スキルス胃癌 サポート

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患者さんの話・もと子さん



初めて、お付き合いをした患者さんは、もと子さんという42歳の女性でした。
この方のご主人と現在サポートメンバーとして活動しているサイトを通じて知り合ったのです。(現在は一緒にここで活動しています)
ご主人は私の「戦友」で、この頃は毎日何回もケータイメールで双方の患者の病状を報告しあっていました。
偶然にもK大学病院のY先生のセカンドオピニオンを受けた日が同じで、すごい縁を感じたものです。
お互い、この病気がどういうものか、どうなってしまうのか、全くの無知状態でわずかの変調に気を揉んだ物です。
毎日何度もメールのやりとりをしているうちに、もと子さんが入院した事を知った私は思い切ってお見舞いを申し出てみました、2002年秋のことです。
快諾頂いたので、開院したばかりのSがんセンターへ主人と二人でお見舞いに行きました。
父は70歳という年齢でこの1ヶ月前に他界していましたが、この事を伏せてお会いしました。
もと子さんはまだ42歳、父の年齢が申し訳ないような思いがしましたが「年齢は関係ない。(貴女にとって)大切な人には変わりはないのだから」って言われました。もと子さんのこの言葉が今も私の支えになっています。
それからも何度かお見舞いに行きました。
お会いする度に、別れ際必ずもと子さんは両手を合わせて「ありがとう、感謝感謝だね」って言った事を良く覚えています。
数ヶ月後、東京の自宅近くの病院に転院する事になったので、うちの車でもと子さんを連れて行く事になりました。
2002年12月2日。この日は今思うと「大プロジェクト」です。
酸素ボンベに塩モヒ、IVHに導尿の管・・・知り合いのナースが同乗しての約3時間の移動でした。東名を走りながら「紅葉が綺麗」ってもと子さんがつぶやいたっけ・・

それから9日後の午後3時頃、もと子さんのご主人から、もと子さんが危篤との知らせが届いたので、すぐさま主人にメールで知らせ主人は職場から東京の病院に直行、私は急いで家を出ました。
病院に着くともう既にあたりは暗くなっていて、玄関前に泣きながらケータイで電話をかけている、もと子さんのご主人の姿がありました。
間に合わなかった・・・そう思った瞬間、涙があふれて止らなかった。

あれから3年半・・・今も、もと子さんのご主人(ヒゲさん)とはずっとお付き合いが続いています。
もと子さんの二人の可愛い娘さんは、お父さんには、なかなか言い辛い事をこっそり私にメールしてきます。
もと子さん、私は少しはお役に立ててますか?

2002年12月11日旅立ち


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