紅蓮’s日記

第四十九話

｢お姉ちゃん、どうしたの？｣

蹴也は表情を歪ませた鞠を不思議そうに見上げた。

｢ッ！なんでもないよ………さぁ、行こっか。｣

鞠は蹴也の声で我に返ると蹴也の手を引き、
足早に成人の前から姿を消してしまった。
蹴也は強引に手を引かれることに不満を抱きつつも、
姿を消す最後まで成人に手を振り続けていた。
成人はしばらくその場に立ち尽くしていた。
冬場の寒さが痛いほど肌を撫でる。
成人の口から大きな白い息がこぼれた。

｢キキッ！！｣

そんなとき、蝙蝠の精霊バッツが低く声を上げた。
同時にゴートは顔を上げ警戒するように辺りを見回し始め、
レオは鬣を逆立て、シザーは鋏を大きく広げた。

｢………これは………｣

突如大きな霊力の波が一瞬成人の体をかけ抜けた。
成人の顔がグリマーとしての顔になった。

｢ゴート！バッツ！複合精霊デーモン！！レオ！シザー！
複合精霊マンティコア！！｣

成人は四体の精霊たちに瞬時に言霊を投げかけ、霊力を注ぎ込む。
四体の精霊たちは成人の体から溢れ出す霊力を食らい
その体を実体化させると溶け合う液体のようにその体を複合させる。
静かな校庭に二体の異型の生物が降臨した。

｢デーモン、お前の目と耳で上空からこの一帯の不審人物を特定！｣

山羊の上半身に蝙蝠の下半身のデーモンは夜空へと飛び上がった。
山羊は草食動物であり、その目は肉食動物のように距離を正確に測ることは
できないが、自分を狙う捕食者から身を守る為に特化した広い視野持ち、
蝙蝠は超音波を発し、まるで潜水艦のソナーのように反響音を利用し
目に見えない位置にいるものの位置まで正確に察知することができる。

｢マンティコア！ここ一帯の霊力を察知！！｣

獅子の体に蠍の尾を持つマンティコアの足から細い蠍の足が伸び、
地面にそっと触れられる。
砂漠にすむ蠍は獲物を狩るとき、獲物の位置を相手の足音や移動音、
つまり極わずかな振動を体全体で感じ取り把握する。
この原理を利用し、個々特有の波動を持つ霊力を振動に見立て
マンティコアは足の先から伝わる振動を全身で感じ取る。

｢ッ！！｣

｢ッ！！｣

二体の複合精霊たちは同時に一人の人物を感知した。
人目につかない住宅地の路地裏を移動する膨大な霊力を持った人物、
つまりグリマーだ。通常グリマーは他人に存在を気付かれないよう
霊力を隠す。
容易に感じ取れるほどの大きな霊力を放ったということは、
すでにもう奴は動き始めている。

｢奴を追え！デーモン！マンティコア！｣

成人はマンティコアの背に飛び乗った。
デーモンは闇夜の空を翔け、マンティコアは闇夜の有然町を駆け抜けた。

暗い夜道を蹴也と鞠は手を繋ぎ並んで歩いている。
長らく単身赴任だった父を迎えに行くため、
有然駅に向かう住宅の一本道を進んでいた。
その道は街灯は設置されているもののとても見通しの良い道とは
いえなかった。
この時間帯は人通りも少なく、辺りは不気味なほど静まり返っていた。

｢ッ！｣

蹴也は突如体に悪寒が走り、身を振るわせた。

｢どうしたの？｣

そんな弟の姿を鞠は心配そうに声をかける。

｢だいじょうぶ。ちょっと寒気がしただけだよ。
ねぇ、もしかしたらもうお父さん駅に着いてるかもね。急ごうよ。｣

蹴也はそう言うと歩くスピードを速め、姉の手を引いた。
鞠と蹴也の父が有然町に帰ってくるのは半年ぶりである。
蹴也は久々に会える父が待ち遠しかった。

｢はいはい。｣

鞠は笑いながら弟の歩くスピードに合わせてあげる。
もちろんそれは鞠も同じだった。

｢ねぇ。｣

ふと蹴也が鞠に尋ねた。

｢なに？｣

｢さっきのお兄ちゃんって、お姉ちゃんの友達？｣

鞠はふと足を止めた。

｢お姉ちゃん？｣

｢あぁ、なんでもないよ。｣

鞠は再び歩き出す。

｢あのお兄ちゃんはね。お姉ちゃんの………｣

鞠は言葉を濁らす。

鞠と成人は面識がない訳ではない。
中学一年のとき、同じクラスの学級委員に一緒に推薦されたとき、
さらさらな茶色の混ざった黒髪に、細い体、なで肩、
まるで声変わりをしていないかのような子供っぽい声で
しかも童顔な成人を見て、鞠は気弱そうな少年というのが第一印象だった。
だが、委員長として働く成人は全くもってそんなことはなく、
意外にしっかりしたやつだなと驚いたことがある。

｢球種さん、ボクのことそんな風に思ってたんですね。ひどいですよ。｣

あるとき思わずそんなことを口に出してしまった鞠は
成人にそう言われて笑われてしまったことがある。
そのときの笑顔がまるでテレを隠す少年のように見え、
とても可愛く見えた。それ以来鞠は無意識に成人に話しかるようになった。
普通にお互いを｢友達｣と見てもおかしくない状態だった。
だが、鞠は見てしまった。
レジストグリマーズの有然町襲撃事件の時に戦場を駆ける成人の姿を。
得体の知れない未知の力を使い戦場を駆ける成人にはいつものかわいさはどこにも見えず、その顔からは凍てつくような冷たさが感じられた。
そこにいた成人は別人だった。
そんな成人の姿を見てしまった鞠はそれ以来、成人が化け物としか思えなくなっていた。
鞠は事件以来成人を避けるようになってしまったのだ。

｢………｣

鞠はその先を言えなかった。
鞠は考えてしまったのだ。
鞠は実は蹴也の力を知っている。
もしかしたら蹴也の力も成人の力と同じなのではないかと。
蹴也もいずれそっち側へと引きずり込まれてしまうのではないかと。
そう考えた途端、鞠は成人に近づけなくなってしまった。
蹴也は明るい子だが、決して気が強いわけではない。
むしろ外見どおり気は弱いほうだ。
そんな弟を危ない目には合わせるわけにはいかないから。
姉である自分が弟を守らなくてはならないから。

｢鞠、蹴也。｣

そんなときだった。
二人の耳に懐かしい声が聞こえた。
見ると街灯の下に紺の背広に身を包んだ一人の男性が立っていた。
少しやつれている顔や気弱そうな顔つきからは
典型的なサラリーマンを思わせられる。
細い体つきや色が薄く茶色がかって見える髪から、
どことなく蹴也と鞠に似ている。

｢お父さんだ！｣

蹴也は男の姿を見ると嬉しそうに駆けていった。
そんな蹴也を追うように鞠も駆けていく。

｢ま………り………しゅく………や………｣

突如男の顔が大きく歪んだ。
その刹那、男の顔から異型の生物が飛び出す。

｢グルオォォォォォォォォォォォォォォ！！｣

翡翠の眼を持ち、
全身を剣山のような鱗で覆われた異型の蛇は青く輝く水晶のような
半透明の体を翻し、開かれた巨大な口に並ぶ無数の牙が街灯に照らされ
鈍く光る。

｢グルァッ！！｣

その巨大な口が閉じられようとした瞬間、
何かが鞠と蹴也を闇夜の空へと連れ出した。
鞠がその何かを認識するのと、
それは山羊の上半身に蝙蝠の下半身を合わせた生物だった。
足にある巨大なかぎ爪で鞠と蹴也を優しく掴み上げ、
背中の巨大な翼が力強く羽ばたかれいる。

｢これは………｣

鞠はこの生き物を知っている。
これは有然町襲撃事件時に見てしまった化け物、デーモンだ。

｢グルオォォォォォォォォォォォォォォ！！｣

蛇のような化け物は体をくねらせ反転させると上空に飛び上がり、
デーモンごと鞠たちを飲み込もうとその巨大な口を開き襲い掛かってきた。

｢グアァァァァァァァァァァァァァァァ！！｣

その刹那、獅子の体に蠍の尾を持つ化け物が蛇を側面から突き飛ばした。
鞠はこの化け物も見覚えがあった。
デーモンと同じく有然町襲撃事件時に目撃した
マンティコアという名の化け物。
マンティコアの牙に捕らえられた蛇は地面に叩きつけられ、
そしてねじ伏せられた。

｢デーモン。｣

マンティコアの背から一人の少年が降り、
鞠たちを掴み上げている化け物の名を呟くように呼んだ。
デーモンはゆっくりと下降し、そしてやさしく鞠と蹴也を地面に下ろした。
鞠はあまりに突然起こった数々の出来事が理解できずしばらく動けずにいた。

｢怪我はないですか？｣

そんな鞠の姿を見た少年は優しく手を差し伸べた。

｢じ………獣合………くん………｣

さらさらな髪、子供のような童顔、
鞠の目の前にいるのは紛れもなく成人だった。

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