◇あらすじ
春もたけなわの播州(兵庫県)須磨の浦。ここにかつて藤原俊成に使えた何某が、俊成の亡くなった後出家し、西国行脚の道すがら、一人の老人に巡り会う。
この老人は桜の樹に花を手向け、忠度ゆかりの桜木であるからと弔いを頼む。
夜になると忠度の亡霊が昔の姿で現われ、自分の歌が千載集(せんざいしゅう)に採られながら朝敵であるがために、「読み人知らず」とされたことを嘆き、出陣の際に歌を託したことや、一の谷の合戦で岡部六弥太(おかべのろくやた)と組み合い、ついに命を落としたことなど最期を物語って消える。
※参考:夜桜能パンフレット・能楽鑑賞百一番(淡交社)
ちょっと平家物語(⌒◇⌒)ノ
平忠度は清盛の異母弟です。
薩摩守(さつまのかみ)で 藤原俊成を師として和歌をよくしたといいます。
またここでは豆知識程度でしか触れませんが狂言に「薩摩守」という演目があります。
忠度は和歌を慈しみ、文武両道に優れた武将。
都落ちのときに、 藤原俊成
に歌の巻物を託したほど和歌に対する執念は強かったのです。こういったエピソードからこういった能の作品が出来たのでしょう。
一の谷では平家が総崩れになり、あの平知盛もまた渚の船に向かって、子である知章の死を目の当たりにしつつ逃走しているところでした。
忠度もまた船を目指して逃走している最中、岡部六弥太に追われ戦わざるを得なくなりました。
忠度は太刀を抜き六弥太を押さえ、切りつけ、とどめを刺そうとしたとき、六弥太の家来が追いつき馬から飛び降りざまに刀を抜いて、忠度の右腕を肘のところからスッパリと切り落としてしまうのです。
忠度は、じっと 「最期の十念(念仏)を唱えるから、そこをどけ!」とうずくまる六弥太を左手一本でムンズと掴み、数メートルを投げ飛ばした
と言われています。
す・・・すごいですね!大の大人を片手で投げ捨てるとはっ!
十念を唱え終わるころ、六弥太は後ろから忠度の首をとった・・・と。
これが平忠度の最期です。壮絶ですね・・・。