渡嘉敷島行ってきました!


嘉敷島行ってきました!(上)

旅の会GW企画! 渡嘉敷島一泊二日、さきほど帰ってまいりました。参加メンバー集まって「とまりん」で簡単に感想を言いあいました。

「バーベキューがうまかった! また行きたい」
とか
「初めてのメンバーとも仲良くなれてよかった」
とか
「はじめは宿の名前が『サンキュウ』?って思ったけど、めちゃ良かった!」
とか
「島を楽しめた」
とか
「またみんなでどこか行ったり、楽しくやろう!」
とか
「スピスピスピ・・・」
とか

詳しい報告は次回ということで。お疲れ様でした。そして民宿「サンキュウ」のみなさん、いろいろよくしてくれてありがとうございました!



2009・5・7
渡嘉敷島行ってきました(中)
5月5~6日にかけて渡嘉敷島に行ってきました。全体を簡単に報告したいと思います。
1、「とまりん」にて

9時過ぎに到着したら、すでに先着がいて「早いなぁ」とか言って、そそくさとチケット(往復3080円)買って待っていると、B長登場。「遅れるかも」とか言ってた割にはちょうど9時半で、さすがです。

そんなこんなで「フェリーけらま」に乗り込み(10時出港)、一番上に陣取って、早くも上半身裸になる輩がいたりして、いつになくテンション高い旅の会。

P5050089.JPG
これは渡嘉敷港。旅の会一行は5月5日11時10分ごろ上陸。

2、絶景、絶景

ハイサイハイサイ、渡嘉敷港に11時過ぎに着きまして、民宿「サンキュウ」を探しました、ハイ。

どこだどこだ、と探していると、すぐに見つかりまして笑顔で迎えていただいて、ハイサイ。

遅れたいたもう一台もやってきて、分乗して出発。山道を走りながらおしゃべりを楽しんでいると、パッとビーチが広がったわけ。

「ちょっと止めようか?」と言ってくれたので、ご厚意に甘えて。

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ハイサーイ、みなさんあちらに見えるのが渡嘉志久ビーチです!

島に来たーって最初の瞬間でした。エメラルドグリーンに見えるのは、海底が砂で太陽の光が反射してみえるとのこと。だからちょっとした時間の違いでもいろいろ変化してみえる。つい、見とれてしまいました。

それではみなさん、そろそろ車に戻ってください、ハイサイ!

3、島めぐり

民宿到着。部屋に荷物を置いてしばし待つ。

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これはたしか猫のポッキー。Aちゃんによくなついてた。

おにぎりを握ってもらって(ちょっとだけ手伝いました、ハイ)車二台に乗って、島をまわりました。

はじめに 「北山(ニシヤマ)頂上」

島でもっとも高いところ。慶良間海峡がくっきりと見え、その先には座間味島や安室島や阿嘉島。遠くに久米島も見えます。

今日2回目の絶景に「おぉ!」と感動した後は、昼飯タイム。民宿でにぎってもらったポーク卵とこんぶの佃煮の入ったおにぎりでお腹いっぱい。一服すると、某D君は「カラオケしてー」ってにべもないことを・・・。

次に 「集団自決跡地」

碑が建ってます。説明書きをみんなでじっくり読んで民宿のマスターのお話を聴く。

「今でも話したがらない人は多くいる」
「ここであったことを次の世代に伝えていくことが必要」
などなど。

沖縄戦では渡嘉敷島に米軍が上陸して最初に北山を占領して、ヘリポートを造ったそうです。ここから本島までわずか。しかも見通しがいい。だから前線基地として活用されたとのこと。集団自決はそんな場所に追いつめられて起こった。「沖縄戦のはじめに集団自決があった」という言葉が印象に残りました。

碑の裏手から急な山道を下っていくと、そこはチョロチョロと水が流れる川がありました。そこが集団自決の起こった場所。マスターが子供のころはもっと水も流れていたそうです。沢のそばには壕が二つほどあったが今は埋められていてもうない。当時は薬莢が入った箱ごと落ちていたりしたそうだ。そしてたしかに生活していた様子が残っていたという。

この川が先のほうまで積み重なった遺体で埋め尽くされた。

短い時間だったけど、みんな話に聴き入って、なんともいえない雰囲気に息をのんだ。

某K君はみんながその場を離れた後もしばらくその場に座り込んでいて、マスターに声をかけられて走るようにしてのぼっていった。後で聞いたところでは「あそこはリアルに霊がいっぱいいた」とのこと。

自分は霊は信じないけど、そこは写真を撮ったりしたくない気がした。やっぱりそこは60年以上たった今も、さまざまな思いが込められている場所で、それをレンズの向こうにさらしちゃいけないと感じたからだ。

ちなみに「言葉」について。

マスターは「自決」という言葉をやや躊躇しながら使っているように感じました。そこには深い意味があるように感じます。

そしてなぜそこで集団自決したのか、「軍命」があったかなかったかについて、いろいろな意見がある。たしかに証拠となるような文書は残されてない。そこでマスターは沖縄の「言葉」との関わりに話してくれました。

沖縄の文化は文字をずっともってこなかった。古い沖縄の歴史はオーラルヒストリーで文章が残っていないから実際どんなだったか今も分からない。この集団自決についても「言葉」で伝えてきた。そして確かに伝えられている。教科書問題で島の内部でもかなりもめたそうですが、マスターは「言葉」で伝えることの大切さを僕たちに伝えているような気がしました。

次に 「赤間山立火所跡」

ここは昔、首里に進貢船が来たことを連絡するために火をたいた場所だそうです。那覇の街もよく見えて、夜来るとそれまた絶景だそうな。

B長いつもどおりのハイテンションぶりとは対照的に、ここでもっともテンションが低かったのは、Rクン。彼はここに来る途中でタイヤの前輪を思いっきりくぼみに落としてしまった!

なんとかみんな力で出すことができたが、超ローテンション爆発でした。穴恐怖症という不思議なトラウマを抱えることになってしまいました。まぁそれも含めていい思い出っしょ!

最後に 「白玉の塔」

ここは戦争で亡くなった人たちの名前がすべて書かれている供養塔。「金城」姓や「玉城」姓が多かったように思います。

渡嘉敷港で一休みして、民宿に帰りました。「サンキュウ」さんの粋な計らいで、島上陸後3時間ほどで、島北部をぐるりと見学させてもらいました。ありがとうございました!
今回はここまで。



2009・5・7
嘉敷島行ってきました!(下)

4、ビーチの楽しみ

民宿につくと、すぐに阿波連ビーチへ。

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これは阿波連ビーチ。まだ賑わう時期ではないみたいで、けっこうゆっくり楽しめた。だけど・・・暑かった。

何人かが泳ぐ準備して、何人かが荷物見張り役。準備といってもパンツ一つで飛び込む猛者もいましたが。

とにかく暑かった!!日差しがきつくて、でも泳いだメンバー曰く「水冷てー」。まだ5月ですから。

それでも終始「スピスピスピ・・・」と奇妙な効果音を立てるB。

1時間くらいすると、B君を砂に埋める大作戦を決行。30分ほどで頭以外完全に埋まりました。

「動けんし、マジ動けんし」

あとはメンバーのやりたい放題。「これはやばいでしょ」とか「これウケるんだけど」とか、文章じゃまったく伝わらないし、かといって写真出すと旅サークルの品位を落とすので、勝手に想像してください。

内輪ネタであれなんですが、あのタイミングで「僕のサッカーボールがない」と言ってきた子供に悪いなぁと思いつつ大爆笑してしまいました。

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ウォーターボーイズのつもり。水中ではけっこう必死らしい。

5、至福の時

民宿帰って、入浴タイム。民宿貸切状態だったので、のんびり風呂につかることができました、ハイサイ。

民宿は実はマスター夫婦でやっていて、娘さんと息子さんも歓迎してくれました。娘のAちゃんは人懐っこくて、島を離れる最後まで一緒でした。息子のY君も木登り上手。2人ともいかにも島の子だなぁと感じさせてくれました。たくましい!

ネコもいてやけに穏やかで、可愛すぎるポーズで、ついついみんなで撮影にいそしみました。(ポッキーとミミー?だったかな)

19時過ぎより、屋上でBQ開始。屋上で、風に当たりながら、肉とビールで騒ぐなんて、これほどの幸せがあるかなぁって。

手作りピザも登場。トマトを採ったり具をのせたり手伝い(邪魔?)して食べたら、最高でしたね!

酒も入ってくると、話もあちこちで。途中B君が消えて、あんまりみんなで責めるから、「もしやちょっといじけたかな?」と案じたのですが、戻ってきてからの熱弁(?)を聴いて、彼の身を案じた自分に後悔しました。あれぐらいじゃ全然へこたれない。てか、「最後だけ聴くといい話」を30分にわたって屋上で、大声で、真顔で語り続けたB君はある意味天才かも。希代のペテン師!

ただ、とても書けない。シークレット!

0時前には、みんなで再びビーチへ。あれやこれや語り合い、「スピスピスピスピ・・・」。
戻ったら今度は屋上で、さびしく花火パチパチ(うるさくしてすいませんでした)。1時半にはもうみんな寝てたはず(?)。ふかふか布団でどんな夢をみたのでしょう?

とにかくいろいろあったけど、

わがまま気ままな僕たちにこんなすてきなディナーを準備してくれて、民宿のみなさん、本当にありがとうございました!!!






2009・5・7
渡嘉敷島行ってきました(最終回)

6、島の朝

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民宿屋上から。朝は鳥の鳴き声がすばらしかった。いやー、それにしても島の朝は静かでしたねー。

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昨晩は、この屋上でBBQ。最高だった!

朝7時起床で、ダメな感じの顔つきでみんな起きてくる。

一階の食堂で、みんなそろって朝食。「いただきまーす」。

みんなぼんやりしながらもご飯を口へ運ぶ。それでも猛者がいて朝からご飯3杯。どんなに健康体だか。後で「腹張った~」ってつらそうでした。

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じゃれあってる猫が可愛くて一枚撮った。


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朝の散歩。阿波連小学校。民宿のAちゃんやY君も通ってる。

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島にいる間何度か立ち寄った。お世話になりました。

B長曰く、9時か9時半に出発。

そうか、じゃ準備しないとな。忘れものとかないようにしないとな、とかそそくさと準備をしていると、いつの間にか僕の寝ていた布団でB長が寝息をたててました。

しだいに二度寝モードになってみんな寝はじめた。

9時。


9時半。


そして10時。


やがてAちゃんがやってきて「ついてきて!」。起きてた僕とRクンは、ヤギと格闘するAちゃんを眺めてました。それから民宿の周りをいろいろ紹介してもらいました。

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みんなが寝ているときにAちゃんはヤギと格闘してた。

10時半。

そろそろまずいなぁと思ってB長を起こす。Aちゃんは「ピスピスの兄ちゃんまだ寝てるー」。(スピスピスピスピ・・・寝起きスピスピ)

7、展望台、そして民謡

だいたい11時に出発して、近くの展望台まで案内してもらいました。Aちゃん先頭に展望台へ!(照山展望台だったのかな?)

前日と違って、ちょっともやがかかって遠望はいまいちだったけど、それもまたよし。山深い島の様子も味があったりして。途中蛇の抜け殻みつけてみんなで等分して財布のなかへ。

「お金が貯まりますように」

昼飯は、ビーチ近くの食堂( 「Summer SNOW」 )へ。民宿のメンバーもみんな一緒に。

ここでは毎日夜9時から民謡ショーをしているのですが、今回は特別に昼から民謡ショー。「飲みが足りない」と言って恥ずかしがってたお店のマスターの唄に酔いしれました。

安里屋ユンタをはじめ「チョーデーグヮ節」(だったかな?)や「19の春」、それから現代歌謡の「ハイサイオジサン」や「花」や「童神」なども歌ってくれました。

お店の準備の途中に、突然の大勢の来客にも対応してくださって、ありがとうございました!

8、別れの時

フェリーは16時発。店に戻って帰りの準備。

たった一泊だったけど、やっぱり離れがたい気持ちに。

出港まで時間があるということで、島の南端までまわってもらいました。

渡嘉敷島の南端に 「ウン島」 という島があって、潮が引いているときは歩いて渡れるけど、満ちているときは小さな船で渡るらしい。島には灯台が建っているのが見えました。

海岸ではいろんな大きな貝殻が拾えるとのこと。メンバーは形のいいサンゴの石を拾ってきました。

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こんな他愛もない時間が一番楽しかったりする。

あまり観光地という感じじゃなくて、人も少なく、のんびりできました。

帰りの車内ではB長はAちゃんからついに無視され、スピスピできず、フニャフニャフニャ・・・

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反省ザル。

そして渡嘉敷港へ。

お土産買って、出港までしばし待機。

「サンキュウ」のみなさんとお別れ。

乗船。また一番上に陣取る。

出港までやや時間がありましたが、「サンキュウ」のみなさんは最後まで手を振ってくれていました。

サヨウナラ! また来まーす!



帰りの船はやや揺れがあって、酔ったってほどでもないけど、ほとんどみんな寝てたんじゃないかな。気がついたら泊港着10分前だった。

・・・でも本当に良くしてもらったよね。みんな本当に「また行きたい」って言ってたし。みなさんお疲れ様でした。

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世話になった渡嘉敷島を離れる。民宿のみなさん、またいつか…


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