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<「東京裁判史観」のキーポイントである11条>
サンフランシスコ講和条約の11条という条文があります。このブログでも何度か紹介したところですが,こういう条文です。
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第十一条
日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の 裁判を受諾
し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。
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この条文の「 裁判を受諾 」という一文の「裁判」をそのまま裁判と考え,わが国は東京裁判の判決理由(日本はいわゆる侵略戦争をしたという内容の判決理由)をも受け入れた,と考えるのが従来の考え方。これはもっぱら「東京裁判史観」として揶揄されることもあります。
これに対して,この「裁判」は「判決」の誤訳または意図的な「偽訳」とでもいうべきものだとして,したがって,わが国は判決理由まで受け入れたわけではない,とするのが保守の立場を採る人々の主張。
本日はこの解釈を扱うわけではありません。当該条文の解釈については,近時ちょっと勉強を深めたので,そう遠くない将来に公開してみたいと思っています。
では,本日は何をするかというと,毎日新聞の変節っぷりを皆様にお示ししたいわけです。
毎日新聞といえば今はミニアサヒとでもいうべきリベラル紙の代表。現在では当然,「裁判」との立場をとり,わが国は東京裁判を受け入れた,とする立場にたっていると思われますが,かつては違うという証拠を,オンラインでお付き合いさせていただいている, オロモルフさん が発見されました。
こちらがその画像です。 2枚目の画像の2行目にしっかり「判決」と書いてあります。
聞くところによると昔は結構まともだったころもあったそうですね。読売は昔に帰らなくてもいいから,毎日は昔に帰って欲しいものです。
<まだ「韓流」やってるんですか>
janjanより
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(略)
2001年1月26日、東京・新大久保駅。酔って線路に落ちた男性を助けようとして、帰らぬ人となった韓国人留学生・李秀賢(イ・スヒョン)さん。彼の人生をもとにして作られた映画が、「あなたを忘れない」である。音楽とスポーツを愛する普通の青年。日本語学校に通いながら、アルバイトや富士登山を楽しみ、青春を謳歌していた彼の人生は、あまりにも早く幕を閉じてしまった。
「なぜ韓国の青年が、命を賭けて日本人を助けようとしたのか?」。恐らく日本中の人が抱いた疑問への答えは、この映画の中にあるだろう。映画化を許可したスヒョンさんの両親の言葉の中にも──。
「普通の人間なら当たり前のことです」
彼の生き方を、私たちは決して忘れない。
(略)
(吉本紀子)
( http://www.janjan.jp/culture/0701/0701087784/1.php )
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自己の命を捨てて他人を救う行為は尊いことです。自己犠牲とは究極の奉仕ですから。それは誰しも否定しないことでしょう。自分も勿論否定しません。
しかし,この映画の題材となった事件当時のマスコミの態度はいただけませんでした。過剰な持ち上げ方をするならまだ我慢もできますが,我慢ならないことは亡くなった韓国人留学生と共に泥酔者を救って同じくなくなった写真家,関根史郎さんはほとんどスルーという事実。
自己犠牲という行為の美しさを褒め称えるのであるならば,両者平等に扱うのが当然。それを一方の賛美に終始して,他方をまるで存在しなかったかのように扱うことは,不完全というより虚飾といっても過言ではない。ましてそれが報道機関という公的機関によって行われたのだから,その偏向っぷりはもはや「報道機関が報道機関たることを捨てた」(これ即ち報道機関の自殺)としか評価の仕様がない。
それがまだ当時の報道だけなら我慢もできたろうが,映画版にしてもその扱い方をするようです。
詳しくは 公式サイトを参照 して欲しいのですが,見たところキャストに関根さん役はないほか,ストーリー中にも関根さんに関する言及はなく,ただ,「 2001年1月26日 新大久保駅でお亡くなりになりました、故・李秀賢さん、関根史郎さんにこの映画を捧げます。 」という一文でのみ触れられているのみ。
なんだかもう嫌になりましたよ。
そんな気分を代弁してくれたのが,上記記事に対して寄せられたコメント。
全く同感なので引用させていただきます。
これを読んで少し救われた気分になりました。まともな日本人も健在です。