◆ピラミッド

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深夜のピラミッド登頂記


期間:1997年8月~9月  メンバー :あたしと王の二人

1.どうにかこうにかトルコ脱出

アテネの空港にて トルコで急遽怪しげな国際学生証を作り、格安で入手したエジプト行きのチケット。うっかり日付を間違えて、あたしと王はまたもや空港で青ざめる。日本じゃキャンセル料がかかりそうなもんなのに、ここでは、にっこり笑顔で日付を訂正してくれた。あたしらの必死さ(多少芝居かかっていたことは否めない事実であるが)にきっと胸をうたれたのであろう。そんなわけでどうにかイスタンブールを脱出したものの、このチケットはギリシャ経由でカイロへ向かうものであった。アテネでトランジットせねばならない。もちろん一筋縄で行くわけはなく、ここでもまた天国と地獄を味わうことに。(キャンセル待ち。「乗れなかったらどうしようね~?明日また空港に来てみりゃいいか~。」などとのんびりと名前を呼ばれるのを待っていると、出発5分前にOKが。こんなんばっかしでまるで危機感のないうちら。)深夜11時過ぎ、あたしたちはカイロへ到着した。



2.深夜到着の恐ろしさ

 到着したあたしたちを待ちうけていたのは、両替商でのサギであった。大量にふくれあがった紙幣を手に慌てふためいていると、ふいに横から現れたのは、トルコで出会った男の子たち!ものすごい偶然だった。旅をしているとこういうことはままある。彼らは大声で「それじゃ足りないだろう!」と両替窓口に向かって叫び、あっという間に正しい金額を手に入れてくれた。トルコを出るとき、「エジプトは怖いよ~、いいアクセサリーなんかしてたらそっから切られるよ」とある人に脅された記憶がよみがえる。到着してすぐにこれじゃあ、わたしらいったいどうなっちゃうのー!?とたちまち不安にかられた。しかしこれからまだ市街へ出て、宿を探さねばならないのである。先ほどの男の子たちが市街へ向かうバスを発見。それに便乗することにした。
 しかしながら…。バスの中は男性しか乗っていない。私たちは一番後部に横一列に並んで座ったものの、私の隣はエジプト人男性であった。彼は腕を組み、深く腰掛けている。ところが…。なんか変なのである。奇妙に何かが触れてくる。横目でじっと彼を観察していると、
あろうことか彼は!
組んだ手の指を伸ばし、あたしの胸に触れているではないか!驚いた私は涙目で男の子たちに助けを求め、彼らのおかげでどうにか事無きを得ることができた。
 そんなこんなですっかりおびえたあたしたち二人。王はもうエジプトなんて嫌と憤慨している。今晩いったいどこに泊まりゃいいというのか。そもそもどこに宿があるのか。ぼーぜんとバスの中でとほうにくれていたところ、男子諸君が自分たちと同じ宿に泊まったらどうかと言ってきた。私たちには他に選択肢はない。ただもうこっくりとうなづくのみであった。



3.一泊200円の宿

 やっとの思いで到着したそこは、ホテルとよんでいいかどうかハナハダ疑問の場所であった。フロントらしき場所に座る兄ちゃんは、すでにベッドはいっぱいだからそこのソファーかまたは床のじゅうたんの上で寝てくれという。
 振り向いたうちらの目に飛び込んできたのは、薄汚れたソファー、そしてわけのわからん染みの残るじゅうたんであった。
 ま・まじ…?
 とにかく屋根さえついてりゃなんとかなるでしょう。どうせ数時間で夜明けなんだから…と無理やり納得する二人。しかしここでの出会いがとんでもない計画に参加するキッカケとなった。それはすなわち、 真夜中のピラミッド登頂 である。



4.「スルタンホテル」の秘密ノート

 ソファーにもじゅうたんにも転がる勇気のない私たちは、ホテルの入り口で、一緒にやってきた男の子たちと旅について話していた。するとどこからともなく人が集まってくる。そうしているうちにいつしか話はピラミッドのことになっていた。ピラミッドに登るらしい。観光客ならば誰でも登れるものと思っていた私は、それが今や禁忌事項となっているのを知り、驚いた。それなのに、登るというのである。
いったい、どうやって?
 よくよく聞いてみると、スルタンホテルに行けば、その手がかりがある、というので皆集まってきたらしい。どこかでうわさを聞き付け、自然と人がやってくるのだそうだ。どうやって警備の目をくぐりぬけるのか。またいったいどのルートなら足場がしっかりし、登りやすいか。そういったことが先人たちによって書き記されてきた秘密のノートが、ここにあった。



5.ピラミッドの魔力

スルタンホテルにて ホテル入り口の踊り場付近にたむろする日本人8人。その内わけは、今日到着した私たち6人に、すでに一週間ほどここに滞在し、ピラミッドの下見をすませたという男の子たち2人である。1人は麦わら帽子にビーチサンダルという出で立ちでわりとこざっぱりした印象を受けた。もう1人は真っ黒で小柄な感じ。私はてっきり現地人かと思っていた。聞けば、パキスタンの方からえんえんと旅を続けてきたのだという。世界遺産のたっぷり写された写真にわたしたちは圧倒された。早稲田大学の2年生なのだそうだ。それを聞き、私は再び目を見張る。風貌は若い。でも彼がかもし出す雰囲気は、とても同世代のそれとは思えないものがあった。この年齢にありがちな妙な熱さや、浮かれた軽さが全く無い。さまざまな危険を、たった一人でくぐりぬけてきたという記録の数々が、ただ彼の背後に静かに漂っている。長老のような風格すらあった。彼の名はユウスケ。さまざまなピラミッド登頂にまつわるエピソードをおもしろおかしく話してくれた。ドイツ人の何某という人が一番大きなピラミッドに登ろうとしたが、結局落下してしまったこと。現在はピラミッドの風化が激しいため、全て登るのが禁止されていること。実際足場がかなりあやしいらしい。それなのに、深夜大勢の日本人がピラミッド登頂を計画していること。それが国際問題に発展しそうな勢いなので、いつ本格的に取締りが行われてもおかしくない状態にあるということ。従って、ピラミッドの登頂のチャンスは、もう二度と訪れないかもしれないということ。
 …しかしそんな中で、いったいどうやったら登れるというのか。
 ふ~ん、と他人事のように聞いていた私と王に向かって、ユウスケは突然、「女の子はお守りなんだ、是非一緒に参加してほしい」と言ってきた。スルタンホテルの登頂記録ノートと自分がピラミッドを下見した様子から、確実な方法があるのだと。



6.ピラミッド登頂計画1

 私と王は、最初まったく登る気はなかった。万が一足を踏み外しでもしたら…確実に死んでしまう。そんな危険を犯してまで、ピラミッドに登る意味が、イマイチ理解できなかったからだ。王は言う。「私の命は私一人の物じゃないから、やめておくよ。」彼女は、中学生のときに父親を亡くしている。だからきっと、死を私よりずっと身近に感じているに違いない。
「大丈夫、女の子は必ず守るから。足場のしっかりしているルートだし。」
そうユウスケは断言し、登頂計画を皆に話し始めた。
 ユウスケはレポート用紙に裏口侵入ルートやピラミッドの最も風化が激しい方角、そして警備員がいる場所などを描きはじめた。裏口には民家が立ち並んでいる。どうやらその間を通り抜けるらしい。そこからピラミッドまでは50メートルほどの砂漠が広がっていて第一関門となっている。人が入ってきたのを確認すると、犬が数匹、すごい勢いでかけつけてくるらしい。ユウスケはそこで、自分がオトリとなると言った。犬と警備員とを自分でひきつけておくから、後はとにかく、ピラミッドに向かって走り、もう一人の男の子の誘導に従って登れ、と。第二関門は、3段目にあるらしい。3段目まで登ってしまえば警備員はあきらめるのだそうだ。逆にさっさと登らないと、引きずりおろされる。

 万が一捕まった際にはいったいどのような態度をとればいいのか。
 イスラーム文化には、バクシーシという喜捨の習慣がある。これはすなわち、(誤解を恐れず大胆に表現すれば)恵まれたものから、貧しいものへの施しであり、転じてワイロとして使用されたりもする。よって万が一捕まった場合に無事逃亡できるよう、また大量にとられてしまわないよう、ちょっぴりのお金を靴や下着の中に携帯しておくようユウスケは言った。

7.ピラミッド登頂計画2(女の子の秘密)

 ところでなぜ、女の子はお守りなのか。
 エジプト人は女性に手を触れることができないのだという。従って、いざというとき役に立つ、という理由でメンバーに女の子がいると心強いのだと。なるほどなあ、とちょっと納得。
 しかしながら日ごろ「女の子」というコトバを聞きなれていない私は、なにやら妙にくすぐったい。守ってもらうべき愛らしい存在。そんな響きを持つ「女の子」は小さい頃からのあこがれであった。女であっても、女の子だったことは私の記憶じゃかつて1度もないのである。
 さて、白熱していたピラミッド会議であるが、夜明け近くなり、皆が次第に睡魔に襲われたため、明日午前3時決行という約束だけしてそれぞれが眠りについた。もうどうしようもなく眠たくなってしまった私は、ソファーに交代で横になろう、と王にもちかけたが、彼女は男性と一緒の部屋では眠れないと言い、気丈にもユウスケと話しながら起きていた。翌朝聞いてみたところ、すごく興味深い話をたくさんしたらしい。どんな話をしたのかはあまり言わなかった。彼女はいつもそうである。震えるほど感動したことやハッとさせられたことなどを私のようにペラペラとしゃべったりしない。秘密の宝物のように、大切に自分の中であたためつづける。そんなわけで、彼女と知り合い6年が経つが、私は未だに彼女のことをよく知らない。王という愛称は「キングオブ文房具」からつけたこと。せいぜい知っているのはそのくらいだ。もっとも、マニアックな文房具を所有している彼女への、驚きと賞賛をこめて、私がつけたあだ名であるのだが…。おかげで王と旅すると、私の感覚はとても鋭敏になる。言葉以上に空気で受け取ることが多いため、どの瞬間を思い出してもいつもそのシーンは鮮やかでいとおしい。



8.ピラミッド前夜

カイロのマクドナルド スルタンホテルじゃ安心して眠ることができないため、翌朝わたしたち2人はもう少しマシな「ニュウガルデンパレスホテル」(注:エジプシャンイングリッシュ)へ移動した。朝食は皆で朝マック。それにしても、カイロのマクドは高級店さながらで驚いた。入り口にはガードマンが立っていたし。ひどい服装ではどうやら入店できない模様。皆でハンバーガーにかぶりつき、ひとしきり今夜の計画で盛り上がった後、集合時刻の確認をして解散となった。チェックイン後、眠りこける私たち2人。
 目覚めるとすでに夕方だった。集合は、スルタンホテルに午後6時。
「王~、なんかもう遅刻確定、みたいなんだけどー…」
不安げにそう言うと
「大丈夫だよ~、どうせ出発は夜中でしょ~?」
「それもそうだね。じゃあご飯食べてゆっくり行こう?」
多少気にしつつもホテルの屋上で優雅にディナーとしゃれ込んだ。とたん、スルタンホテルより電話が入る。あわてて準備を整えながらホテルへ向かう私たち。途中、男たちが乗ったベンツに後をつけられたりしながらも、親切な人の手助けもあり、どうにかこうにかやっと到着。そんなこんなのピラミッド前夜。果たして登頂は可能なのか。



9.スルタンホテル発ピラミッド行き

 ホテルの中は、すでに相当テンションが高い。ユウスケがニセポリ(ツーリストポリス)のまき方だとか、ピラミッドへ登る際の服は何色がいいかだとか、そんな話を皆にしている。それを聞く皆の瞳の、獣のような異常な輝き。部屋中に闘志が満ちて暑いくらいだ。スルタンホテルの受付にいる自称「スズキ」というエジプシャンが、そんな彼らの様子を見て、「ピラミッドに行くのですか?」と流暢な日本語で問い掛ける。「ノォノォ!ジャスト・ドリンキング!」皆は口々にそう答えているが、そのしらじらしさといったらなかった。メンバーは私たちを含め、10人程度。記念に一枚写真をとった。(↑5章目写真参考)
 そうやっているうちに出発時刻は近づいてくる。私と王は、先に言われていたとおり、ワイロ分のお金を1ポンドに、帰りのバス代1ポンド、それに万が一を考えて、合計5ポンドほどを胸の谷間(おっと、誇張。正しくはブラの中)へとしまいこむ。エジプトのお金は油ギッシュで、肌に直接あてるのは、非常に嫌な感じであった。午前3時。いよいよだ!



10.無我夢中のピラミッド登頂

 6階から階段でおりていくうちに、途中の階のよそのホテルの人たちも、気づかぬうちに隊に加わり、その数おおよそ22名。全員日本の若者だ。皆一様に、ホテルの前に陳列していたタクシーへと乗りこんだ。どうやらここに、深夜の客があることを、ドライバーは知ってたみたい。ただ私の乗ったタクシーだけは例外で、 ギザへと言ったら驚いていた。そりゃそうだわな。強引に値段を交渉した結果、なんだかちょっぴり不機嫌になったドライバー。このせいで、少々やっかいなことになったのである。ピラミッド侵入裏口付近に近づいたとき、それを敏感に察知したメンバーのひとりが、「ここだ」と言ったにもかかわらず、ドライバーはそれを無視し、正面入り口に車をつけた。何がなんだかわからない私は、ただ助手席でぼーっとしてたが、警官に取り囲まれて、ぎょっとした。あわててUターンするドライバー。「無理だ」そう彼は言い、カイロへ戻ると言い出した。何ゆってるんだそりゃ困る、と一人がドアを強引に開け、降車する。パニック状態の車内空間。ドライバーはいそいで車を脇に寄せ、奪うように料金を受け取り、あっというまに闇のかなたへ。
人質となった人たちピラミッドから降りる人々バクシーシを支払い中ピラミッド前で記念写真帰還します!バス停からのピラミッドの眺め帰りのバスの中


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