初めての宝生能楽堂。
18時半開演と少々早め。
ギリギリの状態で仕事場を後にしたために、うっかり地図を忘れてしまいました( ̄▽ ̄:)
駅からの案内図もない、広域地図にも「宝生」の文字は見当たらず、刻々と時間が迫り慌てて、某所の警備員のおじさんに助けを求めましたが、
警備員のおじさん「ほうしょう?」「寺ですか?」
あめみこ「・・・・・・・・・・・( ̄▽ ̄:) いえ・・・能楽堂」
||||||||||||||(* ̄ロ ̄)ヤバイ||||||||||||||||
(・_・) あっ、そうだ。
と思い出し広げたのが「狂言ハンドブック」
普段は持ち歩かないのですが、バタバタしていて全く曲の予習をしてこなかったために、電車で読もうと持ち歩いていたのですね。
ここに、「全国の能楽堂一覧」が( ̄∀ ̄)
お陰で住所が分り、なんとかたどり着くことが出来ました。
・・・って余分な坂を上がったり下りたりしましたけど( ̄▽ ̄:) ←方向音痴です
さて、肝心な「平成17年 野村狂言座 追加公演 其の壱」のレポです。
よろしければお付き合いください。
2005年7月28日(木)宝生能楽堂
番組表(敬称略)
■狂言「舟渡聟」
船頭・舅/石田幸雄 : 聟/高野和憲 :姑/野村萬斎 : 後見/月崎晴夫
■狂言「菊の花」
太郎冠者/野村万作 : 主/野村万之介 : 後見/深田博治
■素囃子「早舞」
大鼓/亀井広忠 : 小鼓/鵜澤洋太郎 : 太鼓/徳田宗久 : 笛/一噌隆之
■狂言「鉢叩」
鉢叩僧/野村萬斎 : 立衆/石田幸雄 深田博治 高野和憲
月崎晴夫 竹山悠樹 石田淡朗
時田光洋
瓢の神/野村裕基 : 後見/野村万作 野村万之介 野村良乍
※次回予告
2005年12月8日(木)18:30開演 宝生能楽堂
塗附 石田幸雄:野村萬斎:深田博治
仏師 井上菊次郎 井上靖浩
楽阿弥 野村万作 野村万之介 高野和憲
野村狂言座追加公演 その弐・・・
2005年11月17日(木)は「入間川」「鏡男」「鬮罪人」
前売り:10月17日(月)より
舟渡聟
【あらすじ】
都近郊に住む男が聟入り(むこいり)をするため、大津松本から渡し舟に乗る。この渡し舟の船頭は無類の酒好き。
聟が舅への挨拶の品として持参してきた酒樽を発見し、
「一つ、振舞ってくれぬかのぅ~」←とまたふてぶてしい(笑)
聟が、「これは手土産に持参するものだからダメダメ!」と断ると、舟を荒く漕いでみたり、オールを置いて、流されるままになってみたりという傍若無人ぶり。
これは立派な 恐喝
では( ̄▽ ̄:) (苦笑)
脅されて仕方なく聟は船頭に殆どの酒を飲ませてしまう。
軽くなってしまった酒樽を手に(←かわいそう・・・)舅の家にたどり着き、姑に出迎えられ座敷に通され舅が出てくるのを待つことにする。
姑が、「お聟さんが来ましたよ」と舅を呼びに行くと、酒を飲んで上機嫌(・▽・)/ ういー
まさに・・・ 船頭=舅
であった。
座敷で待つ聟の顔を見て、すっかり酔いも冷めたであろう舅(=最前の船頭)は、姑に恥ずかしい事情を話して、何とか顔をあわせずに取り繕うよう懇願するが、姑は「ええぃ、腹立ちや腹立ちや」と言って、取り合わない。
姑「その髭をそっておしまいなさい」
舅「。。。。。。。。(ノ゜◇゜)ノ それは困る、イヤだ」と拒否するが結局は、自慢の髭を剃り落とされてしまう。
顔を隠しながら観念した舅は聟の前に歩み出るが、まともに顔を向けられない。
そのうち聟が持参した酒にて祝杯を挙げようと舅に振舞おうとするが、とても飲む気にはなれない舅。
打ち解けたいと願う聟は、舅が隠す顔を拝見したいと言うが、「唇がひび割れているのでお見せできない」となおも強情にを顔を隠し続ける。
「どうかどうか、お見せください」と少々強引に聟が舅の隠す手を退けると・・・
お互いの顔を見合って後ろに腰を抜かす二人。
飛んだ恥を娘聟にさらしてしまったので恥ずかしいと言う舅に、「もともとこのお酒はお舅さん(おとうさん)に飲ませたくて持ってきたのですから」と言ってめでたく和み、
「蹴鞠の庭に植えられた梅の実は落ちたが、木にかかった鞠はとまった」という意味の、別れを惜しむ気持ちを込めた謡を二人で謡い、 和解を表す「ガッシ留」
で終わる。
※参考 野村狂言座パンフレット
【大蔵流との違い】
和泉流のシテは「舅」に対して、大蔵流のシテは「聟」
和泉流の聟は最後まで自分は飲まず、ただ強引に酒を飲んでしまう船頭を迷惑そうな顔をしながら見ていますが、大蔵流の「船渡聟」は船頭と一緒に飲んで酒宴となり飲み干してしまう。
舅の家に着いた聟は空の酒樽を渡すが、それがばれてしまい聟が逃げ出す、というストーリー展開。
「舅=船頭」という和泉流のカラクリに対し、大蔵流は「舅と船頭は別人」という大きな違いがあります。
「聟入り物」というと大蔵流の船渡聟のように、聟の失態を笑うものが多いのですが、和泉流の舟渡聟は舅の人間らしさ、おかしみを笑う少し珍しい狂言。
【舟渡聟:あめみこの感想】
舟渡聟については生の舞台は初見ではありましたが好きな演目なのでDVDで数回観ました(舅@万作さん&聟@萬斎さん)
舅が隠す顔を聟が無理矢理見てしまい、正体が明かされた瞬間、驚きのあまりお互いが逆方向に腰を抜かす型がありますが、あれもまたダイジェストで拝見しただけでさえ、万作さん×萬斎さんはその面白さが最高!「笑いととる」ことを嫌う万作家の教えの中に、様式的な型でわき起こる自然な笑い。
これもまた"絶妙"と言えるものなのでしょう。スゴイですね。
やはり、ここまでの「絶妙なタイミング」というのは日々お稽古をしている石田さん×高野さんのお二人であっても難しいものなのでしょうね。
また『あれは最前の船頭じゃ』と聟に見抜かれた舅がその場から立ち上がり橋掛方面に去ろうと背中を向けますが、そのタイミング、と言うか『間』は確かに万作さんの舅と石田さんの舅とは違って見えました。
私の好みで言えば、前述の例に関して見ても、万作さんの「間」や「動き」の方が、正直好きなのですが、石田さんの舅もちょっと情けないところが面白く可愛かったですね。新鮮でした。
石田さん。ちょうど聟には歳が上だし、老齢で味わい深い舅にはまだお若いということもあるのかもしれませんが、万作さんの演じる舅とまた違って見えるのも面白さの一つでしょうか。
最後の和解を表現する舞ではやはり同じ遺伝子を持ち長年同じ舞台にて鍛錬された親子の域にはなかなかたどり着くことは難しいのかもしれません。
少し、高野さんのほうが早かったのかな?
それでも熱心さが伝わり、見ていてすがすがしい気持ちになれました。
高野さん。ここ最近万作家の若手狂言師の中では色々な役も付き一段と大活躍ですね。
狂言を観た回数がまだ浅い私が言うのもおこがましいですが、拝見するたびにものすごく『自信』と言うものをご自分の手中に納めて来られた・・・そんな気がします。
数年前、初々しく演じられた愛らしい聟も、表情に出た「緊張感」が「ほどよい初々しさ」を生んでいたのかもしれませんが、年々積み重ねられた経験や培われた自信により着実に「様式的な狂言の型」で演じられるよう成長されたのかなぁと感じています←私、何様だ?(苦笑)
萬斎さんが二人袴の聟はもうやらない、というファンにとっては残念な発言をされたとの事ですが、やはり狂言師の成長度合いにより、"旬"というのもあるのですね。
この曲の良さ、楽しさは、本来は威厳のある立場で聟を迎えなければならないはずの舅=シテ(主人公)の人間らしいところや逞しいところでしょうか。二度と会わぬ客ならばと酒を恥ずかしげもなく強請る(笑)
その割りに、それが聟であるということを知ると途端に恥ずかしくなって顔も見せられなくなってしまう。
キャラ的に矛盾を感じなくもないのですが、この曲に登場してはこないお嫁さん(娘)はお父さん(舅)にとって怖い存在だったりするのでしょうか。
いつの時代もかわいい娘には弱いのかな?
おっと、記述を忘れました!!萬斎さんの姑役、美男鬘。
本当に美しい細いラインが不思議と女性らしく、セリフの声も聞いていると女性のように思えます。
萬斎さんといえば 低音ボイス
でしょう?
白の縫箔が、シンプルなのに艶っぽくて(〃 ̄▽ ̄〃)
お顔が小さいのに、美男鬘で頬の骨格が隠れているので余計に小顔←羨ましい
お決まりの型。 ええい、腹立ちや!腹立ちや!
と足踏みをしますね。
怒られたい(爆)←おい
とにかく美しい貴婦人の萬斎@姑でした。
滅多に拝見できない萬斎さんの美男鬘姿なので、貴重でした♪
「菊の花」「鉢叩」はのちほど・・・(っていつ?)・・・(・▽・)/