9月9日(土)午後7時開演 敦-山月記・名人伝-
先に終演後のポストトーク覚書からエントリーします
ポストトークのゲストはNHK副会長(日本放送協会副会長) 永井多惠子さん。
聞き手は世田谷パブリックシアターのプログラムディレクター松井憲太郎さん。
永井さんは野村萬斎さんが芸術監督になられる直前まで世田谷パブリックシアターの館長を勤められていた方だそうです。
次世代の芸術監督に推薦したのもこの永井さんだそうで、狂言という伝統芸能の世界に身を置かれ、かつてはイギリスで演劇を学ぶために留学されたその経歴に注目されたそうです。
以下、台詞方式で記載していきます。いつものことながら、順番もバラバラ(苦笑)
言葉足らず、或いは誤解、言葉の使い方の誤りもあると思いますが雰囲気のみでお読みくださいね( ̄▽ ̄:)
松井さん
「萬斎さんが就任された頃は、まちがいの狂言の初演があって、その他に蜷川さんのオイディプス王、純粋な狂言の公演を地方でも行われていて、大変でしたよね」
萬斎さん
「そうですね、あの時は他の劇場で(苦笑)オイディプス王をして、あれも随分自分を追い込んでやった舞台でしてね、一時は仮病使って病院にでも入ろうかと(笑)」
「最近は、ようやく芸術監督としての指針、コンセプトを打ち立ててやれるようにもなりました」
「この辺りの者でござる、という文字でしか打ち出しておりませんが、実はこの世田谷パブリックシアターの私の指針はここにありまして、世田谷辺りの者でござる、東京辺りの者でござる、はたまた日本辺りの者でござる・・・果ては世界辺りの者でござる、と・・・世田谷から世界に発信していきたいと」
「税金を投入して頂いているので、それを使わせて頂いてロケットを一本打ち上げるのか、演劇を一本作り上げるのか(笑)」
永井さん
「世田谷区の学校の生徒に狂言を見せてあげようという試みに、普通は大きな舞台に出る役者なんかは嫌な顔をされるんですが、萬斎さんは・・またこういうことを言うと失礼かもしれませんが、年上の私から言われてもらえらば、"とても素直"に引き受けていただきまして」
-敦 再演について-
永井さん「再演、というとどうしても、初演に比べると、どうもなぁーということが多いのですけれど」
萬斎さん
「(会場に顔を向け、バツの悪い表情をしつつ苦笑)」
永井さん
「本当に洗練されて、特に万作さんの演技がまた"質が上がりました"よね」
萬斎さん
「(会場を見渡しつつ苦笑い)」
永井さん
「あ、なんだか万作さんに対して畏れ多い発言ですが」
萬斎さん
「いえ(笑)初演の時は、複数いる"敦"の一人として遠慮して演じているようなところがありましたが、今回は吹っ切れたというか、伸び伸びと李徴を演じているようです。」
永井さん
「衣装も変わりましたよね。前はもっとこんな(頭の上に大きな鬘を表現して)白い頭で」
萬斎さん
「そうですね、今回はより"人間が虎に変わりつつある"姿になってますね」
「あの衣装の表面の切り傷は、虎の模様と、爪で引き裂いた感じを出しているんです。段々回を増すごとに引き裂かれて、シマウマの様になってしまってますが・・(笑)」
「この敦の舞台設定は"死後の世界"なのか、または"生前の姿"なのかということは、曖昧になっております」
「初演ではですね、私の中島敦への想いが上手く役者たちに伝わらなかったところもあった、それは私の力不足だったのかもしれませんが、再演の今回は出演している役者たちも中島敦の世界の中に入り込めたと言ってましたね」
永井さん
「萬斎さんが突飛な、何かやってくれるんだろう、という期待があります」
「中島敦は喘息で亡くなったと言うことですが最後に聞こえてきた「ハァ~ハァ~」という呼吸はあれは喘息、、、なんでしょ?」
萬斎さん
「そうですね、そのつもりです」
永井さん
「ほらね、よかった(笑)」
-名人伝について-
「あの文字をスクリーンに映し出しての発想は萬斎さんらしい」というお話から、萬斎さんからはこんな話を聞けました。
萬斎さん
「文字を使って、というと「NHKのにほんごであそぼ」・・・(NHKというところで永井さんを意識しつつ・笑)をヒントにしたという言われ方をするのですが、実はあれは、以前に私がやっていた、”電光掲示クン(狂言公演の一つ)”でですね、文字を電光掲示板に映し出して遊ぶということを試みましてね、あそこからなんですね。」
「例えば 緑色
と オレンジ色
の "柿"
を出して、 緑色の柿を食べると渋い、
けれども オレンジ色の柿を食べると甘い、
みたいな」
文字で遊ぶ、というヒントはここからだったのですね。
萬斎さんらしい画期的な発想に会場からは感嘆の声が漏れました。
文字は面白い、という萬斎さん。
"口"という文字は顔の口ではなくて、神仏にお供えする「台」の口から取られたそうですよ、なんてミニトリビアもご披露(笑)←チョットこの辺あまり憶えてないので違うかも。
-今後の活動について-
松井さん
「また来年も新しい試み(新作)を考えていらっしゃるようで」
萬斎さん
「そうですね、ああしたい、こうしたいという構想だけはこんなんなってる(頭の上を両手で仰ぎながら)んですが(苦笑)」
来年の世田谷パブリックシアターでの新作情報からも目が離せなくなりそうです。
概要は"おおよそ"こんな"感じ"(苦笑)で、細かいことはちょっと憶えて来ませんでした。
実際に"美しい御姿に見惚れてた"というのと、"水色のハンカチで汗を拭う仕草"や"シャツの胸元に空気を送り込んで暑さを凌ぐ様子"に心乱されちゃったから←おーいっ(爆)
白地のスーツ。ジャケットは片手に持ち、鮮やかで綺麗な水色シャツ
コーディネイトされた"水色のハンカチ"(タオル地ではないと思いますが.苦笑)で汗を拭う...これ最近話題のハンカチ王子とシンクロしちゃった私は・・・(汗)
ええ、甲子園のハンカチ王子と似ているってんではありません。←名前忘れた...
最近のブームを狙っているわけではないだろうけれども、「狙ってる?」と言ってしまいたくなるほど時代とシンクロしているんだから仕方がありません(笑)
萬斎さんのキャラならば、クールな表情でそんな悪戯を試みるも"ありえるのか"などと余計な思考回路が回ってしまった夜でした(笑)
以下、興味のある方のみどうぞ(意味深だな・・)
永井さんが仰る中島敦の読み方については、「なかじま とおる?」と聞こえてしまったのですが、私の聞き間違いのようです。
ねこさんの投稿によれば、「敦煌の敦=とん」と仰ったのだそうで。
意図を解していないとはいえ、そのまま文面を残そうと思いましたが、ちょっとそれも失礼なので再編集し誤解の晴れた部分は削除いたしました。
すでにコメントをお寄せいただいたゲストさまには申し訳ありませんが、レスに私の言い訳とともに、率直に感じるところとお詫びを載せていますのでお読みくださいね。
どっちにせよ、 一般的な舞台の観客を対象にしたポストトーク
において、わざわざ、この「敦-山月記・名人伝-」の舞台を「Atsushi」と読ませるタイトルを使っているにも関わらず、「NAKAJIMA-TON」と発音する意味が私には理解できません( ̄▽ ̄:)
そりゃ"ツゥ"なのかもしれんがね・・←逆ギレ?
著者である作家「中島敦」と舞台の「敦」との区切りをつけたのかも?しれませんが・・?
元々、日本では一般的な呼び名だったかどうか謎なので、なんとも言えません。。。
中島敦が通っていた一高時代の同級生から「トン」というニックネームで呼ばれていた、というような手記も見つけましたが、文学史の中でそう呼ばれることが"通(ツウ)"なのか、どうなのかは一般読者の立場なのでよくわかりません(苦笑)
ただ、海外(上海)で翻訳されたものには「TON NAKAJIMA」と表記されているものがあって、これはどういうことなんだか・・・誤記なのか、はたまたそのように呼ばれるべくして記述されたものなのか・・・「はてな」です(苦笑)
以下、私の知識不足が生んだ自業自得の"怒り"ではありますが、耳慣れない「nakajima-ton」の発音に翻弄されてしまい、 トン
でもなく(爆)残念でした(苦笑)
そもそも私がきちんと"ton"と聞き取れなかったんですが・・あまり耳は達者ではない方なので・(汗)
お後がよろしいようで。。。(失礼致しました)
(私の誤解により)話の内容はガッカリだったにしても、水色ハンカチ王子(私の中でのですよ)と、胸元でシャツをパタパタ叩き、送り出された空気が萬斎さんの長めの前髪をフワっとなびかせた、それだけを観れただけでも救われました←己が一番イタイのでは(爆)
狐仕様で肉体改造中で、ムキムキ変身か?とあらぬ妄想を抱く私でしたが、"しじゅう"には見えないほどの若々しさと華奢なお姿でした(笑)
ちょっと今回は珍しく渋めのポストトーク感想になりながらも、最後は 桃色
で締める、っと・・・(笑)
次回は~敦 山月記・名人伝 の感想を(*^◇^)V
ネタバレご用心・・・
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