蘇芳色(SUOUIRO)~耽美な時間~

「黒澤明と小津安二郎」

書籍名:黒澤明と小津安二郎
著者名:獅騎一郎
出版社:宝文社出版

感想:最近、日本を代表する両監督に注目している。
きっかけは昨年の小津監督生誕100年だったのだが、小津監督と比較されることの多い、黒澤監督にも興味を持った。
この本では、それぞれのテーマに沿って、黒澤明と小津安二郎を徹底比較している。
そのテーマとは、「ファーストシーンとラストシーン」「シナリオ」「カメラ」「俳優」「映像」「音楽」「能」「演出」などである。
「ファーストシーンとラストシーン」の章では、このように解説している。
小津安二郎の作品は風景で始まり、風景で終わる。
同じような風景が、作品の前と後を飾るが、よく見ると微妙な違いがある。
「東京物語」を例に取ると、ファーストシーンは「船着場」の情景と「街の通り」のショットである。
ラストシーンにも、同様の「船着場」と「街の通り」が映し出される。
よく見ると、両者の間には大きな違いがある。
最初の「船着場」では、船が着くのを待っている人々がいる。
「街の通り」には歩いている人々がいる。
それが最後の方の「船着場」には人は誰もいない。「街の通り」にも人影はなく、水を打ったように道路が黒く光っているのである。
この違いは何か?
尾道で仲睦まじく暮らしていた周吉ととみ夫婦が、子ども達を訪ねて東京に行く。
その旅行中に、とみが体調を崩す。
そして病死する。
そういったドラマがあって、ファーストシーンとラストシーンの違いが理解できる。

「それに気づくか気づかないかは、観客にすべてまかせてあるのである。小津が『劇はあまり写さず、<余白>は観客が埋める』と常々言っていた言葉がこんな何気ないシーンにも隠されているのである。こんな気づかなければそのまま見過ごしてしまうただの風景のシーンにも、『技巧とみえない無技巧の技巧』といったものが、小津映画にはほどこされているのである」
(「 」内は本文より抜粋)

黒澤作品の方はと言うと、冒頭からいきなり本筋に入ってしまう。
観客の胸倉をつかんで、ぐいと物語世界に連れて行く。
そしてこれから始まるストーリーに一波乱ありそうだなと、観客に思わせるのだ。
そしてラストはというと、例えば主人公が後ろを向いて歩き出すと「終」のタイトルが出るというような終わり方である。
まるで催眠術にかかっていたように、「一、ニ、三、はい」で観客は現実の世界に戻される。

こういう風に、小津作品と黒澤作品の違いをあぶりだしている本である。

私はどちらかといえば、黒澤作品の方が好きだったが、昨年小津監督の「晩春」を見てから、小津作品の味わい深さに魅入られた。
ただの退屈な映画ではなく、淡々と流れる時間にもさまざまなドラマが隠されていることを知った。
小津作品は、年を重ねるとよさがわかるというが、私も年をとったと言うことか?
人生の滋味を感じる小津作品に、心を奪われるようになった。

この「黒澤明と小津安二郎」の本によって、彼らの関係や作品の奥深さに触れ、ますます両監督に敬意を表したい気持ちになった。
この本自体も、かなり味わい深い。



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