであることを、大将は憶えていたか後で感づいたかしていたらしい。 とすればこの場にあえて階級の低い軍曹を呼んだのも、わざわざ嫌味を言うためであったのだろう。 「……」 誤解や嫌味も、あまりにもひどいと咄嗟に反論することさえできなくなる。 音が聞こえそうなほど、一瞬でオーディンは真っ青になった。 あの後? 自分が倉庫を逃げた後に、見つけたオーディンが銀髪の少年を襲ったとでも言いたいのか。 自分と同じ趣味だとでも? 独り身のまま胸の奥にしまっているラベンダーの思い出は、オーディンにとって一番汚されたくない、大切な宝石のようなもの。 遠い昔に喪われ、もはや手を伸ばしても届かないそれは、薄まるどころか後悔を増して、年経るごとに彼の心を多く占めてゆくような気さえする。 伝えることさえできなかった、はかない想い。 いまだ乾かぬ生傷を抉られて、血の気の引いたブルースピネルの瞳が震え始めた。 事情はわからぬものの、僚友を侮辱されたと感じたニールスの瞳が険しくなる。 彼の瞳は柔らかな色のパライバトルマリンに似ている。それが蛍光を帯びたように青く強い光を放ちだす。 後を考えいきなり怒鳴りつけたりはしないが、どうすれば最も効果的かと思っているうちに、突如、アルディアスの低い心話が部屋全体を鳴らすように全員の頭に響いた。 <Lifia - Girl Talk -> http://blog.goo.ne.jp/hadaly2501/e/2a05f22e6d5f1cdde45f5cb4c71a65cd ------- ◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆【第二部 陽の雫】 目次 もしかして続きが気になってる方が多いかもと思って、ちょっと早めにw応援ぽちしてくださると幸せ♪→ ◆人気Blog Ranking◆webコンテンツ・ファンタジー小説部門に登録してみました♪→ ☆ゲリラ開催☆ 8/23~8/28 はじまりの光 一斉ヒーリング
2011年08月25日
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遠い日の記憶が、オーディンの脳裏に蘇る。 あれは軍隊に入って二年目くらいの頃。 何を取りに行ったのかは、もう忘れた。 奥まった倉庫の一角を通りかかったとき、急に何かが爆ぜたような音と、ガタガタと大きな箱が動くような音がしたのだ。 (なんだ、この音?) 荷崩れしたか、誰かが喧嘩でもしているのだろうか。声は聞こえなかったが人の気配があり、彼はドアを開けてみた。 棚の荷物ががたがたと揺れている。同時に耳を打った、ひゅうっ、という甲高い風きり音。 窓もないのにどこから、と視線を投げた先には無様に振り向く男、泳ぐ視線。 「何やってる?」 目が合ったオーディンはドアの脇で驚いて立ち止まり、不審もあらわに尋ねた。 相手の足元には、仰向けからよろよろと起き上がって床に手をつき、必死に呼吸しようとしている銀髪の少年がいた。そのシャツははだけて、色白の素肌が見えている。 少年は喉に両手をあてて肩を揺らせしきりに息を吸い込もうとしているが、断続的な風きり音が、それがまだ成功していないことを示していた。 乱れた長い銀髪が垂れ、まだ華奢な身体の上下とともに床に渦を描いている。 「……何やってんだって聞いてんだよ!」 ブルースピネルの瞳を怒りに染めて、オーディンは叫びながらずかずかと奥に走りこんだ。かっと頭に血が上ったのを感じる。 相手が誰か、上官かどうかなぞ知りもしない。 しかし荒々しく肩に手をかけようとした瞬間、男は身を翻し、舌打ちをして走り去って行った。 一瞬追いかけようとしたとき、足元から「……かはっ……」というむせた声を聞いてオーディンは我に返った。 「おい、大丈夫か!?」 あわてて隣に膝まづき、手で背中を撫でさする。 近くには千切れ飛んだと思しきベルトの片端と、制御クリスタルの部分が粉々に割れ砕けたサイキック制御用のバンドが落ちていた。 背後にある荷物棚の支柱にはベルトのもう片方の端。 何が起こったのかは聞かずともわかった。拘束され、無理やりに襲われかけたところだったのだろう。 細い首にベルトで締められた痣が痛々しく、呼吸困難の苦しさに青い瞳はわずかに潤んでいる。 風きり音がだんだんに低くなり、そして咳に変わってしばらく咽る。 オーディンはどうしてやったらいいものか、何と声をかけたらいいものか見当もつかず、とりあえず自分の上着を脱いでまだ細い肩にかけてやった。 (すみません) 大きな呼吸を続ける少年から心話が届く。彼がこちらの能力をサポートして心で話しかけてきたのは初めてではなかったから、オーディンは躊躇なく答えた。 「かまわん。……大丈夫か? 立てるか?」 「は……い」 今度はかすれた実際の声で返事が返ってくる。よろめきながら立ち上がる身体を支え、オーディンも立ち上がった。 (あんなことがあった後じゃ、直接身体に触られたら嫌かな) そんな心の声が聞こえたのか、少年がかすかに首を横に振る。ふらつく身体を支えながら、とにかく倉庫を後にした。 何はともあれ少年の部屋に行くと、同室者は留守だった。 とりあえず傷ついた少年をベッドに寄りかかるように座らせ、オーディンはキッチン部分で適当に暖かい茶をマグに淹れてきた。簡素な一口コンロはどの部屋も同じで、食器などを置く場所も限られているからすぐにわかる。 「落ち着くまでひとりでいた方がよかったら、俺出てくぞ?」 マグを渡しながらオーディンは言った。少年よりも三つほど年上の彼は、加害者と同じでかなりいい体格をしている。 同じ部屋にいるのも苦痛なのじゃないかと気を回した結果だったが、少年の藍色の瞳は彼を見上げると、じっと見つめた後にかすかに首を横に振った。 その唇の形から、微笑もうとしていたのがわかる。 結局オーディンも、息すらできなかった人を置いてゆくのが心配で部屋に残ることを選んだ。 とはいえ傍にいるのも加害者を思い出すだろうしと壁際に寄り、思い出させるのも可哀想で問いかけるのも遠慮してしまう。 結局、長い沈黙が部屋を包んだ。 「……サイキックの制御バンドのテストをするから、と言われたんです。一定期間装着しているようにと」 両手でマグから暖をとるようにしながら、ぽつりと少年が言った。 「今日で四日目でした。それで、倉庫に手伝いに来いと呼び出されて……」 「それでああなったのか。お前だったらあいつを半殺しにだってできただろ? なんでやらねえ? 正当防衛になるだろうが?」 オーディンは思わず大声を出した。 少年はまだまだ華奢で、オーディンとはかなりの体格差がある。 こんな細っこい子の首を痣が残るほど締め上げて、そんな手段を使って自分の思い通りにしようという魂胆、またそれに楽しみを見出しているであろうこと、もう考えれば考えるほど、鳥肌がたつほどに嫌悪感が湧いてきていた。 しかし藍色の瞳がびっくりしたように自分を見つめているのに気づいてはっとし、彼はがしがしと頭をかいた。 「すまん。その……襲われたのはお前のせいじゃないのに」 ただでさえショックだろうに、それを自分の落ち度のように言われたくなかろう。 思わず怒りにまかせて怒鳴ってしまったことを、黒髪の男はひどく後悔した。それでも抑えておけない悔しさが、独り言のように口の端からにじみ出る。 「階級が上で、腕力も上だったら何やってもいいのかよ。そんなの俺は納得できねえよ……」 壁を向いてぶつぶつ言うオーディンに、少年ははっきりと微笑んだ。 「……ありがとうございます」 細い首にくっきりと痣をつけながらの微笑はひどく透き通って哀しそうで、なにか人に言えない事情が感じられる。 人並み外れたサイキックについては、オーディンは先日体感していたが、さらに今日襲われたこととまだ何か他に、この少年の華奢な肩は抱え込んでいるのだろうか。 なんとも言えない表情になってしまったオーディンをしばらく見やると、少年は低い声でぽつぽつと自らの身の上を語り始めた。 ブルースピネルの瞳の奥に隠された事情を、先日少年は覗いてしまったばかりだった。それは意図せぬものではあったが、申し訳なさが消えるわけではない。 黒髪の青年は暖かく信頼できる相手だと感じられるし、自分の事情も話せるものは話すべきだろうと、少年は考えた。 冷めてきたマグの中身を見るともなく見ながら、途切れがちの言葉が紡がれる。 幼くして神殿に入ったこと。そしてそこを抜け出してきたこと。 両親の話はしなかったが、だから今は隠れているのだと伝えた。 「次代の大神官、だって……」 話を聞き終わり、半ば呆然と呟く。 オーディンは信仰にそう熱心なわけではなかったから、そういう役割の人がいるのは知ってはいるが、という程度のものだ。 それでもヴェール人であるからには大祭の賑わいとその恩恵は肌に感じており、目の前の少年がいずれそれを担う立場にあると言われると、にわかには信じがたい気持ちだった。 「信じられないでしょう? 僕もですよ」 他人事のように、大人びた顔で少年が苦笑する。だがその様子を見ていると、逆にそうかもしれないと思えてきた。 それは、すでに相当の哀しみも苦しみも抱えたことのある、そんな表情。 ただ無邪気に光を謳う、そんな大神官にはならないだろうという確信がわく。 「いや……お前なら、なれる、と思う。お前みたいなのがなるほうが、いいのかもしれない」 我知らず口にしながら、しかしそれではこの子はひどく辛いことになるだろうともかすかに思う。 オーディンは神官の仕事を知らない。しかしそれは、軍人と両立できるようなものなのだろうか。 「それは僕にはわかりませんが……今の話をしたのは、あなたが初めてです。すみませんが、内緒にしておいていただけますか」 首をかしげる少年の声にうなずきつつ、思惟は先ほどの問いを追っていた。 しかしまだ自分も二十歳に満たぬオーディンには、そのときは答えもそれに繋がる道筋も、見出すことはできなかった。 何年も経ち、考え続けてもわからなくて、夜半の潜入先で直接当人に疑問をぶつけたのはついふた月ほど前のことだ。 すでに上司となっていたその人の答えを聞いても、やはりわからなかったけれど。 でもそうだ、この人はずっと変わらないな。 あのときの細っこい少年が、今はもう身長でも彼を追い抜き、彼の上司としてその広い背中を見せている。 ずいぶんと頼もしくなったもんだ。 思わずふっと目元をやわらげ、それからオーディンは唇を引き結んだ。 上司の銀髪の向こう、彼らを執務室に呼び出した人間に視線をあてる。 そこにはあのとき少年を襲った人間が、でっぷりと肥った身体で熊のように歩き回っていた。 ------- ◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆【第二部 陽の雫】 目次 応援ぽちしてくださると幸せ♪→ ◆人気Blog Ranking◆webコンテンツ・ファンタジー小説部門に登録してみました♪→ 8/23 一斉ヒーリング - The Sea - ☆ゲリラ開催☆ 8/15~8/21 REF&天の川ヒーリング
2011年08月20日
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(リフィアン、夕飯の支度、もうしてしまった?)夫から心話が届いたのは、もう外も暗くなった夜六時前。定時に仕事を終わって買い物をしながら家に帰り着いたところだったリフィアは、ちょうどこれからだと答えた。(そう、よかった。あのね、明日は二人とも休みだし今日はあと1時間くらいで上がれるから、ドライブに行かないかい。連れて行きたいところがあるんだよ)(じゃあ夕飯はサンドイッチか何かの方がいい?)(うん、それだと助かる。簡単でいいから、すぐに出られるようにしておいてくれるかい? それから厚手の毛布を二枚。冷えるからね)言葉通りアルディアスは、帰宅すると着替えただけですぐにリフィアを車に乗せて出発した。どこへ向かうのか尋ねても笑うだけで答えないが、ハイウェイに乗って西北を目指しているようだ。道は空いていて、ドライブは快適だった。見慣れた街の夜景から、だんだんと暗闇の濃い山地へと入ってゆく。運転する夫にサンドイッチを渡しながら、リフィアは窓の外を見て軽く息をついた。徐々に灯りが減って寂しくも感じられそうな景色であったが、なんだか今はほっとする。つい先日の乗用車爆破事件、あの衝撃がまだ完全に去ってはいなかった。「アルディ、まだ遠いの?」ハイウェイの途中、すでに初めての土地の休憩所で一休みしながら聞いた彼女は、道程がまだ半分ほどだと言われて目を丸くした。「高速はそろそろ降りるけどね。後はずっと山道だから、寝られるようなら寝ておいで」そうは言われてもまだそれほど遅い時間ではなく、寝るつもりはなかったのだが、灯りのまばらな田舎道を走っている間にいつのまにかうとうとしていたらしい。声をかけられて目をあけると、停まった車のフロントガラスの向こうに満天の星空がひろがっていた。あわてて掛けてあった毛布をたたみ、シートベルトを外してドアをあける。「寒くない?」トランクから軍用の背嚢を出したアルディアスが、慣れた手つきで二枚の毛布を紐でゆわえつけていった。そういえば空気はぴんと冷えていて、リフィアは少し身震いする。銀髪の男は自分の上着を妻に着せかけると、一応ライトがいるかな、と丸い光で足元を照らした。降るような星空。どこにも月がなくて、今日は新月だったのだと思い出す。「星谷、というんだよ。ここは」「そのままね」手をつないで下草を踏み歩きながらくすりと笑う。しかし切り立った岩山に近づいたとき、自分達の背後からぶわりと何かが巻きあがってリフィアは息を呑んだ。星の光を集めたような風が二人を取り巻いている。思わず長身の腕に抱きついた彼女の前で、それは徐々にかたちをとっていった。「やあ、トリス。その姿は久しぶりだね」二人を包むように出現したのは、淡く金色に透ける大きな竜だった。顔だけでもリフィアが抱えるほどはあるだろうか。アルディアスの声に反応するように、喉をならして気持ちよさそうにクォオ…ンと鳴く。その声も実際の音のようなそうでないような、確かに鼓膜を震わせているようなのにうるさくはないのだった。(竜の棲む谷へようこそ、わがあるじと奥方よ)ゆったりと落ち着いた声が直接心に響く。じっと見つめてくる輝く大きな目は、大祭で見たような黎明の光、そして年経た賢者の瞳を思わせた。この大きな存在が、アルディアスが言っていた彼の守護竜だろうか。「は…、はじめまし、て」リフィアの挨拶に、竜は目元を和らげたように見えた。(はじめまして、奥方。実際は大祭で会っているし、普段から見守ってはいるがね)「まあアルディ、そうなの?」「ああ。でも普段はこんなにはっきりした形をとることはないし、大祭のときもそうだったから、普通はわからないんじゃないかと思うよ」「ドラゴンにもいろいろあるのね……」希少ながら軍にもドラゴン部隊があるから、そういう生き物がいるのだということを知ってはいる。けれど実物はめったに見る機会がなかったし、まして実態のあるものとないものとあるとは思ってもいなかった。「もともとドラゴンの生態はあまり知られていないからね。縁を結べるのは運だと言われているし、お互い不可侵のような暗黙の了解があって、踏み込んだ研究もないし」アルディアス自身、竜と初めて出会ったのは十三歳で次代の大神官資格を得たときだ。奥院の「上」の世界でクリスタルにホログラムを彫りつけたとき、祝福の声をくれたのがトリスだった。それからは存在はつねに感じるものの、リアルな触れる生き物として近くにいたわけではない。たとえばエル・フィンのところのシェーンとは存在のしかたが違うのだが、それは竜自身が選択するものであるらしかった。「こんなふうに、ここで姿を見たことも一度だけあるよ。士官学校を卒業した年にね」苦笑とともに彼が語ったのは、さすがに士官学校の卒業を実家に報告しようかと、車のステアリングを握ったときの話。しかしハイウェイには乗ったものの、どうしても領地の南西に向かうことができずにいた。それなら星谷に来るがいいと言ったトリスの言葉を聞いて、ついハンドルを北に切ってしまったのらしい。「さあ、リンはここから通れると思うよ。ライトで照らしてはいるけど、足元に気をつけて」目前にそびえたつ巨大な岩盤が丸い光に浮かび上がる。暗闇の中ではあるが、たしかに女性一人ならなんとか通れそうな隙間があいていた。「距離はそれほどじゃない。十歩も歩けば開けた場所に出たと思う。私はここはちょっと無理だから、あそこからね。昔来たときは、ぎりぎり下から入れたんだけど」苦笑しながらライトを動かすと、身長三人分くらい上方に、もっと広く口をあけている場所があった。しかしそこまではほとんど垂直の岩盤を登らなくてはならない。「まあ、大丈夫なの?」リフィアが心配げに眉根をよせる。おそらくできるだろうことは容易に想像がつくのだが、それでも心配になってしまうのが人情というものだ。「大丈夫。彼らの住居に足を踏み入れるのに、テレポートという無粋を犯すわけにはいかないしね。トリス、リンを頼むよ」(承知)妻の頬に軽く唇を触れて促す。アルディアスが腕を伸ばして上方から照らしてくれるライトの光と、金色の竜の不思議な感触に包まれながら、リフィアは身体を斜めにして隙間に潜っていった。夫の言うとおり、そろそろと足元を確かめながら歩いてゆくと、ふんわりと光の満ちる開けた場所に出た。やわらかな光の霧が満ちているようなそこは、はっきりとは見えないが濃厚な気配に満ちている。壁に手をついて立ちすくむリフィアの耳に、間もなく背後にアルディアスが岩盤から飛び降りてくる音がした。「星谷……竜の、谷?」「そうだよ」肩を抱いて微笑む銀髪の姿も、ほんのりと浮かび上がるこの光源はなんだろう。ぼんやりとそんなことを考えていると、アルディアスはいたずらっぽい瞳でふと巨大な竜を振り向いた。「いいお相手が見つかるといいね。星降る翼に祝福を、トリス」(星の冴える新月の夜。ご配慮に痛み入る)おもしろそうな声が返ってくる。新月の晩は竜がつがいを探す繁殖期なのだとリフィアが聞いたのは、竜たちの場を遠巻きにして少しはずれた場所まで夫と歩いて来てからだ。トリスの相手はたぶん君の守護についてくれるだろうと言われ、リフィアはびっくりして目をあげた。「でも私は資格とか何もないし……」「ん? 守護竜を得るのに資格はいらないんだよ」そういって振り返りアルディアスは微笑んだ。 竜が人を護ってくれるのは、竜自身がそうしたいと望んでくれたとき。それは資格などとは何の関係もない。下草の生えた丘陵地を見つけると、二人は毛布をかけて仰向けになった。巨大な岩山によって完全に人界とは隔絶された空を満たす、音がしそうなほどの満点の星空。遠く周囲をかこむ黒い影が、どんなに広くてもここが山の間の谷だと教えてくれる。「……君にも守護が居て欲しいと思ってね」星を眺めたまま、低く呟かれた言葉。自分が望み、そばに居てほしいと思うほど、リフィアには負担をかけているような気がする。平凡で幸せだったはずの彼女の毎日を、留守居の心配と寂しさという色で塗りつぶしているのは自分。そうしながら軍務と神殿仕事に追い回されてどうしても不在がちなうえ、休みすらなかなか取ることもできない。ありのままのアルディアスを認め、愛してくれるリフィアがいるから、彼は彼でいることができる。時折ほどけそうになる意志の束ねをしっかりと締めなおして、彼女の元に帰ろうと目指すことができる。しかし、彼女は?彼女にとって自分は、迷惑な障り以外の何ものでもないのではなかろうか。その愛に甘え、彼女の人生をただ振り回しているのではないだろうか。そんな思いが胸に去来すると、どうしても留めることができないのだ。そうして振り回したあげく、もしも彼女が喪われたら。いまやアルディアスにとって、安心と安らぎの象徴のようになった彼女がもしも去ってしまったら。彼女と出会う前までのように一人で立っていられる自信が、彼にはもうなかった。いやセラフィトの言を借りれば、かつての彼は相当危なっかしくも見えていたようだ。だからその時点に戻るのはいいことではないのかもしれない。しかし今のように、安定した状態で立っていられる自信はさらに皆無だった。おそらくは甘えすぎているのだろうと思う。依存という名で括られるようなことなのかもしれない。お互いがそれぞれに一人で立ち、そして手を伸ばしあうのが理想なのだろうとわかってはいる。それでも。一人ではどうしようもない衝動を抱えるとき、人はどうしたらいいのだろう。甘えることとと依存することの、その違いの線はどこで引いたらいいのだろう。どうかそばに居てほしいと望むことは、どこまで許されるのだろう……。「アルディ?」「ああ……いや。ほら、トリスが相手を見つけたようだよ」そっと上半身を起こしてみれば、遠くゆらめく二つの大きな影。ひとつは金色の、そしてもうひとつは落ち着いた赤色の。赤い方は金よりも少し小さく、二つの影はとても仲よく寄り添っているように見えた。パズルのピースのように足りないところを埋めあって、ぴたりと合うこと。完全であるはずのない人なれば、それはとても幸運なことなのだろう。幸運で、幸せで、だからこそ危険であるのかもしれなかった。けれども在り方をうまく覚えられたならきっと、一人よりもずっと豊かなのだろう。揺らめきあう波紋がそれぞれを刺激してさらに波を強めてゆくように、片翼よりもずっと遠くはるかな地まで、飛んでゆくことができるのだろう。互いを弱めるのではなく、強める位置に。一人よりも二人でいたいと望むのだから、互いにも周囲にも、それが善い方へと働くように。そうであれたらいいと、ありたいと、強く願う。手を離すことはできないのだから。どうしようもなく惹かれてしまうのは止められないのだから。だから、繋いだ手が善き前兆でいられるように。そのために払える努力はなんだってする。アルディアスは強く心に決めた。降るほどの星々が、北極星を中心にゆっくりと天を三分の一ほどめぐってゆく。いつのまにか眠っていたらしく、リフィアが気づいたときには暁闇に黎明の光がさすところだった。赤い一頭のドラゴンがリフィアの前に立ち、深く輝く金色の目でじっと彼女を見ている。(リフィア。私はあなたをわがあるじと認める。伴侶のトリスとともに、あなたがたを護ることを誓う)それから名乗られた名は、まっすぐにリフィアの心に届いた。答えた真名におごそかに竜がうなずく。その鱗が、最初の朝陽にレインボーガーネットのようにきらきらときらめいていた。------- ◆【第二部 陽の雫】 目次
2011年08月08日
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そしてティールームの開始時間。 待機しているバトラーは、トールやアルディアスなど銀髪の人々に、シエル、ルカ、ユーリヒ、ラウシェン、オーディン、ニールス、リューリエル、レイヴン、デセル、リンクス。 リンクスは女性だが長い髪を背に三つ編みでまとめ、ベストを着て軽やかに歩いている。 裏方のリフィアが順番に銀髪の人を呼んでは、本人たちが適当にやったのでは足りないと、その長い髪を背できれいに「一本みずら」に結んでやっていた。 おとなしく結ばれているほうはというと、一本みずらの執事ってどうなのだろう……と頭の隅でかすかに思わなくもない。だが相変わらず、リフィアがいいならいいか、という程度の認識なのである。 ティールームはホールではなく、お客様のひとりひとりがたっぷりともてなされるよう、一人か望んだ少人数グループで個室での応対となっていた。 バトラー達は、誰が担当についたかわかるように、それぞれの色の薔薇を一本、お客様に渡していた。シエルは黄色、ルカはうっすらと緑がかった白、他にはフレンチレースの白あり剣先薔薇の赤あり、黒に銀ののったシックなものもありという具合だ。 ユーリヒあたりは執事というよりもまるでホストのように、整った顔をよせて「薔薇はいかがですか、お嬢さん」とやるものだから、真っ赤になってうつむいてしまうお嬢様が大半だった。 お客様のほうも、ワンピースに長い髪を後ろにおろしていたり、フリルのついたドレスを着ていたりと、皆気合が入っている。中にはメイド服に見えるようなものもあって、お客様側ではそれはなかろうと、デセルは思わず目をこすった。 ケーキはいくつもあるものを盆に載せて、そこから選んでもらう。 ティーカップも何種類もあるから、お嬢様お坊ちゃまに合わせて柄を選ぶのはバトラーの仕事だった。レイヴンはそれが楽しくて、食器棚に並ぶカップをまじまじと見ては、これと思うものを出して持ってゆく。 担当した相手にぴったりと合って喜ばれたときには、本当に嬉しそうだった。最初の一言に緊張した彼が裏に戻ってくると、皆が口ぐちに褒めて頭をぽんぽんと撫でる。 リフィアやニアは、戻ってきたバトラー達に「あーんして?」と言っては、小さく切ったフルーツやケーキなどをぽいとその口に入れていた。 シエルやリューリエが、ご褒美をもらった子犬のように口をもぐもぐさせながらワゴンを押してゆく。 エリーデもお揃いの長いスカートに白いエプロンをまとい、フルーツをたっぷりのせたパフェとドリンクの製作に余念がない。 オーディンはバトラー仕事の傍ら、ニールスにからかわれながらも、ちょこちょこと様子を見に行っては妻の仕事を手伝っていた。 ユーリヒは艶やかな笑顔でそつなくこなし、ラウシェンは子守なのか、誰かが連れてきた子供を抱いている。両手に一人ずつ抱っこして、スカートがふわりと広がっていた。 リチャードはそのすべてを把握すべく、各所にアンテナを張り巡らせている。 しかし、オーディンが台所の方が気になって仕方ないために、本体を同じくする者としてエネルギーの量的に感知がどうしてもあやふやになってしまう。 分身に静かに青筋を立てていた彼のもとに、聞きなれた声が届いた。 振り返ると主のヴェスパタイン。長身に燕尾服をきっちりと着こなしているが、バトラーとして動くよりは老執事のサポートに回ってくれる気らしかった。 「リチャード。何を見たい? 君の望むようにフォローしよう。自由に使っておくれ」 「身に余るお言葉でございます。同時に多くの部屋へバトラーを送り出しますので、お客様からいただいたご希望と、バトラーがおもちするお茶の品種やお菓子がきちんと合致しているか明確に確認致したいのでございます」 一礼して眉をひそめる。ティールームは主の本体が毎週開催しているヒーリングの一端であったから、リアルタイムの時間が一時間と区切られている。そこに何百人もの客が来るため、もてなしの部屋はレイヤーの重なった多重構造に作られていた。 リチャードから見ると、たくさんの透明な部屋とドアが重なっており、そのドアが同時の一瞬に開かれるような気がする。 少しでも気を抜くとついてゆけなくなるような気がするし、そのすべてに滞りなく注文の品を届けることができるのかと、どうしても神経質になってしまう。 なのに分身のオーディンときたら妻のことばかり気にかけているから、なにか見えづらいと思ったらこんなところに裏切り者がと、リチャードとしてはよけいに苛々してしまうのだ。 笑いをこらえるような声で主人が言う。 「わかった。ではそのように。多重構造だから、時間軸が重なっていくつも部屋がある。けれどそれぞれの部屋の時間はゆったりだから、落ち着いて確認すれば大丈夫だよ。そら、私の目を貸そう」 主の言葉とともに、ふっと肩の力が抜けて視界が明るくなった。 どうにもならないほど重なって見えたドアが、少しずつ時間差で開いてゆくように見える。 急に時間の流れがゆるやかになったように感じられ、これなら対応できると、リチャードはほっと息をついた。 「ありがとうございます。ただ慌ててしまうかと思いましたが、これでなんとかなりそうでございます」 目頭を揉み、軽く頭を振って作業に没頭するリチャードを隣から見やって、ヴェスパタインがかすかに苦笑する。その深く青い瞳が、走り寄ってきたちいさな影をみとめて愛しげに和らげられた。 リデルよりほんの少し上くらいに見える金髪の子供は、シエルに連なる子で、かつて彼が自分の館に引き取って育てていたことのあるロイスだ。 よしよしと抱き上げると、ロイスは抱きついて頬ずりしてきた。 「今日はいっぱいいて楽しいねぇ♪」 「そうだね。いっぱいいるね。君と同じような小さい子もいるよ。遊んでくる? それとも抱っこしているかい?」 タキシードシャツにネクタイ姿で走り回っているのはロイスだけではない。双子のアランとアイレイも、庭のどこかで同じようにはしゃいでいるはずだ。今頃はリデルもそれに混じっているだろう。 ロイスはしばらく「お父様」に抱きついた後、ぱっと顔を離して笑った。 「もうちょっと遊んでくる!」 「うん、行っておいで。庭は好きに走り回っていいけれど、お客様のお邪魔をしてはいけないよ」 「はぁい♪」 ロイスは元気よく走りだし、そしてお約束のように転んだ。 「おやおや、大丈夫かい?」 「お大事に、大丈夫ですかな?」 重なったヴェスパタインとリチャードの言葉に、にかっと笑ってみせる。緑に覆われた庭は、転んでもちっとも痛くなかった。 ありがとう、と走り去ってゆく子供に微笑みつつ、リチャードは視線を重なる小部屋と厨房に戻す。彼の仕事は、ふたつの場所を有機的に繋ぐブリッジであった。 厨房から生クリームが足りないというエリーデの声があがり、オーディンがすっとんでゆく。 「生クリームどっかで余ってねえか?」「おい、どのくらいかき混ぜればいいんだ?」 忙しく叫ぶような声も、ティールームが大盛況であればこそだ。 すでに何人ものサーブを務めたユーリヒは、休憩時間に外へ出て煙草に火をつけ、ほっと壁によりかかった。 目線の先にはたくさんの人が並ぶ列。 リチャードが困っていた通り、時間軸を重ねてあるから実際には「待ち時間」というものは存在しないが、彼のフィルターでは人数の多さを列として認識している。 その認識の中では、月の森の丘を越えて、まだまだずっと続く人。 「長いな……」 灰色っぽい長めの銀髪をかきあげて銀色の目を細め、溜息のように呟いて紫煙を吐き出す。 前回の執事喫茶で、分身の一人が列の整理を手伝ったことがあり、人数の多さはわかっているつもりだったのだが。 一人対大人数でできる魔法教室や剣術教室に比べて、執事喫茶は大変なのだと主催が言う意味が身に染みてわかった気がした。 休憩を終えて仕事に戻ると、相変わらず静かな忙しさだ。 優雅にたっぷりとした時間を過ごしていただくもてなしの部屋と、あわただしく人の行き来するバックヤードとは別世界。リチャードの薫陶の甲斐もあり、バトラー達は苦労の片鱗も見せずにおもてなしの時間を演出していた。 その姿にリチャードの目が和らぐ。 「皆様にお楽しみいただけているとよいですな……。バトラーの皆様、お見事なご活躍ぶりでほれぼれいたしますぞ」 言いながらも流れるような動作で、誰かが運ぼうとしていた盆に乗っているカトラリーを、曇りのない別のものと交換する。 隣の長身がくすっと笑った。 「大丈夫だよ。皆の声が聞こえないかな? ほら、私の耳も使ってごらん。せっかくだからね、嬉しそうにはしゃいでいるお嬢様方の喜びを、君が聞かない手はないよ」 ヴェスパタインの長い指が軽く老執事の耳に触れる。リチャードはかしこまって一礼し、片手を耳にあてた。 「ありがたいことでございます……。笑い声、聞こえますな」 嬉しげに笑うお客様方の声が、遠い輪唱のように彼の耳に響いてくる。物語で知っていただけのバトラーに会えて興奮する声。椅子をひいてもらって緊張した声。美味しい紅茶とケーキに、ほっと満足した声。 ふと振り向くと、同じ声を耳にしているに違いない主が、優しく彼を見ていた。 「ふふ、君はもっと評価されていい。あの喜びの声たちは、今日は君に届けられるべきものだよ、リチャード」 「年を取ると涙もろくなるものですなあ……」 片眼鏡の奥の茶色い瞳を潤ませる。年をとっていくらか細くなったその肩を、大きな腕が抱いた。 「リチャードは若いころ… いや、子供の頃から優しい子だったよ」 そしてあっという間の一時間が終わり、最後のお客様がお帰りになった。 月の森はそれぞれの時間を抱いて、コールイン期間終了まで閉じてとどまることになる。 お疲れ様の輪唱とハイタッチ。 あわただしい時間がすぎてほっとすると、スタッフの打ち上げが彼を待っていた。 (c) Ciel photography 2011 ---------- ◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆【外伝 目次】月の森執事喫茶、本番編です♪ そりゃあもう大盛況で、どうもありがとうございました。 挿絵写真のご提供はシエル君の本体様から。ありがとうございます~! 前の準備編のほうにも、美味しそうなミニスイーツのお写真をお借りいたしました。 銀月物語とのコラボをお楽しみいただければ幸いです♪応援ぽちしてくださると幸せ♪→ ◆人気Blog Ranking◆webコンテンツ・ファンタジー小説部門に登録してみました♪→ ☆ゲリラ開催☆ 7/12~7/17 REF&天の川ヒーリング
2011年07月13日
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リチャードは片眼鏡の奥の瞳をやわらげ、にこにことして周囲を見回した。 夜にティールームが開催される月の森。今回は手伝いも多いこととて、わいわいした賑わしい人の流れも心を高揚させる。 かつて吸血鬼ヴェスパタインの元で半世紀の長きにわたって仕えた彼は、一流の執事たる矜持を持っている。 今回手伝いに来るシエルやレイヴンといった若者たちに、服の着こなしや立ち居振る舞いなどまで細かく教え込んでゆくのも楽しいことだった。 (リチャードはどこに出しても恥ずかしくない、一流の執事だからね。私は果報者だと思うよ) 子供の頃の自分を拾ってくれ、そう微笑んでくれる主人の言葉に彼は思う。 自分は頑固だから、納得した人のところでなくては働かない。一流になろうと研鑽するほど打ち込める主人に出会えたことは、とても幸運だったのだと。 老執事はゆっくりと歩きながら、カトラリーや花かごと鉢植えの位置、木陰の席だと上の枝に枯葉がついていないかどうかなどを細かくチェックしていた。 「リチャード、今日はありがと。頼むね」 声をかけてきたのは、彼にとっては「うちのぼっちゃま」という感覚の銀髪の少年だった。 長い銀髪に紅い瞳、グラディウスという名を持っているが、物語よりもずっと若くて、ずっと表情も豊かで気軽によく喋る。 リチャードがアイレイという名であったときとは別人のようなその姿に、しかし違和感はない。 本人も十代までは職務上の必要からも口が上手かった、でも戦闘員に転籍して二十歳前くらいから(つまりデュークと知り合った頃にはすでに)は、それまでの自分に嫌気がさして極端に無口になっていたと言っているし、実際にそうでもあったのだろう。 しかし同時に、若い時代の彼が今、癒されてきていることの証左であるかもしれなかった。 「こちらこそ、このような場を任せていただきましてありがとうございます。打ち上げの準備もぬかりはございませんぞ」 サンドイッチも作っておいたし、リフィアと相談して軽いものを作ってもらうことにもなっている。 背筋を正しタキシードの襟を揃えて言うと、少年は紅い瞳でにこっと笑った。屈託のないその笑顔は、やはり彼の主にもそっくりだ。 「打ち上げの準備くらい俺達しようと思ってたのに。さすがリチャード、抜かりないなあ。さんきゅ」 そのまま腕をひろげてハグしてくる。突然のことにさすがに無表情ではいられず、リチャードはあたふたと動揺した。 「えーなんで? 無表情でいる必要ないじゃん。俺たちリチャードのこと大好きだよ。ぎゅうー」 「ぎ、ぎう……でございますか…。や、その…、やはり分をわきまえませんと」 嬉しい半分でごにょごにょ言っていると、少年が腕を離してにやりと笑う。 「じゃあ、俺達から先にリチャードにハグする分にはいいんだよな。ルカが言ってたじゃん、ぼっちゃまは超冷や冷やキャラなんだろ? 大丈夫問題ない」 「あ、え、わたくし食器のチェックをいたしますので…」 確信犯の笑顔に、片眼鏡を直すふりして視線をそらしそそくさとその場を後にする。 いみじくもルカが笑いながら言ったように、この少年はときどきわかっていてかいなくてか、いたずらのようにひょいと何かを仕掛けるから気が抜けない。 「常に分をわきまえて、出過ぎないように、自分の感情を出さないように」と、がちがちに押さえて生きて来たのである。ハグは嬉しくても、そうすぐには手が出ないのだ。 かつての主に対してももちろん、使用人たる自分の立場を常に明確にしていようと自己を律してきた。 主はときどき哀しそうな瞳をしていたけれど、気づかないふりをした。 出過ぎないように、自分の感情を出さないように…、けれど、時々の小言だけはどうしても押さえきれなかった。 爵位など、自分がどれほどの財や権力を持っているのか、彼の主人はあまりにも頓着していなかったから。 お立場おわかりですかと言いたくなることもあるというのに、逆にその立場にともなう責任だけは、立場以上にすべてを背負おうとなさるから。 だから時々、リチャードの小言が爆発した。 主人はすまなそうに、小さな苦笑を浮かべて聞いていた。 今思えば、それもお互いわかりあってのコミュニケーションだったのだと思う。リチャードが感情を露わにするのはこの時だけであったし、だから主はわざとそう仕向けているようなときもあった。 どこまでが了解のもとだったのかはもう時の向こうだけれど、それは二人の心通うやりとりだったのだ。 リチャードは厨房から戻ると、タキシードで緊張した面持ちのシエルとルカに挨拶された。 「シエル様、ルカ様。こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします」 丁寧に腰を折ってにこにこと一礼する。シエルはオーディンの時代にとても可愛がっていた子であったから、まあこんなに大きくなってと、なんとなく孫を見る祖父のような心持ちがした。 庭のほうにしばらく歩き、レイヴンがタキシードを着崩して気晴らしとばかりに木の上に登っているのに目を留める。 レイヴンはとてもはしゃいで騒いでいるが、世話にはデオンがいるからリチャードはそのほとんどを任せ、デオンのほうにお疲れ様とお茶を出すくらいにしていた。 木の下まで来ると、空を見上げているレイヴンの声が聞こえる。 「息抜き~。木の上最高」 「レイヴン様。ついでに、木の上の枯れ葉を、お客様のティータイム中に落ちることがないように払ってくだされ」 にこやかに言うリチャードに視線を下げて、レイヴンは素直にはーいと答えた。デオンに箒を持ってきてもらい、ひょいひょいと掃き寄せてゆく。 「助かりますなあ~。 お若い人は身が軽くてうらやましゅうございますよ」 ふぉふぉと笑ったリチャードの、今度は上着のすそをつんつんとひっぱる人物がいる。 足元を見ると、大事そうにきりんのぬいぐるみを抱いた二歳ほどの女の子が彼を見上げていた。 「りちゃーど、きいんさん、あいがとー♪」 きりんは彼の本体が住む土地で手に入れ、主の本体にお土産にしたものだ。主に連なる幼子は普段はあまり姿を見せないしヒーリングに出てくることもないが、月の森は別格なのだろう。 にこぉっと破顔したリチャードは、膝を折ってちいさなリデルと視線を合わせた。 「どういたしまして。喜んで頂けて、わたくしもうれしゅうございますよ」 しみひとつない白手袋をはめた手で頭を撫でると、リデルはえへぇと嬉しそうに笑った。 「あいがとー。うぎゅぅ♪」 「皆様が準備をなさっているご様子を少しご覧になりますかな? わたくしがお供致しましょうな」 幼子ならば抱き上げるのにも抵抗はない。懐いてくれた子供を嬉しげに抱き上げて、リチャードは厨房に連れて行った。 陽の光のさんさんと入る室内には、リフィア、ニア、アリス、エリーデ、デオン達の手で、すでにいろいろなケーキ類が準備されている。 季節の枇杷のタルト、それから山盛りのサクランボを使って、フレッシュなフルーツパンチや生のまま食べられるように飾りつけしてあるもの、タルト、それにアリス作のとろりとした果物のジュレや、リフィアが作ったひんやりしたズコットなど。 カトラリーは銀製、食器も月の森のものは上質でいいものばかりだ。 彼の主が、こだわりがあるというほどではないが、古い良いものをそのまま大切に使いこなす人だったからだろう。 甘い香りに興味深々で、ズコットを食べたそうな幼子をテーブルにつかせる。子供用の持ちやすい小さなマグにぬるい紅茶を準備したところで、紅い目の少年が交代するとやってきた。 かつての職務上社交界のマナー一般は叩き込まれているとかで、あっさりとタキシードを着こなしている。着慣れた様子は問題もなさそうだったので、リチャードはありがたくその申し出を受けることにした。 足首までの紺地のロングスカートに白いエプロンを着て、他に何か手伝うことはないかしらという表情のニアに笑いかける。 「お嬢様、お手数ですがわたくしと一緒にナフキンをたたんでいただけますかな?」 「わあ、もちろんやります~。上手にたたむコツも教えてくださいね」 「助かりますなあ…。お嬢様は飲み込みがお早くていらっしゃるから、わたくしもほとんど何も申し上げることがございませんなあ」 少女の手できれいにたたまれてゆくナフキンを満足げに見つめ、リチャードは目元を和らげた。 毎日を丁寧に過ごしてゆくのが楽しくて、それで十分に幸せだった。どこかに行きたいとか、別の職業に就きたいとか、思ったこともない。最期には主に送ってもらい、置いてゆくことは心残りではあったが、満足した一生だった。 せいぜい、主の妖怪退治を見てみたかったと思うくらいだ。木の陰から見ているのが精いっぱいには違いないが、一度は拝見したいと思っている。 だから今日は、ティールームの手伝いができるのが本当に楽しみだった。主催は主の本体とはいえ、総監修を任されているからやりがいがある。 駆けつけてくれた助っ人の皆はしっかりしているし、実際はリチャードが心配することはほとんどないはずなのだが、気合の入り方に比例してわくわくした気持ちと静かな緊迫感がだんだんと増してきていた。 (c) Ciel photography 2011---------- ◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆【外伝 目次】まだこれからコールインという方もいらっしゃるかとは思いますがw 昨日の月の森のティールーム、準備中のお話です~ リチャードさんかっこいいですww お楽しみいただけたら幸いでございます♪ 応援ぽちしてくださると幸せ♪→ ◆人気Blog Ranking◆webコンテンツ・ファンタジー小説部門に登録してみました♪→ ☆ゲリラ開催☆ 7/4~7/10 REF&天の川ヒーリング
2011年07月06日
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神殿で業務をこなすルカの元に聞き慣れた声の心話が届いたのは、まだ日の高い頃、現地でシエルが発見されてしばらくのことだった。 (ルカ、聞こえるかい?) (はい、アルディアス様。はっきりと) 書類の整理をしていた手をとめ、周りの人間に心話中を知らせるために片手を耳に当てる。 市街戦の戦場になった街は、かつてエル・フィンが赴任していた地方都市よりもさらに遠い。中央からは飛行機が必要な程離れている。 しかし希代のサイキックであるアルディアスはもちろん、ルカもまた相当に広い到達領域を持っていた。 エル・フィン相手ならあの地方都市あたりが心話の限界だと言っていたアルディアスだが、より能力の強い者や送受信の相性の良い者に対してならば、さらに遠方でも会話が可能だ。 軍務に出て連絡の取りづらい大神官をサポートするために、仕事の有能さに加え、ルカが若くして大神官秘書に抜擢された理由のひとつがそこにある。 (隊員が子供を見つけてね。家族は避難が間に合わなかったようだ) こちらの神殿は傷病者の看護と孤児たちでもういっぱいだ、と哀しげな声が続く。 郊外にある神殿は避難所として機能し、先に視察したがすでにベッドも足りない状態だった。 軍部と神殿の両方へ支援の手配をしたから少年が望めばそこへ行くこともできたが、彼は望まなかった。 オーディン・ガーフェル軍曹に託して中央神殿へ向かわせるからと上司は言った。 (まだ十歳にもならないような男の子でね。故郷を離すのは可哀想かとも思ったんだが……家族の遺体も自分で発見して、身寄りがないらしい) (そうですか……それなら、一時的に離れるのもいいかもしれませんね) (そうなんだ。オーディンには手紙を持たせるから) (かしこまりました) 心話を終えると、ルカは手早く通常の業務をさばいていった。 戦場となった街から来る少年。こちらに着いたなら、できるかぎりその子のために時間を使ってやりたい。 大神殿には大きな孤児院も併設されており、敷地内には常時二百人程度の子供達がいる。 戦災孤児ももちろん多かったが、兵士達の戦う場所が惑星外であることが多いために、自らも直接戦禍に遭ってその場で親を亡くしたという子はそう多くなかった。 男親を兵隊で亡くし、残った母親に育てられていたがどうにもならなくなったり、病気で亡くしたりという場合が比較的多い。 他にはサイキックが開花しだして、その制御を学ぶために預けられている子達もいた。 子供達は希望によって、神殿にある学校に通うこともできるし、外の学校に通うこともある。 いくら広大とはいえ小さな頃から敷地内だけで過ごすべきではないというのが先代と今の大神官の意見であったから、軍部相手はさすがに極端ではあっても、外部との風通しはそれほど悪いわけでもなかった。 ルカは自分の仕事を終えると、孤児院に向かって担当の巫女から子供用のパジャマと着替え一式をもらってきた。 家族の遺体を自分で発見するようなひどく辛い経験をしたのなら、いきなり賑やかな孤児院に入れるのはどうかと思ったのだ。 軍用機を使う以外は車で向かわせると言っていたし、距離からみても到着は夜になるだろう。 その後の心話でシエルという名前と特徴を聞いた彼は、少年が嫌がらなければという条件つきで、一晩自分の部屋に泊めるつもりですでに許可をとっていた。 「疲れたろう?」 「・・・・・・ううん」 部屋に連れてきた少年が、床を見つめたまま呟く。 ルカは苦笑して、熱湯でしぼったタオルを持ってきた。 「じゃあシエル、これで顔と身体を拭いて。それともシャワーを使う?」 明るい茶色の髪がぷるぷると横に振られたので、熱いタオルを手渡すとルカはホットミルクを用意することにした。 部屋は一応個室だが、簡素なベッドと机と物入れがあるくらいでそう広くはない。 断って台所まで行き温かなマグカップを手に戻ってくると、シエルはパジャマに着替えてベッドにちょこんと腰かけていた。 ルカの姿を見て飛び降りようとするのをとどめ、その手にカップを握らせる。 「どうぞ。ちょっと甘くしてあるよ」 微笑んで自分は机に付属している椅子に腰かけた。 優しいグリーンアメジストの瞳が自分の距離を大切にしてくれているのを感じて、シエルの緊張が少しずつほどけてゆく。 甘く温かいミルクも、ずっと力の篭っていた身体をほっとゆるませてくれるようだった。 「もっと甘いほうがよかった?」 まだ細い背から力が抜けて丸まってきたタイミングを見計らい、椅子の背に肘を置いてにこにこと言うと、かっとシエルの顔が赤くなる。 「そ、そそそそんな事ない! これでいい!」 その慌てぶりから察するに、本当にもう少し甘いほうがよかったらしい。子供扱いといたわりと、妥協点を探った結果はわずかに味が足りなかったようだ。 「ふふ、今度はもうちょっと甘くしようね」 「いいってば!」 真っ赤になったシエルの手からカップを受け取り、机の上に置く。 ルカは椅子を降りると、ベッドに座る少年の小さな両手をとって前に膝をついた。完全に警戒の解けていないハニーカルサイトの眼を、淡い緑の瞳が優しく見上げている。 「シエル。僕もね、君くらいのときにこの神殿へ来たんだよ」 「あんたも?」 「そう。家族は祖父母と兄がいるんだけど・・・・・・ちょっと変わった子だったからね。アル・・・、ここの大神官のアルディアス様が、最初の友達みたいなものだよ」 「変わり者だったんだ」 (ちょっと大声だったんだよ) いきなり届けられた心話に、シエルが眼をしばたたく。きょろきょろと左右を見回し、一周して戻ってきた視線にルカは片目をつぶってみせた。 「心話能力が人より少し強くてね。祖父母は普通に愛情深く育ててくれたけど、学校で友達づきあいはちょっと難しくて。ここの学校なら、サイキックはたくさんいるからね」 それからルカは、少年にいくつか昔話を語り始めた。 神殿に入ってすぐ、どうしていいかわからずに大樹の下に立って周りを眺めていたら、銀髪の少年が気さくに話しかけてくれたこと。 きれいな髪を肩下でそろえた彼は二つ年上で、生まれて初めて出会った、ルカよりも「声が大きい」子だったこと。 彼自身がその声の大きさで苦労し、新入りのルカの話を知って、気にかけていてくれたこと。 それより何より、とても気があって毎日楽しかったこと。 「アルは剣術も勉強も人一倍できるのに、ちっとも偉ぶらなくてさっぱりしててね。今でも大好きな親友なんだよ」 微笑むルカに、少年は不思議そうな表情をかえした。 「大神官様なのに?」 「友達や家族に肩書きは関係ないからね。アルと僕とは血のつながりは全然ないけど・・・・・・、それに、ずっと一緒にいられたのはアルが軍に入ってしまうまでの三年くらいだったけど、それでも僕達は、もう身内みたいなものだと思ってるよ。(そうだよね、アル?)」 シエルにも聞こえるようにサポートしながら、遠い視察地まで声を投げる。 すると、すぐに (その通り) と笑い声が返ってきた。今日の長い移動距離を考えると、かすれもしないしっかりした響きはシエルには不思議で仕方がない。 穏やかな声は続ける。 (私自身も五歳のときから神殿育ちだからね、シエルも気に入ってくれたらいいなと思うよ。・・・・・・まずはのんびりするといい。ルカにわがままを言ってね。頼んだよ、ルカ) (もちろんさ。アル、仕事中ごめん。おやすみ) (おやすみ。ルカも、シエルもね。いい夢を) 心話を切り上げると、ルカはあらためて蜂蜜色の瞳を見つめて微笑んだ。 「こんなふうにね。僕は、シエルともいつか、家族みたいになれたらいいなと思ってるんだ。今じゃなくていいよ。すぐじゃなくてもいいから・・・・・・僕にはね、ちゃんとわがままを言うんだよ。アルもそう言ってたろう?」 「でもっ・・・…、俺・・・」 「もちろん、具体的にはその通りにできないこともあるよ。だけど、その気持ちは聴いてあげられる。こうして、抱きしめることができるから」 ね、だからちゃんと言うんだよ。 叶うかどうかは別にして、存在してはならない気持ちなんて、この世にはないんだから。 君がここにいるのは、世界に祝福されているからだよ。 隣に座って小さい肩にそっと腕を回し抱き寄せると、腕の中でかすかに震えはじめる。 お日様の匂いのする明るい色の髪を自分の頬に押しつけて優しく撫でながら、ルカはしずかに眼を閉じていた。 今はまだ、言葉にはなるまい。 差し延べる手もうかつに触れられない、繊細で大きな、大きな傷跡。 本人の中から自然に出てくるまでは、周りが問いかけることも躊躇われる。 それでも、いつか。 周囲の手に温かく包まれた傷跡が、少しでも癒えてゆくといい。 泣けるようになってそして、楽しく笑える時間が増えてゆくといい。 未来に眼を向けて、夢見て歩いてゆけるようになるといい。 腕の中の身体に重みが増したことを感じて、ルカはそっと少年の顔を覗きこんだ。移動の疲れもあって寝息を立てはじめた少年を、そのまま自分のベッドに寝かせる。 「おやすみ、シエル」 その枕元に座って、彼はずっと少年の頭を撫でていた。 ------- ◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆【第二部 陽の雫】 目次 世界中のすべての子供達に、あたたかな家族とスープと寝床がありますように。応援ぽちしてくださると幸せ♪→ ◆人気Blog Ranking◆webコンテンツ・ファンタジー小説部門に登録してみました♪→ ☆ゲリラ開催☆ 6/6~6/12 REF&サクラ菌ヒーリング
2011年06月09日
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はぁっ、はぁっ、はぁっ。 少年は街を……いやかつて街であった廃墟を走っている。 燃え盛っていた火災が落ち着き、あたりは焦土と瓦礫の山になった。 時折瓦礫に足をとられて転ぶのもかまわず、焦げ臭い空気に息を切らしながら、彼は全速力で家を目指して走っている。 父親は早くに亡くなった。 母親と兄妹とは、身を寄せ合って暮らしてきた。 無慈悲な銃火器の音が、今でも耳に響く気がする。 これで会えなかったらどうしようと押し寄せる不安。煤まみれの目元に涙の粒が浮かぶが、彼はそれを拳でこすって走り続けた。 少年が家だった場所にたどり着いたとき、そこには何も残っていなかった。 家ごと全壊し、壁もほとんど残ってはいない。 口から飛び出そうになる心臓を無理やり飲み込んで、ひとりで必死に掘り返した瓦礫の下からは、母親と重なるように倒れている兄の遺体が出てきた。 学校の寮に入っていたはずの兄は、母を護るために戻ってきたのだろう。 妹は、と咄嗟に周囲を見回すと、彼では動かせなかった大きな瓦礫の隙間から、母が胸に抱く小さな身体が目に入った。 母が抱き兄がその上に覆いかぶさった、それでもその子はもう、動かなかった。 誰も、いない。 何も、なくなった。 へたへたと力が抜けて、三人を見つめたままその場に座り込む。 幸せと思い出のすべてが奪われた瞬間だった。 涸れ果てた大きな瞳からは、涙すらも流れはしない。 しばらく茫然としていたシエルの胸に、だんだんと怒りが湧き上がってきた。 誰のせいだ。 誰が俺の大切なものを奪ったんだ。……誰が。 矛先を探して振り向いた彼の視界に、いくつかの軍服が映る。反射的に手近な瓦礫を握り締めて投げつけようとしたとき、他の誰かが叫んで同じことをした。 「人殺し! 人殺し!」 叫ぶ声は老婆だろうか。シエルのいる場所からはその姿は見えなかったが、罵声は続いて軍人たちに石が投げつけられているのがわかった。 数人のグループになっていた軍人たちの何人かが、さっと一人の前に立とうとするのを見ると、そいつが上官なのだろう。 後ろからも礫を投げつけてやろうと腕を振り上げたシエルは、しかしそのまま息を呑んで固まってしまった。 その上官らしき一人が部下を抑え、自分を罵る声に向けて黙って頭を下げたから。 その礼は深く長くて、ただの格好つけではないのだということが嫌でもわかる。 怒りのぶつけ先がなくなって周囲を睨めば、グループから二十歩ほど離れたところ、長めの黒髪に日に焼けた顔をした別の軍人が、自分の左手に立っていた。 黙って老婆に頭を下げるアルディアスに何も言うことができず、木偶の棒のように突っ立っていたオーディンは、ふと右側に人の気配を感じて振り向いた。 七、八歳というところだろうか。明るい茶色の髪をした少年が、まっすぐに彼を睨みつけている。 オーディンは座り込んでいる少年にそっと近づき、前で膝を折った。 「お前、どうした。大丈夫か」 少年のハニーカルサイトの瞳はオーディンを睨みつけたままで、答えはない。かまわずに彼は続けた。 「怪我でもしたのか? どこか、打ったのか。これは…お前の家なのか?」 「……」 「家族は…?」 そこまで問うたとき、少年の顔が歪んだ。 「……守れ、なかった。僕が、もっと強ければっ…」 喰いしばった歯の隙間から押し出される言葉。大きな目から雫がぽろりと落ちそうになっては、見られたくないのか腕でぐいっと拭いている。 オーディンは周囲を確認して遺体を見つけると、しばし瞑目した。ブルースピネルの目を開けてから改めて少年に問いかける。 「これからどうするんだ? 行くところはあるか?」 「……」 「このままお前を一人で残していくことはできないな」 「……」 相変わらず流れそうになる涙をこらえている少年を見やりながら、オーディンは折っていた膝を伸ばした。 上司殿に相談しようと思った矢先、あちらから心話が飛んでくる。 (オーディン、どうした? その子は?) (ああ、ちょうど相談しようと思ったところだ。戦災孤児らしい。家族の遺体が……ここに埋まってる) (そうか……) 銀髪の上司も黙祷を捧げたのだろうか。しばしの沈黙の後、心話が再開された。 (神殿で預かれるように手配しよう。紹介状を書くから、一度基地に連れて来ておくれ。それから、ご家族のご遺体は必ず埋葬して教えると、伝えて) (わかった) 心話を終えると、オーディンは少年を振り返った。優しい笑みがその顔にある。 「さぁ、来い。お前の母さんや兄妹たちは、ちゃんと俺達が責任持って埋葬してやるからな。うちの上司殿は、約束は守るぞ」 ズボンでごしごしと擦ってから差し出された、傷だらけの大きな手。 色を失い平地と化した場所で、持っていたすべてが目の前で消えていくのを見たシエルには、それがとても暖かいものに思えた。 立ち上がるのを助けてくれる手だと思ったシエルは、自分もおそるおそる小さな手を伸ばした。 しかしそのままひょいと抱えられそうになって、慌てて足をばたつかせる。 「おぉおおろせ! 自分で歩く!」 「おお、そうか。悪かったな」 オーディンから見れば小さな子だが、プライドがしっかりしているのだ。 少年の強さに敬意を表して謝ると、二人は並んで歩き出した。 現場から少し離れた地方基地に一度連れてゆき、受付の手前にある待合所でちょっとした甘いものを少年に食べさせていると、まもなく上司殿がやってきた。 「待たせて悪かったね、オーディン。それから……」 「シエル」 菓子を頬張ったままぶっきらぼうに答えた少年に、アルディアスが微笑む。 「シエル。よく生きていてくれたね。ありがとう」 長身をかがめて大きな手が頭を撫でると、長い銀髪がさらりと前へ落ちた。 オーディンもそうだけれど、この人もちっとも軍人らしくない。そんなことを考えているシエルに言葉が継がれる。 「君のご家族は、必ずきちんと埋葬させてもらうからね。約束する。それから少し聞きたいんだけれど……住むところをね。いっぱいで少々窮屈でもよければ、地元の神殿へも手配はできる。だけど、もし近くはかえって辛いというなら……」 「遠くがいいです」 はりつめたシャボン玉のような瞳で少年がかぶせる。 「わかった。ではね、少し遠くて申し訳ないが、中央の大神殿でしばらく休むといい」 にっこり笑うと、アルディアスは部下に視線を移した。 「オーディン、手紙を書いたから、これを私の神殿秘書のルカに渡してほしいんだ。もう話は通してある。彼ならこの子を悪いようにはしないから」 「わかった」 軍とはなるべく行動を共にしたくないだろうというアルディアスの配慮で、二人は最低限軍用機に乗った以外は与えられた車を使って大神殿を目指した。 その晩遅くになって神殿を訪れると、オーディンは受付でルカを呼んでもらった。 すぐに通された、簡素ながら暖かい感じのする応接間。ようやく慣れてきたオーディンの服の裾を握り締めている少年の肩に手をおき、黒髪の男は改めてしゃがむとその顔を見た。 別れる前に、どうしても伝えておきたい言葉があったのだ。 「シエル。お前、よく、がんばったな。偉かったな。お前は弱くなんかないぞ」 朴訥な言葉に、シエルの瞳に涙が溜まりだす。 「でも、俺……」 「お前がな、自分を責める気持ちはよくわかる。俺も、大事な人を守れなかったんだ」 苦い告白に少年が息を呑むと、オーディンはまっすぐに彼を見て、続けた。 「でもな、お前は、俺とは違う。お前には未来がある。未来を切り開く強さがある。俺たちの分まで、どうかお前らしく、生きて行ってほしいんだ」 「それに…それが、亡くなったお前の家族に対して、お前ができることなんじゃないかと、思うんだ」 偉そうな言い草だけどな。そう言って照れ隠しに笑う。 ようやくぼろぼろと涙をこぼしはじめたシエルを、オーディンは抱きしめた。 少年はあまりに辛すぎて、今まで泣けなかったのだ。時折ぽろりと落ちそうになる涙を拳や腕で拭いながら、泣くことすら自分自身に許していなかった。小さいながらもなんという意思の強さだろう。 「俺はな。…お前を見つけて、よかったと思ってるぞ。こんな、すごい奴だったんだからな」 「ふ……う、えっ」 抱きしめながら紡がれる言葉と体温のあたたかさに、シエルの嗚咽が止まらなくなる。 一度に喪ってしまったものが大きすぎて、傷の深さすら今はわからない。 けれど今抱きしめてくれる腕はとても温かくて、父代わりだった兄の存在を思い出した。 おそらくはタイミングを計っていてくれたのだろう。シエルが落ち着いた頃、そっと応接間の扉が開かれて細身の青年が現れた。 その姿に気づいたオーディンが、腕に一度力をこめてから離して立ち上がる。 「フェロウ部隊のガーフェル軍曹だ、この子を神殿に連れて行くようにって、上司殿に頼まれた」 そこでいったん言葉を切り、オーディンはがしがしと頭をかいた。子供本人の前で、家族を亡くしたとは言いにくい。 「先だっての市街戦で……、神殿でしばらく暮らすといいだろうって准将がな。准将……あんたにとっては大神官か」 言いながら預かった手紙を差し出すと、緑がかった髪をした青年は優しい瞳でにっこりと笑った。はじめオーディンにきちんと頭を下げ、それから膝を折って少年に目線をあわせる。 「はじめまして。アルディアス様の神殿秘書を務めます、ルカと申します。長旅お疲れ様でした。お話はすでに伺っています。……こんばんは、シエル」 「……こんばんは」 泣きはらした目をそらして、恥ずかしそうに小さな声でシエルが応えると、ルカはもう一度微笑んで立ち上がった。 基本的に神殿の人間はあまり軍人のことは好きではないという印象があるが、ルカの場合は共通の上司だからか、偏見がないようだ。 人好きのする優しい笑顔に、神殿はどんなところかと緊張していたシエルが少しほっとするのがわかる。 オーディンは場の沈んだ雰囲気に耐えられなくなり、ルカを見てにかっと笑顔を浮かべた。 「なあ、あんた准将の神殿秘書なんだろ。あの人、神殿でも食ってねえのか? 寝てねえのか? あれでどうやって人間の体を保ってられるんだか、部隊のみんな不思議でしょうがねえんだがな、なんか秘訣でもあんのか? 神殿の奴らってみんな食わねえのか?」 突然の無茶な質問に一瞬目を丸くしたルカだったが、すぐにオーディンの意図を察した。場を和ませようと冗談で質問してくる彼を、優しい方だなあと思う。 「潔斎でなければアルディアス様も普通に召し上がっておられますよ。神殿ではそれもスケジュールの内ですし……沢山召し上がる印象はありませんが」 「へえ、神殿では食ってるんだな」 「そうですね、あれが霞でなければ」 頭上で交わされる会話に、シエルが交互に視線を投げている。准将ってほら、基地で会った銀髪のお人だよとオーディンが教えると、少年は目をみはった。 「え、あの人霞食べてるの? 確かにあんまり人間には見えなかったけど、仙人だったんだ」 本当にいるんだねと感心されてしまい、大人達は思わず顔を見合わせた。 「…………否定しにくいな」 「同感です。が、シエル。いちおうアルディアス様は人間なんだよ」 「なあんだ。つまんない」 如実に残念がるシエル。その顔に笑って、オーディンは少年の明るい色の髪をぐりぐりと撫でた。 「よし、笑ったな」 「オーディンさん、行っちゃうの?」 「おう。でもまた会えるさ。うちの部隊長はここの責任者なんだから。じゃあな」 二人に言い残すと、背中にありがとうの声を聞きながら彼は踵を返した。 ------- ◆【第二部 陽の雫】 目次
2011年06月01日
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(アルディアス様っ…!) 大神殿の敷地に入った瞬間、脳裏に大きな声が響いてアルディアスはわずかに肩をすくめた。 心配そうな声の主はかなりの心話到達領域を持っているが、相手が敷地内に入るまではと遠慮していたのだろう。 自分もすぐに走って現れると肉声をかけてきた。 「お帰りなさいませ。よかった、本当にご無事だったのですね」 緑がかった髪を首の後ろでまとめ、細い眼鏡をかけた青年。アルディアスよりは低いが細身の長身で、グリーンアメジストの淡い瞳が優しげな印象だ。 「心配をかけてすまないね、ルカ。私は元気だよ」 肩を並べて歩きながら言うと、ルカはほっとため息をついた。 「本当にもう…。爆発事件の報告はもう生きた心地がしませんでしたよ。出陣中ならともかく、アルディアス様を狙ってなんて。お怪我がなかったからいいですが、 奥様まで狙うなんて卑怯ですよ」 彼は神殿におけるアルディアスの秘書的な位置についている。 大神官の代替わりからその位置にはいるのだが、異例に若い大神官よりもさらに二歳ほど下であるため、最初の頃は身の回りの世話や書類の整理が主な仕事だった。 アルディアスが准将になってスケジュールが比較的自由になるようになったことから、大祭の終了を境にルカも本格的に秘書につくことになったのだ。 下士官のうちは予定も上官の裁量によるため、軍側との折衝は年嵩の神官が行っていたのである。 「卑怯ですよ!」 つい饒舌になってしまうのは、それだけ心配していたからだ。そしておそらくは神殿内では皆が言っているであろうことを、直接こうして教えてくれているのでもあろう。 古株の神官達には「軍などと」という空気が未だにある。口にはしないが、兼務する大神官の秘書として、青年はその板挟みにもなっているに違いなかった。 アルディアスは一緒に歩きながら、黙ってルカの言葉を聞いていた。 「お願いですから戻ってください。いくらアルディアス様でも、そんな危険な環境ではお身体が幾つあっても足りません。軍人である前に大神官様なのですよ」 見上げてきた瞳は一途で、銀髪の男は思わず苦笑する。 「うん。……ごめん」 「……」 ルカはちょうど着いた執務室の扉を開け、今度こそ大きなため息をついた。 働き盛りの三十代。戻ってこられないことなど百も承知だが、それでも言うことが自分の責務とこころえている。 「お年を召されたら軍を引退して神殿に戻ってきて下さるのでしょうけれども……。ご結婚は嬉しいですが、新居が軍ですか」 「うん、まあ、あちらも総務に勤めているから、細切れだけど会話できるのが助かるかな」 「そういう問題じゃありませんっ。出陣とのお話を聞くたびに冷や冷やしてます。神殿はアルディアス様の家なのですよ。いいから早く戻って皆を安心させて下さい」 「……ごめんね、ルカ」 悪いと思ってる。 呟くようにアルディアスは言った。 彼が軍務に身を置くのは、彼自身の我侭でもあったから。 身に巣食う竜のような相克の衝動は、どうにかして発散されることを望んでいる。 バランスを取り人であり続けるために双極に身を置かねばならぬのは、なんと因果なことだろう。 神殿だけに居ることができれば、皆をもっと安心させることができるかもしれないのに。 「ところで、シエルは元気かい?」 執務机につき、こちらでも山盛りの仕事を前にしながらアルディアスが問うと、青年はようやく笑顔を見せた。 「相変わらずです。駆け回ってるか本を読んでるかですね。ニールス様と通信パネルでやりとりしていると、オーディン様も気にかけてくださって、よく言葉をかけてくださいますし」 「よかった。あの子が元気だと、なんだか嬉しくなるからね」 「そうですね」 顔を見合わせて笑う。 シエルは去年の市街戦でオーディンが見つけ、アルディアスを経由してルカに託された戦災孤児だった。 薄い茶色の髪に、意志の強そうなハニーカルサイト色の大きな瞳。戦時中のこととて親を亡くす子も少なくはなく、神殿には孤児院が併設されている。 九歳になったばかりのシエルはここに来て一年弱、活発だが少し不器用なところがあるのであまり友達もできず、どちらかというと一人で本を読んでいることも多かった。 よく長椅子に寝そべって読書に没頭している少年のことを、可愛くて仕方ないと青年が思っていることをアルディアスは知っている。 年の離れた弟のように世話をして、時々週末に連れ出したり自分の部屋に泊めてやったりしていることも聞いていた。 孤児院の子供達は大勢いるから、通常は一人だけの特別扱いは認められない。しかしルカ自身もまた孤独な立場であることは皆が知っていたし、シエルが凄惨な市街戦の犠牲者であることもまた周知だ。 ルカはひどく依怙贔屓するようなことはなかったし、擬似家族のような特別な関係の中で癒される傷があることもわかっていたから、ささやかな「兄弟」のふれあいは優しい眼差しの中でそっと黙認されていた。 一瞬にして親兄弟と家のすべてを目の前で喪ってしまったシエルは、ふとした時に泣きそうな目でルカの存在を確認しようとする。 そのたびに青年は淡い緑の瞳で優しく笑い、シエルの頭を撫でてやった。 「僕もずっと一人だったからね、シエルが来てくれて本当に嬉しいんだよ。大丈夫、どこにも行かないさ」 堅苦しい神殿が肌に合わないシエルは、意図するしないに関わらずたびたびルールを破ることがあった。 鷹揚な大神官ならば笑って済ませてしまうようなことでも、厳しく言い立てる立場と性質の人間もいる。そんなときは、親代わりとなっているルカのところに全部お叱りが来るのだった。 「ルカ、お前で大丈夫なのか? ちゃんと面倒見切れないからそうなるんだ。他の担当に回したらどうだ」 年配の神官に二人呼び出されて散々に叱られても、表では神妙な表情を浮かべながらルカはまったく平気で、内心それがどうしたと思っていた。 シエルは本が好きだ。 大分減ったとはいえ規律の多い神殿は肌に合わなくても、他のどの子よりも沢山の本を読んでいる。ルカが部屋で仕事をしているときなど、よく傍の椅子で夜遅くまでじっと読書をしていた。 当然成績もかなり良く、神官たちもそこを叱ることはできない。 ルカは喧しい文句を一通り聞き流すと、いつも決まって穏やかに、しかしきっぱりと「いえ、私が最後まで世話をします」と言い切るのだった。 見た目はおっとりとした彼だが、表面に出さない胆力はかなりのものだ。 ルカにとって、希代の大神官たるアルディアスは誇りである。心の底から敬愛し、うちの大神官様は宇宙一だといって憚らないところがあった。そして、シエル少年のことも自慢の家族のように思っていた。たくさん勉強をする子だから、その能力を神殿で活かしてほしくもあったし、同時に少年の望む自由な未来を歩かせてもやりたいと思う。 それを護るためならば、自分自身が罵倒されるくらいは何ほどのこともないのだ。 またルカは、神殿秘書として銀髪の上司の予定調整のために、軍での副官であるニールスとたびたび通信を行っている。 ルカにとってどうしても強いのは、大神官様を返してほしいという気持ち。 アルディアス自身が決めたことだから、青年が直接何を言っても笑って流されるだけなのだが、軍で信頼を置かれている貴方がたなら何とかなりませんかね、と冗談交じりに問いかけたことが何度かあった。 作戦の事はルカにはわからないから、ひたすらに無事を祈るばかりになってしまう。やや強引に意識を切り替えて、この日の神殿の催し物に出ていただきたいので折り合いを、などと話すのが常だった。そんなとき、ニールスとよく作戦をともにしているオーディンが、通信画面の向こうからルカに挨拶しておこうと声をかけてくれるのはありがたかった。 磊落に笑う黒髪の軍曹は、シエルにとっては地獄から助け出してくれた人である。ルカも感謝していたし、シエルもよくなついていて、通信画面の向こうの姿を見ると嬉しげに声をあげていた。 「オーディンさーん!」 「よう、元気にしてんのかお前。あんまり兄貴分に迷惑かけんじゃねえぞ?」 会うたびに弟のように可愛がってくれる軍曹は、パネルの向こうでにかっと笑う。わかってるよ、と答えるシエルはとても嬉しそうにしていた。 「彼は何になりたいのかな……」ルカの淹れてくれた紅茶のカップに口をつけながら、ふとアルディアスは椅子を回して窓の外を見た。そこには、夏を終えてまた寒くなろうとする景色が広がっている。 シエルと初めて出会った季節が近づいてくる。 広大な神殿の敷地をも狭いと感じる少年は、どこにゆけばその翼を思い切り伸ばせるのだろう。 今は衣食住と学問の揃った神殿にいるのが善しとしても、できれば将来の夢を叶えてやりたい。 アルディアスの意識は、少年の未来から過去へと時間を遡っていった。 あれは去年の秋、回避しようとしてできなかった市街戦の後の崩壊した街。 焦土と化した土地を瓦礫を踏んで歩きながら視察をし、少女の遺体に祈り、石を投げられたときのことだった。 ------- ◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆【第二部 陽の雫】 目次 お待たせしました。お久しぶりに本編に戻ってきました!外伝の花園シリーズに出てきた、ルカ、シエル、サラの三兄妹。その後サラさんはグラディウスの話【常蛾】に出てきましたが、ルカさんとシエル君はこちら、ヴェール時代に会っていたのですねぇ。。。だもの、どっちの外伝も一通り書かないと本編に戻れないわけですよ orz私としては、本編が進まなくて内心ひそかにかなり焦ったりもしてたんですけど 苦笑そういうわけだったのねプロデューサー様・・・。。応援ぽちしてくださると幸せ♪→ ◆人気Blog Ranking◆webコンテンツ・ファンタジー小説部門に登録してみました♪→ ☆ゲリラ開催☆ 5/11~5/15 REF&サクラ菌ヒーリング
2011年05月12日
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サラは本能的に眼を閉じて身体をちぢめ、上がった息を止めた。 殺される。 しかし鋼鉄の暴風は彼女の脇を素通りし、背後で構えられていた剣の持ち主を両断した。 恐る恐る焦げ茶色の眼を開けたときには、相手はもうはるかに遠く背をむけている。 敵味方の区別なく重なる、魂の抜け殻たち。その切れた命の重なりとむせ返るほどの血の匂いの向こうに、長大な剣を振るう銀髪の長身が見える。 自分は敵として倒すべき脅威とは見なされなかったのだと、今更にがくがくと震える膝を折ってサラは理解した。 鍛えられた専門戦闘員としてここにいる。 荒くれた男達に混じって研鑽した殺人技術は、けしてひけを取るものではない。女ながらに前線に立つ身には、それなりの自信もあった。 しかし、あの血濡れた長身はどうだろう。 彼女のすべての戦闘技術と経験とを動員し、運さえも味方につけたとしても、まったく勝てる気がしない。 眼を奪われる、禍々しいほどの圧倒的な強さと輝き。 銀色の魔物のように死神のように戦場を掌握し、暗く沈んだ世界にただひとり飲み込まれずに屹立している。 うずたかく積み重なった屍の陰に座り込んだまま、サラは無力感を抱えて茫然と相手を見つめていた。 血のように輝く紅き星……。 そんな言葉が脳裏をよぎる。 天のすべての星が光を失ってもなお、真紅の炎をまとって彼はそこにいるのだろう。 暁闇にきらめく明け星のように、ただ、そこに。 己が光の漏れいずるまま、何かを導こうなどとは思っていないに違いない。ただそこにそのままに存在する光。 空に輝く星に導きを求めるのは、見つめる人間の勝手なのだ。 (…私を、殺して) サラの胸に湧いた想いは、踊る炎に自ら飛び込む蛾の発想であったろうか。 ただただ真っ暗闇に呑まれてゆく、恋や愛などという単語すら浮かぶことのない煉獄における憧憬であったろうか。 なんでもいい、と知らずかすかな声がサラの唇にのぼる。 輝く赤い光は、息づく生命の声そのもののように彼女には思えた。 ただ消費され続けるだけのあまたの命、怨嗟に満ちたこの世界で、躍動する生きている血を、命を感じられるとは思っていなかった。 敵の戦闘員には<死神>と形容される銀髪の長身がいることを、情報として彼女は知っている。その眼は血のような真紅なのだと言う。 戦場で相見えるのはこれが初めてだったが、そして長身の瞳の色までは目視できなかったが、彼女にはそれが真実彼だということがすぐにわかった。 <死神>。 それは生と死を無機質に厳然と司るもの。 いのちを喰らう、真っ赤な刀身を持つ凶剣。 (ころして) サラの胸を支配する叫びは、生きること愛することとおそらくは同義。 相手を殺すことでしか己の愛を示せない、頬に涙の跡を残した道化のように。 よどんだ澱の中を目的もなく泳ぎ続けているような息苦しさの中、たったひとつ見つけたそれは……残された「希望」、あるいは「歓喜」と呼んでもいいのかもしれなかった。 あらがう術もなく、ただただその炎の輝きに魅せられ焦がれてゆく。 それは、サラがこの世に生まれた唯一の証。 虚無に囚われた絶望の世界で、初めて自分自身のはっきりと動いた、こころのありか。 胸に打ち込まれた杭のごとく、抜けないように。抜かせないように。 神聖な祈祷文を述べるように彼女はささやく。 (…ああ、紅き、いくさがみの星よ。 その化身たる、ひかりよ。 ただひとつ願わくば、いつかこの命が失われる時に。 冥府への標となって、無慈悲にわたしの頭上で輝いていて……) 戦場で、グラディウスは華奢な影を認めた。 長い黒い髪をした、細身の女。 いないわけではないが女はやはり珍しいから、前にも見かけたことがあると思い出す。 そのとき彼女は、グラディウスの敵ではなかった。唸りをあげる剛剣の前に縮こまり、あえて斬る必要はないと判断した。 彼は皆殺しをしたいわけではない。司令官の命令が遂行できればよく、向かってくる敵には容赦をしないが無駄に殺生を好むわけでもないのだ。 しかし今日の女は違っていた。 二度目の出会い、彼女は遠くからまっすぐにグラディウスを見て向かってくる。 細腕には肘先からプロテクタを兼ねる鋼鉄の長く鋭い四本爪を装備し、きらめく瞳は熱に浮かされたように彼を見ていた。 (ころして) 固く引き結ばれた唇から、かすかな言葉が漏れた気がする。 それは今まで、何度か出会ったことのある懇願。 基地にもいたな、と銀髪の男は思った。 ときに吸血鬼とも渾名されるレイヴン。諜報暗殺部員である彼もまた、通路で戦闘から帰還したばかりのグラディウスに(頼む、俺を殺してくれ)とうっとりした顔で言ったのだった。 戦士として戦場で死ぬために。 有機実験体に回され水槽に展示されないで済むように。 ただただ戦いばかりの日常から脱出するために。 敵も味方も、さまざまな理由で、彼らはグラディウスに願う。 その命の灯を、鍛え抜かれた一瞬の剣技でばっさりと断ち切ってくれと。 殺してくれ。俺を。私を。 生かしてくれ。俺を。私を。 生と死の境などどこにあるのか、グラディウスは知らない。 自分として生き抜くための輝きに満ちた眼で、彼らは死を願うのだ。 ほんとうに死んだ目になった人間達は、わざわざ死神に殺してくれとは言わないのだ。 その女も、そういう眼をしていた。 死を覚悟するのではなく、熱望している焦げ茶の瞳。 といって操る武具の動きが鈍らないのは、彼女が今を捨ててはいないからだろう。 戦士として精一杯の礼儀を尽くして、彼の剣の前に存在しようとしているのかもしれない。 同じく戦闘員である以上、間近に戦いを見れば言葉以上に声が伝わる。一撃一撃に相手が何を賭けているのかがわかる。 けして涸れ果ててはいない、今生きている命の輝き。 その命を奪ってくれという懇願は、叶えられることも叶えられないこともあった。 刹那の命のぶつかりあう戦場で、その勢いがわずかでも味方にとって脅威であると感じれば、グラディウスは容赦しない。 脅威ではないと判断すれば、動ける相手でもあえて斬ることはない。 それだけだ。 今、女の渾身の一撃は脅威と言えた。 グラディウス自身にはどうという強さではなかったが、同チームの戦闘員はやられるだろう、そういうレベルだ。 命を乗せて鋭い風のように突き出される鋼鉄の爪。 紙一重でそれを避け、真紅の瞳が飛びかかってきた華奢な影をまっすぐに見る。 次の瞬間、銀色の鞭のような軌跡を残した剛剣が、あやまたず彼女の心臓を刺し貫いた。 サラが切望した通りの一撃。 無慈悲で、妖しいほどに無駄も狂いもなく、圧倒的な力と質量で。 それは<死神>にとっては、研ぎ澄ました鎌によって同じく量産してゆく屍の中の、変わらぬひとつでしかない。 (……) 鮮血のあふれた唇が最期に何を言ったのか、グラディウスは関知しなかった。 彼にとって興味は作戦の遂行にしかない。 何人手にかけようと、その相手が死を望んでいようといなかろうと、同じことだった。 嬉しげに和らいだ瞳が急速に光を喪ってゆくのをちらりと視界に入れると、グラディウスはすぐに剣を引き抜いて身体を翻し、次の敵へと向かった。 …… わたしは とても 幸せでした 太陽を直視したような鮮烈な輝きに 心を焼かれ 囚われたこと でも それは 至福でした あなたの手にかかって死ねたこと 怖くはなかった 死ぬことだけが唯一の救いだった 負の連鎖する世界で 死神と呼ばれ 数多の死を越えてゆく者… わたしは 幸せでした でも 人を殺めることで 本当のあなたの心は 蝕まれていかなかったでしょうか たとえ記憶には残らなくとも 感情は動かなくとも 死を望む者の声なき叫びを あなたはきっと聞いていらしたのでしょうから 背負うものはきっと同じ… ならば 私は あなたの大切なものと引き換えに 至福を盗み 一人永遠の月の世界へ 逃げ込んだのではないのでしょうか 見えない鎖を 断ち切ってもらうことは あなたに 罪を押しつけることではなかったのでしょうか 失い続け 麻痺し続けたあなたの心から その強さをいいことに さらに何かを奪ったのではないでしょうか ……でも わたしは 後悔してはいないのです 炎に飛び込む蛾のように 本能的に向かっていったこと あなたによって与えられた死を 手放したいとは思わないのです 自分の望みは叶えられたと 幸せに思っているのです それがたとえ どれほど残酷なことであったとしても… あなたにとっては 何の感情も混じらない ただ必要な呼吸をするようなこと でもあのとき 私の扉が開いたのは 事実でした だから 今 許されるなら ただひとつ どうか祈らせてください 私が たしかに手にした安息を あなたは どこかで 手に入れたでしょうか…… ----- ◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆【外伝 目次】前回の鴉さんの話でも出ましたけど、こんな感じの敵兵は多かったのです。まあでも、グラディウスの記憶に残ってて物語にできるような人はほとんどいなくて。たいがい、ふらふら~っと前に立つとか腰がひけてるとかね←サラさんは物語にできたので、多分戦士として見たときにも記憶に残るような、かなりすごい一撃だったのでしょうw応援ぽちしてくださると幸せ♪→ ◆人気Blog Ranking◆webコンテンツ・ファンタジー小説部門に登録してみました♪→☆ゲリラ開催☆ 5/2~5/8 REF&サクラ菌ヒーリング
2011年05月05日
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「手当て、してやるよ」 「断る」 不意にとられかけた手を、グラディウスは直前で振り払った。 司令部から離れた地方の前線。簡素なコンクリートで築かれた基地は、部屋も通路も中央のものより狭い。 黒髪の青年は、すぐに笑顔になって続けた。 「簡易キット、双子ちゃんにあげちゃったんだろう? 俺見てたんだよ。今日は負傷者が多いからね、医者はもうとびきりの変態しか残ってないぜ」 グラディウスがかすかに舌打ちする。 ここのところ軽い負傷が続いた双子に、自分の医療用簡易キットを渡していたのは確かだった。通りすがりに他人に気づかれないように渡したのだが、人と人の間から目にしていたのだろうか。よく見ていたことだ。 「おいでよ。俺、医療補助の資格を持ってるんだからさ。変態医者より腕はたしかだよ」 「お前も変態だろうが」 「えー? ひどいなあ、もう。わざわざ傷に刃物突っ込んだり毒物塗って反応みたりとか、そんなことしないって。だいたい、キットがなけりゃ包帯も何もないんだろう? 放置しといて直る程度の擦り傷には見えないよ」 無邪気な顔をして腕を引く<鴉>に、グラディウスは眉をひそめる。 だが確かに、放置しておくには少し傷が大きかった。感染するとやっかいだ。少なくとも消毒と止血くらいはしておかなくてはならないが、野戦地ではろくに清潔な布さえもない。 じゃ、決まりだね、と青年は楽しげに自室に銀髪の男を引っ張った。 簡素すぎる四角い部屋の中に、ベッドと物入れを兼ねた小さな机と椅子、足元にリュックサックがひとつ。 レイヴンはまず洗面台の水でグラディウスの傷を洗わせ、その間にリュックから包帯やガーゼを取り出すと、嬉々として逞しい腕をとった。 傷口にゼリーパームを当てる前に、流れ出す血をぺろりと舐めて恍惚と笑う。 外に出れば凄腕の諜報暗殺部員の彼だが、血の味を愛するという変わった嗜好を持っていた。 「うん、やっぱり美味しい」 「……」 案の定といった態で、グラディウスが腕をひいた。 「……自分でできる。貸せ」 「何言ってんの。利き腕じゃ巻きづらいだろ?」 「両利きだ」 「なんのために邪魔の入らない部屋まで連れてきたと思ってるんだよ。手当てもちゃんとするよ、これは消毒」 薬の容器を器用に隠して血を舐め続ける。無表情な<死神>のオーラが険しくなり、他の者なら失神しそうなレベルになっても、いっこうに気にしていないようだ。 「薬物入ったり、皆すぐに血がまずくなるからね。あんたみたいな美味しい血は貴重なんだよ」 赤い唇を血に染めて、うっとりした瞳で銀髪の男を見つめる。埒が明かないと思ったグラディウスは、自由な片手で軽くレイヴンの細い腕を押さえ込むと、解放された腕で薬の容器を取り上げた。 手を入れ替え左手で素早くゼリーパームを塗りこんでガーゼを当てると、口にくわえた包帯の端をレイヴンが手にとった。 「もう~。俺が巻いてやるっていってんのに」 もったいないなあ、とぼそっと呟きながらも、彼はきちんと包帯を巻いた。肝心の傷口がパームに覆われてしまったからだろう。 血を舐められた分、対価はすでに払っている。手当てが終わると、グラディウスはさっさとその部屋を後にした。 数ヶ月後。 レイヴンは中央基地の通路で双子を見つけ、笑顔を浮かべて歩み寄った。 「やあ双子ちゃん。その血、双子で味って違うのかなぁ。ねえ、舐め比べさせてくれない?」 同じ顔をした少年達の一方がふるふると震え、もう一方が庇うように睨みつけて前に出てくるのが面白くて仕方ない。 さりげなく動いて二人を壁際に追い詰めようとした鴉の襟首を、逞しい腕が背後から掴み上げた。 むっとする血の匂い。言葉を発する暇もないうちに、強く壁に押しつけられる。 双子とともに戦場から帰還したばかりのグラディウスが、全身に返り血を浴びた姿のまま、抜き身の刀のようなぎらついた雰囲気でレイヴンの頸を締め上げていた。 「……お前、先日デュークに締められたんじゃないのか」 (やばい、殺られる) 重低音を響かせる声にレイヴンは首をすくめた。 彼はひと月ほど前にも、双子の件でデュークに締め上げられていたのだ。 通路を歩いていたところを背後から呼び止められ、同時に口を塞がれ身体を抱えられて袋小路になった横通路の陰に引き込まれた。 そこは行き止まりになっていて、機器類の隠蔽された外部搬入口だったり、大型機械を移動させるときの待避所に使われている場所である。 デュークは背後から上顎を掴む形で塞いだ左手をずらし、彼の口を割ると自分の胸に押しつけた。 「あがっ…」 「咬んでもいいぞ」 獲物を狙う蛇の眼で笑い、細身の体を少し吊り上げる格好で、逆手に持ったナイフを彼の眼前に構える。 そのままぐぐっと首を曲げて彼の耳に口を近づけて囁く。 「お前の悪癖、程々にしておけよ。」 右手のナイフを手の中でくるりと回転させ、刃を人差し指で受け止めて指を滑らせると、ツー…と赤く細い線が走り、血がぽたぽたと滴り始める。 その指を鴉の割った口に近づけ、低い声を押し出した。 「この指で懲りない口の中を掻き回してやろうか? レーヴァン」 「ひっ……い、いいれす」 鴉はあわてて左右に黒髪を振るが、顎を押さえ込まれているために震えているようにしか見えない。 彼は医療部を時々手伝いながら、毎年採取される血液検体をこっそり味見させてもらっていたから、誰の血が「美味い」か「不味い」か、彼独自のランキングを持っていた。 曰く、双子はそこそこ美味く、グラディウスは常にランキングの2位あたり、……デュークは最下位というよりも毒、いやむしろ飲んだら調伏されてしまいそうな危険マークつきに分類されている。 そのことをデュークは耳にしていた。 「遠慮するな。私の血を輸血したら、その愉快な嗜好が変わるかもしれないぞ」 口の中に今にも突き込まれそうな血の流れた指に、燐光を放つ黄緑の瞳。レイヴンはそこで、双子にちょっかいを出さないようきつく約束させられたのだ。 しかしそれも、喉元を過ぎればすぐに忘れてしまう。この基地では誰もがどこか壊れている、レイヴンもまた同じだった。 懲りずに双子に声をかけた結果がこれだ。今度こそ身の危険を感じ、彼は恐る恐る視線をあげた。 思わず息が止まる。 そこにあったのは、血の匂いを纏ってまっすぐに黒羽の鴉を射抜く、恐ろしいほど強靭な真紅の瞳だった。 レイヴンの身体が震えた。恐怖ではなく……、歓喜で。 ごくりと喉が鳴る。 (見つけた…!) なぜ今まで気づかなかったのだろう。 有機実験体の成れの果て、展示室の水槽の中身にならないために、色々考えていた。 この<死神>なら、頼めばバラバラになるまで殺してくれるのではないか。 「…頼む、俺を殺してくれ」 気づけばレイヴンは、潤んだ瞳でうっとりと囁いていた。紅の眼光の、なんという毅さ。殺されるならこの男がいい。 グラディウスに出会った敵兵が、まるで引き寄せられるかのように彼の前に立つと聞いたことがある。 そんな冗談のような話もさもありなんと思わせる、軍神の放つ真紅の揺らめき。研ぎ澄まされた死神の鎌のごとく、「死」そのものが持つ、美しさと抗いがたい魅力の具現。 無慈悲な真紅の瞳に殺されることが法悦であるかのような、それは感覚だった。 しかし恍惚としたレイヴンの顔を見、囁きを聞いて、グラディウスは内心舌打ちした。 これでは脅しが脅しにならない。 戦場で手にかけた敵兵が満足そうな顔をしていることがよくあるが、それと同じだ。 不意に手を離し、どんと細身の身体を突き放す。 「双子に手を出すな」 遠巻きに見物している観客達へも含め、それだけはっきりと言葉にしたが、まだぼんやりとしている鴉の頭には入っていなさそうだった。 まるで死神に魅入られてしまったかのように、ぼうっとして目の焦点が合っていない。 それを無視することに決め、グラディウスは固まっている双子の背を押すと、人波を左右に割かせながらその場を離れた。 レイヴンを溺愛している兄が、ハッキングしていた館内モニタ越しにそれを見て心配し、滅多に出ない自室から飛び出して廊下で弟を捕まえたのは数分後のことだ。 長らく施設の特A級を維持している二人を敵に回せば命がないことを、情報戦略を専門にする兄は呑気な弟の何倍もよくわかっていた。 戦略部の司令官には処決裁断の権限があるのだ。著しくチーム員の邪魔をすると思われれば、あっさりと処断されてしまう。 独自に<王蛇>とのコネクションを持っていた兄は、弟が殺処分にならないよう、逆に手を尽くして彼をチームに斡旋した。 見返りは表裏を含め、自分が握った情報の提供。 指揮下の人間になれば扱いは変わる。 こうして<鴉>は、気づかぬうちに飲み込まれかけていた王蛇の咢(あぎと)を逃れたのだった。 ----- ◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆【外伝 目次】鴉さん初登場w(たぶん)。このお方も素敵に変人ですが、まあなんか壊れた人多かったです。。。応援ぽちしてくださると幸せ♪→ ◆人気Blog Ranking◆webコンテンツ・ファンタジー小説部門に登録してみました♪→☆ゲリラ開催☆ 4/26~5/1 REF&サクラ菌ヒーリング
2011年04月28日
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王蛇が死神気に入りの双子を囲っているという噂は、風のように基地を駆け抜けた。 双子の初陣から数ヶ月。デュークが執務デスクの端にアランを、自分の膝の上にアイレイを座らせていたとか、通路でアランを呼び止めてとかいう内容だ。 下卑た興味は当然グラディウスの元にもむけられたが、彼はそれを黙殺していた。 デュークの部屋にいた双子を見たという戦略部員は、自分の性癖理由で彼らの貸与を申し出ていたことを銀髪の男は知っている。 ならば琥珀の髪の司令官は、同僚にわざと「見せつけてやった」のだ。かつてグラディウスと擬態を演じたように。 基地から離れた野営地のはずれで、銀髪の男は手ごろな石に腰かけ腕を組んでいた。 眼の端には件の双子。片方が石に、もう片割れがそれに寄りかかって地面に座りこちらに背を向けている。 数ヶ月戦場を走っても、どこか無邪気な感じの残る少年のような二人だった。 視界の反対の端には、野営の喧騒。 ひと戦を終えた男どもが、猛り立ったままの衝動をもてあましている。殺人、征服、暴力、血の匂い。そんなものに支配されて。 その目が爛々と好奇の色を湛えて双子の背を見ているが、くすんだ夕陽にぼんやりと視線を投げている二人は、まだそれに気づいてはいないようだった。 男共が動かずにいるのは、双子との間に実際にグラディウスがいるからだ。 もしこれで銀髪の男が席を外したりすれば何が起こるか、彼には手に取るようにわかっていた。 (不在でも手を出せないほどではなくなった、か) 心にグラディウスは呟いた。少年達の初陣で彼らを蹴飛ばしてから、双子は死神のお気に入りだと言われてはいる。 しかし数ヶ月が経ち、その噂も姿が見えないところまでというくらいには風化してきたということなのだろう。 デュークの擬態もそのあたりに理由があるのだろうと思われた。 強い信頼に満ちた黄緑の瞳を思い出して、グラディウスは思わず唇の端をわずかに上げた。 あの眼に逆らえる飼い猫はいまい。 おそらく双子は思ったはずだ。司令官の真意はどうなのかわからずとも、真剣な瞳に引き込まれる、と。 それが嘘ではないから、擬態は誰もに真剣な誤解を成立させる。双子もまた司令官に靡いているように思い込まされる。 方面が違うだけで、司令官殿は本気も本気だからだ。 チームの損失を最小限に。 グラディウスに対し帰還の至上命令の次に出ている指令は、戦場の外郭でも有効……だろうと彼は思った。 <泣き虫>の涙は乾いた紅い瞳に、見ていたいような見たくないような、いつも不思議な気持ちを起こさせる。 あの司令殿の代わりならば、戦場で務めるのも悪くない。 銀髪の男が立ち上がると、ちょうど吹き抜けた風がマントを大きく翻した。他を圧する長身の広い肩から流れるドレープは、双子を狙っていた男共の視線を一気に引きつける。 グラディウスはばさりと肩の布を払い、音もなく双子に歩み寄った。 石に座るアイレイの左肩に手をかけ、背後から右の首筋あたり、ぎりぎりに顔を近づける。長い銀髪がさらりと前に流れた。 アイレイは驚いたものの、自分の足元にいる虫か何かを肩越しに見たかったのかな?と考えた。 上から降ってきた銀髪はキライではなかったし、危険も感じない。だから無邪気に顔を傾けてグラディウスを見上げた。 その不思議そうな表情までは、銀髪とマントに隠れて背後の男共には見えない。 アイレイが応えているように見せかけると、グラディウスは右の地面に座っているアランに視線を移した。こちらは双子の片割れほどには無邪気ではなく、視線は前に固定しているが身体はひどく緊張しているのが見て取れる。 グラディウスはアランの耳元に口を寄せて囁いた。 「初動が遅くなる。地面に尻をつけて座るな」 同時に右腕を伸ばし、彼のベルト部分に手をかけてぐいっと引っ張り上げる。 立ち上がらされたアランは慌てて振り向き、素直に「はい」と言った。 「味方の野営地であっても完全に背を向けるな。視界は斜めに取れ」 両手に二人ともを抱えるような格好のまま言うと、双子が神妙に返事をする。固唾を飲んでいる観客どもからは、彼らが死神の誘いを受けたように見えたろう。 わずかに頷いて手を離すと、グラディウスは踵を返した。 背を伸ばし上げた視界で、ざわつきが一気に静まり海が分かれるように人波が引いてゆく。 それを長身の高い視点から睥睨し、無言のままに彼は任務へと戻った。 ぽかん、とした顔で双子が司令官殿を見つめている。 戦場ならば気を緩めるなと怒鳴りつけるところだが、基地のそれもチーム司令官の戦略執務室ならば危険はない。 グラディウスは斜めの位置から、腕を組んでその様子を眺めていた。 チームの誰かが戻らなかった作戦の後。 司令官殿の黄緑色の目の周りは、わずかに赤い。最初の頃、双子はただ不思議そうにそれを見ていた。 そのうちに回数が重なり、少年達はその意味を察し始めたようだ。 (もしかして、さっき泣いてた? どうして? ……もしかしてあいつが戻らなかったから? このひとは、チームの誰かのために、泣くの…? そんな司令官は今まで聞いたことがないよ…? ほんとに?)魅入られたように見つめているアイレイの心の内が、グラディウスには聞こえてくるようだ。 人の温かさなど皆無に思われる場所で、誰かのために流された涙の跡。 (この司令官は違う…。だけど、本当に信頼していいのか?) 命にかえてもアイレイを守る。そのために警戒を解かないアランの心をも、度重なる温もりの感触はゆっくりと溶かしてゆく。 (このひとは、僕達が死んでもきっと泣いてくれる) それは、彼の作戦ならば死んでもいいと定めているグラディウスのように。 グラディウス自身は、司令官殿が泣いている場面を直接何度か目にしたことがあった。 デュークは時に、作戦終了後のチーム員の帰投を到着デッキで待っていることがある。 戦闘を終えたばかりで気の立っている他の戦闘員達に難癖をつけられることがあるのも承知で、それでも顔を上げてそこに立っている。 自分の出した指令の、すべての責任を負う覚悟をその瞳に滲ませて。 「他は戻らない」。 デュークと組んで七年、すれ違いざまに何度その言葉を口にしたろう。 チームのたった一人が戻らなくても泣く男が、グラディウス以外のチーム員のすべてを、何度喪ってきたことだろう。 チームの損失を最小限に、いくらそうしようと試みても、自分ひとりしか戻れないことはある。 戻らないと告げた背後で、デュークの長身が震える気配。歩みを止めて振り向けば彼は、人気のなくなったデッキの片隅で透明な涙を流しているのだった。 最初グラディウスは、ただそれを見ていた。彼自身には同僚を喪った感慨はない。チーム員は五月雨のように一時この身に沿い、そしてまた流れ去ってゆくだけの存在だったから。 無機質な壁のはざまで、返り血を浴びて赤い長躯が震える背と琥珀の髪を見下ろしている。 血臭の中かすかに漏れる嗚咽。 生も死もただの数字の増減でしかない基地で、それだけが残された儀式のようにわずかな時を埋めてゆく。 何度もそんな瞬間を過ごし、いつかグラディウスはチームで死んだ者の遺体を毎回戦闘の中であえて確認するようになった。 ただ、見るだけだ。 祈るのでもなく哀しむこともなく、ただ見るだけ。 しかしそれでも、その記憶は蒐集家の小部屋で間違いなくデュークに渡される。チーム員の残した遺言のように、その満足げな顔の記憶は残される。 苛烈な激戦の中、チームの損失を抑えられなかった時。帰還できない命の代わりに、銀髪の男はその記憶を司令官に持ち帰っていた。 ミーティングを終えて執務室を出ると、双子は不思議そうな眼でしきりに銀髪の長身を見上げていた。 司令官殿の事を聞きたくてたまらないが、死神に尋ねられるわけもない。それでももう長く組んで施設のトップクラスを保ち続けているのだから、何かがあるのだろうと思っている顔だ。 「……奴の渾名を知らないのか」 思いもかけず降ってきたグラディウスの声に二人は驚いた顔を見合わせ、それからおずおずとアランが口を開いた。 「<王蛇>、ですよね……?」 初陣の最初からデュークの元についていた双子は、どうやら死神ゲームにおける司令官殿の評価を知らないらしい。 それは相当に幸運なことだろう。 グラディウスは廊下を歩く足を緩めず、双子を抜き去りながら言った。 「<泣き虫>だ」 それが王蛇の二つ名とは別に戦闘員達による命名であること、そして年長の二人が組み始めた頃からこっそりと呼ばれていた渾名であることを、双子は後に知ったのだった。 <デューク - Restraint ->http://blog.goo.ne.jp/hadaly2501/e/eb7ac3296bc4fdfa8f4bd38b51840cc9----- ◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆【外伝 目次】【擬態】から7年くらい経過しています。この間の話を先に書こうかと思ったんですが、だめでした。でも物語の更新リクエストをいただいたので載せちゃう 笑シックスアイルズはどうも、時間軸ばらばらで出てきて公開に間に合わないんですよねえ。ヴェールの方は、公開までにだいたい間に合うことが多いんですが。。まあ、他の流れにあわせているんでしょう、プロデューサー様が。たぶん。目次では時間軸で並べるようにしてますので、そちらでまた読み直していただいても楽しいかもです♪応援ぽちしてくださると幸せ♪→ ◆人気Blog Ranking◆webコンテンツ・ファンタジー小説部門に登録してみました♪→☆ゲリラ開催☆ 4/18~4/24 REF&ルシフェルヒーリング 4/26 ネガティブエネルギーの浄化とイルカの癒し
2011年04月23日
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グラディウスを麾下に迎えて数ヶ月。 戦略執務室のデスクで、琥珀の髪の司令官はため息をついた。 手元には何枚ものの書類。すべて、戦闘員の貸与やチーム異動の許可を求めるものである。 デュークの元についてから、グラディウスの戦績は当初予測されていたレベルにまで順調に上がってきていた。 元々彼は施設選り抜きのトップ10に常連で入っていたが、最近は上位五人にも漏れることがない。当然、チームとしての勝率や生還率も群を抜いて高くなっていた。 今まで誰も使いこなせなかった剣を使える者がいた。 ならば自分にも使えるはずだ、そう浅はかに考える者が多いのだろう。 厄介な…、とデュークは呟き、しばらくは手放す気はないというアピールをすることに決めた。施設内に流れている噂を自ら煽ることになるが、仕方がない。 「グラディウス。今夜、部屋に来い」 すれ違いざま、周囲に聞こえるような声で言われたのは作戦から帰還した翌日。 グラディウスはちらりと視線を投げてため息をついた。 (こいつもか) 感情の振り幅の大きい者ならば、幻滅、と呼んでいい気分だろう。 担当になった司令官に夜寝室に呼ばれるのは初めてではない……いや正確に言うと、これまでは全員そうだった。 暗殺部にいた頃も、戦闘員に転籍してからも、上司が代わるたびに、あるいは代わらなくても何度も。 心のどこかで、この男は違うと思っていたようだ。 帰還を至上命令に据えるような変わり者。信じていた……のに? 思いもかけない思考が脳裏をよぎり、自室へ向かって歩きながらグラディウスは思わず目をしばたたいた。 この施設で育って二十年。そんな単語が自分の中から出てくるとは思っていなかったから。 しかし司令官の命令に逆らうことは許されない。 夜更けにデュークの私室へ向かうと、応接室に通された。単身寮と言うべき戦闘員の部屋と違って、司令官の部屋はそれなりに豪華である。 ソファとローテーブル、琥珀の髪の長身が開けた壁の扉から、簡単なバーカウンターが現れた。 カンパリとトニックウォーターで同じ飲み物を二つ作り、片方をグラディウスに差し出す。 「私はまだ仕事だから酒は控えておく。お前は適当に時間を潰してくれ」 うっすらと色のついたロングドリンクがカウンターに置かれる。しかしグラディウスの手は受け取るのを躊躇し、紅い瞳は出方を探るようにじっと司令官を見つめた。 それは戦闘員には珍しい反応ではない。モルモットのように新薬の実験台にされてきた彼らが、身体で覚えてきた法則だ。 デュークは手にあるグラスを先に一口飲むと、そちらをグラディウスに渡した。 「カウンター内の物は勝手にしていいぞ」 もうひとつのグラスを手に、さっさと机に向かう。 残されたグラディウスは無言のままでその姿を見ていた。 司令官殿はとくに色目を使うでもなく、仕事に精励しているらしい。 部屋の中は静かで、聞こえるのはペンや端末を使う音と書類をめくる音、それに時々グラスの中身が減ってゆく音。氷のはじける高いかすかな音まで聞こえそうだった。 グラディウスはカウンターの椅子に腰かけ、何をするでもなく片肘をついて執務机につく人を眺めていた。かきあげた長い銀髪が無造作に背に流れている。 警戒する気には、なんとなくなれなかった。 渡されたグラスの中身はわずかにスピリッツの香りがするが、ほとんどソフトドリンクといっていい。 この後が存在するのかしないのか、判断しがたい状況ではある。だがあるならばそれだけのことだし、何よりグラディウスの経験は、司令官の様子が色事とは無縁の思惑を宿していると囁いていた。 互いに静寂の時間を過ごしてグラスが空になる頃、デュークがつと顔をあげた。視線の先の時計は、グラディウスの入室から小一時間が経ったことを示している。 そのまま視線をカウンターに投げると、彼は立ち上がった。 「お前、もう戻っていいぞ。お休み」 手でドアを指し示し、そしてまた何事もなかったように仕事に戻る。 デュークの意図が予想通りだったと知ったグラディウスは、くっと喉の奥を鳴らした。 (……面白い奴) 変わり者はやはり変わり者。 その評価にひどく満足して、グラディウスは王蛇の私室を後にしたのだった。 そして数日後。 今度は通路でこちらへ来いと呼び止められた。背後から近づいてくる数人の気配があるということは、アピールしたい先は彼らか。 案の定デュークは銀髪の男を壁際に立たせると、彼らが近づいてくる側の肘を壁につけ、ぎりぎりまで顔を寄せてきた。 その黄緑の瞳はまっすぐにグラディウスを射抜いている。 そこにある光は、信頼。 お前を真剣に信頼している。 その眼はそう語っていた。 グラディウスは唇の端をかすかに上げると、片腕を伸ばして指先を司令殿の琥珀の髪にからめた。 耳元に口を寄せるようにして囁く。 (phase) : 例の新しいことを始めたようだぞ。 それは戦場で得たばかりの新情報だった。最前線でなくてはわからない、司令官達が欲しがっているもの。 当意を得たグラディウスの反応にニヤリと笑い、近づいてくる足音に肝心な部分がちょうど隠れるよう、デュークは顔と腕の角度を変えた。 (presto?) : 変化は早く進みそうか? (ne,largo…) : そうでもないな。幅広いが…… 二人が使っているのは隠語だった。情報伝達を素早く行うために使われ、各チームごとに一種の訛りがあって他人にはほとんど意味がわからない。 今使っているのも、チーム内、というより二人の間だけで通じる隠語だった。 通路の反対側からも複数人の気配を感じて、話しながらグラディウスはすっと身体を入れ替えた。 今度は片側を戦闘で鍛えられた逞しい腕、もう片方は流れる長い銀髪が二人ともの横顔を隠す。 (decres.) : 徐々に衰退するだろうよ。成就はしまい。 顔を傾け、ぎりぎりの場所で囁いた。 最前線で彼は、かねてよりチェックされていた事象が敵方で開始されたことを実際に目にしてきた。 しかしそれには無理があり長続きするものではないと、グラディウスの長年の経験は感じている。 その評価にデュークは黄緑色の目を細め、片手で銀髪を梳くふりをした。 二人の様子を好き勝手に解釈した輩が、好奇の視線を投げ口々小声に言い合いながら去ってゆく。 振り返り振り返りする彼らの期待を裏切らないようなタイミングを見計らうと、二人はニヤリと目線を交わした。 「しかし油断はするな。だな?」 デュークの潜めた声。グラディウスがかすかに頷き、二人は身体を離す。 そのまま彼らは背を向け、無機質な通路をまた歩き出した。 ----- ◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆【外伝 目次】当時、グラディウス20歳くらい、デュークさんは22歳くらいです。その後死ぬまでの十年、こういう擬態は時折あったらしい。おまけw個人的にグラディウスなテーマ曲。「inner universe」http://www.youtube.com/watch?v=aqGaOsfmQLU上記アドレスに歌詞と和訳も載ってます。応援ぽちしてくださると幸せ♪→ ◆人気Blog Ranking◆webコンテンツ・ファンタジー小説部門に登録してみました♪→☆ゲリラ開催☆ 4/12~4/17 REF&ルシフェルヒーリング
2011年04月14日
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王蛇。蛇を喰う蛇。 グラディウスが暗殺部から転籍して七年ほど経った頃。新しいチームに配属され、戦略執務室の扉を開けた彼の前に現れたのは、琥珀の髪に黄緑の瞳をした若い司令官だった。 年の頃はおそらく彼よりも少し上の二十代前半、デスクの向こうに座っているから背丈はわからないが、肩幅から見て体格は長身の彼とほぼ似たようなものだろうか。制帽の下から覗く整った顔立ちに抑制のきいた眼差し、そして王蛇の二つ名は、切れ者であることをうかがわせる。 (? ……こいつ、どこかで…) 記憶の片隅に何かがひっかかった気がして、グラディウスは無言のままかすかに目をすがめた。 ほどなく、もう五、六年も前、狭い路地で襲われていた彼を成り行きで助けたことを思い出す。 あのときの男か。 事件というにはここでは日常的すぎるリンチがあった時、自分はまだ少年と言ってもいい年齢だった。暗殺部から転籍してすぐ、背ばかり伸びて華奢だった身体に筋肉がつき始めた頃だ。 司令官殿も青年のとば口くらいだったろう。今よりも細く、手足がひょろりと長いような印象だった。 「……私の顔に何かついているか?」 「いや」 短く銀髪の男は答えた。 司令官殿は何も覚えていないようだ。彼が通りかかった頃には意識もほとんどないような状態だったのだから、当然といえば当然といえる。 しかしそれは、グラディウスの抱える疑問に答えが出ないことも意味していた。 あのとき。 助けた後のグラディウスを見て、彼は微笑んだのだ。 薄れる意識の中で何を見たのか、柔らかく、懐かしげに。 生後数日でこの施設に捨てられ、<毛布を巻いた母ザル>に育てられたグラディウスは、自分に向けられる本当の微笑など見たことがない。 上流階級専門の暗殺者だった時代に、幾度か社交界とやらにも出席させられたが、そこにある微笑みはすべて打算と計算の産物だった。 あれは何だったのか。 思えばあの微笑に毒気を抜かれ、普段なら放置しておくところを医務室まで連れて行ったようなものだった。 今でも時折かすかに思う疑問であったが、本人の記憶に残っていないのではどうしようもない。 グラディウスは思考を切り上げることにした。 「作戦の概要を説明する」 飴色のデスクの上に、デュークはばさりと資料を置いた。 司令官になって三年。指揮下に貰う人間のことは、候補のうちに同伴者の再現記憶も含めて解析するので、グラディウスに対しても初対面という印象はすでにない。 だが……この男の雰囲気には先にも覚えがある、ような気がした。 しかし既知といって変わるものもここにはない。淡々と話を進めることにする。 思えばこの銀髪の男は、施設選り抜きの五名から十名のリストの中に、常に名前が入っていた。 しかしもっと入れ替わりの激しい人気者がいたから、最初特別に印象深かったわけではない。 強いということは、人というよりも兵器であるということ。 段々に壊れて「人」としては扱いにくくなる。ゆえに、生還してもハイリスクな作戦に投入され続け、司令官側から見れば最大限使い倒して捨てるだけの存在になってゆくのだった。 リスクの高い作戦に惜しみなく投入できる駒があるのはありがたいことだから、人気者は司令官にもてる。だからデュークの元まで回ってきたことはなかった。 そしてリストから消えれば、拮抗していた者がそこに入る。残っていても戦闘員に何ら得があるわけでもない、単なる選別側の都合。 書類の上で名前が回転して流れてゆく、それだけのことだった。 しかし二年目の頃、ふと目にしたリストに変わらぬ名が載っていることに気づいた。 (こいつまだリストに残っているな。グラディウス? ふぅん…、戦績の割に扱いにくいとあるな。へぇ…) それが記憶にある第一印象と言えば言えるかもしれない。 扱いやすいというのは、組ませやすい人材のことだ。人付き合いの良し悪しではなく、ペアとして動くときの相方の型が普遍的であること。 グラディウスの場合、今まで特に動けなかった相手はおらず戦績も良いのだが、彼の戦闘能力から予測される結果まで結びついていない。 こうした結果から、その時々のペア相手とは彼の方が意識して合わせているのだろうと思われた。 戦歴はかなり長いが、リストに載り続けているということはまだ「使える」ことを示している。 命令を消化し、相当の高率で遂行し、帰還する能力を備え続けている。 (つまり、よく斬れる剣をまだ誰も使いこなせていない、ということか……。 stand-alone、単独であたらせたほうが余すところ無く能力を発揮しそうだな) デュークはそう感じ、自分のチームに引き取ったときから誰かと組ませることは除外していた。 彼は作戦の概要を説明すると、チームの損失を最小限にするよう命じ、後は勝手に調べろとデスクの資料を指した。 「…必ず帰還せよ」 締めくくりの言葉を発したとき、相手がなんだか変な顔をした気がする。しかし彼のチームに配された戦闘員にはよく目にする表情だったから、デュークはあまり気に留めなかった。 しかしグラディウスはそこで一礼して去るという形式を守らず、まっすぐに新しい司令官を見やった。 紅い瞳が座る相手をじっと見下ろしている。 「それは至上命令か?」 長身から発される、深く静かな声。 他の司令官達はそこで、身命を賭して必ず勝利せよ、と言う。最初から帰って来いと言われたことはない。 ぎりぎりの時には勝利よりも帰還を優先しろということだろうか。 強い視線が直線で交わる。蛍光を帯びた黄緑の瞳が、さらに強くきらめいたように見えた。 「…そうだ。絶対の指令である」 厳かにゆっくりとデュークは答える。 自分は司令だ。 役割を負った以上、果たすべき義務が己にはある。 それを果たす為の道具として戦闘員達を行使している。 道具として行使する以上、彼らの持つ能力はどんなものなのか、どう使えばいいのかを、最強の状態を把握すべきは使う側の礼儀だと思う。 自分が間違っていなければ、彼らは任務を完遂して帰ってくる。 間違っていても、彼らが帰ってくれば質す猶予を得ることはできる。 だから、帰還せよ。 これも絶対の指令だ。 ほんの少しだけ先の戦闘員達の明日さえ、自分に掴めなくなる日は来る。必ず。 今出来る限り大きく掴む為に、デュークは全力で手を伸ばさずにはいられなかった。 言葉に濾されぬ彼の想いは、その黄緑の光に滲んでいる。 受け止める紅い瞳が、ほんのかすかに和らいだように見えたのは気のせいだろうか。 「…承知した。その命令を遂行する」 グラディウスは踵を返した。 そしてその約束どおり、耐用限界で廃棄処分に回されるまでの十年間、彼はどんな戦場からも必ず帰還を果たしたのだった。 戦場の誰もが生き残るための判断をする。しかし全員が戻れるわけではない。 「生還できたなら、帰った奴だけで十分」 デュークは言う。その状況を分析し作戦の穴が何だったか、判断し抽出するのが己の役割だと。 しかしその瞳は言葉を裏切り、頬を流れ落ちる透明な何かであふれている。 帰った奴だけで十分。 戦闘員の誰も、<泣き虫>のその言葉を信じはしなかった。 だからこそ誰もが彼の元に帰ろうとした。 そしてその行為はまた、「複数の他人の記憶をトレースし抽出し分析する」という過酷な業務によって戦闘員並みに寿命の短い司令官達の中で、デュークの発狂を抑え続けていた。 彼らがいるから。 帰ってくるのならば、その前に自分が狂ってしまうわけにはいかないのだから。 帰還の至上命令。 戦場から必ず戻ってくる命。 そのやりとりは、戦闘員達の明日もデュークの明日も、いつも同時に引き寄せていた。 ----- ◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆【外伝 目次】グラディウスの時代の物語です。便宜上彼の名前をタイトルに混ぜてたんですが、ずいぶん増えてきましたのでいいかげん当時のチーム名【THE SIX ISLES】をつけることにしました。重要な登場人物は彼だけじゃないですしねw物語の更新、こんな話ですし、ちょっと悩んでいたのですけれど。宮城は石巻で被災したマイミクさんから、娯楽がない! 読みたい! と強いご要望をいただきましたので少しずつアップしていこうかなと思います。ほんのわずかな時間であっても、息抜きに他の世界を楽しんでいただけたら幸いです♪今日の夕方から、実家泊まりでお墓参りに行くことになりまして、帰宅は木曜になります。金曜は入学式でこれまたバタバタしますので、メール等のお返事は週末か週明けになってしまうかと思いますがどうぞお許しくださいませ m(_ _)m応援ぽちしてくださると幸せ♪→ ◆人気Blog Ranking◆webコンテンツ・ファンタジー小説部門に登録してみました♪→4/5 一斉ヒーリング ~生命の海~ ☆ゲリラ開催☆ 4/4~4/10 REF&ルシフェルヒーリング
2011年04月05日
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ニールスとオーディンは、それぞれグリッド司令部に所属し忙しく立ち働いていた。 その日もそれぞれ仕事をしていたが、司令部に戻ってちょうど顔を合わせたとき、オーディンが心配そうに僚友の肩を叩いた。 「ニールス、お前顔色悪いぞ」 「ああ、うん…」 ニールスの返事は煮え切らない。 司令部のシフトはきちんとしているが、突発的事態があれば対処せざるを得ないため、二人は休日返上で忙殺されていた。 ましてニールスの能力ならばそれをこなせてしまう。なまじ有能なだけにやりすぎてしまうタイプが、どうして自分の周りには多いのだろう。 僚友を医務室まで連れてゆき、処置を受けているのを見ながらオーディンは椅子にもたれて座りつつそんなことを考えていた。 頭の後ろで腕を組み、片足をもう片方の膝に乗せてぼんやりと窓を見る。 すると、そのむこうの景色がぱあっと広がり、窓を越えて自分達を包んだような気がした。 やわらかな花の香り、明るくゆらめく優しい木漏れ日。足元には淡い色でとりどりに咲き乱れる花達。 隣を見るとニールスもそこに立っていて、どうやら図らずも二人で時空を超えてしまったらしい。 (花園か……ここは、変わらないな) (そうだな) 樹の陰から遠目に懐かしい景色を見やり、二人はふっと顔を合わせて笑いあった。 彼らにとってもまた、花園は遠い故郷なのだ。 かつてルシフェルの神殿にはそもそも、時間の概念がなかった。一方向に流れる時間を持つ棒の隣に、丸いボールをひとつ置いてあるようなものだろうか。 ボールには時間がなく、棒のどこへも基本的にアクセスできる。 神殿に所属していたマリアの花園も、時間の流れはあるようなないようなだった。 生まれたばかりの赤子から学齢前まで、常に十人から二十人ほどの子供たちが育てられ、成長する彼らの上にはゆっくりとした時間があった。けれど面倒を見ているマリアやルシフェルの姿は変わらず、そしてそれは彼らにとって、しごく当たり前のことだったのだ。 シエルやサラが育てられたそのずっとずっと昔に、ニールス達もやはりここで生まれ、マリアをママと呼んでいた。 神殿が闇に沈むのに合わせて一度は閉められた花園が今またよみがえり、育ちなおしの場所として昔通りの姿を見せていることに、二人の胸にほっと温かいものが灯る。 淡いきれいな色合いの花園に、大きな安心感を醸すルシフェルの存在、銀髪のマリアと幼子たち。 子供たちが幸せそうなことと、自分たちの懐かしい場所が変わらずにそこにあることがわかって、なんだかとても楽な気持ちになる。 「お前も、どんなに時が経っても、いつまでも私達の大切な宝物なのだよ」 ルカに向けられたルシフェルの言葉とマリアの微笑みは、ニールス達にもきちんと届いていた。 (行こうか) (…そうだな) 額縁に入れておきたいような優しい懐かしい景色に心やすらぎ、二人はうなずきあってそっと花園を後にし、忙しい世界へと戻った。 とくに挨拶はしなかったが、この花園の主たちが自分達の訪問をわかっていることも、今も常に繋がっていることも、彼らにはわかっていた。 「かあさん、僕たち、そろそろあちらへ出かけます」 その言葉とともに彼らがここを離れて、もうどれほどの時が過ぎたろう。 陽だまりに座ってシエルとサラがじゃれあっているのに目を細めながら、マリアは遠ざかる懐かしい気配を感じていた。 かつて遠い日の花園で、外見年齢にして十代後半くらいの青年が二人、神妙な顔つきでマリアのもと訪れた。 一人は蜂蜜色の金髪、一人は黒髪。 学齢に達した頃、保育園のような花園そのものからは離れたが、ずっと同じ時空で勉強を続けてきた。 それも終わって、彼らはこれから人界への転生に向かう。 魂の生まれる場所から見えた、命の大河。 ほんのりと金砂を帯びた朱鷺色の輝きは、それはそれは美しく儚い命の連なりだ。 花園の時間から見れば一瞬のようなその生には、辛いことも幸せなことも、たくさんに詰まっている。 トールという半身を自らも大河に放っているマリアは、それがどれほど濃くあるかも、どれほどに愛しいものかもよくわかっていた。 そして、二人がそれを承知して出かけるということも。 「そう…。でも忘れないでね、いつでもあなたたちは私にとって大事な宝物なのよ。…いってらっしゃい」 言葉少なにマリアは言い、二人を順番に抱きしめたのだった。 いつかまた、会える。 時の大河の只中で、彼らとはゆきつもどりつ何度も出会い、何度も共に歩むだろうことを、彼女は知っている。 この神殿も今はたくさんの子供たちのいる花園も、やがてその役割を終える。 時間の定かでない花園にあっても、ニールスとオーディンが生まれたのは最初のほうだ。 それからたくさんの時が流れ、ルカ、そしてシエルとサラ。彼らが生まれたのは最後のほうになり、すでに皆卒業はしていたものの、花園の終焉と時期が重なっていた。 終わりそして始まる時に、彼らは何を見て何を祈っただろう。 変わることがないと思っていた世界は変遷し、不動と信じていた大地さえもが揺れる。 子供達にとって安息としあわせの象徴だった花園は閉じられ、巫女達はいなくなり、神殿自体がその役割を変えてゆく。 ……それでも。 彼らは飛び込んでゆく。新しい世界へ。 時がめぐり世界がどれほど姿を変えても、人の心はしなやかに生き続ける。 宝物のような記憶を胸に抱いて、新しいさまざまな宝石をその上にまた溜めてゆく。 どんなに多くのものを喪い、どんなに打ちひしがれて泥に這いつくばっても、瞑目し、信じ、祈り……やがて彼らは立ち上がる。 失ったときこそ互いに手を伸ばしあい取りあって、何度でも、何度でも。 その輝きこそが、すべての魂の持つ奇跡。 マリアは、人の姿でもそうでなくても、すべての魂が勇者であると思っていた。 世界という広大な海に生まれることを望み、ちいさな飛沫となって飛び込んでゆく。 彼ら一人一人は小さいが、その想いが集まって雫になり、せせらぎになり、大河になり、やがて世界そのものを創りだしてゆく。 どんなに小さくても、彼らの祈りが世界を創るのだ。 (彼らにたくさんの幸せがあるように……) マリアもまた祈っている。昔も、そして今も、祈りの言葉は変わらない。 幸せであるように。 彼らが、皆が、幸せであるように……。 シエルはわくわくした気持ちで、あたらしい服に袖を通した。 白いチュニック風になっていて、腰の部分を紐で縛るつくりになっている。簡素なものだが、これは彼が「はじめて冒険に出るときの勇者みたいな服」が欲しいとマリアにねだって作ってもらったものだった。 それならはじまりの勇者の服ねと笑った彼女は、注文通りのチュニックの胸元に、金糸で小さな刺繍を入れた。 「願いが叶うように、祝福のおまじないよ」 照れた顔のシエルに微笑む。甘えることを知って安心した幼子たちは花園で少しずつ年齢を行き来し始め、今のシエルは七、八歳の子供に見えた。 冒険や木剣遊びなど、ちょっと背伸びしたいときは子供の姿、ルシフェルやマリアに甘えたいときは幼子の姿。そのとき現したい気持ちにより素直になれる姿をとって、彼らはのびのびと過ごしてゆく。 ほんの少し成長したシエルは、ルカと木剣ごっこをしたり樹の上に秘密基地を作ったりしはじめた。 しかし段々、年齢がさらに少年期と行き来するようになってくると、木の剣では物足りなくなってきた。 どうすればいいかとしばらく考えた末、意を決した顔でルシフェルの前にゆく。 「父さま、僕、木剣じゃなくて父さまのような剣が欲しい!」 「ほう? ……そうか」 ルシフェルは慈愛に満ちた眼差しで目の前の少年を見やった。まっすぐに夢を追う、きらめく茶色の瞳。 闇色の天使は微笑み、背に手を伸ばすと長大な剣を取り出した。 ちょっと大きすぎるとさすがに尻込みするシエルの前で、その剣はみるみる小さくなってゆく。 ちょうどいいサイズになったところで、ルシフェルはそれを少年に渡した。 「成長したら、剣もお前に合わせて大きくなるだろう」 「ありがとうございます!」 立派な剣にシエルの顔が上気する。 剣はそもそも、何かを護り同時に誰かを傷つけるための道具だ。 その鋭い刃の上に、自分の命も相手の命も、等分に乗せていることを知らなければ使うことはできない。 勇者は倒した相手の命を引き受ける覚悟がなければならない。 けれど、過去生の彼がそうして夢を追い続け、大切な人を護り続けてきたことをルシフェルは知っている。 時に痛みを引き受け、時に鎖を断ち切り、時に土を掘り木の枝を切る道具として。 花園から旅立った勇者たちは、綺麗事では済まない世界をそうして生き抜いてきた。 剣を抱えて走ってゆく細い後姿を見やるルシフェルの瞳に、遠い戦いの影がよぎる。 誰かを護り、誰かを喪って。 血まみれの掌に慟哭し、もう戻れないのだと何度も涙していた愛しい子供達。 それでも立ち上がり、歩いてゆく彼らのなんと愛おしく頼もしいことだろう。 勇者たちが何を背負おうとも、それは立派な勲章だ。花園は彼らの前に閉ざされることはない。 (幸せで、あるように……) それがどんな経験であろうとも。 彼らにたくさんの祝福があるようにと、ルシフェルは祈った。 ----- ◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆【外伝 目次】祈りが、とどきますように。応援ぽちしてくださると幸せ♪→ ◆人気Blog Ranking◆webコンテンツ・ファンタジー小説部門に登録してみました♪→3/29 一斉ヒーリング ~生命の海~ ☆ゲリラ開催☆ 3/28~4/3 REF&ルシフェルヒーリング
2011年03月29日
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「いらっしゃい、シエル」 サラと一緒に小川を覗き込んでいたシエルが、もじもじとこちらを見ているのに気づいてマリアは縫い物をやめ、微笑んで腕をひろげた。 照れた笑顔で木陰に走ってきた小さい身体を、膝に乗せてぎゅっと抱きしめる。 シエルはどちらかというと甘えるのが苦手だ。 抱っこしてほしくてもなかなか自分から飛び込むことができなくて、指をくわえるようにしながらちらちらと相手を見ていたりする。 今も嬉しそうに抱かれてはいるものの、マリアが腕をゆるめても、ぺったりと身体を預けてくることはなく、なんとなく背中に力が入っていた。 明るい色の髪を撫でてやりながら、マリアは優しく尋ねる。 「どうしたの?」 「ん……、あの、あのね……」 しばらく逡巡した後、ようやくぽそりと口にする。 「ぼくね……、ここに、いてもいいの…?」 幼子にとって、おそらくは世界のすべてがかかっている重要な質問。 涙のたまった大きな瞳をまっすぐに覗きこんで、マリアはにっこりと笑ってみせた。 「もちろん、いいのよ。シエル」 「だって……、ぼく、ぼく、なにもできないんだよ。たべて、ねて、あそんでばっかりだって。ママにも、おとーさんにも、やくにたってない……」 柔らかい頬に、ぽろんと大粒の涙がひとつ。白い指がそっとぬぐった。 「役に立たないからいらない子だと思ったの? 捨てられちゃうと思った?」 柔らかな声にびくんと顔を上げると、すみれ色の瞳がじっとシエルを見ている。宵闇の優しい色に拒絶されてしまうのではないか。そんな冷たい恐怖がシエルの背筋を滑り降りた。 「ご…ごめっ、なさっ…」 幼子は目をそらし反射的に身体を捻ろうとした。まるで、見ないでいれば猶予が生まれるとでも信じているように。 マリアはそれを許さず、逆に向かい合わせから赤子のような横抱きに変えて、小さな身体をしっかりと抱き寄せる。 「シエル、シエル。怖かったのね……」 「……っ! ぃやあぁあああ!! はなして!」 シエルは身体を思い切りばたつかせて、自分を包む腕から逃げようとした。しかしもがく腕も足も、絶対に離さないという意思のしっかりとした感触のもとに押し返され、赤子の形に押し戻される。 幼い心と身体に溜まっていた恐怖の嵐は、出口を求めて口から絶叫となってほとばしり出た。 マリアはそれを止めようとはしない。両の指を離れぬように組んですべての反抗をひたすらに受け止め、涙もなく号泣というより絶叫を続ける耳元に、辛かったね、寂しかったわね、と優しくささやき続けた。 少し離れたところでは、ルシフェルに抱かれたサラが心配そうに見つめている。 「…ふぇ…」 どれほどの時が経ったのだろう。シエルの身体から力が抜け、目からぽろぽろと涙がこぼれだした。 マリアは微笑んで片腕をほどくと、汗びっしょりになった小さな額と目元をハンカチで拭ってやりながら、穏やかに語りかけた。 「ねえシエル。私はこうしてあなたを抱っこするのが好きよ。あなたの笑顔や寝顔を見るのが好き。遊んでいるのを見るのが好き。泣いているのも怒っているのも可愛いわ。病気で寝込んでいても愛しいの」 涙をこぼし、時折しゃくりあげながらシエルはじっと耳を澄ませる。 マリアのことは大好きだけれど、いつか捨てられるのではないかという恐怖がずっと消せなかった。 けれど、やっぱり僕はここにいていいんだという温かな思いが、じんわりと泉のように湧いてくる。 体中の力が抜け、抱いてくれるひとの唇から優しく紡がれる音楽は、涙と一緒に幼子の心にゆっくりと染みこんでいくようだった。 「あなたがいてくれることで、私はたくさんの幸せをもらっているのよ、シエル。あなたたちはいつでも、私の宝物なのよ」 優しい手が額にはりついた髪をかきあげ、愛しげに降ってくるキスの感触。マリアの言葉を子守唄のように聞きながら、シエルは暖かな胸に顔を埋めて、いつのまにかすとんと眠りについていた。 魂の生まれる場所。 それは同じ場所なのか違う花園なのか、子供達にはわからなかった。 マリアが連れて行ってくれたのは、ほんのりと桃色味を帯びた金の光が大河のように流れて見える、あるいは大地を埋める花々からぽあんぽあんと生まれては次々に浮き上がって見える、そんな所だった。 目の前を埋めるきらめきの美しさに、子供達は茫然と目を奪われている。 マリアの左手をぎゅっと握っていたシエルはまっすぐ前に見とれていたが、サラはだんだん怖くなって、白銀のローブを着たマリアの足にしがみついた。 「サラ?」 優しい声がして、白い手がそっと幼子を抱き上げる。 やわらかな月の光が花々から生まれては、やがて夜空に届くかのようだ。あまりにも美しい光景を見続けていてはいけない気がして、サラは銀髪の流れる細い肩に顔を埋めた。 昼間、サラのせいでシエルが泣いていると思ったのだ。 大好きなシエルに辛い思いをさせるくらいなら、自分などいない方がいい。 なのに、なぜ生まれてきたのだろう。いつもサラに一生懸命になってくれるシエルを、わざわざ泣かせるためにいるのだろうか? そんなの嫌なのに、どうしてここにいるのかわからなかった。 ここにいてはいけないのなら、どうして生まれてきたのか、わからなかった。 「だいじょうぶよ、サラ」 多くを語らない声は、何もかもを知っているかのようだ。背をなでてくれる穏やかな感触に、サラはおそるおそる顔をあげた。 焦げ茶色の瞳に映る、たくさんの光の海。その光は夜空に浮かぶ星のようで、弱くはないがけして鋭くもない。 草原に降ろされ、シエルと二人マリアに手をひかれて歩いてゆくと、ふわっと波が起こったように光の珠が空に向かって舞い上がった。 それを見たシエルが走り出す。わくわくした顔で光の集まっているところに向かってゆくと、ちいさな両手で珠をすくいあげ、空に放した。 大きな蛍の群れのように、きらきらと星が天にあがってゆく。 そうやってしばらく遊んでいると、大きな手が後ろからシエルを抱き上げた。 「シエル、おいで」 「とーさま!」 満面の笑顔でルシフェルの首にぎゅっと抱きつく。長身のルシフェルに抱かれると、視点が急に高くなって世界がずっと広がる気がした。 「いらっしゃい、サラ。そろそろ行きましょう」 ふわふわと飛んでいる光に溶けてゆきそうな優しい声に、サラはまたふと怖くなって顔を俯かせた。 そんな幼子を、マリアは屈んでぎゅっと抱きしめる。 「サラ、怖くないのよ。あなたたちも、ここから生まれたのだから…。生まれてきてくれて、本当によかった。とても嬉しいわ。ありがとう」 柔らかな黒髪をそっとかきあげながら微笑むと、サラの瞳に涙があふれた。 自分は、大好きな人を苦しめるだけの存在ではないのだろうか。 生まれてきて嬉しいと、ありがとうと、言ってもらえるのだろうか? 「ママ…?」 「ええ、サラ。大好きよ」 すみれ色の瞳は、嘘も揺るぎもなくまっすぐにサラを見つめてくれていた。 負から正へ。あなたの存在は誰かの負担ではなくギフトなのだと、その瞳は優しくくるりと世界を反転させてくれる。 「ママ!」 嬉しくて嬉しくて、サラは小さい身体でぎゅうっとマリアに抱きついた。 片腕にシエルを抱いたルシフェルの大きな手が、サラの黒髪を撫でる。 「愛しい子供達よ。お前達は誰も、ひとりではないのだよ」 深い声は、二人の胸に染みるように響く。 戻ったいつもの花園で、ルシフェルは二人を肩に乗せた。木登りをしたような視点の高さに、両側から思わず黒髪の頭に抱きつきながら、子供達はどこまでも広がる花園、優しい光と幸せに満ちた場所を見下ろした。 そして絶対にこの景色を忘れるまいと、二人は心に決めたのだった。 一晩が経ち、夜のうちにルカが来てくれたことを知った子供達は大喜びだった。 朝ごはんもそこそこに両側から手を握って、花畑に連れ出そうとする。 草の上に座ったルカは大きな緑の光の球を作ると、それを両手で力いっぱい押しつぶした。 「そおれ!」 テニスボールくらいまで圧縮したそれを握り飯のように持ったまま子供達の前に差し出して、ぱっと手を開く。 球は一瞬で元の大きさまでふくらみ、衝撃でポーンと空へ高く跳ねて、それから二人の上へ落ちてはバウンドした。 それがおかしいらしく、何度も子供達が頭を押さえて笑い転げる。 「えへへ、きのうねえ、サラねえ、ルカにーたんにほっぺにちゅーしてもらったんだよ」 寝ぼけていてもそれだけはしっかり覚えていたらしいサラが、嬉しそうな顔でシエルに自慢した。 シエルの顔が少ししかめられたのを見逃さなかった青年が、にやりと笑う。 「羨ましい? シエルにもしてあげるよ。不公平はよくないからね」 「いっ、いいっ!!」 顔を真っ赤にして全速力で逃げ始めた子供を、ルカが笑いながら追いかける。シエルが甘え下手なのは彼も知っているのだ。 さんざん追いかけっこをして捕まえると、すでにお昼の時間だった。 抱えたまま連行することにした幼子の身体が、先日よりも緊張がとれて柔らかくなっていることにルカは気づいた。 「抱っこの時間があったんですね?」 大樹の木陰に用意された白いガーデンテーブルの椅子にシエルを座らせながら尋ねる。それは質問というより確認で、マリアは微笑んで頷いた。 「ルカにもしたことがあったわね」 「そうですね……そういうとき、どんなに大暴れしてもお二人の腕は絶対に外れませんでした」 ルシフェル様はともかく、レディは今見たらこんなに細いのに、と青年がつぶやく。 幼い頃、大海のように広いと思っていた腕の中。けれどその持ち主は実はとても華奢で、背の高さも今のルカの肩ほどしかないことに今更ながら彼は気づいた。まして長身のルシフェルと比べると、顔は胸あたりがせいぜいだ。 シンプルなドレスに包まれた白い細腕も、男の自分が力を入れたら簡単に折れてしまいそうだった。 それなのに、しっかり抱っこすると彼女が決めた時は、子供達がどんなに暴れても泣き叫んでも絶対に外れなかった。 どの子もそれをよく知っていて、何を吐き出しても強く抱きとめてもらえるその感触が、計り知れない安心感になっていた気がする。 何を感じてもどんなふうに辛くてもたとえ自分で自分を呪っていても、それでもいつもあなたが大事だと、言葉以上にそのぬくもりは伝えてくれた。 すべてを受け止めてもらった後に訪れる眠りは、たとえようもない安息だった。 「またいつでもしてあげるわ、ルカ」 大人用のトマトソースのパスタを配りながら、すみれ色の瞳が青年を見る。さすがに気恥ずかしくて目をそらすと、腹ペコで先に食べ始めた子供達が顔じゅうをソースだらけにしていた。それを笑って拭くふりをしながら言葉をにごす。 「や……それは、その」 「もし望むならね、あなたもいつでもこの子たちくらいに小さくなっていいのよ」 花畑に立っているマリアの髪や肩に、木漏れ日がちらちらと明るい光を落としてゆく。眩しさに目を細めた青年の頬を、白い指がそっと撫でていった。 「あなたが今、その姿で二人の世話をすることで癒されているのは知っているわ。だけど覚えておいてね、ルカ。あなたもまた、ここでは甘えてもいいのよ」 「お前も、どんなに時が経っても、いつまでも私達の大切な宝物なのだよ」 テーブルの向かいで愛おしそうに子供達を眺めていたルシフェルが、懐かしげに視線をむけて微笑む。 その声は花の香りの風に乗って、すべての花園の子供達に届いてゆくように、ルカには思われた。 ----- ◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆【外伝 目次】
2011年03月04日
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ルカは玄関を出て、とある浮島に行こうと思ったところで足をとめた。細い眼鏡の奥で思わず目をしばたたく。 柔らかな光がさして、白銀と黒の大きな竜を二頭従えたマリアが微笑んでいた。 「お互いこの姿ではおひさしぶり、ね? こんばんは、ルカ」 「こんばんは、マリアさん」 細身の青年が微笑むと、マリアは言った。 「今日はね、二人があなたと遊びたいのですって。もしよかったら、花園に遊びにきていただけるかしら?」 ゆったりと裾の長い彼女のスカートの両側から、三歳くらいの幼子がぴょこんと顔を覗かせる。一人は長い黒い髪のサラ、もう一人は薄い茶色の短い髪をしたシエル。 二人はひょんなきっかけから、今はマリアの花園で世話になっている。 同じ焦げ茶色のきらきらした瞳が四つ、大好きなお兄さんを見上げていた。その期待に満ちた眼差しに、ルカも少し長めの緑色の髪をかきあげて笑い返す。 「もちろんです。僕も伺ってよろしいものなら」 「ありがとう。ご案内するわ」 振り返った彼女の視線に応えるように、黒い竜が大きく首をのばす。(乗れ)と伝えてきた太古の竜に、ルカは思わず躊躇した。 「いや…その…、僕も乗っていいんですか?」 (花園に直接行くのは、まだお前の竜には少し荷が重いだろう。今日は道を教える。お前は子供を一人抱いて乗れ) 「……失礼します」 ルカは緊張した面持ちで黒竜のユアンにまたがり、腕にしっかりとシエルを抱いた。横を見ると、白い竜の背にサラを抱いたマリアがふわりと横座りしている。 落ちないのか、と思わず心配した彼の心を読んだように、マリアが長い銀髪をゆらして微笑んだ。 「大丈夫よ」 その言葉の通り、すこしの衝撃もなくドラゴン達が離陸する。 あっという間に花園に到着すると、大きなごつごつした背から滑り降りた二人の子供達は、ルカの両手をひっぱって走り出した。 「わっ、待って待って」 勢いに青年は慌てたが、足元を見ればどこまでも続く花園。これなら転んでも痛くはない。 けして目を射ることのない、やわらかな光にあふれるこの場所は、はるか昔にマリアが管理し、永い時を経てまた戻ってきた場所だった。 幼子たちはきゃあきゃあとはしゃぎながら走り回り、清らかな小川を覗き込んでは笑う。 花輪作りに挑戦したものの輪にならない部分を、隣に座り込んだルカがにこにこと手伝ってやっていた。彼も二人が可愛くてならないのだ。 三人とも無事に花輪を首にかけたところで、子供達の興味は光の玉作りに移行した。小さな両手を合わせて、そっと開くとそれぞれの色の光が球体になっている。 シエルは黄色、サラはピンク、ルカは緑。 両手で弾力を確かめたり、大きくしたり小さくしたりして遊ぶのを、マリアがにこやかに眺めて言った。 「そろそろ食事にしましょうか?」 しなやかな指がさした先、森のほとりの小屋には、温かいスープとそれぞれ好きなものを挟んで食べるバゲットサンドの用意が整っている。 手に持った玉をどうしようかと悩む三人に微笑むと、彼女はそれを受け取り、踊るような仕草で空へ持ち上げた。 光の玉は風船のように空に上がってゆき、高いところでふわりと解け、きらきらとした霧になって降りそそぐ。 「今度、魂の生まれるところを見せてあげましょうね。とても綺麗よ」 その美しさに目を奪われている子供達にマリアは笑った。 食事はいつのまにか、「どちらがルカに美味しいサンドイッチを作れるか」の競争になったようだった。 皿になんともいえないサイズのサンドイッチを二つ盛られた青年が絶句しているのを、ハーブティを前にしたマリアがくすくすと笑って見ている。 「大丈夫、問題ない。かじりますともっ」 誰にともなく宣言して、緑色の髪の青年が大型のサンドイッチにかぶりつく。子供達には失礼ながら、意外なほど美味しかったそれに思わず驚いた顔になった。 「ねえおいしい? おいしい?」 「うん、とっても美味しいよ。ありがとう」 期待にはちきれそうだったシエルとサラが、ジャムとパンくずをつけた顔を見合わせ、とても嬉しそうに笑う。 食事が終わると幼子はおねむの時間。 ルカはそれにつきあって柔らかな草地に転がり、二人が眠るまで一緒に空を眺めていた。 囁くように聞こえるハープの音色は、マリアの奏でる子守唄だ。 「お昼寝から起きるまで帰らない」と子供達に約束した彼は、二人が満足した顔で眠るのを見届けるとそっと起き上がった。小屋でマリアがお茶のポットを持って手招いている。 ルカが立つのと入れ替わりに、今まで少し離れた場所から見守っていたルシフェルが、そっと近づいてきて自分の暖かなマントを外して眠る幼子にかけてやっていた。 このマリアの花園は、元々ルシフェルの神殿に属していたのだ。子供達は今、ルシフェルをとーさまと呼んでなついている。 「今日はありがとう。二人とも大喜びだわ」 「いえ、僕も楽しいですから。あの子たちはここの生まれなんですか?」 ルシフェルの長身に守られながら黒いマントに埋もれている、ふっくらと幸せそうな二つの寝顔。どこか懐かしいようなその景色を遠目にいい香りのする湯気を吸い込むと、向こう側ですみれ色の瞳が意味ありげに微笑んだ。 「そうよ……ルカ、あなたにもわかるわ。もうすぐね」 「な、何がわかるんですか?」 「それは内緒。時満ちれば自然にわかることよ」 白い指を唇の前に立ててマリアは笑う。何を聞いても無駄だと悟ったルカは、おとなしく茶を味わうことにした。巫女が自然にわかると言うなら、きっとその時期が来るのだろう。 うすく緑がかった黄金色の茶がゆっくりと二杯ほど消費された頃、子供達が目をこすりながら起き出した。 約束どおりにまだ居てくれた青年を見つけて抱きついてくる。一人ずつをぎゅっと抱きしめ、また来るからねと念押しの指きりをして、彼は帰途についた。 青年がもう一度花園を訪れたのは、翌日の夜だった。 道を覚えた自分のドラゴンに乗ってやってくると、夜のとばりがおりた花畑の中に、白い丸い花が道しるべのように淡く発光して並んでいる。 光の標をたどると、そこは大きな樹の根元だった。半月に照らされて手前にたたずむマリアのほの白い姿は、花の香りもしてまるで夜の闇に咲く一輪の水仙のようだ。 このひとはいつもほんのり光を放っているように見えるなと、わずかに目を細めてまぶしく彼は思った。 「いらっしゃい、ルカ。そろそろ来る頃だと思っていたわ」 「相変わらず何でもお見通しなんですね……レディ」 「ママでもよくてよ? 昔のように」 ふふっと笑う姿に苦笑を返して、ルカは青みがかったマントをはねあげ、マリアの前にひざまづいた。その白い手をとり、甲に恭しく唇を落とす。 「礼儀が先ですよ。わが敬愛する巫女姫さまに帰還のご報告を」 にっこり笑って立ち上がると、銀髪にふちどられた頬にも軽くキスをする。 「それから……ただいま帰りました、ママ」 「おかえりなさい。また会えて嬉しいわ」 ルカ自身も花園で生まれ、他の子と一緒にマリアに育てられたのはもうずいぶんと昔の話だ。若々しい彼女の外見は当時からずっと変わらないから、ルカが成長した今ではあまり年の差がないようにも見える。 マリアに挨拶をすませた青年は、大樹に近づき二人の幼子に添い寝しているルシフェルの足元に膝を折った。 大きな大きな世界樹の根元は、寝転べば木の葉ずれにたくさんの星々が見える特等席だ。この花園で寒いということはないから、ルカも知っているずっと昔から、そこは子供達のお気に入りの場所だった。 「遅くなりました」 律儀に礼をとる青年に、ルシフェルは笑って手を振った。無言なのはシエルが胸にひっついて眠っているからだろうが、その隣に寝ていたサラがもぞもぞと起き上がった。 「サラ、目が覚めたのか?」 抑えた深い声とともに伸ばされた大きな手が、優しく彼女の頭を撫でる。両手で目をこすったサラは、ふあぁと大きなあくびをした。 「ルカにーたん、マリアママにちゅーしてた。いいなぁ…」 甘えた声に、ルシフェルの黒い瞳とルカの青緑の瞳とがくすりと笑いあう。 「僕はサラのことも大好きだよ。さあまだ夜だからね、ゆっくりおやすみ」 ルカは一度立ち上がってサラの傍に行くと、サラの髪を撫で頬にキスをして、その小さな身体を元通り暖かなマントに包んでやった。 満足した顔の幼子が、すぐにすやすやと寝息を立て始める。 いつのまにかマリアの手で、そっと響き始めたハープの音色。 ゆっくりおやすみ 愛しい子 朝が来るまで 安らかに 夜もすがら あなたの夢を守りましょう 夜もすがら… それは、とてもとても懐かしいメロディで。 聴きながら幸せそうな寝顔を眺めていると、青年の胸にも何かが温かくひろがってゆくようだった。 (ルカ、望むならお前もしばらくここで暮らすがいい) 子供を起こさないよう、心話で伝えられたルシフェルの言葉。月影を映す穏やかな闇色の瞳は、きっとすべてを知り、すべてを大切に愛しんでいる。 遠くはるかな昔から、ずっとそうであったように。 (ありがとう、ございます) 青年は答え、サラの隣に自分のマントをかけて身を横たえた。 ざあっと風が吹き抜け、さしかける枝々を一瞬退かせる。わずかな間、満天の星々がルカの視界を埋めた。 たくさんの星。たくさんの人。 たくさんの、きらきらとした宝物のような記憶。 辛い記憶も、中にはあるけれど。 それでも、いつかすべては宝石に変わるのだろうとおぼろげに思う。 限られた時の中で一生懸命に生きた、それは比べえぬ輝きには違いないのだから。 明日、目覚めた子供達は自分の姿を認めて喜んでくれるだろうか。 優しい子守唄と花の香りになつかしい安息を覚えながら、彼は眠りの海に落ちていった。 ----- ◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆【外伝 目次】今の「上」でのお話です。ちょうどルシフェルとーさんwが出てくるので、今日のヒーリングの前にアップ♪【陽の雫】も爆破騒ぎが一段落したところですしね。グラディウスの話もここのところで4~5話溜まってきたので、こっちも出していこうかなあ?応援ぽちしてくださると幸せ♪→ ◆人気Blog Ranking◆webコンテンツ・ファンタジー小説部門に登録してみました♪→3/1 ルシフェル・ヒーリング ☆ゲリラ開催☆ 2/28~3/6 レインボー・エナジー・フレイム 一斉ヒーリング
2011年03月01日
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「ではレディ・リフィアが今日休日だったのは、偶然だったと?」 「はい。昨日同僚の代わりを頼まれて出勤して……だから、昨日決まったんですわ」 エル・フィンの声に、飲み物の缶を両手で持ったリフィアがうなずく。 胃が痛くなりそうだったが、ソファのすぐ隣に座るアルディアスの体温を感じてようやく少し落ち着いてきた。 「計画的な犯行じゃねえってことか?」 「でも、あの偽運転手によると、暗殺の準備自体は前からしていたようだけどね」 「マスターの暗殺、軍用車の爆破、レディ・リフィアの身柄の拘束と官舎の襲撃。三段構えのうち、タイミングを見て動かすのに手間がかかるのは、官舎の襲撃ですね」 エル・フィンが腕を組む。燃料電池の取替えは都度だし、整備担当は一応決まっているが誰でもできることだ。車に仕掛けをするのは簡単だった。 考え深げな顔で聞いていたアルディアスが口を開いた。 「私と彼女は心話ができるからね。それが彼らの懸念材料だったんだろう」 もし心話を考慮に入れなくていいなら、暗殺を唆した運転手を捨て駒にしてもろともに軍用車を爆破し、同時にいやむしろ先に、どのようにでも嘘をついてリフィアを拘束してしまえばよい。 軍の道具を使える環境にあるなら、携帯機器の電波を妨害することは難しくはない。 彼女の身柄さえ押さえてしまえば、暗殺あるいは爆破が成功してアルディアスが死んでいればよし、もし失敗しても無事であろうと怪我であろうと、好きに追い詰めることができる。 「だけど官舎に先に襲撃をかけて、落ちる前にレディ・リフィアがアルディアス様と心話をなさった場合、企みのすべてがばれてしまうってことですね」 ニールスの声にアルディアスはうなずいた。 ESP結界もあるにはあるが、アルディアスが強いサイキックであることは知られている。 銀髪の男の到達領域を知らない敵方は、心話がなされた場合の辻褄を合わせるために、どうしても軍用車の炎上を先にしなくてはならなかったのだ。 それが結果的にタイムラグを生み、こうしてリフィアを無事に救い出す隙につながった。 「准将、車が爆発したとき、炎が真上に噴き上がったのは……」 「爆発自体を押さえ込むことも、あの規模ならばできなくもないんだけどね。爆破成功を敵方にアピールしたほうが油断するだろう。といって、周りに被害を出したくはないしね」 穏やかに微笑んだ上司を見て、オーディンは舌を巻いた。 あの運転手が暗殺者でそちらの計画だけを練っていたというなら、爆破を察知して瞬間にブレーキを動かしギアチェンジをしたのも上司なのだろう。 同時にテレポートで彼らを逃がし、自分は爆発を制御するために戻った。 一瞬とも思える間の時間に、どれだけのことを考え、行動しているのだろう、この人は。 その考えが表情に出ていたのだろう。銀髪の上司はオーディンを見ると、困ったように肩をすくめた。 「そんなに理詰めに考えていたわけじゃないよ。咄嗟のことで、身体が勝手に動いただけさ」 アルディアスの戦歴は十五年。この場にいる男性では、年下のニールスやエル・フィンよりもかなり長く、三歳年上のオーディンとほぼ同じだ。一瞬の判断に、やはり歴戦の経験がものを言ったのかもしれない。 オーディンの脳裏に、まだ幼さの残る少年のアルディアスの記憶がちらとよぎった。あのとき二人は同じ二等兵だったのだ。 「しかし……アルディアス様を相手にするなら、暗殺も爆破も、容易に失敗する可能性が見て取れますよね。すでに今まで何度も失敗しているのですから」 心配げにリフィアを見やりつつ、ニールスが口を開いた。 結婚前に襲撃に遭ったときも警備にあたっていたから、彼女のことを案じているのだ。 ただでさえ軍人の夫が命を狙われて平気でいられる新妻はいまい。 「私もそれは考えました。マスターの強さは知られていますから」 空になった缶を手でもてあそびながらエル・フィンが続ける。 「計画性はありながらも緩やかなもので、最初から今日と決まっていたわけではないと思います。レディ・リフィアの急な休みに合わせて、突発的な召集がかかったということではないかと……。新婚の気の緩みを狙う意図もあったでしょうが」 「てことは、あまり成功するとは思っていなかったということかよ?」 「そうだね……成功率を考えると、実行部隊はともかく少なくともゴーサインを出した側は、挨拶程度の気持ちかもしれないねえ」 嬉しくない推測結果にアルディアスがため息をつく。 「挨拶かよ」 ふざけんな、とそのへんのものを蹴飛ばしたそうな表情でオーディンが呻いた。 今日は大祭からちょうど一ヶ月。ということは上司は新婚一ヶ月でもある。嫌がらせとしてはある意味上出来とも言えた。 「今後はどうします、マスター」 エル・フィンの声に、アルディアスは隣のリフィアを見やってから答えた。 妻から流れてきた、言葉になりきれない思惟のかけらを拾い出す。 「とりあえず、今回のことは爆発事故、重傷者なしで報告を上げる。爆発自体は音も炎も大きかったし、彼らも失敗したからといって隠蔽はできない。 狙われたことは明白だが、今後はおそらく少しおとなしくなるだろう。首都圏で騒ぎを起すようなテロリストに、ギルドは協力しないからね」 「あ……なるほど」 ニールスがうなずいた。この国の経済力の基盤であるギルドにそっぽを向かれては、いくら黒幕が軍の上層部にいようとも気軽に動くことはできない。 表でも裏でも、どんな作戦であっても軍資金は必要なのだから。 それから、と銀髪の男は続けた。 「今後は私の自宅にはホットラインを設置し、ここにいるニールス、オーディン、エル・フィン、それにセラフィト……私と親しくてリフィアが直接面識のある人間のみそれを使えるようにする。一般通信も遮断はしないが、大事な連絡は必ずホットラインを使用するように。いいかな?」 「アイ・サー。それがいいと思います」 三人とともに、リフィアも少し安心した顔でうなずく。そうすれば誤情報に惑わされる心配はほとんどなくなるからだ。 「リン、一般通信で今日のような情報が入ったときは、必ずホットラインの対象の誰かに問い合わせてね。もちろん、その前に私に心話で確認してくれてもいいけれど。この惑星上ならば、たぶんどこでも通じると思うよ。宇宙は……場所によるかな」 アルディアスの言葉に、思わずエル・フィンがため息をつく。 「惑星上って……どれだけの到達域なんですか、相変わらず」 「うん? 相手がリフィアだからだよ。普通だとそうだな……たとえばエル・フィン、君となら頑張ってあの地方の赴任地あたり、かな」 「充分ですっ!」 のろけているのだか天然なのだか、自覚のない上司に思わず怒鳴ってしまったが、銀髪の男は怒るでもなく笑って続けた。 「君だって、シェーンを介せばティーラとはどこでも惑星上どこでも話せるだろう。私にも守護竜はいるんだよ。それにグリッドラインと繋がっているから、助けがなくても話せるんだ」 「へえ……えっ? マスターに守護竜が?」 初耳だ、という顔で男達が顔を見合わせる。 「シェーンのように三次元的な姿はとっていないけれどね」 面白そうにアルディアスは笑った。 ------- ◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆【第二部 陽の雫】 目次 と、いうわけでお約束の続きです。70話からの引きほどではないとはいえ、あっという間に日が経ってしまってすみません 汗応援ぽちしてくださると幸せ♪→ ◆人気Blog Ranking◆webコンテンツ・ファンタジー小説部門に登録してみました♪→☆ゲリラ開催☆ 2/21~2/27 レインボー・エナジー・フレイム 一斉ヒーリング 2/22 一斉ヒーリング ~ 種蒔きの風 ~
2011年02月22日
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「さすが新婚……」 いまいち状況の飲み込めぬままにオーディンが呟くと、エントランスのドアが開いて厳しい顔のエル・フィンがやってきた。 「ニールス様、そこにマスターが」 「レディ・リフィアを迎えに行かれるそうだよ」 「そうですか。……よかった、マスターが行かれるなら安心です」 「どういうことだ?」 オーディンの声が尖る。エル・フィンが答えようと、口を開きかけたときだった。 (ニールス、オーリイ。エル・フィンもそこか?) 上司からの心話が届いた。オーディンにはあまりサイキックはなかったが、上司のように強い者からサポートをもらえば普通に会話することができる。 (イエス・サー。揃っています) (マスター、ちょうど良かった。ご自宅に向かう動きのおかしい小隊があると知らせを受けて、誤情報を流してきたところです) エル・フィンの声に驚いたのはニールスとオーディンだ。そうか、とだけ上司は答えた。わずかに間をあけて続く。 (そこにいる運転手。私が帽子を借りた彼だがね、炎上の件は恐らく知るまい。だが暗殺要員ではあると思う) 三対の目がいっせいに運転手に向けられる。エル・フィンの絶対零度はじめ、厳しい視線に晒された男ががたがたと震えはじめた。 「おいお前……どうもおかしいと思ったら、ろくでもないこと考えてるって?」 すべるようにオーディンが近づき、あっという間にぎりぎりと運転手の腕をねじあげる。 数日前に会ったとき、奥方はあんなに幸せそうに笑っていたのに。それをこいつらは壊すのかと思うと許せなかった。上司の暗殺計画に加えて官舎の襲撃までとは、どう落とし前をつけてくれよう。 うめき声をあげた運転手の懐から、小さなナイフがすべり落ちた。刃の部分が嫌な色に染まっており、毒刃に仕立ててあるようだ。 まともにやりあったのではアルディアスに勝てないからだろう。 ニールスは黙ってそのナイフを拾い上げると、拘束された運転手の目の際にその鋭い切っ先を突きつけ、にっこりと笑った。 「じゃあ、その話は別室でじっくり聞かせてもらおうかな」 朗らかな優しい青年ではあるが、叩き上げの軍人であり長らくアルディアスの傍に仕えてもきた。 その微笑には上司ゆずりの凄絶さが混じり、運転手は震えながらがっくりと頭を垂れたのだった。 リフィアは不安げな顔で、通信パネルと時計を交互に見やった。 最初に病院から連絡があってから、まだ三十分と経ってはいないけれど。 重傷者はいないと聞いたものの、病院からの連絡となればやはり気になったし、一刻も早く夫の元気な顔を見たかった。 「隊長のご命令でこちらから奥様をお迎えにあがりますので、お待ち下さい」 アルディアスの部隊員だと名乗った赤毛の男は、通信パネルの向こうでそう言っていた。 了承して通信を切ったのだったが、その後のアルディアス本人との心話では、彼自身がこちらへ向かっていると言った。 何がどうなっているのかわからない。 だが心話で届いた彼の声は本物だったから、リフィアは疑いなくそれを信じることにした。アルディアス自身が来るまで、玄関のドアはけして開けるまい。 そう決めた瞬間に呼び鈴が鳴り、思わず飛び上がる。 おそるおそるインターフォンのモニターを覗き込むと、門前に運転手の制帽を目深に被った軍人が立っていた。 「……はい」 「隊長のご命令により、奥様をお迎えに参りました」 リフィアの心臓が跳ねる。 どうしよう。どうやって時間を稼いだらいいだろう。アルディアスが来るまで玄関は開けないと決めた、それはもう絶対に揺るがない。 だから彼が来るまで時間を稼がなくては。 「ええと、その……ちょっと、ショックで、足が」 震えてしまうんです、と咄嗟にリフィアは言った。だから準備のために少し待ってくださいと。 しかしそれを聞いた運転手は、いけませんね、と呟くと門扉に手をかけた。 「よろしければ玄関までお迎えにあがりましょう。門を開けていただけますか」 (リフィアン、私だよ) 片手を門扉に、もう片手で制帽をわずかに上げると、見慣れた藍色の瞳がカメラに映った。 (ア、アルディ?) 絶体絶命かと思った展開に、へなへなと膝が崩れ落ちる。門扉と玄関の電子錠を操作して開けると、制帽を被った人は大股にやってきてドアを開けた。 「リフィア!」 リビングの通信パネルの前に座りこんでしまっている妻に駆け寄り抱きしめる。 「アルディ……」 「よかった、無事だね」 琥珀色の髪をかきあげ唇を落として、アルディアスは華奢な身体を抱き上げた。 「インターフォンの会話は盗聴されているからね。詳しくは後で話すけれど、今の私は一介の運転手だよ、いいね」 用意してあったリフィアの荷物を持ち、若草色の瞳がうなずくのを確認してドアに向かう。 監視する目に見せつけるように、緊急事態で上司の奥方を抱き上げたにふさわしい遠慮深さで彼はリフィアを後部座席に座らせ、自分は運転席に乗り込むと車を発進させた。 途中、何台もの軍用車と行き違う。エル・フィンの流した情報に乗せられて、官舎への襲撃が遅れたのだろう。家にいる限りある程度の攻撃は防げるとはいえ、自分が先に連れ出せたのは僥倖だった。 軍病院の上階には、将官専用の病室や個室がいくつもある。 フェロウ准将の検査の名目でそのひとつを借りたニールス、オーディン、エル・フィンは、縛り上げた運転手に麻酔をかけて続き部屋に転がし、上司の到着を待っていた。 この暗殺者から取れるだけの証言は、すでに三人で搾り取っている。 そこへ運転手然としてリフィアをエスコートした長身が現れた。 個室のドアを閉めて椅子へリフィアを座らせると、アルディアスは制帽を取って上着をはだけ、隠していた銀髪を背へ流した。 「やれやれ。エル・フィンのおかげで間に合ったよ。ありがとう」 「いえ、マルスの功績です。動きのおかしい小隊を見つけて、五分程度の足止めをしたのは彼ですから。結局出発はさらに五分遅れたようですが」 「マルスって、あの熊みたいなやつか?」 「そう。でもハッキングの腕は超一流なんだよ」 オーディンの疑問にニールスが答える。マルスはエル・フィンの潜入捜査に同行した直属の部下であるが、アルディアスの副官として彼はすべての隊員の特徴を諳んじていた。 「では一応落ち着いたところで、何があったかを整理してみましょうか」 室内の冷蔵庫から人数分の飲み物を出して配った後、てきぱきとニールスが言った。 ------- ◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆【第二部 陽の雫】 目次 皆様のドキドキコメントを拝見して、にやにやしていた作家的ドSな私ですが ←あそこであんまりお待たせするのも酷かなと… 笑皆様のご期待に応えられているといいのですが、いかがでしょうか?ご感想お待ちしております~♪応援ぽちしてくださると幸せ♪→ ◆人気Blog Ranking◆webコンテンツ・ファンタジー小説部門に登録してみました♪→☆ゲリラ開催☆ 2/9~2/13 レインボー・エナジー・フレイム 一斉ヒーリング 2/15 一斉ヒーリング ~ 種蒔きの風 ~
2011年02月13日
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夢のように過ぎた結婚式の日から、もうすぐひと月が経とうとするころ。 ヴェールの中央大陸は急ぎ足に秋模様へと衣を変えていた。 セントラルのあたりは比較的冷涼な気候で、真夏の大祭の後に立秋を過ぎると、もう名実共に秋がやってくる。 豊饒の季節はゆったりと長く、過ごしやすい日々が続くのが特徴だった。 基地内を歩いていたリフィアは、向こうから見知った顔が歩いてくるのに気がついた。 ちょうど相手も気がついたらしい。オーディンが気さくに片手をあげるのへ、リフィアは軽く頭をさげて会釈した。 二次会やいただき物のお礼を言っておこうと思ったのだ。 「その節はありがとうございました。あと数日で丁度ひと月になります」 「もうそんなに経つのか。早いな……早いもんだなあ」 ブルースピネルの瞳を瞠り、びっくりした顔でがしがしと頭を掻いている。それから言いにくそうに彼は続けた。 「で……、あ。えーと…、准将殿との生活は、その……」 「世話のかからない人ですから。ありがとうございます」 聞くほうが真っ赤になっているのはどうしてだろう。くすりと笑ってリフィアは答える。 その笑顔が言葉以上に幸せそうで、オーディンはほっと安心した顔になった。 潔斎前にこの笑顔を見たことを思い出し、それがずっと続いていることに安堵する。 幸せでいてほしい。それが彼の望みだった。 そしてちょうど大祭から一ヶ月め。 この日はセントラルでは衣替えで、軍服も一様に冬服に変わる。日中ならばまだ暑さの残る日もあるが、朝晩は冷えて上着が必要だった。 オーディンは銀髪の上司と一緒に軍用車に乗り込み、もう一人が到着するのを待った。 今日はエネルギー炉の視察に行く予定だ。先方の案内人の都合で予定が午前中に繰り上がったと、早めに車が回されてきた。 「では出発いたします」 運転手の声とともに車が動き出す。燃料電池で動く車は音も静かなものだが、それだけではない妙な静けさが歴戦のオーディンの神経を逆撫でた。 「おい、待て。もう一人来るはずだぞ」 「いえ私はお二人様と伺っておりますが……」 言いながら運転手は車を停めない。なめらかに基地前の車廻しをまわって、一般道に出てゆこうとする。 「お前、いつもの運転手じゃないな」 「先方の急な変更で予定がつかず、代わりを申し付けられました。エネルギー炉の視察でございますよね」 「それはそうだが……」 運転手の変更自体はそれほど珍しいことではない。将官クラスになると軍用車も半分お抱えのようになってくるが、アルディアスはそれにこだわらなかった。 しかし、何かがおかしい。 すると、それまで黙っていた銀髪の上司が急にオーディンと運転手の肩をつかんだ。 「脱出するぞ!」 叫んだ声と急ブレーキとギアチェンジがほとんど同時。がくんと揺れた身体がふっと軽くなり、そして重くなったのをオーディンは感じた。 何が何やらわからないままに目を開くと、車から離れた植え込み脇の芝生に運転手と一緒に座っているところだった。目の前に流れたと思った銀髪がひらめいて、次の瞬間にはもういない。 上司の黒革の手袋が、ばんと車のボンネットを押さえた。一瞬の間を置いてドオォン!という重い音が腹に響き、黒炎が真上に噴きあがる。 風になびく銀髪、長身を包む白い光。 上司が自身の周りにシールドを張りながら、爆炎と衝撃を真上に逃がしたのだと気づいたのは数秒経ってからだ。 大きな爆発音に、何人もがこちらに駆けつけてくる。 「マスター、大丈夫ですかっ!」 駆けつけたエル・フィンが息せききって尋ねる。基地内からすでに異変に気づいて、車の動向を追っていたのだろうと思える速さだ。 「ああ、私も、運転手も大丈夫だよ。オーリィ、君は平気か?」 「あ、ああ、お陰さまでな」 オーディンは半分呆然としながら答えた。爆発直後、腰の携帯機器が呼び出し音を鳴らしていたのを知ってはいたが、出ることができなかった。 「まったく、これは許せないな。一歩間違えれば民間人も巻き込むところだった」 そう言う上司の目は冷たく光っている。軍の敷地を出たばかりで、一般車道と合流する手前だった。本当に一歩間違えれば、民間人を巻き込んだ大惨事になるところだったのだ。 「今、救急車などを呼びました。代わりの車がすぐに来ますので、准将はそちらに乗ってひとまず病院に向ってください。オーリィ、君もだよ」 後から追いついたニールスが言う。さすが、副官として素早く手配をしたらしかった。 「え? 俺も? 何の怪我もないのに?」 「一応ね、検査をしないとダメだろう?」 「あと敵方へのカモフラージュもだね。それに、そちらで続きの話をしようか」 炎上する車を見たままアルディアスは言い、先に来た軍用車に乗って病院へと向かった。 慌しくエントランスに着いて車を降り、そういえばリフィアはどうしているだろうと思ったときだった。 昨日同僚の代理で休日出勤をしたから、彼女は今日休みのはずだ。出かけると言っていなかったか? 時間は聞いていなかったか? 心話でそれを尋ねようと思った瞬間、聞きなれた声が頭に響いた。 (アルディ、大丈夫? どんななの?) (リフィアン。何かあったと、どうして知っているんだい?) 少し驚いた口調でアルディアスが返す。合図として片耳に手をあて、急に立ち止まった上司を見て、オーディンとニールスが顔を見合わせた。誰かと、おそらくは結婚したばかりの奥方と心話をしていることに気づいたのだ。 軍病院から官舎までは十キロ以上あるが、この上司にとっては何でもない距離なのだろう。 (え? 病院から連絡が入ったのよ。だからビックリして) 夫の到達域がもっとはるかに広いことを知っているリフィアは、すぐ隣の彼に話すように答えた。 もともと午後早くに出かけるつもりだったからその仕度は済ませてあり、急ぐならば今からでも出られる。 リフィアの声を聞いたアルディアスは、顔色を変えて踵を返した。 怪我人がいないのだから、このタイミングで病院からリフィアに連絡が入ること自体がおかしい。 「准将?!」 「悪いが説明している暇がない。これを借りるよ」 わずかに遅れて救急車で到着した運転手の制帽をとって目深に被り、大股で歩きながら手で銀髪をまとめ、上着の右前を開けてたくしこむ。元通りに前を閉じると、目立つ銀髪は一応見えなくなった。 「それからキーもだ。すまないね」 ふと開いた手のひらに、ちゃらっと音を立てて車のイグニッションキーが現れる。運転手が慌ててポケットを探ったところを見ると、そこから失敬したもののようだった。 カモフラージュで救急車に乗せられて来たものの怪我はないからと、帰りのためにキーを預かっていたのだ。 (リフィアを迎えにいく) オーディンやニールスが口も挟む暇がないまま、心話で二人に言い置くとアルディアスは車に乗り込み素早く発進させた。 (アルディ、大丈夫なの? そっちに行ってもいいの?) 慌しい気配を察したのか、リフィアの声が少し不安げに揺れる。 落ち着かせるようにゆっくりとアルディアスは言った。 (大丈夫。今向かっているからね。家を出ないで待っていて) 結婚してから、官舎に施した結界はかなり強化している。 自分が狙われることを知っていたし、何より彼が長く作戦で不在の間、少しでもリフィアが安心して過ごせるようにしたかった。 だから家から出さえしなければ、リフィアは安全なのだ。 (私が直接行くまで、玄関を開けてはいけないよ) なるべく穏やかに、自らのピリピリした焦りを隠して彼は続けた。 もしも自分が敵方なら、軍用車の爆破と同時にリフィアの身柄を押さえる。彼女がアルディアスの唯一といっていい家族であり弱点であることは、周知の事実なのだから。 ------- ◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆【第二部 陽の雫】 目次 読んでくださってありがとうございます。ご感想大募集中♪いただけると小躍りして喜びます 笑応援ぽちしてくださると幸せ♪→ ◆人気Blog Ranking◆webコンテンツ・ファンタジー小説部門に登録してみました♪→☆ゲリラ開催☆ 2/9~2/13 レインボー・エナジー・フレイム 一斉ヒーリング
2011年02月10日
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「よう、死神。元気か?」 トレイを持って向かいに座ったのは、薄青い瞳の狼、ラリック。 呼びかけと問いかけに矛盾があるような気がするが、当人はまったく気にしていないらしい。 グラディウスが無言で皿の中身を飲み下していると、人間の男の姿をした狼は声をひそめた。 「ルーと組んだときどうだった」 言われて目をすがめる。ルー? ……ああ、あの赤毛の女か。 「動きは悪くない。ただ食い合わせが悪かったようだ」 「デュークが寝込んだってな」 言いながら彼は豪快に揚げ物にかぶりついた。 銀髪の男は空になった食器を押しやり、煙草に火をつけた。 何を食べても砂を噛むようなのは、ここの食事が味気ないのか自分の味覚が壊れているのかわからない。毒見役や薬毒物の判別訓練はしているから、甘い辛いなどの差はわかるのだが、その感覚に対する感受性が鈍いということなのかもしれなかった。 現に正面の男を見ていると、それなりに旨そうに食べているようだ。 ということはこちらの味覚がおかしいのだろう。 そんなことを考えながら吸い込んだ煙が肺を満たす。 食い物の味はわからないが、酒と煙草はきついものを好んでいた。 おそらく味云々以前の刺激を欲しているのだと思われる。 奴は口を動かしながら顔を上げると、とっくりと人の顔を眺めてきた。 「アサシンの腕も超一流と聞いてるぜ。逃した獲物はいないんだろ。戦闘員に転籍したのは、身長が伸びすぎたからだそうじゃないか」 「……」 狼の瞳がにやっと笑った。 前に座る男は制服組だ。彼らの前に、前線に出る戦闘員の個人情報はすべて開示されている。今さら驚くようなこともない。 暗殺者を辞めたのは、成長を薬で止めるべきか上層部が悩んでいるうちに、こっそり動くには目立ちすぎるほどこちらの背が伸びてしまったからだった。 「上層部はまた悩んでるのさ。お前がデュークと組んだときの作戦完遂率・生還率の高さと、ルーと組んだときの戦術価値。どちらを優先させるかってな。 お前は相変わらず単独行動なんだもんな。特殊だよなあ」 こちらを見たままフォークを次の一切れに突き刺す男の目がきらりと光る。 戦闘員は通常、二人一組でのペア行動が基本となる。 しかしグラディウスの場合、つりあうパートナーが現れないということで例外的に単独行動が認められ、それですでに数年が経過していた。 だからパートナーを探すという目的で、さまざまな戦闘員と組まされる。 先日ルーと組んで出撃したのも、それを試す意味もあったのだろう。しかし記憶抽出時の食い合わせがよほど悪かったのか、担当司令官が寝込んでしまったためチームに彼女を移動させる話はお流れになった。 「死神と組んでくれると安心なんだがな」 ぼそりと聴こえた小さな声は、もしかしたら本心かもしれない。 彼女が珍しい女性戦闘員ゆえにごろつき共に常々狙われているということも、それがこの男の女ということになってから減っていることも耳に入っていた。 声を戻して狼は続けた。 「お前のデータを見たが、単独出撃、チーム出撃共に成績はダントツトップ。他の追随を許さないとはこのことだよな。それでいて、基地内でのリンチや事件に寄与したことはない。この基地にいて品行方正ってのはありえないが、お前なら安心できる」 「狼の噂も聞いている」 無表情のまま、グラディウスは煙草の灰を落した。 目の前の狼も相当の手練れであり、だからこそ彼女の安全はより護られているはずだ。 「死神、お前の好みはあの双子なんだろ? それならルーは外れるよな。いや、他の野郎共より百万倍ましなんだが」 そんなことをふざけた仮面の下で真面目に呟くから、思わず目が広がってしまった。 ラリックまであの噂を信じているところを見ると、双子が死神の庇護下にあるという説はかなり根強く広がっているらしい。 まあ、他人からの暴力を防ぐという意味で、物騒な渾名が効いているのは嘘ではなかった。 それに司令官殿もあの双子を気にかけているようだ。 べつに子供は好みではないが、ときには防波堤も悪くは無い。 「お前……?」 紫煙を吐きつつ目を細めて奴を見やると、かすかに赤くなった顔を隠すように狼は大口を開けて中にサラダを放り込んだ。 弱いものを保護したいと思う気持ち。殺伐としたこの世界、だからこそ誰かを何かを守りたくなるのだろうか。 「とにかくだ。上層部は他の司令官でも同じ成功率が出せるか試してみたいようだ。それでルーと組めれば万々歳ってとこだろうな」 「……」 他の司令官。あの泣き虫以外のか。 戦闘員の間に流行るゲームを知らない上層部は、なぜデュークのもとで生還率が上がるのか、その理由をわかっていない。 作戦効率や筋道に加え、それ以外の非論理的な部分が確率を支えているのだから、肌で知らねばわかるはずもなかった。 「で、お前がその司令官候補か?」 返ってきた視線は、半分肯定。まだこちらも確率というところか。 グラディウスは煙草を唇に挟んだまま、トレイを片手に立ち上がった。 「兵隊の貸し出しは司令官殿に頼め。俺はただの駒だ」 「つれない奴。デューが手放しそうにないから言ってんじゃねえか」 「知らん」 言い捨てて、銀髪の男はトレイの返却カウンターに向かった。 ----- 最前線で隣に立つ娘は嬉しそうだった。 女というより、娘と言ったほうがしっくりくるような身体つき。年は知らないがそういってはいないだろう。 親に売られた口だろうが、なまじここの訓練をこなしてしまったのは可哀想なことだ。 娘はうっとりした表情で剣を構えていた。 彼女とは一度組んだことがあり、そのときに癖は飲み込んでいる。性差ゆえの膂力や体力差はいかんともしがたいが、スピードも技もあり頭もいい。 組んで悪い相手ではなかった。 合図と共に並んで走り出す。 娘は身軽に敵陣に飛び込んでゆき、右に左に血煙を上げた。 相手を倒すことそのものよりも、わざと太い血管を狙って斬っているのがわかる。赤い血を浴びて恍惚としていた。 狂っている。 ここにいる奴らは、こうして誰もがどこか狂っているのだ。 もちろんグラディウス自身も、息をしている生命を殺めても何も感じないくらいには壊れていた。 人として壊れなければ自分自身が生きてゆけない、ここはそういう場所だ。 退避命令が出ても娘はうっとりした顔でさらに前進しようとしていたから、グラディウスはその剣を奪って娘の身体を肩にかついだ。 離せ降ろせと暴れるから面倒極まりないが、命令が聞こえていても従わないのでは仕方がない。 抱えて戻るのは前回に続いて二度目だったが、後で聞いた話では毎度のことだそうだ。 この娘とチームを組んでいる奴はさぞご苦労なことだろう。 しかしながら食い合わせはまたも最悪のようだった。 おそらくは娘に投与されているサイキック増強剤の影響だという話だが、狼もこちらの司令官殿と同じく回旋症にかかり、己の吐いた反吐の中でのたうちまわって寝込んだという。 それから、グラディウスと彼女を組ませようという戦略部員はいなくなった。 <デューク - Rondo ->http://blog.goo.ne.jp/hadaly2501/e/0f99b151debca9dc47508151054c2077<デューク - Ophiophagus ->http://blog.goo.ne.jp/hadaly2501/e/50168df21dd9ff8cf44e0e26a26b959b----- ◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆【外伝 目次】これまた予告していた狼さんのお話。あの施設では、渾名というか二つ名をつけて呼んでいたようなのですね。本名はラリックさんですwグラディウスの二つ名は死神でした…っていつついたんだろうなあ。 ←応援ぽちしてくださると幸せ♪→ ◆人気Blog Ranking◆webコンテンツ・ファンタジー小説部門に登録してみました♪→ 2/8 一斉ヒーリング ~ 大地の祝福 ~
2011年02月07日
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「ごめん、また後で連絡する」 キッチンから(きゃっ)というリフィアの小さな悲鳴を耳にして、アルディアスは端末で行っていた相手との通話を打ち切った。 (どうした、リ「フィアン?」 心話から途中で肉声に切り替えたのは、書斎から台所へテレポートして直接彼女の後ろに立ったから。 「え? なんでもないわ…」 呆気にとられた顔のリフィアが、長い琥珀の睫毛をしばたたく。頬を押さえている片手をそっとどかせ、顎に指を添え上向かせてよく見ると、白い頬に少しだけ赤くなった箇所があった。 彼女の言ったとおり、そう大したことではなかったのだろう。 「…うん。ちょっとだけ赤いよ」 わずかな火傷に指を当てるとそれだけでエネルギーが流れて、あっという間に傷は消えていった。 「ありがと。でも大袈裟」 長身に腕を回しながら、リフィアは笑った。 ピリピリとあった熱感が消えたことで、逆に火傷があったのだと気づいたくらいの小さな小さな怪我。 しかしアルディアスは真面目な顔だ。 「そんなことないよ。他には無いね?」 抱き返した妻がうなずくのを見て、ようやくほっとしたように微笑んだ。 職業軍人だから自分が怪我をすることには慣れているのだが、リフィアに何かあるとつい緊張してしまう。 それはたぶん、どんなにヒーリング能力があっても、彼女の傷も痛みも、本質的には代わってやれないことを知っているから。 跡形もなくなった頬の箇所に軽く唇を落としてから、思い出したように彼は身体を離した。 「……と。ニールスに連絡しなくては」 「どうしたの?」 「ちょうど端末で話してたんだよ。それほど緊急の用件ではなかったから、大丈夫だと思うけど」 まあ、とリフィアは顔を赤くした。優しい水色の眼をした副官殿に、それは悪いことをしてしまった。こちらは緊急どころか、ほとんど何でもなかったのに。 上官に通話を突然打ち切られたニールスは、心配げな表情で黙り込んだ端末画面を見つめていた。 折り返しの通話がかかってきたのは数分後だ。 「先ほどはごめん。悪かったね、ニールス」 「いえ。どうなさったのですか?」 「リフィアがちょっと怪我をしたんだ。でもたいしたことはなかったから大丈夫」 「レディ・リフィアが? 大したことがなかったなら、良かったです」 銀髪の上司がどれほど彼女を大切にしているか、婚約前から見ている彼は知っている。 超人とも思える上司の唯一の弱点にして、部隊にとってもとても大切な人。ニールスはそう認識していた。 蜂蜜色の髪を振り、青年はいたずらっぽく目を細めた。 「それにしても熱々ですね、准将。さすが新婚でいらっしゃる」 「おかげさまでね」 画面ごしの青い瞳が悠々と笑う。この上司はこのことに関して隠す気がさらさらないらしく、アルディアスの愛妻家ぶりはすでに周知のことだった。 もっとも大祭であれだけ大々的に結婚の儀式を行っているのだから、いまさら隠す意味もないのかもしれないが。 セラフィトに至ってはそれを手放しで喜んでいる。これで奴も自分を大切にするだろう、というのが彼の言い分で、ニールスやオーディンもそれには全面的に賛成であった。 リフィアが部隊にとっても大切な人という所以だ。 「……ニールスお前、よくあの状況で『熱々ですね』なんて笑って言えるよなあ」 通話が終わると、隣のオーディンが頭をがしがしと掻いた。 当直で通話に同席していたのだったが、上司の言葉を聞いているうちに彼のほうが赤面してしまったのだ。 思考が止まり、どう返していいかわからず固まっている黒髪の男に、上司は軽く苦笑を投げただけだった。 ニールスはため息まじりに年上の僚友を見やった。 「そりゃあ、これくらいで固まってたら副官なんてできないだろ。准将は大声でのろけたり公私混同したりはなさらないけど、レディ・リフィアのことをいつも第一番に考えてらっしゃるのは間違いないし」 「うん、まあ……それはそうだな」 ブルースピネルの瞳を考え深げに沈めて、オーディンが腕を組む。ニールスが声をひそめた。 「それに、ほら……ご結婚前にも、レディが狙われたことがあったろ? 別に宣伝してなくたって、准将の彼女ってだけで狙われたんだ。それが今は、大祭の映像がこのヴェール中に報道されてる。仕方のないこととはいえ、准将はご心配なんだよ」 アルディアスは、自分が狙われていることを知っている。 若くしてあれだけの能力を持ち、さらに軍籍と神殿籍の両方で権力を持てば、本人にまったくその気がなくとも独裁を憂慮したり恐れたりする者もあろう。 彼はどの派閥にも属していないが、逆に目の上の瘤と思っている人間もいないとは言えない。 どう振舞っても睨まれるのだ。 彼がただそのままの彼であろうとするだけで。 諦めたようにため息をついて苦笑する上司の姿を、オーディンも見かけたことがあった。 アルディアスが権力の行使に興味を持っていないことは、少しでも近くにいた者なら誰でも知っている。 流れるような銀髪に深い藍色の瞳で、見ているものはきっと、地上の権力など届きもしないようなはるか遠く。 それでも、いやそれだからこそか、憎む者はいるのだ。 それはまるで、皆を照らす月や星が自分の手に入らないと泣く子供のようだと、オーディンは思う。 (私が狙われるのなら、構わないのだけどね) ため息まじりの呟きは、子供誘拐事件や襲撃事件の色々を整理しながらの合間だった。 何よりも大切なものを得て、強くなったのか弱くなったのか。 自分であろうとするほどに憎まれ、愛する人の危険性が増すという状況はどれほどの心痛であろうか。 自分がいつも傍について護ることもできないのに。 黙り込んでしまった僚友に、ニールスは笑ってみせた。 「だからさ。オーリイ。俺は嬉しいんだよ、准将がレディのことを嬉しそうに話されるとさ。過保護でもなんでもいいから、末永く幸せでいらしてほしいんだ。だから俺も、できることをしたいと思うんだけど……」 上司が奥方の危険に過敏に反応するのは、狙われる可能性について常に頭の隅にあるからだ。 その不安を軽くするためなら、副官としてできることは手を尽くしたいとニールスは思う。 しかし、どこまであの人の役に立てているか……そう考えると、自信など何もなくなってしまうのだった。 (君でなければ駄目なんだよ) そう、准将は言ってくれたけれど。 どんなに考えをしぼり手を伸ばし足を使っても、まだ足りていない気がする。 あの人の信頼に応えたいと思うから、期待以上に応えたいと思うから、いつも背伸びしてそれでも足りないと自分を断罪してしまう。 「お前はよくやってるよ、ニールス。俺には真似できねえといつも思うもん」 青年の考えを読んだようにオーディンが口を開いた。彼にはサイキックはほとんどないはずだが、時々人の心にやすやすと沿っては、ふとその人の荷物を軽くしてくれる。 それは能力などと言う以上に、彼の人としてのありかた、そのものなのだろう。 「……そうかな」 少し弱気になった後輩の発言に、黒髪の軍曹は片眉をくいっと上げた。 「おうよ。百人ぐれえいるの部隊員の中で、お前がいいって准将殿が選んだんだろ? ってことは、お前にしかできない仕事だってことだろ。それも、あの時のお前でいいってことだよ」 「あの時の?」 「准将殿の部隊が決まったときさ。そっから先、お前が頑張ったり成長した分は立派な『プラス』だ。それでいいんじゃねえか?」 お前の悪い癖は、自己評価が低すぎるところだ。そう言ってオーディンは笑った。 副官として類稀なる実務能力や卓越したバランス感覚を、この後輩はまったく自覚していない。 部隊長は惑星の大神官を兼ねていて、軍内一忙しいのではないかと思われる。軍務と神殿仕事との兼ね合い、日程や仕事量の調整。 人を見る繊細な鋭いまなざしと勉強熱心さ、細やかでさりげない心配りと、どんなに激務の中でも忘れないユーモアのセンスと朗らかさ。 上司が安心して自分の仕事に没頭していられるのは、副官が有能だからだ。この青年は彼自身が思っている以上にずっとしっかりと部隊を支えているし、彼を副官に抜擢したのは、まさに適材適所だったとオーディンは思う。 もし彼でなかったなら、フェロウ隊がこれほどスムーズに動けることもまたなかっただろうというのに。 けれどもその謙虚さもまた、青年の愛すべきところでもあるのだろう。だから黒髪の男の口から出たのは別のことだった。 「だいたい俺だったら、会議なんかすぐ寝るか書類に相手の似顔絵でも落書きしてるぞ。くそ眠い会議に真面目に出てるだけでも、お前はとても偉い」 「……なんかあんまり嬉しくないんだけど。もうちょっとましな褒め方ないのかよ」 「うるさい。おらっ、もっと自信持て。俺達も頼りにしてんだよ。あの上司殿に面と向かってストップかけられる部下はそうそういねえんだから」 それだけでもお前、部隊での価値はすげえぞ。 大笑して、黒髪の男は豪快に僚友の背をばしんと叩いた。 ------- ◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆【第二部 陽の雫】 目次 ふと見たら去年の立春はプロポーズ話だったと知って驚愕。と、とりあえず結婚は終わっててよかった。。(そこか今年の立春は大事な副官さんのお話にしてみました♪新婚話が混ざってるのは気のせいです。 ←副官さんが気の毒ですね、っていうのは正解です。 ←←ニールスさんごめん 爆応援ぽちしてくださると幸せ♪→ ◆人気Blog Ranking◆webコンテンツ・ファンタジー小説部門に登録してみました♪→☆ゲリラ開催☆ 1/31~2/6 一斉ヒーリング ~ 女神達の楽園へ ~
2011年02月04日
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組織にはリフレッシュ戦というものもあった。だいたい年に一度ほど、戦略部の司令官達が作戦指示ばかりで実戦能力が鈍っていないかどうか、戦闘員とともに参戦させられるものだ。当然、鈍っていれば戦死となる。そのために専門戦闘員たちがフォローに回るわけだが、傲岸で兵士に嫌われているような司令官は、生きて基地へ帰ってくることはほとんどなかった。特に味方から傷つけられるわけではない。ただ適切なフォローのあるなしが、過酷な戦場では紙一重の生死を分けていた。グラディウスがデュークについてリフレッシュ戦に出たのは、彼らが組んで一年ほど経ったころだった。グラディウスは他を圧する長身である。その長い銀髪と紅い瞳が目を惹き、敵味方から「死神」と恐れられている。デュークも一回り細いくらいで、体格はほぼ変わらない。黄緑の瞳を光らせ、血刀を振るうデュークをグラディウスは黙って見やっていた。剣筋には性格が出る。左利きの司令官殿の剣は実戦的で無駄がなく、あやまたず敵の急所を狙っていたが、どこか優しい。やはり<泣き虫>なのだな、と彼の渾名をおもしろく思う。目前の敵兵を危なげなく片付けた後、蛍光色の燐光を放つような瞳でデュークが相方を見た。「これは気楽でいいな。お前には足手まといで申し訳ないが」「いや」短く答える。これは嘘ではなく、実戦に出たての新兵どもより、デュークの腕前ははるかにましだった。コンクリートに囲まれた侵入経路。左手の広い通路から敵兵の一団が駆けてくるのを認めて、グラディウスはそちらへ踏み出した。剣気なのだろうか、重く大きな空気の塊が動いた気がして、思わずデュークが足に力を入れる。高速で重装甲車両が脇を通り抜けていく時に似た、ぶわりと煽られそうなほどの空気の流れ。そして次の瞬間にはグラディウスの手には血のしたたる長剣があり、敵の半分近くはすでに倒れていた。デュークはグラディウスの担当として、彼の戦闘は「蒐集家の小部屋」ですべて追体験している。戦略部員一人で2人の戦闘員の記憶を担当するから、グラディウスと共に戦った人間の記憶も追ったことがあった。しかし間近に体験するその速度と体感は、深度催眠から導き出されるものとはやはり質感量感ともに異なる。(これは、隣に立つ者は怖がるだろうな)グラディウスの戦いをじかに自分の感覚で捉えてみて、デュークは一人ごちた。銀髪の長身が踏み出したとき、一瞬遅れたり身を引いたりする視点の揺れ。至近距離から飛び出した戦車を無意識に避けようとするようなものだろう。そしてあっという間に積みあがってゆく屍の山、返り血を浴びて赤く染まった長躯。それらの恐怖から「死神」の呼び名が味方にも広がっているのだと思われた。グラディウスの戦績は良く、彼が出ているときの味方の生還率は高かったから実際には誤解なのだが、こうして隣に立ってみると、そう恐れる気持ちもわからなくはない。デューク自身は、怖いとは思わなかったが。そんなことを考えていたのは、時間にすればほんの何秒かであったろう。もちろんその間警戒を怠っていたつもりはないのだが。「動くな!」突然響いた怒鳴り声にデュークが呼吸と動きをぴたりと止めた刹那、圧倒的な質量が彼の正面に迫った。赤をまとった銀色の筋が、顔のすぐ横を豪速ですり抜ける。思わず見開いた黄緑色の眼に、デュークの背後を見ている紅い瞳が間近で映った。数瞬ののち、無言で剣をひきながらグラディウスが一歩下がると、いまさらに背後からあがる呻き声。振り返った視界に入ったのは、眉間を貫かれて崩れ落ちる敵兵の姿だ。「……すまん」呼気とともにデュークが言う。グラディウスは油断なく周囲に眼をくばりながら、わずかに片方の肩をすくめただけだった。いくら警戒を怠らずとも、相手の力量が上ならば知らぬ間に忍び寄られることはある。仕方のないことだ。その横顔はそう語っているようで、気にもしていないふうではあったが、デュークの身体に冷たい汗が吹き出た。実戦に参加すると、自分のミスが戦闘員ではなく、自分自身に跳ね返ってくるのがいい。だがそのフォローにグラディウスが入るのでは意味がない。(適当にしてはいられないな)デュークは改めて身をひきしめた。(このままでは自分が遅い。足手まといになる)短く目を閉じて息を吸い込み、ぐっと自らのギアを引き上げる。開かれた瞳は黄緑の燐光がひときわ増え、ゆらめく鬼火のように見えた。デュークの様子が変わったことを察知したグラディウスが、無言で司令官を見やる。立ち姿から違っている。(<再生>か?)司令官は、戦闘員達の戦闘記憶そのままを追体験している。深度催眠によって自分のことのように体験したそれらは、当然記憶として司令官の中にも蓄積されている。そのため、実際の戦場でそれらを<再生>して同じように戦おうとする司令官が多かった。いや、自分の記憶として蓄積されるようなものだから、(自分はできる)と思い込んでしまうのかもしれない。だが実際は、人間が違うのだからそのパワーもスピードも技術も、もっと言えば体格やリーチ、攻撃のタイミングや衝撃度がいちいち違ってくる。それらを飲み込んで消化できていない司令官の<再生>は、まるで幼児のお遊戯のようだった。やらないほうがまだまし、というレベルだ。デュークが再生をかけようとしているのは、横にいる自分だろうか。グラディウスは元は右利きだが、幼少時からの訓練でほぼ両利きに剣を扱えるから、彼が左利きでも問題はなかろう。さてどうなるか、と見ていた矢先のことだった。威嚇の叫び声とともに、ばらばらと敵兵が通路の曲がり角から走り出て来る。それに向って、グラディウスの隣から鉄の塊のような質量を伴って風が走った。その風は黄緑の燐光を散らしつつ、左腕の剣を振るう。剣筋はさらに無駄も隙もなく、なにより先ほどよりも数段早い。追って走ったグラディウスは、デュークの右に立って縦横に剣を薙いだ。しぜん二人の長身が半背中合わせになる。司令官殿の通った後にちらりと視線を投げると、自分が通った箇所とほぼ変わらない死屍累々の様子。その致死傷の場所や倒れ方から見ても、自分の剣筋とかなり似ている。(これは……)面白そうにグラディウスは唇の端を上げた。わざと半歩遅れて付き従い、デュークの剣技をじっくりと見る。見れば見るほど、それは技もスピードも自分の動きと同じだった。さらに敵に囲まれ、互いに背を預ける形になっても何も心配がないというのは珍しいことだ。その分前方の敵に集中できる。いくら<再生>をかけても、こうしたグラディウス自身が体験しづらい状況まで同じく真似できるわけがない。とすると、デュークのやっていることはリロードよりもむしろダウンロード、あえて言うなら相手を憑依させるようなものか?(面白いな)珍しく心躍らせて、高揚する気分のままにグラディウスは戦った。今まで何人もの司令官のリフレッシュ戦につきあったが、たいていはろくな<再生>すらできはしない。なのに一足飛びにそれを超えて<憑依>だって?(デューク、と言ったかな。面白い奴)普段人の名前など覚えようともしない彼が、前を走る背を興味深げに見つめる。戦場には血なまぐさい風が吹いていた。----- ◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆【外伝 目次】数日前にボイスとついったで呟いた、グラディウスの外伝です。埋もれていたので出してみましたw<憑依>をかけるとグラディウス二人と同じになるので、あんなのが二人並んで戦ってたらそりゃ怖かろう 爆そしてあともうひとつ、狼さんの話があるのを思い出したんだけどwおーい、どうします~? (ここで聞くな応援ぽちしてくださると幸せ♪→ ◆人気Blog Ranking◆webコンテンツ・ファンタジー小説部門に登録してみました♪→ ☆ゲリラ開催☆ 1/24~1/30 一斉ヒーリング ~ 女神達の楽園へ ~ ↑あと一晩ですが^^; 2/1 一斉ヒーリング ~ 大地の祝福 ~
2011年01月30日
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「食事、されましたか? マスター」 上司のデスク前に痩躯を立てると、単刀直入にエル・フィンは問うた。 「えー…っと」 藍色の目があらぬ方を見やる。これは誤魔化そうとする前兆だと気づいたエル・フィンは、ややきつい調子でたたみかけた。 「いつ食べました?」 「いや、寝る前だから、昨日食べたよ」 「……三十時間以上、一睡もなさってないと気づいてますか?」 鋭さを増してゆく碧眼に、銀髪の上司は困ったような苦笑を投げた。 「そうだったっけ?」 「そうですっ! まったく、どうして貴方という方は……!」 人間をやっている以上、この上司も食事をしなければエネルギー補給ができずに倒れるはずだ。それが常識というものだろう。 なのに実際には仕事が立て込むと、下手すれば平気で食事するのを忘れている。 しかも一食や二食ではないあたり性質が悪く、近くで見ている部隊の人間は皆心配しているのだ。 エル・フィンはひょんなことからこの戦艦の料理人に確認を頼まれて以来、隊員達の代表のような立場で食事チェックをする役目になっていた。 本気で騙そうと思えば簡単だろうに、尋ねれば嘘は言わないところが信頼されているとも感じるし、おそらくは一種部下とのコミュニケーションとして楽しんでもいるのだろうが……。 とはいえ、心配なものは心配だった。 作戦中はよくあることだというのが、衛星奪取のために往復している一週間弱の間にもわかってしまっただけに。 エル・フィンは眉間に皺を寄せて盛大なため息をつくと、手に持っていた盆を差し出した。 「……サンドイッチと飲み物を持ってきました。書類見ながらでいいですから、つまんでください」 「ありがとう。悪いね」 素直に礼を言って、アルディアスは盆を受け取った。後で艦の料理人にも礼を言っておくつもりだ。 「マスター、つかぬことを伺いますが。レディ・リフィアは料理はお上手なんですか?」 上司が実際にパンを口に運ぶのを確認しつつ、結婚したばかりなのを思い出して問いかける。 すると、アルディアスは他意もなくにっこり笑って答えた。 「うん、上手だよ」 「……わかりました。失礼します」 無表情にうなずいて踵を返す。 ということは、家に帰ればきちんと食べているのだろう。 (基地勤務のときはなるべく残業させずに、とっとと家に帰そう) エル・フィンはそう心に誓った。二人のやり取りにそれとなく注目していた部隊の他の人間達も、同じ想いだったに違いない。 それからアルディアスが基地勤務のとき定時で仕事から上がると、部内にほっとした空気が漂うようになったのだった。 数日後の中央基地。 当直の勤務シフトが発表されたフェロウ隊では、珍しくいささか険悪な空気が醸されていた。 「誰だよっ、准将を夜勤のシフトに入れやがったのは」 「俺じゃねえよ。新入りだろ」 他部隊から異動してきたばかりの青年が、満場の白い目を向けられておたついた顔をする。思わずすがるように見上げたエル・フィンの碧眼は、ほとんど絶対零度に近い温度だ。 「あ……その……。軍律にそって入れたんですが、いけませんでしたでしょうか、少尉」 「……いや。見ていればわかる」 エル・フィンは冷ややかな一瞥を残して身を翻した。軍律にてらせば正しく、叱るわけにはいかない。 しかし数歩進んだところで、渋い顔のニールスと目が合った。副官としてアルディアスの予定をチェックしに来たのだろう。 下士官との連携をはかり友好を深めるという理由で、基地勤務の当番には将官の名前も入ることになっている。もっとも名前だけ、あるいは権限を使って事実上除外にしている上官も多いのが事実ではあるが。 「すみません、ニールス様」 「仕方がないさ。他から仕事が回ってこなければいいが」 ニールスは肩をすくめた。勤務表に入っていれば、アルディアスは火急の用事がない限りきちんと出勤する。その公正さも部下達から慕われる要因であるだけに、権限を使って回避してほしいとも言いがたいのだった。 当日の夜勤では、一応交代で仮眠をとることになっている。 デスクで端末を叩いていたアルディアスは、夜更けに時計を見ると部屋の部下達に伝えた。 「そろそろ交代時間だから眠っておいで。前の人を起こして」 「はい。准将は行かれないんですか?」 立ち上がった例の新人に部屋中から視線が突き刺さったが、本人は気づいていないようだ。 苦笑したアルディアスは、目の前に積まれた書類の一部をひらひらと振ってみせた。 「後で行くよ。いいから、仮眠室が埋まる前に行っておいで」 そして新人が仮眠から帰ってくると、すでに昼勤務への引継ぎになる時間だった。 慣れない引継ぎをこなしてふと見やると、銀髪の上司は変わらずにデスクについていて、ただ書類の山がかなり減っている。 「あれ……准将は仮眠とってらっしゃいました?」 「とってるわけねえだろう、あの仕事量で」 「お帰りにはならないんですか? 勤務時間終了ですよね」 「……」 いらんことしやがったのはてめえだろ、という顔でぎょろりとオーディンは新入りを見た。 脳天にげんこつでも入れてやろうかと思ったが、青年のおびえた顔を見てため息をつく。 「仕事押しつけやがった奴がいるんだよ。お前は引継ぎ終了か? それじゃ特別に昼勤務も申しつけてやるから、今日が終わるまでこの部屋にいろ」 山のような書類がどさりと渡される。何気なく聞いたつもりだった若い青年は半泣きの表情になった。通常は、夜勤の後は休みになるのだ。 しかし周囲を見渡しても、誰も助けてくれそうな人がいない。 昼勤務にやってきたエル・フィンは、涼しい顔でデスクについている上司を見やってため息をついた。またか。 フェロウ隊の隊員達が上司の夜勤を嫌がるのは、なにも堅苦しくなるとかうるさいとかいう理由ではない。 アルディアスは淡々と仕事をこなして部下に対しうるさいことは言わないし、冗談にも鷹揚だ。 そうではなく、部下達は仮眠や食事に行かせておきながら自分はなかなか行かないことが問題なのだった。 食べない上に寝ないで、どうしてそう平気な顔で生きていられるのか聞いてみたい。 うっかりすると、本当に人間じゃなくなるんじゃないだろうか、この人は。 やがて昼勤務の時間が過ぎてゆくと、だんだん新人が不審げな表情になってきた。 不規則な軍隊生活そのものが浅いとみえて、少ない睡眠時間に如実に疲れた様子をしている。 「あの、先輩……准将、寝てらっしゃらないんです、よね……? 演習も訓練も仕事も、当たり前のように普通になさってますけど……」 「そうだよ。しかもまだ食ってねえだろう、あの人は」 苦虫を噛み潰した表情でオーディンが答える。 あの上司殿は、とにかく寝ている、食べているのを見た記憶がほとんどない。 飲み会の時などは付き合いで食べているが、いつも机のそばに行くと、真夜中でも手元のランプに照らされながら、穏やかに顔をあげる印象しかないのだ。 寝ない食べないで、ますますどこへ行ってしまうのだろうと心配になる。 今も二人の視線の先でアルディアスはまったく平然と業務をこなしており、新人のようにあくびを漏らすでもなく、無理をしているような風情はなかった。 とはいえ好きで連続勤務をしているわけではなく、少しでも早く帰るために仕事を片付けていたのだ。だが何を誤解されているのか、夜勤にいるとわかると他部隊から別の仕事を押し付けられることが多かった。 つき返しても逆に複雑怪奇な様相になった後始末が回ってくることになるため、ため息をつきつつ処理しているだけなのだ。 「本人は無理はしていないと言うし、まあ実際元気ではあるんだが。上司が仕事ができて冷や冷やする経験ってのは、この部隊ならではだよな」 「無理の範囲が一般の人と違うんだ、あの方は。少なくても1.5倍は広い。……というわけで、この部隊の存続を望むなら、今後夜勤のシフトに准将は入れないように。わかったか?」 「アイ・サー」 心底納得した表情で新入りが敬礼するのにうなずくと、エル・フィンは遅い昼食に上司を誘うために立ち上がった。 ------- ◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆【第二部 陽の雫】 目次 日常のひとコマなどw応援ぽちしてくださると幸せ♪→ ◆人気Blog Ranking◆webコンテンツ・ファンタジー小説部門に登録してみました♪→☆ゲリラ開催☆ 1/24~1/30 一斉ヒーリング ~ 女神達の楽園へ ~
2011年01月26日
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奇襲の目的は、衛星Aaを奪取し惑星の浮かぶ宙域を制圧すること。 かつて最前線の戦闘衛星だった頃から時は移り、今では辺境と言える場所になってしまっても、勢力図の指標のひとつとして戦略的な価値は消えてはいない。 Aaの構造は、花が終わり綿毛に覆われたタンポポに似ている。 皿状のアンテナとそれを支えるシャフトが一本、これが1ユニットでその集合でだいたい球体にできており、戦闘衛星だった頃は、そのアンテナの間にレーザー砲などがあったわけだ。 情報の中継基地的な面は元々あったのだろう。それが転用されることになって改装し、三区画ほど他とは毛色が少し違っている。 ニールス達が入り込んで突入待機していたのは、皿状アンテナのシャフトの根元部分、その地下にあたる。防護服を着なくても居られる、有人区画の一番外側にある作業用通路だった。 内部の重力は科学と魔法陣の共用によって制御されているが、全体を均一にカバーしてはいない。 セーブモードならば手動で重力の方向を変え、廊下を進行方向に向かって落ちることも可能だが、先に何があるかがわからないため、彼らは普通に廊下を横移動に使うことにしていた。 ニールスとオーディン率いる小隊は、油断なく警戒しながらもスピードを上げて通路を走っていた。 Aaが惑星の蝕に入り、敵本隊と通信が途絶する期間は約四分。その間に衛星の心臓部分に手をかけねばならない。 走りながらニールスの脳裏には、忘れられない言葉が反響していた。 それは、なぜ自分が副官なのかと上司に問うたときの、その答え。 あれはアルディアス隊が発足してすぐのことだ。 まだまだ穴だらけだった部隊は、前線よりも後方支援に回されることが多く、そのときも野戦病院の支援をしていた。 医師資格を持ち各種の手術にも携わるアルディアスについて、副官を拝命したばかりのニールスは雑用の一切をこなしていたのだった。 何時間にも及ぶ手術を終え、くたくたになって隣の休憩室に入る。机と椅子が一セットしかない、たいして広くもない空間には、病室の声が薄い壁越しに聞こえてきていた。 ひとつしかない椅子を譲ろうとする上司を制して、部屋の隅の給湯器でティーバッグの紅茶を淹れ、湯気の立つマグを渡しながらニールスは笑ってみせた。 「准将にはちゃんと座って休んでいていただかないと困ります。皆すごいって褒めてましたよ。医術の腕も相当なんて、本当に凄いですね」 まるで自分のことを褒められたようにニールスが誇らしげな顔をすると、銀髪の上司は軽く首を振り、疲れた顔に薄い苦笑を浮かべた。 「ありがとう。……でも、凄くはないんだよ」 「私が軍に入ったのは、自分の運命から逃れるためだった。……つまり、ただのエゴだよ。それから、国家の礎となり平和な世界を築くために軍で果てるのもいいとも思った。今でもその思いはあるけれど、私は常に神殿に結ばれているし……」 あたたかなマグに口をつけて、ふっと息をつく。 「……なにより、すべてを置いても大切にしたい人ができてしまった。エゴの極みさ。私が次代の大神官に決まったのは、13歳の時だ。戦場に出たのは15歳、手術の技術などを覚えて医師資格をとったのは22歳くらいかな……けれどね、初めて人を殺したのは5歳のときだった」 力に善悪も優劣もない。それはただ「力」だ。ヒーリングも殺人も同じ力でできるんだよ。もしかしたら私は、最初の殺人の罪をひたすらに償っているのかもしれない。 ただそれだけなのかもしれないよ。 藍色の瞳に遠くを映しながら呟かれた言葉に、ニールスは返事をすることができなかった。震えるくらい胸が苦しくて仕方ない。 ただ黙ってうつむき、立ち尽くしている副官を見やって、アルディアスは立ち上がると青年の肩に手を伸ばした。 「……いや、少し疲れてしまったようだ。詮ないことを言ったね。すまない。忘れておくれ、ニールス」 「いえ。……いいえ」 温かな感触を肩に感じながら、ニールスは唇をかみ締めた。こんなとき、なにか気の効いたことでも言えればいいのに。 彼が入隊したのは家族のためだった。軍人に賛成はしないが、自分で自分の身を守ることぐらいはこの先必要だし、優しいだけでは大事なものは守れないというのが、職人である父親の考えだった。 ニールスも自分というよりは、家族を守るためと思って徴兵に応じた。 訓練後の初陣がとても辛いものだったから、本心は早く故郷に帰りたかったが、同時に、この戦いを経験したらもう帰る場所はない……とも、心のどこかで思っていた。 ずっと昔、幼くして亡くした弟の面影が脳裏をよぎる。あのとき自分は、弟のレーニンを護ることができなかった。 アルディアスの話を聞きながら、父の言う事は正しかったのか、もっと自分が強ければ軍隊に入らなくても、人の命を奪う事もなかったのではないか、そんな思いがニールスの頭を巡っていた。 行くことも戻ることもできず、気の利いた台詞のひとつすら言えやしない。 出口のない答えのない思いがぐつぐつと煮えて、汚れた手術着を着替える背中に、ついにニールスは問いかけた。 「准将。その……どうして自分を、副官に任命なさったのですか?」 その声に振り返った深い藍の瞳が、じっと青年を見つめてからにこりとあの微笑を浮かべる。 「君を信頼しているからだよ」 「でもっ……俺はオーリイみたいに盛り上げることもできないし、剣もそんなに強くないし、できないことばかりだし、その」 「ニールス、副官の最も重要な仕事は何だと思う?」 汚れた衣服をランドリーダストに入れて、アルディアスは手に半分ほど中身の減ったマグを持ち直した。机に腰掛けるようにして残りを飲み干し、給湯器に向かうと今度は二つのマグを紅茶で満たす。 ひとつをニールスに手渡すと仮眠用の小さな折り畳みベッドを物入れから引き出し、そこに座るように促した。恐縮しながら腰掛けたニールスが、紅茶で喉を湿らせて言う。 「上官の意を汲んで以心伝心に動くこと……ですか?」 「まあ、それもあるけれどね」 椅子に座りなおしたアルディアスは、優しい瞳でまっすぐに彼の副官を見た。 「上官の背中を護ることさ。肉体だけではなく、精神的にもね」 「精神的にも……?」 「そうだよ。上官がその人らしく在れるように。そしてその人が堕ちた時には、その背中から撃つように」 私は君に背中を預けている。それは、君になら殺されてもいいということだよ。 だから、私が私でなくなったときには遠慮なく撃っておくれ。 穏やかに語る瞳は冬の夜空のように澄んでいて、その言葉が嘘でも冗談でもないことがわかる。 「君にはそれができる、曇らないバランス感覚と胆力があることを私は知っているからね。どんな才能があろうと、そういう人間でなければ副官にはしないよ」 絶句するニールスに微笑みかけ、アルディアスは二杯目の紅茶を飲み干した。大きな手がぽんと青年の背中をたたく。 そして二人は、連れ立ってまた救護の戦場へと向かったのだった。 あの信頼に応える。 軍人として上司に命じられたからではなく、副官の地位にあるからでもなく、相手がすごい人だからでもなく。 自分が大切に思う存在から向けてもらえた信頼に、応える。 ニールスの想いは、その強さのままに翼となって彼の足を早く動かしてゆく。 訓練で鍛えられた身体は、無駄のない動作と動線で彼を目的の場所まで一直線に連れて行った。 外郭部からの通路は、球体中央部のドーム状の広場に繋がっている。ぽっかりと空いた比較的広いその空間内に浮かぶ、ふた周りほど小さな球体が目指す心臓部と思われる。 コアはドーム内の黄道に沿ってゆっくりと内部を回転しており、その慣性と球体構造によって、衛星全体を衝撃が襲っても内部データの損傷に直結しないよう工夫されていた。 事前調査で衛星のスケルトン画像を入手していたから、構造はほぼ頭に入っている。暗視ゴーグル越しに浮かび上がる、レーザーラインと赤外線ラインの織り模様。 「じゃあオーリィ一番な」 二つの入口を睨み、携帯用のマスクを装着しながらひそひそと言う。 「ちょっ、なんでいきなり俺だよ?」 「俺の昼飯のおかずをとったから」 言いながらその足は器用なステップでラインをまたぎ、部下とともに片側の入口下に細身の身体を張りつかせた。 「とってねえよ! てか今日の飯俺好きじゃねえし!」 小声で話題に乗りながら、同じくマスクを装備したオーディン麾下もすべるように反対側の入口に採りつく。同時に確認した腕時計では、あと残り二分半。よし。 通信機器も介さず、ぴたりと呼吸の合った二人は同時に入口扉の開錠にかかった。わずかに早く開いたニールスの手から催眠ガスが放り込まれ、二瞬後にオーディンもそれに倣う。 内側から押し開けられようとするドアを押さえ、即効性のガスが中に回りきって静かになったところで侵入開始した。ここで約一分。 なだれ込んだ部隊員が手際よく敵通信員を拘束してゆく間に、ニールスはゴーグルを上げ、データバンクの掌握を開始した。 この一週間の作戦の出来がすべてここにかかっている。 今はまだパスワードの開錠まではできなくていい。あと三つの兄弟衛星はデータ集積機能はないことがわかっているから、通信が途絶している間に敵母星へと繋がるラインを切り離し、Aaにまとめて蓄積されたデータを相手も手を出せない状態へと持ち込めればそれでいい。 衛星そのものを掌握してしまえば、データ解析は追々でもいいのだ。 普段穏やかなニールスの瞳が蛍光を纏うブルーにきらめき、指がピアニストのように素早くリズミカルにキーボードの上を踊る。 あの人の信頼に、応える。 「…よしっ」 外郭部でセーブモードに落とした状態を利用して、蝕が終わる直前、蜂蜜色の髪の青年はエラーの自動報告も含めてすべての通信ラインをいったん遮断することに成功した。 同時に上司から携帯機器に本隊到着の知らせが入り、衛星奪取作戦の勝敗は決したのだった。 ------- ◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆【第二部 陽の雫】 目次 きゃー。間に外伝が3つ入ったとはいえ、なんとまあ一ヶ月ぶりでございます。。スミマセン orz そしてニールスさんご活躍の巻♪ ほんと、アルディアスは部隊員に恵まれてました。 応援ぽちしてくださると幸せ♪→ ◆人気Blog Ranking◆webコンテンツ・ファンタジー小説部門に登録してみました♪→1/18 一斉ヒーリング ~生命の海~ ☆ゲリラ開催☆ 1/17~1/23 REF チャクラクリアリングスペシャル☆
2011年01月18日
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月の森は特殊な場だ。 癒しのために特別に創られ保持される場であるため、通常の世界ではいられないような希薄な魂のかけらでも存在し、夢を叶えて昇華することができる。 トールが最初に戻ったのは月の森だった。 それからかつて住んでいたルキアへ移動したが、ここもヒーリングに満ちた場である。癒し手であった過去生が多いためか、双子やグラディウス達の暮らすブルーヤロウをはじめ、手持ちの浮島はどれも波動の安定した、療養に向いた場所となっている。 だから逆に、初めてステーションなどの外界に出るときには注意しなくてはならなかった。 いきなり雑多な気に触れると疲れるし、下手をすると整いきっていない魂の一面が分解してしまうこともあるからだ。 トールは防御に気を配りつつ、なつかしい店に足を向けた。着いたのはほぼデセルと一緒で、マスターがいつに変わらぬ穏やかな笑顔で迎えてくれる。 「…ようございましたね」 客達がカウンターに落ち着くと、マスターは静かに微笑みかけた。いつも通りの何も変わらぬ風情だが、すべてをよくわかっている、そんな感じがする。 二人は顔を見合わせ、それから照れた笑みを浮かべて礼をのべた。 「ボトルはこれだよ」 デセルがキープしていたのは、9年もののラフロイグだ。 樽ごとの個性を大切にした限定販売品は、乾杯して口をつけると、スモーキーな味わいの奥に春の訪れを感じさせるような甘さが印象的だった。 塩茹でした豆を肴に、とりとめもなく話をする。 「そういえば、リンクスに『君はカラーが違うんだね?』と聞いたことがあったね」 ふと思い出したようにトールが言った。翼の夢に潜ってイグニスの彼の前に現れた彼女は、最初瞳とオーラの色が違ったのだ。なつかしい若草の瞳ではなかったから、誰か気づくまでに時間がかかった。 「色を変えるくらいなんでもないわ♪」 答えたのは、隣にいたデセルと一瞬で入れ替わったリンクス。ブルーアンバーの長い髪を揺らして笑う向こうに、もう一人のデセルが笑っている。 思わず目をしばたたくトールの手からグラスを奪って一口飲むと、リンクスはぱちんと片目をつぶった。その仕草はやはりデセルと同じだ。 「なぁに? 貴方だってマリエと同じことでしょ、トール」 「うん、まあ、そうなんだけど」 「そうそう、おかえりなさいの挨拶を忘れてたわ。…じゃまたね♪」 仕事、手伝うわよん♪ 言葉とともに頬に軽い感触を残したかと思うと、また瞬きの間にデセル一人に戻る。 「あいつとならこんなことも出来る。もう一人の俺さ」 グラスをかかげてデセルはにやりと笑ってみせたのだったが、トールは唇に拳を当て、くっくっとおかしそうに肩をふるわせていた。 「なんだよ?」 「いや……その…」 以前に比べてずっと体格の良くなった親友の、「もうひとりの自分」は非常に屈託のない女性で。グラディウスやイグニスあたりが寝転んでいたり座っていたりするのを見つけると、すぐに猫のようにその上に座ってくるのを今のトールは知っている。 「……可愛らしいなと、思ってさ」 彼女の語尾を明るく上げる癖や、薬草を調合する背中になつかれたり、寝転んでの読書中に座られていたイグニスの感触を思い出して、おさまらないくすくす笑いを続けながら答えた。 彼女は彼女であって、全体的に見ると補い合う関係にあっても、デセルをフォローする目的で現れたわけではない。 ただそこに在るから居る。つまりそれは、リンクスの持つ屈託なさや無邪気さを、デセルを構成する魂は元々持っているということだ。 可能性はいくらでもある。それぞれの魂の中には、必ず「奇跡」が含まれていることをトールは知っている。 種々の面を満開の花のように現してゆく魂の、なんと愛おしいことだろうか。 「トールとマリエだって同じだろ。まあ……うちの場合、あいつが本当に解析を手伝えるのかは甚だ謎だけどな」 「イグニスの仕事場では、ラベンダーの香りでよくぐっすりお休みになっていたようだしね?」 「安心しきってるからなあ」 まったくしょうのない奴、と肩をすくめて酒盃を干す人も同じ人ではあるのだが。同じ魂の中でも同じ面の男性性と女性性、それでも顕在する個性が違い、またそれが今の時点では自然なのだから面白いものだ。 話はそれから、人為グリッドのほうに移った。 元々はトールが責任者だったが、世界樹に還る前後にあわせて今はマリエが指揮を執っている。 研究者のトールではグリッドの光を繋いでゆく巫女質が足りないし、巫女のマリアでは技術の話が半分ほどしかわからない。どうしようかと困っていたときに、二人を合わせた新しい人格として出てきたのがマリエだった。 これもまた不思議といえば不思議な流れだが、現実それで破綻なくすべてが回っていることを考えると、人間の思惑を超えて動く魂というものの奇跡的なしなやかさを思わずにはいられない。 公私共にデセルをパートナーとして動く彼女は、じつに生き生きと楽しそうにグリッド司令部の指揮を執っているし、柔軟なその姿勢はリンクスともどこか似ている。 「つまり、女性のほうがこういうことにかけては柔らかく強い、ということなのかな。デセルはストイックだからね」 リンクスの話題で「だからと言って彼女に苦手を代弁させようとは思ってないよ。自分が言ってこそ、行ってこそ、成る。そういうもんだろ?」と言いきった親友に、銀髪の男は杯をかかげた。 「よく言うよ。トールに言われたくないね。……と、そろそろ時間だ」 マスターの目配せを受けたデセルは、トールの手から飲みかけのグラスを取り上げた。普段は二人でボトルを一本空けて仕舞いにしていたのだが、さすがに今日は友人の体調が心配だ。 時間の流れの違うバーで、滞在の目安を教えてくれるように彼はマスターに頼んでおいたのだった。 減りの遅かった琥珀色の液体をぐっと飲み干し、空のショットグラスをカウンターに戻すと、デセルは立ち上がった。 「じゃあ、引き上げようか」 過保護だねえ、と笑いながらスツールを降りた親友の肩を抱くように続ける。 「当たり前だ。これで君に何かあったら、俺が四方八方から首を絞められる」 どれだけ心配しているか。冗談に紛らわす若草の瞳の底に、喪ったときの悲しみを抱き続ける真剣さがある。 応えるべき言葉を見つけられずに、トールはしばし磨きこまれた飴色のカウンターを見つめた。それからベニトアイトの瞳をあげて友を見ると、その眼にバーの柔らかな照明が反射してきらめく。 青い眼は、以前よりずっと深い色になったとデセルは思う。泣くことも忘れ果てるほど激しい経験を越えてきて、今、海の瞳は潤うことをおぼえただろうか。 「今日はいい夜だったよ……ごちそうさま」 「ああ。また来よう」 「お待ちしております」 マスターの静かな笑顔と会釈をうけて、彼らは店を後にした。 ----- ◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆【銀の月の物語 第一部】◆【外伝 目次】おかげさまで、無事バーには着けたようでございますw本編の更新が滞ってて申し訳ないです~(汗なかなか書けないので、なんかキーワードが足りないのかなあ、とmixiボイスとツイッターに呟きましたら、たくさんの方がレスを付けてくださいまして。その結果、「専門書を参考に塩胡椒少々、ガラムマサラ20g、焦げやすいので忘れずにひっくり返し、蒸らした後に蜥蜴のしっぽ、ジャノヒゲの実を加えて卵でとじてマヨネーズをプラス。主菜はサイコロステーキ、但し時期がこないと作れない。」ということになりましたwwwww皆様ノリが良くて大好きですよもうwwwwwというわけで蜥蜴の尻尾とジャノヒゲの実(ってなんだろ?)を探しにちょっと旅に出てきます! (マテ応援ぽちしてくださると幸せ♪→ ◆人気Blog Ranking◆webコンテンツ・ファンタジー小説部門に登録してみました♪→ 1/11 一斉ヒーリング ~生命の海~ ↑今日火曜の21:30まで受付しております♪
2011年01月11日
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嬉しい誘いを受けたのは、寒の入りの澄み切った夜空に細い三日月が輝くころ。 「明日、飲みに出ないか?」 ルキアの研究室に顔を出したデセルの声に、トールは口元を綻ばせた。 「いいね、是非に。君と飲むのも久しぶりだね」 「どこがいい? やっぱりANGELSHAREにしようか。去年のうちに新しいボトルを入れてあるんだ」 若草色の瞳を片方つぶってみせる。モルトバーなのに一人でもボトルを一本空けてしまうデセルだから、酒の強さは折り紙つきだ。 「ああ、マスターは元気かい? ILEACHの香りが懐かしいね。だけど、出戻りは少し気恥ずかしい……かな?」 「千年が半年になったとて、気にしやしないだろ、あのマスターは」 肩を軽くすくめて笑う。時間の止まったようなバーのマスターは、一時間後も千年後も、変わらずに穏やかな顔でカウンターに立っているのではなかろうか。 「たしかにあのマスターは、時間の外側に存在していそうだ。じゃあ、明日。楽しみにしているよ」 嬉しそうにトールが笑った。背後の机の上には、急ぎで託された解析中のデータの山。明日の晩までには少しでも目鼻をつけておきたい。 山盛りの書類と淡い光を吐いている端末を見やって、デセルが眉をしかめた。 「しょうがないけど……あんまり無理するなよ。まだ本調子じゃないんだからな」 「ああ、わかっているよ。明日はリハビリさせてもらうから」 何かあっても君がどうにかしてくれるだろ? 冗談めかした親友に、デセルもにやりと唇の端を上げる。 「じゃ店で落ち合おう」 それからデセルは少し首を傾げ、グレームーンストーンの銀髪に顔を寄せ人差し指を立てて尋ねた。 「覚えているよな?」 モルトバーの場所。ステーションの中でも比較的静かな辺りで、外界に慣らすには良いだろうが、わかりにくいと言えばわかりにくい。 銀髪の男はベニトアイトの瞳を和らげ、安心させるように答えた。 「もちろん。それくらいの記憶力はあるよ」 デセルと別れると、トールは岩山の研究室を見渡した。 半年前に留守にしてからは、彼の過去から生まれたイグニスが使っていた本に埋もれた小さな部屋だ。 リベル・イグニス。 かつて、最愛の姫君を護るという新しく強い望みを叶えるために、自ら切り落とし時の神の神殿に置き去られた四枚の翼。 その翼に封じられていた、彼自身の過去と名前と夢。 インディゴライトの青い瞳にスティブナイトの銀の髪を持ち、デセルの女性性の半身であるデュアル・リンクスについてもらいつつ、彼が昔したかったことをなぞるようにゆっくりとこの半年を過ごしていた。 同じ長身に同じ顔ながら、様子がトールに比べると幾分穏やかなように見えるのは、同じ燃え上がる火の性を持ちつつも、血の涙を流すごとき苛烈な経験を積んでいないからだろうか。 膝が崩れても腕が折れても歩き続けることを自分に課していたトールと違って、流れのままに静かに時を重ねていた。 もしもエメラルド色の運命に出会うことがなかったなら、おそらく彼はこう過ごしていただろう、という平凡なゆるやかな時間を。 イグニスの研究は、トールのそれとは少し対象が違う。同じ生命科学の分野であっても、トールが「魂の創生と誕生」を専門にするのに対して、イグニスは「いま在る魂をより健やかにする」ことを専門としていた。 もっともそれらは突き詰めれば同じところに向かうため、はっきりと専門が違うというほどでもない。 そしてその分野は、トールがいずれしっかり研究してみたいと心ひそかに思っていたものでもあった。 イグニスは関連するいくつかの浮島でたくさんの薬草を栽培し、それらの成分を抽出したり調合したり、島ごとの成分の違いや身体と精神への働きかけを分析したりしていた。 広い薬草園の傍に建てられた小さな小屋は、あらゆるハーブと参考書物、乳鉢などの道具に埋まっている。 そこであれこれ研究していると、よくリンクスがやってきてじっと手元を見つめたり、明るく笑いながらすり潰しなどの工程を手伝ってくれていた。 もっとも彼女はいい香りの満ちた小屋で、そのうち仮眠用のソファやイグニスの膝に身を預け、気持ち良さそうに寝入ってしまうのが常だったが。 トールがルキアに戻ったとき、イグニスは落ち着いた青い瞳で「おかえり」と笑った。 おかえり、未来の僕。 遊色する瞳にさまざまな経験を詰め込んで、いくつもの生を過ごした僕。 どんなにその姿ではいられないと思ったところで、本当に切り離すことはできなかっただろう? それはそうさ。 辛くとも君が積み重ねた経験もまた、今の総体を形づくる大事な部分なのだから。 僕だけじゃ足りない。君がいなくては、すべては「今、ここ」にはいられないのさ。 今をより愛するために、たくさんの大切なものを積んできた……そういうことなんだろうと、思うよ。 鋼は熱せられ何度も叩かれなければ、強くしなやかな金属になることはできない。 君の剛さは、トール、君が身をもって何度も歯を食いしばりながら、自分の中に鍛え上げてきたものだ。 それを否定することはない。 平和で平凡で豊かな時間は、留守番しながら僕が経験しておいたよ。 おかえり、トール、かつて名を捨てた僕。 これからは一緒に歩いてゆこう。 穏やかに笑ったイグニスが軽く両手を広げる。重なった二人は、溶け合うようにして統合に向かった。 元々同一人物の過去と現在である。時間の幹から新しい枝が生まれかけてはいても、同じ木であることに変わりはない。 「リベル・イグニス(火の性の本の虫)」は、まだ若く運命に出会わぬ頃、学生時代のトールの名だったのだ。 思えば「トール」という名前自体が仮称なのであるから、本来の名を名乗ってもいいのかもしれないが……さて。 イグニスが調合していた薬草の香りに満ちた空気を吸い込んで、トールは意識を目前のデータに戻した。 大事な友人から託されたそれは、人間の魂と身体データの集積である。しかし解析すればするほど、通常ありえないような基礎数値が使われているのが明らかになっていた。 (何だこれは) 思わずため息をついて、トールは片手で銀髪をかきあげた。この数値では健康な日常生活を送れというほうが無理な話だ。 データを隅々まで解析して基礎から構築しなおし、魂をすべての経験を残しながらも真白の状態に戻すようにしてプログラムを書き換える。 より健康に、より自分らしく楽しい充実した毎日を送れるように。 それは、まさにトールとイグニスの研究を合わせたような仕事だった。いままで積み上げてきたものを完成させ、その先を見据えるために与えられた、そんな気さえする。 冷えた茶で喉を湿らせると、銀髪の男はまたデータの解析に没頭した。 <デュアル 【夢の守】> http://blog.goo.ne.jp/hadaly2501/e/63e5160aa05bb7d7415022d9ef3b1ef9 <デュアル 【藍の海】> http://blog.goo.ne.jp/hadaly2501/e/fb7f05351f1602dc2cd44f614ad31098 -----◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆【銀の月の物語 第一部】◆【外伝 目次】トールとデセルさんのやりとり、ツイッター上でしてたのでご覧になった方もいらっしゃるかもですw応援ぽちしてくださると幸せ♪→ ◆人気Blog Ranking◆webコンテンツ・ファンタジー小説部門に登録してみました♪→☆ゲリラ開催☆ 1/5~1/9 REF チャクラクリアリングスペシャル☆ 1/11 一斉ヒーリング ~生命の海~
2011年01月09日
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明るい教授室の大きな机に本を積み上げ、彼は机に腰を預けるようにしてそのうちの一冊を手に取った。森の中の部屋で、重厚な机は大きな窓を背にしている。開け放された開口部からは、若木のこずえが枝を差し伸べていた。机の向かいは書庫のようになっていて、高い天井までの書棚がびっしりと空間を埋め尽くし、中二階に上がるための梯子がかけられている。ところどころの窓からは明るい光があふれ、建物を囲む木々がのびのびと歌うさまが聴こえてくるようだった。左手にあるドアの手前にはローテーブルとソファ。家具に使われている木は落ち着いた飴色で、長い年月を経てつやつやと光っていた。古ぼけた革張りの表紙がぴったりと掌になじむ。その感触を楽しんでいると、すこし急いだノックの音がした。応答とともに開けられ、現れたのは琥珀色の髪をした親友だ。「やあ、デセル」「……ようやく戻ったな」手元の本を閉じて顔をあげると、長身が大股に歩いてくるところだった。互いに腕を広げて久しぶりのハグをすれば、嗅覚をかすめる甘い薬草の香り。トールは思わずふっと笑った。「君の匂いがする。……ということは、私はちゃんと戻れているらしいね」身体を離しいたずらっぽい瞳で見やると、デセルはぐっと唇をかみ締めている。その二つのペリドットからは、きれいな雫がぽろぽろと零れ落ちていた。「……やっぱりデセルだ。変わらないな」嬉しいような困ったような微笑を浮かべて、手を伸ばし涙に濡れる親友の顔を自分の肩口に押しつける。しっとりと肩に染みてゆく潤いを感じながら金茶の髪を軽くたたくと、無言のままでデセルがうなずいた。長い長い過去の時間、何度も出会っては別れてきた。<泣き虫>と呼ばれていた頃も、その後も、その前も。お互いにたくさんの経験を積んで、痛みを重ねそして解放し、蝶が羽化するように変容しながら、それでもずっと動かない芯の部分。魂の核を抱きしめてそして、つぼみが花開くように柔らかく人は変わってゆく。目の前にいる彼は確かにトールだけれど、以前はどことなく纏っていたあの追い詰められたような厳しい雰囲気がない。峻厳な巌の強さは変わらず持ち続けているのだろうが、もっとずっと豊かで余裕があるように見える。<心に「自分が一番愛した姫君」の不動の座を定めて戻って来たらいい。 きちんと自分の魂の中に納めて帰って来い。>そう伝えたデセルの言葉のように。大切な時間を想い出としてきちんと居場所を定めたなら、二つの想いに割れるようなことはもうないから。ひとしきり涙がおさまると、デセルは顔をあげた。手の甲でぐいっと目を拭うと、窓の陽を受けてペリドットの瞳が春の若草のように輝く。「おかえり。トール」泣き笑いの表情で彼は言った。 * *(ヴェルニータは授業にならなかったね。後で教授室においで、待っているよ)笑いをふくんだ心話でそう伝えられたのは、月の森での授業が終わって生徒達が席を立ち始めたときだった。月の森。海のように月のように、叶えたかった夢の満ちゆくところ。トールの、彼自身のための古い夢は教師になることだったのだと、聞いてはいた。最愛の姫君と出会ってからは、彼女を護るという新たな強い望みを叶えるために、切り落とした翼とともに封じられていた夢。姫君が傷を癒している期間、寄り添いながら魔法学校で教職についていたのも、完全に思い出してはいなくとも彼自身の望みが底にあったからだったのだろう。そして姫君が癒され、長い長い役目を終えてトールも還った。たくさんの人達に囲まれながら、大きな世界樹に銀髪の長身が溶けていったのは、忘れもしない初夏の新月のときのことだ。あれからちょうど半年。世界の源まで潮は一度完全にひいて、そしてまた一年の半分をかけてゆっくりと満ちてきたのだろうか。還ってしまった存在は、それでもどこかにはいると、完全にいなくなってしまうわけではないのだと、ヴェルニータも思ってはきた。でもそれは、比喩のようなものではないかと思う自分もいて、本当は寂しくてならなかった。(ほんとうにいなくなっちゃったんでないなら、また戻ってきてよ、せんせい……。わたしが、生徒が待ってるんだよ)吹き抜ける風に赤い髪をゆらし、大樹の木の葉ずれを見上げながら、何度心に呟いただろう。だから、夢の叶う月の森でトールが魔法教室を開講するらしいと聞いたときは、まっさきに飛ぶようにそこへ向かった。教師になりたいという夢。教えてほしいという夢。二つの望みが引き合って同時に叶うなら、また先生に会える。大好きな先生の夢を、一番古い純粋なところまで戻って、ゆっくり叶えてほしかった。そうして戻ってきて欲しかった。教室にはたくさんの生徒達がいた。つくりは以前の魔法学校に似て、けれど明るい窓から見える青々とした木々のきらめきが少し違う。トールに会いたくて集まった生徒達に混じり、ヴェルニータは窓から三番目の後ろの方に座っていた。ほとんど一番乗りに教室には着いたものの、あまり前に座るのはどうしても気後れしてしまったのだ。そして、扉を開けて入ってきた銀青色の服の長身は記憶の通りで。長い銀髪に細い銀縁の眼鏡をかけ、微笑んだ顔も以前のままで、それだけでヴェルニータの目には涙があふれた。低く抑え気味のよく通る声が、魔法の仕組みや世界のありようをゆっくりと語ってゆく。長い指先から時折紡がれ、自在に多面体や魔法陣を描いてゆく光る細い流星。少女の大きな瞳からは次から次へと涙があふれ、ぼたぼたと机に水溜りを作っていった。それを拭うこともできず、顔を上げることもできずに、ヴェルニータは両手で膝のスカートを握り締める。涙にゆがんだ視界で、机の水滴に丸く映る青い空をじっと見つめていた。耳に優しい声が聞こえて、少しでも力を抜いたら、長身に取りすがり大声をあげて泣き出してしまいそうだった。ゆっくりと生徒達の机の間を歩いてゆく足音が彼女の隣で少し止まる。しゃくりあげながらそっと顔を上げると、困ったような微笑を浮かべた青灰色の瞳が優しく彼女を見下ろしていた。「せっ……せんっ、せ……」呼びかけようとした言葉も、嗚咽に混じって単語にすらならない。大きな手が、わかっているよと言いたげにぽんぽんと赤毛の頭を撫でる。そして足音はまたゆっくりと遠ざかっていったが、ヴェルニータは細い肩を揺らしながら、ずっと頭に残った暖かい感触を追いかけていたのだった。そしてやってきた教授室。彼女と本体を同じくするオーディンも、緊張した面持ちで後ろに控えていた。ノックして部屋に入ると、以前の教授室よりもずっと明るくて広い。部屋の中なのに木々いっぱいの印象が強いのは、ここが月の森だからだろうか。手前のローテーブルの上に置かれた世界樹のオブジェは、魔法学校の教授室にもあった精巧なものだ。しかし懐かしいと思う前に声が降ってきて、はじかれたように少女は顔をあげた。「よくきてくれたね、ヴェルニータ、オーディン。……久しぶり、かな?」目の前ではにかんだ微笑を浮かべているのは、あれほど会いたかった先生。ヴェルニータの涙腺はあっという間に決壊してしまい、銀髪の長身はすぐに涙でにじんでしまった。「ふえっ……、せ、せんせっ……」「うん。……ただいま、ヴェルニータ」華奢な肩にそっと温かな腕がまわされて、懐かしい香りが鼻をくすぐる。かがめてくれた長身の肩口から、さらりと銀色の髪が前に流れてきた。「お、う、うええっ……」おかえりなさい。そう言いたいのに言葉にならない。口を開くと嗚咽になってしまうから、ヴェルニータは広い胸に額を押しつけるようにして気持ちを伝えた。「……ほんとに、あんたか。戻れたのか」優しく少女の背を撫でるトールを見つめながら、ぎこちなく立っていたオーディンの脳裏にふっと何かの情景がよぎった。松明か何かで照らされた、薄暗いどこかの城の回廊。黒っぽい服か甲冑を着けて立っている長身は、今とは違う昔の姿であろうけれど、同じ人なのだと理由なく感じる。黒い甲冑の人がこちらを振り向くと、色の違うその瞳が目の前の二つのベニトアイトに重なった。「ああ。デセルや君達が、呼んでくれたから」少女の肩に手を置いたまま、屈めていた背をそっと伸ばしてトールは微笑んだ。自分という総体のどこか一面を、離したり封じたりするのは基本的には不自然なことだ。様々な面があってひとりの人。自らを護るために分離したり、経験の里程標として様々なイニシエーションを超えることはあっても、魂はやがてまったき形に戻ろうとする。魂の力はそれほどに強いが、しかし自らの意志で望み受け入れなければ、最後の行程は縮まることがない。トールの場合、そのきっかけを作ってくれたのがデセル達の存在と呼び声だった。たくさんの過去に何度も出会ってきた、愛しいなつかしい仲間達。帰ってきてもいいのだと彼らは言ってくれた。かつてトールと呼ばれた人格のままに戻って、胸の奥底に仕舞ってあった夢を叶え始めてもいいのだと。ひとつの役目を終えた魂として、続く時の流れの中、また新しく生き始めてもいいのだと。魂と世界の仕組みとしては最初からそうであったはずだが、人の心が理を受け入れるのには、ふたつの季節が必要だった。終え、切り離し、眠り、遠ざけ。気づき、見やり、躊躇し、相談し、受け入れてもらい、呼んでもらって。月満ちるように潮満ちるように時が満ちて、戻る。道程のすべてが同等に必要で、どこも省けるところはない。「『得たものは失われ、失われたものは手に入る』……と、言うけどね」いざ自分がなってみると、ちょっと気恥ずかしいものだね。苦笑とともに差し出された手を、オーディンはぐっと握り返した。ブルースピネルの瞳にも涙が浮かんでいる。片方の眉をあげて彼はにやりと笑った。「はっ、いいじゃねえか。会いたい人に会うのに理屈なんていらねえよ」「ありがとう。そう言ってもらえると気が楽になるよ」「俺はあんたが戻ってくれて嬉しいぜ。……そうだ、剣の指南。してくれるって言ってたよな?」オーディンが目を見開いた。天使エリアにスカウトされたとき、確かにそういう言葉があったのだ。青灰色の瞳を嬉しげに細めて、トールが答える。「もちろん。いつでも、君の都合のいいときでいいよ」「よしわかった。約束だぞ」交わされた約束は、トールの存在が今だけではないという証だった。願いが満ちて月の森に戻った彼は、その場だけではなくこれから新しい世界をも、仲間達と一緒に生きてゆくのだ。「楽しみにしてるからな」またあふれようとする涙を吹き飛ばすように、白い歯を見せてオーディンは笑った。-----◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆【銀の月の物語 第一部】先日の月の森でのひとこまです。いなくなった人が戻るのはちょっと恥ずかしい(@聖☆おにいさん5巻)と思ってましたし、正直なところ、彼の想いが真実であるだけに辛かったのですが結局、上の人とか中の人格達っていうのはやはり「自分自身の一面」なので繋がりの濃淡というのはその時々であっても、完全に消えるとか切れるってことはないのかも、と今は思います。とはいえ6月にトールと別れるときは本当に悲しかったし、それはそれで真実で。一度きっぱり別れなければ超えられない、私の中ではそういう大きさだったと思うのです。さて、今夜から帰省で1月4日の帰宅までPCを触れませんので、メール等しばらくお休みさせて頂きます。ツイッターでぶつぶつ呟くかもしれませんがw お返事はあまりご期待なさらずに~。それでは皆様、よいお年を^^
2010年12月30日
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「おい、准将は飯食ったのかよ」 銀髪の上司とセラフィトが敵の目をひきつけている間に、まんまと衛星の外郭部に入り込んだオーディンが、油煙に汚れた顔を腕で拭いて隣の青年を見た。 Aaは元々、敵惑星の守備として配された砲台の一つだった。 武装が旧式になったのを全面的にリフレッシュするには金がかかり過ぎたのだろう、ただ廃棄されることもなく情報の中継地として有効活用されているのだ。 当然ユニットの入れ換えは必要であったため、その際に仕様の変わったところが幾つかあるが、他で防壁のフォローがなされている部分については、そちらで充分と判断されて元から眼のない場所がある。 オーディンとニールスが取りついて居た場所はそういう所だ。 「知らねえよ、多分また召しあがってないんじゃないか? 俺は見てないぞ」 同じく黒い顔をしたニールスが、油断なく周囲に目を配りながら答える。 ここまでは上司殿のサイキックに護られていた。 高度の警戒中「異常なし」の状態で、入る者も出る者もいないのに誤作動とも感知させずに扉を開けて貰う、そんな離れ業を演じられる者はそうそういない。 しかも当の上司殿は宇宙空間を挟んだ場所で部隊の指揮をとっている真っ只中、いくつもの対サイキック結界や防御壁を潜りぬけて、である。 (外郭部に侵入成功だね?) ふわりと心話が届けられる。 そのしっかりとした感触に姿が直接見えるような錯覚に襲われて、二人は思わず目を合わせてしばたたいた。 ニールスのサイキックは近場での心話程度、オーディンに至ってはほとんどない。しかし二人揃うと上司殿の受発信機になれるようだというのは、部隊での偶然から判明し、その後訓練して高めてきたものだった。 (はい、ありがとうございました) (今セリーの隊が巡航艦を落とした。我々もそちらへ向かう) (了解しました。侵入を開始します) ニールスが答え、うなずくような余韻を残して上司殿の暖かな感触が退いてゆく。 いつまでも頼ってばかりではいられない。ここからは守護はないのだと、奇襲部隊の面々にぴりりと緊張が走った。 敵国のものであっても、一般的な設備の仕組みは皆頭に叩き込まれている。 オーディンは持っていたナイフを細いスパナに取替え、壁のパネルを取り外した。 「お前いっつも准将が飯食うように話を持って行ってるだろ。副官も大変だな」 「他人事みたいに言いやがって」 中の配線をあらためながらニールスが呟いた。 そこから衛星の伝達網に偽情報を流す為、ラインの選り分けをしてユニットを取り付ける。腕時計を確認すると蝕まであと1分だった。発動まであと少し。 無駄話をしているのは、自分達も含めて同行の若い者達の緊張をほぐしておくためでもあった。 そういえば新参のエル・フィンが往路の艦内で料理人に愚痴を言われていたが、あれは料理人の生きがいのようなものである。まったく彼らの部隊長ときたら、ろくに食事をしないのだ。 基地にいるときなどニールスはいつも、自然に食事にもってゆけるよう話に気をつけているのだが、臨戦態勢の今はそうもゆかぬ。 まして今回の作戦行動では、隊員達ですら準備から実地に至るまで、ほとんど寝る暇もない。 しかしここで手を緩めると今までの努力が無駄になる、いや勢いを削ぎたくない。 彼等はそれをしっかりと分かって、司令官の意を汲んで動いていた。 それでも隊員達はわずかな時間に食料を詰め込んだり、立ち食いしたりはしていたが、あの上司殿がうっかり忘れている可能性は大きかった。 「帰還したらとりあえず食堂に連行するか……」 ニールスが言いかけたとき、衛星の反対側で爆発音が起こり、電源が落ちて一瞬真っ暗になった。 すぐに予備電源が働いて薄暗い中に非常灯が浮かび上がる。 「よし、今だ」 ラインに取り付けたユニットを稼動させ、どさくさに紛れて偽情報を流させる。これで内部のエネルギー供給が必要最低限のセーフモードから回復することはない。 あれは彼らをここまで運んできた別働隊の艦が、蝕とほとんど同時に衛星の攻撃設備を爆発させた音だ。生きている砲台に僚艦が攻撃されては元も子もないし、外からの攻撃に監視の目がそらされている間隙をついて、本格的な侵入に移るための時間稼ぎでもあった。 今なら攻撃しても、それが敵本国に知られることはない。 他のパネルをいじっていた者たちのうなずきを見て、ニールスは声をあげた。 「突入するぞ。皆安心しろ、敵方の攻撃はみんなガーフェル軍曹が防御してくださるそうだ」 「はあっ?! おま……」 うっかり大声を上げかけた口を自分の掌でふさいだオーディンに、ニールスはにやりと笑う。 「違うのか? しょうがないな。じゃあ、勝ったらこないだ飲んだ店ごと買い上げの宴会ってことでよろしく」 「ばっ……」 ば、か、や、ろ、と口だけぱくぱく動かしているオーディンを尻目に、さっさとニールスは背を向けた。緑色の非常灯がぽつん、ぽつんと点いているだけの薄暗い中をすべるように進んでゆく。 盛大なため息をついたオーディンもそれに続き、廊下の奥でニールスが「敵しゅ…」と言いかけた人間の顎を一撃して気絶させたのを、足をひっつかんであっという間にそこらの空き部屋に放り込んだ。長年の間に培われたこのあたりのコンビネーションは、余人の真似できるところではない。 「予定外の巡視艇を発見!」 先行して衛星に近づく偵察艇に乗るエル・フィンが艦内に叫んだ。 通信スイッチは切っている。 折しも蝕の直前。 ニールス達を降ろした移動艇が敵衛星の砲台を攻撃しようとしていた時だった。 突如その背後に巡視艇が現れたのだ。 巡視艇のルートは当然調べて予測範囲に入っていたが、急遽航路を変更してきたらしい。 本隊がセラフィト隊を迎えて応援に向かっているが、この距離では間に合わない。 2機の小型偵察機を意識で操るエル・フィンは、当然その範囲の宙域を把握している。 「データ捕捉。一隻で間違いなさそうだぜ。俺たちでやっちまうか、エル・フィン?」 「勿論だ。一隻くらい落とせなくてどうする」 技術的な補助をしているマルスに返す。 セラフィトの任務が終了したため、彼は今衛星周辺を主に見張っている。小型偵察機にはある程度の攻撃機能もついているが、セラフィトの方向に出していたものが戻るまでは残りの1機を動かすしかない。 「攻撃準備!」 「了解」 「おう、行くぜ!」 よく通る声に、隊員たちが口々に応じる。 「砲台および駆動部、通信部を狙え。邪魔できないよう、完全に足止めするぞ」 正式参加は初とはいえ、エル・フィンもまたアルディアス隊の一員である。無駄な死者を出さないよう一点集中攻撃をするのは同じだが、上司よりも猛攻の印象が強いのは、彼自身の剣筋にも似ていた。 偵察艇は、巡視艇に比べるとかなり小さい。 その不利を逆手にとって、エル・フィンの艇は敵の死角をかいくぐり、的確に砲台に攻撃をお見舞いしていった。 砲台に積まれた火気物が誘爆を引き起こし、大きな巡視艇そのものの動きが封じられてゆく。 「よっしゃあああ!」 完全に沈黙し、魚の子のように脱出艇を放出する巡視艇を大型スクリーンに見ながら、隊員たちが鬨の声をあげた。 通常の偵察任務に加えて攻撃を見守っていたエル・フィンが額の汗を拭う。 「よし、これでOK。しかし偵察機が1機では不安だな。マルス、シェーン、補助してくれ。3機めを……」 金髪の青年が予備に準備してあった3機目の小型偵察機に意識を繋げようとしたとき、静止の声が入った。 (それは許可できない、エル・フィン) (マスター! しかし) (気持ちは嬉しいが、君の焼き切れを賭ける程ではない。今ここで生死がかかっているわけではないのだからね。巡視艇の始末をありがとう。助かったよ) (……はい) 「……3機目はなしだ。現状続行とする」 「准将に止められたんでしょう。少佐も無茶ばっかりするから」 心話があったことに感づいた隊員の一人がにやりと笑う。無表情ながら口の端をかすかにあげてエル・フィンは返した。 「准将ほどの無茶じゃない」 彼自身、作戦が開始してから銀髪の上司が寝ているところも食べているところさえ目にしていない。 焼き切れを賭けるほどではない、それはこちらの台詞だ。 調理人の愚痴を思い出しながら、帰ったらお説教しようと彼は心に決めた。 ------- ◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆【第二部 陽の雫】 目次 隊員の皆様のご活躍をお楽しみくださいませ♪ニールスさんの無茶振りとかwww最近更新遅くってすみません orz物語のかみさまの前髪をがっつり捕まえたいところ… ←応援ぽちしてくださると幸せ♪→ ◆人気Blog Ranking◆webコンテンツ・ファンタジー小説部門に登録してみました♪→12/14 インナーチャイルドヒーリング ~月の森~ ☆ゲリラ開催☆ 12/13~12/19 レインボー・エナジー・フレイム 一斉ヒーリング
2010年12月14日
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「いいかい、この有人衛星には構造上の欠点がある」ディスプレイ上の地図でひとつの衛星を示しながらアルディアスが言う。会議机を囲んだ部隊の主な面々が、地図を確認しながらうなずいた。新居でリフィアと小さな喧嘩をする一週間ほど前のことだ。銀髪の男は結婚後初めての長期作戦に出て、艦橋で作戦説明をしているところだった。その左手にシンプルな指輪が光っている。大型ディスプレイに表示されているのは、小型宇宙ステーションと言ってもいいような大きさの有人衛星だった。場所は敵味方の境界線宙域にある惑星ゲミノリウムの、ふたつの月の片方、その衛星軌道上。衛星の規模そのものはそれほど大きくないがいくつかの階層を持ち、さまざま電子情報機器を積み込んで敵本国と連携をとっていることがわかっている。アルディアスが手元のパネルを操作すると、現在は相手の陣地である惑星とカストル、ポルクスと呼ばれる二つの月、そしてターゲットの衛星が画面の中で動き始める。大きな惑星の最外郭軌道を大きなカストルと小さなポルクスが少し離れて回り、それぞれの月の周りを二つずつの衛星が巡るという状態だ。惑星と二つの月自体は温度や含有気体などの条件が過酷で人が住むには適さないが、ちょうど陣地を競り合う水際に位置しているため、その戦術的価値は高い。「それぞれの衛星を、Aa、Ab、Ba、Bbとする。これら4つの衛星はAaを頭として緊密な連携をとり、敵本星の通信基地に常に周辺宙域の詳細なデータを送っている」アルディアスの声とともに四つの衛星が大写しになり、捉えた限りのスペックがざっと表示される。有人なのはAaのみで、他は大きさも小さく無人であることが確認されていた。「このAaが、今から3日後に蝕に入るんだ」画面の中で星々が動き、ある一点で静止した。二つの月は、同じ速度で周回しているわけではない。ポルクスが微妙に遅く、月はついたり離れたりを繰り返している。画面上の星は、緑色に点滅している敵の本星から見て、Ba、ポルクス、Bb、そして惑星、Ab、カストル、Aaのほぼ一直線に並ぶ様子で止まっていた。「通常、どれかの衛星が惑星の蝕に入っても通信が途切れないよう、他の3つがフォローするようになっている。しかし今回に限っては、Baを除きほぼすべての衛星が蝕に入るのと同じ状態になる。もちろん、敵もそれを警戒しているだろうが」画面が動き始め、小さなポルクスを回る二つの衛星が角度を変えた。「完全に一列の蝕に入るのは、ほんの一瞬にすぎない。ポルクスを回るBa、Bbはすぐに角度を作るしね。我々にとって大切なのは、連携の頭となるAaが、我々の領地に近い宙域で蝕に入るということだ」「准将、その時間的長さはどれくらいなのですか」今回から部隊員として正式参加するエル・フィンの質問に、藍色の瞳で司令官はうなずいた。「おおよそ四分」「四分……!」あまりの短さに会議室に唸り声が満ちる。「その四分の間、Aaは完全に通信網から遮断される。Ba、Bbは三十秒後すぐに通信回復するが、カストルと惑星に挟まれたAbも中継点の用をなさないから、実質四分の空白だね」ただし、とアルディアスは続けた。「それくらいの計算は当然相手もしている。その四分間の空白を埋めて通信を中継するために、敵味方の境界線ぎりぎりに小艦隊が配置されているのが見えるかい?」赤線で示された境界線の相手側、Aaと他衛星にうまく角度を作れる位置に、巡視艇と思われる艦を囲んで六隻ほどの艦隊が光点で表示されていた。「角度的には、Aグループのデータを受け取って本国にも送れる位置だ」「つまり、Aaを落とすためにはこの巡視艇も落とさにゃならんってことか」「そういうこと。セリー、君に頼んでいいかい?」「おう、まかしとけ。蝕の直前にうまいこと倒してやる」セラフィトは親友の信頼ににやりと笑って応えた。蝕のタイミングとずれると応援を出される危険性があるため、直前でなくてはならないなどの注意事項は、いまさら言うまでもなく飲み込んでいる。友の自信と聡明さに微笑んで、アルディアスは他の隊員達に顔を向けた。「では、Aa本体のほうだけどね。ニールス、オーディンは共に一隊をひきいて、セリーが巡視艇を攻撃するのと同時に奇襲をかけてほしい」「イエス・サー」「了解」「その後はこのポイントを占拠して味方の応援を待つと同時に、敵方の通信回線を遮断して時間稼ぎの足場を作るように。蝕は短いから迅速に頼むよ」それから、とアルディアスは金髪の青年を見やった。「エル・フィンの分隊は偵察艇に乗って、通信ジャミングと小型偵察機の操作をしてもらう。エル・フィン、何機まで掌握できる?」「は……攻撃も考慮に入れるなら、二機までは」「わかった、では二機操作してくれ。タイミングが物を言う作戦だからね、細かい報告を期待している」「承知しました」「私は本隊を指揮し、セラフィト、ニールス両隊の援護をしつつAaに近づいて占拠を目指す。テレパスの到達領域は最大限に広げておくから、通常通信で間に合わないときは心話を使うように」それから伝達は補給ポイントに関することに移った。出島のように陣地が増えれば、当然しっかりした補給線が必要になる。かねてから気になっていた途中の補給ポイントについても、奇襲のための一時寄港地としつつ同時に詳細なレポートを作成することになった。「しばらくは忙しくて申し訳ないけれど、皆、頼むよ」「イエス・サー!」斉唱とともに、ぴりっとした空気が部隊を覆った。母国と敵国の境界線付近には、互いの暗黙の了解のうちに戦場と認定されている宙域や星がいくつかある。チェスの盤面のように、そのポイントを取ったり取られたりで勢力図が書き換わるのだ。砂漠の民族がオアシスを中立地帯と取り決めて砂の上で戦うように、長く長く続く戦いにおいて、少しでも自国の消耗を減らそうというお互いの思惑からいつのまにか発生した了解事ではあった。そうして両国は、微妙な馴れ合いのような状態にありつつも、常にお互い拮抗した勢力を保ち続けていたのだ。もちろん、その「戦場」から逸脱した場所に攻撃を仕掛けたり仕掛けられたりすることもある。しかしそれらの場所は攻めるに難しいことが多く、攻撃側は多大な犠牲を覚悟しなくてはならないことが常だった。惑星ゲミノリウムと双子の月は、もともとヴェール星の監視下にあった場所であった。それをある時敵側が制圧し、有人のものを含めて4つの衛星を設置、敵側の勢力に組み込んでしまったのだ。惑星自体は住むにも適さず、埋蔵資源もコストに見合うほどではないと調査結果が出ているが、ちょうど互いの勢力図の指標とはなっている。以来、双子の月奪還はヴェール星の懸念材料になっていた。しかし、今回の作戦に関わるのはアルディアス部隊のみ。最初もっとも少ない人数であったにも関わらず安定した戦績を上げ始めた部隊に対し、失敗してもそれほど実害のない場所を攻めさせて、上層部は実力を試しているのだろう、というのが大方の見方であった。「攻撃用意! 砲手、敵艦の砲台を狙え。少し遠いがセラフィトの艦に当てるなよ」「イエス・サー。勿論です。弾道計算終了しました」「フェロウ隊の得意技を見せてやりましょう」艦橋に長身を立て、星々を写す正面の大スクリーンを見つめる銀髪の司令官の声に、陽気な砲手たちの返答がかぶる。数瞬の沈黙の後、アルディアスの右手が振り下ろされた。「撃て!」いくつもの流星が尾をひいて、敵の巡航艦に襲いかかる。アルディアスの軍は衛星と巡航艦の通信波をちょうど妨害する位置に布陣していた。敵近くに潜んでいたセラフィトの艦隊数隻が、躍り上がるように巡航艦に噛みついてゆく。「敵本国、こちらを感知したようです。近場のβ基地から応援が向かってきます。その数現在、二十隻あまり」妨害電波をかいくぐり、エル・フィンからの偵察報告が入ってくる。「了解。セラフィト!」「おうよ。こっちはもう少しだな。このまま食い破っていったん通過、天底方向に向かいつつ反転に入るから、でかい土産をもう一発頼むぜ」「わかった。砲手、用意はいいか? セリーの艦が離脱した一瞬のタイミングで狙うぞ」「イエス・サー!」「エル・フィン、そちらが近いから時機を読んでくれ」矢次早の命令が通信回線を飛び交ってゆく。「了解。セラフィト様の艦は敵艦隊の中央突破しました。離脱を開……」そこで急にエル・フィンの声が途切れた。(どうした、エル・フィン?)(大丈夫です。流れ弾が船に向かってきましたが、回避しました。偵察を続けます)偵察船の中で意識を小型偵察機に合わせ目を閉じていたエル・フィンは、額の汗を拭った。小さな偵察船そのものが敵に見つかったとは考えにくいから流れ弾だろうが、いきなり白い光が向かってきたときには一瞬息を呑んでしまった。最大限に解放された上司のサイキックフィールドは、通信網に負けない強度のやりとりを可能にしている。しかし上司にばかり負担をかけたくはないから、すばやく心話で答えてからエル・フィンは意識を偵察機へ繋ぎなおし、通信網へ声を投げた。「セラフィト様の艦、離脱しかけています。敵追撃を始めています。味方の艦が攻撃衝撃域を離れるまで後5秒。5、4、3、2、1」「撃て!」抜群のタイミングで、白い光の流れが敵艦に集中してゆく。砲台と駆動部、通信部のあたりを損傷させてしまえば、爆発までもってゆく必要はないというのがフェロウ隊の考え方だった。いくつもの小さな脱出艇には目もくれず、セラフィトの小隊が今度は衛星に向かう本隊に俊足で合流してくる。アルディアスの本隊はそれを受け入れて護りながら柔らかく後退し、あっという間にAa奇襲部隊の援護へ回った。------- ◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆【第二部 陽の雫】 目次 というわけで、前話【宵闇】でアルディアス部隊が疲れ果てていた理由です。でもこの話、実はまだ続きが全部は出てきてないんですけども、、、爆さすがに更新が止まりっぱなしで申し訳ないので、ちょっと自分を追い込んでみた ←ちなみに、名称にギリシア神話由来の単語が使われておりますが。本来ならヴェール星の神話があるんでしょうけど、とりあえず似た感触の地球語で間に合わせております。けっこう神話由来の名称が多そうなんで、多分今後も出てくると思いますが言葉の感触に違和感がないのでお許しください^^;拍手がわりにぽちしてくださると幸せ♪→ ◆人気Blog Ranking◆webコンテンツ・ファンタジー小説部門に登録してみました♪→11/30 アクアマリン・ヒーリング ☆ゲリラ開催☆ 11/29~12/5 REF&ロシレム 一斉ヒーリング
2010年11月30日
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先日【陽の雫】外伝のラベンダーシリーズにいただいた沢山のコメントに、オーディンさん&エリーデさんから皆様へ向けて、お礼のお手紙をいただきました。(文中の「イイネ!ポチ」はmixiの機能で、日記などに「イイネ!」ボタンがついていて読者はそれをポチできるのです)****************このたびは、たくさんのコメントやイイネ!ポチをいただきまして、本当にありがとうございます。 すべて二人で丁寧に拝見させていただいております。 はるか遠い昔の、それも個人的な記憶に基づいた話ですのに、 皆さまに共感していただいたり、お祝いしたりしていただいて、大変感謝しております。 現在は二人でのんびり散歩をしたり、ラベンダー畑の手入れをしたり、 戦いとは無縁な生活を送らせていただいております。 さつきのひかりさんの、細かな感情まで掬い取って下さって、情景が目に見えるような文章のおかげで、 皆さまのたくさんのあたたかいお気持ちに触れる事ができました。 ここで改めて、皆さま及びさつきのひかりさんにお礼申し上げます。 オーディン&エリーデ *****************最後の連名がらぶらぶな感じでほっこりします♪銀月という物語の特殊なところは、それが「今ここで」起こっていることと、しばしばシンクロするところでしょうか。書けるときと書けない時の波があるというのは、どんな創作でも同じだと思いますが銀月の場合ははっきりと書く時期が決まっているようなのですねえ。勿論どこぞのぷろでゅーさー様の手腕なんでしょうけれども、なんだかがーっと浮かんできてがーっと途中まで書いたはいいけどパタッと書けなくなって、何週間も経ってからいきなり書く気になったら、ちょうど似たような問題がリアルや上で勃発したりとか 爆そんなことが良くあります。銀月でも第二部は過去の話なのに、今ここで実際に交わしたやりとりが物語の内容と重なって書けるようになる、ということはおそらく過去を現在の時間軸でロールプレイし、それを物語として第三者の視点でもう一度文章化し、読むことで昇華している、ということになるのだろうと思っています。そしてそのロールプレイも、上で起こったり下で起こったり…というか上で起こった場合にもそれを三次元の言葉で相手の本体さんとやりとりする、というプロセスがとても重要なのではないかなあ。勿論、相手に本体さんがいないかわからない、という場合もありますからそういうときは、自分の中で感じてゆく、言葉にしてゆく過程がそれに当たるだろうと思います。そうして、上で起こったことをきっかけに下の「今ここ」の自分達が実際に会話や思考を積み重ねてゆくんですね。上はきっかけであって、見えなくてもいいわけです。感知しているから偉いとか優れているとかは、まったくありません。当然、見えないから劣っているというようなこともありません。そんなことより、投げられた言葉のボールをいかに真摯に受け取って、自分の中を照らし相手を見つめ、よりしっくりする言葉を真剣に選んで相手に投げ返すか。そういうリアルでの自分の行動が大事なのだろうと思います。今回、外伝でオーディンさんとエリーデさんのお話を4話書かせていただいたわけですが、考えてみたら銀月の外伝で自分以外の物語を書くのは初めてでしたwww第一部の外伝は、基本的にはトール以外の転生の話でしたし。あえて言うなら第一部では、「フェンリル、還る」のシリーズが外伝風味でしたね。あれはあれで、ちゃんとくるんと一回りする物語になりましたから。トールも登場人物ではありましたが…ラベンダーシリーズでは、アルディアスは完璧に脇役ですので、そこが違いますwそうやって、自分以外のどなたかの物語を書かせていただくときは相手の魂に直接触れるような会話をすることになります。まして今回はオーディンさんとエリーデさんの、お二人の間での物語ですからお二人にとってはかなり邪魔な位置に私はいたんではないかと。。 ←「細かな感情まで掬い取って下さって」と優しく表現してくださってますが、そういうところまで掬い取ろうと思ったら、どうしてもその場まで踏み込んでしまうわけで。勿論それなりの覚悟の上で、物語云々は抜きにしてひとりの人間としてぶつかってゆきますが。。物語は結果として出来上がるだけですから、そのため(書き上げるため)だけにどう、というようなことはしません。それでも、おせっかいかもしれないなとは常に思っているので、部外者なのに申し訳ないとも思いつつ、関わらせて頂きました。ですから、私が細かな感情まで救い取れているとしたら、それはそこまで触れ、物語として公開することを許してくださったお二人のおかげさま、なのです。それもリフィアさんやエル・フィンさんと違って、ご自身の物語ブログをお持ちなわけではないので私の書く銀月が唯一の公開物語になってしまいますから、できる限り違わずに気持ちを追ってゆくよう、いつも以上に気をつけていたつもりです。読者の皆様とお二人が、細かい感情まで掬えていたと思ってくださるならばまだまだ未熟者ながらも、少しはできていたということでしょうか。ラベンダーシリーズ4話、それだけだと悲恋と言っていいような、切ないお話です。叶わぬ恋を互いに抱いたまま、すれ違ったままに死という別れが訪れて、残された片翼は喪われた翼をずっと胸に抱いてゆくというお話。それはそれで切なく胸を打つ物語ではあるのですが、その亡くなった時点からさらに長い長い時を経て、今生でやり直せるということの、なんて素敵なことなんだろう、と思います。自分が読者としてただ読むだけならば切ないお話も素敵ですけど、当事者としてはやっぱりハッピーエンドがいいじゃないですか 笑ロールプレイと昇華の過程ですから、同じような課題がやってくるわけです。書きさしの物語をひとつの取っ掛かりにするかのように、当時の感情を追い、言葉にし、重なりあう現在の感情をも味わって。そうして、かつて飲み込んでいた言葉までも出し尽くしていったとき、新しい展開が訪れます。うん、これは自分の経験からもwただそこに至るまでが、大抵さんざん痛い目見るわけですけどね…(遠い目当然お互いに血まみれ状態になったりするわけですけど、それでもあなたと関わっていたい、そう思える相手がいるというのは、とてもとても有難いことなのだろうと思うのです。どうでもいい相手だったら、わざわざ傷つかないで黙って去ってしまえばいいんですもんね。傷ついても向かっていこうと思えるのは、やっぱり相手が好きだからなのでしょう。 いつでもずっとだいすきだよ。文章にしてしまえばほんの短い、けれど万感の想いのこもった言葉を紡ぐ相手のいる幸せ。そういう二人を目にして、あたたかなお裾分けをいただける幸せ。時を超えた奇跡が起きる瞬間に、幸いにも私は立ち合わせてもらえたのだろうと思います。自分達に起こった問題に真摯に向き合われ、その姿を見ていることを許してくださったお二人には感謝にたえません。本当にどうもありがとうございました。お二人の過去と未来と現在に、花畑のようにたくさんの祝福が訪れますように。------- ◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆【第二部 陽の雫】 目次 拍手がわりにぽちしてくださると幸せ♪→ ◆人気Blog Ranking◆webコンテンツ・ファンタジー小説部門に登録してみました♪→☆ゲリラ開催☆ 11/8~11/14 レインボー・エナジー・フレイム 一斉ヒーリング
2010年11月11日
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リフィアは官舎の裏庭に立って、暮れなずむ秋の空を見つめていた。 たくさんの青い花が風にそよいでいる。季節が変わってもいつでも青い花が咲くように、さまざまの種を蒔いてあった。 結婚後初めて、アルディアスが一週間の作戦に行って五日目。 彼が不在がちにならざるをえないのは最初からわかっていたから、それを責めたりする気持ちはないのだが、やはり生まれる寂しさはどうしようもない。 「ここは広いから。私がいない間は実家に行っていてもいいんだよ。無理して一人でいなくてもいいんだよ」 念を押すように何度も言う彼を、人がいて手をいれなければ家が荒れるからと、笑顔で押し切って送り出した。その気持ちはもちろん変わってはいないけれど。 昼間の仕事中は、忙しくしていられる。 夕方帰ってきて日が暮れはじめると、ひとりぼっちの寂しさが身にしみた。 昼から夜へ。澄んだ青から時に紅を混ぜて徐々に藍に染まりゆき、一瞬たりと同じ色を続けない空を見ているとあの瞳を思い出す。 夕暮れの青紫。 残照がオレンジ味を帯びるまえの薄紅と昼空の青が重なった色。 (ここは広いから) 彼の言葉がぽっかりとあいた空間にこだまするようで。 一人暮らしのテラスハウスとは、ただ広さが違うだけではなかった。二人でいるための家に、たった一人でいることの空虚感。 まして彼の今いる場所は戦場で、もしかしたら……そのまま帰ってこられないことすら、あるかもしれなくて。 (いやだわ。縁起でもない) リフィアは頭を振って、暮れきった空から目をそらし家の中に戻った。肩にかけたショールを冷たい秋風が吹き流して身震いする。 もてあまし気味の時間をなんとか過ごすと、寝る前に彼の書斎に行った。 紙とインクとなつかしい匂い。 隣の寝室に置いてあるベッドは結婚祝いに贈られたキングサイズで、やろうと思えばリフィアが前転できるほどの広さがある。 書斎と半続きになっているその部屋は、アルディアスがいなくてはあまりにも広くて落ち着かなくて、ここ数日彼女は二階の客間のひとつで寝起きしていた。 書棚に並ぶ背表紙を指先でなぞる。さまざまな本のうち半数近くは何が書いてあるかさえよくわからないが、そのうち古代語とおぼしき本を一冊抜き出して胸にかかえた。 玄関ホールの明かりがついていることを確認して階段をのぼる。 ベッドサイドの小さな灯りの中で、リフィアはその本を開いてみた。初めて一緒に出かけた、あの本屋めぐりの日のことが脳裏によみがえる。 美しい手書き文字はあのときと同じく、やっぱりミミズの寝言にしか見えない。けれどそう言ったときの彼の微笑が思い出され、彼女はふっと目元を和らげた。 意味のわからない手書きの文様が、それを言語として受け取れる人の存在を補強してくれるような気がする。 アルディアスが先に寝室に行っていても、彼はこうやって小さな灯りをつけて本を読んでいることが多かった。 (灯り、気になる?) (ううん、大丈夫) 淡い橙色の灯に浮かぶ銀髪の横顔を、隣でぼんやりと眺めて答える。 ページをめくる紙のかさかさした音を聞きながら、結局先に寝ついていたこと。 そんなことを思い出しつつ、古ぼけた装丁に片手を乗せたまま、いつしかリフィアはうとうとと眠りの船を漕いでゆくのだった。 アルディアスはそっと玄関の鍵を開けた。 腕の時計を見ると午前三時を回り、すでに四時に近い。音を立てないように気をつけて寝室を覗くと、誰もいなかった。 奇襲作戦が成功し、予定よりも一日早く帰ってくることができたから、リフィアはまだ実家にでも行っているのだろうか。 いや、玄関に明かりがついていたのだから、出かけてはいないのだろう。 寝室だと広くて落ち着かないから二階の客間で寝ていると、短い通信の暇がとれたときに言っていたっけ。 ひかえめに探ると、たしかに二階ですやすやと眠っているらしい気配がある。 疲れた頭で、アルディアスは二階の間取り図を思い浮かべた。彼の友人は当然ながらほとんどが軍人で、体格がいいだろうからと客間には大きなベッドを入れたはずだ。 しかしさすがに、そこに自分が入っていったら狭いだろうか。せっかく眠っている彼女を起こしてしまうだろうか。 いや以前の新調する前のベッドでも窮屈と思われたことはないようだから、それは杞憂だと思いもする。 だとしても彼女のそばに行く前には、せめて血の匂いを洗い流してからにしたい。 シャワーを浴びなければ、そう思いながらも、彼の足は台所に向かった。冷たい水をコップに満たし、疲れた長身をソファに投げ出す。軍服の襟をゆるめて水を飲み干すと、思わずふうっと長い息をついた。 奇襲が成功したといっても、その後処理などやることは山積みだった。 寝室に彼女がいないなら、書斎の端末で先に仕事を終わらせてからシャワーを浴びたほうがいいかもしれない。 頭の中で、必要な書類のあて先と内容をリストアップしていく。 寝ずに活躍した彼の隊員たちのために、丸二日の休暇を申請したがそれが通っているだろうか。それから、もぎとった陣地を確保している別隊への申し送りをもう少し。 彼が狙った構造上の弱点は、敵も同じように狙える部分であったから、そこをまず強化しておかねばならない。味方に交代して戦場を離脱する際に当然伝えてはあったが、もう一度言っておいたほうがいいだろう。 また陣地が増えれば補給線が伸びる。かねて気になっていた途中の支援ポイントについても、今回実際通った際に詳細なレポートを作成してあった。その改善点についても早急に進言しておかなければ……。 自分自身も寝ていない頭でそんなことを考えているうち、いつのまにかそのまま寝入っていたらしい。 「アルディアス!?」 朝起きてきたリフィアのびっくりした声で、彼は目を覚ました。 「いつ帰ってきたの? どうしてソファなんかに?」 「あ……その、もう明け方だったし、二階のベッドは狭いかな、と……」 せっかく眠っているところを起こしたくなくて、何よりその前に血の匂いを落としてからと思っているうちに。 大事なところを伝えきれないまま、彼の声は尻すぼみになった。一瞬彼を睨んだリフィアが、くるりと背を向ける。 「……リン?」 「広々と寝たいなら、ずっとそうしてたらいいじゃない」 ソファなんかで寝た挙句そんなこと言われたら、普段からアルディがそう感じてて、それを私を気遣う体裁で言われたようじゃない。 そんなつもりないがないことも知っているけれど、だけどばつが悪かったなら、そんな言い方しなくても。 「リフィアン……怒った?」 「怒ってない」 遠慮がちに触れようとしてきた大きな手をかわして、白い壁を見つめたままリフィアは言った。 ずっと会いたかったのに。 無事に帰ってきてくれて嬉しいのに。 こんなふうにしたいわけじゃないのに。 どうして涙が出てくるんだろう。 作戦中、ほとんど寝ていなかったに違いない疲れた瞳。部屋着に着替えてすらいない、皺の寄った軍服。 彼だっておそらくはリフィアのために、必死に早く帰ってきてくれたのだ。 文字通りの強行軍で、着替えもせずに座ったソファで眠り込んでしまうほど疲れていたのだ。 わかっているのに、抱きしめて休ませてやりたいと思う一方で、堪えてきた寂しさの波が決壊してしまったようで。 狭くなんかない、窮屈だなんて思ったことない、ソファなんかで寝ないで一分一秒でも早く隣に来てくれたほうが、ずっとずっと良かったのに。 ずっとさびしかったのに。 叫びたい思いは声にならず、ただぽろぽろとリフィアの頬をこぼれてゆく。 涙をぬぐう彼女の細い背を、大きな腕が後ろから抱きしめた。とっさに逃げようともがいたが、強靭な腕はそれを許さず、かわりにそっと身体向きを変えさせた。 夕空の瞳がまっすぐに彼女を見ている。 「ごめん……リフィア、私が悪かったよ」 「しらないもん」 しゃくりあげながら目をそらして彼女は言った。我ながら子供のようだと思うけれど、どうしても止められない。 「ごめんなさい。今度から、必ず君の隣まで帰るから」 真摯な声に、リフィアは少しだけ目を上げた。 切れ切れになりながら言葉を紡ぐ。 「絶対……よ? どんなに遅くても……どんなに狭くても……よ?」 「ああ、絶対。どんなに遅くても、どんなに狭くても、君の隣まで。約束する」 泣き濡れたペリドットを見つめて、指先で小さな頬の涙をぬぐう。 朝陽がさすように、その約束に彼女は微笑んだ。 ------- ◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆【第二部 陽の雫】 目次 裏タイトル:「新婚さんいらっさい」 ←皆様、今日は朝からあちこちでおめでとうをありがとうございます♪♪たくさんのメッセやコメントをいただいたり、リアルにプレゼントをいただいたりしておかげさまで今年も幸せな誕生日を過ごさせていただいております。こうしてヒーリングをしたり物語を書き綴っていられるのも、ブログを読みに来てくださる皆様のおかげ。御礼の気持ちをこめまして、新婚さん話でも…。 え、いらない? ←ちなみに本体はくすぐったくてたまりませんがwwwそして、先日はもう一組の新婚さん、オーディンさんとエリーデさんにたくさんのお祝いメッセージをどうもありがとうございました。お二人から御礼のメッセージをお預かりしております。ただ今日出すとちょっと騒がしいですので 笑せっかくのお手紙ですから、また稿を改めてご紹介させていただけたらと思っています♪拍手がわりにぽちしてくださると幸せ♪→ ◆人気Blog Ranking◆webコンテンツ・ファンタジー小説部門に登録してみました♪→11/9 クンツァイト・ヒーリング ☆ゲリラ開催☆ 11/8~11/14 レインボー・エナジー・フレイム 一斉ヒーリング
2010年11月09日
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「そうか、あんたが今度の俺の上司か。よろしくな」 目の前に立った青年に、オーディンはにやりと笑った。 それを受けた相手もにっこりと笑う。 長い銀髪に藍色の瞳は、五年前ロッカールームで初めて出会ったときと何も変わっていなかったが、体格もぐっと良くなり、背ははるかに伸びていつの間にかオーディンを抜いていた。 「今日付で着任しました、アルディアス・フェロウ准尉です。よろしく」 すっかりいい青年になった相手が敬礼する。細くて華奢だった手も、ずいぶんと大きく逞しくなった。 青年が十七歳で士官学校に入るまでの二年ほど、どこかで会えば何度か話したりはしていたが、そういえばちゃんと名前を聞いたことがなかったと、ようやくオーディンは思い当たった。 「オーディン・ガーフェル一等兵だ」 「昇進、してないんですか? 戦果は上げていたはずなのに」 「いいんだよ、柄じゃねえ。それに昔から何度も言うがタメ口で構わねえよ……って今度はそっちが階級上か。敬語は言うのも言われるのも苦手なんだよな。とりあえずそっちは止めてくれ、俺も努力する……で、あります」 がしがし頭を掻くと、くすっと声がした。 「構わないよ。若輩者だから」 とりあえず砕けた口調に変えて、軍人には見えないような柔らかさでアルディアスが微笑む。 入隊後、彼がひどく辛い目に遭っている時にもオーディンは行き会ったことがあるから、その微笑が変わっていないことに少しほっとした。 次代の大神官という身分が軍にばれ、神殿の意向で士官学校に入ると聞いたとき、今度会うときには上司だなと見送った日が懐かしい。 それから一年ほども経った戦場での夜。 満天の星の下で、初めてオーディンは青年の静かな歌声を聴いた。 その声はあまりにも優しくなつかしくて、命をかけて戦地を走る者たちに大切なものを思い出させる。 気にかけていた初陣の若者が、蜂蜜色の髪を毛布に隠して嗚咽を隠しかすかに震えているのを見やりながら、オーディンもまた涙を拭っていた。 「あんた、歌うまいんだな」 翌朝、食事を終えたオーディンは若い上司を見かけると言った。 かつてはお前だった呼称があんたに変わっているのは、彼なりに敬意を表した結果である。 アルディアスは微笑み、それから少し心配げな顔になった。 「ありがとう。神殿では歌うのが日常だからつい……うるさくなかった?」 「いや。皆静かに泣いてたぞ。ふるさとを思い出すような、いい声だった」 言いながら、軍服の腰で手を拭って差し出す。賞賛のつもりだったが、銀髪の若者はわずかに躊躇した後その手をとった。 握手をした瞬間、アルディアスの瞳がわずかに見開かれる。何か言いたそうな彼の様子を察して、オーディンは試しに自分から心話で話しかけてみた。 (またかよ、しようがねえな。今度は何が見えた?) (……ごめん) はっきりとした答えが返り、やはり聞こえているのだと確信する。ほぼサイキックのない人間の心の声まであっさりサポートをして拾ってしまうこの上司の到達域は、もしかしてこの二年の間にさらに強くなっているのかもしれない。 手を離し、首を傾げてオーディンは片方の眉を上げてみせた。 (あんたなら構わん。今さら隠すようなこともないしな。今度は何だった?) (オーリイ、君は……君は、帰りたいとも、未来にゆきたいとも、思っていない。ラベンダーの香りとともに、すべての希望を土の下に埋めて) 痛ましげな表情から発されたその言葉に、オーディンの口から盛大なため息が漏れる。 (それもばれたか……ほんとにしょうがねえや) 肩をすくめて、彼は荷物に向き直った。並んで背嚢を整理しながら、ぽつぽつと語る彼の心が届く。 (俺はもう、自分の未来とか、希望とか、そういうものを自分に許していないんだ。 俺は、大事な人に想いを伝えることができなかったし、大事な人を救うこともできなかった。何よりも大事な人だったのに……) それができなかった、しようとしなかった自分自身が、つくづく嫌になったのだ。 だから軍隊の、それも一番下方に居続けた。 昇進を断り、つねに危険な前線に立ち続けて。 オーディンは軽く首を振り、目で蜂蜜色の髪をした初陣の若者を指した。 (俺の周りには、あんたを含め、今度入ったあいつみたいな、俺より若くて才能があって、未来のあるやつがたくさんいる。そういうやつが思いきり未来とか幸せとか、そういうのを選べるように、ちょっとでもいいから手伝うことができたら、それでいい) (オーリイ……) (俺はあんたが気に入ってる。例えば……あんたが幸せになってくれたら、俺はそれで幸せだ。俺が大事に思ってるやつらが幸せになってくれて、そいつらと一緒に、少しでも楽しい時間が過ごせたら、俺は十分だ) 荷物を詰めた背嚢を掌で叩いて形を整える。口部分の紐をぎゅっと引き絞る手には、必要より少し多く力がこもっているようだった。 アルディアスも荷物を詰め終え、毛布をくるくると巻いて締めた紐でくくり、蓋をかぶせて閉じる。 無言ながらじっと耳を傾けてくれている青年にむけ、眉根を寄せわずかに自嘲的な苦笑いを唇の端にひらめかせて、オーディンは背嚢を手に立ち上がった。 彼らがいた洞窟の出口のあたりからは、岩山を越えて朝日が昇ってくるのがよく見える。 アルディアスも立ち上がり、そっと促すように隣を見た。 オーディンは常に不安だった。 幸せにできなかったあの人から目をそらし、己のことばかり考えるようになったら……。 自分は、あの人を忘れてしまうのではないかと。 (それが……、怖いんだよ。大事な人なのに忘れちまうなんて) 鋭く射しこむ朝日にブルースピネルの瞳を細めつつ、オーディンは語る。 (俺は、自分を許さないことで、自分をあの人と結び付けようとしてるのかもしれん。ばかげた考えかもしれない。でも、それだけ俺にとっては、本当に大切な人なんだ……。…今でも) その瞳がきらめいたのは、朝日かそれとも他の理由によるものか、判別がつかなかった。 荒涼とした乾いた大地のむこう、葉の落ちた寒々しい木がちらほらと生えている岩山のさらに遠くから昇る太陽。 彼らの影を長く伸ばしたその光は、徐々に強く広く周囲を照らして一日の始まりを告げた。 あえて視線を朝日に固定し、隣を見ずにいたオーディンの頭に声が届く。 (そう……) ただそれだけを返した銀髪の青年を思わず見直すと、痛みをこらえるような藍色の瞳が静かに彼を見ていた。 (オーリイ。ただひとつ、どうか自分の身体も大事にしてくれ。君を慕う者たちは、君が思っているよりずっと多いんだから) オーディンが吐露した考えについて、それは間違ってるとも、本当にそれでいいのかいとも言わない。 ただただそっと受け止めてもらえたことに救われた気持ちになりつつ、心配げな青年の瞳に、オーディンは神妙にうなずいたのだった。 想いは手放せない、手放さない。 それを抱きしめていることが、自分が自分である意味のようにも思えるから。 永遠に、忘れることのないように。 そうすることで光の剣とともに胸に思い出が刻まれるかのように、オーディンは岩山の縁に立ち尽くして陽を浴びた。 日々の朝日を、月の光を、窓辺の光を受けるたびに、鮮やかにあのひとを思い出せるように。 …… ラベンダーは青い ラベンダーは緑 僕が王様 ね、女王様になって? 私を愛するあなた あなたを愛する私 私が女王様なら あなたは王様ね…… ------ ◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆【第二部 陽の雫】 目次 皆様、たくさんの反響をありがとうございます。1話めを除き、オーディンさん達の大事な物語に私からコメントレスするのもなんだか気がひけてしまい、レスは控えさせていただいておりますがすべて大切に拝見しております。オーディンさんとエリーデさん、お二人とも本体様がいらっしゃいます。今生無事にお会いになり、今は上で仲良くご夫婦としてお幸せに暮らしていらっしゃいます^^後の物語についてこんなふうなご報告ができるのも、銀月ならではですね~wところがお二人とも大変シャイでして、「私たちが銀月外伝に4話も使っちゃっていいんでしょうかっ」と大変不安がっておられたりもしましてwww過去の課題を思い出し、今生また大波にもまれながらもご一緒に乗り越えられたのですから、それはもう素晴らしいことだし、大切に物語として書かせていただけて、私はとても光栄なのですけど。どうぞ皆様、長い長い時を超えてついに結ばれたお二人へのご結婚祝い、未来への祝福として、よろしければこちらのコメント欄にご感想やメッセージをいただけたら幸いでございます♪拙いブログですが、謹んでこの場をお二人にプレゼントさせていただきたいと思いますwそして最後に私から。オーディンさん、エリーデさん、ご結婚おめでとうございます♪どんな波があっても、お二人ならば越えてゆかれるのでしょう。当時のアルディアスとして今の私として、心から祝福を贈らせていただきます。どうぞ末永くお幸せに……♪★お二人に祝福のメッセージをありがとうございました。 頂いた皆様へ、お二人からのお礼の言葉をお預かりいたしました。 「外伝秘話 ~ 物語の奇跡」という稿にまとめましたので、よろしければご覧下さいませ^^ (11/11,2010) 拍手がわりにぽちしてくださると幸せ♪→ ◆人気Blog Ranking◆webコンテンツ・ファンタジー小説部門に登録してみました♪→☆ゲリラ開催☆ 11/1~11/7 レインボー・エナジー・フレイム 一斉ヒーリング
2010年11月04日
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彼女が永遠の旅路に出たのは、その夏が終わろうとする頃のことだった。胸の上に手を組み、ひっそりと目を閉じるその姿は、いつものようにただ眠っているだけのように見える。枕元には何本ものラベンダースティックがきれいに籠に入れてあった。そのうちの幾本かは、濃いブルーの細いリボンでひときわ丁寧に編まれている。同じ色の瞳でそれらを見やりながら、オーディンは呆然としてベッドの前に座り込んでいた。「エリィ……どうしちゃったんだよ?」かすれた声。知らせを受けて飛んできたばかりの彼は、まだ土と埃に汚れた軍服姿だった。いつも見ていた彼女と同じようでいて、その姿はあまりに違う。早く強く大きくなりたくて、彼女を護れるようになりたくて、心配されるのを承知で軍隊に飛び込んだ。そして一年。背も伸びたし実戦経験も積んだ。血と死体と糞便の散らかる戦場はとても恐ろしかったけれど、一年前の自分に比べたら少しは強くなったと思う。「エリィ……」呼びかける声に返事はない。窓辺に両肘をつき、顎をのせて下を見て、ぽつりぽつりと愚痴をこぼす彼の頭を撫でてくれた優しい手。甘えさせてくれるのが嬉しくて、でも早く「弟」より強い存在になりたかった。軍にはフル装備で長距離を走破するような訓練もある。それらで鍛えられたオーディンはかなり精悍な体つきになっていた。今なら細身の彼女を背負って、どこまででも歩いてゆけるだろうに。部屋と窓辺しか知らぬ彼女に、見たいと望むどんな景色でも、一緒に行って見せてやることができるだろうに。なんでこの間帰ったときに、気分の良さそうだった彼女を少しでも背負って外に連れ出してやらなかっただろう?内気な彼女が恥ずかしがるだろうと遠慮しないで、窓から見えない野に咲く夏の花々を直接見せに行ってやればよかった。その傍を通ったとき、ああ見せてやりたいなとふと思ったのだから。どうしてそれを叶えなかっただろう?エリーデが好きそうだと思った花を、どうしてもっとたくさん摘んでいかなかっただろう?できなかったことばかりが頭の中をぐるぐると回って、オーディンは唇を噛み締めた。幼いころから病弱だったエリーデが、家より外を知らないから望みもしない、たとえそんな状態だったとしても。歩ける自分が、彼女に世界を見せてやりたかった。海も空も満天の星も山の頂に流れる風も、こんなにも遠くまで広がって、生きとし生けるもの達を包んでくれている。その果てない大河の中、躍動する生命の息吹の只中に自分達はいるんだと、彼が触れた感動のままに伝えてやりたかった。エリーデが病気でも年上でもなんでも、そこに居て笑ってくれるだけで奇跡のように嬉しいことなんだと伝えたかった。彼女の遺体が棺に納められたとき、オーディンは震える手でポケットから小箱を取り出した。中に入っているのは、小さな石のついたソリテールの華奢な指輪。まだ十九歳の彼は、婚約やプロポーズなど、大それたことを考えていたわけではない。けれどほっそりしたシンプルな指輪を、前から彼女にあげようと思って買ってあった。せめて指にはめてやろうとしたが、冷たい手に自分の手が無様なほどガタガタと震えるためか入れられない。オーディンは指輪を小箱に戻し、枕元の位置にそっと入れさせてもらった。「あんたが、好きだった」ラベンダーに埋まった青白い顔の傍に頬を寄せて、オーディンはそっと囁いた。言いたくて言えなくて、気持ちだけはずっと抱いていた初めての言葉を。「好きだったよ……」埋葬が終わって建てられた真新しい墓標に指を触れながら、オーディンは口の中でもう一度呟いた。人々はすでに去って、墓地には彼しか残っていない。晴れ渡った空には細い雲が風にたなびき、一足先に秋が来たようだ。 好きだった。過去形のその言葉にどうしようもなく打ちのめされて、オーディンは墓標の前に膝を落とし、叫ぶように泣いた。顎を伝った大粒の涙が、掘り返されたばかりの土を握りしめる手にぼろぼろと落ち、まだ柔らかい地面に染み込んでゆく。「うわあああああっ……」喪服の膝下が泥に汚れるのも構わず、彼は嗚咽した。逃げていたのだ。彼女より年下だから、軍で身体を鍛えるまで。病弱な彼女が、頼れる男になってから。そうやって理由をつけて、故郷に帰れば待っていてくれる環境に甘えて、実際には想いを伝えてこなかった。いつか彼女にふさわしい男になったら。いつか。彼女の病気を軽視していたわけではけっしてないけれど、若いオーディンは未来が長くあることをどこかで信じて疑っていなかった。いつか。そのうち。もう少し。唱えていた呪文がいかに虚しいものであったか、彼女とともに未来のすべてを喪ってから、ようやく彼は気づいた。自分がいかに表面的な条件に囚われ、大事なことを見落としていたのかということに。逃げてはいけなかったのだ。時は流れ逝きて、けして戻ってはこないのだから。喪ってしまった人は土に還り、思い出だけがこの胸に残る。黒髪の若者は、引き裂かれるような気持ちになって唇を噛み、握りしめた拳を大地に打ちつけた。しかしオーディンは気づいていなかったが、逃げていたのはエリーデも一緒だった。身体が弱いから、年上だから、姉のようなものだから。さまざま理由をつけては、自分の気持ちに嘘をついたり宥めたりして、伝えることを先延ばしにしていた。彼を縛ってはいけない、彼に自由をという大義名分に隠れて、彼の想いを受け止めるのを恐れていたのかもしれない。同時に思いを伝え踏み込んで、逆に嫌われてしまったらという不安。望みを現実に反映させ、変えてゆくのが怖かったのかもしれない。彼女は極端に変化を、彼に嫌われることを恐れていた。幼い頃から病につきあい、痛みや発作を逃すことには長けていたが、その分今の生活が崩れることを恐れていた。慣れない状態で発作が出たらどうしようという恐怖。それでも彼と一緒なら越えられると……そう、思えればよかったのだが。二人は結局、自分のことも相手のことも未来のことも、きちんと見ていなかったし信じてもいなかったのだろう。二人で生き抜くには覚悟が足りなかったのかもしれない。常に自己否定と不安が付きまとう中、あれが好転したら、これがこうなったらと条件をつけて踏み出さない言い訳にしていた。それが、むしろ互いを傷つけているとも気づかずに。結果論かもしれない、それでも。本当は、お互いに想いを伝えて、その上で二人の時間を大事にできればよかったのだろう。エリーデの命数が尽きるのは決まっていたとしても、それまでの時間を大切に一緒に紡いでゆくことで、別の世界がそこにはできあがっているはずだった。同じ早くに亡くしてしまっても、互いの記憶は違う形をとっているはずだった。天寿を伸ばすことはできない。しかし二人が望み動くなら、同じ時間に流れ落ちる砂時計の砂粒を、黄金に変えることはできたのだ。死が二人を分かつまで、それまでは。------ ◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆【第二部 陽の雫】 目次 拍手がわりにぽちしてくださると幸せ♪→ ◆人気Blog Ranking◆webコンテンツ・ファンタジー小説部門に登録してみました♪→11/2 ベニトアイト・ヒーリング ☆ゲリラ開催☆ 11/1~11/7 レインボー・エナジー・フレイム 一斉ヒーリング
2010年11月02日
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ラベンダーは緑 ラベンダーは青い 私を愛するあなた あなたを愛する私 小鳥が歌い 仔羊が遊ぶ 安らぎの地で歌い踊るの 私が女王様なら あなたは王様ね 誰がそう言ったの? 誰がそう言ったの? そう言ってみただけよ 私のひとり言…… 童謡を口ずさみながら、エリーデはベッドの上に座って器用に指先を動かした。 七、八本のラベンダーをまとめて花の際に細いピンクのリボンを結ぶ。それから銀色がかった茎を折り返し、籠を編むようにリボンで茎を編んでいった。 花の部分を越えたらきゅっとすぼめて、くるくると斜めにリボンを巻いてゆく。最後に可愛らしく結んで、ラベンダースティックの完成だった。 前に流れてきた落ち着いた色の長い金髪をかきあげ、ここちよい青い香りを吸い込んで、ほっと息をつく。 できあがったスティックは梁につるして乾燥させれば、箪笥に入れたり枕元に置いて使えるようになる。 体調がいいときには、彼女はこうしてハーブの小物を作っていることが多かった。 部屋に満ちる香りに支えられるように、ときにはもたれるようにして毎日を過ごしているが、あまりにも近く包まれていすぎると今度は息がつまったようになってしまう。 だからできあがった小物はいつも母親に頼んで近所に分けてしまい、自分のところには数個を残しておくだけだった。 ベッド脇の開け放した窓からは爽やかな初夏の風が流れて、白いレースのカーテンをふんわりとふくらませていた。 「ようっ。今日は起き上がってるのか」 カーテンの向こうから、聞きなれた声がする。そこには長めの黒い髪に濃い青の瞳をした青年が立っていた。 「よかったな」 そういって彼は、手に持っていたラベンダーの束を差し出した。摘んできたばかりの鮮やかな香りが新しく部屋に広がる。 時々香りを入れ替えるように、彼はこうして花を届けてくれるのだった。 「うん、顔色も悪くないな。けどあんまり無理すんなよ、エリィ」 ブルースピネルの瞳が、心配げにエリーデの顔を覗き込む。たくさんのラベンダーを膝の上に散らせて、彼女は微笑んだ。 「ありがとう、大丈夫よ。オーリィ、あなたこそ無茶はしないでね」 茶色の瞳に窓越しの陽射しが入り、やわらかなオリーブグリーンの光を重ねる。オーディンも思わず破顔した。 幼馴染の彼が軍人になることを選んだのは、去年の春だった。それから一年、オーディンはずいぶん日に焼けて、かなり体格もよくなったようだ。 危険ではあるけれど、彼が選んだ大事なお仕事。だから文句は言うまいと、エリーデは微笑みの裏に心配を押し隠していた。 幼馴染から始まった想いは、まだ若葉が萌えるように変化をきざしたばかりで、二人の間にはラベンダーのように青くほのかな空気が流れている。 中央基地の寮に入ったオーディンはしかし未だ不器用で、休みになると黙って帰ってきてはこうして窓を訪れるだけだ。 何を言うわけではなく、ただ彼女の体調を心配し、起き上がっていれば喜び、そして長居して彼女を疲れさせないように気を使って帰ってゆく。 エリーデのほうも、引き止めたいとは思うものの、そして想いの源泉にも気づいてはいるものの、未だ言い出せずにいるのだった。 彼女は、病弱な上に三歳年嵩の自分を引けめに思っていた。 いつかこの人は、健康で年相応のかわいい人を見つけて、そして結婚するのだろう。その邪魔をしてはいけない。 「じゃあ……俺、帰るな。また来るから」 ほんの数分もしないうちに、さっと片手をあげて、オーディンは去ってゆく。 無理すんなよ、と言い置いて。 かえらないで。 そのひと言を、伝えられたらどんなにいいだろう? 危険な戦場になんか帰らないで、どうかここにいて。 けれど言葉は音にすらなることなく、かすかな吐息に変わって消える。エリーデは微笑みを浮かべ、気をつけてねと手を振った。 部屋、それもベッドの上と、窓から眺める庭。 ほとんどそれだけの自分の狭い世界には、オーディンはとても大切な存在だ。 いつも窓際にやってくる彼の存在は力強い太陽のように、つねに彼女を明るい外の世界へと導いてくれた。 そのぶっきらぼうな、しかし繊細な優しさは、寂しいエリーデの心に暖かくブランケットをかけてくれるかのようだった。 しかし自分は年上で、身体も丈夫ではない。 彼と同じフィールドに出ることも、隣に立つことも望めない。 いくら心配しても、彼が広い世界へ出て行くのを止める事はできないのだ。 できないなら言ってはいけない。 優しいあのひとを縛りつけてしまうだけなのなら、この想いはずっと言わずに墓場の向こうまで持ってゆく。 あのひとの自由を奪いたくはない。 一年でずいぶん逞しくなった背中が見えなくなると、彼女はふっと息をついた。膝の上のラベンダーやリボン、小さな鋏を集めて手近な籠に入れ、倒れこむようにベッドに横になる。 頭がくらくらとして、芯がベッドに沈み込むように痛かった。 (あのひとから貰ったラベンダー……乾く前に早く編まなくちゃ) ハーブの加工は茎がやわらかいうちにしておかなくては、乾燥すると曲げたときにぽきりと折れてしまう。 けれども今は起きられそうもなくて、ひと眠りしてからにしようとエリーデは目蓋を閉じた。 置いていかないで。 置いていかないで。 眼を閉じて横になっているはずなのに、くらくらと視界が揺れる。 むなしく手を伸ばす暗闇の中、浅い夢の国で夢魔が囁く。 あのひととは道が別れてしまったの。 こんな身体ではあのひとの隣には立てないのよ。 エリーデの想いに呼応するように、暗がりの視界で誰かが背を向けて去ってゆく。 小さな頃は三歳下の可愛い弟と思っていたのに、いつのまにかあんなにも背が高く、腕も逞しくなって。 彼の背は、あんなに広かったろうか? 彼の肩は、あんなに鍛えられて厚かったろうか? 向けてくれる太陽のような明るい笑顔だけは、ずっと変わらない彼。 けれど暗がりの中で遠くに行ってしまう。 その背に伸ばした自分の手は、ひどく細く青白くて、太陽の下には不釣合いだとエリーデは思った。 彼には不釣合いだと。 置いていかないで。 置いていかないで。 ……諦めたんじゃなかったの? 氷が背筋をすべり落ちるような悪寒が走る。 立ち上がって追いかけたいと思うのに、身体が言うことをきかない。 力の入らない足、起き上がっただけでくらくらと目が回る。 追いかけられない。 神様、彼に幸せでいてほしいのです。 神様、彼の自由を縛りたくはないのです。 彼が私を求めているのでないなら、私はこの想いを伝えてはならないのです。 いつからか、道はすでに別れてしまったのですから。 だから神様、私に諦め続けるための力をください。 彼の幸せを邪魔せずに、笑顔で祝福できるだけの力をください。 私なんかよりずっとずっとふさわしい人が、彼にはきっといるのです。 夢うつつのベッドの中で、エリーデは祈るように両手を組み合わせた。 その手で胸にあふれる想いを堰き止めようとするかのように。 置いていかれるのは恐ろしい。一人になるのは怖い。 不安に苛まれながら、けれど追いかけることもできない自分。 ほんのわずかな窓辺への訪いを、心待ちにしている自身にエリーデは気がついていた。 休みのたびに帰郷してくれる彼に、期待と申し訳なさが入り混じる。 オーディンの家でも彼を待っているだろう。思ったより頻繁に帰省する度に、こちらにまで顔を出してくれるのは大変だろうに。 そう思っても口に出せないのは、そのわずかな時間を宝石のように楽しみにしているからだ。 ハーブの香りにもたれるように生きながら、諦めを友として生きながらえながら、彼の訪れを心の底のどこかで待ち続けているからだ。 矛盾した気持ちだとわかっているが、それでもハーブがわずかの水を欲するように、その時間を待つ自分がいる。 ほんのわずかでいいのだ。 幼馴染の姉としてでも会える時間が、ポプリのように優しい手ざわりで後の寂しさを支えてくれるから。 ……ラベンダーは緑 ラベンダーは青い 私を愛するあなた あなたを愛する私…… ------ ◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆【第二部 陽の雫】 目次 前話にもたくさんの応援、ありがとうございます。 オーディンさんは大好きな人なので、書記の私も嬉しいです~♪ 拍手がわりにぽちしてくださると幸せ♪→ ◆人気Blog Ranking◆webコンテンツ・ファンタジー小説部門に登録してみました♪→☆ゲリラ開催☆ 10/26~10/31 レインボー・エナジー・フレイム 一斉ヒーリング 11/2 ベニトアイト・ヒーリング
2010年10月31日
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ラベンダーは青い ラベンダーは緑 僕が王様 ね、女王様になって? おつきの人達を呼んで 仕事を言いつけてよ 耕したり 運んだり 干草作りに 小麦の刈り取りをさ そしたら僕たち 二人きりでいられるから…… ひどい戦いだった。 市街戦から戻ったオーディンは、寮のロッカールームのベンチにどさりと腰を下ろした。 下等兵が詰め込まれた寮は相部屋で、シャワーは共同である。髪も身体も洗って上がったばかりだが、血の匂いがどこかこびりついている気がする。 オーディンは少し長めの黒い髪をざっと拭いて、イオン飲料のボトルに口をつけた。共同シャワーには比較的若い兵が目につくが、それでも二十代前後が多い。彼のブルースピネルの瞳は、ベンチの隅に壁を向いて座る少年に惹きつけられた。 自分より三歳ほど下だろうか、せいぜい十五、六だろう。二等兵の募集は最低十五歳からではあるが、たいがいはオーディンのように高校卒業後、十八歳くらいで入る者が多かった。 まだ背も伸びきっていないような少年は、さすがに少ない。 「大丈夫か?」 長い銀髪を首の後ろでひとつにまとめ、上半身は首にタオルをかけただけのその細い背があまりにも痛々しくて、彼は思わず声をかけた。 膝に両腕をつき、がっくりと首をうなだれている少年には聞こえなかったのか、何も反応がない。 身体に怪我はないようだが、心から血が流れているのが見えるようだ。 「……おい?」 オーディンは立ち上がると、少年のとなりに腰かけた。 ぱっと少年が顔をあげ、藍色の瞳がオーディンを見る。 (こいつ……) その顔を見てオーディンは思い出した。サイキックの高い少年兵がいると聞いたことがある。今日の戦いでも、その能力で子供を一人助けたはずだ。 しかし少年の瞳は、誇りや喜び以外のものに揺れているようだった。 (こいつ、能力もすげえけど、その分余計になんか思いつめてねえか?) 「おい、その……よ」 彼自身も初の市街戦に出たばかりで、フォローできるほど落ち着いていたわけではない。 けれども傷ついた瞳を放っておけなくて、オーディンは壁を見ながら呟いた。 「あんまり気にすんなよ。な? 大きなお世話かもしれねえけど。……できるはずのことを、やらなかったわけじゃないんだからさ」 ぽんと細い肩に手を置く。 すると少年が一瞬その瞳を見開き、そして小さく呟いた。 「あなたも喪ったんですね……」 「……なんだって?」 低くなったオーディンの声に、少年ははっと顔色を変えた。言うつもりはなかったという顔だ。 「すみません」 慌てて立ち上がって肩の手を払おうとするのを、オーディンは逆に押さえ込んだ。細身の少年に比べると、彼のほうがまだ背が高く体格もいい。 まだ瘡蓋にもならない傷口をえぐられたような気がして、オーディンの声はさらに低く鋭くなった。 「待てよ。お前、能力者なんだろ? 何を見た?」 「すみません。見るつもりはなかったんです。誰にも言いませんから」 少女と言っても通りそうな優しげな顔をゆがめて、銀髪の少年は小さく首を振った。 ひどく辛そうなその表情に、まだ筋肉が少なく骨ばった肩に指を食い込ませていたことに気づいて力をゆるめる。 ゆっくりと息を吐いてオーディンは続けた。 「いや。聞いたことがある。強い能力者は相手の心を読むつもりがなくても、強い感情や記憶は拾ってしまうことがあるってな。お前もだろ?」 「……わざとじゃないんです」 「わかってる。訓練でそれを閉じることはできるそうだが、子供にゃ無理な話だよな。ましてシャワーを浴びたばかりで、制御機器もつけてない」 子供。そうだ、目の前の少年は妙に大人びているようでもあったが、傷ついた子供のようでもあった。 十代での三歳違いは大きい。年下相手に、俺は何をやってるんだ? オーディンは自らを止めようと試みたが、何が自分の心から漏れていたのかが気になっていた。すべて隠して抱きしめていようと思っていたもの。 (……ラベンダーです。青紫の花の咲く、いい香りのする窓辺。ベッドに横たわる青ざめた顔色の若い女性。その人が起き上がっているとき、あなたは手に一束のラベンダーを持って、窓の外から声をかけた……) 突如として頭に声が響いたので、オーディンは息を呑んだ。見直した藍色の瞳が、輝きながらじっとこちらを見ている。どうやら少年の声であることは間違いがないようだった。 (心話……? 俺にはそんな能力はないはずだが) (僕は相手の受発信をサポートすることができます。他の人に聞こえないほうがいいと思ったので) (サポートだと? どれだけの能力者なんだお前) 初めての心話の声は、聞き間違えようがないほど明瞭だ。呆気にとられたオーディンに、少年は首を左右に振った。 (いいえ。制御できなくては意味がありませんから) そして少年はふっと顔をそらした。 (それから……黒い服の葬列。空になった寂しい窓辺に立ち尽くしては、涙をこらえて慌てて歩き出すあなた……僕が見たのは、それだけです) ごめんなさい、と心話にも収まりきれないような謝罪の気持ちがオーディンに押し寄せた。 図らずも他人のプライバシーを覗いてしまったことへの悔恨と申し訳なさがあふれている。 そこに言いふらそうとしたり茶化したりする意図は微塵もない。 優しい奴だとオーディンは思い、素直な謝罪に怒る気がなくなってしまった。 (そうか、見えたのか……) 幼馴染の彼女とは、いつか一緒になるんだと自然に思っていた。 だが婚約も結婚もしていなかったから、亡くなったときは「知り合いの不幸」と体調不良を理由に数日帰郷しただけだ。 喪服を着て、呆然と彼女の遺体を見ている彼の肩に、彼女の父親がそっと手を置いたのを覚えている。 「エリィは君のことを待っていた。私たちもね、もう少し元気になったら君と一緒になってもらいたいと思っていたんだよ……」 待っていた。待っていた。 その単語が頭を駆け巡る。 軍人になった彼を、エリーデはひどく心配していたのだという。けれども、彼が選んだ大事なお仕事だからとずっと黙っていたのだと。 彼女が危篤になったとき、オーディンは作戦中だった。下っ端の二等兵である彼には連絡さえそのときには届かず、作戦が終わって戻ってからそれは伝えられた。 矢も盾もたまらずに土に汚れた軍服のまま基地を飛び出し、故郷に着いたときにはもう……間に合わなかったのだ。 冷静に言うなら、彼女の死は彼のせいではないのかもしれない。 彼女の身体は生まれつき弱くて、いつもベッドに寝てばかりだった。 たとえ間に合ったとしても、癒しのための知識を持ち合わせているわけでもなかった。 しかし、もし息のあるうちに会えていたなら。 体温の消えぬ手を握り、励ますことができていたなら。 もう少し、もう少し彼女は長生きしてくれたかもしれないと、どうしても思ってしまうのだ。 ラベンダーの香りの向こうにゆれる、やわらかな微笑み。 身体が弱くていつもにこにこと微笑んで心配症で、そのくせ誰よりも強い芯を持ったひと。 誰よりもこの腕で護りたかった、……護れなかった、人。 「……素敵なかただったんですね」 真摯な声で、大事な面影をそっと包むように少年がささやいた。 いつしかシャワールームからは人影がなくなっている。皆腹ごしらえか眠りに行ったのだろう。 「……ああ、そうだよ」 ブルースピネルの瞳でまっすぐに見返し、オーディンは答えた。 消え去りやらぬ忘れ去りやらぬ、やさしい青紫の花の面影。 そうだよ、俺にとっては誰よりもさ。 …… ラベンダーは青い ラベンダーは緑 僕が王様 ね、女王様になって…… ------ ◆【銀の月のものがたり】 道案内 ◆【第二部 陽の雫】 目次 オーディンさんの物語です。流れ的にちょうどいいので、ここに。4話ありますので、たまにはちょっと日を詰め気味にアップしようかと思っていますwちなみに、ラベンダーそのものがヴェールにあったかどうかはわかりませんが似たようなハーブはあったように記憶しています。名前が実はわからないんですが、歌と掛けたかったのであえてそのまま地球語で 爆それから、トールことやヒーリングの種類、不思議な世界感、石のことなど、どうやってわかるようになったのか、習ったのか、というご質問をいただきましたが。うーん…石のことは本やネットで勉強して、中の人やヒーリング、世界観については元々の感覚や実践によってなので特に誰かに習ったりはしておりませんです~ある意味てけとーです 爆ぽちしてくださると幸せです♪→ ◆人気Blog Ranking◆webコンテンツ・ファンタジー小説部門に登録してみました♪→☆ゲリラ開催☆ 10/26~10/31 レインボー・エナジー・フレイム 一斉ヒーリング 11/2 ベニトアイト・ヒーリング
2010年10月29日
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