2015年09月09日
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カテゴリ: ひとりごと

silk spider (Nephila, Tetragnathidae) / Crystalline Radical




改めて読み返すと色々発見することもあったりして結構面白い。

ネットに朗読しているものがあったので、文章を目で追いながら聞いてみた。

まず興味を持ったのは”蓮の花の匂い”ってやつだ。

「池の中に咲いている蓮の花は、みんな玉のようにまっ白で、

 そのまん中にある金色の蕊(ずい)からは、何とも云えない好よい匂においが、

 絶間たえまなくあたりへ溢あふれて居ります。」(本文より引用)

こんな風に書かれてると、本物の蓮の蕊の匂いを嗅いでみたくなりますね。

芥川龍之介は嗅いだことあるんだろうか?



匂いを知ってる人と知らない人では結構差が出そうな気がする。(印象に残るかどうか)

蓮畑の近くには行ったことがある。確かに独特の匂いだったけど、

いい匂いかと聞かれると....よくわからない。

花の匂いというより、泥と葉の匂いだったような....

地上(現世)の蓮と極楽の蓮とでは違うのかもしれないな。


話は変わるけど、御釈迦様って過去も未来もお見通しだと勝手に思っているんですが、

蜘蛛の糸を垂らしたところで、結果的にかん陀多が真っ逆さまに落ちてしまうことは

糸を垂らす前から御存知だったのでは?と思うのですがどうでしょう....

だとしたら何のために糸を垂らしたのかってことになりますね。

まさか御釈迦様が罪人を弄ぶようなことはしないだろうし、

しつこいくらい御釈迦様の悲しむ姿も出てくるし。



蜘蛛を救った=小さな善=原因 とするなら

糸を垂らして極楽に行くチャンスを与える=小さな善に対するご褒美=結果

ということ。原因と結果は平等でなければいけない。

「蜘蛛を救った」というのは小さな小さな善。とても”小さい”のだ。

小さな善に対して大きなご褒美を与えることはできない。



「足し算ができたら掛け算はできるようになるかもしれないね。

でも足し算が出来ただけでは数学者にはなれないよ。」

例えは下手だがこんな感じだろう。

でもこの図式は数式ではない。御釈迦様には私達と同じように感じる心があるのだ。

期待した人間に裏切られれば悲しいのだ。それは一瞬のことだったかもしれない。

またいつもの平和な極楽の生活に戻るのかもしれない。

だけど、文字通り天と地の差のある住人に対して思いを寄せてくれるということだけで

感謝するべきだ。(ありがたいことだ)

ここでも下手な例えをするが、

アメリカの大統領があなたが風邪を引いたくらいで心配してくれますか?

ありえないですよね?でももしお見舞いに来てくれたら驚くと同時に嬉しくはないですか?

散々悪事を働いた人間のただ一つの良心に賭けてみるって

やっぱり御釈迦様くらいにしかできないだろう。

御釈迦様は全ての人間に極楽に来て欲しいと願っているに違いない。

地獄で苦しむ人なんて本当は見たくないのだ。

だからこそ糸を垂らした。


蜘蛛の巣 #spider #web / norio_nomura


気付いている方もいると思いますが

かん陀多が地獄の罪人を何百人、何千人と引き連れて極楽に来る可能性だってあったわけです。

その可能性を受け入れようとしたんですよ、御釈迦様は。

慈悲深いって言葉でも足りません。

私だったら、自分の家に死刑囚が何千人とやってきて一緒に暮らせなんて

言われたらどうしたらいいかわからないし、考えたくもない。

かん陀多がもし下を覗き見ることがないまま上り続けていたら

極楽にたどり着いていただろうか。

連なる罪人に気付くこともなく糸は切れなかっただろうか。

”下を覗き見ることがない”ってどんな状況だろう。

かん陀多が罪人を蹴落とそうとするところばかり印象に残るが、

かん陀多が極楽に行けなかったのは「慢心と傲慢さ」のせいだと思う。

御釈迦様が悲しまれたのは、かん陀多が地獄に戻ったことではなく、

彼が地獄から足が離れてすぐに地獄の苦しみを忘れてしまったことだ。

自分の悪事を心から反省する素直な気持ちが消えてしまったことなのだ。

地獄での苦痛を一時も忘れることなく上り続けていたなら、

「下を覗き込む」なんて余裕の行動は絶対しないでしょう。

極楽に着いてもいないのに喜ぶのは愚かとしかいいようがない。

油断するってこういうことですよね。

かん陀多は原因と結果の恐ろしいほどの正確さを知らなかった。

知っていれば、糸の状態が崖っぷちであることに瞬時に気付くはず。

自分の極悪非道さ、罪深い行い、命取りの失敗....

地獄へ落ちてもなお、彼は理解することができなかったのだ。

体に、頭に、四六時中苦しみを刻み込まれても人の命さえ省みないかん陀多。

”さまざまな地獄の責苦せめくに疲れはてて、泣声を出す力さえなくなっている”

”血の池の血に咽むせびながら、まるで死にかかった蛙かわずのように、
 ただもがいてばかり居りました。”

自分がまさか地獄に落ちるなんて思わないだろうけど....。

「糸が切れることがわかっているのに垂らすなんて御釈迦様はなんて意地悪」

と感じる人がいるという事実を知ったら御釈迦様は嘆くだろう。

原因を全く積めないのが地獄だから、

「自分の考えや行動一つで結果がいい方にも悪い方にも傾く」

という経験を地獄で体験することはおそらく皆無。

かん陀多は極楽に行けるチャンスを貰ったと同時に

もし落ちたとしてもこの経験をさせて貰えるという”良いこと”もあったわけです。

結果と報いしかない世界で1ミリも触れられないことを学べたのです。

「しかし極楽の蓮池の蓮は、少しもそんな事には頓着致しません。

その玉のような白い花は、御釈迦様の御足のまわりに、ゆらゆら萼を動かして、

そのまん中にある金色の蕊からは、何とも云えない好よい匂が、

絶間たえまなくあたりへ溢あふれて居ります。極楽ももう午ひるに近くなったのでございましょう。」
(本文より引用)


かん陀多が金色の蕊の匂いを知るにはあと何千年いや、何万年以上待てばいいのだろう。

芥川龍之介には月も星もある空が見えているだろうか。

かん陀多はまさに自分のことだと真摯に受け止めた読者はどのくらいいるだろうか。


world wide wet - 2D (Schiersteiner Brücke) / marfis75





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最終更新日  2023年11月14日 18時27分42秒


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