青藍(せいらん)な日々

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第66話 80%はセーリング



何かがうまく行かない時、初心に帰れと言われます。ヨットの初心とは何でしょうか。誰でも、初心者だった頃、近場をセーリングするだけで楽しかったはずです。ところが、いつのまにか多くの人達の心には、どこか遠くを目指すようになります。セーリングから心が離れて、目的地を持つようになります。そして、何とか、目的地に行く事ができる。小さな冒険を達成し、ある種の興奮と楽しさを覚える。そして、自然の帰結としてまたどこかへ行きたいと思う。どこかというのは、どこか遠くへもっと遠くへです。目的地を持てば持つほど、セーリングそのものから離れて行きます。心はいつもどこか遠くにあるからです。それが強過ぎると近場のセーリングでは物足りなく感じられてくるからです。でも、実際、いつも遠くへ行ける人は少ないのです。何故か?

暇が無いんです。1週間も2週間も連続して家を空けることができないのです。まして、数ヶ月なんて土台無理な話です。それでも、どこかに行った事がある人は、どこかに行かないと満足できない。それで日常のセーリングも軽んじられてくるのではないでしょうか。

どこかに行こうとすれば、計画を立てます。そしてできるだけその計画通りに行こうとします。ところが自然というものはそう都合の良いようには風が吹いてくれない。それでも計画はできるだけ崩したくは無いものです。そこで、セーリングより、目的地志向になる。目的地につけば、それなりに楽しさと興奮 がある。でも、目的地志向はヨットを移動手段にしてしまいます。これがいけないというのではありませ
ん。これはこれでも良い。でも、この目的地志向にとらわれると、ヨット本来の楽しさがそがれてくるのではないかと思うのです。

遠くへ行くには時間が必要だと申しました。一人で行くなら、自分だけの時間を考えれば良い、でも誰かと行くなら、その人の都合もある。それで可能性の高いのは家族という事になる。その家族がOKでないなら一人で行くしかない。

目的地志向はおやめなさいと言っているわけではありません。バランスの問題です。目的地志向20%セーリング80%をお奨めしています。目的地志向はセーリングを目的では無く、手段にしてしまう傾向にあるように思うのです。ヨットの本来の醍醐味はセーリングそのものにあると思います。いつまでにどこどこに到着しなければならない、そんな乗り方では無く、どこにも到着しなくて良い。プロセスとしてのセーリングです。前回で人馬一体という事を書きましたが、その醍醐味こそがヨットの最大の魅力ではないでしょうか。その醍醐味を80%目指し、そして残り20%はどこかに行く目的地志向とする。そんなヨットライフを目指しています。

船内で寛ぐという事も同じです。それが強過ぎるとキャビン志向型となり、キャビンの広さや充実度にばかり気持ちが傾いてしまいます。もちろん、これも良い。でも行き過ぎると、これもセーリングそのものの醍醐味を忘れてしまう。実際、キャビンで寛ぐ時間がどれだけあるでしょうか。

全員にではありませんが、多くの人々にお奨めしたいのは、この80%セーリングと20%のその他です。その為にはサイズを自分に合ったサイズにする事、そしてバランスが良く、できれば帆走性能が高く、そのうえ操作がし易いヨットを選ぶのが良いと思っています。日常はセーリングにおいて人馬一体ならぬ、人艇一体を目指す。そして、時間が許す時はどこか遠くへ行っても良いでしょう。そうすれば、いつも、ちょっとあいた時間にでさえ、最高の気分を味わえることが可能となる。これでめったに動かないヨットは居なくなる

日常のセーリングとどこかに行くセーリングとは別物であるのではないかと思うのです。私が見る限り、良く動くヨットほど、セーリングそのものを楽しんでおられる。そう思うのです。そう思ってセーリングすると、ヨットは移動手段では無く、走りを楽しむ事になります。より良く走りたい、滑らかに、そういう気持ちはヨットをさらに深く知るきっかけとなり、さらに深いフィーリングが得られる。これを得ると、もっともっとという事になる。
いつも言います。遠くへ行かなくても良い、日本一周なんかしなくても良い、世界を回らなくても良い。そんな事をしなくても、ヨットの醍醐味は充分味わえる。人艇一体をめざしましょう。日常的に味わえる最高のフィーリングがすぐ目の前にあるのですから。



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