よんきゅ部屋

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Jan 7, 2007
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この曲は新年の演奏会企画として取り上げられることが多い。第2楽章は「家路」として親しまれているし、第4楽章冒頭はCMなどでよく使われており、部分的には触れている人は比較的多いだろう。しかし、全曲となるとどうだろうと思う。かくいう私も、ヴァイオリンを持って演奏するようになるまではそうだったが、今ではスコアをおそらく一番深く長く読んだ曲のひとつだ。ここまで曲に対する触れ方が変わってしまうものかと今となっては思ってしまう。

この曲は1893年、ドヴォルザークがニューヨークの音楽院の校長として招かれてアメリカに滞在した時期に作曲された。この時期には弦楽四重奏曲「アメリカ」や弦楽五重奏曲第3番、チェロ協奏曲と代表作がたくさん生まれている。この曲の副題は「新世界より」であり、実はこの「より」が重要な意味を持っているように思える(チェコ語で「より」は"z"一文字。スコアの表紙にはちゃんとそのまま「新世界より」と書かれている)。というのも、この曲は「新世界」すばわちアメリカそのものを描いたというものではなく、むしろ故郷の人に宛てた近況報告というか印象記というか、そんなところ(「ボヘミア人が見たアメリカ」とか)ではないかなと思われる(むしろ、この曲より後の作品の方にアメリカ先住民の音楽の影響があるように思う)。音楽そのものはチェコ的な要素が多いように思う。

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第1楽章:
静かに沈み込むような開始、そこを切り裂くような弦楽器とティンパニによるフレーズを経て、ホルンによる第1主題へ。シンコペーションと山型の音型が印象的で、これは全曲の至る所で使われている。チェコとは少し違う新しい世界はドヴォルザークにとってこういう色に見えたのかなと思う(抜けるような明るさはない)。第2主題は短調の民謡風旋律だが、チェコのものとは少し違うノリがある。また、その後にフルートのソロ(その後続いてヴァイオリン)で演奏される結尾部分は対照的に長調の民謡風旋律も同様に感じる。

その後さまざまな調や楽器を駆使しながら展開がなされていくが、再現部での工夫が私は個人的に好きである。それは第2主題で1回目より半音上げた音階によって旋律が演奏されることである。これは昼と夜のような違いがあってとても魅力的だ。その後に最後まで突っ走る推進力も素晴らしいなと思う。

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第2楽章:
主題は今さら何も付け加える必要もない超メジャーな旋律。イングリッシュホルン、しかも変ニ長調を使っているところがますます「家路」の感じを強めていると私は思う。これを聴くと家に帰りたくなってしまうから困りものだ(小学校の時に下校時刻まで毎日野球をやっていたのを思い出す)。その前の導入部分で金管楽器だけのコラールがあるのだが、これが素晴らしいと思う。実は第1楽章から関連性を持たせるような和音で始まっているので、違和感なく入り込んでいけるのだ。



夜が深まっていくかのように音が静まるとヴィオラが半音上がるのを合図にオーボエが登場、夜明けのようになる。そして、輝きを増して金管が登場(ここも第1楽章の主題の断片が使われている)し、それがだんだん遠のいて再び「家路」の登場。その旋律もだんだん断片化してヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの三重奏になった後で合奏になる。次に1stVnだけで演奏される息の長い旋律は終わりたくないかのような雰囲気。最後は金管のコラールそして、4パートに分かれたコントラバスで閉じられる。細部にわたるこだわりがいろいろと生きている味わい深い音楽である。

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第3楽章:
この楽章ではトライアングルが使われているのが印象的。急速な3拍子の中にヘミオラを入れ込んでいくのは「スラブ舞曲」でも多く使われるリズムでドヴォルザークお得意の手法である。この曲を指揮したときにとても苦労した。

中間部にあるホ長調の部分はちょっとそれまでのドヴォルザークにはなかった感じで、少し新世界に影響された部分だろうか。しかし、その後に来るハ長調のワルツ的な部分はチェコの雰囲気がやはりする。冒頭部分が戻ってくる場所は急速な場面転換だが、これもなかなか合奏では合いにくい場所で苦労した。

コーダの終わりの部分ではrit.(「遅くする」)と書くのではなく、1小節の中にある音符の数を6→5→4→3→2→1と減らして遅くなるように書いてあるのが初めてスコアを見たときに驚いたことだ。

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第4楽章:
最初の音型を「ジョーズ」みたいだと言えば世代がばれてしまうが、序奏部分をこれから展開していく工夫は作曲家のすごさを実感する。そして主題(ホルン→ヴァイオリン)はこの曲の代名詞とも呼べる部分。これが一段落する場所でシンバルが一発だけあるのだが、これがとてつもなく難しいらしい(ただ「ジャーン!」ではダメなので)。その後のクラリネットの旋律はやはりチェコの雰囲気、それが盛り上がった後に出てくる弦楽器の旋律はチェコ風だが楽器の組み合わせ方は第8番と違う。やはりいろいろと考えられているのだろうか。

その後第2楽章の主題の断片が展開されたり、第1楽章の第1主題が顔を出したりといった新しい手法を使っている。展開部が終わった後の再現部(といっていいのかな)はホ長調、爽やかな風が吹くような曲の運びが私は大好きである。その後も各楽章の主題を変形させながら、頂点を築く(この部分も第2楽章のコラールの変形)。それが終わった後で第2楽章の主題と第3楽章の主題を組み合わせてどんどん静まっていく。

ホルンが弱音ででこの楽章の第1主題を演奏すると、それをきっかけに最後の盛り上がり。普通はフォルテで終わるのが、ドヴォルザークは何と最後の音をだんだん弱く、そして「長く(lunga)」と書いている。手紙を書き終えたペンをそっと置くかのような感じだ。そういう意図がどこまであるのかはわからないのだが、そういうことを感じてしまう。


この曲も私にとって大事な場面に登場する曲である。初めて学生指揮をしたのがこの曲、大学時代に最後にコンマスをやったのもこの曲、そして遠隔地に勤務するために所属オケのコンマスを辞める時の最後にやったのもこの曲。いろいろな思い出が詰まっている。

学生指揮とはいえ、本格的にオケの一曲を任されることになった初めての曲というのがやはり強烈に残っている。とにかく指揮のことをわかっていなかったのをやるわけだから、かなり大変である。曲の勉強はとにかくやった。今でもそのときのスコアを大切に持っているが書き込みだらけだ。今の自分の演奏のやりかたの原点でもある。

当時本番を指揮していただいた先生にこの曲を習ったときの経験もよく覚えている。第2楽章冒頭のコラールをやってみろと言われてやってみたらうまくいかない。そのときに「そんなに無理してコントロールしようとしたら管楽器は吹けないよ。もっとやわらかく合図を出してみなさい。とにかく力を抜いて。」言われたとおりにやってみたら、ちゃんと出た。力を抜くことは演奏でも指揮でも基本中の基本、今でも思い出さなければならない経験だ。

また、本番を指揮したことのある唯一の曲でもある。OBになってから大学オケの出張演奏でそれこそ百人単位の人の前で指揮をした。やるだけのことはやっていたので、お辞儀をするまでは緊張していたが振り返ってメンバーの顔を見た瞬間に落ち着いて自分のペースへ。唯一のチャンスは成功したが、実はそれ以来、練習専門で本番の指揮はしたことがない。まあ、そんな度胸のあること、学生とかでなければ無理かななどと思ったりする。





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Last updated  Jan 7, 2007 07:58:11 PM
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