第二花 沈丁花



 アパートの建物を出たら、懐かしい匂いが鼻先を掠めた。
 前に住んでいた横浜の家の、猫の額ほどの庭には、そこら中に沈丁花の植え込みがあった。挿し木で簡単に根付くのが面白いのか、同居していた義母が、次々と増やしていった。おかげで右を向いても左を見ても、大小のこんもりした植え込みが無数にできていた。
 沈丁花は、早春のわずかに気温が緩んだ隙をみて、強い芳香を放つ。わたしはその匂いをかいだ時、今年も春が来たのだなぁと実感し、気分がウキウキと華やぐのであった。

          *

 餃子のひき肉にニラを混ぜ込む手を休めて、手を拭った。
 二間続きのアパートの、居間代わりに使っている洋間のコタツに、両手を突っ込んだまま背を丸めている夫が見えた。アルコールが回ってしまうと、切り出しにくくなる。そう思って、わたしは彼の目の前に一通の用紙を置いた。先ほどからずっとタイミングを計っていたのだ。
「ねえ、これ書いておいてね」
 できるだけ感情を抑えて、さりげなく言った。
 彼は『何?』というように振り向いたけれど、事前に話しておいたので、直に事態を呑みこんだようだ。のっそりと立ち上がって、隣の和室の鴨居をくぐった。長身の夫は、くぐる時いつも少し頭を下げる。鞄の留め金がカチっと音を立てた。多分、印鑑を取り出したのだろう。その後ろ姿をわたしはじっと見つめた。少し間をおいて彼はボールペンを握った。そして先ほどよりもっと丸く背を縮めた。急速に抜け落ちた頭髪、脂肪のついた背中、緩慢な動作には、つい数年前までの自信に満ち溢れていた、仕事人間の夫の姿はなかった。まるで別人を見ているような気がした。
 今のわたしを取り巻く環境は、一年前とは百八十度の転回だった。苦い思いが素早く脳裏を過ぎったけれど、慌ててそれを打ち消した。今更、何を思っても始まるものではなかった。
 何事もなかったように、再び長女と台所に並んで立った。
「どう?調味料は入れたの?」
 途中で交代した餃子の餡の状態をきいた。
「まだよ。待っていたの」
「母さんのは適当だから、ちゃんと見ててね」
 塩や胡椒、ごま油を目の前で、本当に好い加減にパッパと振り入れた。
「これで覚えろは厳しいな」
 そう言いながらも、彼女はかなり真剣な目つきでわたしの動きをじっと見入っている。
          *

 夫が引き起こした事件によって、わたしが別居を余儀なくされてから、すでに八ヶ月の歳月が経とうとしていた。このアパートを訪れるのも、かれこれ数ヶ月ぶりで、考えてみると去年のクリスマス以来のことだった。
 夜遅く帰宅した夫を迎えて、ようやく家族が揃った。彼は「いつもすまないね。遠くから大変だっただろ?」と、わたしに優しく労いの言葉をかけた。一見どこにでもあるような、平和でありきたりなその空気を容赦なく引き裂いて、わたしは話を一気に切り出した。

「母さん決めたからね。これからは自分の人生を歩きたいの。多くのものを父さんからもらったけれど、もう限界なのよ。今までは、父さん自身のことじゃなくて、おばあちゃんのことだったから何でも我慢できたのね。でも、どんなに考えても母さんには、今回の父さんがやったことが分からないの。悩んで苦しんだけど、多分、父さん自身も不本意なのは分かるし、今だからこそ支えてあげなきゃいけないのだと思う。だけどね、それをしようと思うと、希望が持てなくなるの。死にたくてたまらなくなっちゃうの。でも、それを実行する勇気もなくて、ただ悶々としている自分がいて、これじゃいけないと思うから、母さんは母さんの道を行こうと思っているの。だから、離婚したいと思っているんだけど」
「うん、良いと思うよ。母さんは母さんのこれからの人生があるんだから」
 長女は間髪入れず、賛成した。
「あたしも賛成」
 続けて次女が言った。
「離れてもどんな状況にあっても、みんなが好きだし家族だと信じてるよ。悪いのは、馬鹿だったのは俺なんだし、どんなに悔やんでもそれはもう取り返しのつかないことなんだ。それぞれが幸せだと思う道を選択して欲しい。俺は結果を甘んじて受けるしかないから。それにしても、母さんには本当に申し訳ないと思っているよ。ごめんよ」
 夫が深く頭をたれた。

 内心は、わたし自身も悔しかった。離婚をしようなどと考えたこともなかった。それなのに、どこかで歯車が狂った。気づかないうちに、小さな小さな穴が大きく綻んでいったのだ。
 時間がじりじりと過ぎた。午前一時が過ぎ、二時を回った。
 誰もが寝床へ移ろうとはしなかった。コタツに足を突っ込んだまま、ただじっとうなだれていた。
「明日も仕事でしょ?寝たら?」
 夫へ向かって声を掛けて、わたしはトイレへと立ち上がった。
今夜のこの流れで離婚届を書かせる勇気が、わたしにはなかった。戻ってみると、隣の和室に並べて敷かれた布団の一番端っこで鼾をかいていた。疲れてしまって、眠ること以外には楽しみがないような、それこそボロ雑巾のような眠り方だった。その寝顔を上から眺めている自分が残酷非道に思えて、胸の奥の方がひりひりと痛んだ。同時に、世界に二つとない家族だと信じて疑わなかった幸福な時期もあったことを思い、目頭に熱いものが込み上げた。
 翌朝、夫はそっと寝床を抜け出して、仕事へ出て行った。わたしは自分の体温が程よく篭った布団の中で、そのまま寝たふりを続けた。

          *

 振り浮くと、コタツの上の片隅にその用紙はきちんと畳んで置かれていた。目の端にそれを捉えながら、
「もうすぐできるけど」
 食事の支度ができたことを告げた。
 夫は嬉しそうにコタツから抜け出して、今ではテーブル代わりになっているその上に、箸や皿を並べていった。普段からそういうことをやっているのか、とても手際が良い。

 月曜日が夫の休日である。この日にあわせて、わたしは上京していた。
 今朝起きるや、みんなで箱根の温泉へ行かないかと彼は提案した。長女は、生理中なのでいやだと言った。次女は、路上教習の予約を入れているから行けないのだとやんわり断った。
 最後を穏やかに別れる手段としては良いかも知れないが、今更、家族ごっこをしても仕方がない。わたしは心のどこかでその提案を軽んじていた。
 でも、わたしが自分の気持ちをほんの数年分巻き戻せば、事態もうまい具合に戻るのかもしれない、ふいにそんな思いが脳裏を掠めた。もしかしたら、今からわたしがしようとしている行為は、わがままで利己的で、自分のことしか考えていない、とんでもなく悪意に満ち満ちたことなのかもしれない。この期に及んでもうろたえている自分のこの正体は、一体何なのだろうか。

 結局、今日という一日は、わたしが完全に離れてしまうに当たって、子供達にして欲しいことを教えるわずかな時間しか残っていなかった。温泉という夫のささやかな願いは、子供達が却下したのをこれ幸いに、あえなく消えてしまった。
 買い出しの目安や家計簿のつけ方、わたしがエクセルで作成し入力した計画表の使い方をかいつまんで教えた頃には、夕飯の時間が迫っていた。
 そして、アパートを訪問した時の恒例になっていた餃子作りが始まった。

 餃子は我が家のお袋の味として定着していた。すでに長女は何度か挑んでいたので、ほとんど教え直すこともなかったのだけれど、隠し味の使い方や秘伝なるものを、冗談を交えながら伝えた。包み方も手馴れたもので、わたしが居なくても充分の仕上がりだった。
「あなたも餃子で人を呼べるよ」
「母さんみたいにはいかないけど」
 謙遜しながらも、嬉しそうに笑った。こういう時間を、もっともっと持ってやれたら良かったと、今更ながら思った。
 半分は焼き餃子に、残り半分は茹で餃子にしてコタツの上に並べた。小さな板の上にはそれだけでいっぱいになった。
 それぞれのグラスにビールを注いだ。
「何に乾杯するの?」
 次女が場を和やかにするために茶化した。
「まぁみんなの健康にでしょ?」
 わたしは誤魔化した。あらためて、家族の再出発のような挨拶も言葉も聞きたくはなかったからだ。
 夫は一気にあおって、すぐに真っ赤になった。ユデダコのようだった。最後の晩餐だというのに、妙に嬉しそうにしていた。四人揃うことがしばらくなかったので、単純に嬉しかったのだろうけれど、わたしはすごく違和感を覚えた。彼の何かがすでに壊れている。「母さんの餃子は天下一品だ」と、うまそうに頬張る横顔を見た。それは束の間の休息であり、彼の一瞬の安堵を意味していた。

 いつだったか友人から言われたことを、突如思い出していた。
「波風の立たない何もない時には、誰でも家族でいられるんだ。だけど、何かが起こったときにこそ、家族は互いが支えあって本領を発揮するんじゃないのかなー。そうでなければ、元々家族なんていらないのさ。特に男はそのために、普段頑張っているんだからな」
 そのとおりだろう。友人の言ったことは間違っていない。わたしはその時の助言に、うんうんと深く頷いていた。
 それなのに、今、その家族から一抜けたを宣言しているのだ。自分が苦しいから、相手を許すという行為ができないでいた。この友人の言葉を何度も反芻した後に、それでもわたしは決意したのであった。

 晩年は喧嘩ばかりしていた亡き両親のことも頭に浮かんでいた。その都度、母は離婚を口にしていたけれど、最後まで添い遂げた。そして、父に先立たれた日、気丈な母は号泣した。
 夫婦のことは夫婦にしか分からない。喩え実子であっても、理解はできないということを、わたし自身は両親から学んで知っていた。

          *

 キャスターつきのスーツケースを引きながら、アパートを後にした。
 元々このアパートは、娘達とわたしが暮らすことを前提に借りたものである。今は諸事情が変わり、夫と娘達が住んでいる。結局、わたしの居場所はここにもなかった。

 どこからともなく、懐かしい香りが鼻腔をくすぐった。あ、沈丁花だ。大きく息を吸い込んで思い切り香りを楽しんだ時、家族が一つ屋根の下で暮らした、今はなき横浜の我が家の情景が浮かんだ。
 義母は「ちんちょうげ」と言った。
 わたしが「じんちょうげよ」と訂正すると、バツの悪そうな顔をした。知らん振りをすれば良いのに、つい言ってしまうのが、わたしの大人げないところであった。
 その後、義母は家を出た。数年は姑の居ない平和な日々が続いたけれど、沈丁花の咲く時期になると、毎年同じ会話を繰り返していたことが思い出された。
 義母とは、よくよく縁のない人だった。
 初対面からぎくしゃくとして、わたしを受け入れることがなかった。こうして離れてしまうと、当時の様々な仕打ち(嫁側の一方的被害者意識)も水に流れてしまった。良い思い出は稀有であったのに、時折思い出すことといえば、些細なこんな会話をしたことであった。

 振り向くと、次女がアパートの窓から手を振っていた。彼女は幼い頃から、よくそうしたものである。わたしの姿が視界から消えるまで、ガラス戸に顔を押し付けて、ずっと手を振るのである。
 坂道をほとんど下った頃、後ろから長女が追いついた。わたしが引いていたスーツケースに黙って手を伸ばした。

 次の春からは、沈丁花の香りを嗅ぐたびに、姑のことではなく、わたしの人生で一番辛かった一日として、今日のこの情景が思い出されるのだろうか。
 でも、これをどん底だと思えば、後は思い切り底を蹴って浮上するのみである。




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