スキルス胃癌 サポート

スキルス胃癌 サポート

カズオさん



40代の男性患者さんのカズオさんと出会った。
出会いの経緯は、奥さんがヒゲさんのHPを読み、奥さんがヒゲさんとコンタクトを取って、ヒゲさんから私へ紹介がきた。
ヒゲさんが「相談者は女性だから、女性同士の方が向こうも良いだろう」との配慮から。
この頃私が出会う患者さんやご家族は、サイトの管理人か、ヒゲさんからの紹介、もしくはオフ会で知り合った方が殆どだった。

遠方からご夫婦でセカンドオピニオンを受けに静岡へ来られた。
お会いした時は、まるで奥さんの方が患者さんのごとくに落ち込んでおられ、ちょっとした隙にも泣き出してしまいそうだった。
その横で当の患者さんであるご主人は、いつも「困ったヤツだ」と言わんばかりの表情をされていた。
その表情には、明らかに愛しい人を見つめる優しさがあった。

お会いした時には既に、腹水が溜まっていて決して芳しい状態ではなかった。
おまけに転んで足を骨折までしていて、ご本人は松葉杖でやって来られたのだった。
カズオさんのお仕事は梨を作るだ。
「軽トラで畑を見に行って・・って、こんな足だから連れっ行って貰うんですが、いつかあそこに帰る、帰ってやる!って思う事が今の目標なんです。」
って言われた。
そう、どんな時だって目標や夢、希望は必要だ。
それが本人を支えてくれる。

これを機に奥さんと頻繁にメール交換が始まった。
ほんのちょっとした変調でもすぐに連絡のメールが届いた。
全てが初めての事だもの、不安が付きまとうものだ。

9月に半ばに入院したとの連絡が入る。
どうも、芳しくないようだ・・・腹水の溜まり方が異常に多い・・・
本人が入院してからは、本人からもメールが届くようになった。
届く内容は、自分の様子を「相撲取りみたい」なんて茶化し、最後は「これからも応援よろしく!」だった。

そんな時折のやり取りの中で
「梨を送ります」というメールが届いた。
「お気持ちは嬉しいけれど、お気持ちだけ頂きますから今はご自分の体のご心配だけして下さい」と、返した。
そしたら、又すぐさまメールがきた。
「ひろりんさんに自分の梨を食べて欲しいから、送るんです」
と、きっぱりと書かれていた。
梨作りに賭ける夢と情熱を聞いてきただけに、これは断れなかった。
ご自身が辛い思いをされ、本人が一番不安で怖かったはずなのに、私を気にかけていてくれた。

自分は、金儲けの梨作りではなく美味しい梨を作りたいのです。
皆さんに喜んで頂けるような、本当に美味しい梨を作るのが夢なんです。
ようやくその夢が叶い、採算が採れるようになった矢先に、病に倒れたのだそうだ。ご自分の事を「梨バカ」だと言っていた。

この数日後、奥さんから感謝の言葉が添えられて梨が届いた。
手紙を読みながら、溢れる涙が止まらない・・・
世界一美味しい梨を頂いた。
この時、ヒゲさんにも同じ物が届いていた。
その時に、ヒゲさんから超寒い駄じゃれメールが私に届き、それをそのままカズオさんに転送したら、かなりウケていたっけ・・・

確かヒゲさんからのメールは「帰宅したら机の上に箱が置いてあり、覗いてみたらなんにもナシ・・なんちゃって」とかいうメールだった。

カズオさんは「氷河期のようだ^^」ってメールを返してきた・・・
笑ってくれたなら、それだけで嬉しい。

この後、しばらくして
「別の種類の梨も召し上がってみて下さい」
と、又梨を頂いた。
主人は、こんな梨を食べるのはもったいないな・・・と、言いながら食べていた。
私も泣きながら食べた事をよく覚えている。

カズオさんから届くメールは弱音は無かった。
梨に賭ける夢と情熱、そして奥さんへの労わりの言葉だった。

10月に入ると更に病状が悪化・・・
奥さんがずっと付き添うようになった。
毎日、奥さんから何通もメールが届いた。
不安で不安で、怖くて怖くてたまらなかったのだろう・・・
本人も辛さの中、つい家族に当たってしまう事もあったようだ。
これは誰でも同じだ。
その後、申し訳なく思う・・・これが患者さんの心理のようだ。

2005年11月3日、カズオさんは旅立った。
私に最高の梨の味を教えてくれた方だった。





© Rakuten Group, Inc.

Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: