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こんばんは!ルミルミです久々の更新になりました毎日暑い日が続きます皆さんお元気ですか今日はフレンチ行ってきましたとっても美味しかったですよ先日両親を連れてマカオにも行ってきました昔香港からマカオに3回行ったことがあるのですがショボイカジノ場で真剣に賭け事をする中国人とポルトガル風情の静かな街だったのが今や東洋のラスベガスに変身憧れの巨大ホテルヴェネチアンホテルに泊まりました全室スイートルーム豪華な内装・ラスベガスみたいな機械音のない静かなカジノ場絵画の天井ヴェネチアの町並み2階には川が流れゴンドラがシルクドソレイユのショーイベントで防寒服を着て氷の世界へ氷のバーさすがにー15度だったので飲めませんでしたとっても楽しかったので又行きたいです
2011年07月12日
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こんばんは!ルミルミです今日はお花見なにわ探検クルーズに行ってきました落語家の案内でとっても楽しかったですお弁当を食べながら飲みながらクルーズしました川からのお花見はまた格別で美しかったですマンハッタンに見えるのは私だけ※ニューヨークには安い時期に5回行っています 最近は韓国だけですね
2011年04月07日
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こんばんは!ルミルミです久々の更新になりますその間に大変な地震と津波と原発漏れ過去の阪神淡路大震災をはるかに上回る大惨事になってしまいました3万人近くの亡くなった皆様のご冥福をお祈りするとともに早く復興されますように応援しますね義援金は多くは出せないのでそのかわり献血には参加しますね今日は京都醍醐寺の枝垂れ桜を見にいきました普通の桜は五部咲きでしたが枝垂れ桜は満開豊臣家の家紋の「五七の桐」が仮囲いにも施されていましたよ明後日は親と一緒にお花見リバークルーズに行ってきます案内人が落語家なのでとっても楽しみです
2011年04月05日
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明けましておめでとうございます本年もどうぞよろしくお願い申しあげます今年も仕事に遊びに全力投球しますね皆様にとって素晴らしい年になりますようにお祈りします
2010年12月31日
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札幌大通り公園こんばんは!ルミルミです年末になりました年賀状もやっと書きました後はおおそうじホワイトクリスマスも終わってしまいましたが先日両親と一緒に行った札幌・小樽・函館の画像を載せますね-7度の寒さに雪何回も滑ってこけてまるでスキーに来たようなでも夜景は綺麗でしたよ小樽運河大沼国立公園旧函館区公会堂~明治43年(1910)に建てられたルネサンス風の木造建築で、シンメトリーの美しいバランスを保っていますロマンチックな元町津軽海峡冬景色~♪日本最後の内戦「箱館戦争」の舞台となった五稜郭
2010年12月28日
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こんばんは!ルミルミですめっきり寒くなってきましたねあほなので風邪はひかないのですが会社でインフルエンザの予防摂取があるみたいなので一応受けてみます~皆様も風邪には気をつけてくださいね昨日は奈良の最後の紅葉見学に行ってきました長谷寺~まずは仁王門をくぐります。立派な金剛力士像がいらっしゃいました。長谷寺の登廊は長いことで有名です。399段もあるそうです。登廊は長い階段ですが、一点透視図法の絵画の中の主人公になったようで楽しむことができます。まったけご飯・三輪そうめんの昼食~美味しかったです次に談山神社へ~大化の改新でお馴染みの中大兄皇子、中臣鎌足が日本の将来について語りあったといわれる談い(かたらい)山がすぐ後ろにありその頂上には大化の改新の談合の碑が立っています。談山神社という名前はここからきているようですね蹴鞠が行われる広場のすぐ後ろに十三重塔があるのですが、これは鎌足の死後、摂津阿威山に葬られていた亡骸をここ、多武峰に移して建てられたお墓で、678年に完成しました。1520年に建てられたこの拝殿の中には、鎌足公の描かれた多武峰マンダラがあり一見の価値ありです。秋の紅葉を眺めながら、という歴史のロマンに触れてみるのは結構いいものです。考えてみれば、このひっそりとした山奥から日本の近代化がスタートしたのは不思議な感じがしますね再来週は北海道(札幌・函館)でクリスマスイルミネーションを見に行ってきますね~
2010年12月01日
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1日中スッキリしたい方!今なら、楽天スーパーポイント250ポイントプレゼント中!こんばんは!ルミルミです実は健康食品マニアの私です~毎日タウリン・ビオチン等8種類飲んでいます毎日CADとかで1日中目を酷使しているのでこのブルーベリー&メグスリノ木セットを1日3錠飲んでいますおかげで目のトラブルもなく1日中スッキリ疲れにくくなってきていますよ成分はブルーベリーとメグスリノ木以外にはDHA・EPAも含まれていて頭も良くなりそうブルベリージャムは毎日ヨーグルトに入れて食べていますが、目に効果あるほど摂取するには大変やはり成分が凝縮された錠剤が効果的ですね♪紫色の色素アントシア二ンが目を優しく保護してくれるしメグスリノ木はその名の通り目薬の役目を担っているみたいです毎日パソコンに向かっている人の常備薬かも~この本の内容というと~人間に一番近いゴリラは果物を食べて生きているのに体格も良く病気にもならないことから朝は果物のみ食べて、フルーツに続いて体に良い食品は新鮮な野菜、ナッツ類、植物の種、穀物、シリアル乳製品・肉・魚は毒だそうです朝だけフルーツのみ2週間で2KG痩せましたこの調子であと3KG痩せれればいいな~
2010年11月02日
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川西能勢口駅鶯の森駅こんばんは!ルミルミですひいらぎさんの嬉しいご要望に答えまして私の設計の中の最高傑作(たいした作品ではないですが)阪急川西能勢口駅の写真を急遽ネットから探して載せましたこの頃アルミパネル等の金属に凝っていまして実際どれぐらいの大きさが適当なのかを調べる為に模型を作成したりしました約2M角のパネルで構成されていてアクセントに三角・半円の化粧柱等を添えています。ひとつのパネルに4隅に化粧ボルトをつける予定でしたがお金とさびを考えて結局四隅にボルト風にアルミを打ち出しましたなんせ一枚一枚のパネルが10万円以上するのですからねそれと小さい駅ですが鶯の森駅も設計しましたこれは元設計ではガラス張りのカッコイイのを提案したのですが。。。予算の関係で無難なものとなりました今はたいした物件は扱っていないので。。。また夢のあるような建築物を設計したいですねSOUL ROOM~恐れるものは何もない~ 私たちの「生命(いのち)」は死ぬことはありません。簡単に言ってしまえば「永遠」なのです。これは単に時間的スケールだけの話ではありません。限りが無いくらいいつまでも続くと考えてもいいのですが、それよりも大きなサイクルの中でまた元に戻ってくる為に終わりが無いと考えても良いようです。 人間は死んでも3次元的な肉体を捨てるだけで、自分自身のアイデンティティを持ったまま存在を続けます。それで多くの場合また生まれ変わって3次元の世界に戻ってきます。それを何度も何度も繰り返します。もちろん輪廻転生のことなのですが、これも実際は私たちの考えているものより、もっとずっと大きなサイクルの一環(プロセス)でしかないのです。 要するに、私たちの生命(いのち)は死なないのです。たとえ肉体が死んでもそれはただ形を変えただけのことに過ぎないのです肉体の死というものは、それだけのことなのです。死によって親しい人としばらく離れ離れになることは悲しいことではありますが、それでさえ逝った人にとってはいつでも残った人を感じることが出来るのでそれほどの悲しみではありません。 話がそれますが、私たちの日常会話で怖い思いをしても、「命までとられることは無いんだから」というような言い方をします。通常では一番怖いことは死ぬことなのです。でもそれさえもたいしたことでは無いと判った時、怖いものがあるのでしょうか? 人によっては、「恥をかくことが死ぬより怖い」と思う人もいるでしょう。なかには「人間として完璧でないのは死ぬほど嫌だ。」という人もいるかも知れません。そんな人は自分の別な人生を想像してみると良いのです。何回も人生を繰り返す間に間違いを犯さなかったでしょうか、失敗をしなかったでしょうか、そして来世以降の人生はどんなでしょうか。じつは失敗しないということはありえないのです。全ての経験をすることを「魂」は望んでいるのですから、失敗も重要なプロセスの一環なのです。かりに今生(今回の人生)でとんでもない恥をかいたとして、それがいったい何になるのでしょうか、残るのはその人のだけ経験なのです。他のものは何も意味が無くなるのです。変な言い方なのですが、自分の中に残るのは自分の経験だけなのです。他の人の経験はその人の中には残らないのです。もし貴方がとんでもない失敗をしたとしても、それは貴方の経験として残るけれど、他の人の経験ではないのですから何も残らないのです。 「旅の恥はかき捨て」ということわざがありますが、これは良く言ったものです。私たちは非常に長い旅をしています。いつまでたっても旅が続くのです。少々の失敗など気にすることはありません。そもそも恥のかき捨ても必要なことなのですから失敗を恐れることは無いのです。 ひとつ大きな問題があります。この世の中の根本的な原則として、恐れているものを引き寄せるという現象がおこります。この現象の場合は、原因が恐れだけなので、その他の意味を持たない可能性が多いのです。要するに不必要な不幸を呼んでしまうということです。要するに怖いことは「恐れる」ことなのです。まるで言葉遊びのようになってしまいますが、だからこそ「恐れるものは何も無い」と考える必要があるのです。そう考えている限り、本当に恐れるものは何もなくなるのです。また愛の対極にあるものとして、不安と恐怖があります。これはとっても大事な要素なのです。まず自分が愛を感じようとしたら、自分の中にある不安をなくさなければなりません。自分の中の不安を解決できたら、たぶん自分を愛することが出来るようになります。自分を愛せないでいて何で人を愛せるでしょうか? とにかくまずはじめは、「恐れるものは何も無い」というのが、愛のスタートかもしれません。
2010年10月24日
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朝顔のアーチを抜けると~夢コスモスこんばんは!ルミルミです厳しかった残暑も終わりを見せたこの季節亀岡運動公園の横にある「夢コスモス園」に行ってきました白・ピンク・黄色などのコスモスが植えられた園内はまるでピンクの絨毯のような光景です。とっても素敵でしたよ美味しいステーキを食べました~幸せ亀岡の道の駅設計は、「池原義郎」さんです。私の知る限りでは、西武ドームやプリンスホテルなど西武系の建築が多く、公共建築でも比較的インパクトの強い作品が多い建築家です。私も駅を設計したことがあるのですこの作品の足元にも及びませんが。。阪急電鉄の川西能勢口駅です機会があったら見てくださいね
2010年10月19日
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こんばんは!ルミルミです昨日は京都宇治の方に観光に行ってきましたそして記念すべき~昨晩は澄んだ秋空に昇るこの丸い月中秋の名月デジカメではうまく撮影できませんでしたが美しかったですね~宇治といえば宇治茶スイーツ大変甘くてでも美味しかったです源氏物語の舞台~宇治この静謐の地で繰り広げられる壮大なロマン薫の君・匂宮の2人の男君と宇治の三姉妹の恋愛模様を思い浮かべながら宇治川の流れを見ているだけで心が落ち着きますねちなみに霊能者のどんちゃんに聞いた私が今まで転生してきた中で一番落ち着けた場所は南フランスの山奥で生まれた時だったそうです夜も深まり屋形船にのって女性の鵜匠による鵜飼へ~鵜が川の中に魚をとりにもぐっていく様子が、観覧船の目の前で繰り広げられます たいまつの明かりが、自然のやさしい明かりでまた最高パチパチと音も聞こえる勢いです鵜は何度も何度も川の中に一瞬でもぐってしばらくするとバシャッという感じで川面に姿を現しますそれを鵜匠が引き寄せのどの鮎を吐き出させますうーん言葉ではなかなか言い表せない感動がありましたよ鵜にも触れたしこれはもう船の中でしか味わえない楽しさがいっぱいって感じでした
2010年09月23日
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こんばんは!ルミルミです暑い日が続きますね皆様熱中症に気をつけて適当にお仕事頑張ってくださいね先日生野銀山に行ってきました石見銀山は最近ツアーにあるので知っていましたがこの生野銀山は知らなかったです調べてみると。。。生野銀山は平安時代初期の大同2年(807年)の開坑と伝えられるが、詳細は不明。天文11年(1542年)、但馬国守護大名・山名祐豊により、石見銀山から採掘・精錬技術を導入し、本格的な採掘が始まった。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といった時の権力者は直轄地とし、佐渡金山、石見銀山とともに重要な財源とした。(銀山旧記には、“銀の出ること土砂のごとし”と記されている)なるほど~日本有数の銀山らしいです長い坑内に入るとなんと13度はじめ凍えるかと思いましたが真夏にはとっておきの自然の避暑地かも~とっても楽しかったですそして夕方は和田山の花火へここは田舎なのでそんなに人も多くなくのんびりと夏の夜空を彩る花火の饗宴を楽しむ事ができました~
2010年08月31日
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残暑お見舞い申し上げますちゅ~ハッピーこんばんは!ルミルミですお盆休みもあと1日皆様楽しく遊びましたか~私は海外に行きたかったのですが~叶わず近場で遊びましたよまず久々の金閣寺へ~黄金に輝くお寺ここは極楽浄土をこの世に現したと言われているらしいですまさに人間の欲望の形ですね次の日はおとなしくお家のサッシュの外部おそうじその次の日は日帰りツアーでまず最初に神戸の異人館によって(異人館は見ずにタイ料理へ))久々のヒットトムヤンクン・レッドカレー・ヤムウンセン(はるさめサラダ)とっても美味しかったですただ残念だったのはバスが停車した場所が神戸の北野工房だったのですが昔その中のアイスクリーム屋の内装を設計したのですが数年前には営業していたのに他のお店に変わっていました大変ショックでした次は神戸長田の鉄人28号地震復興町興しの為らしいです思っていたのより大きいのでびっくりしました人気のホワイトタイガー最後を飾るのは姫路セントラルパークの花火とナイトサファリ夜の動物も面白かったです
2010年08月14日
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ジャングル温泉こんばんは!ルミルミです久々の更新になってしまいました猛暑が続きますが皆様お元気でしょうか先日両親を連れてカラオケの愉快リゾートの南紀勝浦温泉越の湯に行ってきましたこの旅館はかなり古くて愉快リゾートに安く買収されましたが昔は天皇も泊まられた言う名門の温泉だったそうですその面影は海を見渡す好立地や庭園の美しさに見出すことができます残念ながら今は食事はバイキング・カラオケボックスの付いたカラオケジャンカラの1旅館ですがゆったり過ごせて楽しかったですよそして昨日は日本海に海水浴に行ってきました月曜日なのに夏休みだからか人が一杯海は大好きなのでとっても楽しかったですただビーチなのでお魚さんに会うことができませんでしたところで10月に1級建築施工監理士の試験を受けるので(受かると報奨金20万が出る予定なので。。不純な動機)家ではなかなか勉強しないので中ノ島の図書館で勉強していますこの建物は重要文化財に指定されていて地震の対策として後から建物を持ち上げて免震ゴムを基礎に取り付けたそうです古建築の歴史漂う静寂さと空間が好きですこの試験の難しさは一次試験は1級建築士を持っているので免除ですが2次試験の実施試験が択一問題ではなくて記述式なので正確に覚えなくてはいけないので(漢字も書けない。。)大変ですが頑張りますね
2010年08月03日
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あいにくの干潮時で潮干狩りをしていました奈良の鹿と違っておとなしく可愛いこんばんは!ルミルミです 先週広島岡山の方へ遊びに行ってきました広島市内・宮島・鷲羽温泉ととっても楽しかったですよきゃべつ・もやし一杯の広島焼き~美味しいです 名物あなご丼夕日の美しい温泉お料理はどれも美味しかったです
2010年06月06日
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こんにちは!ルミルミです今日は遅らせながら母の日のプレゼントを贈りますスワロフスキーのイヤリングですが先日買ったスワロの金魚のモチーフのバングルを気に入っていて会社につけて行ったのですが金魚のしっぽの部分がいつのまに取れて無くてしまって ショップに持っていくと新品にと交換してくれたのですやはりブランド物は違うと気を良くして母の日と母の誕生日用とセットで購入しました最近母親は何でも買ってくれるのでいい年して買ってもらうのは悪いと思いながら結局はシャネルとかたくさん買ってもらっていますGWの続きでボタン園も行きました優雅で綺麗でしたよ美味しい料理を食べてショーパブへそこは身長180Cm級のおかまを揃えていてママ曰く同じ整形病院に行っているので皆同じ顔らしいですが近づくと大きくて怖いですがショー映えしてカッコイイです人気NO1もえちゃん私も若い頃に整形すればよかったと言っている鶴太郎に似たママお友達はオカマにチップを1万渡していましたキモいおかま好きでもおかまに負けたらアカンね
2010年05月10日
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奈良大極殿 こんにちは!ルミルミです皆様連休はどうお過ごしでしたか?私は海外旅行に行きたかったのですが連休は高いし毎日日帰りで遊びました先ず初日に平城京跡再建大極殿を見学しあまり見るものがなかったので京都へ穏やかな流れの加茂川かに道楽で食べました~最高私の好きな建築家高松 新の建物を見つけました私も真似して金属張りの建築物を設計したものです美味しいデザート次の日はりんくうアウトレットでお買い物とポルトヨーロッパで花火大会でしたお昼は食べ放題デザートも食べ放題でした夜は黒潮市場でバーべキュー~美味しかった美しい夕日を眺め音楽に合わせての花火大会でとっても綺麗でしたよ次の日は丹波の方へるり渓へ
2010年05月05日
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こんばんは!ルミルミです日曜日もお休みが取れたので 阪神競馬場行ってきましたあまり当たりませんでしたが楽しかったです700万の夢の馬券が出ていましたよ梅田にある あらうま堂のラーメン・餃子食べました醤油味こってり豚骨ラーメンでとっても美味しいですよ最後につい欲しかったスワロフスキーの新作のネックレスとバングルをとうとう買ってしまいました金魚のモチーフでとっても可愛いですがお値段は可愛くないです残業も出来なくなったしアルバイトしようかな~
2010年04月19日
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寝不足は美容の大敵よこんばんは!ルミルミです今週はシャッターアイランド見てきましたこの映画ももう一つでしたねいなくなった女性はほとんど関係なくてネタバレになりますが犯人は自分だったみたいな~見に行く予定だった人ごめんなさいねそのあとマタマタあの上品な串かつ屋へ~好きだったら全部食べたらいいやん~の甘い言葉に38種類の串かつ32本食べてギブアップ私はギャル曽根か~それからお寿司を食べに行きましたが私皆美味しそうに食べているのに私は大トロとあわびしか食べられませんでした~残念次回はアリスインワンダーランドに期待します
2010年04月14日
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こんばんは!ルミルミです久々の更新です会社の業績悪化で今年の新入社員は100人です(毎年千人)その一人の女の子が明日から同じ部署にきますよ福岡大学の建築科卒で優秀ですとっても楽しみです~月曜に東京に行ってきましたお気に入りの渋谷109はいつも凄い人とっても楽しいファッションビルです~原宿も凄い人先日芸能人が来て人が殺到して転倒騒動が合ったそうで警官が見張っていました東京にも韓国人街があって焼肉を食べました~美味しかった今日は美味しい串かつを食べて(お気に入りのお店「活」)ライアーゲームファイナルステージ見ました面白かったけれどドラマと同じ感じでした最後はお花見です~とっても綺麗でした
2010年04月07日
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こんばんは!ルミルミです今日はハッピーちゃんのお誕生日です満8歳になりましたハッピーちゃんは熟女ですね元気で長生きしてもらいたいです~あんみつとアイス抹茶ティ食べましたとっても美味しかったです~
2010年03月10日
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こんにちは!ルミルミですのど黒飴食べて~トドクロちゃんお弁当セット当たりましたお弁当箱・おはし・ステンレスボトルもついてます私でも当たるぐらいですから欲しい方は応募してみてねハッピーちゃんも欲しがっていますハッピーちゃんはダイエットして3Kg(人間にしたら15Kg)痩せて快活になりましたなになに飼い主も痩せろってインテリアはアリスの世界~綺麗ですお誕生日プレート先日父親のお誕生日会を幻想の国のアリスというお店でしました~店内は少し暗いのですがアリスのイメージのインテリアで幻想的で楽しく女の子に人気のお店でお客はほとんど女性です最後はお店のアリス達によるバースディソングで盛り上がり父親も喜んでいました~そして日曜日は雨にもめげず久々に京都競馬場に行ってきました新聞紙を敷いて予想しているおばあさんに自分の未来を予想してしまいましたが楽しかったです~始め当たったのでシート席に行きましたが席で飲みすぎて全然当たらず最後はやはりオケラ道を帰ることとなりました暖かくなったら又挑戦したいです~
2010年01月30日
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こんばんは!ルミルミです久々の更新となりました毎日寒いので夏の女としては困りますせっかくお正月に芦原温泉で癒したのにもう会社の人に引き摺りまわされて身も心もボロボロ~冗談ですが新年会とかで飲み食べすぎています。。。それは日常でした会社も不況のど真中建築士の資格を持っていない人は他の部署に飛ばされてでもなるようにしかならないので明るく楽しみますね~阪神百貨店で駅弁フェアーを開催していてグルメのお友達がブリかま弁当が美味しいよの一言で買ってきました骨も柔らかくて全部食べれてとっても美味しかったです~とっても幸せ美味しいものを食べると元気がでますね
2010年01月24日
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新年明けましておめでとうございます本年もどうぞよろしくお願いします新しい年の幕開けですね今年もグルメと旅行を糧に修行に励みます~さっそく2・3日は福井の芦原温泉へ日本海のカニを食べに行ってきます~皆様もゆっくりとお正月を楽しんでくださいねSOUL ROOM~人生の苦難~今回は人生での苦難について書くのですが、もちろんこのテーマの答えは一つではありません。これは理解の程度によるものだけではなく、視点の違いによりいくつかの解があると思われます。今回は「人間は何故人生において苦難の道を歩かなければならないのかと言うことです。 まず最初に書いておかなければならないことは、人間はたいへんな思いをしないと成長できないと言うことです。もちろんこれは一生懸命勉強しなければ成長しないよという意味ではありません。もちろん努力は大切なことだと思いますが、努力が成長の条件ではないと言うことです。言いたいことは、自分では苦難だと感じるような人生の出来事、苦労、精神的な苦悩のようなものがないと成長できないということです。簡単に言ってしまえば、人間は楽な思いをしているときにはなかなか真の気づきには到達できないと言うことです。とまあ、ここまでは当たり前のことですよね。 さて問題は人間の表面の意識では困難を望んでいるわけではないのですが、実際にはいろいろな困難がやってきます。もちろんこれは魂が成長を望んでいるからなのです。このような困難は自分で作り出している場合もあるし、他の人が作り出した困難の原因を受け入れることで現実(3次元世界)のものとなります。もしも他の人が困難の原因を作り出したとしても、魂がそれを拒否したらそれはその人にとって現実のものにはならないのです。このことを別な言い方でいうと、全ての困難は、自分の成長の為に魂が用意したものであると言うことになります。 ついでに書いておくと、なぜわざわざ困難を作り出してまで成長しなければ成らないのでしょうか?この答えは簡単です。成長することが最も楽しいことだからなのです。たとえば現世側の人間がとりあえず幸せでたいした不満もなく普通に生活をしていたとします。そういう生活はその人間にとって幸福(現世的な意味)ではあっても魂にとっては退屈極まりないものであるのです。(ちょっと極端な言い方です) その人間が現世的な幸福の中でもそれなりの成長を続けているのなら魂も待っているでしょうが、そうでない場合、魂は成長の為に必要な困難を用意するのです。 ついでのついでですが、魂が用意した困難は自分のことを一番良く知っている自分が作り出した困難なのですから、当然その問題を乗り越えることが出来る難易度になっています。ここで乗り越えると書いたのには意味があります。問題(困難)を解決するというのではありません。問題の解決と乗り越えることは違います。困難を受け入れ、必要な気づきを得ることによって、成長することが乗り越えることになります。現実的に何か困難を解決したとしてもそこから得るものがなければ、そのテーマを乗り越えたことにはなりません。その場合また同じような困難が続くことになるでしょう。 さてある意味こちらの方が本題なのですが、視点を変えて魂(霊)の成長の必要性について考えて見ます。 こちらの世界ではいろいろと危険なものがあります。たとえば子供が崖の上で遊んでいたとすると、「そこで遊ぶのは危ないからだめだよ」と注意されることになります。その子供は危険なものに近づいてはいけないということを学習しなければなりません。言い方をかえると何が危険であるのかを学ぶと言うことです。そしてそのようなことを教える場合、何々をしてはいけませんよ。と言う様な言い方になります。その前提としては危険なものがすでにそこに存在していて、その為にどうしなければいけないという答えを教わるという形になるのです。 一方で霊魂の世界ではどのようになるでしょうか?まず危険なものがあるのか無いのかということで考えると、危険なものはそこには無いということになります。しかしだからといって、危険というものが無いというわけではありません。それは危険な行為(意識)というかたちで存在します。この世の大原則では自分が送り出したエネルギーはそのまま自分のもとに返ってくるというのがあります。ですからもしも霊魂が攻撃的で危険なエネルギーを発散していたらどうなるでしょうか? 当然の結果として、苦しむのは自分自身なのです。また同じことなのですが、自分の創造力で自分自身を苦しめる危険なものを作ってしまうことも考えられます。言い方を変えると、危険なのは自分自身しかないということになるのです。霊魂はその成長の程度によって活動範囲が決まってくるようなのです。実際にはその世界の摂理によってその様になっているのですが、見かたによってはそれはその霊魂の為でもあるのです。そしてその未熟な霊魂が成長する為に必要な制限された場所のひとつとして、この地球があるのです。 ですから、地球にいる霊魂(私たちのこと)は、そこから抜け出す為にも成長しなければ成らないのです。自分を苦しめるのは自分であるということなどを体験を通して理解する必要があるのです。もちろんそれ以外にも理解することが必要なことはたくさんあるのでしょう。ここで大事なことは、こちらの世界のように危険なものがあるわけではなく、自分で作ってしまうのですから、表面的に何々は危険だ何々をやってはいけない、などとその答えだけを教える訳にはいかないのです。自分が自らを傷つけないレベルに達していないと成らないのです。そのレベルが上がることにより、今までいけなかったところにも行けるようになるし、今まで以上の能力も手に入れられるのです。そうなる為にも人生において様々な課題を乗り越えていかなければ成らないのです。もちろんいつまでもそのままでいても良いんですけど、それではあまりに退屈すぎてしまうでしょう、成長する喜びを放棄することなど、どの魂も考えもしないでしょうから。 あらためて書きます。いろいろな苦難は成長の為にあります。それは貴方の魂でさえまだ行ったことのないすばらしい世界への切符なのです。苦難を祝福するというのはこういうところから出てくるのです。 とは言いながらも、私個人の自意識としては出来るなら苦難はさけて通りたいものです。出来るだけ早いタイミングで苦難の意味を見つけて次に進みたいものです。同じ種類の苦難を何度も味わうのはどう考えてもやりきれないですから。
2009年12月30日
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こんばんは!ルミルミですやっとお正月休みに入りましたお尻丸出し等の恐ろしい忘年会も終えてあとは大嫌いな大掃除ですね忘年会のひとつに仕事先の女性と会社の若い男性(スポンサー用)と焼肉・カラオケに行って終電に向かっているとその女性がもう電車間に合わない・・・・始発に乗ろう~えっえ~まじっすか~と言うわけで朝まで遊びました次の日は死んでいました昨日は有名なねぎ焼き山本でねぎ焼き・お好み焼き・焼きそば・トンぺい焼きを食べてチョー満足~美味しかったです今日は人気のアバターを見に行きました最後の30分は圧巻3D映画で面白かったです~明日は妹とショッピング&グルメいつ大掃除するの~
2009年12月20日
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大好きな金目鯛の煮付けこんばんは!ルミルミです久々の更新になりましたかなり寒くなってきました会社には忙しい時にあえてインフルエンザになって1週間も休む人がいますいい度胸していますお陰でとっても忙しいし、残業はあまりするなと言われるし熱が出そうでしたが出ませんでしたそれを癒すために伊東にある温泉に行ってきました先ずおさしみに大好きな金目鯛の煮付けに満足旅館に行く前に大好きなケーキを買って行ったのが不幸の始まりでしたケーキ3つを食べてしまったために旅館の美味しそうなフルコースをほとんど残してしまいましたやはりデザートは食後ですね温泉はとっても気持ちよかったです~翌日のお昼は焼き鳥に釜飯とっても美味しかった~幸せでした後お仕事はもう少し頑張って今週から忘年会のオンパレードが待ち受けていますボーナスもカットされて会社も危ういですが頑張るしかないですね
2009年12月13日
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こんばんは!ルミルミです久々の更新です~ビリーのブートキャンプもコアリズムも楽しいけれどあまり特効性がないのでもっとハードで特効性があるというしかもマドンナのパーソナルトレーナーもしてるトレーシー・メゾットのエクササイズの3枚組ネットで注文しましたこれは効果あるかも~それと近所(歩いて1分)にあるボクシングジムに通うことにしましたついにボクサーに転身かマタマタDDハウスにある竹取百物語に行ってきました竹を割った席を取ることができ楽しかったですそしてショットバーで巨峰入りシャンパンや色々たくさん飲みました酔っ払いました
2009年11月02日
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こんばんは!ルミルミです西梅田に去年できた34階のブリーゼタワーに行ってきましたブリーゼタワーは、産経新聞大阪本社が入居しサンケイホールが併設された大阪サンケイビル(1952年建設)を、隣接する島津ビルとともに建て替える「西梅田プロジェクト」によって、総事業費約270億円をかけて建設された建築デザインはドイツ人建築家のクリストフ・インゲンホーフェン、照明デザインは石井幹子が担当している。建物名称の「ブリーゼ」は英語でそよ風を意味するbreezeをもとにした造語。ダブルスキンファサード(最近はカーテンウォールと言わないんだ)という全面外装のガラス構造を採用し、風による自然換気が行われることから命名された。6・7階33階がレストラン街になっていて33階のイタメシで食事しましたたぶん夜景は素晴らしいと思いますよ昨日は飲み会で美人鍋を食べましたが・・・飲み放題もあって今日体重計ったら1KG増えていましたデブ鍋に改名したほうがいいのではSOUL ROOM~私達の魂~何回の書いていますが重要なので読んでくださいね私たちが生活していくうえで直接考えたりしていることは、人間としての本能(この多くは防衛本能)と社会的な通念や教育に大きな影響を受けて形成されています。私はこの部分の意識を自意識と呼んでいるのですが、これに対して潜在意識とか、無意識とか、深層心理とか色々な区切り方をした言葉が存在しています。 簡単に言うと、私たちが直接自覚できる「自意識」と比べるとはるかに大きな意識が存在していて、私達の表面的な「自意識」はそれと比べたとき、氷山の一角にもならないものなのです。 私達の身の回りに起こる様々なこと、ごく自然な出来事も、ちょっと不思議な出来事も、すべてその私達の自意識では認識できない部分からの働きかけで起こっているのです。実は魂はその無意識の奥にあり、顕在意識である自己とはまた別なアイデンティティを持っています。わかりやすく書くと、本人の意識が何かを考えていたとしても、魂はまた別のことを考えていることが多いのです。その意味では単に意識していないだけの無意識とは別なものだと考える必要があります。 正直に書くと、私がこのことを霊能者のどんちゃんに言われて知ったときにはかなりのショックを受けました。なぜって、自分の中で全然別なことを考えている自分がいるのですから、全ての人が二重人格なのかと思ったのです。しかしそれは自分の中に「知らない自分と知っている自分」がいるんだということです。それでなんとなく安心したのです。 念のために解説しましょう。知らない自分とは現在の3次元世界で活動している私たちの意識のことです。そして知っている自分とは、魂のことなのです。なにを知っているのかというと、それまでに経験したこと、自分が霊的にどのような存在であるのかなどいろいろなことです。前世の記憶も魂は知っています。また今回の人生の目的も知っていたりするのです。 なぜそのように成っているのかというと、そんなに難しい説明は要りません。輪廻転生で生まれ変わってくるときに記憶をなくしてしまうのですが、全てなくしてしまってはそれまでの経験の意味がなくなってしまいます。そのために記憶をなくさない「知っている自分」というものが必要になるのです。ですから生まれてくるときに「知らない自分」と「知っている自分」に分かれるのです。 「知らない自分」は身体の発達とともに、外部の影響を受けて自意識(エゴ)が発達して、あらたなアイデンティティを作り出します。徐々に魂のアイデンティティとは違った方向に変化していくのです。このずれが私達の精神と身体に不調をきたしてきます。あの世においてこられたかわいそうな自分(魂)は何が出来るのでしょうか。何故かわいそうなのかというと、この世に生まれてきた自分が愚かな行動をして苦労しているのをやきもきしながら、ただ見ていなければならないからです。おまけにその存在さえもなかなか気がついて貰えなかったりします。しかし魂からはどうすることも出来ないようです。その理由はやはり輪廻転生にあります。魂がこちら側の意識にたいして大きな影響を与えることが出来るとしたら、現世での勉強に邪魔になるからです。なにしろ魂はいろいろ知っているのですから。 「魂」は私たちの心の中で霊界と接触している部分でもあります。「開いている」という言いかたをすることがあります。それは魂と意識との間にパイプがつながって情報が流れるようになった人のことを言うようです。言いかたを変えると霊感がある人のことです。魂の存在を意識してそのもてる力を使うようになると徐々に霊感があがってくるのです。又私達が夢で情報を受け取るときには、夢を見ているときには魂が活性化していて、魂経由で情報を受け取っていると考えられます。魂は表の煩悩の世界で望む出世や成功、お金すら興味はないのです。ただ運命のシナリオに沿って感情の学習、修行をしたいだけみたいです。だから魂に沿った行動とは表の煩悩に惑わされている自分が思っていることのまったく反対のことをすればいいことになります。簡単なようで難しいですね。それと自意識をそらす為にぼっとして内側を感じてみましょう。それと良く寝て夢(魂の情報)を見ましょうね
2009年10月02日
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こんばんは!ルミルミです久々の更新です両親を連れて紀州南部ロイヤルホテルに2泊してきました最近は月・火曜日にお休みをとっているので、どこに行くのも安いです~温泉にゆっくりつかってお昼はトレトレ市場に行って大きな伊勢海老(高かったです)を御造りと頭はバーべキューにここは市場で買ってバーべキューができるような施設があります久々にメッチャ美味しかったですSOUL ROOM~体験~ 私達は、自分自身の魂というスタンプカードに経験から得た叡智を記録させることで、自分自身を作り上げています。そしてその過程で重要なことが、経験(体験)するということなのです。個別的な体験というものは、いわゆる普通でいうところの体験なのです。例えば、仲間はずれにされたことが無いと、その時にどのような気分になるのかということは理解できません。喧嘩をしたことが無ければ、それがどういうものなのかはわからないのです。 さて、基本的な感情や体験について、それを終わらせたかどうかと言うことは、先ほど書いた魂というスタンプカードに記録されるのですが、それが上手く出来ないと、同じ体験をいつまでも続けるということに成ってしまうのです。同じ体験を何度も繰り返すというケースの場合は、感情的理解がされていない為に、なんども同じような現実を自分の周りに作り出してしまうということなのです。では、なぜ感情的理解が出来なくなってしまうのでしょうか。いくつかの原因がありますが、基本的には表面の意識がそれを邪魔してしまっていると言うことが出来ます。 「べき論」というのも、その障害になります。例えば「べき論」の強い人が「人生で失敗などは許されない」と考えていたとします。そういう人は、自分の失敗に分類されるような体験があったとしても、それを素直には認めるようなことはしません。失敗したと考えることを極力嫌っているのですから、心の中でいろいろと理由を作ってその体験を捻じ曲げてしまうのです。それがごく些細な失敗を含んだ教訓であっても、失敗自体を避けているのですから、その体験を直視しないで無視してしまうのです。その結果どうなるかはわかりますよね。その時の経験は感情的に翻訳されること無く、無駄になってしまうのです。それはその人が自分の成長のチャンスを見逃したということであり、同じテーマの体験をその意味に気づくまで繰り返さなければ成らないという意味でもあるのです。 まだ他にもあります。何でも他人のせいにする場合です。言い方を変えると自分が被害者だと考えている場合なのです。霊的な現実においては、自分自身の身の回りに起こる全てのことは自分自身が何らかのエネルギーで引き寄せているものなのです。体験という出来事も当然のことながら、自分自身が自分自身のために引き寄せているのです。これはわかりますよね。それは自分に起こったことの全ての責任は自分自身にあるということなのです。くどいですがもう一度書きます。表の意識では認識していなくても、自分自身がその体験を必要としているから、その出来事が起こっているのです。だから、自分は被害者で自分自身には何の責任も無いと考えているということ自体が問題なのです。それは何かの出来事の結果を感情的に理解する前に、怒りや同情を求める気持ちに変えてしまうのです。それでは感情的な理解として体験を終了させる暇など無くなってしまうのです。悪いことに、自分に責任があるとは思いたくないようなこととは自分にとって好ましくない現実であることがほとんどです。本当はその様な体験ほど早く済ましてしまって他のもっと楽しい体験をしたいところなのですが、結果は逆になってしまうのです。(感情的理解という)最後まで体験しなかったので、その必要な体験はまだ終了していないのです。このような場合どうしたら良いかというと、失敗を味わってしまえば良いのです。すごく悲しいかも知れません。つらいかも知れません。でも一度それをしてしまうと、それは魂に記録されてもう同じ事を体験する必要はなくなるのです。そしてその記憶が叡智となってその人を大きくするのです。「我に困難を与えよ」と言った人がいました。それはそういうことを踏まえてのことなのです。 実は感情的理解と叡智とでは、そのレベルにおいて違いがあります。そのこと少し説明します。争いという観点で考えてみましょう。争いとはなにかは、いちど争ってみれば判ります。どのような事を争いというのかは、いくつかの種類の争いを実際に体験することによって感情的な理解に達することが出来ます。さて争いというものがどのようなことかは分ってもまだそれだけでは終了にはならないのです。それは争いというものがいかに不毛で、双方を傷つけるもので在るのか、争いが最終的にもたらすものとは何なのか、そして争いをつうじては勝者などはどこにも存在し得ないということを、何度も争い続けながら体験的に感情的な理解を積み重ねたうえで、はじめて「どんな理由であろうと、争いごとは好ましくない」という叡智として記録されることになるのです。 今、戦争をやっている人たちはどうでしょうか?生活の為だと言いながら、争いを続けている人はどうでしょうか?簡単に言ってしまえば、まだ争いごとの体験の途中なのです。なぜなら、自分の主張を通す為なら争うことは正当なことだと考えているのですから。その様に考えている限り、争いは続くのです。当たり前ですよね。止めようとは思っていないのですから。そしてその人たちは叡智として記録されるまで、続けるのです。問題は、欲に目がくらんでいたり、「べき論」で考えていたり、他人に責任を押し付けて怒っていたらそれを叡智として完了することが出来ないのです。補足しておきます。私は加害者のことばかりを言っているわけではありません。被害者も基本的には同じなのです。被害者の体験も加害者の体験と本質的には同じエネルギーなのですから。 感情的理解というものも、ある程度の段階があるということは理解できますよね私達に起こってくる全ての体験は、感情的な理解を積み重ねて、知っている状態にもって行くためにあるのです。そして、その人が何を知っているのかということが、その時点でのその人をあらわしているのです。 体験というものは、普通に生活していれば自然に自分におとずれてきます。大事なのは、それを自分の体験として感情的な理解にしてしまうかどうかと言うことなのです。それは、あるがままに生き、人生を楽しむ、という心構えでいることで、感情的理解が効率よく行えることだと思います。いろいろな欲や必要性という幻想にとらわれていたり、べき論や被害者意識は障害になってしまうのです。 どんな体験でも、楽しんでください。
2009年09月28日
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長野県東部、北佐久郡にある軽井沢は、地元では「かるいさわ」という。浅間山南東麓に位置する標高約1,000mの高原の町で、1万7千余の人々が暮らしている。 8月の平均気温が20.5℃と札幌より1.2℃ほど低く、東京駅からJR長野新幹線で80分という地理的条件から、夏の全盛期の入込客は常住人口の10倍にのぼるという。 軽井沢銀座聖パウロ カトリック教会は、軽井沢のシンボル的存在こんばんは!ルミルミです先週は軽井沢に避暑に行ってきましたここは札幌より涼しいらしくとっても快適ですさすがに半袖でも寒いぐらいでしたよ大阪からは遠くてあまり馴染みが無いのですがさすが日本を代表するサマーリゾート軽井沢旧軽井沢は木立の中に別荘が点在する美しいエリア中軽井沢は緑豊かな自然が息づくエリア南軽井沢はのびやかな、開放的で手つかずの自然とアミューズメントが同居しているエリア私は山より海の方が好きですが美しい山々に囲まれた自然もいいですねお昼はフレンチ~とっても美味しかったですアウトレットモールに行ってピンキー&ダイアンの素敵なスーツもゲットしましたそして嬬恋の温泉に行きました料理も美味しかったです来週は両親を連れて海に面した和歌山の温泉に行ってきます
2009年08月31日
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老犬メイクをして迫真の演技こんばんは!ルミルミですお盆休みも残念ながら残すところあと1日今回は旅行には行かなかったけれど毎日遊びましたまず映画~HACHI約束の犬渋谷の忠犬ハチ公物語のアメリカ版ですがワンコ好きには涙無くして語れないハチの名演技~ワンコのトレーナーのギャラがリチャード・ギアより高かったとか・・うちのワガママハッピーちゃんに見せたいです次にグルメ~ダイエットの大敵ですが大好きな串の房の串かつおまかせコースではどこで終わりにするか?つい食べ過ぎてしまいますねその後カラオケ~うちの会社の同僚がソファの上で飛び跳ねるのを子供みたいと非難していたのにもかかわらずミイラ取りがミイラになってソファの上で踊りながら歌いました~これがとっても気持ちいいその後吉本のお笑いを見に~久々に面白かったですそして最後は名門奈良ホテルでランチしてから奈良燈花会・東大寺釣り灯篭幻想的で綺麗でしたが凄い人で長い時間並んだので疲れました最後を飾るのが奈良の大文字焼きですね天皇ご一家をはじめ、英国国王エドワード8世(後、王位を放棄)、中国最後の皇帝溥儀、オードリー・ヘプバーン、アインシュタインetc・・・・・。が泊まった名門奈良ホテル幻想的な奈良燈花会東大寺釣り灯篭境内の約2,800基あまりのとうろう(石灯籠約1800、釣灯籠約1000)のすべてにあかりがともされ、このときは回廊の内部が特別拝観できます。いちばん古いものは、釣灯籠で、なんと藤原頼通が寄進した京都の五山の送り火のように有名ではないけれど、奈良の大文字もなかなかのものです
2009年08月13日
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こんにちは!ルミルミです久々の更新です最近フィットネスとダイエットで成功して4Kg痩せましたやった~気を良くしてコアリズムでウエストを絞ってフェロモンダイエットでグラマーな身体にこのエクササイズはお腹や腕、背中の贅肉を胸に集めるみたいで発案者 吉丸 美枝子先生(なんと60歳)は20年かけてバストAカップからHカップになったそうですホントかな~でも信じる者は救われるで毎日頑張っています~居酒屋竹取物語~竹を切ってかぐや姫がいそうな座席とか鯉が泳いでいたりと楽しい内装です~お料理も美味しいですよSOUL ROOM少し私達の成長についてすこしだけ説明します。私達はもともとエネルギーの塊であり、それ自体には特定の身体があったわけでもなく、便宜上の乗り物として各種の身体(肉体、幽体、ライトボディーなど)を使っているに過ぎません。それらの身体はその気になれば脱ぎ捨てることも出来ますし、形を変えることも出来ます。何を言いたいのかというと、どのレベルの天界にいても身体自体はそれほど重要な問題ではなく、本質のレベルでは全ての存在(人間も含む)はみんな同じなのです。では何が違うのかというと、過去の経験により作られてきた、自分自身の定義が違うだけなのです。わかりやすく言い直すと、自分というエネルギー体の中に含まれている自分自身に関するデータが違っているだけなのです。まだわかりにくかったら、要するに過去の経験が違うということで理解しても良いのです。 結局のところ何を言いたいのかというと、どの人もみんな本質は同じなんだということを言いたかったわけなのです。それはどのような存在であっても本質的な部分では優劣などは存在しないということなんです。しかし、全ての人が異なっているというのも確かなのです。その中でも、魂の体験によってより多くのことを思い出している人と、まだ自分自身というものが良くわかっていない人など、言葉は適切では無いのですが、要するに成長具合が人それぞれで違うのです。 私達人間の癖で、何でも優劣をつけて評価したがる傾向があるので、あえて細かく書きます。成長しているかどうかは、今の状態の個人差の問題であって、本質的な優劣とはなんら関係無いのです。もうすでに人間という体験を終えて、別の世界の冒険にいっている人も大勢居るし、これから人間を体験する天使達も大勢いるのです。たとえて言えば、すごく長い行列の中で行進していて、いまどこの部分を歩いているのかという違いでしか無いのです。優劣という幻想にはまっている人は、とんでもなく長い行列の中で、自分の気にしている相手が何歩前にいるとか、何歩後ろにいるのかというのばかり気にしているようなものなのです。 もともと霊的なことに関心を寄せるというのは、ある程度魂が成長していると考えることが出来ます。今、ここを読んでいるということだけでも、その人がある程度以上のレベルで魂が成長しているということになるのです。だから、読みながら自分の魂の成長レベルがどれくらいなのかと言うことにはあまり気にしないでください。それに魂の成長というのは、時としてものすごい成長をごく短時間でしてしまうこともあるので、そのことに気を使う必要は無いのです。なにしろ魂の成長とは、すでに知っていることを思い出すということなのですから、きっかけさえあればすごく早いのです。むしろ大事なことは、今、自分にとって必要なことをしっかりやっているかどうかということなのです。ということでぼちぼち本題にいきましょう。 さて、ある程度成長した魂の話です。私達が生まれてくる前の話です。これからどのような人生を選ぼうかと考えたとき、その時には何があるのでしょう。過去も、現在も、未来も同時に存在しているということを思い出してください。それは何を意味するでしょうか?それは歴史がすでに存在しているということなのです。地球の人間の歴史だけではなく、全ての歴史がすでに存在しているのです。それは河の流れのようにずっと変化しながらも流れ続けているのです。ある程度成長した魂の場合には、この流れをみることが出来ます。そして、その時代と場所を選んで生まれてきているのです。 すこし例えの話をします。川に遊びに行ったりしたとき、河原の石を移動させたりして新しい流れを作ったり、堰を作ってダムのようにしたり、支流を作ったりしたことありませんか?私もこういうのはけっこう好きなのです。なぜ好きなのか良くわからなかったりするのですが、石を置いたりすることで作った支流の流れが変ったりするのをみながら、あれこれやるのは面白いですよね。まあ小さな川をコントロールする楽しさなんでしょうね。さて、なぜこの話を書いたかもうわかりますよね。歴史がすでに存在していて、大きな河の流れのように流れているのです。生まれる前にそれをみながら、次の人生の予定を建てるのです。人生を何度も繰り返したある程度成長した魂なら、当然思いつくのです。自分でどれくらい歴史を変えることが出来るか試してみたくなるのです。それは歴史という河で遊ぶこと、結局は生命(いのち)の遊びなのです。 さて、なぜ「生命(いのち)の遊び」であって「魂の遊び」では無いのでしょうか?それは私達の意識がそれを選んでいるいるからなのです。その意味はわかりますか?私達があちらの世界で考えたことなのです。生まれてくるときにそれを忘れてきてしまっているので、魂がそれを思い出すようにいろいろとサインを送ってきたりするのです。 さて私達が忘れてしまった私達の計画は、こちらの世界にいる私達にはどのようにみえるでしょうか?理由はわからないけれどやりたいこと、あるいは理由はわからないけどやらなければ成らないこと、要するに使命のように感じられるのです。わかりますか、使命と感じたことも元は自分が生まれる前にあった歴史をどのように変えようかという自分自身の計画なのです。ちょっと余談ですが、全部が全部自分で決めたものばかりではないかもしれません、それでも私個人の意見としては、自分の計画として考えた方が良いと思います。なぜなら、自分の計画だと認識していれば、状況によりそれを変更することも可能になるのです。 もともと「やらなければ成らないことなど一つも無い」のです。そう思っていても、なぜか使命感を感じるというのは、自分でそれを選んだからなのです。それだけのことなのです。だから、そのまま自分の計画として使命に見えるものを実行するのか、はたまたもっと別な方法があるのか、改めて考えてみるのも良いと思います。そして、自分で決めれば良いのです。くどいですが、自分自身の計画だと認識してはじめて、その計画を変える事が出来るのです。このような原則はとても大事なことなのです。自分に起こったことの全ての責任が自分にあると認識してはじめて変更することが可能になるのです。ひとのせいにしている間は、何事も変える事が出来ないのです。(ちょっと余談でした。) 話を戻します。「生命(いのち)の遊び」とは、歴史を書き換えることなのです。もちろん自分の価値観で良くなるように変えないと意味は無いのです。自分自身の今回の人生で地球上の歴史にどれくらいの影響を与えたのかということがその遊びの評価になるのです。このようなことの繰り返しで、歴史は過去も未来も同時に調和に向けて変化していくのです。私達は「歴史を作るもの」ではなく、「歴史を変えるもの」なのです。 さて、すこし補足をしておきます。歴史を変えるとは何かとてつもなくでかい事をやらなければ成らないということではありません。御存知のように全ての人の意識はつながっています。そして地球上もまたエネルギーの世界なのです。そこにはいろいろな意識エネルギーが混在しているわけで、その意識の中に少しでも高いエネルギーを供給するというのでも歴史を変えることになります。身近の誰かに愛で接して、その人の成長を促すというのもまた影響の大きいことなのです。いろいろな方法が考えられます。もちろん環境保護などで具体的に活躍するなどと言うことも大切なことなのです。何をしたら良いのか、それは自分の魂が覚えています。自分自身の中にその答えを見出してください。それがあなたの道なのです。 この歴史を変えるということには、パラレルワールドというのが密接に関係してきます。この細かなことまでは私もまだ理解していませんが、どちらにせよいろいろな(目標をもった)努力は決して無駄にはならないように出来ています。そしてもう一つ、すこし視点を変えると歴史の全てがゲームなんだと言うことにもなるのです。どうせもうゲームを始めてしまっているのですから、とりあえず(気楽に)やるだけやってみようではありませんか。それが人生を楽しむ方法です。 もう一つ付け加えておきます。私達は自分自身の人生をまた繰り返すことが出来ます。それは以前にはうまくいかなかった同じ時代の同じ環境、同じ家族で、もう一度やり直すことも可能なのです。それはこのようなことでもあるのです。例えば今回、みんなのちからをあわせて21世紀の地球を住みよい世界にしたとしますよね。そしたら、その次には別の人が、20世紀をやり直してまた調和の世界に変える、そしてその次には19世紀を調和の世界に変えるというように、時代を変えることを楽しむこともできるということなのです。だから、なぜ今の時代なのか?という質問があったとしたら、その答えは今を変えたいからということになるのです。それが「生命(いのち)の遊び」というものなのです。
2009年08月01日
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こんばんは!ルミルミです6月26日は永遠の17歳の私のお誕生日でした前後連続5日間お誕生日をお祝いしてもらいました焼肉から始まってお寿司・フレンチ・イタメシ・和食とっても美味しかったです~皆様ありがとうございました綺麗なお花もいただいて幸せ~この不況の中残業代も少なくなっておまけに一食100円だった食堂が300円になってケーキもサラダバーもランチの種類も少なくなって~食の打撃が大きいショックの連続でした暗くなってもしかたないので少しでもお客様獲得のため平日は図面を書いて土・日曜日は笑顔の接客頑張ります~先日、お客様に最後にご清聴誠にありがとうございましたと言ったら笑われましたが
2009年06月30日
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こんばんは!ルミルミですとうとう梅雨入りしてしまいましたこれからハッピーちゃんのお散歩が大変ですワンコも雨は嫌いですからねしかし暑いお陰でブタウイルスも姿を消しマスクしている人もほとんどいなくなりましたマスクが大量にあまってくるのでは~先週京都に行って美味しいお蕎麦と一休さんでおなじみの大覚寺に行ってきました竹林の青が映える静寂としたお寺が建ち並んだ重要文化財です。例年ですと修学旅行等で賑わうらしいのですがウイルスのお陰でキャンセルの連続で大変な損失らしいですそのお陰で静かな京都を満喫することができましたよSOUL ROOM~2:8の法則~ 2:8の法則というのがあります。簡単に言うと、一生懸命仕事をするのは全体の約2割で後の8割はその仕事には関心をしめさないということをいいます。例えば子供達に片づけをさせようとすると、2割の子供が自発的に片づけをするわけなのですが、残りの子供達は遊んでいるのです。そして、仕事をしている2割の子供がいなくなると、残りの子供達の中でまた2割の子供達がその仕事を自然に始めるのです。 この法則は、子供達だけでなく、蟻やミツバチなどの社会性のある生物の場合には自然にみられる現象なのです。さて、何故でしょうか?いろいろと解釈できるのですが私としてはこれは宇宙(生命)の自然法則だと考えています。 さて、この場合に重要なことは自然な状態でその様なことが起こるということなのです。子供達の場合、おとなからの不自然な干渉が無い場合、それこそ「あるがまま」に生きています。自然体で生きているのです。その様な状態でこそその法則が機能するのです。蟻やミツバチが自然に行動していることはいうまでもありません。 ちなみにおとなが仕事をするときは、そうはなりません。会社によっては少数精鋭などといって、全員が仕事をするのです。(それでもサボる人はいるんですけどね。) その様な場合、それは自然なことでは無いのです。不自然なことを組織の仕事として行っているのです。だからと言っては誤解を招きかねないんですが、もともと生きるために全員が会社で仕事をするなどということ自体が、生命としてはきわめて不自然なことで、いろいろなところに無理が出るのです。各自があるがままに生きていて、自分自身の中で必要だと感じたときには仕事をするというのが自然で理想的な社会なのです。(2:8の法則でそれで上手く行くようになっているんです。) 少し余談になりますが、子供(幼児)達のあるがままは本当はおとなが見習うべきものです。子供達は子供達の社会で、互いにあるがままで上手くやっていけるのです。おとなが子供達を自由にするとろくなことをしないと考えたりしていたら、そのおとなはどっぷりと集合意識にはまっていて、あるがままで生きるということなど全然理解も出来ない状態になってしまっているのです。スピリチュアルな世界では、「子供っぽい」というのは褒め言葉なのです。あるがままで生きていると、常識に凝り固まった人たちからみるとまるでその行動が理解出来ません。それは「こどもの行動」のように見えてしまうのです。もし貴方が誰かに子供っぽいといわれたら、大いに喜んでください。実際、その様な人のほうが自分自身を愛することが出来るんです。 さて、余談のついでになぜ2割なの?ということを考えて見ましょう。仕事をする2割はその仕事の内容が変れば、自然に入れ替わるのです。もしも全員でまったく同じ仕事をしていたらどうなるでしょう。他の事が出来なくなってしまいますよね。それにもともと全員でやらなければ成らないほど重要なことなど何一つ無いのです。大事なことは多様性なのです。みんなが同じことをやっても、生命全体としては意味が無いのです。この際はっきり書きましょう。人と同じだということで安心しているようなら、その人は魂として生きていないのです。魂は独自性が好きなのです。自分自身に独自性があってはじめて、自分自身を愛せるのです。誰も彼もが同じ人生を送ったとして、それに何の価値があるでしょうか?私達は苦労するために生まれてきたわけでは無いのです。自分自身の独自性を発揮する為に生まれてきているのです。それが、「私は私である」ということなのです。 さて2:8の法則のことをもう少し突っ込んで考えてみましょう。この法則の重要なポイントは、誰も強制されること無く、自然に役割分担がされるということなのです。それは各存在の全く自由意志をそこなうことなく(愛は自由であるという原則を保ちつつ)、全体の秩序を維持することにつながっているのです。これはすごいことなのです。ある意味では最も重大な宇宙の神秘なのです。大事なことは、2:8の法則は誰にも指示は出さないのです。ただその自然な欲求に働きかけているのです。それにもちろんそれを選択しないということもできるのです。ここでも自由意志が優先されるのですから。もし誰かがそれをしなかったら、また別の人がそれをやりたいと感じるようになるのです。それで全体としては、パーフェクトな秩序が成り立っているのです。それは相対性の世界という神の身体を支える基本的な原理なのです。 私達もあるがままに生きているときには、この原則にしたがっているのです。それは私達の自由意志の中に隠された秘密の役割分担があり、ぞれぞれの欲求はそこから生まれてくるということなのです。だから、私達が自由に生きるということは、自ら率先して、自分自身の役割を感じるままに選び、それを実行することなのです。そして自分自身の役割をこなすことで、私達(霊的な存在)は喜びという報酬を得るのです。私達の全てが、自由気ままに生きたとして、それで無秩序になるわけではないということを理解してください。
2009年06月09日
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ブタのウイルスは嫌だわこんにちは!ルミルミです久々の更新ですあっと言う間にブタウイルスが上陸してきましてどこに行ってもマスクだらけしかもどこに行ってもマスクは売り切れ状態です良く寝て体力つけて免疫力をあげるしかないですね私は頭痛喉痛はあっても発熱したことはないけれど油断大敵ですね会社では部署が変わって土日はお客様に重要事項説明とかあって平日がお休みとなりました慣れるまでとてもしんどいです今はマンションのプランを書いているのでそれはそれで楽しいです~来週はウイルスにもめげず京都へ遊びに行ってきますSOUL ROOM~どっちにいくの?~この世の中の本当の仕組みは私たちの思考によってでは完全に理解することは出来ません。ただ断片的にいろいろな見え方が出来るのですが、その中のひとつに人生をCDロムに収められたゲームのようなものだと説明されています。ゲームのような物である事は私も感じては居たのですが、 CDロムのゲームという例えの意味を書き直すと、人それぞれの人生においていろいろな選択肢があり、どの選択肢を選んだ結果も時間の無いあの世では今時点でも存在していると言うことです。 さて、既に存在している無数の将来の青写真はいったいどこに在るのでしょうか?そのことをしばらく前にいろいろと考えていました。 私の結論として、私たちの一般的な時間の概念を流用するとそれが理解し易いと思うので、まずそれを試みてみます。 私たちの次元軸は3本あると通常考えられています。「たて、よこ、たかさ」の3次元で空間を認識しているわけなのですが、それに加えて時間軸を追加して、この世を4次元の時空として捉えることも出来ます。この目には見えない時間という軸を考えることで、過去も現在も未来も全て同時に存在していると考えることが出来るのです。しかし、ただそれだけだと過去も未来も一個しか存在しないことになってしまいます。CDのゲームに例えたように、未来の予定がその選択によっていくつもあるというのならそのことの説明はこれだけでは出来ません。 私たちの頭でも目に見えない時間軸という概念は比較的簡単に理解できるということがこの説明でのポイントなのです。いくつも未来の予定が存在するのですから、これは時間軸以外に目に見えないパラメータで軸を考えることで説明が出来ます。その軸がいったいいくつあるのか?という疑問も当然わいて出てくるのですが、それは判りません。というか次元軸を増やして考えるのですから、それ自体に私たちの理解を難しくしてしまう要素もあるのですから。 私たちの4次元の時空を座標で表すと(x,y,z,Time)という表記になるとします。このx,y,zは、たて、よこ、たかさで3次元の空間座標です。それにAとBの軸を追加して考えて見ます。このAとBは時間と同じように見えない座標軸だと考えてください。その場合の時空は(x,y,z,Time,A,B)というようになります。次元で言うと6次元ということに成りますが、それに深い意味は無いです。 さて、このAとBの軸のパラメータなのですが、わかり易いように仮に入れてみると、Aは「やさしさ」をあらわし、Bは「協調性」を表すとしてみます。それぞれ今の世界の数値を勝手に基準として決めて100ということにして見ます。すると私たちの世界は(x,y,z,Time,A=100,B=100)の世界というように書ける事になります。その様に考えると将来の世界も同じように当てはめると、たとえば世の中に「やさしさ」が多くて、「協調性」の高い世界だとすると(x,y,z,Time+α,A=150,B=150)と言うことに成ります。その逆に、「やさしさ」の「協調性」も少ない将来の場合(x,y,z,Time+α,A=50,B=50)となります。もし今のままだったら(x,y,z,Time+α,A=100,B=100)となります。Timeの後の+αは時間の経過を表しています。 将来の予定として存在しているのは、Aの値とBの値のそれぞれ将来の世界があるわけです。要するにいろいろな値のAとBの将来が既に在るのです。 いろいろと在る将来の世界の中で、AもB低かった場合、言い方を返ると人間が「攻撃的」で「利己主義」であった場合の世界では、地球の人類は環境破壊などで絶滅の危機に瀕しているかもしれません。逆の場合には平和で幸せな世界があるのでしょう。 そこで本題です。私たちはいくつもある世界のうちの一つに今いるわけです。それは(x,y,z,Time,A=100,B=100)で表したのですが、それで私たちが将来どうなるのかというと、将来時間の経過とともに将来予定された世界のうちの一つに移動していくわけです。それは視点を変えてみると、時間とともに世界が変わっていくのではなくて、時間とともに貴方が世界を移動していると言うことなのです。ですから人によっては(x,y,z,Time+α,A=50,B=50)の滅亡する世界にいく人もいれば、(x,y,z,Time+α,A=150,B=150)の幸せな世界に行く人もいるのです。もちろんA=100,B=100のままの人もいれば、A=130,B=100の人とかその間はいくつもあるのです。 ここが大事なことなのですが、私たちが今の社会の未熟さを嘆いたとして、それは自分ではどうしようもないと考えるかもしれません。でもそれは違うのです。私たちは世界を変えることは出来ないというよりもその必要は無いのです。大事なことはいくつもある将来のうち貴方がどこの将来を選ぶかなのです。A=150,B=150の世界を無事に選ぶことが出来たのなら、その人の世界はA=150,B=150の世界だし、A=50,B=50を選んでしまったらそれなりの世界に行くことに成るのです。 別な言い方をすると、貴方の選択しだいで、貴方の周りの世界全てが変わってくるのです。世界を変えるためには、自分を変えれば良いということなのです。 さてそこまで理解してくると、自分は何もしなくても、精神的に成長していけば何もしなくて良いと考えるかもしれません。実はこれも正しいとは言えないのです。この文章を書いていて解ったのですが、それぞれの人のテーマが問題に成るのです。それは人それぞれで異なっているので例をだしてみます。 Aさんという人がいたと考えてください。Aさんは既に在るA=150,B=150の将来において「環境保護活動」を一生懸命やっているとします。同じAさんはA=50,B=50の将来では、私利私欲に走った商売をしていたとします。どちらもすでに在る用意された将来なのですが、もちろん全然別な将来もあるわけです。この場合、Aさんがこれから何をやるのかでAさんの行く世界が変わってくるのです。ただ何もしないでいるというのではなく、Aさんにとって望ましい未来にやっていることをこれからやることが、Aさんがより良い世界に行くことを意味しているのです。 これはある種の運命論ということが出来るでしょう。ひとりひとりの将来は確定的なものでは無いのですが、その人なりの正解と言えるような生き方があって、それを選ぶことが出来たなら、人生ゲームのクリヤーと言って良いのかもしれません。 さてそのひとりひとりの正解な生き方はどのようにして選んだらいいのでしょうか?簡単に言ってしまえば、その人の魂がやりたがっていることをやれば良いということに成るのですが、それもなかなか判り難いことも在るでしょう。ひとつ参考になる考え方は、既に成功している自分がいるということを考えると、それぞれの能力で達成可能なテーマであると考えられます。逆な言い方をすると、正解な生き方をする為に必要充分な能力を持って生まれてきていると考えることも出来ます。自分の長所や短所、あるいは能力などを考えるとだんだんそれが見えてくるのだと思います。 ついでに書いておくと、正解の生き方でやることは何も現世的なものばかりではありません。精神世界での活動もそのうちの一つとして考えてよいように思います。 もう一つ、やらなければ成らないことは一つもありません。貴方がどんな未来に行くのも自由なので自分の意思で生きれば良いのです。ただ人生のゲームで良い点を取りたかったら、あるいは真の意味で人生を楽しみたかったら、自分の意思で正解の生き方を見つけ目標として定めれば良いのです。Good Luck!
2009年05月09日
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外面のよいお庭のランタナこんにちは!ルミルミです急に寒くなったりと変なお天気ですね皆様連休にはゆっくり休んで体調を整えてくださいね先週マタマタ東京に遊びに行ってきましたところが最悪の雨・雨それにとっても寒い~こんなときは食べ歩きしかないでしょまずはお寿司三昧久々に美味しいお寿司を食べました~幸せお次はインド料理本場カレーは最高ですね夜は銀座にあるショーパブ~笑座こんぱるへダンスの上手な男女・オカマ・ガイジンのショーで舞台は3段式のリフトに乗っての雪を降らしたり、テープが飛んできたりと楽しいショーでした次の日は新橋のビアホールライオンでビアタイムそして最後を締めくくるのはもちろんスイーツとっても美味しかったですところでダイエットは放棄???に答えてマタマタ新しいダイエット運動ステッパーを購入し毎日踏むことにこの前紹介しましたスポーツジムは入会したけれど平日しか開いていないので結局あまり行けないのですネットで一番安いのを注文したので届くのが楽しみ~頑張ります
2009年04月24日
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こんばんは!ルミルミですやっと暑くなっていましたね~先週はお花見に行ってきましたうつぼ公園までお友達が家からアウトドア用のテーブル椅子を引きづって持ってきてセットしてくれましたお料理もお友達が用意していただいて~感謝私はビールを持参しました桜を見ながらの食事は格別ですねとっても楽しかったです近所にJサーキットエクササイズをしているお店を見つけましたこれは油圧マシンとエアロを交互に行うエクササイズで有酸素運動 × 筋力運動 が同時にでき有効に運動できる優れものですダイエットに効果ありそうですスポーツジムに行ってもマシンは男性に占領されてナカナカ使えませんからこれなら好きなだけ利用できます頑張って夏までにシャープな体型に戻しますね
2009年04月09日
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ホワイトディ~イチゴのパイ・ベルギーワッフル・きんつば~どれも美味しかったありがとうございます風光明媚ごきげんトナカイさんこんばんは!ルミルミです先週は両親を連れて長野の温泉に行ってきました温泉三昧ツアーで洋風建築の千人風呂(プールのように深い温泉)とか廻って面白かったですよお部屋も広くて景色も良かったです~満足昨日は久々にたくさん食べ飲みました最後に三段シャーベットまで食べてお友達は次の日冷えてお腹が痛かったみたいです私はなんとも無かったですが~最近美食のお陰で太ってしまったので酵素玄米菜食・漢方薬・アルファリポ酸注射ビリーの腹筋プログラムでダイエットしますね
2009年03月22日
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おすましハッピーちゃんさすがに美味しいチョコでしたこんばんは!ルミルミです昨日も仕事が重なって11時すぎまで残業していましたなぜか焦りと週末の疲れもあってしんどかったです会社も売れ行きが悪いので残業を短縮するように言われていますがでも忙しい時はしかたないですよねホワイトディのプレゼントの中に私も名前は知らなかったのですがベルギーのピエール・マルコリーニの高級チョコがとっても美味しかったです今日はおでんを作りました来週は又両親を連れて温泉に行ってきますねSOUL ROOM~若さと寿命~私達が生まれてくるときには、肉体の遺伝的なデータを元に大体の寿命を決めてきています。そして人生の中で特定の条件が成り立ったら発動する幾つかのイベントや、約束や使命(契約)などをその人生の中の予定に組み込んできているのです。それがいわゆる「運命」とか「バースビジョン」と呼ばれているものです。確認の為に書いておきますが、この運命というものは絶対にそうなると決まったわけではありません。あくまでも予定なのです。ですから変更可能なのです。もともとこの運命というものは絶対に必要なものではありません。地球の集合意識の結果として、標準的な方法としてこのような転生の方法がとられているのです。表面意識は知らなくてもある程度の予定やドラマチックなイベント、出会いなどを用意しておいた方がより人生を楽しめるし、不安を感じなくて良いというような感じて計画が立てているのです。もしかしたら、どのような計画を立てるのか、それを楽しみにしている人(霊魂)もいるかもしれないのです。カルマに関するものもこのときに考慮される訳なのです。まあ結局のところ簡単にいってしまえば、生まれたときに死ぬ予定も立ててきているということなんです。その予定を変更しないとその時期になったとき何らかの出来事が起こって死ぬということに成るのです。それは自分の立てた予定通りということなのです。さてどうしたら死の予定をキャンセルすることが出来るでしょうか?もちろんこれは可能なのです。そもそも運命はあくまでも予定なのですから、確定しているわけではないのです。むしろ重要なのは当然の成り行きとして起こり得る未来での死の時期なのです。これは表面意識と潜在意識のコントロールによりどんどんと変わっていくのです。その為にも潜在意識が運命と言う予定を変更することに同意しないとならないのです。 結局のところ、寿命を延ばすことが出来るかどうかは単にそれを望んでいるだけではだめで、なぜ、それが可能であるか、またそうであっても一向にかまわないことを充分に理解することが大事なのです。まあ世の中の仕組みをある程度理解する必要があると言うことです。(これは感覚的な理解です。) 肉体的な側面について考えて見ます。これは歳をとらないことと、肉体の再生がポイントとなりますまず、歳をとらない方法なんですが、これは簡単だとも言えるし、難しいとも言えるのですが、ふだんから喜びを感じているのが良いのです。魂が満足した状態でいるとき、体には若返りのホルモンが分泌されます。これは幸せを感じているのでも良いとおもうのですが、大事なことは、魂にとって良い状態にいることなのです。それとは逆に表面意識が現世的なことに振り回されていると、魂を痛めつけて老化のホルモンが分泌されてしまうのです。ちょっと余談ですが、若くいる為に喜びの状態でいるというのは、それは人によってはかなりの難関になります。それは喜びを感じられない人のほうが多いという現実があるのです。ここ数十年の間、ろくな喜びを感じてこなかったという人も多いと思います。表面意識が普段の生活で、世間体や常識や義務感、自己嫌悪などにとらわれているとなかなか喜びを感じることができません。むしろ素直に喜びを感じていられる人のほうが少ないのです。もちろんこの喜びは、どのような生活環境にいたとしても関係ないのですよ。喜びは生活環境で感じられるものではないのですから。 さて病気などについても触れておきましょう。ここを呼んでいる人ならもう判っていると思いますが、もともと喜びを感じるような生活をしている人は病気などにはなりません。病気のほとんどが精神的な原因で発生しています。これは老化のホルモンと同じなのです。それなりの意識レベルを保つことが出来るのなら、病気になどなることなど無いのです。またまた余談ですが、たとえば通常の人は毎日毎日、一日分ずつ歳をとっていきます。それを毎日毎日、一日分ずつ若返っていたらどうでしょう。毎日、「私は毎日若返り続けている。」と考えるのです。これなどは、すぐには効果が判りません。ということは若返っているということを信じやすいということでもあるのです。もしも「私は、10歳若返る。」と念じたとしても、そうならないのはすぐにわかります。誰でもそんなに簡単にいく訳無いとおもっていますから。しかし一日分だと若返っているのか、老けているのか判断は出来ません。だから続くのです。毎日、そのように考えることにより、いつかは本当になります。それこそそれを10年続けた場合のエネルギーは相当のものがあるのです。創造力は繰り返すことでその力は強化されるのです。しばらく続けていたらいつの間にか本当に若返っていることを感じることが出来るはずです。
2009年03月09日
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こんばんは!ルミルミです先日は東京本社研修で横浜でお友達に会ったり帰りは箱根湯本の温泉に行ってのんびりしてきました特にヒノキ風のお風呂とかもある露天風呂が気持ちよかったですお料理も美味しかったですよ構造の研修だったのですがいままでの間違いがわかりました・・やはり私は姉歯建築士2号そして先週は美味しいもつ鍋を食べてからブラッドピットのベンジャミン・バトン~数奇な人生を見ました老人として生まれた子供が、成長するにつれ若返り、赤ん坊として死ぬこれはけっしてホラー映画ではないです。切ないのは、子供の戦死を嘆き悲しむ時計職人が逆回りする時計を作ってしまったという、映画の冒頭に収められたエピソードがあるからです誰もが後戻りできない現実を生きているいくら時計が逆回転したところで、その職人は息子を取り戻すことができるわけではないし、誰も過去をやり直せないもちろん、老人から生まれて子供になるという逆戻りの人生を歩んだとしても同じことなのですブラッドピットが老人から青年までを好演していましたよ
2009年02月26日
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古代アゴラは、紀元前6世紀に町ができてから、ギリシア時代~ローマ時代にアテネの中心地として栄えた場所です。アゴラといっても市場だけでなく政治・文化などの中心でもあり、いろんな公共施設の遺構をみることができます。20世紀まで埋もれていたこれらの遺跡の発掘は1931年からはじまり、現在も発掘・復旧作業が進められています。ギリシア世界で最も保存状態がいいというテッシオンは、B.C.460年から415年に建てられました。シュリーマンが発見した黄金のマスク。ミケーネ文明のもの。国立考古学博物館1889年完成の博物館。キクラデス文明やミケーネ文明の出土品が展示されています オリンピック競技は、紀元前776年から紀元393年の約1200年に渡って一度も休まず続けられたのだという。驚きの歴史の長さである。古代のギリシャでは戦争が頻繁に起こっていたのだが、オリンピック前後の3ヶ月は戦いを中止して大会を実施していたそうだ。古代オリンピックも現代と同じく4年に一度行なわれており、ゼウス神を祀る奉納試合として行なわれてという。さて、1200年も続けられていたオリンピックだったが、キリスト教を国教としたテオドシウス1世が異教を禁じたため、オリンピックの祭典は393年に終了した。そのオリンピックの祭典が復活したのは、近代になってからの1896年。近代オリンピックの始まりだ。その近代オリンピックの記念すべき第1回は、アテネで開催されたのだ。地下鉄~扉のついた自動改札機ではなく、この機械にチケットを差し込んで時間を刻印します。自由に出入りできるのですが、全員刻印している様子。しばしば乗務員が車内でチケットの確認をするそうです。チケットを持っていなかったり、制限時間を越えていたりすると罰金こんばんは!るみるみです!ゲバラの映画「チェ28歳の革命」と「39歳別れの手紙」を見ました革命もげバラも美化しないドキュメンタリー風で良く理解でき、キューバ革命の成功そしてボリビア革命の敗北と死革命に命を燃やし、壮絶な一生を終えたのですゲバラ31歳ゲバラ17歳“チェ・ゲバラ”ことエルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ(1928年6月14日 - 1967年10月9日)は、アルゼンチン生まれの医師、マルクス主義革命家で、キューバのゲリラ指導者1824年にシモン・ボリーバル、アントニオ・ホセ・デ・スクレらのラテンアメリカ解放軍とアヤクーチョで戦ったペルー副王、ホセ・デ・ラ・セルナの末裔であり、経済的には恵まれた家庭であった。未熟児として生まれ肺炎を患い、2歳のとき重度の喘息と診断された。両親は息子の健康を第一とし、喘息の治療に良い環境を重度の喘息は彼を生涯苦しめた。ブエノスアイレス大学で医学を学ぶ。1953年、大学卒業の25日後、友人のカルロス・ペレルとともに再び南米放浪の旅に出る。J.D.ペロンの独裁政権下のアルゼンチンを離れ、当初はベネズエラのグラナードを訪れる予定だったが、ボリビア革命の進むボリビアを旅した後、ペルー、エクアドル、パナマ、コスタリカ、ニカラグア、ホンジュラス、エルサルバドルを旅行し、ハコボ・アルベンス・グスマン時代のポプリスモ(社会主義とする見方もある)政権下のグアテマラに行き着いた。グアテマラで医師を続ける最中、祖国であるペルーを追われ、グアテマラに亡命していた女性活動家のイルダ・ガデアと出会い、共鳴し、社会主義に目覚め、急速にのめりこんで行くとともに、彼女と結婚する。しかし、アメリカ企業(ユナイテッド・フルーツ)による搾取からの経済的独立や、マヤ系インディオの復権など、グアテマラ革命と呼ばれるほどの急進的な改革を進めていたアルベンス政権が、CIAに後押しされた反抗勢力に倒されると、ゲバラが「ラテンアメリカで最も自由で民主的な国」と評したグアテマラの革命政権は崩壊した。この出来事がきっかけとなり、共産主義革命を本気で志すようになったようである。妻のガデアとともに、失意と怒りを抱いてメキシコに移る。1955年7月、この地に亡命中の反体制派キューバ人のリーダーである、フィデル・カストロと出会う。7月26日運動を率いてキューバのフルヘンシオ・バティスタ独裁政権打倒を目指すカストロに共感したゲバラは、このとき、一夜にして反バティスタ武装ゲリラ闘争への参加を決意したとされている。こうしてスペイン内戦の共和派の生き残りだったアルベルト・バーヨ中佐の訓練を受けて、キューバ上陸への準備が進んでいった。妻と娘のイルディーダをメキシコに残し、単身キューバへ向かう。1956年11月25日、フィデル・カストロをリーダーとした反乱軍総勢82名は8人乗りのレジャーボート「グランマ号(Granma)」に乗り込んだ。しかし収容過多によって衛生環境などが劣悪となったことに加え、目立たぬよう、嵐の中出航したことなどもあり、7日後にキューバに上陸した時にはすでに体力を消耗し、それに伴い士気も下がっていた。さらに反乱軍の上陸をカストロが事前に発表し、計画の内容もキューバ政府に漏洩していたため、反乱軍は上陸直後に政府軍の襲撃を受けて壊滅状態となった。結局生きて上陸できたのは82人中、ゲバラ、フィデル・カストロ、ラウル・カストロ、カミーロ・シエンフエゴスなどを含む12人のみだった。上陸後、反乱軍はシエラ・マエストラ山脈に潜伏し、山中の村などを転々としながら軍の立て直しを図った。その後キューバ国内の反政府勢力との合流に成功し、反乱軍は徐々に増強されていった。当初、ゲバラの部隊での役割は軍医であったが、革命軍の政治放送をするラジオ局を設立するなど、政府軍との戦闘の中でその忍耐強さと誠実さ、状況を分析する冷静な判断力、人の気持ちをつかむ才を遺憾なく発揮し、次第に反乱軍のリーダーのひとりとして認められるようになっていった。指揮権と少佐の階級を与えられ、名実ともにカストロに次ぐ反乱軍ナンバー2となった。1958年12月29日にはこの第2軍を率いてキューバ第2の都市サンタ・クララに突入する。多数の市民の加勢もあり、これを制圧し、首都ハバナへの道筋を開いた。1959年1月1日午前2時10分、フルヘンシオ・バティスタがドミニカ共和国へ亡命し、1月8日カストロがハバナに入城、「キューバ革命」が達成された。闘争中の功績と献身的な働きによりキューバの市民権を与えられ、キューバ新政府の閣僚となるに至った。1959年7月15日、31歳のゲバラはキューバの使節団を引き連れて日本に訪れた。なぜ日本人はアメリカに対して原爆投下の責任を問わないのかとゲバラは言ったという(共感)彼はヒロシマをキューバに伝えた。以来、キューバでは現在でも、初等教育でヒロシマ・ナガサキをとりあげている。1960年8月6日、カストロがアメリカ資本から成る石油関連産業を接収、国有化する。これに対してアメリカはキューバへの経済封鎖を行った。翌1961年10月、工業相に就任。経済封鎖による資源不足、さらに社会福祉事業の無料化により経済が徐々に逼迫していく中、「生産効率の低下は人々の献身的労働によって補える」とし自らも休日はサトウキビの刈り入れや工場でのライン作業の労働、道路を作るための土運び、建物のレンガ詰み等、積極的にボランティアに参加した。しかしこうした行動も経済を好転させるには至らず、理想を抱くゲバラは徐々にキューバ首脳陣の中で孤立を深めていった。1965年1月、各国との通商交渉のために外遊を行う。2月24日、独立の過程によりキューバの盟友だったアルジェリアのアルジェで行われた「アジア・アフリカ経済セミナー」において演説を行い、当時、キューバの最も主要な貿易相手国だったソビエト連邦の外交姿勢を「帝国主義的搾取の共犯者」と非難し、論争を巻き起こした。3月に帰国後、キューバ政府はソビエトから「ゲバラをキューバ首脳陣から外さなければ物資の援助を削減する」旨の通告を受ける。これを受けてカストロにキューバの政治の一線から退く事を伝え、カストロ、父母、子供達の三者に宛てた手紙を残してキューバを離れた。この事はしばらくカストロの側近以外には知らされず、半年後の10月3日のキューバ共産党大会においてカストロが手紙を読み上げたことで、初めて世人に知られる事となった。彼は戦略家ではなかったということ。戦闘に勝つために戦略を練るのではなく、国民1人1人が革命の意義に目覚めること、その上で戦いに参加することを願う真の革命家だったのだ。それはとりもなおさず、個々の人間を、人間の可能性を信じるということだ。 ゲバラは「愛のない革命家なんて考えられない」と書き残している。明日・明後日は東京本社で研修会です帰りは箱根の温泉でゆっくりしてきますね
2009年02月08日
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アクロポリスの丘に立つパルテノン神殿ギリシャのシンボルともいえるアクロポリスの丘。そこに姿を表すパルテノン神殿は、紀元前432年、優秀な建築家や工芸家が集められて造られたものです。ローマ帝国時代にはビザンチン教会、オスマントルコ時代にはイスラム教寺院として使われました。しかし1687年に戦争で神殿が大破。以後、荒れ放題の時代もありましたが、19世紀になって大がかりな修復作業が行われ、現在の姿となっていますエレクティオン神殿パルテノン神殿の北側に位置する。紀元前406年に完成パルテノンの壮麗な姿とエレクティオンの繊細で優雅な美しさが見事に調和している。柱であるカリアティデス(Caryatids)と呼ばれるイオニア風のこれら像は模作で、オリジナルはアクロポリス博物館に保管され、1対は大英博物館にある ディオニソスの劇場ディオニュソス劇場は、紀元前5世紀後半に立てられたギリシャ最古の劇場。1万7000人もの観客を収容できる大劇場で、数々のギリシャ悲劇や喜劇が上演された。こんばんは!ルミルミです昨日は中学生の時に夢中になった革命家エルネスト・チェ・ゲバラの映画「チェ28歳の革命」を見ました昔は革命家になりたかったのですが・・残念ながら革命を起こす機会に巡り合えませんでした来週はその続編「チェ39歳別れの手紙」を見にいきますので感想は次回に載せますね題名を見るだけで殺されたゲバラを思うと涙がでますが・・今日は久々に霊能者のどんちゃんが大阪にいらしたので会ってきました仲間も10人集まってきて楽しかったです仲間には霊が見えたりと霊感のある方が多いのですが、いまだ欲望のままに生きる私には残念ながら霊能力はまったくないですでも心は改善の方向には向いているらしく安心しましたゼウス神殿ローマ皇帝ハドリアヌスの時代(2世紀頃)に完成したもの。かつては104本ものコリント式の円柱が並んでいた。 今では15本しか残っていないコリント式:前5世紀後半に生まれた。3方式(ドリア式:パルテノン神殿、イオニア式:エレクティオン神殿)の中ではもっとも新しい様式。柱頭にはアンカンサスの葉をモチーフにした豪華な装飾が施される。ギリシャ旅行~その2サントリーニ島からアテネに戻ってきて空港からバスでシンタグマ広場へここからホテルまで石畳の道を重たい荷物を運ぶのは大変でしたなんせお正月でたくさんの人ごみの中しかもお店は閉まっているのですがその歩行通路のところに露天が一杯日本でも売っている偽物ブランドとか衣料玩具とかいろいろ・・ほとんど他国からの出稼ぎの人々バングラデッシュから来ましたとか言っていましたでもこれらは違法なので警察がパトロールに来るたび商品を風呂敷につつんで移動するのでした次の日はいよいよアクアポリスの丘へなんせお正月は開園が午後3時までなのでお友達と走り回りましたさすが世界遺産のパルテノン神殿戦争でボロボロですが数学的な計算に基づいた究極の美と派風や柱梁を飾るみごとな彫刻美術の融合実物はやはり感動の嵐でしたね寒いギリシャでの大きな収穫でしたね夕食はアクアポリスとゼウス神殿の夜景の見えるレストランで眺望は素晴らしかったのですが料理は味の無いスパゲティーとかでしたでもタベルナとか言う大衆食堂とかではムサカとか美味しかったですよ・・続く
2009年01月24日
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冬の地中海こんばんは!るみるみですお正月はギリシャに行ってきましたやはり冬のギリシャ~日本より寒かったですギリシャには直行便がないのでエミネート航空で11時間かけてドバイ空港へこの飛行機の中でなんと4月にエジプト旅行に行った時の添乗員に会いましたエジプト旅行でバスタブの排水が洗面所にもれ水浸しになるようなひどいホテルだったので文句を言ったら「エジプトはこんなものですわ~」と開き直る添乗員に少々ムカついていたのですが・・又会うとはこれは霊能者のどんちゃんが言っている人間関係の学習のやり直しですねここで喧嘩でもしようものなら又会う羽目になってしまいますね(学習のし直し)ドバイでトランジット5時間ドバイは夏に訪れたことがあるのですが45度の灼熱地獄を味わいました今は30度ぐらいで丁度良い季候ですここでは色んな場所に乗り継ぐ人々で一杯椅子の下にシートを敷き浮浪者のように寝ている方もたくさんところで4時間以上のトランジットの場合は無料の食べ放題にありつけると他の方のブログにあったので探し廻りました聞きまくっても探しきれなくて(英語がね)あきらめてレストランに入ったところそこがたまたまお目当てのブッフェでした~別にお腹が空いているわけではないのですがタダの言葉に弱いのですよねそこから5時間かかってアテネへ~又ここからサントリーニ島に行く本数が少ないので夕方の便なので一旦アテネの繁華街に行くことにしました今回は個人旅行なので乗り継ぐだけでも大変どこが国内線かわからないし荷物を持って走り回りました下調べしておけば良かったアテネの中心シンタグマ公園にはバスで50分着くとみぞれが降ってきて寒いことしかしクリスマスモードのままで(1月7日までクリスマス装飾)賑わっていました時間がないので飛行場に戻りサントリーニ島へとっても綺麗な島なのですが今はシーズンオフ~閑散としていました特に北に位置するイアの街は誰一人いなくて少ない観光客とお腹をすかしたワンコとニャンコだけでしたそれでもとっても素敵なリゾート地ですぜひ夏に訪れたいですね~つづくいるのはワンコだけ
2009年01月09日
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ハッピーマウスディズニー・シーブラヴィッシーモゴンドラこんばんは!ルミルミですクリスマスモードのディズニー・シーに行ってきました物凄い人・人でにぎわっていました人気のアトラクションは待ち時間160分とかでインディ・ジョーンズ・アドヴェンチャーとかは楽しめたけど優先で入れるファーストパスは順番を間違って結局タワー・オブ・テラーは乗れませんでした~残念でもオーランドで乗ったことはありますけどね朝11時から夜の10時まで食べて飲んで遊んで走り回ってとっても楽しかったです夜の水上のショー・ブラヴィッシーモも幻想的で素敵でした~ただ上空の風が強くて最後の花火は中止になってしまいましたでも夜空を見上げると北斗七星が綺麗に輝いていてロマンチックでしたよ来週はいよいよ憧れのギリシャ冬のギリシャを楽しんできますねSOUL ROOM「魂の重さ」と言うのは3次元的な質量のことではありません。もっと概念的なものです。手ごろな言葉が見付からないので「重さ」と言う言葉を使っていますが、けっして何グラムとか言うものではありません。 では本題です。個々の魂の位置づけを決めるものは「魂の重さ」ではないのか?という話です。(もちろん仮説です。)そして短刀直入に言ってしまえば、魂は重くない方が良いということなのです。 人によってはここまで読んだだけで意味を充分理解してしまうかも知れませんが、もう少し細かく説明が必要だと思います。例えとして適当かどうかはわかりませんが、われわれが石を空中に投げたとします。当然のことながらその石は下に落ちてきます。それを我々が見た場合、これはニュートンの万有引力の法則だなあと考えたりするのが普通です。おなじ事を我々より低次元のものから見るとどのように見えると思いますか?(仮に見れたとして)そのものたちにとっては、明らかに石には「下に落ちようとする意志」があるように見えます。 要するに、こうしたいとか、なぜこうするんだ?などのレベルではなく、「こういうものなんだ」と言うのがある程度悟りを感じた人の共通する感覚のようです。大事な事は、魂の世界も間違いなく我々より高次元の自然法則にしばられていると言うことです。 と言うこと考えると次のような事が言えそうです。軽い魂はより(概念的)上に上がっていき、重い魂は自然と(概念的)下にいくと言うことです。 いったい何を言いたいんだと、お叱りを受けそうなのですが、それは「魂の重さ」を考えて見れば自然と理解いただけると思います。(わからない人には解らないけど) では、「魂の重さ」とは何なのという問題なのですが、重い魂にはさまざまな「念」(たとえば怨念など言えばわかりやすいと思います。)がまとわりついているのです。ここで難しいのは、自我意識などもこの重さに入ってしまうのです。当然、「欲」の様なものもこの中に入ってきます。 で、自我意識はしょうがないとしても、ひょっとしてもっと厄介なのは「成長しようという意欲」までもが、この魂の重さに関係してきてしまうと言うなのです。別な言い方をすると、熱心に自分の魂の成長を望むことは、自分の魂の重さを増してしまい、望んでいるのとは違った方向に進んでしまっているという可能性があると言うことなのです。 また、生きようとする意志も魂の重さに影響を与えてしまうのだと思えます。自分がどうしようもない死を迎えたときは、それを甘んじて受入ざるを得ないのです。 ここまで読んできて、なにか理不尽な感じがしませんか?私も少しそう思います。しかしこれはある種の自然法則なのでどうしようもありません。軽いものが上に行き、重いものが下にいく、これはどの次元であっても変わらない事なのです。 極端に言ってしまえば、別に無理して上に行かなくても良いのかもしれません。しかし、我々が俗に言う神様は上の方にいるのです。(あるのです。)もしもそこに近づきたいのなら、魂は軽くしなければなりません。 ついでに書いておきますと、重い魂はやはり重い魂ばかり集まった場所に行くことになるのです。(そこのことを地獄と呼ぶ)
2008年12月13日
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こんばんは!ルミルミです先週の3連休には両親を連れて2泊3日の東京見学に行ってきました1日目は渋谷に行って遠い親戚が経営している中華料理店に行ったのですがなぜかお店が変わっていて移転したのか閉店したのかわかりませんでした残念せっかく渋谷に来たので渋谷109で高校生に混じってお洋服をゲット、妹の分もそしてうな重を食べました~とっても美味しかったホテルでチェックインして親も疲れているので部屋でゆっくりしました~夕食はホテルのイタメシただ暇なので有料映画でジャックニコルソンとモーガンフリーマンの最高の人生の生き方を見ました人生を楽しく生きるために遅すぎることは決してないという感動的なストーリーでした余命6ヶ月と宣告された2人が自分達が棺おけに入る前にやりたいこと見たいもの、体験したいことをすべて書き出した~棺おけリスト~にそって最後の旅行に出かけるのです70歳の俳優2人が主役で、癌で死んでいく話なのに、みんながニコニコする明るい映画を作れるのはハリウッド伝統の技かもしれないですね2日目は東京のお友達が車で浅草・赤坂サカス・上野に連れて行ってくれました両親はだいぶ足が弱っているのでとっても助かりました~ありがとうございます感謝感謝ですお昼はしゃぶしゃぶ夜は北海道料理を食べものまねショーパブにでかけ松田 聖子のそっくりさんと撮影したりしました3日目はお台場に行ってメキシコ料理を食べたりと楽しみましたよ来月はマタマタ東京へクリスマスモードのディズニーランドに行ってきますSOUL ROOM~戦争について2~戦争についての学びや体験に関係した意味はもうすでに書きました。又カルマと言う観点からも説明することが出来ます。イラクが湾岸戦争でクウェートに侵略戦争をおこしました。イラクはその行動の責任を取らなければ成りません。またクルド人に対して行った虐殺行為の責任もあります。一方アメリカ側では、今回は(石油の利権からみの)完全なる侵略戦争です。当然近いうちにその償いが求められることになります。それがどのような形で現れるかは今後の歴史が教えてくれるでしょう。というのがカルマ的な解釈です。 さてもう少し視点を広げて見ましょう。人類はその成長の過程で今までも何回も戦争を繰り返してきました。そしてそのたびに少しずつ戦争の愚かさに気づく人が増えてきています。それこそ戦争が悪いことだと多くの人が考えるようになったのは最近のことなのです。何度も似たようなことを書くことになるのですが、人類が戦争の愚かさを見にしみて感じるまで戦争がおこるのです。そしてある意味今回の戦争ですくわれるのは、個人個人の反戦運動の盛り上がりに加えて、他の国家からの反対の意思表示があったりしました。それなりに人類は進歩してきているとも言えるのです。それにはマスコミなども一役かっていることも事実なのです。 アメリカも戦争反対の世界的な世論があるので、あまり非人道的なことは出来なくなっています。30年ほど前のベトナムでは、一つの村を皆殺しというようなことまでアメリカはやっていたのですから。世界中がアメリカの起こす戦争を監視しているわけで、それは平和への重要な一歩であることは間違いありません。 なぜブッシュが戦争を起こしたのでしょうか? もうすこしわかりやすくいうと、ブッシュの父親が大統領のときに湾岸戦争がありました。その息子が大統領になって今回の戦争を起こしたのは偶然だと思いますか?なぜブッシュの側近に石油産業で稼いでいる人たちが多いのでしょうか? なぜ、911事件がブッシュが大統領になってからおこったのでしょうか、それによってアメリカの反アラブの意識が盛り上がってきてしまいました。 偶然だと思いますか?世の中に本当の意味での偶然などは無いのです。あえて言ってしまえば、運命という意図によりブッシュは戦争を始めるように誘導されてしまっていたのです。おそらくブッシュの身の回りでは全てのことが開戦にむけて事態が進んでいたのです。とくに父子の問題までここに絡んでくるというのはちょっとやりすぎだと言いたいところです。父子でもって大統領をやっていて、息子は親を超えようと思うかもしれません。また親の汚名を返上したいと思っているのかもしれません。ただでさえ親のブッシュがやった湾岸戦争の評価が分かれているところで、息子のブッシュは何を考えるでしょうか? 実は父子の間の感情的な問題は多くの場合非常に複雑で根の深いものがあります。息子ブッシュにとって何が本当に正しいことなのかなどと考えるのでもなく、父子の感情的な問題に流されてしまうのはある意味当たり前のことなのです。 じゃいったい何がブッシュを戦争に導いたのでしょうか? 摂理という答えも出来るかも知れません。地球人の集合意識ともいえます。アメリカ人の集合意識とも言えます。私としては断言できませんが、カルマというものの問題と同じところにこの意志決定者がいるのだという気がして成らないのです。荒っぽい言い方で確信を持っていえるわけではないのですが、この戦争はおこるべくしておこるように仕組まれたものなのです。どうしたら戦争をなくせるのか?まず良くないエネルギーのところで説明したように、私たちの日ごろの考え方にも責任があるのです。とは言ってもこれにはそれなりの魂の成長が必要なことなのですぐに出来るわけではありませんが、少なくとも日ごろから霊性を上げるように心がけて少なくとも自分からはその様なエネルギーを出さないということが大切です。 それからもう一つ大事な、しかも有効な方法があります。それは「祈り」です。祈りというものはものすごいパワーを持っています。それも人の為に祈るとき、多くの見えない意識体がおおぜい協力してくれます。祈りというものは自分自身に関してのものは自分の成長に関係あるものしか力を発揮しません。しかし自分以外の人の為に祈ることは本人が思っている以上にパワーが発揮されます。それに祈っている人の霊性の向上にも役立つのです。 単に世界の平和について祈るのも良いのですが、今の状態だと戦争で苦しんでいる人たちのために祈ることが良いと思います。とくに亡くなってしまった人がその死を素直に受け入れるように、そして被害者になった人たちが、怒りや憎しみを出来るだけ持たないように祈ってあげるのが良いと思います。その様な祈りは霊界側から人間を手助けしてくれようとしている多くの善意の意識体に力を与えることになります。それはより多くの人の気づきにつながるし、そして汚れた見えない大気を浄化する働きも期待できるのです。 もちろん現世的には反戦運動に参加してみるのも大事なことであるのは間違いありません。 わたしも改めてここで、出来るだけ多くの人が気づきを得られるように祈ります。本当は戦争などという体験をしないで、争うことの愚かさを知るのが一番良いことなのですが、、、
2008年11月29日
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アトランティス伝説の島サントリーニ島世界一美しいと言われる夕日こんばんは!ルミルミです最近仕事の方は近い大阪支店で広いし人も多いし昼ごはんも美味しいし最高です~ところで旅行大好きな私は又海外に行きたいと思っていたのですがいつも一緒に行く母親が血栓症になってしまって長旅・・特に飛行機はダメでしかたないのでお金と暇のある公務員のお友達とお正月休みに一緒にギリシャに行くことになりました本当は冬のギリシャより常夏のフィジー島とかタヒチ・ニューカレドニヤ島とかに行きたいのですが・・お友達はギリシャのサントリーニ島かオーストラリアのエアーズロックに行きたいというので・・ギリシャのサントリーニ島は2年前ぐらいにブログに書いた程行きたくてお友達に熱い思いを語ったのがあだになりましたエアーズロックの方は現在関空にカンタス航空が撤退した為に本数が少なくお正月旅行の売り出しでもすぐ満杯で取れる状況ではなかったですしかたないのでギリシャにしましたが・・冬の日本海みたいかな~でもアトランティス伝説をもつロマンティックな島でエーゲ海の青い海と夕日(世界一美しいらしい)が織りなすコントラストの素晴らしい絶景をバックに新鮮なシーフードを食べるのが楽しみです~あとはエジプト旅行に続くアテネのアクアポリス遺跡めぐりですね旅行目指してお仕事頑張ります~SOUL ROOM~戦争について~なぜ戦争が無くならないのか・・それは「まだまだ人類が未熟だから」と言うことになります。幼稚園児が何人かで遊んでいると、時たま喧嘩をします。それと同じことをおとなは戦争という形で表現しているのです。人類を幼稚園児と同じだと私が書くと心外かも知れませんが、じっさいのところ人類の成長レベルは残念ながら幼稚園なみでしかないのです。 もう少し砕いて書いてみます。喧嘩をした幼稚園児になぜ喧嘩したのかと聞くと、「だって○○ちゃんが、こんなことしたんだよ。」とか、「だって、○○ちゃんずるい」とか、「こんなこといったよ」などなどいろいろな理由が出てくるでしょう。いったい今の戦争とどこが違うのでしょうか。始末が悪いのは、おとなは武器を持っていることです。武器という危ない玩具を手放すこともできません。そんなことは無い、おとなには良識と言うものがある。と反論する人もいるかも知れませんが、本当に良識を持っているのでしょうか?その良識と思っているものもまだまだ底が薄いと言うのが残念ながら実情なのです。 人類は長いこと戦争を繰り返してきて、ようやく約半数の人が戦争はいけないことだと気が付いてきました。しかしまだまだその気づきはたりません。その説明をしましょう。実は戦争だけでなく争いごと全てが本当は良いことではないのです。人と人が争って本当の平安があるのでしょうか。これは今の社会全体に潜在している問題です。たとえば学歴偏重も立派な争いをうみます。資本主義経済で、お金を持った人間が社会をコントロールして何が悪いんだ、と、考えていること自体、もっている金の量で争っているのです。優劣を競うということ自体にその問題があります。 まあ要するに、人類の未熟さが戦争と言う形で表に出て来たの言うのに過ぎないのですが、しかしもうちょっと霊的な意味で補足をしましょう。地球の(霊的な)大気の中に人類が日々争うことで、決して好ましくないエネルギーが発散されています。これは地球上のほとんどの人が知らず知らずに作り出してしまっているのですが、その原因は上に書いたような社会的な未熟さが原因なのです。そのエネルギーはさながらスモッグのように地球の表面を取り巻いているのです。その好ましくないエネルギーはどこかで燃やしてしまわないとたまる一方で地球はもっと悲惨な状況になってしまいます。というかある程度以上の濃度になるとどこかで燃え出すと言う方が正しいのです。この観点でいうと戦争は人類の好ましくない思念エネルギーの捌け口になっても居るのです。 わかりやすく言い直します。地球上のどこかで起こる戦争や紛争は、全て地球人が日々作り出している好ましくない闘争的なエネルギーが燃料となっているのです。このエネルギーにより戦争がおこるというのはある意味しかたないことで、摂理にかなったことなのです。ここで大事なことを確認しておきましょう。戦争の本当の責任は、当事者であるアメリカ、イギリス、イラクにだけあるのではありません。言ってみれば人類全てがその戦争のおおもとの原因を作り出しているのです。このことを多くの人間が理解しないと戦争はなくならないということなのです。皆、誰でも「戦争」はいやだと思っています。正しい事だとは思っていないでしょう。なのに何故起きるのでしょうか。 残念ながら、戦争を正しいことだと考えている人たちがまだまだおおぜいいます。目的が正しければ戦争は許されると考えている人たちです。911の連続テロ事件もアメリカの学びの為であるという側面も間違いなくあるのです。 調和が進めば戦争など考えることも出来ないレベルになります。それよりも個人どうして争うことも全くなくなります。争いというものの無意味さを全ての人が理解しているのですから。しかしその段階までにはまだまだ気の遠くなるような道程が必要になります。今はその調和に至るまでの間に体験しなければならないことの一つとして戦争があるのです。 言い方を変えると、成長(真の調和)の為に戦争の体験が必要だから、戦争が起こっているのです。戦争がなくなるのは人類がある程度のレベルまで成長すれば自然となくなります。とりあえず大規模な戦争が起こらなくなるくらいのことはそんなに遠いことではないかも知れません。それも人類の成長の度合いに掛かっています。戦争は人間に何をもたらすのでしょう。 戦争はやはり非常に愚かな行為で、決して歓迎できるものではありません。それには重大な欠点があります。 戦争の意味には様々な側面があると書きました。これは様々なメリットもあるということでもあります。すでにいくつかのメリットを書いていますが、それらは人類的、国家的規模はもとより、それに関係する人、関心を持つ人すべてにとって意味のあることなのです。きわめて大雑把にいえば、全て成長の為のチャンスなのです。 ごく初歩的なことなのですが、確認しておきます。命にとって肉体的な死というものはそれほど意味のあることではありません。死んでしまってもまだまだ道は長いのですから、大勢の人が戦争の犠牲になり尊い命を落とすというのは、現世的な感覚であって、本当の意味では被害者はいないのです。ちょっと乱暴に聞こえると思いますが、ある意味戦争というものは学びのためのデパートのような意味合いもあったりするのです。 全てのメリットを挙げることは出来ないのでいくつか思いつくまま書いてみます。 戦争に限らず親しい人の死というものはその人の成長にとってとても重要なきっかけになることが多いのです。非常に悲しい思いもするでしょう。しかしそれによって生命(せいめい)というものを考えざるをえません。その人の魂の目覚めの為に必要なきっかけにもなるのです。 なぜこのことを最初に書いたのかもう少し詳しく説明しましょう。残念なことに多くの人間が魂の存在について気が付いていません。それは自分が誰であるのかも気が付いていないということです。その場合は命はまだ種というか、卵子とでもいうのでしょうか、まだ完全に目覚めて精神的な活動を開始していないのです。この状態ではまだ本格的な魂の成長が始まっていないのです。もちろんすでに魂が目覚めていて、表の意識がそれを認識していない場合もあるのですが、そういうのではなく魂自体がまだ眠ってしまっているのです。これはいくら永遠の生命(いのち)であるといってもある意味ではまだ生まれていないのと同じことなのです。親しい人の死や場合によっては自分自身の死によって始めて自分の本質が生命(いのち)であることに気が付くのです。いってみればそこは魂の誕生の場でもあるのです。(少々大げさかもしれないけど) ドラマは死別以外にもいろいろと起こりえます。勝利の喜びを体験できる人もいるでしょう。逆に敗北を味わう人もいるでしょう。大きな不安のあとで、大きな安心を感じる人も考えられます。別離も、そして再会のドラマもあります。危機の中で、家族に対しての愛を再確認することもあるでしょう。使命の為に命を投げ出すというドラマもおこります。そして大事なことは争うことの無意味さを、許すことの大切さを理解する人もいるでしょう。実に様々な体験のドラマが内在されているのです。 ちなみに勝利の喜びなどは争いが無ければ体験することは出来ません。ある意味原始的な世界でのみ体験できることなのです。このようなことを考えると現在の地球もまんざら捨てたものでは無いのです。私が地球が素晴らしいところであると感じる要素の一つでもあります。 反戦運動を頑張っている人たちも大勢います。もちろんこのような人たちの中でもドラマがおこります。そしてそれはより霊性の高い理解へとつながっていくのです。また戦争を悪と考えない人に対して教師の役割もしているのです。反戦運動も大いに頑張って欲しいものです。 さて、デメリットについても書かないとあまりにも片手落ちになります戦争の一番の問題点は「苦しみ」をもたらすことです。悲しみは成長につながることがあるのですが、苦しみは何も生み出しません。苦しみにより魂までもが傷ついてしまうのです。この傷は何らかの方法で癒される必要があるのです。また「怒り」などの感情をおこします。怒りなどはいつでも体験できることですか必要以上に怒りの感情がおこることは望ましいことではありません。そして恐怖という人々を愛から遠ざけてしまうものもそこには存在することになるのです。 また予期せぬ突然の死を迎える人が出てくる為、死にたいしての準備が出来ないうちにあの世に旅立たなければならないこともおこります。その様な場合、本人が死というものを自覚して、あの世に適合するまでに時間がかかったりするのです・・次回に続く
2008年11月03日
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こんにちは!ルミルミです久々の更新になってしまいました今週月曜日も祝日出勤したのですが朝起きるとなぜがめまいが仕事があるのでフラフラしながら出勤しましたもちろん今週も10時11時の世界でしたが・・・でも来週からは近い大阪支店に戻れそうです大阪支店は100円でデザートもサラダバーもついて10種類から料理を選べる食堂もあるししかも食事手当ても13000円でるし・・細かいですが最高ですねそしてそんなに遅くまでは残業しないので(暇なのか)楽になれそうですところで10月の始めに東京に行ってそこから札幌一泊旅行に行ってきました札幌は都市計画が行き届いて綺麗な街ですが夜になると丁度銀座の雰囲気で中身は新宿って感じです遊び人の男性にはたまりませんね~あちこちで交渉の会話が・・そしてお楽しみはなんといってもカニ・ジンギスカン・ラーメン憧れの花咲きカニを食べました~美味しかった夜は丁度大通り公園で食のフェスティバルを開催していてそこでロックを演奏していた人のお店に行きましたそれからウロウロしていて銀パリという看板が目に入ってので入ってみると元銀座にあったシャンソンのお店でした年配の女性が華やかなドレスを着て熱唱する姿はたまにはいいものですね来月は両親を連れて東京2泊3日で遊びに行ってきますSOUL ROOM~矛盾~真実が人それぞれに異なると言うことを理解している人にはもう当たり前のことになっているとは思うのですが、矛盾と言うものはあって当たり前なのです。何かと何かが矛盾するのはおかしいと考えていると、それは大きな視点での理解を妨げることになるのです。 私達の起源である生命(いのち)の世界には、もともと何もありませんでした。そこには法則すらも無かったのです。そしてその何も無い世界から多くの生命(いのち)が思考という創造活動をすることによって世界が出来てきたのです。その過程でぞれぞれの思考には何の制限も無かったのです。ですから言ってみればけっこう好き勝手にいろいろな創造をすることが出来たのだと考えられます。ちょっと考えてみてください。無数の生命(いのち)がかってにいろいろな創造をしたのですから当然互いに相容れない創造と言うものが沢山出来てきます。それが矛盾というものの原点なのです。ですから矛盾と言うものは創造の元始の直後からあったのです。そしてその矛盾というものは決して無くならないし、それで上手くいくようになっているのです。 さて私達は矛盾と言うものを本能的に嫌っています。というのはそれなりの秩序だった世界でないと安心出来ないからなのです。その為実際の生活の中でも、そしてとりわけ科学の世界では矛盾と言うものを敵視してしまうのです。この敵視というのは誤解されそうなので言い方を変えると、自分の考えに矛盾したものは受け入れない、またその原因であると思われる相手の人を攻撃すると言うような形で現れるのです。 本当はこの世界はいくつもの矛盾に満ちているのです。むしろこの矛盾を避けていたら世界が成り立たないのです。それでもそれぞれにそれなりの秩序が必要になりますから、生命(いのち)は自分の真実と矛盾の少ない世界に集まるのです。この現在の地球もそんな風にある程度共通した真実を持った生命(いのち)が集まってきているのです。といっても全く同じ真実を持っているわけではないので、この世界でも矛盾はたくさん起こります。 少し別な角度から補足をします。 さて、もうおわかりだと思いますが、矛盾をなくそうと考えるのは自分自身の真実をより強固にするという一面があります。通常の人生で、限られた状況のドラマを楽しみたいと思った場合は、それは何も問題に成るものではありません。しかしより広い視点に立つこと、自分自身により多くの自由を与えたいと考える場合にはむしろ矛盾している様に見えるものも受け入れていくスタンスが必要になるのです。矛盾をなくそうとすることは、自分自身を制限することを意味しているのです。 私達の思考においても、実に様々な制限の要素が働いているのですが、矛盾を容認できないということも非常に大きな思考的な制限なのです。矛盾を容認できるようになってくると、心はより自由になり、その為に人を攻撃すると言うようなことはなくなっていくのです。もともと相手の真実をそれなりに尊重した場合、攻撃しなければならないようなことはめったに起こらなくなるのです。 小さな子供が自由なこころでいられるのも、矛盾を探さないからだと言うことも出来ます。子供にとって、それが筋が通っていようが、理屈にあおうがあわまいが関係ないのです。 とはいっても矛盾を許容できる広い心でいることは、なかなかたいへんなことかもしれません。
2008年10月13日
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こんばんは!ルミルミです久々の更新になってしまいました毎日10時11時まで残業してしかも今は家から遠い支店に出勤しているので2時に寝て6時に起きるという生活左目の不調と寝不足でフラフラでした本当にここは体力勝負の会社ですねまあ良く働いてたくさん稼ぎたいと思ったのでそれが実現したのですが・・・今日は病院に寄ってから両親と串かつカラオケ大会でした来月は美味しいものが食べたいので札幌に行ってきますやはりカニ・ジンギスカン・ラーメンですか~SOUL ROOM~思いやり~今回は、思いやりについて少し書きたいと思います。思いやりというのも、もちろん愛の形のひとつなんです。エネルギーとしての愛が最も馴染みのうすい、とっつきにくいものだとしたら、思いやりというのは、もっとも理解し易い、なじみのある愛なのです。 「思いやり」というのは、相手のことを思いやるということで、自分がもし相手の立場だったら、どうだろうか?と考え、その時にして欲しいことをしてあげるということをいいます。この「思いやり」という言葉自体は良く使われることばなので、それほどの説明は要らないと思います。今回は、もう少し突っ込んで「思いやり」に関連したことを書きます。 さて、大事なことがいくつかあるのです。「思いやり」という言葉は、かなり定着した言葉なので、誰でもその意味を理解し、その気になればそれを実行に移せると思っている人も多いかと思います。ところが思いやりの心でいることは、ある程度の意識のレベルにいないと出来ないことなのです。 もう少し別な言い方をしましょう。「思いやり」というのは私達が人生の中で体験して知ることのひとつなのです。それは、まだ「思いやり」というものを理解していない人もおおぜいいるということなのです。なぜこのことが重要なことなんでしょうか?例を上げて説明します。 Aさんは、やさしく、思いやり深い人です。Aさんにとって、「思いやり」というのは何も特別なものではなく当たり前のことなんです。Aさんにとっては、全ての人が「思いやり」を持っているということが当たり前のように感じられるのです。ところがBさんという人がまだ、思いやりというものの大切さを(感情的に)理解していなかったらどうなるでしょうか?AさんがBさんを見ると、冷酷で情けを知らない人だとみえるのです。まあ、そう見えるのは当たり前なんですが、Aさんは自分自身の常識に照らし合わせると、「思いやり」を理解できない人などは考えられないのです。そんな人がいる訳はないと思っているのです。だからBさんの態度に思いやりのようなものを感じられなかったとき、Bさんが悪意をもってわざと、冷酷な振る舞いをしているように見えてしまうのです。わかりますよね。AさんはBさんの行動の中に悪意を見てしまうのです。 では、本当の意味でBさんのことを思いやってみましょう。実はBさんは悪意でその様な行動をしているのではないのです。まだ「思いやり」というものを完全に理解していないのです。その為に、Bさんの行動は思いやりの無いものになってしまっているのです。それはBさんに悪意があると言うのではなく、まだBさんが未熟で無知であるということだけなのです。人間は何事も感情的にそれを理解しなければ、それを実感したり、表現したり、行動に移すことが出来ないのです。言い方を変えると、Bさんはまだ「思いやり」を覚える途中であり、今はそれを理解する為にいろいろな行動をしているというわけです。それは、Bさんの本質が悪だというようなことではないのです。Bさんの本質も他の人と同じように純粋な魂なのです。まだ体験の途中だということだけなんです。 なぜ、「思いやり」について、今のような話が必要になると思いますか?心やさしい人には信じられないかも知れませんが、まだ「思いやり」を理解していない人達が結構な比率でいるのです。今ここを読んでいる読者の人も、ひとりやふたりはその様な人を思いつくと思います。そのことを理解すると、以前より許すということがしやすくなります。もちろん、許すということも大事な「思いやり」の表現なのです。 古くは、「罪を憎んで、人を憎まず」といいました。今だとこれが「全ての人の中に、神をみる」ということなのです。彼らは、自分自身を苦しみの中におきながら、「思いやり」を理解しようとしている私達の仲間なのです。私達もかってはそれをやってきたのです。それを知れば許せないはずは無いですよね。そしてもっと深い「思いやり」を示すことも出来るでしょう。 深い「思いやり」というのは実は誰にでも出来るものではありません。なぜなら相手と同じような心の痛み、苦しみなどを自分自身で経験したことがなければ、本当の意味で、同情し、思いやることは出来ないのです。だから相手を思いやることが出来るということはある意味では、心の勲章みたいなものなのです。それはその人が体験し乗り越えてきたものをそのまま表しているのです。このことからも、思いやりの無い人を責めてはいけないということになりますよね。 さて、もうひとつ「思いやり」について書きます。相手の立場になって同情してあげるというような場合、その相手は精神的な苦痛の中にいるのです。それは苦痛という体験の出来ない世界では決して体験できないということでもあるのです。もちろん、究極においてはその苦痛も幻なのですが、それでもその苦痛がどのようなものかは体験してはじめてわかるものだという事は真実なのです。何を言いたいのかというと、いろいろな愛の表現の中でも、「思いやり」や「同情」という形の愛は、この世界でなければ体験しにくい種類のものなのです。 話をすこし変えます。愛したいと考えても、それにはどうしたら良いのか解らないというケースも多くあると思います。そんなときは、無理して愛そうとする必要はありません。何事であっても、こうしなければならないと考えるのは、自分自身に制約を作ってしまうことになります。それは自分自身を愛する為の障害になってしまうんです。そのような時、「思いやりのある人間」でいることを心がけているくらいでも良いと思います。それだけでも十分価値あることなのです。 ついでにといっては何ですが、「思いやり」について、もう少し突っ込んでみます。思いやりというのは相手の立場に立つということで、自分自身の視野を広める働きもあります。それは一つの出来事を二つ以上の側面から観察するということになるのです。それは2倍の体験、2倍の気づきにつながるということなんです。そして、「思いやり」のなかで表現されるやさしさは、自分自身の波長を上げて、自分の成長を早めるという効果もあるのです。こういうことって実際はみんな関連しているんです。私はその中の例を少し上げただけなんです。簡単に言えば、人に優しければ(愛していれば)、その結果として何倍もの見返りがその人にあるということなんです。
2008年09月20日
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こんばんは!ルミルミですソフトボールで見事金うちの会社の選手が2名出ていました私もソフトボールで入社したら良かった運動オンチの私では絶対無理ですがところで先週は敦賀の花火を見にいきましたテーマごとに6部編成の花火打ち上げで1万3000発の見ごたえのある花火大会でしたフィナーレは大輪花火の連打でこちらに火花が飛んできそうなど迫力でしたお昼は贅沢に近江牛のさしみとステーキ食べましたとろけるお肉でとっても美味しかったです2日目は世界遺産に指定されている合掌造りの白川郷へ白川郷で最も大きく古い合掌家屋である和田家の内部を見学しました。江戸時代中期に建てられて、築300年以上も経過しているが、今でも重厚な造りの家屋は住宅として人が住み、歴史ある茅葺の家屋を守っているらしいです木製の材料だけを使い、釘を一本も使っていない内部構造が見られるほか、強風や冬の豪雪にも耐えられるように工夫された、先人の知恵も知ることができましたよSOUL ROOM~私達の魂~本来の生命(いのち)は自由なもので、輪廻転生などは必要ないものなのです。それが地球の場合何か事情があって、輪廻転生をしなければ成らないようになってしまっています。それはおそらく魂がそうしなければ成らないと思っているからなのです。魂の意識体は何度も人生を経験しますが、おそらく最初はそれぞれ個別に体験をしていたのだと思います。そのうち意識体のクループとして、一つの意識体(エネルギー団)を構成するようになったのでしょう。いろいろな人生を経験した意識体が集まったのですからその中にはいろいろな思いが入っています。その思いで達成できなかったこと、何かしらのけじめをつけたいことなどをカルマのようなかたちで次の人生に託したと考えられます。この清算をする為に輪廻転生することが必要だったのです。荒っぽい言い方をしてしまうと、今まで地球上に生活した人の意識が魂となって私たちの中に居るのです。もともと意識などと言うものはエネルギーであり明確な境などないのでだんだんごっちゃになってしまうのは当たり前のことかもしれません。今の私の気持ちは私のものなのか、それとも魂の一部から送られてきているのかわからないのですから、あらためて明確な区分けは出来るわけないのです。 で、結局のところ、魂は私の意識の中に私の知らない様々な記憶(人生経験)をもってくっついているのです。(荒っぽい言い方です) たとえて言えば、私たちが幼稚園児だとするとその子のしょっているランドセルが魂なのです。そのランドセルの中にはノートがびっしりと入っていて、そこにはそれまでの様々な経験が書き込まれているのです。 輪廻転生しているのは、実は私たちの命ではなく、魂が輪廻転生を繰り返しているのです。命は魂とはまたちょっと別なもので、あえて言うと魂と言う乗り物に乗って輪廻転生しているものらしいのです。 本来は生命(いのち)は、自由な存在でどこにでもいけるのですが、一度魂と言う乗り物に乗ってしまうとそこから簡単には抜け出すことが出来なくなってしまうようです。これは魂の中に閉じ込められた意識という見方をすることも出来ます。悪い言い方をすると、私たちは魂と言う他の人の意識を閉じ込めた牢獄を背負って、この世に生活をしていると考えるのもとんでもない見当違いではないようにも思えたりします。魂はこの3次元の世界に住む私を通していろいろな体験をしています。これはどのような事を意味しているかと言うと、私がこの世の中で接触した人の魂とは情報交換が出来ると言うことです。まえに書いたように誰かに意識を向けていたり、近くに居たりすれば自然と魂レベルでの情報交換はおこなわれています。それが魂にとっては重要なことなのです。逆に言うと、私達の3次元を通さないと情報交換は出来ないと言うことになります。魂は知っている意識とは交信できるはずです。知らない意識とは交信できないのです。まあどこにでも行けるのだけど、それなりの目印が無いと動けないというように考えた方がわかり易いでしょう。私たちは魂にとっては、この目印の役割をしているのです。 言い方を変えましょう。彼ら(私の魂)は私を窓口としてしかまだ未知な意識とは接触ができません。とくに自分たちと異質な意識体との接触は不可能なのです。えーと、合いたい人には意識を合わせればいつでも合えるけれど、知らない人とは意識をあわせられない。という感じでしょうか。話を最初の方にもどします。魂ごとに真実が違うと言うことは、魂ごとに体験も違うし、学びの程度も違うわけです。それぞれの魂がそれぞれの人生の経験を通して様々な真実を知っているわけです。実は地球に存在する魂もそれぞれがかなり密度の濃い体験をしているのですから、それぞれがいろいろな英知を持っているわけです。それはこの地球人のすばらしさであると思うのです。
2008年08月23日
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こんばんは!ルミルミです暑い日が続きますね会社ではあまり外出しないので暑さは感じないのですがお休みの日に外出するとあまりの暑さにクラクラ最近又ダイエットを始めたのですが・・食いしん坊の私にとって食事制限はとてもつらいし思うような効果が出ないので今人気の加圧トレーニング始めました腕と足の付け根を締め付けて血流を制限し運動することで大量の成長ホルモンが分泌され軽い負荷でも大きな負荷をかけたときと同じ効果が得られるそうですあまりまだ痩せないけれど体脂肪率は19%に即筋肉に変わるみたい~より逞しくなりそうですお盆は両親を連れて敦賀の花火大会に行ってきますその前に食べ放題にも行きますがSOUL ROOM~自己満足~自己満足について書こうと思っています。この言葉も重要な意味があるのですが、損得と同じように錯覚されているのです。多くの場合「自己満足」という言葉にはあまり良い印象を持っていない人が多いのです。まあ言ってみれば「レベルの低いことで自分勝手に満足しているけれど、他の人はそんなものはたいしたこと無いと思っているよ。」というような意味あいでしょうか、人それぞれに若干の違いはあっても平均的にはこんなものでしょう。 その為に私たちの意識の根底には、「自己満足では終わりたくない。」という思いがどうしても残ってしまうのです。さてこのことを視点を変えて見てみましょう。これは「自分が満足できるかどうか、周りの人に決めてもらう。」ということとそれほど意味が変わらないことなのです。これでは相手に好意の見返りを要求することと同じ様な現象に陥ってしまうのです。 もったいぶらないで核心のことを書くことにします。実は全ての満足は「自己満足」なのです。満足というのは、満ち足りていることを感じることなのです。(もちろん満ち足りるのは物質的な物ではありませんよ) 自分自身の今の状況をありのままに受け入れて、必要なものは全てすでに有るということを感じることなのです。そして大事なことは、自分が満ち足りているのかどうかは、自分で決めることなのです。他の人がそれを決めることは出来ないのです。 自己満足をあまり良くないものだと勘違いしている人間は、自分自身の心の状態である満足を自分以外のものにゆだねようとします。しかしそれは出来ないことなのです。くどいようですが、それはやってはいけないということではなく、出来ないのです。説明が難しいのですが、いろいろな創造の中でも最も重要なことは、自分自身の心の状態を創造することなのです。その創造というのはひとりひとりの現実の一部なのですから、それは他の意識によって作られることは出来ないのです。あくまでも本人が自分で自分の心の状態を満足という状態に創造しなければならないのです。 こんな例を考えてください。ある人が仕事で立派な功績をあげました。その功績に対して大勢の人が褒め称えてくれます。本人も満足しています。さてさてこの場合はどうでしょう。これもやっぱり自己満足なのです。たしかに本人は大勢の褒め称えてくれる人をみて自分の仕事が評価されたのを見ています。しかしそれを見て満足を作り出したのは本人に違いありません。周りの人の賞賛はそのきっかけでしかないのです。 もちろん逆の場合もあります。自分の仕事の結果に本人は満足しています。しかし周りからは評価されてはいません。俗に言う「自己満足」とはこの状態のことを言います。この場合の満足は前の例と比べてどうなんでしょう。本当はなんの違いも無いのです。むしろ後者の方がいつも満足でいられるという観点で行けば優れているのです。前者の場合、満足するとき他の人の評価が条件になってしまう場合もあるのですから。条件になってしまうと、満足する機会が減ってしまいます。魂はいつも満足の状態でいたいのですから。この自己満足に対する誤解は時として非常に残念な結果を生みます。本当は自分としては充分満足できるだけの結果になっているのですが、周りの人の評価を気にする為に満足するのを止めてしまうのです。 ここまで読んでくると一部の人は気が付いていると思います。満足とは喜びと同じなのです。言い方を変えると、自己満足とは自分で喜ぶということで、幸せになる為の必要条件なのです。そして偉大な創造の一部なのです。多くの人に大いに自己満足してもらいたいものです。 おまけで書いておきます。満足を感じる原因になる出来事に何の優劣も無いのです。これは喜びのきっかけに何の優劣も無いことと同じなのです。大事なのは、心が満足の状態でいられるかどうか、それだけなんです。 珍しいものを拾ったとかのごく些細なことで満足している小さな子供の笑顔など、それを見ているだけでもすごく楽しいものです。
2008年08月09日
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水族館の温泉中国雑技団こんばんは!ルミルミです!先週は伊東に行くならハトヤのサンハトヤホテルに行ってきましたお昼は伊東駅の近くで大好きな金目鯛煮付けやおさしみ、アワビの踊り焼きを食べて大満足あまりに美味しかったので食べ過ぎてホテルの中国雑技団のショー付の夕食はあまり食べられませんでした次の日は泳ごうと思ったのでオレンジビーチという海水浴場に行ったのですが沖縄とか比べたらいけないのですが白浜じゃないし、生活排水が流れ込んでいるあまり綺麗と言えない名ばかりのビーチだったので泳ぐのは断念し、伊豆シャボテン公園のある伊豆高原の方に遊びに行きました公園では動物園になっていましたが猛暑で動物もバテバテでしたお昼は伊豆高原でみつけたオシャレなフランス料理店で有機野菜で飾った見た目も素晴らしい美味しい料理でした金目鯛のムニエルSOUL ROOM~人生の味~以前私の妹が中学生の頃体育の時間に平均台から落ちたその数秒の間、死ぬ間際の一瞬の間に自分の人生を全てくり返して見えるという現象がおきた話をしました。楽しかったことや、苦しかったことなどそれまでの一生の内の全てのことが頭の中によみがえって来るらしいです。当然もうとっくに忘れてしまっていたようなことも全て思い出すのです。食べ物を食べるとき味を感じるのですが、何回もの食事をいちどに味わったらどうなると思いますか?甘い、しょっぱい、すっぱい、辛い、渋いなどごちゃ混ぜにしたらいったいどうなるんでしょう。まあ普通に考えてそれが美味しいとは思えませんよね。人生を一度に見るということはそういう体験なのです。さてここで運命というものを説明しておかなければなりませんね。過去も現在も未来もすでに存在しているのです。しかもそれらの全てが固定したものではなく変化しているのです。それは何を意味するのでしょうか? わかる人には難しいことではないのですが、それをもっと説明しようとするとちょっと大変です。まあ正確な説明ではないのですが、人生という一冊の本があると思ってください。私達はその本を読んでいるのです。でも大事なことは、その本はいくらでも書き直すことが出来るのです。読んでいる途中でも内容を変更できるのです。(この内容を変えるということを別の言葉でいえば「意識的に生きる」ということになるのです。) まあ内容が変るということはこの際おいといて、その本を読んでいるという観点で考えてみてください。先ほどの味の話と同じで、一度にすべてを読んでしまったら、結局何が何だかわからなくなってしまいますよね。「せっかくだから、その本をじっくりと味わいたい。」というのが生命(いのち)としての私達の希望になるのはわかりますよね。それが生きるということなのです。 人生の中で、楽しい事もあり、つらい時、苦しいとき、孤独を感じている時、迷っている時、美味しいものを食べているとき、テレビを楽しんでいるとき、音楽を聴いているとき、映画を見ている時、花を楽しんでいるとき、それこそありとあらゆる体験があります。それをごちゃ混ぜにしないで少しずつ味わうために時間というものがあるのです。時間というものは、けっして私達をあせらせる為にあるのではないのです。 私達が時間とともに生きているということは、そのときの時間にフォーカスしているということなのです。そして生きている目的は、自分の人生の中での「今」を味わうことなのです。もし私達がいつまでも昔のことをくよくよ考えていたり、どうなるかわからない遠い将来(数年後)のことを心配しているとしたら、生きていることを味わえなくなってしまうのです。だから、今を楽しみましょう。今を味わいましょう。もし今がつらくても、それも大事な貴方の人生の一部なのです。充分に味わいましょう。甘いものばかり食べていても豊かな食生活を送っていることにはならないですよね。それと同じことなのです。楽しいばかりではなくても全てが貴方の大事な人生の一部なのです。 味にたとえると、いつまでも甘いものばかりを追いかけているのなら、子供と一緒ですよね。グルメになるためにはいろいろなものを味わえないとなりません。いろいろな味を知っていなければいけません。そしてどれもが貴方の素敵な人生のメニューなのです。 人生を味わうこと、それもめいっぱい最高の感動で、それが魂の望んでいることなのです。私達が本当に望んでいることなのです。だいじなのことは「今を味わう」こと、「今に生きる」あるいは「今に在る」ということなのです。
2008年08月02日
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