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写真が、又、容量オーバーとなりました。 下記の、Ver4へ引っ越します。貧乏旅人 アジアの星一番が行く 世界への旅今後とも、よろしく、お願い致します。常連の皆様へVer4のお気に入りに登録するので、Ver4の方へ、一度コメントして下さるよう、お願いします。
2008.11.20
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2008年11月18日(火) 62日目この日は、世界遺産:ハンピの東遺跡群を見に行きました。その道中にて、おや? 一寸法師か? と言うような舟を見ました。あらー? こちらには、女性が二人乗っています。一寸法師ではないですねー!網を投げ入れています。女性の漁師さんですな。この辺りの実用舟のようです。こんな感じで漕いでいます。中は、こんな風に作られています。 トゥンガバドラー川です。この川でも、一寸法師風の、舟が渡っていました。お、おおー! 黄色いサル発見!いや、違います! 笑っています。少女ですよ? 何しているのでしょう?この木に登っています。これです。これを取っていたのです。ハッティとか言っていました。一つ貰って食べましたが、あまりおいしくはありません。味があまりないのですよー。一緒に、取ったり、拾ったりしていたら、仲良くなりました。彼女達、手には例の、ヘーナ(Heena)って言うのかな? スペルからすると。それを、手に描いていましたので、写真に撮らせて貰いました。
2008.11.20
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2008年11月18日(火) 62日目ハンピはヘンピ(辺鄙)な、ところにあります。しかし、ハンピはハンパ(半端)でないほど、素晴らしい村です。ハンピ - ヘンピ - ハンパ おー! 繋がっとるのー!いきなり、面白くもない、オヤジギャグで始まりましたが、ほんとに辺鄙な場所なんです。世界遺産なのに、大きい都市からの直通バスもないし、町とも言えない村なのです。しかし、世界遺産の遺跡だけでなく、この辺りの雰囲気も素晴らしいのです。ほんと、半端でないほど、良いのです。原則、1日1回で、 ブログは纏めて来たのですが、ここは、1回ではとても、とても、描き切れません。従いまして、たぶん、5~6回になろうかと思います。それほど、お奨めなんですよ!それでは、「世界遺産ハンピ巡り」、始まります!============================ケララ州の天候は、真っ青な青空がなかったような気がします。やはりカメラのせいではないですね。タミールナードゥのマドゥライ以来、完璧な青空はなかったです。本日も、完璧とは言い難いですが、青い空が少し顔を見せています。ここが、ハンピのメインストリート、地元の皆さんはバザールと呼んでいます。バス停を出るとすぐバザールですが、そこを左手の一番奥が、ヴェルーバークッシャ寺院です。典型的なヒンドゥー寺院です。本日は、歩いてしか行けない、東遺跡群を見に行くことにしました。確かに、このように、岩ばかりで、車も自転車も、通ることは不可能です。 岩の道を登りきったところ、突然、寺院が見えて来ます。これが、アチュタラヤ寺院です。さらに歩いて近づいてみると、参道がこんなにも長いのです。隆盛期は、すごい寺院だったのでしょうねー! さすが世界遺産です。判り難いでしょうが、寺院内の建物を、3枚お見せします。 これが、参道の片側です。ここは柱しか残っていませんが、この上に屋根もついています。気温は、それほど高いとは思わないのですが、ずっと歩いていると、汗も出てきます。その分、そよ風か、気持ち良いのです。喉が渇いたので、ココナッツで、喉を潤おします。14ルピー、30円位です。そして、ハンピのハイライトと言われる、ヴィッタラ寺院にやって来ました。しかし、ここは、現地人10ルピーに対して、外国人は、250ルピーも入場料を取ります。白人のおばはん、こんな差をつけるのは異常だ! と怒っていました。ですが、旦那さんらしき人が、入場券を2枚買ってきたようです。アジアの星一番は、と言えば、入場するか迷っています。そしたら門番が、「この後ろの小山の上へ登れば、全景が見えるから、入らなくても良いよ」、とかアドバイスしてくれるもので、せっかくの世界遺産、入らずに帰りました。しかし、幸運の女神が、アジアの星一番の後ろに控えているのか、ここで、入場しなかったのは、大正解だったのです。
2008.11.20
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本日、2回目の更新です。世界遺産の街、ハンピなので、ネットカフェは沢山あり、その点は、問題ありません。==============================2008年11月17日(月) 61日目さて、ハンピへ向かいます。フセインの故郷、ケララ州は、とっくに過ぎ去り、マイソール、バンガロールと、カルナータカ州です。向かっている、ハンピも同州です。実は、始めの計画では、ハンピへ行く予定はありませんでした。バンガロールからゴアへ行き、ムンバイへ抜けるつもりだったのです。しかしながら、コヴァーラムで、プリー以降、初めてあった日本人の方より、ハンピは、最高だった、と聞いて、急遽、予定を変更したのであります。さて、バスです。最高級バスでなく、普通のローカルバスです。しかし、客が少なく、乗り心地も最高です。座席が、布製だと埃を吸って、綺麗そうに見えても、叩くと、ゴホッゴホッっと咳が出るくらい、埃が出ます。ですが、このように、ポリ製だと、拭けば綺麗になります。 道路も片側2車線で、インドでは、初めてかなー? こんな高速道路は。道路状態も良いので、ガタガタしないし、高原なので、風も爽やかだし、いやー、夜行列車にしないで良かったなー! 100ルピー程度の手数料支払っても、バスの方がよかったわい! とニコニコしながら思いました。注:全線がこんなに良い道路ではなく、本日走った、全体の半分程度は、 この位で、残りの半分は工事中か、ガタガタ道でした。車窓には、山も見えて来ます。 あれ? 何か風車のようなものが、沢山見えますねー!エジプトの紅海沿いにも沢山ありました。風力発電やっているのですねー!そこを過ぎると、荒地か、畑が続きます。北インドや、南インドのように、稲作は出来ないようです。畑がずっと続きます。 バンガロールからハンピへの直接のバスはありません。ホスペットと言う町へ行き、そこから、乗換えで、ハンピへ行きます。朝、汽車のチケットを1時間掛かって、キャンセルし、その足ですぐ、9時20分のバスに乗って出発しました。ハンピ着は、19時35分。本日も、10時間のバス移動でした。夜も遅いので、気に入った宿ではないのですが、取り合えず、1泊ここに泊まります。SHIVA GUEST HOUSE と言います。250ルピーですから、エアコンなしの水シャワーのみです。食事に行ったら、レストランに、Arabic Heena と言うデザインブックが置いてありました。中東では、よく見た、ヘンナとか言う手に施すものです。こう言うのが、あるのですね。これを見て、注文するのでしょう。足用のデザインもありました。
2008.11.19
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2008年11月16日(日) 60日目マイソールへ昨夜遅く着き、午前中、マハーラジャ宮殿を見ただけなのに、もう、バンガロールへ移動しています。エアコン付き、デラックスバスです。たった3時間のバスの旅なのに、225ルピーもします。バス内もデラックスですが、値段もデラックスです。金持ちばかりなので、車内も落ち着いています。因みにこれが、最高級で、次が、175ルピー、最下位が、確か125ルピーとか言っていたと思います。バンガロールは、とても大きな都市です。インドの田園都市と呼ばれているらしいですが、長距離バス停や、汽車のシティ駅周辺を廻っても、そう言う雰囲気はありません。この日も、夕方5時半にバスで着いたので、バス停近くの宿にしました。370ルピー、800円弱です。明日の夜行の列車のチケット(バンガロール→ハンピ)は購入済みです。ですが、買った時から、今でも、ずっと迷っています。夜行列車でなく、バスで行こうかなー? と。スリーパー席しか買えてないし。一晩、迷った末、やっぱりバスで行くことにしました。朝、一番で、シティ駅へ行って、チケットの払い戻しをしました。バンガロール →ハンピ 213 →159ルピー(-54) 25%減ハンピ →ゴア 182 →142ルピー(-40) 22%減何と、取り消し手数料を、25%も取られてしましました。まぁ、しかし、バスですぐに移動できるので、よしとしました。と言うことで、バンガロールは、全く市内の見どころも足を運ばず、全く見ないで、素通りすることになりました。何で、そんなに先を急ぐのか分かりませんが、まぁ、一人旅ゆえ、気の向くまま、行きたい時に、行きたい所へ行くのです。痒い痒い病ですが、痒さの峠は越したようです。しかし、まだ、ポツポツノ内部に、痒みの元が残っていますので、もう2~3日は、痒さが続くものと思われます。こんな写真アップして、気持ち悪いですねー! へぇ、すんまへんでした!身体中に、こんなのが出来ているのです。
2008.11.19
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2008年11月16日(日) 60日目昨夜は、マイソールに、午後9時40分に着きました。それから、宿探しでしたが、行く宿、行く宿、どこも満室で、参りました。ここは、標高770mなので、エアコンは不要です。ですから、安宿に泊まろうと目星を付けておきました。しかしながら、バス停近くは、満室です。あるのは、エアコンも付いてないのに、600ルピーとか、高い部屋です。夜も遅いので、オートリクシャーを捉まえて、美術館近くの安宿行きました。そしたら、ひぇー! ここも満室です。おまけに、リクシャーの運ちゃん、メーターで行ったのですが、夜の10時を過ぎたら、50%増しだと言いやがり、かなり揉めました。「乗る前に、きちんとメーター通り、と言うことで話済みだろ!降りる時になって、50%増しはないだろ! 乗るとき10時を過ぎていたのだから、そうだとしても、言わないお前が悪い。絶対にメーター分しか払わん!」長い説明と言うか、文句を言ったのです。そしたら、ぐちゃらぐちゃら、「ホテルのフロントに、ここの運転システムを聞けだの」、何やら言ってました。が、15ルピーだけ、運転席に叩きつけて、さっさとホテルへ向かいました。ホテルは、又もや満室でガックリと、肩を落としてホテルから出て来ると、そいつ、まだ待ってました。「この野郎!まだ50%取るつもりで待ってたのか! 勝負すっか!」と思ったら、先ほどの勢いはどこへやら、ニコニコしています。バス停近くまで戻りました。リクシャーの運ちゃん、今度は、15ルピーなのに、「サンキュー!」、とか言って喜んでました。何が50%増しだったのでしょうか?こんな部屋しか見つからず、450ルピーです。夜、遅く着くのは、考えものですねー。安ホテルが見つからなかったら、ある物、みんな着て、ショルダーバッグを枕に、バックパックは、鎖で身体に付けてロックして、公園のベンチか、路上に寝なければならないか?とまで思いました。見つかって良かったです。まだ、路上生活者にはなりたくないのです。さて、前置きが長くなりました。(いつもの、事ですが・・・。)マイソール最大の見もの、マハーラージャ宮殿への道を急ぎます。おー? 宮殿の一部かな? と思ったら、単なる道路の中央にあるものでした。南門まで来ました。門は四方にあるのですが、南門からしか入れません。面倒ですが、仕方ないです。写真撮影は禁止との事であります。「200ルピーも取って、撮影禁止かよ!」と怒りたい所です。インド人は、ここでも20ルピーです。バングラデシュの世界遺産、バゲルハットで、バングラ人に成りすましたように、又、インド人に、成りすますか? と一瞬、黒マジックを探しました。そんなもの、都合よくある訳ありませんし、塗ったら、後が面倒です。ですが、あの時、反省し、多少のお金は支払う事に決めたのを思い出しました。僕の隣で、白人のおっさんも、迷っていたようですが、意を決したように、財布を出しました。よって、僕も財布を出して、晴れて入門したのであります。この上の写真を撮ったあと、「カメラは持込禁止じゃ!」、と、預り所へ行くよう係員から、指示がありました。200ルピーも取って、その上、カメラ預り料を、5ルピーも取るのです。「ぼったくりじゃーねぇーかー! このー!」、と怒りがこみ上げて来ましたが、計算してみりゃー、たったの10円ですから、「まぁ、いいか!」、と怒りを納めたのであります。そして、その宮殿へ入る時に、靴を脱がされます。そして、それを預けねばなりません。そしたら、又々、金取るのです。「いい加減にせぇーや!」、と思いましたが、0.5ルピーです。計算してみりゃー、1円です。まぁ、1円くらい、払ってやろうじゃーねぇか、と、気前良く、1ルピー出したのです。「釣りはいらねぇー、江戸っ子でぇ~!」、などとは、言ってません。1円だろうが、2円だろうが、きっちり、筋は通します。貰います。返して貰います。ところが、下足番のおっちゃん、お釣りをくれません。1ルピーだから、2円です。1円のお釣りを貰わねばなりませぬ。「お釣りを、よこせー!」、と言ったら、下足番のおっちゃん、何を血迷ったか、ヒンドゥー語か、何語か分からん言葉で、グジャラグジャラ言うので、こちらも「はよー、お釣りをよこせ!」、ともう一度言いました。そしたら、血迷った下足番、預り券を、この僕から、奪い取ろうとしました。「なにすんじゃー、このー!」、と、その後は、日本語で、「たかが1円であろうと、お釣りはきっちり返せ! 何を考えているんじゃ”! ドアホ!」、と叫びました。廻りの人たちは、「何事があったのか?」 と僕と下足番を見ています。こうなったら、後へ引けません。何て言ったろか? と思案中、下足番の奴、1ルピーを返してよこしました。「俺はな、1ルピーを返せっていっているのじゃーないの! お釣りの0.5ルピーをよこせと言っているんじゃっよ!」、」、と、先ほどからの続きで、日本語で言います。しかし、1ルピーを受け取りません。押したり戻されたり、の繰り返しです。怒った顔しているし、どうなってんじゃ? と思いましたが、ひとまず、この勝負には僕が勝利した訳であります。1ルピーを財布に納めて、宮殿内部の入り口へ向かいました。しかし、何とも、すっきりしない精神状態です。宮殿入り口での、荷物チェックも厳重です。人は、どえらく多いし、うんざりします。たった20ルピーしか払わん現地人と、大枚200ルピーも支払った、貧乏外国人も同じ待遇です。ちったぁ、差別待遇せぇよ! と怒鳴りたくなります。何だか、近頃、怒りっぽくなってませんか? アジアの星一番さん?そう言えば、怒りっぽいかなー? 精神状態が不安定みたいです。「外国人の方は、こちらへどうぞ!」、物腰の柔らかい、英語の流暢な男性が、言いました。その手の先の方を見ると、ガイド何とか、とか、書いてあります。そちらへ行くと、入場するか迷っていた白人が、「2000ルピー!」ってな、素っ頓狂な声を出していました。見ると、それはデポジットであって、外国人には、無料でイヤホン付きの音声ガイドを貸してくれるようなのです。う~ん、これには感動しました。外国人からは、ふんだくってやれとばかり、高い入場料を取っておきながら、何のサービスもない観光名所がほとんど全部でした。しかし、ここは、何と、気の効いたサービスをするのでありましょうか?おまけに写真つきのガイドブックも無料で配布されました。一部をお見せしましょう。ヒンドゥーの神様が、悪人をやっつけたところが、絵になっております。当時の様子を示す絵画や、肖像画などが、壁には飾られています。王家の使った部屋も、見る事が出来ます。これが、宮殿の中の、一室です。実物は、もっと素晴らしいです。全体の造りと言い、宮殿の中と言い、パリのベルサイユ宮殿を思い起こさせます。(言っときますが、ベルサイユ宮殿は、2回行ってるので知ってます。)この、マハーラジャ宮殿、素晴らしいです。アーグラのタージ・マハルに匹敵する素晴らしさです。タージ・マハルは、お墓であり、ここは宮殿なので、比較にはならないと思いますが、それほど、素晴らしいです。お金がかかっているなー! と言う造りと、内部です。1897年から16年の歳月をかけて造られたそうですから、まだまだ、最近の建物です。マハーラジャとは、インドの王様の尊称なので、マハーラジャ宮殿と言うのは、他にもきっとあるのでしょう。しかしながら、ここのマハーラジャは、インド最高の大金持ちの争う藩主であったとの事ですから、この宮殿のすごさが分かります。外から見た、マハーラジャ宮殿です。追記宮殿の内部を見てから、靴を取りに行きましたが、その時に、1ルピーをきちんと支払いました。下足番のおっちゃん、普通の態度で、0.5ルピーを返してくれました。どうも、あの時、お釣りがなかったようです。あんまり、怒ってはいけませんね。日本人の評判を落とします。怒りっぽくなったり、イライラしたりするよなー? と自分でも感じていました。なんでやろ? と考えて見ましたが、思いつきません。旅慣れして来たからなのか、旅に飽きて来たのか、あまり良い傾向ではありませんね。気を付けましょう。
2008.11.18
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2008年11月15日(土) 59日目身体中が、痒くて仕方ありません。蚊ではないです。蚊対策は常に万全を期しています。そして、蚊ならば、どこを刺されたか、概ね分かります。今、蚊には刺されないであろう、お腹や、背中、太股の後ろや、側面なども痒いのです。一直線に10個位プツプツが出来ている箇所もあります。チェックして見たら、その痒い所のどこも、ムシ刺されの後のように、プツプツが出来ているのです。昨夜の宿、アレッピーのベッドに、南京虫でもいたのかなー?ボディボードで傷ついた、お腹は、カサプタのようになっていて、痒くはありません元々、虫刺されの後の治りが悪い体質で、掻いてしまうと、ひどい時は、ジュクジュクといつまでも、治らない時などもありました。持参のメンタームのかゆみ止めを塗って、出来るだけ掻かないようにしています。それから、インドへ来てから、首から上、顔と首がベタベタして仕方ありません。汗を掻くからかなー? とも思いましたが、サウジでは、汗はもっと掻いたと思いますが、そんなにベタベタした記憶はありません。食べ物のせいかなー? いつだって、カレー定食食べてますから。カレー定食がない夕食時は、フライドライスばっかりです。どっちも油が多いでしょうか?そう言えば、日本食は、コルカタの元勤務した会社の寮で食べさせて貰ってから、1回も食べてません。食いてぇーなー! ポカラのカツ丼も、うまかったなー!食事のせいでないとすれば、湿気のせいかなー? 脂ぎっているのです。いずれにしても、顔を洗える時は、いつでも洗ってます。さて、コーチンは、ネット屋はあるのですが、日本語の使用できる所は、一つも見つからなかったし、大体、見どころも見たので、移動する事にしました。コヴァーラムでゆっくりしたせいか、何だか、調べて移動するのが億劫になっています。リゾートモードから、旅モードに移行していないようです。どこに、そのモードスィッチがあるのかも分かりません。心の中なのかなー?これから、インド内陸部のマイソール、バンガロール、ハンピなどを廻って、再び海岸部のムンバイへ出ようとしています。リゾート地のゴアはパスしようと思っていました。(コヴァーラムで堪能したので。)昨日、汽車の切符を買いに行ったら、コーチンからバンガロールまでは、全て売り切れで席がありません。バンガロールから、ハンピまでは、エアコン席の2等も1等も売り切れです。仕方なく、スリーパーと言う代物に、初めて乗って見ることで、購入しました。ハンピから、ムンバイまでの直行列車がないと言うので止む無く、ゴアまでのチケットを購入しました。インドの汽車での移動は、チケットの購入が面倒ですね。切符を買ってしまってから、これで良かったのかなー? と反省仕切りです。後ろでは、インド人が並んで待っているし、係員もあまり親切でないので、滞在日など、慌てて頭で計算して買ってしまったのです。ゴアへ行く気ないのに、ゴアまで買ってしまいました。と言うことで、コーチンを後にして、マイソールへ出発です。お馴染みのバスに乗ります。さて、次の写真は何でしょうか?物置棚の鉄の棒と、つかまる為の鉄の棒の間にある、細い紐に注目です。バスの後ろの方へ辿っていくと、こんな風に、垂れ下がっているのもあります。バスの後部座席から、一番前の運転手の横まで続いています。一番前には、鐘のようなものが付いています。 さて、これは、何でしょう?正解は? 乗務員から運転手への連絡用です。降りる客がいる時は、「チン!」、と1回鳴らします。「止まって頂戴!」って合図です。「チンチン!」、と2回鳴らすときは、「出発して頂戴!」って合図です。仲々、風情があって、よろしい合図ですねー!乗務員が、どこにいても、後ろから前まで延ばされた紐で合図を送れます。これは、ケララに入ってからのバスに付いていたように記憶します。北インドの方では、乗務員がドアをバンバン叩いて、「出発しろ!」って合図を送っていました。それはそれで、迫力あって面白かったですが、風情に欠けます。どこだったかなー? タミルナードゥのどこかだったか?笛を乗務員が持っていて、「ピッピッピッー」、と耳がうるさい! って怒るほど鳴らしていました。全インドのバス、このケララ方式を、採用して欲しいですねー!そしたら、世界中から「チンチンバス」って名称で親しまれるでしょう。コーチンからトレッショー。トレッショーからカーリカットカーリカットからマイソール。バスを3回乗り換えて、海岸沿いから内陸部へ向かいました。カーリカットを出発すると、ほどなく、山を登り始めます。椰子が少なくなって来ました。標高は、どの程度でしょう? 涼しくなって来ました。お茶畑が見えて来ました。コーチンを、朝7時10分出発。マイソールには、夜の9時40分到着。本日は、14時間30分の、バス移動でした。あぁー、ケツ痛ぇー!
2008.11.18
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2008年11月14日(金) 58日目女子高校生に惑わされて、余分な時間を食ってしまい、ギリギリ、セーフで、船の出発時間に間に合いました。これが、船です。バックウォーターの船とほぼ同じですねー。コーチンは、島が多く、ジェッティーから、船で行き来します。今は、観光船に乗っていますが、実用船も多く走っているのです。電車やバスの到着する大陸側から、一つ目の島が見えます。おおー! 懐かしい! ローディング・アームが見えて来ました。僕も、今は、失業中ですが、元エンジニアーの端くれ、これを買って据え付けたこともありました。ローディング・アームとは、船から液体を陸揚げする時に使用するものです。ま、言って見れば、ロボットの腕みたいなものであります。女子大生グループの乗っている船と行き違いました。皆さん、イェーイ! とか、やってます。コーチンの女性達は、乗りが良いですねー!コーチンに住みたくなったです。(単純な脳じゃのー!)これが、チャイニーズ・フィッシング・ネットと言います。バックウォーターでも沢山見ましたが、ここ、バスコ・ダ・ガマが埋葬された、一番、海側の半島にも、沢山ありました。中国人が、持ちこんだ、漁法のようです。外側の半島、フォート・コーチンへ上陸しました。こんな魚が獲れます。(大きいのは、外海で獲ったものだと言ってました。)これを、ここで買うと、近くのレストランで、料理してくれます。因みに、大きい海老7匹で、200ルピー、400円位でした。聖フランシス教会です。ポルトガルらしいですねー! (行った事ありませんが・・・)マッタンチェリー地区です。全くインドらしくない雰囲気ですよね。地中海沿岸的な雰囲気が漂っています。長いこと、ポルトガルに占領され、その後、オランダに占領され、日本にも2年ほど滞在し宣教した、フランシスコ・ザビエルの宣教の本拠地としても知られるように、古くから、欧州人が居住したからでしょう。本土側に戻って来ました。多くのインド人達が、海を眺めています。綺麗に整備された護岸歩道です。涼みながら、歓談しながら、愛を語り合いながら、中には、手を握り合いながら、沈みゆく夕陽を、皆で見ているのです。追記コーチンは、いや、ケララ州全体に言えることで、コーチンは、その代表かも知れませんが、町全体が綺麗です。北インドとは、そこが異なります。動物が少ないせいでしょうか? 牛も道路を歩いていません。従って、糞も落ちていません。地元の人たちも外国人だからと、興味津々で、声をかけて来る人も少ないです。又、金儲けの為に、しつっこく声をかけて来る人も少ないです。過ごしやすい、居心地の良い、地域ですねー。今の所、インドで住むなら、ケララ州かなー? と感じます。フセインの奴、こんなのんびりした所で育ったもので、ボォーっとしていたのかなー? いや、生まれつきかな? 生まれつきだな、やっぱり。何度、キャディの仕事を教えたか分かりませんが、最後まで気の効いたキャディにはなれませんでした。どうしているかなー? ちょっと脳が不足的な面はありましたが、良い奴ではありました。脳が不足的と言えば、僕もそうなので、調度良かったのかも知れませんね。どっちかを選べって言われたら、忙しないアシュラフよりは、フセインの方を選ぶでしょう。
2008.11.17
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honjitu wa nihongo kakemasen.sumimasen ga comment muri desu node gokanben wo!====================================2008年11月14日(金) 58日目本日は、コーチンって言うタイトルで書きます。え? 何でインドの旅の途中で、名古屋コーチンのことを書くのか? ですと? 違いますなー! そのコーチンとは、似ても似つきません。そのコーチンの出どこは、中国ですから。え? スケベーになったなー! ですと?ビートたけしの言ったコーマンの男版、コーチンについて書くのか! ですと?ち、違います! いくらヒンドゥー教で、リンガに感化されたからと言って、そんな事を書く訳がありませぬー! ぬぬぬー! ありませぬー!アジアの星一番にとって、もっとも遠い所にある言葉が、スケベーなのです。で、コーチンとはですねー、バスコ・ダ・ガマが、ここに到達した地なのです。ヨーロッパ人として初めて、アフリカ大陸南端の喜望峰を廻って、辿り着いた人ですね。その人の遺体もここに埋葬されていました。(ずっと以前に、掘り返されて、故国へ送られたそうですが。)と言った事で、インドとしては、異国情緒溢れる都市なのであります。朝、バックウォーターの町、アレッピーからバスで、そのコーチンへやって来ました。1時間半で着きます。宿にチェックイン後、早速、今後の汽車のチケットを購入した後、州立の観光事務所へ行き、午後の市内ツアーを申し込んできました。この時は、時間節約の為に、オートリクシャーを利用したのです。そして、午後2時出発の船に乗るので、地図を見ながら、聞きながら、ジェッティーに向かいました。しかし、どこで間違えたのか、女子高校に迷い込んでしまいました。いえー! 決して、知ってて行ったのではありませぬ。迷い込んだのです。覗きではありませぬぞ! あくまで、迷い込んだのです!しかも、校門の入り口で、女子高生に聞いたのに、そこを通って行けと、指示されたからなのであります。そしたら、何やら、学芸祭のようなものをやっているようです。制服の娘達にカメラを向けると、キャーっと言って逃げて行きます。で、帰る素振りをして、数歩だけ歩き、いきなり振り向いて、又、カメラを向けると、一斉に、キャーっと言って、逃げて行きます。面白いので、何回か、繰り返したら、中には、興味津々な娘もいまして、写真を撮らせてくれました。写真に撮りませんでしたが、最後には、全員が教室から出てきました。そしたら、今度は、きちんと着飾り、準備完了した娘さんたちが、写真を撮ってくれと、勢ぞろいです。もっと、皆さんのを撮りたいと思ったのですが、年配の先生らしき人が、「むむ、怪しき奴? 何者ぞ?」、と言う目で、近寄って来たので、慌てて逃げました。そんなことで、思わぬ、時間を食ってしまい、船の出発、ギリギリで、ようやくジェッティーに辿り着いたのです。女子高校生には気を付けねばなりません。時間を忘れてしまいます。長くなり過ぎたので、「コーチンその2」、で続きを書きます。追記ここコーチンでは、エルナクラム地区と言う、大陸側で、ジェッティーに近い場所にある、ジョーンズ・レシデンシーと言う格好良い名称の宿に泊まりました。(330ルピー、700円位です。)ここの所、エアコンなしの宿ばっかりですが、本日もエアコンなし。そしたら、ここは暑くて、暑くて眠れません。で、入り口ドアを開けて寝ました。そしたら、フロントから夜中に「ドアが開いてる」、とわざわざ、電話が来ました。親切と言うか、何と言うか、起こされてしまい、その後眠れずに寝不足です。
2008.11.16
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本日、2回目のアップです。 アレッピー、コーチンと、日本語入力可能なネット屋さんが見つからず。 リアルタイムに追いつくのは難しいです。現在、西海岸の、カーリカットと 言う町から、マイソールへの移動でバス待ちです。 ラップトップをネット屋に持ち込んで、接続しています。これだと、日本語が 書けないネット屋さんでも、大丈夫です。(11月15日) =============================== 2008年11月13日(木) 57日目 名残り惜しい、コヴァーラムから、バスでクイロンまでやって来ました。 ここは、バックウォーターの、中心となる町であります。 さて、バックウォーター(Backwater)って、何でしょうか? 英語に弱い僕は、分からないので早速、辞書で調べて見ました。 しかしながら、適当な訳がみつからないのです。 「聞くは一時の恥じ」って事で、聞いてみました。どうも、「水郷地帯」、 と言うような意味があるようです。辞書には載ってないのですがねー。 多くの川や、入江や、湖が、複雑に交錯しているようです。 本日は、その水郷を、8時間掛けて船旅をすることにしました。 これが、船です。 これが、1階席と、2階席です。 客は、ほとんど白人。インド人が3名、日本人が1名ってところです。 現地の舟も、結構、頻繁に通ります。 こんな大きな湖も横切って行きます。 ここは、ケララ州と言うところですが、ケララとは、「椰子の国」って意味だそうです。 この川の辺は、確かに椰子ばっかりです。 おー! フセインの家かな? フセインとは、ご存知、サウジでの2代目専属運転手です。 彼は、サウジ出稼ぎで、たんまり稼いでいるから、もっと良い家かなー? 岸辺の椰子の中に、このような家が結構あります。 おー! これが、フセインの家か? こんな美しい塀で囲った家も散見されます。金持ちの家なのでしょうねー! フセイン君、今は、何をしているのかなー? なんせ、8時間も水の上を走るますので、写真も沢山撮りました。 行きかう舟も、仕事用から、観光用まで、色とりどりです。 この風景を思わせる、現地の小学生の作文です。 「おばあちゃんは、川へ洗濯に行きました。 おじいちゃんと、お父ちゃんは、、川へ魚取りに出かけました。 お母さんは、川で髪を洗ってます。 お兄ちゃんは、川で歯磨きしています。 お姉ちゃんは、川へ、おしっこしに出かけました。」 お? なんや? 全部、川やないか? まだ、続きがあんのか? 「そして、僕は、川へ水泳ぎに出かけました。 川は、僕んちに、なくてはならないものです。産まれた時から、ずっと、 川のお世話にならない日はありません。 僕は、川のそばで生まれて良かったです。ありがとう! 川さん!」 おー! ええ作文やなー! アジアの星一番が、先生だったら、満点を上げるなー。 ってな、出まかせは書いたらいけませんよねー? でも、そんな情景が 浮かんでくる風景なのです。 こちらは、刈り上げた稲を運んでいる所です。 写真を撮ろうとしたら、皆さん、ポーズをとってくれました。さすが、観光地で、 観光船を毎日見ている皆です。ありがとう! 元気でな! 次は、本当に、現地生活には、なくてはならない移動手段の舟です。 潮来花嫁さんは、もう舟で行かないでしょうが、ここでは、舟に乗って 行くかも知れませんねー。 そんなこんなで、10時半に、クイロンを出発し、途中、昼食と、お茶で、 2回、休みましたが、ほぼ予定通りの8時間ちょっと前、18時15分に アレッピーに到着しました。 これは、その数十分前に撮った、夕暮れ時の風景です。 宿は、ジェッティーのすぐ近くにある、KTC ロッジにしました。部屋は、屋上に 後で閉て増したようで、コヴァーラムの宿と同様、椰子で作られています。 部屋は、すごく清潔です。これで、200ルピー、約400円です。
2008.11.15
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2008年11月12日(水) 56日目 コヴァーラム・ビーチで、ゆったりしていたら、もう5日も経ってしまいました。 インド大陸の旅も、残すところ1ヶ月程度となり、まだ、インド内陸部、 パキスタン近くの、湿地地帯、砂漠地帯、など、行きたい場所多数あります。 ネパールのポカラ同様、まだまだ、ここで、さらに、ゆったりとしたい気持ちですが、 そう言った事情により、明日、出立することに致しました。 本日も、本を読み、空を見上げ、渚を見下ろし、この景色を見ながら、 昼寝を楽しんだのであります。 そして、午後は、渚を独り占めして、ボディボードを心行くまで味わったのです。 あまりに、波に乗りすぎて、ボードに乗りすぐて、お腹が真っ赤になってます。 (日焼けでなく、ボードに擦られて) そして、シャワーを浴びて、この夕陽を見ながら、ベランダで、ビールを飲んでいます。 追記 ここ、コヴァーラム・ビーチは、派手さはないし、ビーチの砂浜も広くはなくて、 世界各国にあるビーチ・リゾートに比べれば、劣る面はあるかも知れません。 しかし、安いのが魅力であり、洒落たレストランもあり、マッサージ屋さんもあり、 日本の中古小説も入手可能であり、色々と、しつっこい手合いもいません。 過ごしやすい、リゾート地です。 追記の追記 朝、出立する時、浜辺で、現地人が、綱引きをしているのが見えました。 良く見たら、相手は、海の中です。 どうも、網を引っ張っているようです。何漁って言いましたか? 地引網でしたか? 夜になると、海の方に、光が沢山見えます。まるで、向こうに陸地があるようなのです。しかし、昼間は何も見えません。 地元の人に聞いてみたら、「あれは、漁船だ。」、と教えて貰いました。 漁業とリゾートの村なんですね、ここは。
2008.11.15
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2008年11月11日(火) 55日目 本日、2回目の更新です。時間はあるのです。 ============================なんかねー、思ったんですよ。それが、何であるか、忘れてしまいました。 くっそー! 何だたっけなー? 「そうなんだよなー!」って、我ながら思うような 事柄だったのです。 ダメです。思い出せません。 ゆったりと、波の音に、身をゆだね、時おり、ボォーっと空を見上げていると、 「あぁ、生きてるって、ええもんやなー!」、と、感じます。 そんな風に時を、過ごしているので、脳の思考もゆっくりとなったか、止まって しまった見たいな、ゆるい感じなのです。 な、何ですと? いつもボォーっとしてるだろ? ですと! 脳の動きも、いつものろいだろ? ですと! もうー! そんな事言ったらいけまへん! その通りですから反論しませんけどー、 素直に文章読んで下さいな。ようは、何も考えず、ゆったり過ごすのも、良いもんや、 と言いたいのです。 分かって貰えましたか! でも、きちんと、毎日ブログは更新しています。偉いもんですねー! で、毎日、2回行く、レストランを紹介します。 もっと良いレストラン多いです。皆さんは、きっと行かないでしょうから、参考にならないと思いますが、まぁ、そこん所は、我慢して下さい。そこそこ、キレイなレストランなのです。 僕の泊まる宿:ホテル サンセットのすぐ横の路地を入った、ずっと奥の方に あります。レストランの名前は、「KEERTHI」 キールティとでも読むのでしょう。 このレストラン、昼食に、現地で働くインド人用に、ミールス(ターリー):定食を 作ってくれます。野菜カレー定食が、30ルピー。フィッシュカレー定食が、40ルピー。 60円とか、80円ですから、何れも、ローカルが食べられる価格帯です。 安いし、うまいので、僕も、毎日、現地人の仲間入りしています。 上のと、左の下のが、魚です。マグロでしたね。 夜は、一番安い、トマトスープか、野菜スープに、チキンチャーハンか、 チキン焼きそばか、チキンビリヤニかの、2種類を食べています。 昼食と夕食、これで、栄養は充分でしょう。 これは、ホット&サワー・スープです。 ちょっと高めの60ルピーです。 そして、フィッシュフライドライス。 食事が終わって、夜の、コヴァーラム海岸を、散歩します。 このように、浜辺通りには、ぎっしりお店が並んでいます。 本日は、本を読むのも飽きたので、海に入って見ました。 僕は、透明度の高い、お魚さんが一杯いて、色とりどりの珊瑚があるような海、 そう、ダイビングが好みで、砂浜の海は、あまり好きでありません。 海の底の見えない海は、「ケッ、海じゃねぇーぜ!」、ってな、印象なのです。 ハワイのワイキキなんて、なんじゃ、これー! と思いました。 すぐ近くの、ハナウマ・ベイは、すんごく、良かったですけどね。 でも、まぁ、庶民の楽しむ、海にもたまには入ってあげよかな? と言う、 気持ちで、のっそりと出かけた訳であります。こんな所へ。 海に入っている人は、まばらです。 白人のビキニの女性が多く、その付き添いの男性が、わずかです。 波に揉まれるだけで、な~んにも、おもろーないなー!と思いましたです。 何気に、波の先を見ると、白人女性二人が、サーフボードに腹ばいになり、 気持ち良さそうに、すい~! す~い~! と、岸に向かっています。 おー! 面白そうじゃー! と、早速、サーフボードを借りに行きました。1時間50ルピー、100円です。 始めて見ると、白人女性のように、波にうまく乗れません。 「クゥー、腹立つなー!」、、と白人女性を見ると、ビキニのパンツがずれて、 日焼けしてない、真っ白なお尻と、その真ん中の割れ目までが見えてます。 「おお! こっちの方が、ええか?」、とも思いましたが、サーフボード熱中に 戻りました。 10分、20分、うまく行きません。 大きい波が来た時、波の下の砂地を蹴って、思い切りバタ足しました。 そしたら! 乗れました! すぅーーーーーっと、波の前を滑るように 岸に向かっています。 気持ち良いー! 白人女性のハンケツ見るより ずーっと気持ち良いー! 熱中しましたねー! 熱中時代です! でも、その後、全てがうまくは乗れません。結構、難しいものであります。 ま、でも、運動神経は、並以上のアジアの星一番さんですから、30分を 過ぎた頃から、要領を飲み込みました。 まず大切な事は、波を選ぶことであります。同じような大きい波でも、岸まで 辿り着かない内に消えてしまう波と、ずーっと岸辺まで続く波があります。 そのずっと続く波を見つけるのですねー。 それは、前方の波ばかり見ていては、ダメです。岸側から折り返す波があると、それとぶつかって、波が壊れてしまうのです。だから、両方を見て、一番良い波を見つけるのですねー。後は、海底に足が着いていれば、思い切り砂地を蹴り、岸に向かって 大きく足をばたつかせるだけです。それで、波に乗れます。 気持ち良いですよー! もう一つ、大きい波でも、砕け散った波は乗りにくいです。 海が盛り上がり、波になりそうな所が、一番乗りやすいようです。 サーフボード初心者の体験談でした。 サーフボード抱えて、波を捕らえに行く、アジアの星一番です。 ちょっと離れて見える人影は、白人のハンケツ美人です。(見えますか?) 追記 壊れたカシオのカメラ、売れました。1000ルピー、2000円です。 大きいですねー! この金額。 誰が買ったか? 宿の受付の男性です。 カメラが壊れた、と言ったら、「直せる」、と言うものですから、丸1日彼に 預けておいたのです。しかし、真っ白に写るのは、直りません。 でも、彼から、この壊れたカメラ欲しそうな雰囲気が、発散していたのです。 で、一旦は、日本に帰って修理に出せば直るから、と、部屋へ持ち帰りました。 翌日、「カメラ買う?」って聞いたら、「いくらなの」って聞き返して来ました。 インド人がいつも使う手、「いくらなら買う?」、と逆質問です。 何度か、同じよう問答を繰り返した後、彼は言いました。「500ルピー」、と。 「これ、新品は、15000ルピーしたんだよね。壊れたと言っても、ほとんど 使えるし、10%の1500ルピーは欲しいところだよ。」 と言って考えておくから、いくら出せるのか、そっちも考えておいて、と 気を持たせて、部屋へ戻ったのです。 雰囲気より、まぁ、1000ルピーで、手打ちだな、と思っていました。 そしたら、その後、その通り1000ルピーで買うって言うのです。 宿代、二日分と、壊れたカメラ、交換と同じです。 2台もカメラ持って歩くの面倒だなー、捨てるのももったいないし、 どうすんべ? と悩んでいた所なので、1000ルピー、二日の宿代、 大助かりです。 追記の追記サーフボードって言うと、ボードの上に立つ、サーフィンも言うようです。ボードの上に、腹ばいになって波に乗るのは、「ボディボード」って言うらしいです。知らなかったですねー。ボディボード。ボディ・ペインティングって言うのは、どっかの国の酒場でやってました。
2008.11.12
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2008年11月10日(月) 54日目最高の部屋に眠り、ベランダでは空を見上げ、飽きれば、日本の小説を読み、そして、飽きれば、美しい渚を見下ろす、贅沢な日を過ごしております。そして、ふと、足りないものが、二つあると、気付きました。一つは、まぁ、100%無理なものでありますので、足りないと思うだけです。もう一つは、願いが簡単に叶いそうなものです。サウジでは入手不可なもの。そうです、そうです、アルコール類です。ベランダの籐椅子に座って、本を読みながら、ビールを飲む、これぞ最高でしょう!で、フロントで聞いて、早速買い出しに行く事にしました。ここはリゾート地なので、レストランで飲みながら、本を読むってのが、常道であります。しかしながら、貧乏人バックパッカー、安さを求めて、一直線です。レストランでビール飲むと、90ルピーから100ルピー。(聞いた話し)しかし、バスに乗ってリカーショップで買えば、50ルピー。倍の値差です。これは、買いに走るでしょう!但し、実際に走るだけの脚力はありませんので、歩きました。これが、僕の居るホテルの浜辺です。ホテルから遠い方から写したものです。この右手には、レストラン、ホテル、みやげ物屋が、所狭しと立ち並び、空きスペースは、全くありません。コヴァーラムには、浜辺が二つあります。バスの到着するバス停に近い方と、さらにその浜辺から歩いて行くとある、浜辺の二つです。僕のホテルはバス停から一番遠い所にあります。これが、バス停に近い方の浜辺です。お? 誰かいますねー? 誰でしょうか?ありゃー? アジアの星一番さんでは、ないですか? いつも着ているのとずいぶんと違いますねー! リゾート気分ですな?って、自分のこと書くのも、面白いですねー。実は、この着ている上下、ここで買いました。持参荷物は最小にしてあるので、ズボンは1本だけ。で、海水パンツさえ、持って来ていません。この上下で、いくらだと思いますか? 正解を教えましょう。100ルピー。200円少々です。買い叩きましたが、安かったのか、どうか?それは、売る主のみ知るって奴です。この写真、僕の後ろの方を見て、覚えて置いて下さい。酒屋があるのは、VELLARって言う場所で、2Km位だって聞きました。2キロなら歩こうと思っていましたが、バス代が、5ルピーとも聞いたので、それなら2キロよりあるはずだ、と思い返し、バスに乗ることにしました。7ルピー出せば、、バスは、1時間近く走りますから、5ルピーだと、最低、10キロは、行くでしょう。途中、と言っても走り出して、すぐですが、こんな切り立った岩もありました。2キロと聞いた割には、相当走ります。どうも聞き間違いのようです。かれこれ、20分、いや30分以上走ったでしょうか? 車掌さんに、何度も、まだか? まだか? って、確認したほどです。バスを降りて、右に曲がったら、酒屋はあるって聞いたのに、ヒンドゥー教の寺院がありました。こんな所に、酒屋さんはないでしょう。車掌さん、英語が分からんもんで、この日本人は、お寺に行きたいのだろう、と、勝手に決め付けたに違いありません。(寺院は、注記参照)酒屋を探していたら、バザールがありました。バザールと言っても、中東のバザールと異なり、日本で言うデパートです。デパ地下の食品売り場(こちらでは、デパ1階でしたが)、日常品売り場、洋服売り場、などなど、ほとんどのものが、ここで買えます。パンツ2枚、ランニングシャツ3枚、靴下2足、を思い切って購入。ここには、トランクス型のパンツも売っていました。砂糖に、トイペに、ピーナッツ二袋、リンゴも2ヶ買いました。このデパート、警戒が厳重です。荷物は、持ち込めません。預けねばなりません。購入した袋は、プラステックの紐(?)で、厳重に閉じられます。(他の品物を入れられないように。たぶん)出口は1箇所。入った所から出ようとしたら、出口から出よ! と厳しく指導されました。そして出口では、レシートを見せないと出られません。レシート出すと、捺印してくれて、やっと解放です。いや、入り口に近い所にある、荷物預り所へ行かねばなりません。面倒ですねー!そして、本来の目的、酒屋さんです。ビール3本と、ウィスキー半瓶を購入。酒屋さん、袋をくれず、瓶を新聞紙で包んだだけなので、持ち辛いったらありません。袋を準備して行かなけりゃーダメです。こちらの酒屋さん。幸い、デパートでは、袋をくれたので、うまく入れ替えて何とか持ち帰りすることが出来ました。さて、又、バスで帰りました。が、先ほどのバス停に近いビーチです。雰囲気が違いますねー!先ほどと、同じ場所から撮って見ました。すごい人です。先生らしき人に引率されて来ている生徒達もいます。遠足場所なのでしょうか? こちらの浜辺には、外国人は少ないです。どうも、こちらが地元用、奥の浜辺が外国人用見たいです。(決められている訳ではないですが。)さて、本日の購入品です。パンツ2枚:400円、下着3枚:180円、靴下3足:200円でした。そして、本来の買い物、ビールとウィスキーです。ビール3本:300円、ウィスキー:300円でした。こんなに、買って飲みきれんのか?本日は、宿代も含めて、1日で3360円も使ってしまいました。大散財ですが、より快適なリゾートにする為には、安い! 安い! 安過ぎ!注記VELLARと言う場所にリカーショップがあると聞き、バスの運転手にそれを見せて、降りる場所を教えてくれ、と頼んでおきました。宿では、2Kmと聞いていたのに、かなりの時間走りました。誰かが、間違えてた訳ですが、宿で聞いたのが、正しかったのでした。VELLARと言う小さな町を、すっ飛ばして、トリヴァンドラムと言う人口74万人の、西海岸有数の町まで行ってしまったのです。ヒンドゥー教の寺院は、「バドマナバスワーミ寺院」、と言って、トリヴァンドラムの象徴的寺院でした。道理で、りっぱな寺院だと思ったものです。まぁ、そのお陰で、下着に靴下まで買えたので、よしとせねばなりません。が、こんな間違いが生じるのですねー? 何故なんでしょう?ちゃんと、紙に行き先の場所も書いて貰っって、それを見せたにも係らず、です。
2008.11.10
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2008年11月9日(日) 53日目あ~ぁ、あ~ぁ、ああ~! 良く寝た! 寝たぞぃー!9時間以上も、寝てしまったかな?そして、ふと、ベッドから、頭を上げて、外を見れば?うわぁー! どした、どうした! ここは、どこじゃー!なんと、なんと、波が僕の方へ向かっています。溺れてしまいそうです。そんな錯覚さえ、覚えそうな、部屋であります。そうです、ここは南インド、最高級のリゾート地、コヴァーラムであります。昨日、カニャークマリから移動し、ホテルにチェックインしていたのです。イスタンのツリーオブライフで管理人さんをやっている、「もりみほ」さんが、昨年泊まって、とっても良かったとの宿、MARINA KOVARAM へ行って見ました。残念ながら、塗装中で、客をとってません。「歩き方」では、推薦多数と記載の、グリーンランドは、かなり奥まった所にあり、且つ、お値段も安くもなく、且つ、部屋以外の外回りが、あまり綺麗でありません。蚊も多そうです。 で、泊まるのは、断念しました。それ以外も、いくつか見ましたが、気に行ったのはありません。ここは、素通りではなく、少し長く滞在したいので、値段も、部屋も、場所も気に入ったのを見つけたいと思ってました。バックパック背負って、浜辺をトボトボと歩いていたら、上から声がかかりました。「ルーム?」、と。高そうなので、首をフリフリ、歩いて通り過ぎようとしました。そしたら、2階から慌てて降りてきて、「見るだけ、部屋見て?」、といつもの通りの、誘いの言葉です。「金ないから、泊まれん!」、ときっぱり言うも、「見るだけ、ね、見るだけ!」、と、敵さんも、真剣です。「金ないからね!」、と念を押して、部屋を見に行ったのです。そしたら、最上階で、バンブーで作った、素敵な部屋なのです。部屋も広いです。冷蔵庫もあります。そして綺麗です。シャワーは水ですが、既に見た他のホテルは、どこもそうです。エアコンなしですが、既に見た他のホテルは、どこもそうです。(エアコン、温水シャワーの部屋は、2000ルピー位するらしい。)バルコニー付です。 (イタリア語)テラス付です。 (フランス語)ベランダ付です。 (ヒンドゥー語)( )内は、原語。ほんとは、「渚のバルコニーで、待ってる~♪」 と、バルコニーを使いたいところですが、ベランダの大元は、ヒンドゥー語らしく、それがイギリスで使われているらしいです。ですから、ここでは、ベランダを使わねばなりませぬ。ダ、で止まる言葉は、ニーと延ばして終わる言葉に比し、詩的には劣るような気がします。(僕の詩的センスですから、全く当てになりませんが・・・。)そのベランダから、右手を見たものです。おー! 灯台が見えますぞ!そして、左手側です。 おー!渚が全面的に見えますぞ!全く気に入りました。100%、いや、500%気に入りました。しかし、そんな素振りは、見せられません。「で、いくらなの?」、聞きました。(気のない素振りで)「良い部屋でしょ?」、答えになってない。「で、いくらなの?}、又、聞きます。(気のない素振りで)「こんなに、海が良く見える部屋はありません。」、答えになってない。「で、いくらなの?」、又々、聞きました。(ちょっと、少しだけ、声を高くして)「この通り、部屋は広いし、蚊も来ません」、答えになってない!「だからー! いくらなの!」、声を荒げて聞きました。「そのー、普通は・・・、そのー」「普通じゃなくて、いくらなの? いくらで泊まれるの?」、もう高飛車です。「普通は・・・、1000とか、800ルピーとか・・・」「あっ、そっ!」、部屋を出ようと歩き出しました。「ちょ、ちょっと、待って! 600ルピーまでなら・・・」、と、後ろから聞こえました。「良かったー!」、と本心、そう思いました。声をかけてくれなかったら、500%気に入ったこの部屋に泊まれない所だったのであります。しかし、まだ粘ります。しつっこいですぞ! アジアの星一番は。「ん? 600ルピー? 金ないなー!」、試しに言って見ました。「何泊しますか?」、この答えは、まだ安くする見込み十分であります。「そうだなー? 日本語の小説でもあれば、ずっと泊まっても良いけど?」と言って見ました。「・・・、ない、ありません・・・」、残念そうです。「小説でもなけりゃー、暇で暇で、しょうないじゃん!」「海へ入ったら・・・? いや、どこかで、見つけて来ます・・・」「う~ん、もっと安くならないの!」「いくらなら?」「500ルピー! それなら、2泊する。」、ときっぱり言って歩き出しました。これも賭けですねー。そしたら?「分かりました。特別です。500ルピーで結構です。」やりました!そんなこんなの、やり取りがあった後、ここへチェックインしたのです。このベランダの籐椅子に座って、小説を読みます。ほんと、ゆったりして、最高の気分です! 本を読むのを飽きたら、海を見ます。下を通る、観光客を見下ろすのも、気分上々です。そうそう、日本語の小説は、近くの雑貨屋で、1冊、60ルピーで売ってました。たったの120円か、130円なので、買おうとも思いましたが、読んでしまったら、不要になるので交渉し、返せば、40ルピー返金、即ち、20ルピーで借りました。40円から50円で1冊借りられます。高木俊郎作、「ルソン戦記」、上下巻、を借りて来ました。もう、部屋は、最高! しかも安い! 小説もある。完璧なリゾートライフを過ごせる準備は、これで全て完了です!
2008.11.10
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2008年11月8日(土) 52日目これは、喉が渇いた時や、ちょこっと一休みしたい時に、チャイを飲むときに寄る、チャイ屋さんです。ちと高級です。きちんと、お店で作ってますから。自転車にタンクを乗せて、売り歩くチャイ屋さんもいます。いつもの、定食、ミールスです。昼は大体、これにお世話になっています。これで、28ルピー、凡そ60円です。ご飯も、おかずも、お代り自由です。腹一杯食べられるのが、バックパッカーには、大変、有り難いです。さて、カメラ購入による、思わぬ出費に、心重く、今後の節約に思いを馳せていたところ、インド最南端の町、カニャークマルへの夜行バスがあることを知りました。宿の張り紙に書いてあったのです。しかも、観光付です。カニャークマリ最大の見どころ、日の出観光も含まれております。350ルピーと結構高いですが、宿をキャンセルすれば、200ルピー戻って来ます。昼のバスで行っても、100ルピーはするので、観光付きの所だけ、少々、お得と言うことになります。早速、申し込みました。夜の、10時に出発。バスは、狭い道を、無理な追越をかけながら、ぶんぶん飛ばして行きます。客は、インド人家族ばかりです。「何で、あんた、こんなバスに乗ったのだ? 何故、ツアーバスに乗らないのだ」ある一人のインド人の客が、問いかけて来ました。「え? これツアーバスでしょ?」どうも、彼らのツアーバスとは、白人達が乗っている、エアコン付きのりっぱなバスのようで、この自然通風バスは、ツアーバスの内に入らないようなのです。このインド人達、僕の身なりを見ても、貧乏バックパッカーに見えないようです。身なりとからは、見えぬ、風格が、このアジアの星一番さんから、出ているのか?そんなこたぁー、ないな。日本人は、皆、金持ちだ、と思っているのでしょう。うとうとしたら、1時頃、小休止。チャイ飲んで、トイレ(と言っても路上ですが)行って、バスに戻り、そして又、うとうとしたら、3時に又、小休止です。と、思いきや、もうカニャークマリに到着したと言うではありませんか!早い! こんなに早く着くのに、何で、そんなにぶっ飛ばすんだ!日の出を拝むと言ったって、3時にゃー、出て来るまい、お天道様も。インド人客と、運転手、何やら、外で、大揉めに揉めています。どうも、朝の観光の時間まで、どこで休めば良いんじゃ! 部屋位準備せぇー!てな、事で、揉めていたようです。僕は、恐怖の、49時間バスの旅、を経験してますので、数時間の待ち時間程度、バスの中で待てます。なんら問題ありません。静観してました。問題解決したようで、家族単位で、宿の受付の前の椅子で待つことに相成り申したです。僕は、たった一人で、とある宿のコンクリの上の安物の椅子がある所で待たされました。安物は安物でも、僕は一向に構わないのですが、蚊には困ります。バッグから、蚊取り線香を取り出して、火を点け、現地購入のオドモス(蚊除クリーム)を手足、首に塗り、さらに蚊取マット:電池駆動を首から、ぶら下げて、しばしの休息に入りました。廻りの騒々しさにも負けずに、深い睡眠に入っていました。起こされたのは、5時半です。観光出発の時間です。早速、カニャークマリの御来光を見に行きました。新品、大枚、4800ルピーで購入した、サムソン製デジカメで初撮りです。う~ん、うむ、うむ。雰囲気は出ていますが、今ひとつ、色が冴えませぬ。壊れたカメラ、カシオのデジカメを若干ズームにして、撮って見ました。壊れたカメラの方が、朝日らしい色合いですねー!カシオには、人物、風景、キャンドルライト、スポーツ、パーティ、花、緑を鮮やか、夕日、水しぶきを止めて、紅葉、夜景、花火、食べ物、逆光、文字、白黒、レトロ、トワイライト、などなど、色んなのを選んで撮影出来るのです。し、しかし、安物、サムソン製には、そんな機能はありません。さすがに、安物は、安物です。仕方ないですね。安物を買ったのですから。こんなに沢山のインド人さん達が、この御来光を見に来ています。雲はあったのですが、一瞬でも、太陽さんが顔を出してくれたので良かったですね。さて、ほんとの、ほんとの、ほんとの、インドの最南端です。この御来光の写真の、若干、南側です。お! 亀がいましたぞ! ん? 亀かいな?ん? おかしいぞ! 波が来ても、びくともしません、この亀さん。違いますなー! これは、きっと、例の、シヴァのリンガ(男根)です。亀に間違えますよ。しかし、良く、亀頭って言ったものですねー。似ているって言われれば、そっくりかも知れません。言われなくても似ているかな?最南端の地に、しかも、波打ち際にさえ、シヴァのリンガを祭る、ヒンドゥー教の、奥深さに、感銘した次第でございまする。感銘冷め遣らぬ間に、ちと、居眠りしている間に、次のヒンドゥー教の寺院へ到着しました。ヒンドゥー教の寺院は、どこへ行っても、裸足にさせられます。しかし、ここは、裸足の上に、上半身、裸でなければ、入場出来ないと言うのです。おー! おおー! 何だとー! 上半身は、は、裸? ほ、ほんとかー!20歳前後の若い女性も、参拝してないかなー? などと、邪まな考えで、門をくぐってみますると、なんじゃらほい、がっくりやんけ。女性は裸ではありませんぬ。 男だけでした。ちょっぴり残念。(ヒンドゥー教に染まって来ました。ちと、スケベーになっています。)追記バスの運転手、何故、夜中に、そんなぶっ飛ばして来たのか?意味、分かりました。その運転手は、客を降ろしたら、マドゥライに帰るのです。朝からの観光は、別のバスがやって来るのです。早く、家族の元に帰りたいからだったのですねー。もっと、ゆっくり、ゆっくり来れば、バスの中で眠れたのにねー。客の為より、自分の為。その気持ちは分かりますが・・・。
2008.11.09
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2008年11月7日(金) 51日目カメラ、買うことに決定しました。高額なので、もったいないのですが仕方ありません。写真が満足に撮れないのでは、ブログの意味なしとなります。下手な文章だけでは、誰も読みません。写真がなければ、カ~ン、鐘一つ、不合格です。で、早速、マドゥライの町へ、探しに出かけました。ですが、カメラ専門店と言うような、お店が仲々見つかりません。ようやく見つけたお店は、キャノンとソニーの2機種しかありません。値段も8500ルピーから一歩も負けません。このインドで、大した心がけです。その点は、気に入りましたが、いくつかのお店を見て、値段と内容を比較してから買う習慣がついている為、他の店を探しに出ました。不思議ですねー。日本にいると、もっと高価なもの、特に着るものなどは、何店も比較して買うなんて事は全くなく、気に行ったら、即刻、購入するのに、安旅に出ると、どんな安いもの、生姜1ヶ、5円でも、何店か見るのです。ドケチ根性が、染み付いています。もっとも、バックパッカーには、体力と、時間のみ、あるのが取り柄で、それ以外は、何にもありませんからねー。次に探した、お店は、携帯電話が主で、カメラは、ほんの少ししかありません。で、やはり、キャノンとソニーです。お値段も、あまり変わりなく、大体、相場は分かりました。店員さんです。「もっと、安いのはないか?」、と聞くと、「韓国製ならある」、と言います。「お-、そんでいい、それ見せてくれ!」6メガピクルスで、ズーム3倍、今、使っているのと同じです。SDカードも、1ギガ。全く、問題ありません。お値段は、5000ルピー。何とか負けさせて、4800ルピー。これ以上は、絶対に下がりません。最後の手段に出ました。「実はの、100ドルしか、持っておらんのじゃ、今、1ドル=47ルピーで、調度、4700ルピーなんじゃよ、4700ルピーに負けてくれ!」為替も、ずいぶん変動しています。9月18日にデリーに着いた時は、1ドル=45ルピーでした。それが、10月24日、コルカタでは、1ドル=49ルピーでした。今は、1ドル=47ルピーです。「48ルピーで換金してくれる、両替屋がある。」、とマネージャーが言いました。「そんじゃー、100ドルで、買えるな?」その両替屋へ、店員が、案内してくれましたが、歩いて、5分以上かかります。途中、もっと大きなカメラ屋があったので、店員を待たせておいて、値段を調べましたが、高めです。一緒にいった店員、「そうじゃろ、そうじゃろ!」、って嬉しげな顔です。両替屋では、1ドル=47ルピーで、48ルピーにはしてくれません。マネージャーの奴、いい加減なこと、言いやがった訳ですが、もう、これ以上の交渉も、無理なので、両替し、購入することに決めました。これです。まだ、カシオのカメラ使えますが、写りがおかしいですよね?アップにすると、少し良くなるのですが、それでも、明暗がおかしいです。100ドル。1万円。1週間も、暮らせる大金です。が、綺麗な写真を撮る為には仕方ありません。え? なら、もっと高いのを買え! ですと?いやいやー、この程度の品質で、十分撮れます。写真集を出版する目的ではないですからねー。ブログに載せる為です。大きく、引き伸ばす事はないですし、これで良いでしょう!と言うことで、明日から、韓国製写真で、お送りします。
2008.11.09
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2008年11月6日(木) 50日目ついに、インド大陸、50日目に到達しました。日にちと言うのは、本当に1日、1日と、過ぎ去って行くものなんですねー。サウジに居た時は、1日が長かったです。今は、1日が、あっと言う間に、過ぎ去って行く感じです。え? と言うことは? サウジに居た方が、長い一生を送れるってこと?えーーーーぇえ! そう言えるのかなー?と言うことは? 単に長いだけでは、ダメってことですな?ありゃりゃー、難しいことを考えてしまいました。止めときましょう、考えるのは。さて、もう本日は、アシュラフの故郷、マドゥライに来ています。このバスに乗って来ました。ねー、おかしいでしょう? この写真。このように写ってしまうのです。露出を調整する所が、壊れてしまったか、一昨日から、おかしいのです。困りました。ですが、フラッシュ焚いて撮る時は、問題ないのです。これが、昼食です。キレイに撮れてますよねー? うまそうに撮れてますよねー?ホテルにチェックインし、昼食後、ミーナークシ寺院へ行きました。宿から、歩いて、10分程度の所にあります。何やら、見えて来ました。西門です。西門に違いありません。何か、特殊なデザインかなー? ヒンドゥー教にしては、海岸寺院と同じように、地味だなー? と不思議に思って、近くで撮って見たものです。これは、藁か、萱です。南門へも行って見て分かりました。現在、塗装中なのです。藁か萱は、その覆いだったのです。残念ながら、ヒンドゥー特有の、派手派手なものは、見られませんでした。注:1年ほどかけて、塗装するらしいので、今から行く人は、期待せずに、 行ってくださいまししかし、青い空ですよねー! これがほんとの色です。ズームにして撮ると、このように撮れるのです。普通に撮ったら、露出オーバーで、真っ白になってしまいます。壊れたなー、カメラ。東門から入って、左手にある、千柱堂です。実際は、985本らしいですが、僕は、数えませんでした。ガイドブックを信用するしかありません。意味が分からなくて、申し訳ないのですが、色んな像があります。ヒンドゥーには、色んな神様がいますが、その神様達でしょう。 これは、ナンディホールと言って、牝牛の像です。ヒンドゥー教の皆さん、これに触って、祈っていきます。牛以外にも、ゾウなのか、何の生き物か分からない像も沢山あります。 次に、覚えている方もおられるでしょう。リンガです。そして、又々、リンガです。インド人のだけに、真っ黒ですねー!そして、これも又、リンガです。こいつは、ちと、それらしいです。(名古屋の神社のより、シンプルですが・・・。確か、記憶では・・・。)このミーナクシ寺院の、ミーナクシとは、ドラヴィダ民族の土着の女神だったそうです。夫が、アリャハルと言う土着の神様でした。しかし、ヒンドゥーの勢力拡大により、この女神は、シヴァと無理やり結婚させられ、シヴァの后になったそうな。何だか、ヒンドゥー教って、今でも、その辺りにありそうな話ですねー。良いのかな? そんなに世俗的であって。神が他人の奥さんを、盗ってしまって良いものでしょうか?それを信じる、信者の皆さんも、他人の奥さんを、盗ってしまうのでしょうか?それは、罪にならないのでしょうか?それが、そうなら、その部分は、ええなー!そこんとこだけ、ヒンドゥー教になれないもんですかねー?(盗る方の立場で、ですよ! 盗られる方の立場は、お断りです)
2008.11.07
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2008年11月5日(水) 49日目南インドを、すごい勢いで南下中です。チェンナイ 1泊 マハーバリプラム 2泊そして、本日の予定は、ポンディシェリーで、バス乗換えで通過後タンジャーヴールに宿泊です。世界遺産のある、マハーバリプラムと、タンジャーヴァールの間には、下記の町があります。しかし、1泊するまでもないとして、通過することにしました。ポンディシェリー 250年間、フランスの植民地。インドらしくない町なので 寄って見る価値があるとのこと。チダムバラム 舞踊の神として知られる、踊るシヴァ神、「ナタラージャ」を 祀った寺院を中心に発達した町クンバコナム チョーラ朝時代に建てられた寺院の門前町全部、寄っていたら、とても日程不足です。しかしながら、結果的に、全ての町へ寄る事になってしまいました。宿泊したマハバリプラムから、タンジャーヴールへの直行バスはないと、地元の人に聞いていました。で、ポンデシェリーまで行ってから、直行便に乗るつもりでした。しかし、実際は?マハバリプラム → ポンデシェリー(2時間15分)バスを乗換えて、ポンデシェリー → チダムバラム(2時間)バスを乗換えて、チダムバラム → クンバコナム(2時間15分)バスを乗換えて、クンバコナム → タンジャーヴール(1時間05分)なんと、4回バスを乗り継ぎ、合計、7時間半かかりました。待ち時間を入れても9時間です。バスの本数が多いので、待ち時間は全く気にならないくらいです。疲れましたが、面白いです。何が? と言えば、南インド人の対応です。北インドでは、必ず声を掛けられ、「どこから来た?」 とか、「名前は?」 とか、果ては、「金くれ!」 とかです。しかし、チェンナイ以南では、あまり、そのような事がありません。白人の団体さんの観光客は、多いので、観光客慣れしていないとは思えません。バングラデシュとは、異なるはずです。何故でしょうか?今から、さらにじっくり見てみるつもりです。で、何故、急いで南下しているかと申しますと、実は、ここ、タミール・ナードゥ州は、今が雨季なのです。チェンナイへ僕が着く前には、雨がずっと降っていたと、市内観光の時の、隣の男性が言っていました。インドでは、雨季は6月から9月なのですが、ここだけは、11月の降雨量が他の月に比べて、圧倒的に多いのです。(10月も多い)雨が降り続いて、足止めを喰らうのも面白くないので、一応の見所は抑えた上で、急ぎ足で、ケララ州へ移動しようと考えています。そう言えば、サウジ時代の僕の初代運転手、アシュラフの故郷が、タミールナードゥ州です。その中の、マドゥライ出身です。ここから、バスで、4時間程度の所まで来ました。彼が、ここまで帰って来たら、バスの窓から、顔を突き出して、故郷の方を見るのだろうなー? などと考えながら、バスに乗っていました。タンジャーヴールの町。今夜、泊まるホテルの部屋。Hotel Lion City。ここの所、夜は涼しく、エアコンと止めて寝ているので、エアコンなしの部屋にしました。415ルピーです。およそ、850円也。途中、チダムバラムの長距離バス停で、昼食を食べました。バナナの葉っぱが、お皿替わりです。南インドでは、そのようです。費用も、たったの10ルピー。20円です。庶民の食事は、安いですねー!世界遺産のブリディーシュワラ寺院。63mもの高さがあり、遠くからでも見えます。そしてライトアップされています。明日まで待てないので、行って見ました。これです。手前側から、前殿、前室、本殿で、本殿の一番上のライトの下にあるのが、冠石です。この石ですが、81トンもあるそうです。この石を乗せる為、長さ6キロにも及ぶ傾斜路を作って運んだとの事です。ここの、御神体は、シヴァのリンガである、とガイドブックに書いてありました。そう言えば、同じく世界遺産のマハーバリプラムの海岸寺院、そこもリンガでした。さて、リンガってなんぞいな?臨画 :手本通りに絵を模写する。 →違いますねー!麟芽 :腋芽の一種。オニユリなどに見られる。 →違いますねー!林歌 :雅楽の一つ。 →違いますねー!お! もう一つありました。梵:リンガ :男根。それをかたどった像。繁殖を象徴する。こ、これだー!何だよー! リンガなんて、言うから分かりません。チンポの事でしたわ。ヒンドゥー教ってのは、チンポを御神体にする宗教なんですねー。しかし、確かに、繁殖がなければ、滅びる訳ですから、そりゃー大切であることに間違いはありませぬが、そうだったのかー!そう言えば、回廊に太い丸太のようなのが、ずっと並んでいました。あれが、リンガだったのですね。知ってれば、まじまじと、見たかなー?ライトアップされています。ここは、入場料ゼロ、不要、ただです。 太っ腹ですねー! ヒンドゥー教!
2008.11.06
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2008年11月4日(火) 48日目チェンナイを、わずか1泊で通過し、マハーバリプラムへ移動しました。大正解です。(チェンナイも悪くはないですよ)マハーバリプラムは、小さな町ですが、落ち着いていて、洒落たレストランも多く、世界遺産の史跡もあり、海辺も綺麗で、言うことなし! 二重丸の場所です。もう一つ丸を足して、三重丸でも構いません。気に入りました。さて、これは、何でしょうか?別の角度からの写真を、3枚、お見せいたします。 クリシュナのバターボールと名づけられている岩です。昔、ゾウを使って動かそうとしたものの、びくともしなかったそうです。ミャンマーのタイ寄りの山の中に、同じような球状の岩があり、それは宗教上の何かにされていましたね。確か、チャイティーヨーとか言う、地名でした。何で、動かないのか、不思議です。アルジュナの苦行、です。これは、「ガンガーの下降」、とも呼ばれているそうで、ガンガーがこの世に降りて来たときの物語を彫ってあるそうです。ファイブ・ラタ(5つの石彫り寺院)これは、一つの巨大な岩を、彫りだして作ったもので、7世紀に作られたもの。どでかい岩があったものです。そして、それを彫って寺院を手作りで作ろうとしたのですから、すごいものです。せっかくですから。5つの寺院を縮小で、アップします。ナクラ・サハデーヴァ・ラタドラウバディー・ラタアルジュナ・ラタ ビーマ・ラタダルマラージャ・ラタ 世界遺産の「海岸寺院」です。整備された、通路と、芝生の向こうの方に見えて来ました。これも、7世紀に建てられてそうです。かつては、7つの寺院があったそうですが、現在残っているのは、これだけです。広い整備された敷地の中に、地味な、この寺院は似合っています。寺院の日陰に座っていると、ベンガル湾から爽やかな涼しい風が頬を撫で、波が岩に当たる音が、遠くの方から、聞こえて来ます。外壁には、牛が沢山ひざまづいています。シヴァ神に仕えた、ナンディー牛をモチーフにしたものだそうです。この町は、白人の観光客、団体さんが多いです。バックパッカーも多いですが、それより、お年寄りの団体ツアーのお客さんが多いように見受けられます。さて、いつもインドで何を食べているか?僕の場合、インドカレーの定食が多いです。北の方では、ターリーと言えば、定食のことで、通じました。しかし、ここ南インドでは、通じないと思ったら、ミールスと言うらしいです。これは、フィッシュカレーです。おかずが少なすぎるので、マグロの揚げたのを追加注文しました。これで、45ルピー(90円程度)町の地元の人が食べる食堂だと、大体、こんな価格です。ちょっと洒落た食堂だと、2倍位になります。ここで、魚を揚げています。青空の下、屋台みたいなものです。宿の近くの浜辺。ここは、排泄物もなく、プリーとは全く異なります。だから白人の観光客が多いのか、白人の観光客が多いから、綺麗になったのか、どちらが先かなー?ま、何れにしろ、清潔で、綺麗なのは、良いことです。カメラが、ちょっとおかしくなりました。左上に、黒い斑点が出ていましたが、それが無くなりました。レンズの汚れではなかったようです。しかし、色がどうもおかしいです。南インドは、空の色が薄い? のか? と思いましたが、そうではなく、カメラがおかしい見たいです。毎日、毎日、腰につけて、働かせているので、過労でしょうか?労わりながら、使っているのですがねー?本日、2回目のアップでした。
2008.11.04
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2008年11月3日(月) 47日目 早速、チェンナイ市内観光に出かけました。 宿に出入りの、旅行代理店が、タムルナードゥ州観光開発公団が行っている 市内ツアーと同じ内容で、同じような金額だったので、申し込みしたものです。 Museum Art Gallery Gandhi Mandapam Sanke Park Parthasarathy Temple Light House Fish Aquarium Marine Beach Burma Bazaar と、9箇所も、見学する内容で、金額は、わずか80ルピー、プラス入場料 40ルピーで、合計120ルピー(240円)です。 9時から14時となっていたので、5時間で、こんなに廻れるんかいな? と 心配になりました。 宿に迎えにきたのが、45分遅れの、9時45分。 マリナ・ビーチに偉い人が眠っています。そのメモリアルです。 マリナ・ビーチです。波打ち際へ行こうと、歩いています。 遠いのです。砂に足をとられて、歩きにくく、疲れます。 ようやく辿り着きました。「アジアの星一番」さんです。 浜辺の砂浜は、広く、長いのいですが、波打ち際の浜辺は短いです。 インドに来て、ずっと気になっていたのですが、こちらのカラスは、全身 真っ黒でなく、首の廻りが、薄い色です。動きや泣き声は、全く東京の カラスと同じです。 パルタサラティ寺院とツアー内容に書いてありましたが、ここは、 カバーレシュワレ寺院です。ヒンドゥー教寺院らしい雰囲気で、派手な 像が塔門の四方を全て覆っています。 次が、ヘビ園。ワニも沢山いました。 博物館。 ツアーバスの、僕の隣は、9歳のお嬢さんでした。インドのど真ん中、ナックプールと言う、全く知らなかった町から、親族で、観光に来ているようです。英語が達者で、へたくそな僕は、たじたじとしてしまいます。インドは、英語は普通に話しますねー。驚きです。 さて、南インド、タミールナードゥを、のように廻るか、考えてました。 チャンナイを足場に、ツアーに参加する方向に、かなり傾いていました。 しかし、本日の市内ツアーに参加してみて、バスから見るだけの場所が 多く、やはり、自分の足で見て歩く方がいい、と決定。 チェンナイ、わずか1泊ですが、次の世界遺産、マハーバリプラムへ 移動です。 これが、チェンナイの長距離バス停。
2008.11.04
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2008年11月2日(日) 46日目プリー海岸を離れるには、何と言いましょうか、もう少し残りたい気持ちと早く、移動したい気持ちが、複雑に絡み合っている感じです。あの、うんこさえなければ、こんな素晴らしい海岸はないのでは、と思えるほどなのあります。日本で言えば、九十九里海岸とか、かなー?1泊2食付、240円の宿も魅力的でした。ここの主人、白人は泊めないのだ、と言っていますし、日本人だけ泊めるとも言っています。(韓国人も日本人の内らしく、韓国人は泊めるそうです。)又、玄関の扉は、常時鍵をかけていて、ドアチャイムを鳴らすと開けてくれます。24時間対応で、セキュリティに関しても万全です。従って、部屋のドアには、鍵がありません。宿泊者に不届き者が居ない限り、外部からの盗難などは、心配ありません。安くて、こんなに、しっかりした宿は、少なくとも、僕の少ない経験の中では、初めてです。彼の兄は、日本に住んでいます、そして、この宿と同じ名前の、サンタナと言うインド料理を経営して、今や、大阪、京都、あと、どこかあ忘れましたが、2都市、全部で4軒も、お店を持っているそうです。さらに言えば、自分達、兄弟のお金、及び日本人の友人達の寄付金で、学校を経営していて、200人の子供達を面倒みといるそうです。地元の名士ですねー!1年間、2万5千円で、里親にならないか? との張り紙もありました。そんな状況で、どこで蓄財するのか、プリーの近くのメイン道路に、ホテル・ニューサンタナをオープンしています。こちらは、高くて、エアコンつきは、2000円位します。インド人の客で、いつも込み合っていると言ってました。長々と、宿のサンタナの説明でした。部屋です。エアコンなしのファン付きで、トイレもシャワールームも、共同でしたが、客が二人だけだったので、不便は感じませんでした。お得です。ずーっと小説を読んで、一歩も宿を出ず。夕方、宿を出発。リクシャーとバスと、そして、リクシャーを乗り継いで、汽車の出発する、ブバネーシュワルと言う都市に着きました。今回の夜行は、エアコン付き2段寝台が満席で取れず、エアコン付き3段寝台です。しかしエアコン車は2段寝台でも3段寝台でも、ここでは、ファーストクラスのようです。特別な待合室が在って、入り口に見張り番がいます。その人にチケットを見せたら入れてくれました。セカンドクラスの待合室は、見張り番もいない部屋が、別にありました。で、3段寝台ですが、寝る分には、全く問題はありません。2段寝台と違って、カーテンで通路と仕切られてはいませんが、気にはなりません。問題は、朝から昼、そして夕方の起きている時間帯です。上段との隙間が、狭いので、起き上がって座ると、頭が上のベッドにぶち当たって、座る事が出来ません。寝っぱなしで、およそ、20時間、夕方5時。時刻表より、15分早く、チェンナイにつきました。いやー、良く寝ました。チェンナイ駅です。可愛らしい駅ですよね? インドらしくないです。手前の車が、オートリクシャーです。さて、宿探しです。オートリクシャーで行きます。目指す、パレス・ロッジ、エアコン付き、175ルピー(350円)は、行って見たら、エアコンなしでした。エアコン付きなんて、始めからないって言います。「歩き方」さん、どこで、間違えたのでしょう?止む無く、ホテル・カンチ、エアコンつきで、875ルピー(1800円)へオートリクシャーを飛ばして行きました。しかし、値上がりです。1200ルピーにもなっていました。止む無く、オートリクシャーで、エグモア駅近くに戻り、ニュービクトリア、975ルピーへ行って見ました。やはり値上がりです。税込みだと、なんと、1350ルピー。ガックリ。近辺の、宿も、くまなく探しましたが、高いか、エアコンなしかで、見つからず。辺りは、暗くなるし、「歩き方」に載っている安宿は、全部見たし、心当たりがなくなり、途方にくれておりました。1200ルピーでも出して、泊まるかと、バックパッカーにあるまじき、弱気の気持ちが湧いて来ました。と、そんなとき、どこからともなく、現れたインド人。「ルーム?」、とか言って声をかけて来ました。「おー!」心のなかで、声をあげていました。ホテルの客引きです。普段なら、「うっせーなー! このー!」、などと見向きもしないのですが、このときは、ありがたく思いました。5分ほど歩きましたが、ありました。HARINI LODGE です。エアコン付き、600ルピー(1200円) もう、ここに決めました。
2008.11.03
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2008年11月1日(土) 45日目プリー海岸の散歩は、諦めたので、暇です。小説も朝から晩まで読むのは疲れます。それでですねぇー、実行は、しませんが、もし本を書くならって、妄想でどんな構成になるか、考えて見ました。今までの、旅に関して書いたものを、焼きなおすってことで、纏めると、下記のようになりますです。タイトル :世界への旅作家名 :アジアの星一番第一章 序章 何で、これを書こうとしたか? 何故、旅が好きになったのか? 何故、海外が好きになったのか? などを、書くかなー? と。 第二章からは、主にバックパッカーとして訪ねた国の、ブログを纏め直すってことで。それに、旅に関して、以前に、書いたのをプラスするってことで。それと、それは、ここ数年に行った国かな? そんなんで、どうだろか?第二章 東南アジア編 ミャンマー ラオス マレー鉄道 小説・宇超人 (これは、遠距離恋愛、不倫をテーマに、舞台はマレーシアとして 書いた、小説です。元務めてた会社のプロジェクト誌に連載しました。) タイ カンボジャ インドネシア ベトナム第三章 アラビア半島 サウジアラビア バハレーン オマーン イエメン UAE(ドバイ・アブダビ) ヨルダン カタール クウェート シリア レバノン 第四章 中国 中国事情 (中国へ仕事で行っていた時、1回当たり、400字詰め原稿用紙に10頁 程度に纏めて、69回親しい人へ送ってました。それを抜粋する。) 黄山紀行 (中国事情の一つ:黄山へ行った時の紀行文) 上海OL物語 (中国事情の一つ:上海のOLになった気持ちで書いた4人の女性の物語)第五章 インド大陸 インド ネパール バングラデシュ第六章 アフリカ大陸 エジプト モロッコトルコは、どこに入れるかなー?ヨーロッパも、仕事で行ったけど、あまり面白そうな題材がないです。それから、中南米は、これからだし、第七章にするかな?東欧にも行きたいし、これは、第八章かなー?アフリカは、まだ沢山の国へ行きたいし、第六章を、どうするかも問題だ。そうだ! ダイビングも入れなけりゃー! あの神秘さ、宇宙のような海、人間、海からやって来たんだ! と感じさせる海、これを入れなきゃー!飛ばして、10章にしようか?第十章 ダイビング 伊豆海洋公園 グアム モーリシャス(南アフリカの近く) サイパン モリジブ(インド洋に浮かぶ小島群) パラオ(フィリピンの東方) ティオマン島(マレーシア) マレーシア東海岸の島々 プラウ・スリブ(インドネシア) バリ島(インドネシア) サムイ島(タイ) 沖縄 プーケット(タイ) パタヤ(タイ) アラビア湾(サウジアラビア) アカバ湾(ヨルダン) 紅海(エジプト) マルマリス(トルコ)ひゃー、多いなー! こりゃー、第5巻位じゃ、足りないぞ!自費出版、1巻300部、80万円とすると、5巻で400万円?写真とか、沢山入れたカラーだと、2倍はするらしいから、800万円? アチャー! アッチャ! アッチャー!ダメです! 無理です!ま、そう言うことで、暇な1日の、妄想は、あっけなく完了致しましたです。
2008.11.01
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2008年10月31日(金) 44日目昨日は、「プリー海岸うんこ通り」、に愕然とし、早々に引き上げた。しかし、宿のサンタナ・ロッジの主人が言うには、もっと東へ行けば、綺麗であると言う。それで、暇は十分にあるし、出かけて見ました。サンタナ・ロッジの前の小道を、海側に歩いて行きます。すると、もう、すぐそこは、部落です。藁屋根の、なんとも素朴な家であります。井戸は共同、広場では、洗濯したり、漁の網を補修していたり、皆さん、共同作業を行っています。海から見ますと、こんな風景です。のどかで何とも言えない雰囲気、僕は好きなんですがねー、こう言う、田舎の風景は。しかしながら、この辺りも、やはり、住民のトイレなんですよー!この日、この時間、満潮に近いせいか、昨日より、少ないです。波にさらわれてベンガル湾へ泳ぎだしていったようです。漁師生活なのか、漁船が多いです。海へ漕ぎ出して行こうとする、船もありました。 部落を越えると、大きな塀に囲まれた、地区にやって来ました。この辺りとなると、たしかに、排泄物は、非常に少なくなります。が、安心していると、ありますので、慎重に歩く必要があります。波打ち側を歩いていると、波が押し寄せて来ます。反対側へ逃げようとすると、それがあったりするので、危なくて仕方ありません。綺麗なプリー海岸は諦めて、その塀を廻って、帰ることにしました。しかし、この塀、行けども行けども、途切れがありません。一体、何の建物じゃ? と、レンガを積んで、足場にして、中へ侵入して見ました。大学でした。サンスクリット語の大学のようです。色とりどりのサリーのような民族衣装を着た女子大生が、歩いています。広い敷地ですが、生徒は少ないですねー。 キャンパス 案内図 校門と言うことでありまして、プリーを否定するつもりはありませんが、うんこを何とかして貰わない事には、美しい海岸に座り、海に入り、夕焼けを見る訳には行きません。廻りは静かであり、海も美しいし、砂浜も長く続いているのに、なんとも、残念でなりません。しかし、女性が、海岸でウンチしているのは、見かけません。どうしているのでしょうか?朝早くとか、夜中とかにやっているのかなー?でも、暗いと、踏んづけちゃうし・・・。まさか、インド女性、ウンチしないってことは、有り得ないだろうし・・・。 ふ~む、全く、謎です。 うんこの話、二日続けて終わりでは、あまりに淋しいので、宿の話します。既報の通り、サンタナ・ロッジと言います。1泊2食付で、120ルピー、約240円です。安いですねー! 安過ぎ。部屋は、ドミ、シングル、ツインとありますが、どの部屋に泊まっても、値段は同じです。ツインでも、トイレ、シャワーは共同で、温水はありません。で、じゃー、どんな食事が、でるんじゃ? 気になるなー? とおっしゃる方がいるでしょう。 朝食は、食パン(小さめ)4枚、卵2ヶ(その日により調理は異なる)、キュウリとトマトの野菜、そして、紅茶1杯です。夕食は、下記から選べます。(セットとは、下記にサラダが付くだけです) インドカレーセット ラーメンセット おじやセット 焼き飯セット オムライスセット ベジタブルバーガーセットもう一人、インド人と結婚した若い日本人が宿泊していましたが、彼は毎晩、インドカレーセットでした。僕は、鳥モモ肉か、野菜炒めをつまみに、ビール飲みます。これで、大体、115ルピー、230円。その後、宿泊についている、おじやセットを食べて、はい! 大満足です。その他、普通のレストランで食べられるような、メニューも別料金で食べる事も可能です。親子丼や、卵丼、魚の塩焼きもあり、食べませんでしたが、刺身や、カツオのたたきなどもメニューにありました。で、1日の費用は、 宿(1泊2食付)で、240円 昼食、大体 100円 ビールとつまみで、230円 ネット代(2時間)、100円 その他、水とか果物とかの雑費、130円、として、合計、800円也。ここに泊まって、毎日、空を見上げ、本ばっかり読んで、後は、散歩のみの生活をすれば、1ヶ月、2万4千円で、過ごすことが出来ます。1年間いても、、30万円で、生活出来ますぞ! どうです? 来て見ますか?
2008.10.31
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2008年10月30日(木) 43日目プリーは、コルカタから、直線距離で、400キロほど、南々西にあります。道路距離で測ったら、どの位あるかわかりませんが、500キロほどは、あるのでしょうか? このプリーは、下記の二つで知られているそうです。一つ目は、ヒンドゥー教の巡礼地。町が出来る前からあったと言う、ジャガンナート寺院。二つ目は、白い砂浜が広がる海岸の保養地。と言うことで、早速、二つともこの目で、見て来ようと出かけました。これが、ジャガンナート寺院の入り口です。門の向こう、内側が見えますか? 外も内もすごい人です。これが、外の道路です。巡礼の人々、その人を対象に商売する人々、リクシャー、乞食たち、多くの人でごった返しています。残念ながら、ここは、ヒンドゥー教徒しか、入場出来ません。いやいや、バングラで、入場料値切ったから、入れないのではありませぬぞ。ここは、以前から、ヒンドゥー教徒しか入れないのです。で、全体像を見たいと、あちこちを、うろうろして、建屋の屋上を探しました。商売やっている、お店の屋上から見ようと、交渉しましたが、どこも断られました。「歩き方」を、見たら、上の写真の、入り口のこちら側に、図書館があるのです。そこから、見られるって言うので、探し探し、行って見ました。が、14時から17時まで、閉館。僕は、15時に行ったので、2時間待たねば、なりません。 諦めました。これが、一番大きく写せた、ジャガンナート寺院です。残念ですねー! 良く見えません。オリッサ建築の最高傑作と言われているらしいのです。注:オリッサとは、プリーが属する州で、インド中東部、ベンガル湾に面しています。諦めて、プリー海岸へ出かけて見ました。おー! すご~い! きれい~!どこまでも続く砂浜・・・ 打ち寄せる波、波、波・・・ 一人、歩く、アジアの星一番・・・ あぁ、絵になるなー! 安宿から、ちっとは高級なホテルなどが、この海岸の左手にあります。そして、その海岸を、さらに歩いて行きます。明日は、海パン買って、この広いベンガル湾で、青い空でも見ながら海とたわむれるかなー! などと、思いながら、さらに歩きました。左手に、みすぼらしい民家群が見えて来ました。おー! ええなー! こんな綺麗な海の近くに部落があるわい。しかし、ぽつり、ぽつりと、あまりと言うか、日本では絶対に見かけないものが、海岸にあるのです。それが部落に近づくほど、多くなっていきます。うわぁ! と思って、さらに前方を見ると、3人の男が、ケツを出して、しゃがんで海を見ています。おいおい、そこで何してんじゃ! 今、夕方の4時だぞ!ケツだけでなく、○○玉も、チ○ポも、丸見えです。見たくないものです。明日、泳ぐのは、即刻、中止にしました。やばいです。ガンガーから流れ出る、汚物は、このでかい海で浄化されてしまっているかも知れませんが、こんな新鮮な排泄物は、すぐには浄化されませぬ。僕は、ここを、「プリー海岸うんこ通り」、と名づけました。 宿には、日本の小説が、数百冊を越えてあるし、しばらく滞在しようかと思いましたが、2泊でいいや、と予定変更です。ビーチは、インドの最南端に近い、コヴァーラムに期待したいと思います。そこに、「うんこ通り」、がないことを、祈って・・・。
2008.10.31
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2008年10月29日(水) 42日目もっと長く居たい想いの、ブッダ・ガヤーを離れねばなりませぬ。宿の前の通りには、アヒルに、犬に、ヤギさん達が、仲良く歩いたり、寝そべったりしています。豚さんに、鶏集団も近くにいますが、餌漁りに忙しく、記念撮影に間に合いませんでした。ブッダ・ガヤーには鉄道駅がありませんので、およそ15キロの地点にある、ガヤー駅まで、リクシャーで戻らねばなりませぬ。汽車の飛び乗りは危ないと、身体の痛みで覚えましたので、かなり余裕を持って出かけました。で、駅前で、昼食を食べることが出来ました。プリー行き、プルショッタム急行は、3番腺、13時42分発と電光掲示板に記載されています。チケットを確認すると、あら、珍しや、5分早まっています。遅れることが、異常と思われないインドでは、珍しいことであります。しかし、その時間になっても、列車はやって来ませぬ。来ませぬどころか、3番腺には、ヴァラーナスィー行きの列車が入って来て、発車する素振りはありませぬ。 どけ、そこ! プリー行き列車が入って来れんぞ!などと、うろうろしていると、アナウンスで、「プリー、1番腺」と言うのが聞こえました。ヒンズー語か、ベンガル語か、分かりませんが、その、「プリー、1番腺」、だけは、良く聞こえました。慌てて、1番腺への歩道橋を、エッチタオッチラ、登って降りた頃、列車はやって来ました。やれやれ、と、列車名を確認すると、紛れもなく、「プルショッタム急行」、であります。自分の席を探して、着いてみると、シーツはシワシワで、誰かが使った後のようであります。 「なんじゃー! これは! 誰かおらぬか!」、と声を張り上げますと、清掃係りのおじさんらしき人がやって来ました。「ん~? おかしいなー?」 と言うような顔をしています。「はよー、片付けんか! このー!」、と言おうとしたら、チケット見せてくれと言いおります。「ええよ、ほら、これじゃ、31席と書いてあるじゃろ!」と、自信たっぷりに見せました。そしたら、「あー、こりゃー、違う! 降りて! 降りてー!」と、手を持たれて、引っ張られてしまいました。男に手を握られるのは嫌いなんですけど。「な、なに、すんだよー!」、と聞いて見ますと、この列車は、プリーから来たもので、デリーへ行くと言うのです。さらに聞いてみると、列車名は同じで、デリーからプリー行きは、2番腺に入って来る、と言うのです。出発してしまうから、早く降りろと、2番腺側の、線路の方へ降ろされました。ホーム側でなく、線路の上に降ろされるのが、インドらしいなー、などと、余裕こいておったのでありまするが、考えてみれば、反対方向へ行ってしまったかも知れぬ、危ない状況だったのであります。で、2番腺ですが、ほどなく、本当に列車がやって来ました。日本なら当たり前なのですが、嬉しいですねー! 目的の列車がやって来ると。喜び勇んで、再び、2Cの31番席へ行きましたです。そしたら、また、「ありゃー? ありゃりゃ?」、です。赤ちゃんを抱いた若い奥さんと、その旦那らしき、二人と半人前が、僕の席を占領しているのです。すかさず、車掌を呼んで、席をどかさせようと致しました。だって、苦労して、入手したチケットですからねー。そしたら、その二人、向こうの席へ行け! と言うような素振りなのです。僕は、首を振ります。しかし、お二人、しつっこいです。ですが、車掌が許しません。毅然たる、態度で、そこどけ!と言ったように思えました。いやいや、彼らは、反対側の席へ移動しましたが、大きな荷物が、その間を占領して、僕の足の置き場もない位です。おまけに、赤ちゃんを抱きながら、ぶつぶつ、「ジャパニーズ・・・、」、と何度も口にしているのです。こっちも、しらばっくれていますが、険悪なムードです。しょーないから、不貞寝していたら、1時間ほど、ほんとに寝てしまいました。こんな雰囲気で、明日の朝まで、いるのは嫌だなー、と思っていたら、ふとしたきっかけで、話し出し、なんだ、良い奴らじゃーないか、と分かりました。又々、給料や物価の話になって、タマゴ1ヶ 30円。 えぇー!寿司1ヶ 安いので100円。 えぇ、えぇー!寿司1ヶ 高いのは、1000円。 ぎゃー!などと、一々、驚いてくれます。その彼らです。夫婦かと思っていたら、兄嫁と義弟でした。女性の写真は、悪いと思って撮らなかったら、私のも撮れと、要求されました。美人なのですが、はっきり言って太めです。言い換えると、デブです。赤ちゃんが産まれるので、里帰りしていたようです。結婚式のアルバムを持っていて、一枚一枚、全部説明付きで見せてくれました。険悪ムードは、どこへ行ったやら、でありました。翌朝、2時間遅れで、プリー駅に到着しました。14時発で、翌朝7時着ですから、17時間かかった事になります。プリーって、こんな田舎町です。バックパッカーには、有名な宿、サンタナを目指して歩きます。
2008.10.30
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2008年10月28日(火) 41日目昨夜、ネズミに食われました。いえいえ、僕自身が食われた訳ではありませぬ。バックパックに入れておいた飴が、二つか三つ、長い道中のバスや列車に揺られて、つぶれていました。それで、飴を全部、出してベッドの上に、並べて置いたのです。夕食食べて部屋へ帰ってバックパックを移動しようとしたら、何かがひゅ~っと、動いて行きました。その後に、飴玉の食いかけが、3ヶ残っていたのです。綺麗なホテルだと思ったのですが、何と、ネズミの棲み処でした。しゃーないですねー。エアコンつきで、800円ですから。話は変わります。昨夕と今朝、印度山日本寺へ座禅を組みに行って来ました。どんな風にするのか、すごく興味がありました。が、お坊様の、朝夕のお勤めの間、その時間を共にするって言う感じです。15分ほど、般若心経などを、お坊様が唱えます。その後、瞑想が、20分から30分。参拝者は、昨夕は4名、今朝は僕一人でした。今、インドは、ディワーリーと言う、インド3大祭りの真っ最中です。10月初旬の、日本の暮れ、正月に相当する、インド3大祭り最大のダシャラー祭の3週間後に行われます。それで、参拝者も普段より、相当多いと聞きました。従って、夕方の座禅は、多くの参拝客の注視の下で行われたので、ざわついていました。精神の集中は、難しいです。しかし、朝は、誰もおらず、小鳥の鳴き声のほか、なにもなし。静寂。無音。朝のひんやりした空気の中、般若心経、瞑想の45分間、微動だもせずに祈ることが出来たのは、心が安定するからでしょうか?そして、スィッダールタが悟りを得た地へ赴くことにしました。ブッダ・ガヤー最大のお寺で、地元では、メイン・テンプルと呼んでいます。このお寺は、第2の仏陀と言われる、アショーカ王が建て、その後改修を繰り返して、現在の形になったそうです。見えて来ました。マハーボーディ寺院です。この塔の高さは、52mあります。49日間、瞑想した菩提樹です。多くの各国からの参拝者が、その樹の前で、お祈りしております。菩提樹の廻りには、柵が設けられ、仏陀と同じ所に座ってみることは出来ません。本殿内部に、この金箔の仏像が安置されています。仏陀が沐浴したと言われる、蓮池。花が供えられています。 各国のお坊さん、信者の方々は、思い思いの方法で、お祈りしています。静かに瞑想する人、作法に従ってお祈りする人、その国の言葉で、拝んでいる人、色々です。 ナイランジャー河です。この河は、尼連禅河として、経典にも登場すると言う事です。今は乾季なので、ほとんど水がありません。河を越えて暫く歩くと、スジャーターが、仏陀に乳粥供養したと言われる場所があります。ここです。さて、これは誰でしょうか?昼食を食べに中華系ホテルのレストランへ行ったら、写真が飾ってありました。見たことある人だなー? 真ん中の女の人? 撮影で、1週間ほど、ここに泊まったそうです。長澤まさみさんですよね? 「涙そうそう」で見ました。 追記 山田法胤さんの「仏陀の風景」、読み終わりました。で、とんでもない、思い違いをしていたことに気付きました。菩提樹の下で、49日間瞑想して、覚ったのではないのです。スィッダールタは、悟って仏陀となったあと、すぐに説法を始めず、49日間も静観したと言うのです。何故なら、 1.無上正覚の正法を整理し体系づけるため。 2.この正法を、いかに一般大衆に説くべきか、工夫研究をするため。だと、言うことであります。「しじゅうくにち」って、聞いた事が何度もあります。人の死後、49日間、死者はこの世と来世との中間をさまよう、と言う期間でありますが、この仏陀となって悟った後、静観した期間と同じですから、ここから、来ているのでしょうね、「しじゅうくにち」追記の追記今日は、既に記しました通り、インド3大祭りの一つ、ディワーリーです。(シンガポールでは、ディパ・バリーと聞いたような記憶があります。)これは、富と幸運の女神ラクシュミーの祭りで、家々の戸口に灯明が灯されます。そして、花火が打ち上げられます。但し、中国の中華正月の花火に比べたら、淋しいもんです。全く、規模が違います。でも、皆さん、楽しげですよ。 追記の追記の追記本日は、しつっこいですねー! え? いつもしつっこい? そうでした。書くしか、楽しみがないもので、えへへ、すいませんです。で、いやー、実はですねー、靴下のかかとに穴があきましたのです。3足持ってきて、毎日洗濯していたもので、小さな穴が開きました。透かして見たら、その廻りも、薄くなっています。もう寿命ですねー。しかし、これは、問題ではありません。インドでも同じようなの売ってます。靴下に穴が開いているので、同じように洗っているパンツも調べて見ました。そしたら?あやや!穴が開いてます! 薄くなってます! 困りましたです! 僕は、トランクス派。しかし、こちらで売っているのは、ピッタリする奴です。中国も、そうでしたが、なんで、トランクスって、日本にしか、ないのですかねー? 追記の追記の追記の追記 部屋替えて貰いました。いえ、ネズミのせいではありません。エアコンの吹き出し口から、ゴミも吹き出して来るのです。荷物置き場にしていたベッドは、ゴミだらけ。ネズミが散らかしたと思ったのは間違い。ネズミは飴だけで、他のゴミは、エアコンからだったのです。色々ありますねー! 夜中に懐中電灯で起きると、光の中には埃で一杯。昼間も夜も、埃の中で生きているのですねー!鼻毛切ったらいけません。 でも、鼻の穴から、鼻毛がはみ出ていると格好悪いしなー。 悩むところだ。追記の追記の追記の追記の追記もう、ありません。 あ! そう言えば、僕のダチで、立木って書いて、「ついき」って奴がいました。(まったく、かんけぇー、ねぇーですな。) 本日も、大変しつっこい、アジアの星一番でした。
2008.10.28
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2008年10月27日(月) 40日目夜行で、ブッダガヤーに着き、少し休んで、早速、各国のお寺へ参拝に出かけました。まず、町の中心を通る道路より、日本寺方向へ歩きます。まず、見えて来ますのが、ブータン寺です。ブータンは観光客の受け入れを全面的に解除している訳でなく、1日200ドル以上、支払わねば入国出来ない国であります。従いまして、バックパッカーには、行けない国なので、せめてお寺だけでもと念入りに、お参り致しました。次に見えますのが、印度山日本寺です。調度、日本からの団体さんが来られて、お坊様の説法を聞いていました。僕も、無断で末席に座って、聞いておりましたが、ここは、日本の各宗派が協力して建てられたもので、無料で幼稚園を経営したりして、仏教発祥の地、印度への恩返しをしているとの事でした。最後に、各人へ封筒を渡して、お布施も、お願いしていました。僕には、お布施の能力がないと見たのか、補助のお坊様は我を無視していました。(その方が、こちらも有難いです。)塀には、これまで寄進した団体、個人の方々の名前が、ずらーーーっと並べられておりました。図書館もありまして、せっかく仏陀様の所へ来たので、1冊位、関係の本を読まねばならぬと思い立ち、「仏陀の風景」このお寺の建造にも携わった、薬師寺:山田法胤の本を借りて来ました。ここは印度らしからぬ、静けさを保っているので、出来れば、1ヶ月でも、滞在し、朝夕は、座禅を組み、仏教の本でも読み漁っていたいものです。日本寺の先を右折しますと、大仏様が見えて来ます。日本でも、見慣れた大仏様です。その周囲には、お弟子さん達が、守るように、立ち並んでおりました。 やはり、風格がありますねー!大仏の隣にあるのが、正覚山釈迦堂です。次が、チベット僧院です。同じ、仏教でも、造りがずいぶん、違ってきますねー。そして、僕にとっては、お馴染みの、タイ僧院です。昼食は、現地食堂ですが、オヤコドンが作れるって言うので、注文しました。これです。このオヤコドン、誰に教えて貰ったのでしょうか?確かに、チキンと、タマゴは入っています。しかし、どう見ても、おかゆ、ですね。今夕と、明朝は、座禅を組みに行く予定です。
2008.10.27
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2008年10月26日(日) 39日目釈迦族の王子、スィッダールタ(シッタルタとも発音される)、性はゴータマ。その、ゴータマ・スィッダルタが、悟りを開き、ブッダ(覚った人)になった地、ブッダ・ガヤーへ行きます。で、少し、ガイドブックや、大辞林で、仏陀について調べていました。そしたら、数字の不思議さに出会ったのであります。仏陀が生まれたのは、ネパールのルンビニ。そのネパールから、インドのダージリンまでの、移動に、49時間を要したって言う事実は、既にここで、何度か、掲載しました。ゴータマ・スィッダルタは、出家後、6年、解脱への道を求め、苦しい修業を経て、35歳になっていました。ですが、まだ、、解答を得られずに、ブッダ・ガヤーへやって来たのであります。そして、菩提樹の下で、深い瞑想に入り、やがて澄み切った覚りが、彼の心を訪れたのです。菩提樹で瞑想に入ってから、49日目に悟りを開きました。そして、仏陀となったのです。な、なんと、49時間と、49日。長さは違いますが、49と言う数字は同じです。驚きましたねー! あの難業苦難の、バスの旅は、仏陀が僕に覚りを開かせる為に、準備した旅だったのでしょうか?それにしては、何の覚りも得てないなー?と言うことで、インド・ネパールの旅で、不思議な仏陀との縁があったことを知った訳であります。夜行列車の出発は、コルカタ20時35分なので、ハルディアのゲストハウスで、ゆっくりさせて貰いました。NHKが入るので、午前中はずっと見ていました。日本にいたら見ないNHKですが、海外に長いこといると、どんな番組でも見たくなるものであります。素人のど自慢でしたか、あれも見ましたよ。偉大なる番組ですよねー。何年続いているのでしょうか?昼食も、ご馳走になりました。具たっぷりのラーメンです。トンカツです。ポカラのカツ丼(あれは格段にうまかった)には敵いませんが、かなりな味です。ネパール人が作っているそうです。コルカタのメイン駅、ハウラー駅に着きました。この日は、1日中雨で、鬱陶しい気分ですが、駅は、天候に関係なく、大混雑です。今回の夜行列車も、2Aと言う、エアコン付き、2段ベッドにしました。この背中側のものを倒すと、ベッドになります。シーツも、毛布も毛布カバーも、枕も、タオルまであり、快適です。きちんと、定刻に出発し、ガヤー駅には、30分ほど、遅れて到着。ブッダガヤーは、ここから、15キロ離れたところにあります。バスで行く場合、2キロ離れたバス停へ、リクシャーか、オートで行き、そこから、バスで30分から40分かかって行きます。ちと面倒です。しかしながら、汽車で僕の上の段の人が、日本人で、宿を予約しており、駅まで迎えに来ているというので、便乗しましたです。(タダで)儲けたなー。宿は、その迎えに来た所にしました。部屋は広いし、パソコン用机も、準備してくれるし、おまけに、部屋代もブッダガヤーで一番安い宿と、同等の、400ルピーまでまけてくれました。勿論、エアコン、ホットシャワー付です。お得です。Laxmi Guest House と言います。
2008.10.27
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2008年10月25日(土) 38日目元勤務していた会社の関係者が、コルカタの南方150キロのハルディアと言う田舎町で、工場建設に従事しています。(シュンドルボンの対岸)近くまで来たので、訪ねて見ることにしました。連絡したら、なんと、1日2台しかバスが出ていない不便な所だからと、運転手つき車で、コルカタまで迎えに来てくれると言うのです。有難い事ですねー!運転手さんが来る前に、コルカタ市内を流れる、フーグリー河を見に行って来ました。コルカタの皆さん、身体洗ったり、頭洗ったり、そして、同じ場所で、歯を磨いたりしております。日本人には真似出来ません。北の方を眺めれば、ハウラー橋が見えます。地図から察するに、橋の左手に見えるのが、コルカタのメイン駅である、ハウラー駅でしょう。 昨日より、曇り空ですが、ハルディアへ向かう途中、雨が降り出しました。9月18日、デリー到着時に降った雨以来です。運転手さん、二人来てくれましたが、途中、レストランで昼食です。当然ですが、支払いは僕がしました。サウジでの運転手だった、アシュラフやフセイン、ご馳走しても、ありがとうと言いませんでしたが、本場のインドでも同じです。ベンガル語にも、ありがとうって言葉はあるのですがねー。道路の整備状況は、悪くありません。しかしながら、片側1車線で、且つ大型車がのろのろ走っているので、追い越し、追い越しで、距離は仲々、稼げません。3時間かかった頃、立派な家並みが見えて来ました。ここまでにあった家や建物と、明らかに違います。これが、社宅です。インド人社員の社宅だそうです。同じ敷地内に、日本人用の社宅もあります。 この敷地内にある、ゲストハウスに泊めて貰えることになりました。これまで、38日間の旅で、もっとも高級な部屋で、僕の気持ち的には5つ星のホテル並の設備です。エアコン、冷蔵庫付、テレビは、日本のNHKも見られます。38日振りに、日本語の映像を見ることが出来ました。キッチンも付いてます。そして、バスタブ付きの、バスルーム。タオルもバスタオルも、石鹸も準備されており、至れり尽くせりであります。 そして、和食の会食。懐かしい人たちが、8人も集まってくれました。旅の話、仕事の話、会社の人たちの動向、ここでの生活、などなど、色んな話に、花が咲き、時間を忘れてしまいます。あっと言う間に3時間経過。久しぶりに、ビールを飲みながら、楽しい間を過ごしました。 小雨模様、曇り空で、肌寒い位の天候です。広い清潔な部屋で、ゆったりと眠れました。又、今夜からの夜行で移動する力が蓄えられたようです。朝食も完全和食。日本人が、30人から40人、来て働いておられるので、日本人用食堂もあります。そして、朝食です。芋、人参、椎茸などの煮物。それから、梅干、しょっぱいけどうまい!納豆ご飯。それに、味噌汁。あ~ぁ、俺は、日本人だ! と感じる時です。 ここで、歓待を受けまして、日本人であることを、実感致しました。これからは、バングラ人などに、成りすまし、世界遺産の入場料など値切ることはしないで、きっちり、日本人らしく、払おうと言う気持ちになりましたです。ハルディアで働いている皆さん!楽しみは、非常に少ないでしょうが、元気に働き、明るく暮らして下さい!ありがとうございました!又、どこかで、お会い出来れば、幸せの限りであります!
2008.10.26
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2008年10月24日(金) 37日目朝起きたら、口中の防蚊クリームによる、変な痺れのようなものはなくなっていました。良かった、良かった。エアコンなし、ファンのみの部屋でしたが、十分に眠ることも出来て、且つ、蚊取線香の効果により、蚊にも刺されず、今の所、デング熱の心配もありません。昨夜、ちょこっと外出した時に感じたこと、ここら辺り、サダル・ストリートは、外国人ばかりだと言うことです。全く、外国人らしき人に、出会わなかったバングラデシュとは、大違いです。思わず、「ユアー・カントリー?」、と質問したくなってしまいます。(君ー! バングラ人になったのかい! うざいぞー!)宿のパラゴンも、日本人客が多いです。韓国人も多いです。白人もいます。さすが、40年近い歴史のある、バックパッカー宿です。宿に帰ると、僕の部屋のすぐ前のベランダで、4人の日本人が、歓談していました。男性1名:4ヶ月滞在。大阪から来た女子大生2名:1ヶ月滞在、明日タイへ出発。女性1名:子供がいる他は不明の謎の人の、合計4名。インド談義に花が咲いていましたので、僕も末席に座らせて貰いました。話の中心は、インドに嵌ってしまった年の頃、30代半ばか、40歳位のおっさん。滞在歴、長いだけあって、色んなこと知っています。知っていることを、喋り捲ります。サラリーマンにも、こう言う人、たまにいますが、大体、出世しませんね。物知りなのに生かせなくて、残念だなー、と思われるタイプの人です。さて、本日は、ゆっくりします。と思いましたが、せっかく来て何も見ないのも、コルカタに悪いので、ネットが終わってから、散歩に出かけました。モンダイ公園です。ん?ちょっと違いました。モイダン公園です。地図を見ると、コルカタ市の、ど真ん中に、どでかい公園があるのです。エスプラネードと言う、大きなバスターミナルから、大きなタワーが見えるのでそちらへ歩いて見ました。シャヒード・ミーナールと言って、イギリスがネパールとの戦争に勝った記念に作られた塔です。48mあります。このモイダン公園、公園の中も、主要な大きな道路が走っています。道路わきの木の下で、インド人が寝ています。この~木♪ なんの木♪ 気になる木~♪ て感じです。おー! 公園内に、戦車がありました。この公園、こ~んなに広いのですよ!イギリス人ですねー!こんなのを作るのは、やっぱりイギリス人です。インド人だったら、作りません!ず~っと、公園です。白いのや、黒いのが、ポツポツ見えますねー?羊さん達でした。公園内で羊飼いが、餌を食べさせています。コルカタ市の、ど真ん中ですよ!これが、公園の南の方にある、ヴィクトリア記念堂です。ヴィクトリア女王を記念して造られたって事ですが、全く贅沢です。大理石ですよ! あのタージ・マハルをモデルにして造ったと言うのです。バングラデシュの、レンガ造りの世界遺産に比べて、贅沢過ぎます。これも、全てインドから巻き上げた金と、労力で造ったのでしょう。これです。すごい建物なのですが、インド人から搾取したって気持ちの方が強くて、感心出来ませんでした。(おかしいですか? 考え?)すぐ隣にある、セント・ポール寺院。名前の通り、キリスト教の教会です。さて、これは、何でしょう? 巨大なロボット? 宇宙人?残念でした。正解は、プラネタリウムの映写機(って言うのかな?)です。モイダン公園内にあったので入って見ました。ヒンドゥー語なので、さっぱり分からず、暗いし、半分位寝てました。このすぐ近くの道路にあった看板です。CLEANCITY HAS CLEAN ROADS 確かに、聞いていた噂より、ずっと綺麗です。そんなにゴミゴミしていません。この公園辺り、チョウロンギ通り辺りは、コルカタでは、静かな通りなのでしょうか?時間もあるので、コーヒーでも、飲みながら、ケーキ食べようと、ハエのいない、きちんとドアボーイのいるケーキ屋さんで、買って来ました。ラム何とかと言うケーキ、チョコ何とかと言うケーキ二つです。このラム何とかって奴、甘過ぎ! 超甘! すんごく甘い!半分も食べられませんでした。追記本日、二日分アップ。これで、完全に、リアルタイムに追いつきました。しかし、これから、どうなのか分かりません。明日は、コルカタから、ちょっと田舎のハルディアって所へ元勤めていた会社の人たちがいるので、会いに行って来ます。その後、うまく汽車のチケットが取れれば、ブッダが悟りを開いたと言う、ブッダ・ガヤーと言う所へ、夜行で行きます。なので、又、アップ出来ないかも知れません。
2008.10.24
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2008年10月23日(木) 36日目本日は、四度目のインド入国です。1回目は、 9月28日に、デリーへ正式入国2回目は、10月 7日に、密入国3回目は、10月 9日に、ダージリンへ正式入国そして、今回が、四回目になります。密入国は、パスポートに記録が残ってませんので、入国になるのかどうか?クルナから、国境のベナポールまで、汽車が出ていると言うので、バングラで初めて汽車に乗りました。地元の人たちと、ガイドブックに乗っているベンガル語と、ジェスチャーで会話するのも、楽しいものです。バスよりも、ずっと快適でした。バングラデシュの国境の町、ベナポールへ到着しました。クルナから、2時間40分。7つ目の駅です。国境は、バングラデシュへの入国より、厳しい感じで、どうも袖の下をよこせと言っているインド側の係官もいました。インドの金は持ち出せないとか、何とか、難癖をつけているのです。しらばっくれて、通り過ぎました。バスで、コルカタまで行こうと思いましたが、グリーンラインと言う立派なバスは、午後4時までしかないと言う。まだ午前11時です。インドのボーダーから、5キロ以上あります。しかし、乗り合いオートリクシャーとか、リクシャーが沢山ありますので、移動に関しては、問題ありません。問題は、駅について、切符を買おうとしたら、もう、たった今、コルカタ行きの汽車は出た、と言います。見ると、まだ汽車は止まっています。「あれに乗れば良いんだな?」、と聞くと、「そうだけど、切符を買え!」、と言います。「おい、そんな時間あるのか!」、と言いながら、慌てて、100ルピー出しました。外を見ると、3番線から、汽車が動き出そうとしています。慌てて、お釣りの金額も確認せず、走り出しました。ホームは、1番腺にあります。コルカタ行きの列車は、3番腺です歩道橋を渡っている暇はありません! もう列車は動き出しました。合計12キロの、バックパック背負い、ショルダーバッグを抱え、さらに、1.5リットルのミネラルウォーター持って、走りました。1番腺のホームから、飛び降ります。1番腺と、2番腺の線路を、すっ飛んで、渡ります。見ると、もう、3番腺のコルカタ行きの列車は、スピードを増しています。2番腺のホームへ、跳躍! 1回でクリア! すごい、脚力、さすが元国体選手!そして、列車に飛び乗りました! 「ドドン!」「ウゥー、ゥゥゥー」左わき腹を、ドアに強かに、ぶっつけました。「痛いー!」しかし、列車には、乗れました。こんな乗り方はしない方が良いです。日本なら、ドアが閉まってしまうので、諦めもつきます。乗れなかった時の気まずさったらありませんが、苦笑いしていれば良いのです。ここは、ドアは開きっ放し。但し、一歩間違えば、大変危険です。でも、良く、あの2番腺のホームへ上がれたなー! あの時、不思議な力が出ました。 さて、列車ですが、バングラ側の列車とは、列車の幅が違います。インドの方が車両がすごく大きく、1列10人ほど座ります。そして、座席が硬い。プラスチックなので、長距離には、不向きな車両なのです。尻が痛い。我慢に我慢を重ね、地下鉄駅のある、ダムダム駅に到着しました。ボーダーの駅から、2時間5分。この駅から、市内まで直行の地下鉄が出ています。地下鉄の車両です。このガラ~ンとした座席、何で誰も座らんの?と思ったら、女性席なのです。女性専用車両でなく、女性専用座席です。こう言うのが、あるのですねー! こう言うのって、やさしいって言った方が良いのでしょうか? 性差別だ! って言った方が良いのでしょうか?宿は、バックパッカーが集まる、サダル・ストリート。そして、中でも、1970年代から、多くのバックパッカーが宿泊したと言う、伝説の日本人宿、「バラゴン」にしました。 この宿は、マザー・ハウスの、ボランティアを行う人が多く泊まるそうです。僕の隣のカップルも、1ヶ月、ボランティアしているって言ってました。この伝説的な宿、エアコン付きの部屋なんてありません。大部屋のドミか、ものすご~く狭い、シングル(150ルピー)か、二人部屋(290ルピー:約600円)しかありません。奮発して、ダブルル-ムにしましたが、ファンだけなので、暑くて・・・。おまけに、数週間前に、この宿から、4名のデング熱患者が出たとの話し。切れてしまった、蚊取線香と、地元の防蚊クリームを買いに走りました。追記えらいことが起こりました。口の中が、痺れています。(のような気がします。)実は、防蚊クリームを、歯磨き粉と間違えて使用してしまったのです。何と、トンマな話でしょう!味が、おかしいなー? デング熱にでもかかったか? などと、始めはのん気に磨いてましたが、どう考えても、味がおかしい。あ! あら! 蚊避けクリームじゃー!ぎゃー! 慌てて、トイレへ駆け込み、口の中を大掃除しました。そして、歯磨き、2回もしました。でも、まだ、口の中がおかしいです。いくら、蚊が怖いって言っても、口の中まで、攻撃出来ませんのに。いやー、まいった、まいった。
2008.10.24
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2008年10月21日(火) 34日目ダッカを早々と後にして、クルナと言う所へ来ました。クルナと言うのに、来てしまって良かったのか? などと、オヤジギャグ飛ばしたくなるような地名です。本日は、バングラデシュで一番高級とされるバス会社、ショハグ社のVolvoに乗って移動しました。ミネラルウォーターに、お菓子のサービスもあり、このようなティッシュもサービスしてくれます。そして、彼が切符切りの、ヨォンユス君です。ビーマンのCAになりたいそで、その為には、このようなバスの乗務員経験が必要らしいです。6ヶ月間、行うと言ってました。ヨォンユス君、親切過ぎると言うか、懐いて来ると言うか、暇さえあれば、一番後部座席の僕の所へ来ます。チップを要求するでもなく、どうも外人に興味があるだけのようです。 ポッタ川(ガンガー)を、フェリーで渡る為にバスが並んでいます。ここでフェリー待ちと川を渡る為に、2時間を必要とします。 フェリーの上から、撮ったポッタ川(ガンガー)。汚い泥水の川です。インドの沐浴で有名な、ヴァラーナスィーなどを通って来ますので、人間を焼いた灰や、子供の死体なども流れて来ているはずです。こんな大きな川、川幅も、ものすごくあるので、橋を作るのは、今の経済と技術のバングラデシュでは、難しいのでしょう。 約、9時間のバスの旅でしたが、エアコンも効いているし、従って、騒音も少なく、快適な旅でした。因みにお値段は、650タカ、1000円です。やっぱりちょっと高いですよね?乗っている人も、バングラ人ですが、皆さん、お金持ちの人のようです。ローカルバスに乗る人たちと、明らかに、見た目が違います。さて、クルナの町へ着いたら、もう夕方、薄暗い時間でした。ホテルへチェックインして、すぐにネットカフェを探しに出かけました。ネカフェありましたが、残念ながら、日本語が読めません。コルカタへ行くまで、アップ出来そうもなく、諦めです。で、地元食堂へ行きましたら、こんな女性が食べていました。 僕は、始め親子かなー? 年の差がすごくある、姉妹かなー?などと、観察しておりましたが、な、なんと、21歳の同い年なのです。絶対にそうは見えませんよねー!何故、写真を撮ることになったかと言いますと、僕が食堂に入り、彼女達が食べているものを指差し、あれと同じものを下さい、って言ったのです。そしたら、例の如く、彼女達も、どこの国から来ましたか? と聞いて来ました。(マトンハリムって言うのを食べました)質問者が、野郎どもなら、無視するか、逆質問して、混乱させるか、するのですが、彼女達には、丁寧に答えました。すると、すると、そっちのテーブルに移って良いか? って聞いて来るのです。断るべき理由は、何もありませぬ。 「何なら、ホテルへでも一緒に?」 などと、言う訳はありませんぞ。(考えもしませんでしたからね!)で、話が弾みました。大学生です。明日、見学に行くバゲルハット出身で、クルナに下宿して勉強しています。左側の子は、写真より、実物の方がずっと可愛いです。唄を唄ってくれって頼んだら、食堂で、ほんとに歌ってくれました。バングラには、日本発明のカラオケがありません。カラオケって言う世界語を、彼女達は、知りませんでしたから。そして、問題は、支払いの段になって、気づきましたが、彼女達が、僕の分まで払ってくれていたのです。そりゃーまずい、いくら「貧乏旅人」でも、どんだけ「ケチな男」でも、貧乏国の女学生に、ご馳走して貰っては、経済大国、ニッポンの一員として、恥ずべき事である!と、お金を渡そうとしましたが、受け取りません。言うことが、泣かせるじゃーありませんか!私達、日本人の人と、初めて話しをしました。とってもとっても、嬉しいです。あなたは、私達のゲストですから、私達に払わせて下さい。と、このように言うのです。もう、参りましたねー。その前に失敗しているのです。名前と住所を教えて欲しい、と、言われたのですが、名前だけ紙に書いて、住所は書きませんでした。文通も面倒だなー、と思ってしまったのです。ご馳走になったからと、今更、住所を追記する訳にも行きませんので、ただ、ただ、ありがとうって、繰り返すだけです。見てください! アジアの星一番さん、微笑んでいます。 一緒に食堂を出たのですが、別れ際、私達のことを忘れないで下さいね、これ見て思い出して下さい、とボールペンをくれました。どのような対応をしていいやら、さっぱり、分からず、右往左往とはこの事かと、知った次第です。日本の良さを知らしめるべき所、これでは、すっかり評判を落としました。住所でも聞いて、写真でも送るような、手はずをすれば良かったのです。イカンなー! しっかりせい! アジアの星一番!そんな事じゃー、アジアの星一番でなく、アジアの星百番程度に格下げするど! と、自分を叱り付けて置きました。追記先ほど(10月23日夕方)、コルカタに着きました。バックパッカーがひしめく、サダル・ストリートに宿を取りました。さすが、IT大国、バックパッカー通り。日本語可能なネット屋、すぐ見つかりました。これで返事書けます。
2008.10.23
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ダッカで、往復3時間半もかけて、ネットカフェへ行って以来、その後ネットカフェ見つかっていません。どこかで、見つかったら、又々、3日分、連続アップとなります。2008年10月18日(土) クシティアと、宗教詩人ラロン・シャハ2008年10月19日(日) バングラ人質問撃退法 クシティアからダッカ2008年10月20日(月) ダッカ==============================2008年10月20日(月) 33日目ダッカ、1日探訪して来ました。大都会です。一言で言うなら、もう1日で、結構です、早く移動したいです、と言う感想です。まぁ、取り合えず紹介しましょう。市内の中心、ゼロポイントに近い、Hotel Ramna です。エアコン付きで、650タカ(1000円位)6階なのですが、蚊取り線香と、蚊取マットをつけて寝たのに、夜中に刺されました。エアコンが効きすぎて寒いので、止めたからかなー?ダッカから次の目的地クルナまで、船が出ていると言うので、一番乗りでチケットを購入する為、その販売事務所へ出かけました。ホテルの近く、リクシャーの停車場。幌のない荷物運搬用リクシャーです。運転手の人たち、リクシャーの上で寝ています。見えますか?リクシャーも、これだけ多いと壮観ですねー。BIWTCの事務所に着きました。しかしオフィス開始の20分も早く着いてしまいました。たまたま、出勤して来た人と会い、事務所で待て、と言うので一緒に行くと、立派な個室です。どうも一番偉い人だったようです。でも親切ですよね?ダッカから各地域に船が出ていて、その船は「ロケット・スティーマー」と呼ばれているそうです。蒸気機関を改造した外輪船。クルナまで、25時間かかりますが、ゆったりと水の国:バングラを旅して見たかったのであります。1等:2380タカ(3600円)、2等:1440タカ(2100円)両方とも、二人用個室を一人で使用する値段で、1等はエアコン付き。しかし、残念ながら、木曜と日曜しか運行しておらず、木曜は満席だとの事。大変、残念ですが、諦めざるを得ません。早めに予約せねばなりませんねー!仕方ないので、オールドダッカまで見学に歩くことにしました。イヤー、暑いし、うるさいし、大変な町です。喉が渇きます。道端にパイナップル売りが立っています。お皿や、切ったパイナップルをバケツの水で、さらっと洗うので、雑菌、大丈夫かなー? と心配になりましたが、喉の渇きに耐え切れず、食べました。(その後、問題なし、胃腸元気です!)オールドダッカに入りました。リクシャーの数がすごいです。人も多く、歩く場所を確保するのも、困難なほどです。 ショドル・ガットにやって来ました。ブリゴンガ川。ここから長距離の船も出ます。小さな船は、対岸へ渡るものや、大きな船から荷物を移動する為のようです。ここの通りには、船客目当てのお店が沢山並んでいます。又、果物市場、野菜市場もあります。野菜市場で、地元のおっさん達と話していたら、食べきれないほどの、新鮮なパイナップルを切ってくれました。(食ったばかりなのに・・・)そして、道端には、ミシン屋さんも、並んでいます。面白いのは、道端の床屋さん。これだけシンプルで、風通しの良い、床屋さんもないでしょう。港で、船を見ていたら、何人ものバングラ人が声をかけてきます。例の二つの単語でしか聞いて来ませんから、無視ですけどね。そして、懐かしい日本語が聞こえました。「おー! バングラで、初めての外国人か!」と、振り向くと、完璧なバングラ人です。しかし、日本語は流暢です。聞けば、12年間、日本で働いていたそうで、結構な時間、話し込んでしまいました。竜ヶ崎の工場でずっと働いていたそうで、1988年から1999年までの期間。始めは15万円の給料が帰る頃は35万円貰っていたそうです。6万円の部屋を借りて、半分は社長が出してくれて、週末には、ビールをどっさり持って来て、外へ飲みに行くな、お金を貯めろと言ってくれたそうです。話を聞いて、計算してみたら、彼は、12年間で、1500万円は貯金しています。一生、遊んで暮らせるお金です。そのバングラ人、会社の人たちに感謝してましたねー。同胞が感謝されているのを聞くと、関係ない僕でも、嬉しくなります。さて、名残惜しいのですが、ラールバーグ・フォートへ移動しました。ダッカの紹介には、必ずここの写真が使われるほど、有名です。宿のあるゼロ・ポイント近くにネット屋さんが見つからないので、大使館などが、多くある、ダッカ北東のボナニ駅方面へ行って見ました。リクシャーとバスで、1時間半もかかりましたよ、わずか8キロ程度なのに。でも、ネット屋が見つかり、3日分一気にアップ出来ました。2時間たっぷり、パソコンに張り付き、ゼロ・ポイントへの帰り方を聞いていたら、客の一人が、同じ方向へ帰るので、一緒に行ってくれるとの事。貿易会社の社長さんです。英語も堪能で、バス代は出してくれるし、色んな話を聞けて、2時間もかかった市内バス、退屈しないですみました。しかし、この渋滞を何とかしないとまずいですねー、ダッカも。わずかな距離、市内を移動するのに、2時間ですから。困ったものです。しかも、夜の9時近くなっても、バスの中は、灼熱状態、拷問に絶えているようなものです。貿易会社の社長さん、夕食を食べようと言いましたが、遠慮しときました。そしたら、道路わきのちゃんとしたお店で、スナックとマンゴジュースをご馳走してくれました。面白かった話は、アルカイダに金を出しているのは、アメリカだ。サウジの王族は、CIAに脅されて、言うことを聞いている、背けない。5年位前の、中国のサーズ騒ぎは、アメリカの陰謀だ。アメリカに対抗できるのは、中国しかない。日本製品はバングラから駆逐された。今は、中国製品ばっかりだ。と、言うような話をずっとしていました。とにかく、アメリカ大嫌い、中国大好きなようです。そして、日本製品は、全て中国製品に置き換えられたって話し、お店を見れば、すぐに分かります。それは、中東でも同じです。多少、品質が悪くっても、安い方が良いですもんね。露天で商売している、電気品売りのお兄ちゃんが言ってました。「これは、バングラの製品、品質悪いよ! こっちは中国製品だから、品質は一番、全く中身が違うんだよ!」って。今や、そう言う時代になって来ました。 どうするニッポン?
2008.10.22
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2008年10月19日(日) 32日目バングラ人の質問攻めには、閉口しております。しかし、彼らの質問パターンが、ほとんど一定している事に、気が付きました。ユアーカントリー?ネイム?この二つです。文章になっていませんが、まぁ、こんな質問です。歩いていれば、ほぼ3分に1回は聞かれます。面倒でしょう?ほとんど無視しますが、気が乗った時には、撃退する為、からかいます。どうするか?カントリー? とか聞いて来たら、「ん? おめぇは、どう思うんだ? どっから来たと思う? んー? えー?どうなんだ! どうなんだ!」と、問い返します。それも、しつっこく、早口で。彼らは、単語二つしか知りませんから、目を白黒させて、カントリー? と聞き返すか、訳分からんもんで、バングラデシュなどと答える奴もいれば、すごすごと退散する奴もいます。敵が退散すると、ホッホッホ、やった、やったと、嬉しさを噛み締めます。もう一つ、閉口する事があります。あいつら、やたらと触って来るのです。道端ですれ違っただけなのに、握手をして来るのです。無理やり握手しようとする奴もいます。話せる奴には、日本人は、握手する習慣はない、と断ります。無理に握手しようとする奴は、腕を振り払います。困ったもんでしょう?握手でなくても、触って来る奴らは沢山います。「触んな!」、と怒鳴ってやりますが、あいつら、お構いなしです。ほんと、困った奴らです。親愛の情のつもりなのでしょうか? 僕には、そんな親愛はいりません。放っておいて欲しいです。それから、インドよりウンコは少ないですが、彼らは、唾や痰を吐きます。道は唾や痰だらけです。中国人といい勝負です。これにも閉口しております。そして、手で鼻をかみます。え? どうするかって?例えば、右の鼻押さえて、左の鼻から、フッっと、鼻を飛ばすのです。うまいことするなー! なんて感心している場合ではありませぬぞ!リクシャーの運ちゃんが、それをやると、風の向きによっては、こっちに引っかかる場合もありますぞ! 引っかかったら、エライこっちゃです。だから、道を歩くのに、ウンコの他にも、唾や鼻を踏まないよう、右に左に揺れながら歩かねばならぬのです。大変です! バングラデシュ!あ! そう言えば、靴の臭い、洗ってから問題ありません。右の靴に若干、あの臭いが残っていますが、気になるほどではないです。と言うことは、あれは、やっぱりウンコ踏んで、その臭いが靴の中まで、染込んだのでしょうか?恐るべしウンコ! 恐るべし、あの臭い! ウンコは踏まないようにしましょう!そうだ、もう一つ、困ったとまでは行きませんが、バングラ特有のことがあります。買い物したり、道を聞いたり、リクシャーと交渉したりしていると、必ず、バングラ人が集まって来ます。それも1人や2人でなく、10人の単位でです。バナナ買うのに、売っている人と値段交渉でなく、集まった他の奴らが勝手に20タカだの、15タカだのと言うのです。ガイドブック開いて、道聞いていると、ガイドブックを僕の手から取り上げる奴もいます。分からん行動です。まぁ、そんだけ、外国人が少なく、声をかけて見たいのだろうし、悪気がないのは分かっているのですがねー。声をかけないまでも、ジロジロ見られるのは、当たり前です。動物園のサルになった心持です。はぁ~、疲れた~。今日は、首都ダッカへ移動です。今回の移動は、宿の前から、気の良いリクシャーの運ちゃんさんだったので、気分良かったです。ホロのついているリクシャーでなく、板を並べた、荷物運搬用のようなリクシャーでした。でも特に問題なく、運賃もホロ付きに比べて半分です。10数分乗って、5タカ。7円少々って所です。バス乗り場についたら、調度、ダッカ行きが出発するところでした。乗って見てビックリ! 仰天!こんな素晴らしいバスなのです。 しかも、エアコン付きです。ですから、埃も外から入って来ませぬ。臭いも外から入って来ませぬ。定員以上乗せませんから、通路に乗客はいませぬ。途中で、切符切りが、お茶飲んで、30分も休むなんて事ありませぬ。途中で、乗客を乗せたり、降ろしたりしませぬ。席も、余裕たっぷりです。こんなバスが、バングラデシュにあったとは、驚きです。これで、水のサービスや、コーヒーのサービスしてくれたら、トルコ並みのバスになります。韓国の3列豪華バスには、かないませぬが、かなり高度なレベルであります。アジアの星一番さんも、ゆったり座っています。んん? ちと偉そうですなー! 怒ってんのかー?今回は、バングラ人に近づく為、お化粧を若干、日焼け気味にして見ました。途中、又、りっぱな橋を渡りました。ダッカに近づくに連れて、交通量が増え、のろのろ運転になりました。5時間かかって、やれやれ、ダッカに着き、宿でも探すか、ここは、どこじゃ? と地図を出して聞いてみれば、市内から、一番遠い、ガブトリ・バスターミナルです。ここからが大変でした。ローカルバスに乗り込んだら、いつもの通りに戻りました。あまりに快適なバスで移動してきたもので、その差に身体もついていけまへん。たちまち、汗があふれて来ます。おまけに、渋滞、騒音、排気、都会の悪い面を全て持っています。なんと、市内まで、1時間と10分もかかりました。この暑いのに、隣のじいさんは、しきりと腕に触って何か話しかけてくるし、反対側の若者は、この暑いのに良く眠れるなー、と思うほど、コックリして、こっちに寄りかかってくるし、そりゃー、まぁー、防御に大変でした。若者が寄りかかって来る度に、ペットボトルで、頭をポカリとやります。10数回は、ポカリとやったでしょうか? それでも、まだ居眠りしてました。ちょっと、アホですかねー?ちょこっと宿の廻りを歩いて見ましたが、いやぁー、ここダッカも大変な都市ですぞ! インドに負けない、何かを持ってます。明日、探検に出かけましょう!
2008.10.22
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2008年10月18日(土) 31日目ラジシャヒからクシティアへ移動です。朝も無駄骨を折りました。宿で、クシティアへの長距離バス停を教えて貰ったら、親切にリクシャーを呼んで、場所も説明し、バスまで連れて行ってあげろ、と指示してくれました。しかし、そこへ行ったら、係りらしき人に、ここからクシティア行きは出ない、別のバス停だと言われ、一旦、支払いを済ませたリクシャーで、又、又、移動です。30分も走った所のバス停へ着きました。ここは、ボグラから移動した時に到着したバス停です。ここでリクシャーの運ちゃんと、一悶着。ボグラから着いた時、リクシャーの運ちゃんたちは、100タカだの80タカだの法外な金額を要求して来ました。そいつらを無視して、歩き出しました。暫く歩いたあと、英語が堪能な親切な女性から、市内までの相場は、15タカ、それに、数タカ、プラスしてあげれば良いはずと教えて貰いました。それで、その時は、20タカ支払ったのです。そうしたら、今回は、始めのバス停まで10タカ(支払い済み)、そしてその後の分は、20タカ、合計で30タカだと言うのです。まぁ、結構、走ったので、そんなもんかなー、とは思ったのですが、そのまま支払うのも、癪だし、バスの出発まで、時間もあるらしいので、交渉して見る事にしました。「ん? 普通は15タカだろ? それを20タカ支払うって言ってんのに、その上、まだ、10タカも欲しいって言うのか!」数字以外は、日本語で言ってます。そしたら、リクシャーの運ちゃんやら、バスの関係者やら、20人以上が集まって来ました。口々に何やら言っています。僕は同じ言葉をずっと言い続けていました。誰が交渉相手か分からないほど、多い人数です。まぁ、かなりの時間、粘って見ましたが、敵は多勢、こちらは一人。敵は全員バングラ人、しかも同業者。こちらは外国人、そして客。どう考えても勝ち目はありません。乱闘になったら、バックパックはあるし、逃げるにも逃げられません。体力的にも勝ち目は、ゼロです。あいつら、毎日自転車漕いでます。交渉に勝利したとしても、たったの15円です。よって、「アッチャ、アッチャ!」、と言って、合計30タカ(45円)を支払ったのであります。因みに、「アッチャ」とは、分かりましたって言う意味です。日本人の一部が、「アッチャー!」、と驚く、その「アッチャー!」とは無関係です。アッチャ、アッチャって良く耳にするので、地元民に確認したので、意味は間違いないはずです。あいつらも、満足そうに頷いてましたから。ここまでは、まぁ、通常よくある事なのであります。そして、バスに乗ると、さっき、交渉した時にいた連中が乗り込んで来ました。「写真撮れ」って言うから、撮りましたがね、意味ねぇ奴らです。問題は、この後です。バスは、出発しました。快調に飛ばすので、こりゃー、早く目的地に着くわい、と先ほどの、交渉事は忘れてしまいました。が、しかし、バスは、思わぬ方向へ向かいました。見慣れた風景です。なんと、始めのバス停へ行ったのです。「くっそー! ここから、クシティア行きは出ないって・・・」ガックリです。あんな方まで、リクシャーで行って、皆んなに囲まれて交渉して、余分に支払ったのに・・・。 元へ戻りました。だけど、こう言うトラブルは、どうやって防いだら良いのでしょうかねー?宿の人の言うことを信用して、このバス停で、他の人に、再確認したら良かったのでしょうか?まぁ、バックパッカーとは、「無駄に時間を浪費する」とも読みますので、よし、としましょう。バスは、快調に飛ばします。ブウァー、ブウァーと、クラクション鳴らしながら。そして、素晴らしい橋、バングラデシュとは、とても思えない橋を通りました。僕は、カメラを持って、バス内を前へ、後ろへ移動しまくり、この橋をカメラに収めたのです。バーディング橋と言います。このような橋が、以前(何年前なのか?)はなくて、物流もうまく行ってなかったようです。橋が出来てから、農業生産物も変わって来たと言いますから、橋は重要ですねー。さて、クシティアに着き、宿にもチェックインして、早速、ラロンさんが眠る、ラロン・マジャルへ行きました。ラロンとは、吟遊詩人で、生涯で800近い信仰歌を残したそうです。イスラム教にも、ヒンドゥー教にもとらわれない民間信仰で、楽器とバック一つを背負い、長い髪と髭、聖者然とした衣装で、歌が、祈りと修業の手段だとの事です。この歌う修業者をパウルと呼びます。ラロンも、そのパウルだったそうです。このような楽器を使います。弦は1本だけです。この日は、10月18日。ラロンの命日が17日で、毎年、この前後に、多くのパウルが、ラロン・マジャルへ、ラロンを偲んでやって来ます。まさに、この日、パウル達が、交替で歌っていました。コンサートのようです。ツキがあるとは、こう言うことでしょうか?何も知らずに来たのに、1年に1度の、ラロンを偲ぶ、パウル達の心の歌を聴けたのですから。そう言えば、ヨルダンのペトラへ行った日も、新世界七不思議に選ばれた7月7日でした。悪い事は一切しない、旅好きのアジアの星一番だから、神がそのような巡り合わせにしているのでしょうか?(ふふ、自我自讃)この祈りの歌の会場から外は、もうまるで、大きなお祭りです。屋台やら、売店やら、広い会場に一杯です。あまりの広さに、歩いたら、喉が渇きます。ココナッツを飲んでみました。生ぬるいですが、うまい!遊園地のような所もあります。この乗り物、何て言うのでしょうか?これ、手動、人間力で動かしているのです。笑っちゃいますよねー!知らずに、頬が緩んでいましたが、面白いので暫く見ていました。メリーゴーランドも、人間が動かしてました。時間が余ったので、夕方は、町の北方を流れる、ゴライ川を眺めに行って来ました。ポッダ川(ガンガー)から分岐した川です。静かですねー。渡し舟です。人間は無論のこと、自転車から何でも渡します。
2008.10.22
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バングラデシュ、仲々、ネットに繋げず、可能な時は、いつも1日最大の3回アップとなってしまいます。ご了承の程を!10月16日(木) 実録 バングラデシュ両替物語10月17日(金) プティア10月17日(金) ラジシャヒ動物園と夕陽==========================ラジシャヒ動物園と夕陽2008年10月17日(金) 30日目 その2スィーツを食べて、ネットでブログをアップしたら、夕陽を見に行くのに、調度良い時間になりました。ラジシャヒの南方を、ポッタ川(インドではガンガー)がゆったりと流れています。そこから、見る夕陽が、とっても美しいと言うのです。その近くまで行ったら、動物園がありました。動物も好きだし、外国人も現地人も、入場料が一律5タカ(7円)と言うのも気に入りました。熊に、虎に、サル。 ここは、動物は少なく、遊園地と、公園を兼ねているような所です。中東のイスラム国では、見られない、若いカップルが語り合っている姿が、あちこちで見られます。デートコースなんですね。 さて、ポッタ川へ行って見ました。ゆっくりゆっくりと流れています。ヴァラーナスィーで見るガンガーよりこちらの方が、神々しい感じすらします。 売店や屋台も出ており、このように椅子も準備されています。 屋台です。チョポティを売っています。 清潔そうではありませんが、食べて見ました。酸っぱいと言うか、辛いと言うか、豆を煮たもので、生野菜と卵を刻んで混ぜています。カレーにも似た味でした。 時間も、そろそろ、夕陽に調度良い頃です。現地の皆さんも、見やすい位置で、じっと夕陽を眺めています。 これが、僕のお奨めの、写真です。一番気に入ったものです。小船で、家路に急ぐ漁師さん、岸辺では愛を語るカップル、そして、ガンガーに沈む、どでかい夕陽・・・、う~ん、良いですねー!あの夕陽の向こう、川の向こうは、インドです。
2008.10.20
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2008年10月17日(金) 30日目 その1 プティアは、池や林に囲まれて、大小のヒンドゥー寺院、旧王の館などが 点在する、田舎であるが、見どころが多いとのことで行って来ました。 ラジシャヒから、バスで、40~50分です。 バスを降り、リクシャーで行くと、シヴァ寺院が見えて来ます。 1823年に建てられた、北インド式の、ヒンドゥー寺院で、塗り壁で、 凝った彫り物や、絵もありません。 ここは、池が多く、こんな池の畔に寺院があるのです。 とっても、静かで、のんびりした雰囲気で、こう言う景色、良いですねー! アニク寺院とコヴィンダ寺院です。可愛らしい寺院です。 屋根の形に特徴がありますね。中央のこんもりした屋根を、 エク・バングラ型と言うようです。(意味は分かりません。) 大人も子供も、池で釣りを楽しんでいます。 僕も、釣らせて貰いましたが、難しいです。小さな魚なので、針に食い付かず、 餌をつつく程度なので、引っ掛けで釣る感じです。 コヴィンダ寺院です。これも、1800年代に建てられたものです。 テラコッタも、残っています。 ヒンドゥー神話とか、村人の生活などが、描かれています。 ドルモンチョ(これもヒンドゥー寺院)と、地元の子供達 プティア、落ち着いたいい村でした。 ラジシャヒの町戻ると、小腹空いて、何か食べたいなー! でも、ハエだらけの スィートは、食べたくないしなー、とお店の製品を眺めていました。 おいしそうですよねー? お店の人は、快く写真を撮らせてくれました。しかし、俺達も撮ってくれ! と、うるさいので、後で消せば良いや、と撮ったのがこれです。 写真を撮ったあと、「一つ味見していけ、お代はいらねぇー!」なんて 時代劇で聞いたような気前の良いせりふが飛び出ました。 普段より、タダって言葉に極端に弱い僕は、歩き出しそうになった足を止めて、ご馳走になりました。 あま~い! 甘い! そして、うまいのです! どんな風に、何を混ぜて作っているのか、分からないし、お腹の菌が それらに耐えられるかどうかも不明なので、味見だけに留めました。 まぁ、みんな食っているのだから、大丈夫だと思うのですが、ここは、慎重に、止めときましたです。
2008.10.20
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2008年10月16日(木) 29日目ラジシャヒでは、両替の為に、又、銀行へ行きました。IFIC BANKは、仕事拒否窓口係りに引っかかり、両替不可でした。木曜の午後3時。ここで両替出来ないと、金曜、土曜が週末の、当地では、両替不可能となり、大いに困ります。(実際は、両替屋さんが、あるらしいので、困りはしなかったでしょうが。)近くにあった、International Bank と言うりっぱな名前の銀行へ行きました。銃を持った、怖そうな警備員もいます。窓口へ、と言っても、普通の机の前です。そこへ案内されました。隣のおっさんが、「担当が、今、昼食中だから、少し待ってくれ。」と言います。僕は、大げさに、「え! えええー! 今、午後3時だぞ! バングラでは、昼飯、今頃、食うのかー?」、と手を大きく広げて言いましたです。そしたら、そのおっさん、俺がやる、とか言い出しました。とは、言っても、パスポートを、めくって眺めているだけなんですけど。最初のページから、最後まで、1枚づつ、彼はチェックしてました。増刷してあるので、普通のパスポートの2倍はあるし、パスポート更新してから、十数カ国へ行っているだろうから、時間はかかります。で、「いつ、当国へ入国しましたか?」、と聞いてきました。「お前が、今、調べたんだろう!」、と言いたかったですが、両替して貰わねばならぬ、こちらの弱みもあるので、「ハイ! 10月13日です!」、と朗らかに答えました。と、そいつ、仮に、アブドラ・アジズとしておきましょうか、アジズです。そのアジズ、少し図に乗って、「どこに記録がある?」、と、質問して来ました。「お前が、今、調べたんだろう!」、と言いたかったですが、弱みがあるので、渋々、調べだしました。見つけるのは、結構、面倒ですねー。仲々、見つかりませんよ。そしたら、アジズ、「色んな国に行っているなー!」、などと雑談をしたいらしいのです。元々、担当じゃないし、やる気は全くないのですね。こりゃーアジズに、言っても無駄だと感じ、雑談に応じることにしました。ここで、アジズには、弱みはなくなった訳です。どこに住んでる?サウジで働いていたのか?シリアにも行っているな?子供はいるのか? 奥さんは?職業は何だ?バングラの女はどう思う?(関係ねぇーだろ!)などなど、もう質問攻めです。廻りに同僚が、二人もやって来ました。弱みはないし、面倒なので、無視しようとも思いましたが、ここでも、おいしい紅茶は出してくれるし、押し黙ってもやることないので、一応の対応はしていました。サウジ出稼ぎの話になりました。「結構、沢山、お金、貰えるのだろう?」「ええ、まぁまぁ。」アジズ、計算機を持ち出して、何やら計算しています。そして見せました。「583」と言う数字が、ありました。「これが、US$換算の俺の月給なんだ。あんたは、いくら位だ?」どうだ! 高給取りだろ! ってな、雰囲気が、彼から漂っています。こう言うことを平気で聞いて来るのですね。なので、ここで、一瞬の内に考えつき、驚かしてやれ、と思いました。「ん? そんだけー? それ、俺の1日の給料だな!」、と583の数値を指して言いました。アジズ、目の玉、まん丸にひん剥いて、身体を前に乗り出して来ました。「ほ、本当か? 俺の給料、高い方だぞ! 1日、こんだけ貰ってるのか?」ちょっと、身をそらして、偉そうぶって質問してたのに、アジズ大変身です。583US$って言えば、大体6万円ですよね。で、年間50週として、週休2日、祝日と有給休暇で30日とすれば、実働、220日ですから、それに6万円かけると、1320万円。(アジズに計算機借りて、計算したものです。)ひぇ~! 年棒だと、1320万円だ!思わず、大嘘がばれそうな、声を出してしまうところでした。だけど、この位、貰っている日本人は、いるでしょう、その人数、結構多いかも。と言うことで、計算機から顔をあげず、何度か、計算して、そして、「そうだ、1日で、その位、貰っている。」、と、自信を持った振りして答えました。ひぇ~! 今度は、アジズが声を出しました。近くの同僚に、何か説明しています。それから、偉そうぶった態度は、全く影を潜め、日本で働きたいが、その時は、助けてくれるか? と、銀行の自分の席なのに、職業相談になっています。「そんな話して、ええのんかー?」 と聞きたい位です。そんなこんなで、時間をつぶしていたら、のっそりと、担当が帰って来ました。又、パスポートを1枚づつ調べています。そして、いつ、入国した、だの、又、同じような質問攻めです。こいつら、よっぽど、暇なんでしょうなー。ま、僕も、暇って言えば、暇ですから、付き合ってあげます。どうも彼らの説明によれば、バングラデシュでは、パスポートに現金持ち出しの金額を記載し、それ以上、使えないようなシステムになっているようなのです。それで、彼らは、パスポートの、その金額の記載箇所を探していたのです。「日本に、そんなシステムはない。幾らでも持ち出しOKだ。」と、説明してあげました。おー! ニッポンすごい! ってな、顔してます。隣のアジズも、自分の仕事しないで、身を乗り出してずっと、こちらのやり取りを聞いてます。「で、幾ら、両替」、と聞かれました。本当は、100ドル両替しようと思っていたのです。1日、1500円位で旅してますので、既に両替済みの100ドルと合わせれば、10数日間は持ちます。でも、バングラの両替って面白いから、もう1回くらい、どっかで、両替して見たいと思い、50ドルにしました。そしたら、透かして見たり、札を紙に擦り付けて見たり、アジズにも渡して、同じような確認をしていました。なんなんじゃ?担当が、パスポートをコピーして来ました。「日本は、本当に、確認許可なしに、お金持ち出していいの?」又、聞いて来ます。「あぁ、2万ドルでも、3万ドルでも、じぇ~んじぇん問題ない!」それでも、まだ信用出来ない顔してます。「この前なんか、10万ドル持ち出したけど、問題なかったど!」って言ってやりました。(そんなに持ってないけど。)大体、今どき、現金をそんなに持ち歩く人なんていませんよね。キャッシュカード持っていくでしょ。現金はやばいです。まぁ、先進国って言われている国の人なら、すぐ分かるでしょうがねー。しかし、彼は、日本は、金持ちなので、そう言う事なのかなーって顔してましたが、それでも、まだ、両替してくれません。パスポート持って、どこかへ行きました。どうも、上の人に相談に行ったらしいです。待つこと、しばし。アジズに、バングラの名所なんぞを、聞きながら待ちました。担当、帰って来ると、「パスポートに、50ドル両替したと書いて良いか?」と聞いて来ました。「世界各国、49カ国行って、両替しているが、そんな話聞いたことない。パスポートは、日本政府が、管理している。僕にその権限はない!」って答えると、担当さん、困った顔して、今にも泣きそうです。なんだか、可哀相になってきて、「だけど、それ書かないと、両替出来ないなら、仕方ないよねー、許可システムが違うんだもの」と、言うと、ようやく、両替する方向に進みそうになって来たのであります。ボグラの銀行では、あの個室の偉い人の部屋で、簡単に両替出来たのに、なんで、ここは、こんなに時間がかかるのでしょう。分かりませんねー!で、パスポートに、このように記載されました。そして、きちんと、サインまでしましたよ。パスポートに両替の証明を記載されたのは、初めての経験です。これが、1時間と少々の、「実録 バングラデシュ両替物語」でした。
2008.10.20
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昨日に続き、3回分を一気に掲載します。でないとリアルタイムに追いつきません。10月14日(火) ボグラ近郊のマハスタン遺跡10月15日(水)ジョエプールハット近郊のパハルプール遺跡(世界遺産)そして、本日、10月16日(木) ボグラからラジシャヒ移動。============================2008年10月16日(木) 29日目ヒンドゥー寺院、旧王の館が点在すると言う、プティアへ行くために、その近くの町、ラジシャヒへ移動です。そこには、日本語可能なネット屋があるとの噂なので、アップ出来るかも知れません。昨夜、宿にメッセージが残ってました。「明日の朝、8時に行く」、と。心当たりがありませんが、もしかしたら、銀行で会って、お店で、飲み物をご馳走になった、ラフィクルさんかも知れません。いや、彼しか、バングラでメッセージを残す人は思いつきません。明日は、7時頃出発しようしていたのに、困ったなー? と思っていたら、ホテルに電話がありました。事情を説明し、明日は、早立ちしなければならない、と何度説明しても、朝食だけでも一緒にしたいと言い、7時にホテルへ来てくれる結果になってしまいました。さて、翌朝、ほんとに来るのかどうか、疑わしいし、朝食をどうするかで、悩みました。食べてしまって、本当に来たら、せっかく朝食を一緒に食べようと言ってくれているのに悪いし、食べないで来なかったら、移動中、腹減って困るしなー、ふむふむ・・・で、半分程度、食べておくことにしました。準備万端、7時。 しかし来ません。待つこと、10分、やはり来ません。バス停へ出発しました。ホテルのすぐ隣です。バスは、8時出発とのことで、暑いし、ホテルに戻り、待つことにしました。すると、7時半過ぎに、やっぱりラフィクルさんでしたが、ホテルにやって来ました。先日の礼を言い、8時出発なので、朝食は一緒に食べられない、お茶を飲みましょうや、と言って、とホテルのレストランへ行きました。しかし、彼は、バスは沢山ある、問題ない、などと、こっちの予定は無視して、スープだの、野菜だの注文しだすのであります。それを見て、まぁ、急ぐ旅でもないし、連れもいないし、いっか、と腰を落ち着けて、食事することに、相成ったのであります。彼は、甥っ子とを連れて来ました。「いくつ?」って聞くと、ラフィクルさんは、「20歳」、と言います。そして勉強していると言います。ですから、「大学生?」、って聞くと、いや、「高校生」、だと答えます。なに? バングラは、20歳でも、高校生なのか? え? ええー?その疑問を問うと、本人に確認し、「16歳」であることが、判明しました。彼らにとって、年齢って、いい加減で良いのですかねー?サウジでも、インド人は、年齢を適当に言ってました。知らなけりゃー、知らないって言えばいいのに、適当に推定して言うのですよ。この人たちです。久しぶりにアジアの星一番も登場ですが、化粧がイマイチ、ですねー。顎と頬の辺りが、ほんの少し、出すぎかなー?もう1泊していけ、と仕切りに薦められましたが、コルカタに友人がいて、土曜日には行かねばならないし、スケジュール上、今、出発しないと駄目なのだと、再三説明し、お断りしました。何故、こんなに親切にしてくれるのか、その理由が分からないのです。大体、日本人に声をかけてくる現地人には、魂胆がありそうなものなのですが、このラフィクルさんには、魂胆が潜んでいるようには見えません。その後、お茶を飲もうと、自分のお店の方へ連れて行かれました。リクシャーで、10分も乗って行くのです。エアコンの効いたりっぱな、レストランへ行きましたが、その道中、甥っ子が手を握って来るのには、閉口しました。16歳ですからねー! 男でも手を繋げるのは、小学校3年生位まででしょう?無下に、手を振り解く訳にも行かず、なんとも、言えぬ気分です。彼らは、男同士でも、良く手を繋いで、歩いていたりします。別にホモでもないのですね。お茶を飲み、もう行かねばならないって、言うと、お昼は何食べる?などと聞きながら、弁当を頼んでくれました。そして、甥っ子が、リクシャーで、バス停まで送ってくれました。食事も、リクシャーも、お茶も、弁当も、全部、ラフィクルさんが支払ってくれました。何も求めず、無償で、こんなに親切にして貰って良いものか、と迷いましたが、そのままお礼を言って別れました。日本滞在中に、よっぽど日本人に、親切にして貰ったのでしょうか?そうだとしたら、同胞、日本人のお陰様で、僕もその親切のお返しを貰った事になります。ラフィクルさんには、日本へ帰ったら、お礼の手紙でも出しましょう。で、バスは、狭い道路をぶっ飛ばして行きます。4~5時間かかると言うのに、たったの、2時間半で着きました。神風特攻隊(知りませんが)みたいな、ぶっ飛ばし方でしょうか?ラジシャヒでは、両替の為に、又、銀行へ行きました。前回と同じ、IFIC BANKです。しかし、担当者は、もう時間が過ぎた、と両替しようとしません。午後3時クローズだと言いますが、3分前でした。どうも、仕事したくない奴見たいなので、早々に引き上げました。しかし、本日、木曜日、両替出来ないと、ここバングラは、金曜、土曜と週末で銀行は休み、どうしても、今日中に両替しなければなりません。ダメ元で、別の銀行へ行って見ました。結果、1時間と少々、かかりましたが、両替出来ました。これも話すと、長くなるので、別掲します。町を歩いていたら、こんなのがありました。なんじゃないな? と思って立ち止まって見ていたら、塊を食べろ、とくれました。うー! あま~い!砂糖です。調度、砂糖が切れる所だったので、一塊、15円で買いました。そして、買うつもりはありませんが、魚市場へ。皆さん、カントリー? って聞いて来ますが、無視。ウザイです。写真も撮ってくれー! と、大騒ぎです。 野菜や、米のような市場もあります。ここは、この町の中心にある、シャヘブ・バザールの一角です。 3回分アップするだけで、もう2時間半がかかりました。コピーするだけなのに・・・。すいません! コメントの返事を書く時間がなくなりました。ネット屋さんも、もうじきクローズです。皆さんのところへも、お邪魔できず、残念です。すいません!
2008.10.17
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2008年10月15日(水) 28日目本日は、世界遺産のパハルプール遺跡を見に行きました。本来なら、宿泊する予定でありましたが、ボグラへ直行した為、行かなかった、ジョエプールハットへバスで向かいます。この通りで、もうバナナだらけの街道市場に遭遇しました。こんなバナナ市場通りが、ずっーーーっと、何キロと言って良いほど続きます。文字通り山ほど、バナナを積み上げたリクシャーが、ひっきりなしに、走ってくるのは、見てても爽快です。ジョエプールハットで、パハルプール行きのバス待ち。待つ事には慣れて来ました。その間、チャーを飲んで待っています。(チャーとは、ミルク、砂糖入りの、紅茶です)皆さん、チャーの他に、この葉っぱに、何やら少し包んで、口に放り込んでいました。試そうか、とも思いましたが、うまそうでもないので、止めました。何でしょうねー?こんなので、大人が遊んでいました。ビリヤードと同じ要領ですが、キューは使いません。そして球でなく、おはじきの大きなようなのを使います。「ケラブ」、と言うゲームだと教えて貰いました。さあて、パハルプール行きのバスですが、出発して、10分位走ったら、停車し、運転手も切符切りも、のんびりお茶しだしました。20分我慢し、25分も過ぎた頃、待つのに慣れたとは言え、こう言う待ち方には、我慢できません。おい! こら! 何やっている! 皆んな暑いバスの中で待っているんだぞ! 何分待たせるのだ! バカ野郎! 早く出発しろ!と日本語で、窓の外に、怒鳴ってやりました。英語で言っても分からないので、日本語で言っても同じです。運転手は、慌てて帰って来て、エンジンをかけました。言ってやらないと、分からないのですよ。他の乗客からは感謝の眼差しで、チラチラ見られました。で、世界遺産のパハルプールに到着です。入場料、100タカ(150円)ですが、中は良く整備されています。インド亜大陸最大規模の仏教僧院跡との触れ込みです。「旅行人」には、バングラデシュ最大の見どころの一つと記載あったので、期待して来ました。しかし、ここもレンガ造りの基礎と周壁が残っているだけなので、何が、そんなにすごいのかが、分かりにくいです。高い尖塔があり、木造の楼閣がそびえ立っていたと言う事なのですが。基礎部分に、テラコッタが残っていました。2800枚もはめ込まれていたようですが、現在は何枚残っているのか?ここの建築様式(パーラ朝)は、ミャンマーのバガンや、カンボジャのアンコールワットにも影響を与えたと言われているそうですが、まぁ、その本家のここより、バガンや、アンコールワットの方が、規模も壮大で、残っている遺跡もずっとりっぱです。ただ、広さを見ると、当時の盛況さは、分かるような気もします。 ボグラへの帰りの風景ですが、広大な稲作地帯です。見渡す限り、田んぼが続いていました。追記バングラデシュ、ボグラ滞在、3日間。観光客らしき人には、日本人はおろか、韓国人にも白人にも、一人も出会わなかったです。世界遺産である、パハルプールでも、然り、一人もいません。外国人が少ない、それでか、どうか分かりませんが、どこでも話しかけられます。始めは、きちんと対応していましたが、数十人を越すと、いささか面倒になって来ました。しかも、子供から爺さんまで、同じ質問です。「ユアーカントリー?」 って聞いて来るのです。3日間で、100人以上に聞かれたでしょうか?面倒くさいっすよ! 答えるのが。リクシャーの運ちゃんとネゴしてれば、すぐに、10人以上は集まって来ます。勝手に、いくらだ! とか言い出します。で、「うるせぇー! 向こうへいけぇー!」と、言っても、それを真似して、皆んで、大笑いです。まったく、どう言う、人種なのでしょうか? バングラデシュ人?
2008.10.17
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2008年10月14日(火) 27日目まず、両替しなければならないので、ボグラの町の中心へ向かいました。いやー、どこもかしこも、リクシャーだらけです。 銀行は、シャット・マタと言う、道路7本が集まる、7差路の近くにありました。町の中心地です。驚いたのは、単に100US$の両替なのに、個室に通されました。そして、な、な、な、なんと、紅茶がサービスで出されました。すごく偉い人のようで、 今日のレート持って来い! パスポート、ここと、ここをコピーせよ! お茶を持って来い!などなど、命令を出しています。本人は、写真のように新聞読んでいるのです。命令を受ける方は、いちいち、「アッチャ!」、、と言います。何で、「アッチャ!」、何でしょうねー?入り口は、本当に銀行かよ? と言うような建物でした。記念の為に、写真を撮ってみました。紅茶サービスは、効きますねー。バングラデシュ、一気に好きになりましたよ。そして、トイレはどこ? って聞くと、ずっと中まで、案内してくれます。しかも日本語が出来る人がいるのです。用を足して、外に出ると、その人も一緒に、出て来て、お店に来ないか?と言います。なんだー、客引きかよー! とガッカリしましたが、まぁ、変なもの薦められたら、帰ってくれば良いや、とのこのこ、ついて行ったのです。そしたら、こんなお店です。各種、色んなホースを売っているお店で、全く、いかがわしい事ありません。わざわざ、冷たいセブンアップを買って来てくれて、コップに注いでくれます。聞けば、日本の東京、大塚に5年いて働いたそうです。それを元手に、今や、社長さん、ラフィクルさんです。銀行といい、このお店の、ご主人と言い、ほんと親切です。さて、暫くネットに繋げてないので、ネット屋を探しに、町へ繰り出しました。あっちに聞き、こっちで聞き、ネット屋に行って見ても、どこも日本語が使えません。一番大きいと言う、BORODOLA HELP LAIN と言うネット屋、ここにも、行きましたが、やっぱり駄目です。諦めました。ボグラの町を走る列車の線路も、人で溢れています。一体、汽車が来たら、どうするのか? ネット屋を探していたら、ニューバザールに迷い込みました。綺麗なお店も、沢山あります。外のリクシャーだらけの風景とはずいぶん異なります。 食事ですが、どうも軽食のようなものばかりで、どこへ行けば、主食が食べられるのか? 今の所、分かりません。右の写真が、「ドイ」と言って、甘い食後の食べ物です。 さて、午後は、モハスタン遺跡へ出かけました。モハスタンは、4世紀頃から栄えていた、仏教都市遺跡との事です。残っているのは、8~11世紀頃のものとされていますが、実際には、この写真のように、城壁跡くらいしか、ありません。近くでは、農家の人たちが、稲を積んでいたり、草取りをしたりしています。皆、写真を撮ると喜んでくれます。 遺跡の南方、バショルゴールへやって来ました。これは、「初夜の家」と言う意味らしいです。ある王子が、新婚初夜の夜、蛇に噛まれて息絶え、ガンガーに流されたと言う伝説があるからだそうです。ほんとだとしたら、可哀想!する前だったら、王子様可哀想! した後だったら、花嫁さん可哀想?しかし、その息絶えた王子は、ヘビ使いの娘に救われて生き返り、その娘と幸せに暮らしたと言う、ハッピーエンドの伝説です。(なら、する前の方が、良かったですね?)ラクシンダル・メドゥ寺院跡と言う事ですが、この跡から、どのような寺院が建っていたのか、しばし、瞑想したものでした。基礎と言うか、土台と言うか、複雑に作られているものですから・・・。遺跡は、このリクシャーで、2時間半ほど、かけて廻りました。運ちゃんの写真を撮ろうとしたら、通りかかりのお母さんや、子供達も一緒に入って来ます。たぶん、モスリムだと思うのですが、中東と違って、ずいぶん、大らかですねー。
2008.10.17
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3連発で、アップします。(途中、ネカフェなしでした)10月11日(土) タイガーヒルで御来光10月12日(日) バングラ入国出来ず! ホルディバリーから国境、閉鎖中そして、このバングラデシュ入国現在(10月14日)、バングラデシュの、ボグラに滞在中です。===============================2008年10月13日(月) 26日目ふゎあぁあぁーーーぁい! よー寝たなー!ここは、バングラデシュ国境に近いインドの片田舎、ホルディバリです。そのきったねぇー宿で1泊したのです。エアコンも、ホットシャワーもない、たった200円の宿ですが、気持ち良い寝起きです。蚊は全く問題なし。蚊取線香、蚊取マット、蚊帳の3大武器に対して、さすがの蚊野郎達も、攻撃出来ませぬ。ふふ! 勝った、勝った! 気持ち良いなー!シーリングファンって奴も、案外と気持ち良いもんです。気温がもっと高いと、駄目ですけどね。今でもはっきり思い出しますが、シリアのユーフラテス川沿いの町、デリゾールでは、極暑の中、シーリングファンは単なる、熱風廻し機で、役に立たず、3リットルの汗をかいたこと、報告済みです。それと、シーリングファンの効用。洗濯物が、すごく早く乾きます。一昨日は、靴を洗ったついでに、パジャマも洗いました。しかし、ダージリンの高所では、1日かかってようやく、乾くと言う、何ともゆったりでした。ですが、このシーリングファンがあれば、すぐ乾きます。で、ズボンも洗って、今朝は、洗濯物一切なし! 清潔度100%です。よーし、今日は、バングラへ入国するどー!ってな事で、ホルディバリから、チャングラバンドラへ移動です。宿で、バス停前に、7時半発のバスが来る、と聞きましたが、これまでの経験より、まぁ、1~2時間の誤差は覚悟していました。そしたら、1~2分の誤差でバスが来ました。これは、まさに奇跡的な正確さです。驚きました。感動しました!ですが、だが、しかし、座る席はありません。満席です。例の如く、バックパックはバスの上に乗せろ、と言われましたが、パソコンが入っていると、バス内に持ち込みました。そしたら、切符切りの奴、通路にバックパックを降ろすなと、言いやがります。くっそ! バックパック背負ったまま、何時間もバスに揺られるのかー!参ったな、こりゃ! と、頭抱えておりました。すると、近くに座っていた兄弟の兄が弟を膝の上に抱いて、席を空けてくれました。なんと、やさしいお兄さんでしょう!この子達です。弟だって、結構大きいですよね? その後、通路にもひしめき合うほどの大混雑となり、何故、切符切りのおっさんが、通路にバックパック置くな、と言ったのか、理由が分かりました。このお兄さんには、ほんと感謝です。バス代出してやろうか? と思ったほどですが、思っただけでそれは止めました。代わりに、飴玉2個あげました。弟はすぐに舐めてましたが、お兄さんは、ポケットにしまいこみました。そして、かなり時が経ってから、弟に自分のをあげてました。ちょっと、出来すぎたお兄さんです。僕なら、飴玉貰ったのを弟に隠して、二つとも、自分で舐めようとするでしょう。無事、国境のチャングラバンドラに来ました。しかし、宿らしきものは、昨夜より、もっとひどい、こんなのしかありません。ちょっと遠回りだったですが、昨日のルートで良かったのかも知れませんねー。インドのカスタムとイミグレで手続きしてから、腹ごしらえです。旅の食のこつをつかんで来ました。一つは、非常食を持つこと。これはバナナが最適です。水は必須。もう一つは、食べられる時に食べておくこと。で、10時半、昼食には、早すぎますが、食べておきました。もう、ここは、バングラデシュです。ブリマリと言う国境に入った場所です。リクシャーで、延々とこんな道を走ります、のどかで、ゆったりして良いのですが、座る場所が、木製なので、尻が痛いです。 炎天下、尻の痛いのを我慢して、1時間と10分、パトグラムと言う、小さな村で降ろされました。ここからバスが出ているのです。ジョエプールハット行こうと思っていましたが、ここからは、乗り換え、乗り換えらしく、ボグラ行きがすぐ出るので、それに乗れ! とせかされ、乗り込みました。ジョエプールハットより、ボグラの方が親しみ安いですねー。何んでか?ボクラは皆んな、生きているー♪、生きているから・・・、って唄です。ボクラと、ボグラ。似ているじゃーないですか?5時間で、ボグラに着くって話でした。49時間のバスの旅を経験していますから、5時間なんて、へっちゃらのちゃい!です。ボグラはー♪、皆んな、生きているー♪ などと、鼻歌うかいながら、快調な出足。隣には、ボウヤ見たいな、青年です。初め小学生かな?と思ったほど、童顔です。しかし、実際は青年です。4時間ほど走った頃、もう、あと1時間だなー、とあくびをしながら、隣の青年に身振りで、ボグラ、1時間? って聞くと、2時間だ! と言います。なんじゃ? ここはどこじゃ? と聞けば、まだ道のり半分程度のロングブールって町だそうです。ありゃまー! まだこんなところか!と思ったら、どっと、疲れが出てきました。腰は痛くなるし、腹の調子も何だか、おかしいし、おまけに、バスも故障して、道端に止まって修理しだしました。 やっぱり、早めのお昼、食べておいて良かったです。ローカルバスなので、昼食の為に、停止することはありません。その代わりに、修理の為に、停止します。なんと、1時間ほど、止まりました。この辺りは、外国人が少ないのか、バスの修理時、バスを降りたら、現地の人たちが、僕の廻りに集まりだし、あっと言う間に数十人になってしまいました。スターになった気分です。こんなに集まって、何か、やらにゃー、悪いかなー? と、ディスコダンスの真似事したら、大喝采でした。でも、腰は痛いし、腹の調子は悪いし、そんなサービスしている場合じゃーないのですがねー。そんなこんなで、ボグラには、2時間15分遅れの、19時15分に到着です。ホテルを吟味するのももどかしく、1軒目のセンチュルー・モーテルに決めました。最高のホテルです。エアコン、ホットシャワーは完備されており、ティッシュ、トイペまで置いてあります。それに、石鹸からシャンプーまで。初めてですねー、こんなにちゃんと準備されたホテル。え? お値段ですか?700タカです。1000円ちょっとですね。2泊目以降は、600タカに負けさせました。900円ってところです。
2008.10.16
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2008年10月12日(日) 25日目さて、本日は移動です。可能なら、一気にバングラデシュへ入国したいと、早めに、ホテルをチェックアウトしました。この光景もお別れなので、ホテルの屋上から、撮影しました。向こうにうっすらと見えているのが、昨日の朝、タイガー・ヒルから見た、ネパールとの国境にある、8586mの、カンチェンジュンガです。これが、ダージリンの町です。斜面に、へばりついたように、家々が立ち並んでいます。これが乗車を諦めた、ダージリン鉄道の線路です。この幅は、60cm位しかありません。世界遺産にも登録されており、通称「トイ・トレイン」と呼ばれているらしいです。全長、88キロ。標高差、2000m。ここを7時間半かけて走ります。平地はディーゼル機関車が牽引し、標高1500m地点より、蒸気機関車に替えて、急勾配を登るとの事です。乗って見たかったですが、切符買うのも、並んだり相当面倒そうだし、丸1日かかるので、止めました。鉄道マニアなら絶対に乗るでしょう。ダージリンから、麓のシリグリの町まで、バスが見つかりません。歩き回って、見つけたのが、線路の脇に止まっている車です。この車に、なんと、14名も乗せてまぁ、乗れるだけ詰め込んで、運ちゃんは、銭儲けにも走ります。そしてシリグリから、バングラデシュ国境に近い町、ホルディバリへ向かいます。このバスを探すのも一苦労、二苦労、三苦労でした。12時半にバス停に着き、チケット売り場へ行って聞いた所、そこへ行くバスのチケットは売っていない、とどこのバス会社(私バス)も言います。止む無く、ジープタクシー乗り場へ行って見ると、バスしか行っていないと言います。バス停に戻って、もう一度聞いてみるも、やっぱりチケットは販売してない。何度も往復していたのを見ていた、係員(どこの会社か不明)が、午後1時半に出発するのがある、と教えてくれました。で、食事して、戻って待って来ましたが、バスはありません。そんな繰り返しでしたが、15時発のバスをやっと探し当てて、乗った次第です。歩いて歩いて、汗びっしょりです。ダージリンは寒い位だったのに。このバスの中も暑くて、日陰の席の奪い合いです。ここ、ホルディバリは、バングラ国境の片田舎です。ホテルとは決して呼べない宿しかありません。お湯シャワーはないけど、一応ツインの部屋にしました。100ルピー、200円ちょっとの部屋です。エアコンなんてありません。蚊が心配なので、蚊取線香はないか? と聞けば、「自分で買って来い。」、と言われました。何とも、サービスの悪い宿であります。ですが、わずか200円しか支払っていないので、文句も言わずに、買いに走りました。蚊は嫌いです。14巻21ルピーで売っていたのを、負けさせて20ルピーで買って来ました。宿のおっちゃんに、「明日の朝、これを、18ルピーで売るが買うか? 13巻で18ルピー、お買い得だぞ!」、と聞いたら、一言、「いらん!」と言われました。まぁ、必要ないから持っていないのでしょう。買いませんよね。蚊対策は、蚊帳に蚊取線香、そして持参の蚊取マットで万全です。しかし、別物の、大問題発生!何と、ホルディバリからバングラへ入る国境は閉鎖されている、って、言うのです。な、なんじゃー! そりゃぁー!何のために、この片田舎のホルディバリに来たんじゃ! このー!聞けば、もうずっと前から、この国境は閉ざされていて、ここから数時間離れた、チャングラバンドラの町へ行き、そこから、バングラのブリマリへ渡るのだそうです。そうなら、そっちへ直接行ったのにーーーーー!シリグリから、ここへ来る程度の時間で、そのチャングラバンドラへバスで行けたそうです。無駄な、1日を過ごしました。あのバス探しは、何の為だったのか?自棄酒でも飲もうと思いましたが、酒場もなさそうです。ナーンを3枚も、自棄食いしました。そこの食堂です。この店主、食べ終わってから、アルコールあるぞ! なんて言うのです。聞いてみると、酒のような、ポカラで味見させて貰ったのと同じような匂いでした。食べた後ではねー、あまり飲みたくもないので、止めました。早く寝て、明日は早くバングラへ入りましょう。追記「地球の歩き方」では、バングラデシュ版を発行していません。で、「旅行人」が発行している、バングラデシュを買って持参しています。2006年発行なので、2年前ですが、これには、きっちり国境越え情報として、ホルディバリのルートが掲載されているのです。それを参考にやって来たのですが、閉ざされていると言うのです。しかも、8年前からだそうです。困りましたねー! 「旅行人」さん!しかし、バス停にいた、リクシャーの連中、バングラへ行くと言ったら、乗れ! 乗れ! と誘ってきました。一体、どこへ連れて行くつもりだったのでしょう?日本と違って、「バングラ」、などと言う、キャバクラとかないでしょうに。
2008.10.16
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2008年10月11日(土) 24日目昨日、宿を移りました。あの素晴らしい部屋に、700ルピーで泊まりましたが、1部屋しか空いてなく、特別料金で1泊のみオーナーが了承したのです。色々と、探して見ましたが、高級ホテル(1000ルピー以上)は、ほとんどが、予約で一杯です。元々、泊まるつもりはありませんが、満室って聞くと、さも、ものすご~く、ガッカリした仕草をして帰ります。165ルピーの宿は多くあり、部屋も沢山空いています。そして、見た目、清潔そうな部屋もありますが、残念ながら、ホットシャワーがないのです。バケツにお湯を持って行く、とオーナーは言いますが、僕は贅沢なので、それでは、ちょっと我慢出来ません。因みに、あの僕を無視したデンマークの女性は、その安宿に泊まってます。(無視されたあと、少し立ち話をしました。)調度良いのがなくて、困ったなー、最悪は、ホットシャワーなしの安宿か、と観念していたら、良いのがありました。山小屋風です。備え付けのお湯ヒーターがあるので、いつでも自分でスイッチ入れてシャワー可能です。これで、500ルピー(1150円位)です。ホテル名:Main Olde Bellevue Hotele-mail oldbellevue@gmail.comAttn. Mr. Siddharthaこの人が、ここのオーナーですが、部屋に来て、ホテル名とか、ブログに書いてくれ! って、うるさいもので、書きました。でも、このホテル悪くないですよ。(昨日泊まったのが、Bellevue Hotel なので、紛らわしいです。場所も隣り)オフシーズンは、300ルピーまで下げると言いますが、ピークシーズンは、2000ルピーもするそうです。話は変わりますが、PASHMINAって、ご存知ですか?僕は、今まで、中国がカシミヤの偽物を作って、世界中で売りまくっているものとばかり思ってました。しかし、PASHMINAって、ペルシャ語で、ヤギの下あごの毛を言うらしいです。ですから、Kashmir産の、Pashminaってのが、一番肌触りが良くて、高級らしいです。このお店のオヤジに教えて貰いました。さて、本日、朝、3時半起きして、ご来光を拝みに行きました。昨日、ツアーを探したのですが、全く旅行代理店では、相手にされません。貸切でなければ行かないって言うのです。ネット屋で、金がなくて、ご来光に行けないって、そんな話をしていたら、朝、4時前に広場へ行けば、貸切でなく、シェアして行けると聞いたのです。それを、信じて行きました。行ってみると、ほんとに、ジープが沢山あり、観光客も沢山います。今回は、イギリス人カップル、ドイツ人のおじさん、オランダ人のおじさん、インド人3名、国不明の欧州系女性2名、そして僕の10名となりました。ダージリンから南へ13キロ、車で40分、標高2590mです。暗いうちについて、入場料30ルピー支払い、少し待つと、明るくなって来ました。太陽が顔を出して来ました。沢山の観光客から、どよめきがおきます。西側には、ネパールとの国境にそびえ立つ、8586mの、カンチェンジュンガが、はっきりと見えます。太陽の光が、あたって、正に御来光と言う景色です。太陽が、すっかり顔を出しました。さて、もう一度、カンチェンジュンガです。この辺りに、世界最高峰、8848mの、サガルマタの山頂が見えるはずらしいのですが、どれか分かりません。因みに、この山、英語ではエベレスト、中国語ではチョモランマと言われているとの事です。タイガー・ヒルからダージリンの町へ帰る途中です。山の尾根から、中腹に、家々が見えます。又、お茶畑も見えます。いい景色です。お昼は、又々、チョウミンとモモにしました。町の中心の広場、チョウラースター広場のすぐ隣にある、露天のお店です。「チャンドラ喫茶」と、日本語で、さらにメニューも書いてあります。レストランなどより、味は良いです。 さて、御来光みて、ネット屋へ行ったら、何やら臭いのです。なんじゃー! 誰やねん? と周囲を見回しましたが、僕しかいません。どこが臭いの? とクンクン臭いをかいだら、靴からです。ひぇー! ウンコ踏んだか? と思いましたが、それらしき物はついてません。靴脱いで、靴下を確認したら、靴下も、すごく臭いです。何か分かりませんが、慌てて宿へ帰り、靴下も、靴も、全部洗いました。お陰で、靴が乾くまで、一日中、どこにも行けませんでした。何だったのでしょう? おっかしいなー?足の臭いで、今まで、誰からの文句言われたことありません。自分でも臭いと思ったことありません。インド、ネパール料理で、体質が変わってしまったのでしょうか?それとも、牛、豚、犬、色んなウンコ踏んでしまったのでしょうか?今は、靴も靴下も、石鹸の臭いしかしません。
2008.10.16
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USB買えました。安かったですねー。1ギガで、800円です。日本での、こんなに安くなってますか? 4ギガでも、1900円でした。そして、リアルタイムに追いつくために、3連発でアップしました。長旅なので、長文章になてしまいました。ネパール →インド →ネパール →インドの迂回ルート、49時間ものバスの長旅、お奨め出来ませぬ。お金がかかっても、飛行機をお奨めします。僕も次回、そう言うチャンスがあれば、飛行機にしたいです。それから、カトマンドゥで、インドまでのチケットを売ると言って、実際は、ネパール国内分しか発券しない詐欺は、前からあったようです。「歩き方」に注意するよう記載されていました。まんまと、引っかかりましたです。あったま来たー! くっそー!===========================2008年10月10日(金) 23日目いやー、ゆったりしました。あの「49時間バスの旅」が、嘘のようです。シャワーも浴びて、洗濯もして、山の冷気に包まれて、今時、日本にはないであろう、重たい布団の中で眠りました。何度も説明していた通り、昨日の9日が、ダサイン祭りの最大の日です。昨夜は、チョウラースター広場で、盛大な踊りや唄をやってました。本日は、ゆっくり起きて、町を散策しましたが、ダージリンは坂道の町です。平坦な所は、ほとんどありません。尾根の斜面に作られた町なので、坂道だらけで、歩くと結構疲れます。町には、大きなバザールもあり、どこもかしこも、人が多いです。 ダージリン、こんな感じです。雰囲気はわかって貰えると思います。海抜2100mですから、涼しいのを通り越して、寒い位です。麓のスリグリでは、暑い!暑い!と汗流していたのに、ここの地元の人たちは、セーターにマフラーとか、ジャンパー着ている人もいます。露天のお店です。清潔度は分かりませんが、おいしそうなので、無難な、チョウミンを頼みました。このおばさんが作ります。全く、日本の焼きそばと同じなので、僕は、これが好きですねー。ここ、ダージリンを歩いていると、僕のイメージのインドとは思えません。人種が違うのですね。どっちかと言うと、ネパールに近いです。ネパール人や、チベット人も多いようです。それと、ここは、ほとんど全く、客引きが声をかけて来ません。それが、落ち着きをもたらしてくれます。もっとも僕は、ネパール人か、チベット人と思われているのかも知れませんが。実は、そのようなエピソードもありました。昨日、3時間も足を合わせて麓から登ってきた、デンマーク人と通りでばったり会ったのです。僕は、「ハロー!」と声をかけました、始め無視。2度、3度も無視。通り過ぎてから、肩を叩いて、ハローと言ったら怖い顔して睨まれました。一瞬の間をおいて、「オー! ユー!」とか言いました。どうも、地元の奴が声をかけて来たのと、間違えたようです。まぁ、その位、ここダージリンに溶け込んでいる、アジアの星一番です。話は変わりますが、せっかく、ダージリンに来たので、おいしいダージリン茶を飲みたいと、バザールへ出かけました。僕は買い物が好きでないのですが、何か、買いたいものがあると、見て歩くのも楽しいものです。バザールの中に、お茶屋さんを見つけました。 やや高級な、紅茶と緑茶を、薦められました。緑茶もあるとは知りませんでしたが、やっぱり、緑茶は日本でしょう。思い切って、高級な紅茶を購入しました。と言っても値段は知れてますが。そして、今、宿に戻り、ダージリンを飲みながら書いています。うまいです。至福の時間です。
2008.10.11
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2008年10月9日(木) 22日目昨夜は、どこかの空き地にバスを止め、その傍の掘っ立て小屋のような食堂で、卵焼きを作って貰って、夕食でした。バスの中に寝たので、4人とも、鶏の鳴き声に起こされて、5時半には、起きだしていました。1時間待っても運転手は来ません。ドバイ出稼ぎ者は、俺は、別のバスで行く、とでっかい荷物を他の二人に手伝って貰ってバスから降ろし、行ってしまいました。彼は、ドバイからカトマンドゥまで来たものの、バスのチケットが買えず、故郷の近くに来ていながら、二日間も待っていたらしいです。本来なら、晦日から正月を家でゆったりする予定だったのに、もう1月1日の朝になってしまっています。彼にすれば、もう、1分でも、早く家に行きたいのでしょう。分かります。その気持ち。じゃーな! 元気でな! 二晩を共にした同士は去って行きました。僕は、本日も、どこで食べられるか分からないので、掘っ立て小屋の食堂で何か作って貰おうと思いました。言ったら、何にもないって言います。僕は、食堂の中に入って、「そこに、ラーメンがあるだろ! そいつと、卵と、野菜と、昨日の残りのご飯があったよな! そいつを、ミックスして作ってくれ!」と頼みました。ミックスって言葉が気に言ったのか、「ミックス、ミックス」と繰り返し言いながら、作ってくれました。グチャグチャですが、うまいっすよ!運転手が来ません。マレーシア出稼ぎ組の二人も、そわそわしています。早く帰りたいのです。英語の話せない運転補助もバスに泊まりましたが、そいつがどこやらと連絡して、どうも運転手は来ないって結果になったようです。それで、マレーシア出稼ぎ組も、オートリクシャーを呼んで、これまた、どでかい荷物をいくつも持って去って行きました。元気でなー! 彼らも、もうすぐ故郷の家だ、良かったなー!あれー? 「良かったーなー!」 何て言ってる場合じゃーねぇど!どうした? あれだけ居た乗客が、結局、僕一人になってしまったではないですか? おい、どうしてくれるんだ?野菜卵入りラーメンライスを、頬張っていたら、英語が少し話せる運転補助が、のっそり、のっそり、やって来ました。(早く歩け! この! と思いましたが、黙ってました。)いつ運転手は来るのだ? と聞くと、別の運転手が来るから、少し待て、と鷹揚に答えます。そして、なんと、掘っ立て小屋の食堂の若い主とビール飲み初めてしまってます。おいつらにとって、正月でも、僕にとっては、大枚3500ルピーも支払って、カトマンドゥからダージリンへ特急で、直行するはずであったのです。それが、28時間も経っています。正月なので、1時間ほど、待ってあげました。しかし、運転手は来ないし、もう待てん! と、運転補助に、ばっきゃろー! どうなってんだ! いつ出発するんだ! と、ちと、大きな声で言ってやったのです。そしたら、金やるから、その辺のバスで、カーカルビッタまで行け、と言いやがります。おい、ダージリン行きのチケットは、どこでくれるんじゃ?と聞けば、そんなもん、知らん、と言いおります。あっちゃー!危険信号が、真っ赤な赤信号に変わりました。やっぱりかー! と思いましたが、これこそ、後の祭りです。ここで、どう騒いでも、勝ち目はありません。ダージリンまでの切符を買ったと言う証拠は、どこにもないのです。言うことだけ、無茶苦茶言って、仕方なく、掘っ立て小屋を立ち去ります。カーカルビッタまでは、責任があるとか言い、運転補助の、その又、補助の若者二人がついて来て、小さな乗り合いバスを止めて、お金も支払い、僕を乗せてくれました。こんなバスですが、完璧な定員オーバーで走ります。この運転手の隣のエンジンの上みたいな所も、人が一杯のります。乗り切れん人は、バスの上に乗ります。それでも、乗れん人は、入り口ドアにしがみついて乗っています。乗ったり降りたりしますが、これは、一番空いた時に、撮れた写真です。それでも、中国とは異なり、我先に、押し合いして席を取ろうと言うような行動はなかったですね。大混雑ですが、秩序は保たれてました。道路は、こんな感じで、インド、ネパールへ来てから、一番整備された道路だなー、と感じました。そんなこんなで、ダーランから国境の町、カーカルビッタまで、3時間で着きました。その頃には、もう腹たった事など、忘れていました。貧しい奴らに、数千円くれてやったと考えるようにしたのであります。インドは、騙されやすいと聞いていたので、相当気を付けていました。しかし、ポカラがあまりに居心地も良く、変な輩には出会わなかったので、気が緩んでいたとしか言いようがありません。 それと、お祭りに巻き込まれて、足止めされたくない、早く移動したい、そう言う気持ちが、危険信号をキャッチしながらも、無視してしまったのです。ネパールからインドの国境です。この橋を渡れば、三度目の、インドです。リクシャーなど乗らず、歩いて渡りました。そして、この掘っ立て小屋が、インドのイミグレです。誰も来ないのか、係官が一人、暇そうにしていました。手続きも簡単です。インドへ入り、スリグリまでの、バスの中で気が付きましたが、ネパールの出国手続きを忘れてしまいました。密入出国に慣れてしまったのか、自然と密出国してました。こりゃー、困りました。ずっとネパールに滞在している事になってしまいます。しかし、戻るのも面倒だし、そのまにしてしまいました。ブラックリストに載ってしまいますね。日本へ帰ったら、ネパール大使館へ連絡することにします。スリグリからダージリン行きの最終バスは、出発済みで、どうしたものかと、困ってしまいましたが、乗り合いジープがあると言うので、探して乗り込みました。ジープの後ろの荷台に向かい合って、4名乗ります。僕の前に座ったのは、180cmはあろうかと言う、デンマークの若い女性。背がでかい分だけ、足も長く、僕の足の間に、足を入れて来ます。この娘の笑顔が、可愛いんだなー。接触していては、悪いと思って、離そうとしても、隣の太ったインド人が席を狭めているので、無理です。デンマークの女性も嫌がっているようには、見えないので、すまないと思いながらも、ぴったりと接触したまま、3時間も山を登りました。ダージリンも、お祭りです。すごい人です。この日の朝から、早く歯磨きしたい! 早く暑いシャワーを浴びたい!と、思い続けていたので、多少高くっても、気持ちいい、ホテルに泊まろうと、こんな豪華な部屋にしました。応接付きです。広い部屋とベッドです。これで、700ルピー、約1600円です。49時間バスの旅。疲れきりました。こんなにシャワーが気持ち良いとは・・・。
2008.10.11
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2008年10月8日(木) 21日目朝早く、難なく、ネパールとインドの国境を、パスポートを出すことなく、通過しました。定員以上の人間と、ヤギさんで、大賑わいであったバス内も、わずか8名になってしまって、座るのは楽になりました。ですが、何故か、寂しい気持ちも湧いて来ます。不思議ですが。ネパールも貧しいと感じますが、バスで走ると、インドも貧しいなー、と感じます。下の左の写真の川のそばにテント状のもの、これは家です。初め何だろうなー? と、不思議に思っていましたが、そぐそばを通ると、あのテントの中に、寝て、周囲で、食事作っていました。右側は、普通の家です。こう言う家に住めれば、良い方なのかも知れません。 生活は貧しそうに見えても、心が貧しいとは限りません。物質的な豊かさと、精神の豊かさは別物です。ヒンズー教最大のお祭りだそうで、こんなのも道路をまたいで、作られていました。お金をかけないで作ったのでしょう。町や村は、どこも多くの人たちで賑わっています。あっちの村も、こっちの村も賑わっているのですが、バスの中は静かです。もう昼近くになるのに、食堂らしき所へ寄る、素振りが全くないのです。僕は、非常用に、バナナ6本と、りんご1個を買って置きました。朝、バナナ2本食べました。昼近くなっても、食事に関するような雰囲気は全くありません。皆んな食べ物を持参していて、僕が居眠りしている時に食べているのだろうか?腹減ったなー!昼近くになったので、残りのバナナ4本から、もう2本も食べてしまいました。あと、2本とリンゴしか残っていません。トイレは、どこでもバス止めて出来るので問題ありません。が、彼らは、そのトイレさえ回数が少ないのです。そこからして、たぶん、水も最小限、食べ物は、食べていないだろうなー、と推測します。この辺りのインドは、川は池など、湿地帯が多いです。ヒマラヤから流れ出る、アルン川が、インドへ入る手前当たりから、4本か5本の川に分かれて、流れているのです。この川は、ガンガーに合流しバングラデシュ経由、ベンガル湾へ行くのです。 道路はボコボコで、ガタンゴトン、天井に頭がぶつかりそうな勢いです。誰も、乗っていない後部座席は、座席のシートが、外れて落っこちてしまいます。でも、そんなのお構いなしです。午後2時。昨日、走り出してから、20時間位走りました。しかし、一向にネパールへ近づいたとも思われないのです。聞いても、どこ走っているか、説明してくれないし、時々、運転手がバス止めて、聞いているので、自分達も完全に分かっていないのかも知れません。腹減ったなー! いつ着くんだよー!他の客に聞いて見ました。「朝から、何か食べたのか?」、近くの二人とも、首を横に振りました。それを機会に少し話を始めたところ、一人は、ドバイへの出稼ぎ者で、帰省。もう二人は、マレーシアへの出稼ぎ者で、帰省。何と、3人とも出稼ぎで、日本で言えば、正月に間に合うよう、家へ帰る途中なのです。まぁ、僕もサウジへの出稼ぎ者ですから、出稼ぎ者集団と言う所です。でも、何で、腹減った、飯食べたい!って言わないのか不思議です。僕は、午後2時半頃、もうバナナも食べてしまって、残り、リンゴしかないので、3時過ぎに、「飯食わないのか!」、運転手と助手に大声で言いました。そしたら、分かった! 分かった!って素振りでした。結果、彼らは、訳分かってません。って言うか、僕の要望は無視です。何故なら、そのまま、食堂など行かずに、バスは走り続けたのです。午後8時頃、少しバスが止まったと思ったら、インドを抜けて、ネパールへ入ったとの事。又もや、不法出入国です。でも、これで、元に戻ったので、捕まることはありません。ビラトナガルと言う町を通り、ダーランと言う町に着いたら、もうそこで、動かないと言います。運転手が疲れて走れないって言うのです。おいおい、いつ、ダージリンに着くのだよー!と言いたい所ですが、腹が減って、腹が減って、早う何か食えるところへ連れて行け! と怒鳴っていました。だって、夜の9時半ですよ。昨日の夜食べてから、バナナ6本しか食べてません。続く
2008.10.11
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今、インドのダージリンです。困ったことが発生しました。USBが使用不能となってしまいました。自分のラップトップで書き、写真も縮小したりして、USBにコピーして、ネットカフェでアップしているのです。これで、リアルタイムでアップ出来なくなってしまいました。おばちゃんのやっているネットカフェで、どうむ無理やり差し込んだのが、原因ではないかと推定しますが、どうしようもありません。こんな山奥のダージリンで、USBなんて売ってないだろうし、仮に売っていても、きっと高いのでしょうねー。参りました。
2008.10.10
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2008年10月8日(水) 21日目ネパールを密出国しました。そしてインドへ密入国しました。こんなにも簡単に、手続きなしで、インドへ入国出来るとは思ってもいませんでした。別に好んでインドへ行った訳ではありません。カトマンドゥから、出来るだけ早く、ダージリンへ行きたかっただけです。話せば、長~い物語なのであります。長~い話など、聞きたくないでしょうから、手短に説明します。昨夜、15時半に、カトマンドゥのバス停に集合、16時、ダージリンへ向けて、出発の予定でした。そのチケットを、大枚、3500ルピーを出して購入しました。(5000円ほどの大金ですぞ!)ツーリストバスで、カトマンドゥから、ダージリンまで乗り換えはあるものの、直行で行くと言う旅行会社の説明でした。親切で、おまけに、バス停まで、一緒に行って、座席まで確認すると言うのです。高いなー! 親切過ぎるなー! とこの時、思いました。これが危険信号だったのですが、飛行機のチケットは取れないし、もしかしたら、お祭りの終わる、10日まで、数日、足止めを食らうかも知れないと言う意識があり、このアラームを見逃してしまいました。そして、旅行会社の社員と一緒に、15時半までに、バス停へ行きました。そこで、僕が貰っている、カトマンドゥからダージリンまでのチケットを、その社員が持って行き、バス会社のチケットと交換して来ました。ほんと、親切なやっちゃなー、と感心していました。バスまで行きました。しかし、ツーリスト用のバスと思えない、ローカルバスであります。座席はきっちり決まっていました。それじゃー!って社員が帰ろうとするので、確認の為に、チケットを見ると、カーカルビッタまでのチケットです。「おい、おい、これは、ダージリンまでじゃーないぞ!」と、説明を求めると、「カーカルビッタで、その先のチケットは渡すよう手配してある。」と言うます。「そんな事言ったって、それを証明するものが何にもないじゃないか!」と、心配になって、しつっこく尋ねます。しかし、そいつは、親切面で、「いやいや、ネパーリは真面目で親切です。もしチケットを渡さないような事があれば、連絡して下さい。こちらで、落とし前をつけます。」、などと、言うもので、バックパッカーの星一番ともあろうものが、それを信用してしまったのです。それでも、一応、名刺と電話番号など、連絡先は、貰っておきました。さて、15時半には、バスに乗り込み、16時の出発時間を待ちます。しかし、16時になっても全く出発する気配はありませぬ。待つこと、45分、ようやく出発しました。しかし、5分位走って止まり、動きません。ピタリとも動きません。運転手もどっかへ行ってしまいました。外で、なにやら賑やかです。なんじゃろ? と思って、他の乗客に聞いて見ても、分かりません。訳分からないまま、待つこと、何分か忘れました。出発したのは、15時半にバスに乗ってから、3時間後の、18時半です。くっそー! イライラするなー! と思っても、対処のしようがありません。もう、乗ってしまったのです。よく分かりませんが、満席になるまで、色々と調整してたようなのです。ですから、ツーリストバスではありません。ヴァラーナスィーから、ポカラへ移動した時は、日本人と欧州系ばかりでした。が、しかし、今回は、全員がネパール人で、その中にポツリと、日本人らしき、アジアの星一番がいるだけです。(傍目から見たら、全員がネパール人でしょう。)これは、何だと思いますか?こうやって、バスの中央の通路に置いて座るのです。こんな座席に座って、18時間も、20時間も、夜を通して行くのかい? 君?と聞いて見たいところです。満席どころか、定員オーバーです。僕の隣に座った奴は、どでかい安物のバッグを、自分の足元に置きます。そのバッグがでかすぎて、僕の足の置き場が半分もありません。で、そいつに、「こっちの中央の通路にそいつを移動せよ!」 と指示したら、即座に、拒否されました。むかっ! っとして、「移動せよ!」、と言っても、「やだ!」、の一点張り。何度か繰り返すと、自分の足を、バッグの上に上げて、これで、あんたの足の置き場だ出来たろう? ってな態度です。よっぽど、大事なものが入っているのだろうと、僕は諦めました。ったく、変な奴が、隣に座ってしまったもんだ、とガックリしたものです。で、移動の夜中、そいつの足がこっちへ来たら、押し戻して、来たら押し戻し、まんじりともしない、夜明けがやって参りました。そしたら、そいつ、朝のひんやりし過ぎる風なのに、窓を全開にして、頭を外に出して、見ているのです。僕は、「寒いから窓を閉めろ!」、と、今度はきつめに、指示を出しました。怖い顔して言ったから、そいつは、渋々と言った感じで、窓を閉めたのです。しかしながら、数分もすると又々、窓を開けて、真剣に外を見ています。何だか訳ありで、窓閉めろ!って言うのも、可哀相な気もして、「何で、外を見てるんだ?」 と聞いて見ると、「もうじき、故郷だ。」、と言うのです。さらに話を聞いてみると、 年齢、25歳。 サウジで、3年間働いて、故郷へ4ヶ月間の帰省なのです。おおー! 何だー! サウジかー! 聞いた事ある国だなー? って思ったら、8月まで、僕が出稼ぎに行っていた国です。(忘れんなよ!)急に親しみが湧いて、さらに話を聞くと、僕のいた、ジュベールから、50キロの所で働いていたとの事なのです。僕の運転手だった、アシュラフや、フセインのこと、思い出しました。そっかー! 3年ぶりに故郷へ帰って来たのかー!父ちゃん、母ちゃんが待ってるだろーなー! 何? 妹もいるのか?そんじゃ、窓、全開にしろ! 少し位寒くたって、何ちゅうことなか!と、窓を、全開にしてあげました。思い出しました。サウジには、インドからだけでなく、ネパールからも出稼ぎが多かったのです。トイレ掃除とか、お茶いれとか、そう言った下働きの人たちが多かったですが。きっと、この汚い安物の大っきなバッグには、大した品物じゃーないけど、心のこもった、土産が詰まっているのだろうなー、と、何だか、昨夜から、ちょっと意地悪していたみたいで、反省仕切りの、私めでありましたです。そして、彼は、眼を輝かせて降りて行きました。そしてら、次に乗り込んできたのは、こんな奴です。何でしょうか?なんと、ヤギさんです。モロッコで、ヤギと一緒のバスに乗ったことありましたが、その時、ヤギさんは、後ろの荷物置き場あたりでした。今回は、堂々と、座席に来たので、びっくりしました。人間より、いい席です。さらに、夜明けの道を走ると、こんな建物の前で、バスは止まりました。 何か、がやがやしていたと思ったら、ほとんど全員の乗客が降りて行くではありませんか!僕は、慌てましたぞ、「ど、どこへ行くんじゃー!」、と。バスは、もぬけの空です。 建物を良く見ると、カスタムオフィスって書いてあります。 ここは、しっかり聞かねばならぬ、と周囲の連中に聞きまくったところ、この先の道路が、渡れない為、このバスはインドへ出て迂回する。ものすご~く、遠回りになる。で、先を急ぎたい人たちは、川を船で渡って、その先で待っているバスで、行くのだそうです。そんな話聞いてない。(川を渡れるとと言う話)僕も、遠回りより、近い方が良いけど、このバスから離れたら、せっかくダージリンまで買ったチケットが、台無しになるので、泣く泣く、残りました。残ったのは、乗客4名、運転手、補助の2名、と補助の奥さんらしき人、合計8名です。やぎさんも、降りてしまいましたから。で、何の手続きもまなく、ネパールを密出国し、インドへ密入国したのであります。
2008.10.10
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2008年10月7日(火) 20日目ダージリンへ向けて、バスの出発は、16時です。夜行です。それまで、時間があるので、カトマンドゥの市内を散歩しました。タメル地区のメインストリートです。タヒティ・チョークです。アサン・チョークです。王宮や寺院の集まったダルバール広場です。この建物の窓が、ネパールの切手の図案になったそうです。拡大してみます。なるほどー! 切手にしたい窓です。カテシンブー・ストゥパです。以上、カトマンドゥの町の見所を、グルッと廻って来ましたが、1時間ちょっとで見てきました。あまり、見所は多いとは言えません。話は変わります。昨日、ポカラから移動する時に、偶然、昼食の隣の席となり、お会いしたご夫妻は、京都から来られた方でした。カトマンドゥ市内にある「桃太郎」と言う日本レストランとも関係していて、是非、いらっしゃいと、言うので、昨夜は、そこ食べました。焼き餃子に、回鍋肉をつまみに、ビール飲んで、ラーメン半炒飯付きを食べたら、朝起きても、腹減ってません。食いすぎです!で、そのご夫妻は、京都で、「マチャプチャレ」と言うネパール料理店を経営しているとの事ですが、息子さんに任せて、ポカラに、お店を出すそうです。店名は「桃太郎」と言ってました。11月に開店。ご主人、63歳と言ってましたが、やる気ありますねー!頑張れ! ニッポン! ってな気持ちで、応援したくなります。さて、ダージリンへの移動ですが、カトマンドゥから、昨日来たポカラ方面へ100キロほど戻ります。ムグリン、ナラヤンガード、ヘタウダへ。ここまでが、ネパール。そして、国境を越えてインドのラクソウルへ出ます。この道は、沢木耕太郎が、通ったバスと同じルートなのですよ。一昨日、彼の本を読んでいる時、まさか、同じ道を辿るとは思いませんでした。場所は違いますが、理由は同じ。道路が不通です。しかし、彼が旅したのは、もう20年以上昔ですよね? 世界各国が、著しい成長を遂げる中、幹線道路が、不通となって、他の国を通らねば、自分の国の町へ行けないなんて、なんとも、貧乏な国ですねー。最優先で、幹線道路の復旧しようと思わないのでしょうか?で、旅のルートですが、沢木耕太郎は、パトナーの方へ向かいましたが、僕は、ここから、ネパール国境に近い道路を走ります。ムサファルプルかティハールを通り、ダージリンへ。このようなルートになろうかと思います。もしかしたら、再びネパールへ入国し、カーカルビッタからインドへ出国するかも知れません。飛行機代を、1万数千円ケチル為に、ずいぶん大回りをせないけまへん。まぁ、しゃーないですな。追記インドから、ポカラまで、一緒に移動した、タカ&トシの、タカの方が、なんと、カトマンヅゥで同じ宿でした。再会の挨拶しましたが、いつの間にか、彼の隣には、日本の若い彼女が座ってました。で、挨拶のみで、早々に自分の部屋へ引き上げました。やるな! 青年!再追記今日会ったら、一人でした。彼女ではなかった見たいです。遠慮せんとけば良かったです。
2008.10.07
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