殿上人日記

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2019年01月01日
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カテゴリ: 名古屋より



   今日降る雪のいや重け吉事​  

天平宝字3(759)年、因幡国の庁の新年の
宴で大伴家持の歌で、彼が編纂をした万葉集の
最後を飾っているものだ




鵲(かささぎ)の渡せる橋に置く霜の
白きを見れば夜ぞ更けにける

こちらは百人一首での家持の歌で、さぞや
風雅な生活をおくっていたかと思われるが
実は宮中での権力争いに翻弄されて、地方に
飛ばされたり波乱万丈な人生であったようだ




人は誰しも順風満帆とはいかず、ドラマ
水戸黄門のオープニングの歌にあるように
人生楽ありゃ苦もあるさぁ~♪という訳で
ブログではいい事ばかり書いてるようでも
そりゃ色々ありますが、まっ成るように
成るさと開き直るお正月




昨年は、春の中津川場所で相撲の巡業を
見に出かけ、夏には名古屋場所を観戦を
しに行ったんですが、少し早めに出かけ
100円安くなった入場料で、名古屋城を
姉と見に出かけました




ここ最近は名古屋城の話題はこちらで
賑わってます。というのも太平洋戦争の
空襲で焼けてしまって、コンクリートで
天守閣を作ったんですが、それも古く
なってきたんで本格的に、木材で作ろう
って話が出てきまして




その計画されている本格的な天守閣に
エレベーターを付けるかどうかなんて
いうのももめていたら、今度は石垣が
調査が進まずに、完成が遅れるそうだ




名古屋城天守閣の石垣は、加藤清正が築き
1612年の築城当時のものが残されており
大変に貴重なものなので、その調査や保存も
慎重に行わねばならないそうだ




この大きな石は清正石といい、加藤清正が自ら
運搬の指揮を執ったというが、この石垣の施工
大名は黒田長政であったんだとか。徳川家康から
命じられ20名の助役大名らによって、名古屋城の
石垣の工事が進められたそうだ




土台となる石垣に使われた石の総数は、10万個から
20万個とも言われており、それらの石は、石崎山
篠島、幡豆(はず)をはじめとして、紀伊や讃岐
地方から集められ、まさに天下普請の名城である




尾張名古屋は城で持つとも言われる、名古屋城も
金シャチだけでなく石垣もすごい!という訳で
色々とありますが、天守閣の工事も入っており
見慣れた、このコンクリートの城ともお別れだ




城に向かう途中、何やら記念碑が
たっていた




↑ふむふむ。御三家である尾張家ですら
混とんとした幕末ともなると、このような
粛清が行われていたのか。ぶるぶるぶる~




さてさて姉と大相撲名古屋場所だけを観覧
しに名古屋に行くのも勿体ないし、会場の
横にあるのは、天守閣も見納めの名古屋城
その本丸御殿が完成したというので、これは
見に行かねば!と出かけた次第だ




三期にわかれ10年にも及んだ本丸御殿の
復元計画であったが、昨年6月8日に遂に
完成。新たに公開をされる湯殿書院と黒木
書院は廊下も狭いというので整理券を配布
しての時間制限によるものだった




ちょうど良い時間に整理券を受け取れて
数分程で、内部を見る事になりラッキー
ちょっと前に作られた手前の建物に比べ
奥の真新しい部分は、やっぱピッカピカ




木曽ヒノキをふんだんに使って、当時の
書面などを参考に本格的に復元をされた
真新しい本丸御殿の奥には、お役御免と
なった天守閣。数年後にはどんな姿を
見せてくれるのだろう




本丸御殿の他の殿舎が総檜造りであるのに
対して、松材が使われていたので黒木書院と
呼ばれ、清州城内にあった家康の宿舎を移築
したものと伝わる




襖絵も色味を落とした水墨画が描かれており
山水図、四季耕作図、梅花雉子小禽図という
モチーフだそうだ




これでもかと葵の御紋の入った
煌びやかな装飾




小さな細工一つでも、丁寧な仕事をされて
いるもんだなぁ~




将軍専用の湯殿と、上段之間、一之間、二之間
からなるお風呂場で、上洛殿とともに寛永期に
増築をされたそうだ




お風呂と言っても、今のように湯船ではなくって
外にある釜で湯を沸かし、その湯気を内部に引き
込んだサウナ式の蒸風呂である




寛永11(1634)年に、三代将軍の徳川家光の
上洛に備えて、上洛殿や湯殿などが新らたに
作られたそうだが




実際に藩主は二の丸御殿に、元和6(1970)年
から住んでおり、本丸御殿は徳川将軍が京都へ上洛
する際に利用をしただけで、実際に利用をしたのも
二代秀忠、三代家光、十四代家茂だけであった




徳川将軍の御成御殿であったので、その格式は
二条城本丸御殿に匹敵した作りであり、たとえ
尾張藩主でも、巡覧時のみに立ち入る事が出来
尾張藩士も警備と手入れのみを行っていた




流石に天下の名城だけに、金シャチ、石垣
以外も見るべきものがあったのか




そのような他に類のないような本丸御殿
復元にあたっては、かなりの工夫と努力
なども要された事だろう




廊下ですら、この細工の美しさ。やっぱ
木造家屋、建具は繊細で美しい。天守も
楽しみだ




天守ともども名古屋大空襲で焼失をして
しまった本丸御殿であるが、それを飾る
煌びやかな襖絵や天井板絵などで、取り
外せるものは、他所に移され無事であった




それらは、今も大切に保管をされており
そのうちの1,047面が国の重要文化財の
指定を受けているそうだ。とは言っても
保存上の問題もあるので、この復興した
御殿を飾るものは、どれも新たに作られた
ものばかりで




狩野派の絵師らが全精力を注いで描いた
障壁画を、忠実に現代に蘇させる為にと
顕微鏡やコンピュータ分析がされ、その
当時の絵師が使っていた素材や技法を
用い再現をされている




江戸からやってきた将軍一行が見つめた景色を
一般庶民のわれわれが眺める事が出来るのは
いかに贅沢な事だろうか




江戸期には広間と呼ばれ、武家の儀礼上で最も
主要な正式の対面に用いられたのが表書院で
その権力を、下位の者に知らしめる表向きの
謁見に用いられていた




画題は花鳥や走獣画で、技法としては金地
濃彩画となっている




藩主が身内などの親しい者たちと対面したり
宴席を開いていた対面所は、穏やかな筆致で
庶民の暮らしが描かれた「風俗図」となって
いる




紹介が遅れたが一番最初のキンキラ金の虎だか
豹の絵は、通称を虎の間とも呼ばれ本丸御殿の
正式な玄関で、ここに通されて藩主の謁見を
待つ者は、異国の霊獣であった虎の群れに
圧倒されるという趣向です




描かれた当時は本物の虎や豹を見る事は出来ず
書物や毛皮などを参考に描かれたそうだ。更に
豹は雌の虎と思われていたらしい




廊下もまたキンピカと眩い「鷺之廊下(さぎの
ろうか)」は、対面所と上洛殿を結ぶ廊下で
名の通り鷺が描かれている




今の技術であれば金箔ももっと美しく
貼れるのを、制作された江戸期の技術に
のっとって、四角い継ぎ目が再現されて
いるそうだ




それにしても、このような江戸の技術を
再現出来た事は、現代を生きる伝統技術
後継者にも良い経験であった事だろう




幾ら頭でわかっていても、実際にそれを
制作してみないと腕も磨けない。名古屋城
天守も伝統技術継承の為にも、本格的に
木造で、当時の技術を現代に再現をして
欲しいし




大変に申し訳ないがエレベーターは設置の
必要はないようにも思える。海外からの
お客様や、将来の子供たちの為に残すと
いった意味でも、忠実に作ってほしいのだ




観光面では痛手かもしれないが、しかし
現存する姫路城や二条城よりも素晴らしい
とも言われていた天下の名古屋城だから
こそ、格式を持つ本格的な城であって欲しい




より一層、煌びやかな天井画も描かれて
いるのが、将軍家光が上洛する時の為に
新築をされた上洛殿だ




この細工の素晴らしさに羽目を見張る
ばかりだ




本丸御殿の中でも最も豪奢な上洛殿の
障壁画は、将軍御座所として格の高さを
重んじ、狩野派の最高技法の水墨画が
選択された




その筆者は、当時三十三歳の狩野探幽で
当時、大人気の最高の絵師であった。その
中でも一の間には中国明代に編述された
中国皇帝の政治を絵画化し、江戸幕府
将軍や大名の行動規範となる「帝艦図」が
描かれている




京都の二条城を彷彿させる、この彫刻欄間は
最大で幅324センチ、高さ140センチ、
厚さ27センチ。富山県南砺市の井波彫刻で
透かし彫りの手法で作られ、京都の職人により
金や極彩色で彩られた




更に南砺市五箇山産コウゾを素材とした和紙
「悠久紙」が、襖の下貼りなどに活用をされて
いるんだとか。金シャチの乗った天守閣は当分
見れないかもしれないが




この素晴らしい本丸御殿は、是非、その目で見て
いただきたい。名古屋城の別名は金鯱城(きんこ
じょう、きんしゃちじょう)もしくは 金城と言う
正月のめでたいブログ日記のテーマと致しました




        平成30年7月21時日に名古屋城で撮影

        1年間お付き合いありがとうございました
        今年もまたよろしくお願いします

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最終更新日  2019年01月01日 00時01分06秒
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