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| 戦前、戦中の甲子園口~伊丹近辺 |
| 資料映像を転載出来ず申し訳ありません。 おばあちゃんの甲子園話を少々…。といっても別におばあちゃんが 甲子園に出場しただとかそんな話ではありませんよ(^^;) あくまでもその近辺におばあちゃんが行儀見習いに出向いていた頃のお話です。 戦前、戦中なんて言うと、特に大阪なんて都会ではさぞ物も無く 大変で、辛い生活を送られていたのであろう…というのが 一般的な後世生まれの人間の感覚だと思うのですが、 実際は新聞では毎度日本軍の活躍が華々しく書き讃えられ 食料等が乏しくなってくるのも本当に後年だけで それなりに普通の生活を営む事が出来ていたようです。 特に、おばあちゃんが岡山から「行儀見習い」に来ていた 甲子園にお住まいのお医者さん一家、というおうちでは うちのおばあちゃん以外にも更にご年輩の女中さん達がいっぱいいらして 大きなお屋敷の掃除やおぼっちゃん等の教育係等の家事から 看護婦業務までをそれぞれ女中さん達が担当しており 沢山の人間で執り行うのでさほど業務も厳しくなく、 おやつの時間やお風呂の時間などもきっちり頂いて 和気藹々と楽しく日々を過ごしていたそうです。 特におばあちゃんが女中さん達の中では最年少だった事もあり 女のお子様のいらっしゃらないご家庭だったとかで随分かわいがっていただいたとか。 戦火が激しくなってきた昭和19年の終わり頃にお暇を頂いて帰郷するまでの 7年間、毎年振り袖を着せて頂いて初詣に参らせて頂いていたそうです。 そんなに楽しく過ごさせて頂いていた奉公先でしたのに、戦後のどさくさでBR> 連絡が取れなくなってしまい今に至るのだそうですが、 その当時のお医者さん宅は今はどうなっているのでしょうか? 甲子園で長らく個人で開業なさっているお医者さんがいらしたら、是非お聞きしてみたいです(^^) |