青藍(せいらん)な日々

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Talk3 第1話 原点を考える


最近では頻繁に動くヨットとめったに動かないヨットの差が、大きくなってきています。しかも、動かないヨットの割合が大きい。何故なのでしょうか?これは昨今の不況のせいばかりとは言えません。何故なら、不況だからと言って、ヨットを手放すわけでもなく、ただ、マリーナの係留料を支払い続けているだけなのですから。暇が無いというのも最もな理由ですが、それでも、あまりにも動かないのは納得できない。

そもそも、何故ヨットに乗るのか?ヨットとは何だろうか?行き詰まった時は原点に戻るのが良いと言われますので、もう一度、そこから考えたいと思います。

遊びとしてのヨットは先進国にあります。移動や漁に使う物とは違います。先進国は生活が比較的安定してきます。安定は喜びでもありますが、反面、退屈なのです。そこで、不安定な物、冒険的な物を求めます。それもすごく大きな冒険では無く、少し、日常から離れたスリルのような物を感じたくなる。そういう物に対して、海はかっこうの不安定要素です。陸上生活をしていますと、地面は地震でも無い限り、安定しています。一方、海はどんなに凪の状態でもゆらゆら揺れて、不安定なのです。この海を味わうにはヨットはかっこうの乗り物です。つまりヨットに乗るという事は不安定さを楽しむという事になるのでは無いでしょうか。

ヨットが動かない最も大きな理由は不安定さを楽しんでいないからではないでしょうか。それは現在の経済不況により、生活の不安定さという事も無いでは無いでしょう。しかし、そればかりでは無いと思うのです。使い方に問題があるような気がします。

週末の天気が良く、風もほどほど、仲間を連れて、クルージングに出ます。仲間との会話や食事、風にあたる感覚、こういう物は、不安定な海ではありますが、それ程感覚的に不安定さをもたらすものではありません。或いは、ヨットは動かないが別荘代わりに使う。これも全く不安定さは無い。確かに気持ちが良い。しかし、こういう使い方のみで乗りますと、せっかくの不安定要素が無くなり、不安定さを楽しむという目的は無くなり、安定へと向かう。すると安定した物は退屈になるのです。人は刺激をほしくなる。ヨットはもはや何の刺激も与えない道具となってしまうのです。

それではヨットは退屈な道具なのかというととんでもない。とてもスリルに満ちた乗り物ともなるのです。仲間と乗る時はそれで良い。別荘代わりに使う時もそれで良い。でも、時には真剣にセーリングをしてみる事ではないでしょうか。できれば、一人か二人ぐらいで、真剣にセールトリミングをして、真剣にセーリングそのものを味わってみる。そうすると、俄然、ヨットの持つスリルがたちどころによみがえってきます。危険を冒すという事では無い。大きな冒険をしないといけないのではありません。近場で結構、真剣にセーリングをしてみる。こういう姿勢を時々、織り交ぜながら、ヨットライフを楽しむ。

人は近場のセーリングで退屈になると、遠くへ行きたくなります。でも、遠くへ行くには時間も要る。現役で仕事をしている方々が遠くへ行くのは無理でしょう。ちょっと離れた所へ行くのもスリルがあります。それでもやがては安定して、退屈になるのです。、引退したら遠くへ行きたいと願う。これもおおいに結構。でも、永遠に遠くへ行くことはできません。ですから、日常の近場のセーリングに重点を置いて、真剣にセーリングしてみることをお奨めします。その合間に遠くへいきましょう。
遠くへ行くのは船旅となります。これはこれで楽しい物ですから、船旅とセーリングは分けて考えたらどうでしょうか。デイセーリングが楽しく、スリルであり、たまに行くロングも楽しい。

ヨットの原点はセーリングにあると思います。セーリングは不安定要素です。毎日、波も風も潮も違う、だから決して安定しないのです。一方、船旅は意識がセーリングでは無く、目的地に依存する所が大きくなります。舵誌にも出ていましたが、目的地を持つとエンジンで走るのが殆どとなってしまうのです。目的地は安定しています。もし、行って、目的地がその日によってあるかないか解らないなら、不安定でしょうが、目的地は必ず、そこにある。



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