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今日は私の戦友でもある、ヒゲさん(40代)の命日です。2007年の暮れに体調の異常を訴え、その後、膵臓癌が判明し、昨年の今日旅立ちました。2008年早々に病院に行き、膵臓の腫れが見られ、膵臓炎との診断でした。電話で話を聞いた時、私は、「なんだぁ、膵炎か」でしたけど、博士は「膵臓癌じゃないのか?」でした。。。その時の博士いわく、ヒゲさんの家系に糖尿病の人がいない。ヒゲさんから、健康診断等で血糖値で引っかかったなんて話は聞いたことがない。それなのに、膵炎なんておかしい、膵臓癌の可能性が高い・・・だけど実際に検査を受け、膵炎と言われた人に、膵臓癌かもしれないから腫瘍マーカーを計れとか、病院を即、変えろとか・・・実際は言えないもんですねぇ・・・(腫瘍マーカーには反応しないタイプでした)癌が何たるか、若年層の癌患者さんがいかに多いか、多少なりとも現実を知っている私でも、言えなかったです。「まさか、あのヒゲさんが?(笑) 絶対、ありえね~」って感じでね。変な話ですけども、米村先生ですら、私が 「胃が痛い」 と言っても笑って相手にもしてくれませんわ。この年代にスキルス胃癌患者さんが多いことは、誰よりも知っているくせに、自分の周りから患者が出るなんて、全然思ってないフシがあります。専門家ですら、そーゆーもんです。結局、博士の悪い予感は的中して、膵臓癌と判明するまで、それから1ヶ月かかってしまいました。膵臓癌に関しては、スキルス胃癌より性質が悪いという認識をもっています。この1ヶ月は、本当に悔やまれてなりません。この1ヶ月にさっさと切ってしまったら・・・違う余後があったかもしれないと今も思います。奥さんをスキルス胃癌で亡くしてから(2002年冬)、ヒゲさんの周りでも再婚を勧める人は何人もいました。奥さんのお身内からも、話は出ました。再婚しなよって。ですが、いつも 「そんな相手、いないから」と笑って聞き流してましたね。ある時、こそっと私に「もう、あんな思いは嫌だよ」って言いました。。。再婚なんかして、また、奥さんに先に逝かれるようなことの方が怖いって。だったら、一人身の方が良いってことだったみたいです。ケータイの待ち受け画面は、機種変しても奥さんの写真で、結婚指輪もずっと外さずにいました。2008年2月下旬に手術して、その後、ジェムザールで再発予防をして、8月に肝臓への再発が確認されて、それからTS-1に切り替えて・・・胃癌に良く効く薬なのに、ヒゲさんの膵臓癌には全然効いてくれなくて・・・9月22日に旅立ちました。膵臓癌って、胃癌以上に抗癌剤が無いって感じました。常々、大腸癌は沢山あるのに、胃癌は少ないって思ってましたけど、膵臓癌はもっとないし、時間も厳しい・・・あまりにも厳し過ぎました。旅立つ日の昼間に会った時も、必死に生きようとする様が見て取れました。まだまだ、死にたくなんてなくて、死ぬ訳にはいかなくて、それでも逝ってしまった・・・あれから1年です。。。
2009年09月22日
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今日は、9月22日に膵臓癌で他界したヒゲさんの七七日法要と納骨、そして、6年前にスキルス胃癌で他界した奥さんの七回忌法要に行って参りました。ヒゲさんの法要は一般的に言う、四十九日法要です。夫婦仲良く一緒の法要となりました。。。ご住職が言ってました・・・「故人からは11月30日に、奥さんの七回忌法要のお約束を頂いておりました。こういう事情で、今日は一緒の法要と致します。」ヒゲさん、存命中に奥さんの法要の予定をちゃんと立てていたようです。こういう約束って、ちゃんと本人が守らないとダメですよねぇ・・・癌患者さんとのお付き合いが多く、私の場合、患者さんが医師に話す内容を核として、その周りの大きくアバウトな内容まで話される方がとても多いです。病気とは本来何ら関係が無いような話まで、本当にエトセトラ・・・です。その中で良く耳にするのが、癌が判明する前の腰や背中、肩の痛みです。私の父も腰が痛いとよう言うとりました。庭の草取りの時期に言うことが多かったので、そんな体制で草取りなんかしていたら、そりゃ腰だって痛くなる・・と思ってました。痛みが治まれば、気にもかけませんしね。ヒゲさんの場合は、6年前に背中全体がピリピリ痛む事があったと言ってました。丁度、奥さんが静岡の病院に入院していた頃です。「今思えば、あの時に癌を作ったんだなぁ・・・」って、言ってました。でも、背中の痛みで「癌かも?」とは普通は思わないし、「癌かも?」って思ったとしても、何の癌かわからないから、何の検査を受けて良いのやら???です。ペットCTも、早期癌の判明には疑問符が付いています。実際に早期癌の発見に繋がった症例って、実は少ないようです。「少なくても、もしかしたら見つかるかも?」って可能性はありますが、その為に10万円前後のお金を出す人って???結局・・・ヒゲさんの癌が6年前に出来たものだとしても、当時、発見する事なんて出来なかった訳です。ヒゲさんが他界してから、怒涛のごとく時間が流れ・・・今日の法要となりました。私自身もただ悲しんでいる・・・という間もなく今日という時間となっています。とにかく忙しく、落ち込んでいる間もなく、毎日追われて過ぎていきます。過去を思い出すという行為は、私の中では封印されてしまっています。それが、今を生きる為の術なのかもしれませんが・・・二人の娘はどうしてるかって?ご住職からは、自分が住職になってからこんな若い喪主さんは初めてだと言われ、自分が二十歳の頃を思うと、こんなに立派に喪主なんて務められなかったでしょうと、誉められていました。(そりゃそうでしょう、自慢の娘達ですから!!エッヘン!!)すぐに一杯一杯になっちゃって、キャパ越えちゃうと涙こぼしたりするけど、何事にも懸命に頑張ってますよ。今日もちゃんと勤め上げました!!凄いでしょう?しばらく、メールも寄越さなかったけれど、昨晩遅くには「法事、お世話になります、宜しくお願いします。」と、ちゃんとメール寄越しました。法事前日で、遺骨やら位牌やら、準備に追われていた様子も書かれていました。こういう点、絶対配慮を欠かさない娘なんです。納骨は、先に他界した奥さんの隣に並べて納められました。
2008年11月09日
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ヒゲさんが他界して、1ヶ月が過ぎました。。。亡くなる前日の9月21日にも、テルちゃんと博士、私はヒゲさんの病室を訪れています。テルちゃんが、山中湖で皆揃って撮った写真を大きく引き伸ばした物を持って来てくれました。その写真を長々と見つめ、写真、ありがとうそう言った言葉が、私達が聞いた最後のヒゲさんの声でした。その時見た姿から、もう明日の命も危ういと・・・悲しい事にわかってしまったのです。ヒゲさんとは、7年前に知り合いました。ヒゲさんの奥さんと、私の父がスキルス胃癌で闘病中の時です。それぞれ、医師から見放されたような状態で、何とか手はないか・・と、セカンドオピニオンに出向いた先の金沢で、バッタリ出会ったのです。東京から来た人間と、神奈川から来た人間が、金沢で出会う・・・何とも奇妙な偶然でした。結びつけたのが、米村先生とも言えます。何にも訳わからない、一番辛い時に励ましあってきた「戦友」だと、お互いが思ってきました。だから、友達というより「仲間」という言葉がピッタリします。数年前の事ですが、私がとても落ち込んだ時、ヒゲさんは何があっても、俺は一生、ひろりんとは付き合っていきたいと思ってるからさそう言いました。。。この約束は守ってくれましたが、あまりにも早過ぎです。普通、一生なんて言葉を使ったら「何十年」って意味じゃないの??と、文句言いたいです。そうそうひろりんはさ、頑張り過ぎちゃうからいけないんだよ俺みたいに、いい加減にやっておかないと、病気になっちゃうよそんな事も言ったくせに、自分は全然、いい加減なんかじゃなかったです。大きくて太い支えをなくしてしまったけど、こんな言葉がこれからは私の支えです。あと2年は生きたいそれが、ダメならせめて1年再発がわかってから、テルちゃんに言った言葉です。最後の最後まで、生きる事を諦めなかった人。最後の病室で会った時、意識が遠のきそうになるのを、踏ん張って引き戻していたのがわかりました。だから、「またね」・・そう言って別れました。あれから1ヶ月経ち・・・残された二人の娘は、法事だなんだかんだと奮闘中です。「○○まで行って来ます、○曜日に帰ります」「これって、どうしたら良いですか?」「無事に着きました」「無事に帰って来ました」そんな報告メールがテルちゃんや、私にちょくちょく届いています。私達が実は心配症だと言う事・・・バレてるみたいです。今やあの二人は私達にとっても、可愛くて自慢の娘達。「心配かけて、お世話になった分、いつか必ず親孝行したいと思ってます」そんな言葉をくれました。ヒゲさん・・・すごく可愛がって育てた娘達から、美味しいとこ取りしちゃいそうだよ。
2008年10月22日
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9月22日この日、ヒゲさんは帰らぬ人となりました。山中湖へ出かけてから、6日後のことでした。。。心配していた胸水が再度溜まってしまい、9月20日には1L抜くという処置が施されたのですが・・・胸水が溜まっても、また抜けば時間は稼げるとばかり思っていました。ですので、山中湖から帰って来てからも、ヒゲさんを励まそうというサプライズが用意されていました。サプライズの一つは、ヒゲさんが所属していた地元のバレーボールのチームの方々が、皆揃ってユニホームを着用して病室の窓から見える場所に集まり、ヒゲさんを激励しようというもの。この話は、告別式の時に聞きました。時間も日程も決まっていたのだと。。。「頑張れ!!また、一緒にバレボールをやろう!!」という思いが込められての事ではないかと思います。もう一つは、私が用意していました。ヒゲさんは、6年前にスキルス胃癌で奥様を亡くされています。最初の病院で事実上、匙を投げられ、何とか奥様を救おうと躍起になり、探し出した医師が米村豊先生でした。遠路の病院でも構わず、米村先生が病院を替わる毎に先生に付いて行き、治療を施して貰っていました。奥様は、残念ながら他界されましたが、ヒゲさん自身はとても米村先生に感謝しており、また、米村先生のお人柄に惚れこんでもいました。奥様他界後も、ヒゲさんは米村先生と交流もあり、先生と会える機会をとっても喜んでいました。そんな米村先生がお見舞いに来たら、喜ぶだろうなぁ・・・と思いまして、ワガママを申しました。米村先生は現在、とてもご多忙なスケジュールをこなしておられます。滅茶苦茶なスケジュールと言えます。それは、充分承知しておりましたが、それはそれ、私は「ひろりん」ですから^^;私のブログをずっとご覧頂いている方は、感じておられると思いますが、私は滅茶苦茶なヤツです。先生、ヒゲさんのお見舞いに行って頂けませんでしょうか?僕もねぇ行きたいんだけど、僕が行ったら、いよいよダメだって思わないかなぁ?んな事は思いませんってばほら、あのスポーツ選手の○○みたいに、先生なら抗癌剤より効きますよ宜しくお願いします(過去に、余命宣告された癌患者さんが、大ファンの○○選手に会えた事で、元気回復した話を書きました)僕も会いたいし、良いですよ~という、実にシンプルなやり取りがありまして、実行の運びとなっておりました。それが間に合わず・・・米村先生ご自身も、ヒゲさんの他界には随分、気を落とされており、告別式には「米村豊」の名前のお花が届きました。以前、「仲間内」と称した中には、米村先生もいましたからね。間に合わなかったけど、ヒゲさんの大きな遺影の横に飾られました。喜んでくれたはずです。。。告別式には、スキルス胃癌が縁で知り合った方々も来てくれました。・masubooご夫妻(奥様が、スキルス胃癌で腹膜播種で再発するも、再手術で5年以上元気に経過中)・Y.Kさん(奥様がスキルス胃癌で、術後3年以上元気に経過中)・コイズミさん(スキルス胃癌患者さんご本人、術後7年元気に経過中)・winkiさんのご主人(スキルス胃癌患者さんご本人、術後5年元気に経過中)・こぐまパパさん(奥様がスキルス胃癌で4年前に他界)・しん君(父親がスキルス胃癌で3年前他界)他にも、スキルス胃癌仲間からお花や、弔電が届きました。ヒゲさんは、奥様他界後は、沢山のこういったスキルス胃癌患者さんや、そのご家族を積極的に励ましてこられました。私のまさしく同志であり、難敵である、スキルス胃癌とずっと戦ってきた人と言えます。口癖は never give up長々と、本来の目的から外れる内容を書き綴って参りました。スキルス胃癌および、腹膜播種の内容が目的の方々には、大変ご迷惑をおかけしております。番外編として、もう1日だけヒゲさんの話をお付き合いください。
2008年10月19日
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9月16日天気予報ではマークが出ていたので、病院に向かう途中で、現地に電話を入れて天候確認。雨は降っていない模様。よしよし、空も明るくなってきたし、天気は味方してくれそうだ。ヒゲさんは9月10日に胸水を1.5L抜いています。あれから、6日が経過している事になります。この「思いで作り」が可能な期間は、次にまた胸水が溜まるまで・・・水が溜まっても、又抜いて貰えば何とかなるハズですが、体力は確実に消耗してしまう・・・約束の13時に病院に到着すると、もう、Sちゃん、Hちゃん、アマミー、テルちゃんが集まっていました。しばらくヒゲさんは、トイレに篭っていた様子・・・どうも、お腹が張って仕方ないと言う。(腸閉塞・・??)トイレには、スタスタと歩いて行くのに、念の為に病院で借りた車椅子に躊躇なく座る姿に、ショックを受けました。前日、テルちゃんと「病院から、一応、車椅子を借りておこう」と相談していました。ヒゲさんの事だから、「んなの要らないよ」と言うかと内心思っていたのに・・・アマミーの車に、ヒゲさん、Sちゃん、Hちゃん、を乗せ、うちの車に車椅子を積んで、いざ山中湖へ出発渋滞も無く、無事に到着。(病院を出て直ぐに、先頭を走っていたアマミーの車が、道を間違えた事は(ちゃんとナビ付きよん)ここでは内緒にしておきます)本当は停めてはいけない場所に、こっそり車を停めてしまいました(ごめんなさい平日だし、人もそんなに混んではいないし、迷惑になりそうなら直ぐに移動しますから一面の見事な花景色に、皆揃って自然と笑顔がこぼれます。この日は、一体、何台のカメラを持参したことか・・・^^;「カメラ小僧」のヒゲさんのお株は、すっかり取られましたね~皆して、ヒゲさんをメインに写真を撮りまくりですわ普段、撮ってばかりの人が、撮られる一方というのは、どんな気分だったのかなぁ~そのうち、ヒゲさんが俺が、今度は撮ってやるよと、言うのでカメラを渡したら・・・俄然、目が輝き始めましたわ二人の娘に君ら、そのままねと言うと、次は車椅子を押していたテルちゃんにほら、もうちょい右、えっと、少し後ろ・・・と自分じゃ動かないクセに、やたらと注文をつけて、車椅子を動かせます^^;SとHは、もうちょい右ね~、そうそう、良い感じよ~と、こんな風です。たくぅ~「注文の多いオヤジやなぁ~」と、ヒゲさんに言いながら、ここに来た誰もが、久しぶりにいつものヒゲさんを見れて、はしゃいでいるのがわかります。カメラを構えるヒゲさんの姿が、何とも生き生きしていて・・・その姿を見るのが、皆、嬉しくてたまらないのだというのが、空気で感じます。どれだけ、皆で笑ったかな・・・とにかく沢山、笑いました。ホントは、最初はアマミーがヒゲさんの車椅子を押していたのですが、動かした拍子にヒゲさんに振動を与えてしまう、ハプニングが。これを見たテルちゃんが、怒りましてねぇ・・・大きな体のアマミーは、小さく、小さくなっておりましたわ看護師のテルちゃんは、慣れたもので、上手に車椅子を押してました。車椅子って、大人が乗ると結構重いんです。コツが必要だと、私も思いましたわ。アマミーとテルちゃんの小学二年生の娘も同行しまして、この女の子が撮ってくれた、皆揃っての写真が、最高の一枚となりました。しばらく、花の小道を散策しながら、立ち止まっては写真をパチリ。その都度、皆の笑顔が写真に収められました。そろそろ、車に戻ろうか・・・という時、車椅子のヒゲさんが、まるで瞑想するかのように目をつぶり、頬杖をつきながら、側にいる私に話し掛けました。桜が、綺麗なんだよね(「桜」??なんで、急に桜の話なんか・・・・)ほら、言ったじゃない、桜のドームってああ・・高遠の桜の話だ。何年も前の話だけど、桜好きのヒゲさんに話した事があります。高遠の桜は、まるで桜のドームだよ、一生に一度は見ておいた方が良い桜だよ・・って。くしくも、ヒゲさんが手術して退院した時に、博士と「ヒゲさんと一緒に行こうか?」って話していた、あの桜です。でも何故、今、あの桜の話をするのだろう・・・高遠の桜の話ねとだけ、答えました。「来年、一緒に行こうよ」・・・とは、言えませんでした。来年の桜が自分に無い事は、ヒゲさんが一番よくわかってます。ヒゲさんとは、守れない約束は出来ない・・・この後、山の上のホテルのカフェでお茶。ヒゲさんは、「季節のシャーベット」を注文して、美味しそうに食べていました。美味いよ、これ、食べてみなよそう言って、二人の娘とテルちゃんにお裾分けします。ひろりんも、早くしないと無くなっちゃうよそんな事を言いながら・・・食べてました。そんな中、お茶しながら、突然、私にお金を差し出します。「足らないだろうけど、ガス代に取ってくれ、今、ガソリン高いんだから」・・って言って。この後に及んでまで、こんな気を使う人です。要らないと断ってもお金を仕舞わないので、「じゃ、ここのお茶をゴチになるから」で、手を打って貰いました。今になって、そんな気を使ってくれるな・・・帰りも難なく帰り着きました。帰りの車中では、SちゃんとHちゃんが、次はどこへ行こうか?の話題で盛り上がっていたとか。その話を聞きながら、ただ、ヒゲさんは頷いていたと聞きました。18時過ぎに病院に帰り着くとさすがに疲れたから、もう、今日は寝るわ今日は、ありがとうそう言って、ヒゲさんは早々にベッドに横になりました。痛みもなく、ひどい睡魔もなく、問題なく行って帰ってこれた事に、安堵しての帰路となりました。帰宅すると、遅くにSからお礼のメールが届きます。Sちゃんは、別れ際にお礼を言っても、またちゃんとメールでもお礼を寄越す女の子です。ヒゲさんの娘にしては、出来過ぎの本当に良く出来た子供です。私達では出来なかった思い出を作って下さり、本当に嬉しいですお父さんが、生き生きと写真を撮っている姿が見れて、私達も嬉しかったし、お父さんも嬉しかったと思いますあれでこそ、いつものお父さんです今日は、素敵な思い出が作れて本当に良かったですありがとうございましたいつか、お父さんがいなくなると思うと、とても悲しくて辛いですが、現実を受け止めて、出来る限りの事を後悔なくしたいと思っています宜しくお願いしますこんなメールが届きました。ヒゲさんは、きっと体はしんどかったと思います。でも、すごく良い1日だったよね。。。二人の娘が、こんなに喜んだのだから、体がきつくても頑張った甲斐があったよね、ヒゲさん。。。
2008年10月17日
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9月10日には、胸水を抜く処置も行われました。1.5Lも抜けたと聞いた時には、驚きました。片肺でこれだけの量とは・・・ヒゲさんの残り時間が、いよいよ迫っていると知った日から、とにかく「思い出を作ろう!!」という事になりました。嘆いている間に、モタモタしている間に、貴重な時間が零れ落ちていく・・・こうなったら、皆で、開き直ろう!!という訳です。アマミーも、テルちゃんも医療関係者です。博士も私自身も、癌のことは少しばかりは知っています。右目で奇跡を見て、左眼で現実を見る・・・そんな感じでしょうか。。。現実的に出来る事の模索を始めました。外出で行ける場所。無理の無い行程で行ける場所。高速を使っても、片道2時間以内の場所。それは、どこだろう・・・???そんな話し合いの中で、アマミーが条件を一つ加えました。それは、奥さんとの思い出の場所・・・はぁ~・・私なんぞ、現実的なことしか頭に浮かばず、こう言う時って女性より、男性の方がロマンティストだなぁ~なんて思いましたわ。とにかく、これらの条件をクリアできる場所を探す事!これが、9月10日に出された宿題となりました。9月8日に行われたブロック注射には、効果がみられたのですが、この注射の効果は数日と限られています。ヒゲさんの場合、2日しか持ちませんでした。幾らかは、効果が見られたので、持続で出来るように新たなブロック注射の処置が9月12日に行われました。痛みが出たら、自分でボタンを押して薬剤が出るように出来る処置です。「これで、思い出を作って来て下さい」という、主治医のメッセージでもあります。それから場所探し・・宿題が始まります。博士があちこちと、ネット検索始めました。どこを探しているのかと思えば、博士が見当を付けた場所は、山中湖でした。そう言えば・・・ヒゲさんの会社の保養施設がここにあり、よく親子で行ったと聞いたっけ。奥さんが他界後は、私達も一緒に行った事もあります。山中湖は、私達もよく行く場所で、大体の見当もつきます。そんな中で、博士が思いついたのが「花の都公園」。ここは、季節ごとの花を愛でる事が出来る場所です。ですが、花には見頃がつきもの。時を間違えば、がっかりの風景・・・って事もあります。今頃、どんな風なのかは、実際に行ってみなければわからない。行ってみようか?突然、博士が言い出しました。だって、これがヒゲさんが外で見る、最後の景色になるかもしれないんだぞしょうもない景色なんか、見せたくないじゃないかそうだね、じゃ行こう!!9月14日博士と二人で、山中湖の下見に行きました。花の都公園は、それは見事に花が咲いていました。キバナコスモスの花郡と、ひまわり畑にも沢山のひまわりが綺麗に、まだ咲いていました。色とりどりの花畑も広大に広がっていて・・・もう、バッチリの風景です。お花を見た後に、山の上にある、静かなホテルのカフェでお茶なんてどう?よし、そこにも行ってみようここまで実際に来ると、色々と案が浮かびます。時計を見ながら所要時間も計り、ホテルでは車椅子での移動も考えての下見をしました。よし!!これでいこう!!この日の晩、Sちゃんにメールを入れると、すごく感激してくれました。・・・って言うか、驚いていたというか^^;呆れてた・・が正解かも?でも、すごく喜んでくれました。あっ、アマミーとテルちゃんにも連絡入れました。こちらは、間違いなく驚いて(呆れて?)ましたわあとは、16日に実行あるのみです。
2008年10月15日
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僅か1ヶ月で恐ろしい程、ヒゲさんの癌は進行してしまい、もう体の中は癌だらけ・・・となっていました。もちろん、腹膜播種もあります。恐れていた肝転移が大人しかったのは、後で知りましたが、ここに直接アルコールを注射したからのようでした。実は、肝転移が判明してから、せめて、ここを何とか出来ないだろうかと思案していました。肝臓に転移した癌の状態にもよるけれど、放射線治療とか・・・そんな中で、アルコールを直接癌に注射して進行を抑えるというか、癌を焼くという治療法を博士が見つけ出しました。うちの博士は、アンタは医療論文オタクか?と思うほど、大概の論文に目を通している人。殆どが海外の論文ですが・・・肝臓の癌には、アルコールで焼くという手法があり、効果を出しているようだ・・・という情報を仕入れ、行っている病院も探し出しましたが、見つけた病院は、ヒゲさんの今の状態を考えるとあまりにも遠い・・・半ば諦めていたけれど、なんの事はなく、ヒゲさんの主治医は臨床として行ってくれたようでした。だから、肝臓の癌だけは大人しかったのか・・・と納得。(肝転移と言っても、型が色々とあり、どうにも手が付けられないものもあります。放射線や、こういったアルコール注射というのは、癌が塊になってくれるのが、最低条件であり、スキルス胃癌のように、カドヘリンという物質を含まない為に、固まらずに散らばる癌には対象ではありません)9月10日SちゃんとHちゃんは、この日、ヒゲさんと一緒に主治医の説明を受けました。初めて話を聞くふりをして・・・話された内容は前日と全く同じだったそうです。週単位の余命の話も・・・当のヒゲさんの様子は「普通」だったと。淡々としていたと、Sちゃんが言ってました。主治医が、やりたい事や行きたい所はありませんか?と聞くと、「別にない」と答えたそうです。しばらく、SちゃんとHちゃんは病室でヒゲさんと付き添い、Sちゃんは夕方、私達と待ち合わせて自宅へ。すぐに睡魔が襲うという思考回路の中、ヒゲさんはこの日、どう思ったのか。何を感じたのか。メールも打てなくなり、自分から電話もかけることも無くなったヒゲさんの真の思いを知る事はできませんでした。お爺ちゃんと、お婆ちゃんに事実を告げるのは、なんとも気の重い事でしたが、考えている間に貴重な時間が、どんどん減っていきます。高齢のお二人にも、現実を受け止めて貰わねば後悔が残るでしょう。この話し合いの席には、アマミーとテルちゃんも来てくれました。医師からの説明をかい摘んで話し、残り時間がもう迫っている事を話すと、お婆ちゃんは一気に泣き崩れてしまいました。その様を見たSちゃんは、ずっと黙っていたのに突然、声を荒げました。みんな、泣きたいのを我慢してるの!!お父さんの前では、絶対に泣いちゃいけないんだからね!!見られていたんだって、思いましたね・・・前の日、主治医の話を聞いた後、ヒゲさんの病室へ見舞いに行き(前日のブロック注射が気になって、来ちゃったと言いました)、ヒゲさんと他愛の無い会話。そこへ、他の見舞い客が来たので、入れ替わりに私達夫婦は談話室へ移動。その談話室で私は、ずっと俯いて座っていました。ひじかけに、左ひじをつき、おでこを軽く抑えながら・・・少しして、私達を探しに来たSちゃんは、黙って私の隣に座ります。この時、不覚にも大粒の涙が肩にこぼれ落ちてしまい、慌ててハンカチで拭き、「お父さんに挨拶して、今日は、もうこれで帰るね」と言って立ち上がったのでした。それから、「また、来るね~」とヒゲさんに笑顔で手を振って帰ってきたのですが・・・あの時の様子をみて、Sちゃんは私の思いも感じとってくれたのだと、思いましたね。。。「みんな、泣きたいのを我慢しているヒゲさんの前では、絶対に泣かない」この時から、これが無言の約束となりました。
2008年10月12日
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9月9日この日は朝方、私にアクシデントがあり、朝からドッタンバッタンしましたが(先月の日記を参照ください)、何とか約束の時間に病院に到着できました。既に仕事先から、博士は到着していました。受け付けの近くには、長イスが幾つか並べてあり、その横には飲み物の自販機が置いてあります。その長イスに二人で並んで、SちゃんとHちゃんの到着を待っていました。並んで座った先には、エレベーターがあります。何気なく見ていた、そのエレベーターが開くと、ナントそこには点滴台を押しながらヒゲさんの姿が・・・ヤバイ!!マズイ!!今日の話は、ヒゲさんには内緒だとSちゃんが言っていた・・・ここで見つかるわけには、いきません。どうしよう、どうしよう・・・・こんな時、一体、どうすれば良いのでしょう・・???二人して、咄嗟にした事はですねぇ・・・一瞬にして、下を俯く事でした救急で家族を運んで来て、今、すんごぉく心配な状態で待つ家族のフリ!!だって、これっきゃないです。あぁ~でも、もうこんなに近くまで来たら、バレバレだぁ~たまたまこの時、自販機には補充に業者さんが来てまして・・・ヒゲさんは、それに気をとられていたようで、何故かすんごく近くにいる私達に気付きません。程なくして、コーヒーを買ってエレベターに乗り込んで行きました。なんかよ~わからんが、とにかく非常事態は回避できたようでした焦りましたわ、マジで^^;約束の時間にSちゃんと、妹のHちゃんが来て、主治医の待つ診察室へ。手術の日に来たので、私達の事は、この主治医も知っています。Sちゃんから聞いた話だと、手術の内容説明の日に、ヒゲさんが手術当日には、この二人の娘と、ひろりんと言う人が来ますこの、ひろりんと言う人は、言わば俺の2番目の奥さんみないな人ですから、何でも言って良いですからと、Sちゃんいわく「調子ぶっこいていた」らしい^^;本人から直接許可が出ている事もあり、主治医はヒゲさんの病状説明をしてくれました。主治医は、これまで患者さんとの約束を守り、全てをご本人に告知して参りましたが、今回だけは事前にご家族にお話しした上で、本人に言うかどうか検討して頂きたいと思いますと、前置きがありました。初めて患者と約束を破る事に、罪悪感を感じているように見えました。丁度、TS-1が1クール終了した事もあり、ブロック注射をする事もあり、CT検査を行なったようで、その画像を見せてくれました。再発が判明した、1ヶ月前のCT画像と比較しながら・・・目を見張りました。画像を見る限り、僅か1ヶ月で恐ろしい程の進行です。1ヶ月前に確認できていた肝転移こそは、そのままでしたが、腹水あり、胸水あり、腹壁に大きな癌の塊あり・・・昨日の酸素飽和度の低下も、この胸水が原因だとわかりました。主治医自身も、この異常な速さの進行に驚いていました。これまでジェムザール、その次に使用した新しいTS-1という薬を使いましたが、この進行ですもう、残念ながら手が無い状況ですTS-1は胃癌では、もう新しい薬とは言いませんが、膵臓癌では未だ「新しい薬」です。胃癌であれば、単剤でも40%以上の奏効率ですが、どうも膵臓癌では、未だデータを出すには早いかもしれませんが、そんな数字の奏効率では無いようです。少なくても、ヒゲさんには全く効いてくれませんでした。もう手が無いと言われ、そんな事はないでしょう、健康保険の枠を無視すれば、未だ、グリベックとか、イレッサとか、FOLFILIやFOLFOXのような3剤併用とか、何かあるんじゃないでしょうか??と、滅茶苦茶な事を言いたい自分と、もう、ここまで来たら何をしても効かない、それどころか、逆効果になるとわかっている自分がいて、後者が私の中で勝ちました。もう、永い時間は残されていませんここまで話が進んで、ようやくSちゃんが口を開きました。永くないって、年内って事でしょうか?そんなに時間はありません、週単位で考えて下さいSちゃんのひざに、ボロボロと涙が零れ落ちます。少しでも聞き逃す事がないようにと、必死に医師の目を見ながら話を聞くHちゃんと私。専門的な事を幾つか質問する博士・・・・話を終えて診察室から出て、今後の話をしました。やはり、本人にはちゃんと真実を伝えようというのが、一致した意見でした。だって、ずっとそれを本人が望んできたのだから。。。明日、先生から話してもらおう。お爺ちゃんとお婆ちゃんには、とっても私達からは言えないと、二人が言うので、その役目は私達が引き受けました。明日、行くからねと約束して。この後、揃ってヒゲさんの病室へ。頑張って、頑張って、皆で笑顔を作ってヒゲさんを見舞いました。
2008年10月11日
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急速に記憶が薄れていくという、危機感を感じながら、なかなか更新出来ず誠にすみませんm(_ _)m私の元には毎日、「駆け込んでくる」急を要する患者さんや、ご家族が後を絶たず、そちらを優先せねばならない状況下の中におります。本来の私の目的である活動も、休み無く対応しておりまして、ヒゲさんの続話を待っておられる方々には大変申し訳なく思っております。では、ヒゲさんの話の続きです。9月8日Sちゃんからのメールで、この日、主治医から「神経ブロック」を提案され、この日のうちに処置を行うとの連絡が入ります。ヒゲさんは、何か刺激(例えば、見舞い客が来るとか、外出するとか等)が無いと、とにかく寝てしまうので、これを何とかしようとなった訳です。この睡魔は、鎮痛剤からくるもので、鎮痛剤を減らす事を目的に、「神経ブロック」を提案されたという次第です。この頃、オキシコンチン+オプソから、オキノーム+オプソに変わっていました。オキシコンチンも、オキノームも元は同じ物ですが、オキノームは水溶性で、言わば即効性が期待できる鎮痛剤です。まだ、昨年発売されたばかりの新薬というか、車で言えば、マイナーチェンジと言ったところでしょうか。こんな事は言っていられませんが、医療用麻薬というのは、実に高額です。ヒゲさんがオキノームに変更になってから、薬価を調べましたが、ヒゲさんはこのオキノームを毎日7000円以上服用している計算でした。あくまでも、薬価です。これに処方料も加わります。保険が適用されるとは言え、毎日ですからね。癌治療にはお金がかかる・・・という所以です。とにかく寝てしまう時間を少なくしようと、神経ブロックを提案され、この日、処置が行われました。この神経ブロックというのは、脊髄にする注射で、痛みを伝える神経を麻痺させようとするもの。場所が場所だけに、万が一の危険も無い訳ではありませんが、これに期待しようと言う事になったのです。実際、この日に処置が行われたのですが・・・夕方、Sちゃんから届いたメールでは、処置が終わってから酸素飽和度が上がってこないので心配だと・・・数字を聞くと85だと言います。しばらく、様子をみましょうと、現在酸素マスクをしていますと、書かれていました。85????これは、私の中ではかなり心配な数値です。80を切るような事があれば、もう、立派な「危篤」。。。もう、どうにも落ち着かなくなり、Sちゃんと何度も何度もメールのやり取りが始まりました。そもそも、なんで、酸素飽和度が低下したのか???麻酔による、呼吸抑制でも入ったのか?原因がサッパリわかりません。メールのやり取りの中で、少しずつ酸素飽和度が上がってきました、という内容も出てきましたが、それでも、落ち着かず・・・急いで東京にいる、しん君に電話を入れました。ざっと、ヒゲさんの状態を話して悪い、しん君、ヒゲさんの様子を見てきて!!いきなりの電話にも関わらず、わかりました、仕事を切り上げて、なるべく早く病院に行って来ますと、言ってくれました。そうこうしている間に、Sちゃんから、「酸素上がって安定してきました、もう大丈夫みたいです。ご心配かけました。念の為、今夜は酸素マスクをするそうです。」そんなメールが届きました。少し、ホッとしました・・・しん君に、再度電話を入れると、もう向かっています、とにかくヒゲさん見てきますその後に、電話いれますからそう言ってくれるなら、その言葉に甘えさせてもらおうと、しん君からの報告を待つ事に。程なくして、しん君から電話僕が行ったら、ヒゲさん、普通に夕飯食べてましたよこれを聞いて、体の力がようやく抜けました。良かった、とにかく良かった・・・ごめんね~、しん君も忙しいのに・・・アンタ、こーゆーの慣れてるだろ、いちいち、ジタバタすな!!って、怒って良いよいえいえ、ひろりんさんの気持わかりますから僕だって、きっと同じ事したと思うしこの、しん君の言葉に一気に涙が溢れてきました。ありがとう、私のわがままでドタバタさせちゃってごめん良かった、本当に良かった・・・この日、Sちゃんからは、この神経ブロックの件以外に、こんな内容もメールで届きました。明日、先生からお話があるようなんですどうも、お父さんには、内緒みたいで・・・いきなり明日なんて、来て頂けないですよね必ず行くからと、翌日の夕方5時に、病院の受け付けで待ち合わせをしました。
2008年10月09日
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私のブログをずっとご覧の方は、ご記憶にあるかと思いますが、私自身が8月の半ばから風邪を引き、私自身はヒゲさんを見舞えずにおりました。ですので、実際はアマミー、テルちゃん、しん君、博士の4人が、代わりべんたんにヒゲさんを見舞っていました。その様子は、前回の日記に書いた通りで、大きな波の日々でした。「おっ、今日は調子良いじゃん!元気、元気、意識完全クリア」「ん?今日はダメだこりゃ、話が訳わからん・・・」の両極端・・・と言っても、1日中一緒にいる訳ではないので、1日の中のごく一部の状態ですけど。とにかく、数日単位で届く情報は、花丸かバツかのいずれか・・という感じ。そんな中で、皆が揃って言う言葉は「また痩せた」でした・・・9月に入り、これらの届く情報で心配になった仙台のお兄さんが、上京する事になります。その日に合わせて、博士と風邪が治った私も会いに行く事に。9月4日仙台のお兄さんと時差する事30分で、私達も病院に到着。すると、当のヒゲさんがいない。ナースに確認すると、外出届けを出して夕方6時まで戻らないという想定外。ヒゲ君のケータイに電話しても、呼び出すんだけど出ないんだよと、仙台のお兄さん。本人がいないのに病院にいても仕方ないので、取り合えず、病院を出てお茶でもという事になり、病院近くのファミレスに移動。そこで、これまでの報告に補足を入れての経過説明をしました。話が一段落して、もう1度、ヒゲさんのケータイに電話をるすも、出ない・・・じゃぁ、Sちゃんにかけてみますか?番号わかりますからと私が言うと、仙台のお兄さんが「じゃぁ、僕がかけてみる」と言って電話。Sちゃんには直ぐに繋がりました。Sちゃんの話によると、今日、突然タクシーに乗ってヒゲさんが自宅に帰って来たという。で、今はお爺ちゃんと近くの銭湯に行っているのだとか・・・^^;おいおい・・・現在、いる場所を伝え「とにかく、お父さんを捕まえて、Sちゃんも一緒にここに来なさい」とだけ言って、電話を切りました。銭湯に行くくらいだから、「元気」なんだと、ホッとした空気が流れます。電話を切った後、お見舞いに来て偶然会った事にしましょう。ヒゲさんが変に気を回すといけないから・・・と、口裏を合わせました。程なくして、ヒゲさんとSちゃんがやって来ました。私達が一緒にいるとは知らなかったSちゃんは、「あ~っ!!」と言って笑顔になりました。当のヒゲさんはあれ~??どうしたの??博士も、ひろりんも一緒じゃん今日、来るなんて思わないからさぁ、外出してたよこっちだって病院に来て、まさか、いないとは思わないわよおぉ~そうかぁ、そりゃそうだなこんな会話を交わしながら、やはり、私も「痩せた」と思いました。ヒゲさんはクリームソーダを注文し、ゴクゴクと美味しそうに飲みました。(水分摂取には、何ら問題は無さそうだ。閉塞や狭窄個所があるとしても、まだ、隙間があると言う事だな・・・)調子はどう?まぁまぁだねでも、わかるでしょ(トロンとした自分の目を指差しながら)、直ぐにこうなっちゃうのよ睡魔と常に闘っているかのような、そんな風に取れました。ここで、ヒゲさんの得意の写真撮影が始まりました。買ったばかりのデジカメで。ヒゲさんを交えて、皆で写真を撮る・・・これは、いつもの光景です。「いつも」の事が、こんなに安堵をくれるものなんだな・・と思いながら。外出届の際に、病院での夕飯を無しにして来たというので、じゃぁ、ここで食べようか?と言う事になりましたが、どうも、ヒゲさんは洋食は受け付けない様子でした。後でSちゃんに聞いた話ですが、外出でヒゲさんと出かけ、出先で食事をし、その時にハンバーグを注文したら、口にしてすぐにその場でもどしてしまったという・・・洋食系は、どうもダメだという事でした。病院近くに美味い蕎麦屋があるからさ、そこで俺がゴチするよそういうヒゲさんに連れられて、移動。この時、この距離、歩けるんだろうか?窓の外には、病院が見えます。タクシーを頼むには、申し訳ない距離です。急いで、病院まで走り、車椅子を借りて来ようかしら?そんな不安をよそに、ヒゲさんはスタスタと普通に歩きました。肩を並べて歩きながら、痩せたけど、いつもと何も変わらないヒゲさんに安堵しながら。蕎麦をご馳走になりながら、小さなお椀の蕎麦を食べるのが精一杯のヒゲさんに、胸が痛みました。自分が注文したざる蕎麦は、こんなに食えないと、博士に渡してしまう。Sちゃんが頼んだ蕎麦を、少し分けて貰えば充分だと言う。病院に戻り、じゃぁ、今日はこれで帰るからと言う私達を、いつものようにエレベーターまで見送ってくれました。一端、1階まで降りてから、私だけヒゲさんの病室のある4階に戻りました。急いで、こっそりSちゃんを捕まえ先生から話があると言われたら、私達にも声かけて必ず、来るからね心細いでしょ?そう言うと、「はい、ありがとうございます」と笑顔でSちゃんが言う。この日から、博士は毎晩飲んでいたお酒を飲まなくなりました、夜中でも車が運転出来るように。「ヒゲさんに、敗血症の人独特の臭いを感じた」と言って・・・
2008年10月07日
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ヒゲさんの内容に対する反響が多いので、長くなりますが、このまま続けさせて頂こうと思います。新たに、「ヒゲさんの話」というカテゴリを追加しました。スキルス胃癌及び、腹膜播種に関する、私本来の内容とはかけ離れますが、何卒、ご了承ください。尚、ご相談は現在も、随時受けておりますが、何分、頂くメールが多くお返事が遅れがちです。この点もご勘弁ください。さて・・・ヒゲさんサポートチームを結成したのは良いのですが、何をしようとしても、どうにも当のヒゲさんの状態が落ち着きません。数日おきに届く状態報告メールを、客観的に見ると、あまりにも波があります。どうも、これは鎮痛剤の服用量が影響している様子でした。余命宣告を受けてからの静観の期間を含め、結果的に8月一杯は様子見になりました。ヒゲさんは、8月5日に入院してから、朝晩のオキシコンチンに加え、痛みが出る都度、上限回数なくオプソを服用し始めました。これまで、数百人に上る癌患者さんとお付き合いをして参りました。その中に、膵臓癌の患者さんはゼロではありませんが、殆どが胃癌、大腸癌の患者さんで、胃癌、大腸癌の患者さんの数に比べると、ゼロに等しい人数です。ヒゲさんの鎮痛剤は、私が知る限りですが、胃癌、大腸癌の患者さんの常識からは、考えられない程の量ので、正直唖然としました。痛みは自己申告に頼るしかなく、その申告により、服用量が決まります。現在の疼痛緩和に関しては、積極的に行うべきというのが、常識です。痛みというストレスを感じていると、抗癌剤の効果も薄れるという話も聞きます。ストレスを取り除く事こそが、最良の治療に繋がる・・という事です。ヒゲさんのTS-1の効果をあげる為にも、これは必須です。また、疼痛緩和が目的の、医療用麻薬には使用上限がありません。痛みを感じている限りは、いくら量を増やしても、中毒にはならないと言われています。ヒゲさんを訪れるメンバーの話を結集すると・・・・話している間に強力な睡魔が襲うようだ・数分前の記憶があやふやな事がある・意味不明な会話をする時がたまにあるこういった、心配な状態があるかと思うと、全然普通で元気な時もあり・・・何を計画しようにも、翌日の状態が「わからない」という、実に不安定な日々でした。体力は充分で、常に院内を普通に歩き回っていました。また、積極的に外出もしているようでした。私は、あんな状態で一人で外出なんかして電車に乗ったら、それこそ山手線を何周も回ってしまうんじゃないか?って、マジに心配しました。でも、外出はいつもSちゃんと一緒のようで、これは正直、ホッとしました。ただ、本人、意識はしっかりしているのですが、どうにも集中力が続かず、メールも打てなくなり、そんな自分に苛立っていたようでした。ですから、この時期にヒゲさんにメールを送った方々、お返事していないかもしれません。また、返事が来た方、それはヒゲさんが言う通りに、娘が代わりに打ったものです。この積極的な外出で、ヒゲさんは何をしていたかと言いますと・・・まず、壊れたケータイの機種変。それが、機種変したものの、使い勝手が悪い!と言って、僅か1週間で新しい機種に変えました。それも、Sちゃんも同時に同機種の物に変えました。また、1000万画素のデジカメを買ったり、iPODを買ったり・・・Sちゃんが言うには、「このところ、すごくお金を使ってるんです」という事でした。余命宣告を受ける前のヒゲさんだったら、こんな行動はしなかったと思います。ですが、新しいケータイは、いずれ妹のHが使えば良いと思っていたようです。実際、そうなりました。また、新しく買ったデジカメでは、病院を訪れる人と必ず写真を撮り、その枚数や800枚にもなったとか・・・ヒゲさんは必ず、同じショットを念の為と言って2枚撮る人。なんだか、今思えば何かを残したくて仕方ないようにも思え、また、浪費のように見えて、実は全て娘が使えるものであったり・・・堅実な性格は、ちゃんとそのままだったんだな・・・
2008年10月05日
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8月11日に、再発判明後、初めて博士とヒゲさんのお見舞いに行った時は、出来るだけ細かくヒゲさんをチェックして来ました。まずは、処方されている薬を全部チェック!薬の名前を見れば、何の薬か大体わかるようになってきました。私が??の薬があれば、博士がまず知っている。便秘薬に、利尿剤に、ガスを溶かす薬に、胃薬に・・・これらの薬は「どうも便が出にくい」と言えば、「はい、便秘薬」「尿の出がイマイチ」と言えば、「はい、利尿剤」「胃がどうも痛い」と言えば、「はい、胃薬」というように、患者さんから訴えがある都度、処方されます。これら一つ一つの不快症状に対して、いちいち検査なんてしません。まずは、この薬を試してみて効果がなければ、ようやく検査・・というところです。と、言っても癌が原因である場合が少なくありません。癌が原因であれば、抗癌剤に頼るしか無いわけで・・・TS-1の効果が出るには、やはり1クール(4週間服用)を待たねばならないだろうというのが、常識でもあります。この日、気になったのが、若干のお腹の膨らみ・・・もしかして、腹水??腹水にしては、曲線が少し違うような気もするけれど・・・あのお腹は一体???この日は不安を残しながらの帰宅となりました。ヒゲさんの再発が判明してから、本人に内緒の水面下で、私達夫婦はサポートチームを結成しました。私が住んでいる所からヒゲさんの所まで、車でも電車でも、2時間はゆうにかかります。緊急時には駆けつけられません。ですので、東京在住の仲間に声をかけ、助けてもらう事にしました。その仲間とは、スキルス胃癌が縁で知り合った、しん君、そして6年前、ヒゲさんの奥さんが静岡の病院から東京の病院に転院する際に、付き添ってくれた、ナースのテルちゃんと、ご主人のアマミー。ですが、こんなチームを作っても、実際にヒゲさんに対して権限を持つのは、娘のSちゃんとHちゃんです。この二人に対しての、実質の権限を持つ、二人にとって叔父に当る人にも声をかけました。この叔父さんは、亡くなった奥さんの実兄で、仙台に住んでいるので「仙台のお兄さん」と呼んでいます。亡くなった奥さんの法事全てに参加している事もあり、私達はヒゲさんの親類や友人とは、殆ど面識があります。友達の友達は友達・・・みたいな感じ。これから、この6人は密に連絡を取り合い、連携を取ることになっていきます。週に2~3日は、この中の誰かがヒゲさんの様子を見に行き、逐一の報告を入れ合いました。8月13日、ヒゲさんに最初の余命宣告がありました。余命、3~6ヶ月。たまたま、この日アマミーがヒゲさんのお見舞いに行き、主治医にこう言われたと、ヒゲさん自身が言ったようです。恐らく、ヒゲさんの事だから、自分から余命を聞き出したのだと思います。主治医も、ヒゲさんの勤勉ぶりを高く評価していて、病気発覚時から、本人の強い希望により「何でも本当の事を話す」という約束をしていて、その約束はずっと守られてきました。だから、余命も本人に言ったのでしょう・・・約束を守って。この知らせは、すぐに私にも入りましたが、これには違和感が・・・再発判明時に、ツテとコネを使い、知り合いの複数の医者に見解を求めたところ、それら複数の医師が言った余命は、こんなに長くはありませんでした。中にはあまりにも短すぎて、「TS-1が効けば、それより延びるって事ですよね??」と念を押した事もありました。ですがその中でも、一番短い時間を言った医師は、「まぁ、そうだけれど・・・奇跡が起きたら紅葉が見れるかもしれないね」と・・・・紅葉??って、9月の終わりか、10月ってこと??今、もう8月の半ばだよ・・・いや、ありえない、あのヒゲさんに限って、そんな医者の普通の見解が当てはまるなんて、ありえない!!だってあの人、普通じゃないもん絶対に、ありえない!!そう、博士に言ったけれど、ヒゲさんの場合は肝臓だけじゃなく、下大動脈に癌が巻き付いているここが閉塞したら、もうアウトなんだそう博士が搾り出すように言う・・・どうも、主治医はTS-1が最大限に効いてくれる事を期待して、余命を告げたように思います。主治医とは違う見解を持つ医師もいる事、これも、このサポートメンバーには伝えました。何が最悪かは、わからないけれど、とにかく本人の体力、気力、意志を尊重して、出来るだけの事はしていこうと、話していました。短すぎる余命については、ヒゲさんや、娘には言いませんでした。言っても仕方ないし、何より、私が信じていない。当のヒゲさんは・・・余命3~6ヶ月と聞いて何を思ったのか・・・それはわからないけれど、少しの間はシュンとしていたようだけれど、すぐさま、持ち前の明るさを取り戻しました。外出許可を貰って、Sちゃんとよく出歩くようになりました。そんな中ではありましたが、テルちゃんが様子を見に行った時には、事細かな遺言を残していました。自分が死んだら、喪主はSに頼むS一人じゃ無理なら、Hも一緒に暗いのは嫌だから、明るく送ってくれ・・・と。
2008年10月02日
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皆さんにご心配頂いているようですが、ちゃんと、メールのお返事、電話での対応はしております。全ての方々が「待ったなし!!」の状態ですからね。ぼちぼち、ヒゲさんの話題は息切れ状態になって参りました・・・どこまで、書けることかわかりませんけども、今日も続きです。奥様をスキルス胃癌で亡くされた時、ヒゲさんは奥様の闘病記を最後にダーッと書き上げていました。「一気に書き上げないと、書けなくなるから」と言っていた言葉の意味がわかってきました。結局、私の不幸事は7月の半ばにやってきました。私自身、叔父の危篤の連絡を受けてから、落ち着かない日々でしたが、ここでようやく落ち着いた事になります。ですが、時は猛暑の真っ盛り・・・うちの博士などは、完全に夏ばて状態。工学博士と言っても、うちの場合はハッキリ言って肉体労働者です。東の横綱大学の工学博士でも、現実はこんなもんですわ。完全にダウン寸前・・・おいおい、ヒゲさんよりアンタかよ~みたいな風。一緒に快気祝いを計画していた仲間も、この暑さは病人には相当堪えるのでは?との配慮もあり、んじゃ、秋口まで待つかぁ・・・という空気が流れ始めました。そんな空気の中、8月5日の夕方、ヒゲさんの長女のSちゃんから久しぶりのメールもう、お父さんから連絡がいっていると思いますが、今日、お父さんが緊急入院しました再発でしょうか?えっ??ヒゲさんが入院??聞いてないよ、そんな事・・・・丁度、この日はジェムザール投与の定期外来の日。なんで、入院??思い巡らせている時に、当のヒゲさんからメールが届く。術後、ジェムザールを行ってきましたが、今日、肝臓に転移がみつかりました再発してしまったわけです・・・・事細かに内容が書かれていました。どうやら、再発が判明する20日くらい前から、かなりの痛みに襲われていたようです。つまり、私が北海道へドタバタしていた頃から・・という事になります。痛みに耐え兼ねての入院とも、受け取れました。ついに、再発が確定してしまいました・・・博士と相談して、この内容は、すぐさまSちゃんにメールしました。膵臓癌の再発となれば、スキルス胃癌以上に厳しくなる・・・二十歳のSちゃんに背負わせるのは可哀想だけれど、ヒゲさんは全てをSちゃんと次女のHちゃんに委任している。どんな情報も、まず、彼女達に伝えてその上で、補佐していくのがベストだと判断したのです。私から「再発」の連絡を受けたSちゃんは、未だ、父親の「再発」を知りませんでした。この日の夜遅くにも、Sちゃんからはメールが届きましたが、まだ、ヒゲさんからは連絡が無いとのことでした。ヒゲさんも、娘達には未だ言えずにいるのだと思うと、この晩はヒゲさんにとっても、二人の娘達にとっても、長い夜になるのだと思いました。翌日、Sちゃんからメール今日、お父さん、サラリと再発の話をしました肝臓に転移がある事や、他にも怪しい個所がある事や・・・他にも色々と書かれていましたが、この二十歳のSちゃんは、何も知らないふりをして、初めて聞くかのように、父親の話を聞いたようでした。中学3年生の時に、スキルス胃癌で母親を亡くしてから、実に大人になったと思います。今でこそ、偉そうに彼女達に、指示もどきをしていますが、自分が二十歳の頃を思うと、とても恥かしくて何も出来ません。お世辞ではなく、この二人の娘達は本当に素晴らしい大人に育ちました。ヒゲさんは、娘達にはずっと昔からメロメロで、怒る事も出来ず、思春期の娘にちょっとした異変が起こればオロオロするだけの、ごく普通の「娘の父親」です。母親が亡くなってから、娘からは私に、彼氏の写真を送ってくれた事もありました。これは父親には内緒だったようで・・・お父さんには言い辛いから、言って下さいと頼まれた事もあり、ヒゲさんに伝えると、その日の晩は眠れなかった!!と、私に文句を言いましたわ^^;自分の事はあけっぴろげな人で、膵臓癌が判明した時には、自ら知人、友人達に知らせまくってました。膵臓癌の厳しさは、勉強済みであったにも関わらず・・・です。ヒゲさんの人柄もあって、最初の入院時には、見舞い客がすごかったです。整理券が必要なのでは?と思うほどの人が、見舞いに訪れました。それが、再発となると別物だったのでしょうか・・・自分から知らせた人は、限られていました。前回の入院でのお見舞いが凄かったから、悪いと思って遠慮したのかもしれませんけどね。再発がわかってから、抗癌剤はジェムザールからTS-1に変更となりました。一般的な量は、朝、晩50mg服用ですので、1日計100mgですが、ヒゲさんの場合は、朝、晩60mg、1日計120mgの服用です。このTS-1の服用は、今やアレンジが多種あります。患者さんの状態や、体の大きさに合わせて量を変えたり、服用期間を変化させたり。ありとあらゆる服用方法が存在します。ヒゲさんの体の大きさを考えると、この服用量は多目と言えます。奥さんも服用していた薬ですし、胃癌ではファーストラインの薬剤で、思いっきり馴染みのある薬ですが、まさか、俺がTS-1を飲むとはね~と、言ってましたね。しかし、どうも解せないのは、なんで入院しとるねん!という事でした。TS-1は経口薬です。お見舞いに行くと、スタスタと元気に歩き回っている。管なんて1本も付いていない。こんなに体力もあるのに、処方されている薬剤も、便秘薬やら、利尿剤やら、胃薬やら全て経口薬なのに、なんで入院?そもそも、抗癌剤というのはとても高価な薬です。高価な薬剤を入院で投与すると、病院は儲からないシステムに変わってきています。そんな今の医療体制を思うと、TS-1服用で入院なんて、病院側からみれば「儲からない患者」で、下手すると「赤字転落の患者」になりかねないハズ・・・なのに、入院・・・なんで?なんで?本人が言うには、痛みが酷くて現在、鎮痛剤の言わば、シミュレーション中なのだそうだ。眠気や、吐き気等の副作用を上手くコントロール出来る処方が確立したら、退院なのだとか。そうしないと、仕事も出来ないからだと。私達がお見舞いに行ったのは、8月11日だけれど、その時には来週には退院するからさと、明るく言っていました。
2008年09月30日
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現在、メールのお返事は、実に「1週間お待たせ」状況が続いております。毎日、対応しておりますが、どうにもメールを書いても書いても減らない状況下で・・・私にメールを送っている方、誠に申し訳ありませんが、今しばらくお待ち下さいませm(_ _)mm(_ _)mヒゲさんの事は、今書いておかないと、きっともう書く事が出来なくなるだろうと思います。今は未だ、実感が沸かず、私の常なのですが、恐ろしい程の寂しさが必ずこれからやってくるから・・・ある意味、異常なテンションの今しかないと、自覚しております。術後、1ヶ月ちょっとで退院したヒゲさんでした。「快気祝いやろう!」と言う私に、「未だ、痛いから6月か7月だね」と答えたヒゲさん。ヒゲさんは、仲間で集まって飲み会をやるのが大好きな人です。4月となれば、毎年「花見やろう~」と言ってくる人です。そんなヒゲさんが、大好きな事をしようとしているのに、2~3ヶ月先にして欲しいと言う・・・一般的に、男性は女性と比べて、痛みに弱いです。だから、ごくちょっとの痛みでも過剰に感じているのかな?とも、思いましたが、膵臓という臓器は「神経のネットワーク」とも呼ばれる臓器で、神経が集中しています。ここに痛みを感じたら、たまらないだろう・・とも、思いました。痛みって、感じ方は個人差があり過ぎて、こればかりは、本当に本人にしかわかりません。注射1本でも、大袈裟なくらい痛がる人もいれば、軽~くいなす人もいますからね。同じ事をしても、感じ方には大差があります。とにかく、本人が6月か7月と言うので、それを待つ事にしました。その6月に入って早々のある日最近、夜になると足首の浮腫みが酷いノンスメルの固まっていない状態みたいで、ブヨブヨします歩きにくいし・・・心臓の下にも痛みがあって、もしや再発では?と、ちと不安こんなメールが、浮腫みのある足の写真を添付して送られてきました。ケータイの写真なので、わかり辛いけど確かに足首から下が浮腫んでいました。リンパ切除しているから、リンパ浮腫の一種では?と返事を返しました。痛みの原因はわからないけど、術後2週間ちょっとで再発予防のジェムザールを開始しています。このジェムザールは、胃癌で言えばタキソール単剤投与と同じ間隔で行われました。抗癌剤の投与で、縫合個所が剥がれてしまうという事も、稀ながらあるので、もしかして、膵液の漏れ?かなとも思いました。そもそも、術後、痛みが完全に消えたという話を聞いていなくて、痛みは治まっていたのか、もしくは慢性化してしまったのか、それすらもわからない。米村先生に相談したところ、栄養不良でも浮腫みが出るとの事でしたので、浮腫みはそのせいかな?とも思いました。ただこの時、もう、痛みが出たか・・・と、言われたので先生~、再発による疼痛みたいな不吉な事、言わないで下さいよ先生が言うと、シャレにならないじゃないですかぁ(T T)という、会話を米村先生としていました。うちの博士も、学術的な根拠はないけれど、部分的に出る浮腫みは再発の兆候だと言う・・・(今時の工学博士は、医療にも足を突っ込んでいる)例えば、手の指の1本だけが何故か浮腫むとか・・・足全体、腕全体が浮腫むのであれば、それはリンパ浮腫だと言えるけれど、足首だけが浮腫むなんておかしい・・・とにかく、この6月上旬の時点で、この二人の博士は「再発の予兆」を疑っていたのでした。それから、数日後にヒゲさんから届いたメールには、再発予防にジェムザールだけじゃ心配だから、漢方薬を飲んでいたんだけど、これが浮腫みの原因かも?と思い、止めてみたそしたら、浮腫みが治まったと、書かれていました。ヒゲさんは、高額な漢方薬を試していました。奥様の時にも購入したもので、「ゴキブリをすり潰したような味」って言っていたものです。とにかく、酷い浮腫みが治まったのなら、心配ないかな?原因も漢方のようだし・・・と、思いました。とかく、身内(ヒゲさんは身内同様)の体調変化というものは、都合の良い方に解釈するものですが、今思えば、私自身がそうだったのだと思います。客観的に見る内容と、家族が見る内容では違うという事を、充分知っていたハズなのに・・・ただ、それこそ客観的に見れば、この時点で再発を真剣に疑っても、どうにもならない事も事実ですが・・・安心したところで、快気祝いの計画をば!と思っていた所に、北海道の叔父が危篤との連絡が届き、私自身が、明日の予定を組むのも憚れる状況になってしまいました・・・
2008年09月28日
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コメントを頂き、ありがとうございます。ちゃんと拝見しておりますが、すみません、現在、手が回らず、コメントに関するお返事はパスさせて下さいませm(_ _)mヒゲさんの話の続きです。まず、膵臓癌の事をちょっと書いておきます。膵臓癌の知識は持ち合わせておらず、ヒゲさんの膵臓癌を知ってから、急いで調べました。膵臓癌に関して言えば、どうやら、高い画像診断能力が求められるようです。胃癌と比較して言うと、胃癌の場合、胃カメラで怪しい細胞を摂取して、その細胞を病理検査に出し、そこから癌細胞が発見されれば、「胃癌」が決定し、可能であれば手術となります。ところが膵臓癌の場合は、腹腔鏡(胸腔鏡だったかな)で膵臓の細胞を摂取して、同様に病理検査に出して、結果を待っている間に、どんどん癌が進行してしまうから、怪しい!!と思った時点で切除が好ましいらしいです。この場合、癌だと思って切除したら実は癌じゃなかった!!というケースもありうる訳で・・・これを「癌じゃなくて良かった」と、思ってくれる人ばかりなら良いけれど、「癌でも無いのに切除された!!」と、文句を言う人も現れる可能性が否定できない。だから、膵炎なのか、癌なのか・・なんて経過観察している間に、どんどん進行してしまう・・・腫瘍マーカーも3割の人には反応しないと、ヒゲさんの主治医が言ってました。だから、決め手に欠けてしまう。これが、膵臓癌というものらしいです。また、効果が期待できる抗癌剤は、ジェムザールとTS-1程度しか無さそうでした。それも、単剤の使用です。もちろん、これは健康保険適用の範囲内で・・という事ですが。手術しても、スキルス胃癌同様の高い再発率でもあります。まずは、手術可能との診断でホッと一息。手術日の事は、前回に書きましたように2月下旬の日記をご覧下さい。とにかく、癌は切除しきれました。術後、しばらくしてお見舞いに行った時、これは、やってみなければ、わからないや・・・と、術後の痛みを訴えながら、呟いていました。スキルス胃癌で手術をした奥様を思って言った言葉なのか、それとも、他にも癌患者さんとは交流がありましたから、その方々を思って言った言葉なのか・・・それはわかりませんが、下を俯いて呟きましたね。癌患者さんの、こういった呟きを実際に耳にしたり、ネット上で目にする事は多いです。「なってみなければ、わからない」これは病気に限らず、何に対しても言える言葉ですが、事、癌患者さんの呟きとして聞くと、私は無精に寂しさを感じます。覗き込んだ窓を、閉められてしまったような気持ちになります。そうだよなぁ・・・もっともだよなぁ・・・そう、純粋に思います。じゃ、私は一体なにしてるんだろう??と自問するのですが、答えが出ません。答えが出れば、多分、辞めていると思うのですが、未だなので続けているだけで・・・鈍いやつですわ^^;ヒゲさんから、この言葉を聞いた時にも、寂しさを感じちゃいました。同じ所に立っていたと思ったのに、違う場所に行ってしまったのか、私が違う場所に来てしまったのか・・・ヒゲさんは単純に自身の思いを吐露したに過ぎず、それ以外、何ら意味を持たない事はわかっていたから、私が変わったのかもしれないです。何とも言えない、「心の痛み」を感じたのはこの時だけなんですが。それ以後は、いつもの空気が流れ始めました。4月には退院となりましたが、術後2ヶ月を経過しても「痛いんだよな」と言ってました。切れば誰でも痛い・・これは当然ですが、痛みを訴える時間が長過ぎやしないだろうか・・・少し膵液でも漏れているのかしら・・・切除したのは2/3だし、胃は筋肉だけれど、膵臓はまるで豆腐のような臓器だと聞きます。縫い合わせるのには、高度な技術が必要だと。ヒゲさんが退院した4月に、博士とこんな話をしてました高遠の桜を、ヒゲさん親子と一緒に見に行こうか?来年が無いなんて、思ってる訳じゃないけど、あの桜は一生に一度は見ておいた方が良い景色だものそうだな・・・あそこなら、未だ桜が間に合うからなですがこの話をする前に、単に「快気祝いをやろうよ」と言った時にまだ、痛みがあるからなぁ・・・まっ、6月か7月だね痛いから・・と言われると、無理やりという訳にもいかず、また、今の痛みは治る為の「止む無しの痛み」だから、しゃーない時期か・・・と、この時は思っていました。
2008年09月26日
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スキルス胃癌とは関係なく、私事で誠に恐縮ですが少しの間、大切な友達の事を書かせて下さい。やたらと、更新をサボる日が続くなぁ・・・と思っていた方も多いかと思います。メールのお返事に追われていたのも、事実ではありますが、実は、本当にかけがえの無い友人の事で精一杯だったのです。既に、ご存知の方もおられると思いますが、このブログのバナーを作ってくれたヒゲさんが膵臓癌で22日に旅立ちました。49歳でした。異変に気付いたのは、昨年末でした。仲間うちの忘年会で久しぶりに会いましたが、どうにも「変」でした。呑みながら、何故かやたらと手を伸ばしている・・・本人が言うには、どうも指先がしびれて痛い、整形外科に行ったら首の関節からくる痛みだそうで、言わば「職業病」。PCも仕事だから我慢してキーボードを打つけど、仕事以外じゃキーボードなんて打てやしないと、ぼやいていました。もう歳なんだから軟骨がすり減っているんでしょうと、からかい、コンドロイチンやグルコサミンを補助栄養として飲んだら?とアドバイスしました。カメラで人を撮るのが好きで、いつも必ずカメラを持参する人。この日も写真を何枚も撮りました。いつもなら、直ぐにデータをメールに添付して送ってくる人が、そうしない。とにかく、いつもと違う・・・・年が明けて2008年になり、背中の痛みの激しさに泣いたようで、近くの総合病院へ。どうも、CT画像によると膵臓が腫れているとのこと。大学病院へ行くと1日潰れてちゃうからさ、そこの○○総合病院に行って来たよどうも、膵炎らしくてさ、5日間絶食だってさぁその間は、点滴に通わなきゃ行けないんだそんな報告電話が。膵臓炎や胆嚢炎は、3~5日の絶食が基本。うちの母も膵炎をやっていて、この時は、絶食せざるを得ない状態でした。とても食べられない痛みが続いたから。でも、食べない日が続いた後は、いつしかケロっとしてしまう。だから、膵炎とは何ぞやを目の当たりにしていたので、なんだ、ヒゲさんも膵炎かぁ、それで絶食なんだ今日はねぇ、うちはご馳走なんだよぉあっ!ヒゲさんは食べられないんだったねくっそぉ~!!俺の分まで食べてくれ~こんな会話を楽しんでました。ですが、この時うちの博士は「もしや膵臓癌?」と内心思っていたらしい。でも「まさか?」の気持ちの方が大きく、自分の中で否定していたようでした。5日間の絶食の後の検査で、腫れが引いていない事から、この総合病院でも「膵臓癌」を疑い始め、大学病院で精密検査という事になる。本人も「膵臓癌」を疑われ、懸命に病院探しを始める。この時も相談を受け、私達も急いで調べ始める。自宅からの距離も考え、○○大学病院に本人が決め、精密検査を受ける。そして、ある日の夕方電話が・・・どうやらさ、俺、膵臓癌っぽいんだわえっ!!??商店街を長女のSちゃんと歩きながら、電話をしているところだと言う。明らかにタバコを吸いながら・・・これから二人でお好み焼きを食べに行くところだそうだ。ひろりんにはさぁ、まっさきに言っておこうと思ってさぁ手術出来そうだし、まぁ、がんばるわこれを機にタバコを止めるから、もう、これも最後のタバコだなとも言ってた。動揺しまくっているのは、私の方だった・・・背中の痛みから、近くの病院で費やした時間は、検査日程も絡み結構かかっている。それから、大学病院に行き、膵臓癌判明までにゆうに1ヶ月が過ぎている。1ヶ月も無駄な時間を過ごしてしまった・・・スキルス胃癌は早足の癌だけれど、膵臓癌は走る速さの癌だ。この1ヶ月という時間が、実に悔しく、今もとても後悔している。私は癌というものを良く知っています。誰もが「まさか?」から始まる。これは、ヒゲさん自身も奥さんのスキルス胃癌で思い知った筈なのに・・・なぜ、1日潰れるからと近くの病院でお茶を濁してしまったのか・・・なぜ、逐一話を聞いていた私も、もっと強く、大学病院へ行く事を薦めなかったのか・・・一般的に、大学病院等の大きな病院に行くには、紹介状が必要です。これは、誰も彼もがちょっとした不調で、やたらと大学病院等の大きな病院へ行ってしまっては、受け入れきれないし、小さな病院に来る人がいなくなってしまいます。小さな病院を守る為の制度でもあり、また、必要不可欠である、かかり付け医制度を守るためでもあり、意味はあるのだと理解はしています。ですが多目にお金を払えば、紹介状などなくても大きな病院は行けるし、実際には診て貰えた筈で・・・「膵臓が腫れている」と聞いた時点で、強く癌を疑い精密検査を受けるように言えば良かったと、思います。あの1ヶ月が、致命傷となってしまった・・・1ヶ月早ければ、もう少し何とかなっていたかもしれない・・・これ以降も、常に腫瘍マーカーは正常値で、癌の動きが全く読めない人でした。本人、僅かの期間で膵臓癌を調べあげ、熱心に勉強もしていました。膵臓癌もスキルス胃癌同様、良い話を見つけるのは大変な病気・・・・辛い内容がとにかく多く、そんな中でも「手術出来る」事が唯一の希望となりました。その後、2月下旬に手術。この日の事は、病名もヒゲさんの名前も隠してありますが、2月下旬の日記に書いていますので、ご覧下さい。博士と私とヒゲさんの3人で、手術室へ行く前にガッツポーズをして写真を撮りました。ヒゲさんは私を窓口として、うちの博士に絶対の信頼をおいてくれていました。だから、術後の麻酔が完全に切れる前、長女のSちゃんに術後に急変して、お父さんが死ぬような事態に陥る事があれば、ひろりんに相談しなさいと言ったのです。手術は成功し、癌は全て切除できましたが、切除された膵臓を見て愕然としました。目一杯ギリギリのラインまで癌が広がっていたから・・・・スキルス胃癌で言えば、腹膜播種寸前というところか、はたまた、行ってしまっているか・・・という具合です。膵臓癌にも腹膜播種はありますから、可能性は否定しきれないところ。後に、リンパからも癌が見つかり、いずれ再発は免れないのではないか?と私達夫婦は、この時思ったのです。この時ばかりは、冷静に病気を読む自分に嫌気がさしました。癌なんてモノ、知らなきゃ良かった・・・と。
2008年09月24日
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