青藍(せいらん)な日々

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第96話 ヨット文化



ヨットに対する感覚の違いがあると思いますね。国民性が違うと言ってしまえば、見も蓋もありませんが、こういう一見とても不便であり、快適とはほど遠いにも関わらず、非常に人気があるこれはヨットに何を求めるかの違いですね。日本ではディンギーならいざ知らず、曲がりなりにもクルーザーと称する物には、居住性、それも快適さを求め、セーリングそのもの、気軽さ、性能などは二の次になってしまう。でも、見方を変えて、こういう乗って面白いヨット、安全なヨット、気軽なヨットという視点で見ますと、ヨットはとても身近な物として感じる事ができるのではないかと思います。

求める物が多ければ、多いほど、その求める物を遠ざけてしまう。求める物を絞って、最も楽しみたい部分に集中するならば、それ程難しい事は無いのですが。私も同じ日本人として理解できますが、でも、考え方が変わってきました。ヨットはセーリングして面白い事と安全性、そして気軽に出す気になる事。これが最も重要ではないかと思うのです。キャビンでの快適さはあれば結構ですが、最重要課題では無いし、あることでセーリングの気軽さなどを阻害するぐらいなら、無い方 がましではないか。そんな気がします。

シングルハンドで確かに大きなサイズに乗ってある方は大勢おられます。でも、どれだけ気軽であるのかを見ていますと、どうしても大きければ大きい程、気軽さは減少してきませんか?私の知り合いで、今年の夏からヨットを初めた、全くの素人からスタートしたオーナーがおられます。彼のヨットは24フィート、キャビンは狭い。トイレも無い。経験は今、数ヶ月です。その彼が、今では朝出て、場合によっては昼から出て、風が良ければ、エンジンを使わず、セーリングで桟橋につける。そういう練習をしています。楽しくてしょうがないという感じです。

あれが要る、これが要る、確かに便利な物がたくさんあります。快適にもなるし、楽にもなるでしょう。でも、それらを求めるが為に別の何かを犠牲にして、ヨットそのものから遠ざかるようになっていないでしょうか。その間に気軽さを持った人は何倍も楽しんでおられる。完璧を求めれば、永久に楽しむ事はできなくなります。それより不完全でも、最もヨットとしてのエッセンスを大事にすれば、世界はぐっと広がると思うのです。しかも簡単にです。遠ざかってしまえば、いくら便利でも無駄になってしまう。



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