スキルス胃癌 サポート

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セカンドオピニオン



翌日のセカンドオピニオンに備えて前日から車で主人と出発。
母は父の看病のために残る。

父が息子のように小さい頃から可愛がり、私にとっては兄のような間柄の従兄には逐一相談と報告をしていた。
遠くのK病院にセカンドオピニオンを受ける事も報告した。
彼は「どうせなら、綺麗な景色も見ておいで」と言う。
「観光に行く訳じゃないんだから」って言うと、「こんな事でも無ければ行く事が無い土地じゃない。お父さんが見せてくれた景色だと思って、見ておいで」と言う。
確かのその通りだけれど、とてもそんな気持にはなれなかった。

真っ暗になった頃にK病院のある市に着き、駅前のホテルに泊る。


2001年11月9日

K病院に行く。
着いたのは良いけれど、最初から???の状態だ。
まず、初診申し込みに誰の名前を書くのかがわからない。
父の名前か、私の名前か?
そもそも、一応父の健康保健証は持って来たけれど、セカンドオピニオンって保険が効くとは思えない。
自由診療となると、一体いくら必要なのだろうか?
弁護士の自給が2~3万円だから、医者もやはりそれくらい必要なのでは?
いきなり、メールで申し込んでしまったけれど、米村先生に対するお礼はどうすれば良いのだろうか・・・
全然考えもせず、用意もせず、とにかく来てしまった。

まだこの頃はセカンドオピニオンという言葉が珍しい頃で、現在のように「セカンドオピニオン病院リスト」なんて存在しなかったから、何もわからなかった。

大きなCT写真を持って待合のイスに座る。
この病院は長い廊下に長いベンチが並べてあるだけ。
とても老舗の大病院とは思えない。(今はすごい近代的な建物に変わったが)
増改築を繰り返した、大きな診療所みたいだ。
ふと前を見ると、ヒゲの男性が座っている。
何となくこの男性の印象が強く残った。
と、言うのもケーシーを着た大柄な医師が現れ、このヒゲの男性と目の前で言葉を交わし、その会話が聞こえたからだ。
「Aさんですか?他にも患者さんが来ているので、もう少し待って貰えますか?」
「なんぼでもお待ちしています」というだけの会話なのだけれど、何故こんなに良く覚えているのだろう。
この人が、現在サイトで仲間として一緒に活動しているヒゲさんだが、この時は言葉すら交わす事なく別れた。

さほど待つまでもなく、順番が来る。
この時、初めて米村先生と出会う。
CTを見て「スキルスですね。びまん型で一番性質の悪いやつです。今は手術は無理ですね」と言う。

だけど、抗癌剤が効けば手術に持ち込む事が出来るので、まずは化学療法をして下さい。
抗癌剤は色々種類があるけれど、まずTS-1をやってみると良いと思います。
これは経口薬だから入院しなくて良いし、何故か胃癌に良く効くんです。
この薬だけで2年以上元気に生きている人もいると言う。

そう言って、TS-1に関する資料を見せてくれた。
急いでメモを取ろうとすると、
「これコピーして持って行くと良いですよ」と言うと、いきなり診察室を出てコピーに行ってしまった・・・・
主人と二人で顔を見合わせてしまった。
コピーした用紙を持って、再度診察室に現れた米村先生はページ数を数えながら、ちゃんと見やすいように並べてくれる。
普通、有名で偉い先生がこんな事をするだろうか?
柔和な笑顔で、40分くらい話してくれた。

この頃、TS-1はまだ新しい薬でどの病院でも出せる薬ではなかった。
他にもいつくか抗癌剤の候補を上げてくれた。
その時米村先生が書いてくれたメモもちゃんと残っている。
あの頃のメールやメモを読み返すと悲しい程、今は内容が理解出来る。

地獄に落とされたような気持だったのに、診察室を出る時は何故だか気持がとても軽くなった。
診察室を出て後は支払いだけだが、又どこへ行って良いのか迷っていると米村先生と会う。
どこで支払いをすれば良いのか尋ねると「話を聞いただけだからね、このまま帰って良いですよ」と言って作ったばかりの診察券を持って行ってしまった。
またまた、あっけに取られてしまう・・・・
では、せめて何かお礼を!!と思ったけれど何も用意していない。
結局、何のお礼も支払いもしないまま帰る事になってしまった。

しかし、ここで疑問が沸く。
開腹前の同じCTを見て、米村先生はまだ手術は無理だと言う。
だけど、父の主治医はそんな事は言わずに20cmもお腹を切った。
上辺だけ切っただけだが、痛みは相当のものだ。
40度を超える熱も出た。
腹膜転移の確認だけなら、腹腔内洗浄細胞診でも予測できるし、腹腔鏡検査で充分わかるはずだと、今なら思うがあの頃は知らなかった。
開腹しなければわからない事もある。
例えばよほど膵臓に癒着している等・・・・
癌と言われた時に、何故その時点でセカンドオピニオンを受けなかったのか悔やまれた。

K病院を出る頃には、悲壮感はすっかり消えていた。
それどころか、折角ここまで来たのだから、あの有名な庭園を見て帰ろうと、しっかり観光までして帰った。
心がとても軽くなっていて、明るい光がしっかり見えた。
本当にY先生という方は、不思議な先生だ。
(今も、この出会いには心から感謝している。)



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