野の花・野の豚の自己研究に根ざす、社会的な共生の道を探求する発言・2015年7月1日から

野の花・野の豚の自己研究に根ざす、社会的な共生の道を探求する発言・2015年7月1日から

飯田博久さんの捉え直し・反省と償い



「はんせいとつぐない」(飯田博久) 

 殺したことのとらえなおしは難しい.そのとらえなおしに基ずいて、償いを考えると迷いばかりがわいてきて自分をもてあましてしまう.心の中で,こんなことでワいけない,と自分を叱り付けているのだけれど。
 谷川富次郎さんと吉沢正一さん,信子さんを殺してしまってから13年たっていて,いろいろな記憶が薄らいでいくのに,谷川さんの首を絞めていたときの,あの息苦しく,恐怖に満ちた時間と情景と、この手に伝わってきたけいれんや,吉沢夫妻の首にタオルや布バンドを結んで,ふと死につつある夫妻の腹部が,ペコリ,ぺこりと動いて必死に息をしようとしていた姿が,何の脈絡もない獄中生活の一瞬にまざまざと思い浮かぶ.ぼくはそのとき.背中の毛がザザッと立ち,叫びたい衝動に駆られる.そのときの心の感じを言いあらわす言葉を広辞苑で捜したが未だに見つからない.
 殺人のときのことを思い出そうとして思い浮かぶのなら、少なくとも心の用意ができるけど、出し抜けに思い浮かぶのは、その嵐の一瞬のあとに心が定まらない。己の殺人の罰で当然の報酬だ,と自分を罵ってみるのだけけれども.
 12年,13年と年月が過ぎ去っていく中で、殺人の捉え直しを重ねてきて,年々自分の醜さ,汚さが、あるいは主体性のなかったことがわかる程に,自分への嫌悪がつのる.
[まだ完成していませんーsb〕


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