殿上人日記

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2006年07月11日
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カテゴリ: 木曽より

山の歴史館10

   「木曾路はすべて山の中である。」で、始まる
   島崎藤村の「夜明け前」の舞台でもある木曽を
   語るのに、山の話は外すわけにはいかないであろう

   馬籠宿を含む木曽路が、尾張藩であると知る人は
   少ないのかもしれない。四国の香川県ほどの面積の
   ある木曽谷の大半が山林で、木曽ヒノキで有名だ

山の歴史館2


   「木一本、首ひとつ」

   尾張藩はそれを「藩有林」とし、山林の保護制度を
   うちだし、巣山(すやま)、留山(とめやま)と
   呼ぶ禁伐林を設け、住民の立ち入りを厳禁した

   また、停止木(ちょうじぼく)と称して、ヒノキ
   サワラ・ネズコ・アスヒ・コウヤマキ・ケヤキの
   六木の伐採を禁止する制度をとり、禁伐林の木を
   盗む者を「盗伐り」、停止木を伐る者を「背伐り」とし
   ヒノキ一本を盗んでも、首が飛ぶと言われたものだ

山の歴史館3

山の歴史館7
                  復元された座敷牢


   しかし、こういった巣山や留山(59箇所)は
   木曽全林からみたら1割にも満たず、これ以外の
   山林は、明山といわれ地元民に開放されていた

   地元民は、日常生活に必要な建築用材や、薪炭材
   柴草、干草、クリ・トチ・ナラの実などを採取が出来
   停止木である六木以外の木材なら、誰でも自由に
   利用する事が出来たので、木櫛・桧笠・下駄などの
   木材加工業による収入が大きく、繁栄をしたのだ


山の歴史館4

   特に奈良井・平沢・八沢(福島)といった宿場では
   尾張藩から無償で給付をされる「御免白木」と呼ぶ
   ヒノキの割材を使って、木曽谷特産の漆器の生産を
   していたそうだ

   藩による伐木に従事をする杣(そま)、日雇などの
   林業労働もあり、山奥でありながら、木曽谷の人は
   経済的に恵まれてもいた

山の歴史館5


   ところが、尾張藩が木曽山林の全てを、藩有として
   明山の利用は認めても、私有は一切許さなかった為
   明治維新後の「官民有林区分」で、尾張藩所有の
   木曽山林の大半が「官林」に移行されてしまったのだ

   明山までもが官林に指定されれば、住民の立ち入りは
   禁止され、生活の糧を失う事になってしまう・・・

山の歴史館6
              今も見かける日本カモシカ


   島崎藤村の兄であり、妻籠宿本陣の最後の当主
   島崎広助が先頭に立ち奔走をしたのだが、官林が
   天皇陛下の所有の「御料林」に指定をされた事から
   解決は難しく、御下賜金という形で収まったそうだ

山の歴史館1
                 御下賜金の記念碑もたつ         


   時代に残されたように、木曽の山間にひっそりと
   残された、手付かずの妻籠宿、奈良井宿など・・・
   私は中央線などの設置による、中山道の衰退が主原因
   かと思っていたが、豊富な恵みをもたらしてくれた
   木曽の美林を取り上げられたのもまた、木曽地域の
   衰退に、拍車をかけたのかもしれない・・・・

   東海道の保存の良い宿場町「関宿」の案内人の方から
   「どうして、こんな町並みが残ったと思う?」と聞かれ
   東海道が使われなくなったから?なんて、答えたら
   「お金が無かったから。お金があったらとっくに
   建て替えてます」って。自らも古い家に住んでるから
   説得力もあります(笑) 木曽もたぶん同じかも


山の歴史館9

   その島崎広助氏が東京に移り住んだ為、建物を壊した
   旧妻籠宿本陣跡地に 明治33年2月7日に、建てられ
   大桑・読書・吾妻・田立・湯舟沢という木曽南部全域の
   「御料林」を管轄していたレトロな明治の建物が、この
   御料局名古屋支庁妻籠出張所庁舎である

   昭和8年まで使用をしていたのだが、建物の老朽化が進み
   建て替えが決まり、希望者に払い下げられて、移築をされ
   昭和61年まで、一般の住宅として使用されていたそう


山の歴史館8

   国道交差点の改良工事のため、立ち退きを余儀なくされ
   愛知県の明治村へという話もあったが、地元の文化遺産を
   地元に残したいと、南木曽町が寄贈を受けて、解体保管
   していたものを、平成2年度の天白公園整備事業の一環で
   「山の歴史館」として、現在地に復元したものだそうだ

   昭和8年の移築時にも改造が少なく、外部内部ともに
   良く保たれており、建具なども多くは当時のままだそう


山の歴史館11

   森林鉄道を走った、当時の機関車も展示されている

         平成18年6月6日  撮影





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最終更新日  2006年07月11日 14時44分02秒
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