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南部シーサー巡り報告
南部シーサー巡り報告(上)
8月23日、旅の会は南部のシーサー(村落獅子)を見てまわってきました。
10時、某コンビニ集合。ここで新たなメンバーが登場することが判明。30分ほどダrダr。
10時半出発。まずは糸満まで行って、もう一人のメンバーを拾うことから。予定の11時前には、約束の地に到着。電話すると「暑いから嘉手志川(カデシガー)にいる」とのこと。
説明しよう。
嘉手志川とは、その昔、南部を支配していた山南王・他魯毎(タルミー)が、中山王尚巴志の持つ金屏風を欲しがり、この嘉手志川という泉と交換した。その結果、地域の人びとが不満を持って離反し、山南滅亡の原因となったという。
この日は、嘉手志川では子どもたちが水浴びしてました。なかなかいい風景。
Y君が乗車し、さっそくシーサー巡り開始。まずはこの嘉手志川近くにあるらしい。下調べ隊が場所が分からず困ってる。で、軽トラのオジサンに聞く。
「自分は照屋(出身)だから・・・大里にシーサーあったかなぁ。分からないな・・・」
下調べ隊は「yahoo地図で調べたときはこの辺だったんだけど・・・」とぶつくさ言いながら、Uターン。今度は大里部落内を徐行する。またおじさんに聞く。
「ほらあそこだよ」指さすおじさん。
「え?分かりません」
「ほら、あそこの草むらの・・・」
ということで、おじさんは要領を得ない学生に仕方ないなぁという感じで連れて行ってくれました。
運転手さん、バック、バック!
やっと発見、大里シーサー!
おじさんの話によると、戦前は場所も今とは違うところにあったようだ。戦争で一帯が攻撃されて、シーサーも破壊された。それが戦後発見されて現在の場所に安置されたとのこと。顔が痛々しいです。
なおシーサーの隣には、コンクリート作りの倉庫があって、中には神輿のようなものがありました。ドアが錆びついていたので、はたして使っているのかどうか。
次。
今度は、県道7号線を南下。下調べ隊が「yahoo地図では県道沿いなんだが」とかブツクサ言っているが、いっこうに見つかる気配なし。Uターン。結局、部落へ行って聞くことにしました。
またもおじさん発見。
「獅子は、あの神谷製作所を過ぎたところの道を左折したらすぐ分かるよ」
なるほど、やはりジモティー(地元民)強し。T君やG君は、すでに沖縄の暑さに打ちひしがれつつあったが、それを見ないふりをしつつ、発見の喜びを隠しながら、シーサーのもとへ!もちろんUターン。
左折、すぐに・・・?あれ、山を下ってしまった。下調べ隊によると、シーサーは見晴らしのいい場所にあることが多いから、どうも通り過ぎたようだ。もう一回引き返してみる。Uターン。ドライバーにもゆっくり進んでもらう。山の方を見ていたら、まったく逆、きび畑の中にポツンと立っていました。
すかされたが、やっと発見、国吉シーサー!
きび畑のなかを、手押し車を押して歩いてきたおばあさんの話によると、昔はもっと大きかった。そして一帯はもっと整備されていた、とのこと。戦争で破壊されて戦後はずっとなかったらしく、つくって10年ぐらいじゃないか、と。
補足説明しよう。
「沖縄の魔除け獅子 写真集」(興南高校教諭:長嶺操教諭、沖縄村落史研究所)で調べたところでは、どうも現在のとは似ても似つかない感じのシーサーが国吉シーサーとして紹介されていた。。豚みたいな顔つき。形も全然違う。写真でははっきり場所は分からないけど、地面に直接置いてある様子で、もしかすると今と場所も違うかもしれない。ちなみに以下の説明はすべて「沖縄の魔除け獅子 写真集」を参考にしている。
以上だ。
G君は見るなり、「ポチっぽい!」と言ってました。たしかに獅子(ライオン)というよりは犬っぽい。どこか愛嬌があります。
車に戻って、どうでもいいようなシャレの説明に10分使いました。暑いなかご苦労なことです。
2009・8・25
南部シーサー巡り報告(中)
自練のK君のウワサ話が終わった後、県道7号線を南下、国道331号線を西へ。ひめゆりの塔付近の観光地を通り過ぎ、琉球ガラス村を通り過ぎ、名城ビーチ入口の看板。イェーイ、左折!
「yahoo地図ではこのあたりだはず」とか言いながら、道沿いを探索。
「あった!」
オーッ!はじめて自力で発見、名城シーサー!
説明しよう。
「かつて心ない人によって持ち去られたことがあったが、数カ月してもどってきた経験をしている獅子」だとか。しかも後に戻されていたとか。不思議。かわいいから持ってったのか、ダメだけど。写真は台座がない。現在は、1トンブロックに乗せられて、持ち去られないように固定されている。
大きさは、長さ66センチ、幅34センチ、高さ58センチ。集落の南側に安置され、南南西の喜屋武方向を向いているという。
以上だ。
とにかくカワイイ。手ごろ感がなんともいえない。大きさも腰のあたりにくび筋がくるぐらいでちょうどいい。何度もなでなでしてしまった。
えっ横顔はモアイっぽいって?確かに。
観光客でにぎわっているであろうビーチ無視して、シーサーと戯れている感じが旅の会っぽくていいなぁ。
最後にもう一回ナデナデ。
あ、もちろん、一回は通り過ぎてUターンしました。
次。
もう腹減ったな、ということでメシ屋を探す。糸満市場を放浪するがダメ。結局、市内の「すき家」へ。これがまた混んでたけど、なんとか座って胃を満たす。
331号線南下。糸満ロータリーを左折。
そうそう、ここでナビ交替しました。糸満出身のY君。「シーサーの見たことある」と口数少なく語るので、じゃ任せます、ハイ。
なんでもバス通学中、よく目にしていたらしい。
ロータリーを左折すると、あえなく発見、照屋シーサー!
説明しようかと思ったら、解説板があったからすべてまかせた。
糸満市指定有形文化財(彫刻)
照屋の石彫獅子
この石シシは、字照屋のヒーゲーシ(火返し)として設置されたもので、ヒーザン(火の山)と云われ人々から恐れられていた八重瀬岳をにらみつけるように置かれています。旧暦十月の「ニーゲーシの御願」の時には、村後願が行われます。この獅子に関する資料は残っておらず、製作者及び年代は明らかになっていません。市内には座波・大里・与座・名城にも石獅子がありますが、特に照屋の獅子は見事とされ、美術的価値が高いと言われています。
獅子は字照屋七四一―一番地照屋バス停脇にありましたが、平成十四年三月十一日、集落の発展と道路拡張により現在に移設されました。
一九七七年四月一日市指定
高さ 約一メートル 最大長 約六十センチ 最大幅 約四十センチ
素材 琉球石灰岩
平成十四年三月 糸満市教育委員会
なるほど、これまでのシーサーに比べたら、造りがしっかりしています。毛並みらしきものもあったし。だからこのシーサーは雄かも。
見上げ過ぎな感があって、T君曰く「昇天」・・・。ここは伝わらない文章でいいんです。
Y君はバスから背中しか見てなかったから、正面から見たのは初めてかもね。
名城、照屋と調子よく発見できたので、旅の会調子が出てきた、かも?
2009・8・26
南部シーサー巡り報告(下)
目指すは。えぇーとどこだっけ? とにかく真っすぐということで照屋シーサーを出発しましたが、後ろのドライバーF君の車が見えない。
電話すると、まっすぐなのに思いっきり右折してました。連絡網の不備、失礼しました。
とにかくまっすぐ、そして左折して、また左折して。
さて。
下調べ隊の「バス停理論」(集落のシーサーは通常、集落の入り口にあると言われているが、よそ者に集落の入口も出口も分かるはずがない。そこでバス停があるところが集落の入り口ではないか、だからその近辺にシーサーはあるのではないか、という隊員の理論。)にしたがって、バス停付近で止まる。つまりこの頃はもう、yahoo地図は信用を失っていたのです。
隊員が走る。肌着姿のお爺さん曰く、
「吉田商店の向かいの細い道を入っていくと泉があるから。その近くにあるよ。木が生えているから分かるよ。(シーサーは)与座岳の方を向いているよ」
「どっから来た? 那覇から。大学生か? そうかぁ」
だいたいこんなやりとりで、2台の車はUターン。
泉のそばに停車。しかしシーサーらしきものは見当たらない。林を探る。もう少し探る。ぐるっと回るように歩いていくと、あ!
発見、座波シーサー!
補足説明しよう。
「なんの加工もほどこされていないめずらしい自然石のままの獅子」。正面は八重瀬嶽方向を向いている。(八重瀬岳も与座岳も連なってる山並に違いないから、お爺さんがデタラメ言ったというわけではないだろう)旧暦8月15日には村落の人たちが拝んでいるらしい。
以上だ。
やめに不格好なシーサーです。自然石のままだからでしょう。「犬っぽい」とか「どこが目だ? ここじゃない?」とか。自分は内心「くじらっぽい」って思ってました。
F君が「もうちょっと整理しておいてほしいなぁ」と言っていましたが、たしかにまわりは草ボーボー、もう少し、不格好シーサーに気配ってあげてもいいかも。
この頃になると、「照屋シーサーが一番だな」とか「いや、ポチ(国吉シーサー)が好き」とか「やっぱり名城シーサーでしょ!」とか、各メンバーのお好みのシーサーで一杯酒が飲めるくらいになりました(飲んでないけど)。
やっと予定の糸満市内を終了し、次は東風平(現八重瀬町)へ。
県道134号線から県道77号線のコース。ここは氏曰く「シーサー通り」。シーサーが点在しているらしい。これは楽しみだ。
まず当銘バス停付近。
あっ巨大ガジュマルだ!
説明板によると、「東風平町文化財」(看板古っ)に指定されていて、
幹回り18メートル、高さ12メートル、枝張り東西12メートル・南北19メートル。
そして樹齢がなんと800年!こんな木が今までよく残っていたなぁ・・・
沖縄県第4位の巨木らしい(微妙)。
風格はあったよね。幹なんか完全にいっちゃってて、向こう側が透けて見えたし。よく雨風に耐えてるよ。
そのとき、下調べ隊走ってた。
おじーさんに尋ねた。
「シーサーは富盛にあるよ。えっ当銘にシーサー?ないよ」
「小城(こぐすく)にはニーセー石っていうのがあるそうですが、あれはシーサーなのですか?」
「あれは違うよ。あそこは昔は青年が集まって遊んだところだ」
どうも会話がかみ合わなかったのですが、ニーセー石を語る時のおじーさんの表情はニヤつき気味だったので、「遊ぶ」がどういう意味だったのか?いわゆる「毛遊び」のことだったのか?よく分かりません。
説明しよう。
「沖縄の魔除け獅子 写真集」では「消失した村落」一覧に出ていた。しかし「シーサーあいらんど」(SHISA編集委員会、沖縄文化社)の「獅子舞と村落獅子の分布一覧」では、「消失」とは記されていない。だから混乱が生じた。
以上だ。
とにかく当銘にシーサーはないようです。あきらめて「小城の青年(ニーセー石」へ向かいました。
まず道標にしたがって左折。
また道標にしたがって右折。もう少し。
高台の頂上へ。この辺だろう。道標を探す。
・・・・
アレレ? 山下っちゃった。
十八番Uターン。
山際を走り抜ける。
さっきまであんなにやさしく誘ってくれた道標は、ない。
結局、ニーセー石は発見できず次へ向かった。
えーーッ???
次。東風平集落には4つの集落があるのだ。どうだ「シーサー通り」にふさわしいだろ?
というわけで、国道507号線とぶつかるあたりで、下調べ隊が下車。集落内を走る。やがていかにも地元民的なおばーさんに道を聞く。
「いやぁ、どこにあったかねー。ここでて左へ曲がっていくと、『おいしい水』っていう店があるから。その辺だったと思うけど。そこで聞いてみたら?」
なるほど。sらないんだ。
その「おいしい水」近辺で民家に飛び込み、再度聞きこみ。
「お父さん!」
(お父さん登場)「よく分からない。公民館で聞いてみたらいいと思う。そこなら部落のことよく分かるから。今祭りの綱引きつくってるよ」
やっぱり。sらないんだー
公民館にいくと地元の青年が集まって綱つくってました。近くにたむろしていたおじさんたちに尋ねた。
「すぐそこ!行ったらすぐ分かるよ。木が切ってあるから、すぐ分かるよ。他にもあるよ」
やっとわかる人にたどり着いた。「他にもある」のは知ってたけど、すでに聞き力を失ってたので、まずは一つでもということで、また走る。
馬場公園沿いを走って、あっあれだ!やっと発見、東風平シーサー(その1)
すぐに待機しているメンバーに電話し、なんとか合流。
たぶん西側のシーサーにあたる。東風平集落には東西南北4カ所にシーサーがあるらしい。
このシーサーはたしかに南部の山(八重瀬岳)のほうを向いていたけど、今はその方向にアパートが建っているので、ただ2階の窓を覗き見してるだけ。
本体は、戦争の傷跡が生々しく、銃痕かなぁ、穴から植物の芽が伸びてきていました。
今回のシーサー巡りはここまで。
バイトに向かう人々、なんとなく帰りたい人々。遅くならないうちにということで、Y君を送り、家路に着きました。
おしまい。
今回は、車二台+原付い1台で動きましたが、目的地がはっきり分からないので、小回りがきくバイクのほうが融通がきいていいかもと思いました。
なんどもUターンしてくれたドライバー、ありがとうございました!腕にごっそり日焼けした原付T君お疲れ様でした。
とにかく暑かったー!
はたして、シーサー巡り第二弾はあるのでしょうか・・・?
最後に補足説明しよう。
沖縄には、全体で80の村落獅子があって20体がすでに消失した、ということらしい。だが最近では南風原町兼城のように消失したシーサーを復活させたりしているから、時々調べないと、存置状況が合わなくなる。すでに1982年出版の「沖縄の魔除け獅子 写真集」では足りないところも出てきているといえよう。
以上だ。
えらそうな補足説明も以上だ。
2009.09.03
シーサー写真展
東風平シーサー性はできずに悔しがったメンバーが旅してきました。あわせて報告してあげることにします。
東風平シーサー4体
これは南側のシーサー。今年の7月31日に移されて現在の場所に設置されたようです。
これは北側のシーサー。
場所が分からず「公民館で聞きなさい」と言われて詳細な場所を教えてもらったのですがたどり着かず。聞こうにもどこの住宅も人の気配なし。「昼間だから仕事か」と思いつつ、行ったり来たり。真昼間に住宅地をうろちょろするやや不審な行動をくり返していたら、やっと庭で水撒きするおばあさんを発見。
「シーサー?それは富盛だよ」
「そうではなくて東風平集落内にあるもので、公民館でこのあたりにあると聞いてきたのですが・・・」
「あーはい、東風平にはいくつかあるけど・・・」
と、そんな会話をしているときに、おばあさんの目線を追って振り返ると、そこに碧く草の生えた丘のてっぺんにシーサー発見。「あっ!あれだ」
おばあさんに行き方を聞いてやっとその頭をなでることができました。民家のそばの細い通路を通るので、初見で発見するのはなかなか難しいと思われます。丘には御嶽のようなものもありました。集落にとっては神聖な場所なのかもしれません。またこの丘からは集落が一望できました。
これは東側のシーサー。
公民館で「東風平小学校付近の町営住宅のあたり」とまでは聞いていたので、自力で行けるかなと思ったのですが甘かった。で、聞くことに。ところがお年寄りが見当たらない。だから20代の男性に聞いてみました。
「このあたりにシーサーがあると聞いてきたのですが場所分かりますか?」
「・・・。分かりません。八重瀬町役場に行けば分かると思いますが」
ということでなんとなく予想通りの結果に。ただお年寄りは「公民館へ行け」と言ったのに比べ青年は「役場へ行け」と言っていたのは、なんとなく世代感覚の違いなのかなと思いました。公民館は部落の中心、役場は町の中心。どちらを身近に感じているかという点で。
そんなことを考えながら、「役場には頼れん」となぜか青年に反発して、再度町営住宅の敷地内に突入。すると、ありました。しかもそこは青年の立っている場所からわずか数十メートル。バイクを止めた場所から彼の頭が見えました。
・・・
シーサー見学は、人のかない所に行く、というアマノジャクな性格もあると思うのですが、それを通して沖縄の歴史が知れればいいなぁって思います。単に過去の知識を仕入れるということではなく、現在という時代をより深く知るきっかけになるような見学の方法はないだろうか、そういうことを考えていました。だってシーサーは今現在ここに在るんだから。
シーサー本体が激しく損傷をうけていることは南部一帯の地上戦の激しさを今に伝えています。そして戦後あちこちでシーサーが再建されました(それらがいつ頃再建されたかは知りません)。シーサー自体は観光化のなかである意味全国的にも有名になっていますが、村落獅子が地域全体で大切にされているかと言えばそうでもないらしいということ。こうしたことを沖縄のとくに戦後史のなかでつかんでいくことは決して無駄ではないようにも思われます。
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