硝子窓（輪廻）
なにも家から着ていくことはない。
お宮さん着いたら羽織らせてもろたらええねん。
奏人のお宮参り用にとウチの実家が持たしてくれたもんや。
百日の祝いの食器だけでも相当な散財やから、もう着物まではええって言うたんやけど、
おかあちゃんは清水の親にウチがなんか言われる隙を作りたくない言うて。
お宮参りの間におっぱいになっても大変やし、一回しか着やへんねんからって
百貨店で貸衣装を借りる事にしたけどそれにしたかて一週間で２万円。
ここまでしたかて義母はそれが実家の務め、当たり前って思うてる。
実際こんなん着せられる奏は苦しいやろし、ぐずったときにあやすんも一苦労や。
ほんまに実用的やないなぁって思う。
こんな衣装も、料亭も結局お義母さんの体裁や見栄のためだけ。
心から誕生を祝って、成長を祈ってくれてるんやない。
あの人の自己満足や。
留め袖を着こんで、髪をアップにしてるお義母さんの目が釣り上がってる。
髪型のせいだけじゃないやろな、当然。
夜明け前の言い合いが頭をよぎった。
「由香子さん、あなたはまだ着替えないの？」
とがった声が飛んでくる。
「ええ、出かける前に奏人におっぱいをやってそれからにします。」
「そんな悠長な事を言ってて間に合うの？」
「ちゃんと時間は考えていますので。」
「さっき二階に行ったら、あなたの着物はつるしてなかったみたいだけど。
送ってきた荷物にもなかったわよね。」
「母乳ですのでスーツにします。」
母乳のところを強調して言うた。
着物なんか用意してないんわかってて、嫌味ったらしくこんな言い方すんねん。
感じ悪い。
でももうお義父さんも貴信も起きて一緒の部屋におるから、あっそうで済んだ。
ジャブの当て逃げみたいな嫌味やったら言わんかったらええのに、
ちょっとでもなんか言わんかったら、満足できんのや。
ウチはこんな姑にはなりたないなぁ。
「公式行事」は一応つつがなく。
表面的にはなごやかに終わった。
貴信の目を気にしてか、ウチへの攻撃はほとんどなかったし
なにより、外面のいい義母は完璧に「いいおばあちゃん」を演じきった。
お宮さんでは着物で奏人を抱き続け、終始にこやかな笑みを浮かべてた。
料亭に行くと奈良から送った食器で奏人の祝い膳が供された。
「おととい、料亭の方に取りに来ていただいたの。
せっかくですものねぇ。」
食事前にお祝いの挨拶に来はった料亭のご主人に
ほんとにご無理をお願いして、とか頭を下げて。
お義父さんや貴信はどない思うてるか知らんけど、
ほんまに虫唾が走るほど薄ら寒い光景を見せてもろた。
貴信が持ち込んだデジカメで仲居さんが家族写真を撮ってくれた。
モニターに映ったお義母さん。
それと自分の作りまくりの笑顔。
嘘のカタマリ。
ため息みたいに重い灰色が空に落ちてくる。
関西より早い時間に陽が落ちるんや・・・。
お酒を飲んだ貴信にかわって運転しながら、
前の車が夕闇に染まって色のトーンが落ちていくのを眺めてた。
お義父さんも当然飲んでて前の車を運転してるのは料亭のお兄さんや。
田舎ならではやなぁ、と思う。
抱っこされている奏よりも、貴信は大きな寝息をたてていた。
帰宅して。
「気に入らなければ離婚すればいいのよ。」
開口一番、義母はそう言うた。
奏人のお宮参りとお食い初めのイベントを終えて帰宅したウチは
疲れて眠る奏人を布団に入れ、部屋着に着替えた義父と貴信にお茶を出してた。
お酒の入った二人の代わりに、借りた車を返しに行こうか、
それとも明日返しに行く事で話をしてもらおうか。
そんなような話をしていると、
着物から洋服に着替えるのに時間のかかった義母は少し遅れて
リビングに入り、先制するように言い放った。
「な・・・、何を言い出すんだ？」
どこまでも人がよく・・・人がいいだけの義父は
ここ数日の空気を読みきれていないらしく目を白黒させている。
「気に入らないんでしょ？
私もね、言いたい事もキチンと言わないで一人被害者ぶってるような人とはうまくやっていけないわ。」
今朝、わざわざ恩着せがましくお百度参りで自分がいい姑やって言うんを
アピールしてきたんからするとエライ方向転換や。
まさか正面から喧嘩を売ってくるとは！
「ウチは被害者ぶってるように見えるんやったら、そんだけの事したはるんやないんですかっ！？。
それに離婚なんて考えてません。」
もともとこっちはその気で来てるんや。
そう来るんやったら遠慮なく言わせてもらうわ。
「そうだよ、かあさん。何か気に食わないことがあったんだろうけどさ。
ちょっと落ち着こうよ。」
「ちょお待って、なんでこの状況でそんな言い方になるんよ？」
あくまでも「由香子がかあさんを怒らせた」って言う貴信の言い回しにぶっちぎれる。
「そうじゃないけど、ほら由香子も落ち着いて。」
「落ち着いたらどないかなるん？」
「あきれた！自分の夫になんてモノの言い方！
貴信を大事に出来ない嫁なんていりませんよ。
もうね、離婚がみっともないなんて時代じゃないわ。
由香子さんが気に入らないのなら、いつでも籍を抜いてちょうだい。」
「ウチは貴信さんと離婚したいんやありません。
むしろこれからちゃんとやって行くために話しに来たんです。」
「そうだよ、いきなり離婚なんて飛躍しすぎだって。
奏人がうまれたばかりじゃないか。」
なだめるように言う義父に、振り向きもせず義母は冷めた声で言う。
「あなたが口を出すんですか？
今まで家の中のもめごとには我関せずだったのに。」
「当たり前だろう、知らん顔できる話じゃないじゃないか。」
「これまで私がどんなに困っていても仕事仕事で話ひとつ聞いてくれなかったじゃないですか。
私があなたのお母さんにいい様に言われてても、ずっとほったらかしだったでしょう。
嫁姑に関わりになりたくないのなら、今も知らん顔しててくださいな。
それとも私を悪者でいさせるのが楽しいですか？」
「誰もそんなことは・・・。」
「今まで黙って来たんですからこれからも口出ししないで下さい。」
「お義母さんのほうがよっぽどひどいんじゃないですか？」
「あら、お父さんを味方につけるつもりなの？」
「かあさんっ！」
おとなしいと思っていた義父の大声を聞いたのはこの時が初めてやと思う。
義母は芝居がかった様子で肩から大きなため息をつき、
ピタリと視線をお義父さんに向けなおして言い直した。
「なんなんですか？」
その半分笑ってるような顔はさすがの迫力やった。
「俺はお前とお袋の間の事に口は出さなかったのは・・・
仕事に逃げてたと言うなら、そう言われても仕方ない。
ただ、あの時はそれが一番いいと思ってたんだ。」
「なら今も黙っていらっしゃればいいでしょう。」
「それじゃダメだとわかったんだ。
お前には悪い事をした。
だからといってこのままだったらお前・・・お袋と同じになっちゃうじゃないか。」
「それが正しい一家の女の勤めだと40年かかって身につけたんです。」
「志づるがお袋と同じ事をしたら、由香子さんも同じ道を通るんだぞ？」
「結構じゃないですか、清水の嫁ならばそれが最善なんでしょう。
気に入らなければ離婚しなさいと言ってるだけ、私は甘いのかも知れませんけどね。」
「貴信、わかっているのか？
これは何十年後かにお前に帰ってくるんだ。
ちゃんと由香子さんの話を聞け、自分の意見を言え。
母親のことは・・・親はいいんだよ。
まずは嫁さんをわかってやる気持ちを持て。」
「どの口がそんな事を・・・。」
「俺はお前の言い分を聞くし正しいと思えば味方する。
いまさらと言われても、そうしなけりゃいかんのだ。」
「そうですか。じゃあ思う存分お好きなだけ味方してくださいな。」
義父の言葉に趣旨換えしたような言葉やったけど、
実際はどうでもいい、勝手にしてくれと言う調子やった。
「は・・・っ？」
「だからどうぞ好きにしてくださいって言ってるんです。」
予想外の言葉だったのか、義父は拍子抜けしてしまい
ソファに座り込んでしまった。
もしかしたらこの二人の溝は、もう埋められんほどに深いんかも知れん。
夫の親とのつきあいのホンマの怖さを、目の当たりにさせられた。
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