暖冬傾向で、ゴルフ場の予約が多い!
100万ポイント山分け!1日5回検索で1ポイントもらえる
>>
人気記事ランキング
ブログを作成
楽天市場
521421
HOME
|
DIARY
|
PROFILE
【フォローする】
【ログイン】
2011・9宜野湾巡り
2011/09/14
宜野湾裏口散策(1)
9月13日(火)、旅の会でぎのわん散策を敢行しました。いやーハッキリ言って今回は旅の会じゃなきゃゼッタイやらない企画だったね。あんなとこ歩くか??
10時大学集合。330を北上して宜野湾へ。
宜野湾は見所いっぱい! 次回から報告するね。
2011/09/17
宜野湾裏口散策(2)
沖大を10時出発は前回と一緒。前は南下したけど、今度は北上。
宜野湾にある「嘉数台公園」に30分ほどで着きました。
嘉数台公園と言えば、展望台から市のど真ん中に居座る普天間飛行場がバッチリ見えるので、平和学習のメッカといってもいいかと思います。
今回も展望台は目的の一つではあったのですが、旅の会メンバーが探してたのは、なぜか「シーサー」。前回の真玉橋に続いて「またかよ!」って声も聞こえてきそうですが。
まずは、展望台へと続く階段を登っていくと、左側に入る道がある。そこを進むと陣地壕がある。
案内板によれば
書かずに駐留した日本軍は、嘉数高地を中心とした周辺地域にいくつもの陣地壕を築きました。
陣地壕の構築は、1944年の夏頃から開始されたようで、朝から夕方までの作業が毎日続けられました。兵士だけでなく、嘉数や周辺地域からも、老人や女性を含む多くの人々がかりだされました。
陣地壕は、石灰岩をくりぬいてコの字型に構築され、側壁には楽番防止用の杭木の跡もあります。嘉数高地には日本軍の主陣地が置かれたために、このような陣地壕が無数に構築されました。
中を覗くと・・・
なぜか消火器が落ちてる。
案内板によれば陣地壕はずっと奥まで掘られていて、その先の「トーチカ」に続くらしい。その「トーチカ」が後で紹介するものと同じかどうかは分かりません。
すでに階段途中でヘトヘトになったメンバーを(タバコスイスギデスヨ)元気づけながら登り切りました。
展望台に行くかと思いきや、右折。「シーサーはどこにある」とふらふらと足がそっちに向きました。
しかし右折するとゆるい坂を下って駐車場に到着。そこには「京都部隊激戦死守の地」と彫られた碑が建っていました。京都の話はまた後で出てきます。
また戻って、ヘトヘト隊員より休憩オーラが出ていたので、展望台に登って休むことにするかと思いきや・・・
「今度は慰霊碑見ましょう」
って休ませろよ、の視線を気にしつつ、散策続行。
これが「青丘の塔」
これが「島根の兵奮戦之地」
これが「京都の塔」と「嘉数の塔」。
「青丘の塔」から説明します。
これは「韓民族出身沖縄戦戦没者慰霊」の碑です。
沖縄戦には、当時日本の植民地だった朝鮮からもたくさんの人たちが連行されてきました。詳しくは碑文を読んでみましょう。
鳴呼ココ沖縄ノ地ニ太平洋戦争ノ末期カツテ日本軍タリシ韓民族出身の軍人 軍属三百八十六柱ガ山河ヲ血ニ染メ悲シクモ散華シ侘ビシク眠ッテオラレマス
ココニ思イヲイタシ日本民主同志会ハ丗八度線板門店ノ小石丗八ヶヲ写経ト共ニ碑礎ニ鎮メ、イデオロギート国境ト民族ヲ超越シ人道主義ヲ遵奉シ、哀シキ歴史ヲ秘メタコレラノ御霊ヲ慰霊顕彰スルタメニ、最モ激烈ナル戦闘ヲ展開シタ戦跡嘉数ノ高地ニ志ヲ同ジクスル諸賢、アワセテ関係機関並ニ地元嘉数地区ノ御協力ヲ得テ、韓民族出身沖縄戦戦没者慰霊碑「青丘の塔」ヲ建立シ永久ニ英勲ヲ讃エマス 昭和四十六年三月吉日 松本明重 識 川●梅村 書
カタカナで読みずらいって?シカタナイヨ。
「日本民主同志会」がどのような「イデオロギー」をもった団体かまったく知りませんが、なぜ嘉数高地に建てなければならなかったのかが、これを読んだ限りではよく分かりません。
「最モ激烈ナル戦闘ヲ展開シタ戦跡嘉数ノ高地」が、386名の韓民族出身者にとってどういう意味を持っているのか、この碑文からは「日本の軍人としてよく闘ってくれた」という意味しか受け取れません。
なぜ、嘉数高地に、韓民族出身の軍人の「英勲を讃える」碑が建てられたのでしょうか?
つづく。
2011/09/17
宜野湾裏口散策(3)
「島根の兵奮戦之地」について。
これは各都道府県の慰霊碑の島根県版なのかなと思いましたが、調べてみたところ「島根の塔」は糸満市米須にあることが分かりました。
というとこの碑は一体? 碑文もなく、どのような経緯で建てられたのか不明です。
「京都の塔」について。
以下、碑文より。
昭和二十年春沖縄島の戦いに際して京都府下出身の将兵二千五百三十有余の人びとが遠く郷土に想いをはせひたすら祖国の興隆を念じつつついに砲煙弾雨の中に倒れたまた多くの沖縄住民も運命を倶にされたことは誠に哀惜に絶へない。とくにこの高台附近は主戦場の一部としてその戦闘は最も激烈をきわめた。
星霜十九年を経ていまこの悲しみの地にそれらの人びとの御冥福を祈るため京都府市民によって「京都の塔」が建立されるにいたった。
再び戦争の悲しみが繰りかえされることのないようまた併せて沖縄と京都とを結ぶ文化と友好の絆がますますかためられるようこの塔に切なる願いをよせるものである
昭和三十九年四月二十九日
この「京都の塔」は都道府県の慰霊塔のなかでちょっと変わったものだとされてます。それは碑文で沖縄の住民にふれている点。「多くの沖縄住民も運命を倶にされたことは誠に哀惜に絶へない」の部分でしょう。
多くの慰霊塔が軍を賛美したり、自分の県のことだけ書いてることからすると、「京都の塔」は評価されているのかもしれません。
ただ沖縄の住民にふれた慰霊塔はもう1基あるらしいのですが、どこの慰霊塔のことを言っているのか分かりません。
お隣に建つ「嘉数の塔」について。
これも「京都の塔」と同じく「沖縄京都の塔奉賛会」によって建立されたものらしい。嘉数集落はその当時695人いて、戦闘に巻き込まれて374人(53.8%)が亡くなったそうです。
嘉数高地の戦闘や住民の関わりについてはあとであらためて書くとして、現代の愚か者の新聞記事を発見したので載せときます。7月14日付、沖縄タイムスより。
嘉数の塔 千羽鶴焼損 器物損壊で捜査 住民が供えた2束
宜野湾市の嘉数高台公園内にある「嘉数の塔」に供えられていた千羽鶴が何者かに燃やされているのを付近住民が13日朝、発見した。宜野湾署が器物損壊事件として捜査している。
同市嘉数自治会によると、塔は沖縄戦で亡くなった区民を祭っている。千羽鶴は地域の高齢者や子どもたちが折ったもので、6月27日の慰霊祭でささげられた。宜野湾署の調べでは、12日午前11時30分~13日午前6時までの間に、千羽鶴2束が燃やされたほか、香炉1個が壊されていたという。同自治会は毎年、慰霊祭で千羽鶴を供えているが、燃やされたのは初めてという。伊波健会長は「平和を願う区民の心が踏みにじられたようで、悔しいし、悲しい。(犯人は)どういう気持ちで燃やしたのか。考えられない」と憤った。
さて、慰霊塔を見学した後、展望台で休憩したいM君たちの厳しい視線に耐え、トーチカを見学しました。
ところで「トーチカ」って何語?実はロシア語。ロシア語で「点」とか「拠点」を意味するそうです。知らんかった~
これはトーチカ左前方より撮影。銃弾が当たって表面がボコボコになってます。ところどころに鉄筋が見えます。
銃眼から覗いてみました。コンクリートの分厚さにびっくり。案内板によれば「トーチカは鉄筋コンクリート製で、厚さは最大1mあり、内部は2m四方で、大人が3名ほど入れる広さです」とのこと。
これは後ろ側から撮影。たぶん入口。かなり狭くつくられています。気になったのは石垣が積まれている部分。なぜ石垣を積む必要があったのでしょうか。
入口から内部を撮影。銃眼の下に2か所へっ込んだ部分があるのですが、何か引っかけたのでしょうか。銃眼も最初はもっと狭くつくられていたのかもしれませんが、銃弾の雨あられで大きくなったんじゃないかと思います。
やっと展望台に行ける。がぜん元気になったメンバーあり。
2011/09/18
宜野湾裏口散策(4)
絶景(!)かな?
いつ見ても思うけど、ホントど真ん中にあるよねぇ・・・。
この日は平日だったけど、11時前くらいの時間帯はあまり訓練してませんでした。わずかにヘリが基地内でホバリングみたいなことをしてました。
階段には黄色いリボンが。
F先輩によれば、これは昨年4月25日の新基地建設に反対する県民大会に仕事等の関係で参加できない人が、大会の趣旨に賛同していることを示すために付けたリボンだそうな。ここに縛ってあるのは、去年5月16日に行なわれた普天間基地包囲行動の時にでも展望台にきて縛ったんじゃないかとのことでした。
色はすすけてましたが、がっちり結わえつけられたままでした。すすけてはいるけれど、確かに結わえつけられていました。
そのうち人が増えてきたので、休憩終了でさらに散策続行。
階段登って右折したから、今度は反対方向に下っていきました。
「あ、あった!」
F君の声でシーサー発見。
「嘉数御獅子」っていんだね。大きい太っちょシーサーの右側に小さいシーサーがいるのがいい。小さい方は近づいてみたけど顔は判別付かなかった。
その足元には歌碑が。
戦場に成たる
嘉数高台や
形や失しなてん
砂汰や残くち
そもそも嘉数高台には「嘉数グスク」があったらしい。いつ造られたのかも、誰によって造られたのかも分かってないみたいですが、戦災や公園整備によって遺構はなくなってしまったようです。
慰霊塔が建っていたところに、拝所らしきものもありましたが、嘉数高地はそもそもは聖地として住民から大切にされていたようです。「嘉数御獅子」は戦前からあったものですが沖縄戦で破壊され、戦後なんとか獅子像の破片を集めてコンクリートで補修して造られたそうです。
戦争を見てきたのではなく、戦争を身体に埋め込んだシーサーです。
この公園、意外と閑散としてたなぁ。けっこう遊び場として使えるように遊具もそろってるんだけど。
最後に、ふたたび現代の愚か者について。実は来た時に保育園児が遊んでいました。公園を一周して戻ってきたの時にはもういませんでしたが、その遊具を見ると・・・
・・・嘉数高台公園でけっこう紹介に時間かかりましたが、これからが旅の会の本領発揮ということで。
「小禄墓」への行き方編。かってに編と名づけた。
嘉数集落に「小禄墓」という古い墓があります。嘉数高台に近いことだけは分かってるのですが、詳細な地図とかは持ってない。
ということで聞くしかない。
公園向かいの喫茶店にて。
「小禄墓に行きたいのですが・・・」
「分からないなぁ。公民館に行って聞いてみたら?」
近くの嘉数公民館へ。
「小禄墓に行きたいのですが・・・」
「小禄墓かぁ。バイクなら大通りに出て、ホテル山谷園のところを左折。するとピノキオ保育園がある。小禄墓はその辺だけど、あとはまた聞いたらいいよ」
みんな親切だなぁ。。。
左折。そして保育園。近辺をグルリとしてみるものの見つからず。
民家に突撃しおばさんに聞く。
「小禄墓に行きたいのですが・・・」
「保育園の向かいのパン屋さん。そこから行けるよ。調べてるの?」
パン屋さんは目と鼻の先。うーん、分からない。
パン屋さんに聞く。(ちなみにパン屋さん「宗像堂」のお姉さんカワイイ)
「小禄墓に行きたいのですが・・・」
「ここから下ってもいけるけど、ここは前に人が亡くなって禁止されてる。前の道をずっと進んでT字路を右折すると公園があるから、そこから下の川に降りられる。そういうの見て回ってるの?またパン屋に寄ってね」
喫茶店、公民館、民家のおばさん、パン屋のお姉さん、みんな優しく教えてくれたけど、まだたどり着けず。そば屋の入店時間が差し迫ってきたので、いったん昼飯とすることにしました。
「小禄墓」のおドラマはまだ終わらない。まだね。
2011/09/20
宜野湾裏口散策(5)
とりあえず昼時になったので、いったん「小禄墓」攻略を休止してメシにしました。
そば研は、いったん嘉数を離れて我如古交差点の方面へ。「宜野湾そば」に向かいました。
こんな感じ。店内には、「沖縄そばランキングで中部で1位」っていうのが結構宣伝されてましたね。
宣伝に力入れてるわりには、主人がイ・カ・ツ・イ。
こんな感じ。
カツオ出汁の効いたすっきりした味でした。こってり味も選べるみたいだったので、今度行ったときはそれを試してみたいと思います。
帰り際に、学生風の男3人が車で来店。そば研はいろんなところに広まっているみたいだ。
「小禄墓」探索へUターン。
パン屋のお姉さんの言うとおり、ピノキオ保育園を通り越して、公園から降りるコースに挑む。
工事のおっさん。
「ここからは下りられないよ」
「えっ、そうなんですか・・・」
「大通りに戻って、交差点の手前に公園があるだろ。そこから橋がかかってるからこの下の川沿いに出られるよ」
不発。
また大通りに出て、公園に停車。
真栄原橋から撮影。これがパン屋のお姉さんと工事のおっさんが言ってた「川」です。
比屋良川(宇地泊川ともいうらしい)と言います。
とりあえず進入●●なんだけど、川沿いを歩いて行ってみることにしました。「小禄墓」に出会えることを信じて。
途中には古いお墓があったり、
途中には古いお墓があったり、
途中には橋がかかっていたり、
途中には古いお墓らしきものがあったり、
とにかくそんなところでした。墓ばっかり。
比屋良川の両側は、高い崖になっていて、沖縄戦のとき北側から嘉数高地攻略を狙った米軍は、この深い渓谷に悩まされたそうです。そういう血なまぐさい歴史もあったわけです。
しかし肝心の小禄墓は分からないままでした。
「結局、小禄墓分からなかったね。宜野湾巡り第二弾やるときにまた挑戦しよう」と、何だか根性をみせたかのような旅の会でしたが、もうふらふら。戻ってきて、一応どのくらい歩いたかを記録しようと、何気なく真栄原橋の入口の所にある地図を撮影。
疲れたー。休もーよー。
ちょっと待って!
これって・・・
「小禄墓」だし。
地図の写真で黄色の部分をなぞっていくと、終点あたりに「小禄墓」って書いてあります。実はみんあで見学してきた古い墓のうち、やや大きめの造りの変わったお墓が「小禄墓」でした。
かってに「付近の偉い人の墓かも知らないね」とか言ってました。
何の説明もなくて分からないよー!
とわめいたものの、すでに遅し。とはいってもたぶん今時分、あそこまで行く人はいないと思うから、まぁ制覇といういうことで。
サンダル旅に固執するメンバーDは、疲れきって公園(比屋良川公園)の休憩所へ。ヘトヘトながら「天然水『志布志』」の醍醐味を大いに語ってくれました。
こうして、疲れ切ったメンバーは、「次ぎも少し歩くけど、行けますか?」と、すまなそうでありながら、行く気満々の後輩の呼びかけに
「ふぁ~ぃ」
次の目的地、喜友名のシーサー群へ。
2011/09/20
宜野湾裏口散策(6)
次に58号線を北上して、「喜友名の石獅子群」を訪れました。
とその前に、「小禄墓」をめぐる愚か者の話。
6月23日付、沖縄タイムスより。
200年前の石彫香炉・獅子損壊 宜野湾
【宜野湾】「小禄墓の香炉が粉々になって、壊されている」。20日午前、宜野湾市教育委員会に住民から通報があった。同市嘉数にある小禄墓は、県指定の有形文化財として知られ、多くの県民が参拝に訪れている。今回、その墓前に置かれている市指定の有形文化財である「石彫香炉」と「石彫獅子」が破壊されていた。市教育委員会は同日、宜野湾署に器物損壊の被害届を提出。21日には、所有者が同署に告訴状を提出した。
石彫香炉は、正面などが損壊。三つに割れ、角に浮き彫りされた「獅子」の模様の一部が欠けた。中国で採れる「閃緑岩(せんりょくがん)」で作られ、1806年ごろのものとみられている。
香炉の両脇に置かれていた一対の「石彫獅子」も被害を受け、傷が残った。それぞれ、1991年に市の有形文化財指定を受けた。そのほか、未指定の石彫香炉も破損した。
市教育委員会は「先人が残した貴重な歴史遺産をないがしろにし、所有者や市民の長年の労苦を踏みにじった」と憤っている。今後、修復方法や、現場での保全策を検討する。
あそこに「多くの県民が参拝に訪れている」かどうかは判断できないけど、まったく愚かですね。
ところで「喜友名の石獅子群」とは何か?公民館前にある案内板より。
喜友名区は、集落全体が碁盤の形のように規則正しく区画整理された古くからの計画集落のひとつである。そこには、あたかも集落を取り囲むように石彫りの獅子像が配置されている。そられは、村落や屋敷内によそから厄や忌み嫌われるものが入らないように、それらの「反し(ケーシ)」として設置されたものである。
戦前は七基あったが、今は、集落外れに一基、南外れに四基、西外れに一基の六基が現存している。それらは、集落を取り囲む石獅子の数としては県下で最も数多いもので、集落と獅子像の配置・獅子像の方向・獅子像の形の変化などを知るうえで重要である。
古老によると、もし分家により集落が拡大し、これらの獅子像より分家者がはみ出すと、獅子像もその前方に移し、新旧問わず広く区民全員がその恩恵を受けられるようになっていた。戦前には喜友名区以外にも、集落を守る石彫りの獅子像が、普天間・新城・伊佐・嘉数・我如古にもあったが、現存するのは喜友名区だけであり、広く宜野湾市の民俗生活を考える意味でも貴重なものといえる。
なお、集落のさらに西側の土森の上に獅子の形をしたヒージャーグーフーと呼ばれる石像が、集落の北側の見晴らしの良い高まりにはウフブタと呼ばれる自然石があり、いずれも「反し」の性質を持つものである。本獅子群と合わせて貴重な文化財である。
県下で一番ということは、間違いなく世界一だと思います(たぶん)。
上の地図は、W先輩が保存してくれていた2010年8月26日付「レキオ」から。上が普天間基地で、下がキャンプ・フォスター、南北逆の地図です。地図を忘れた旅の会メンバーのミスを救ってくれてありがとうございました。
案内板では「6基が現存」とありましたが、地図上ではちゃんと7基ある。これが一つ目の疑問です。いまも未解決。
すべてのシーサーを紹介してしまうのは、これから行ってみようと思う方々に申し訳ないので、一部の写真だけ公開します。
これは「メートーヤマ前のシーサー」。ほとんど顔面だけです。すべてのシーサーは案内板に書いてあったように、集落の外を向いています。このシーサーの向いてる方向には、広大なキャンプ・フォスターが広がっていました。
これは「ナカムトゥ前のシーサー」。一番シーサーらしいといえば、らしい。形といい、表情といい、7基のうちで最もバランスがいいシーサーです。
これは「イリーグヮー前のシーサー」。完全に家の門と一体化してます。鼻筋がピンとして、一番ハンサム(?)なシーサーです。後ろから見ると、胴体はゴマアザラシみたいでかわいい。けど顔がリアルで実在したら気味悪いかも。
これは「グラニーグヮー前のシーサー」。木陰にひっそり座っています。喜友名公民館の裏手の駐車場にあります。涼しげでいい感じです。
他にも魅力的なシーサーがいます。歩いて回ったら、もっと地域の方とお話しできたりもして良かったと思いますが、「小禄墓」探索でヘトヘトな旅の会には無理。次はできたらそうしたいです。
ちなみに喜友名地区一帯は普天間基地のフェンス沿いに位置していて、そのすぐそばに畑があったり、フェンスに洗濯物を干していたり、などなど共存を強いられる姿も垣間見えて、考えさせられます。
これにて9月13日の旅の会の宜野湾巡りは終了です。
みなさん、お疲れさまでした。
歩き疲れたー・・・
ジャンル別一覧
出産・子育て
ファッション
美容・コスメ
健康・ダイエット
生活・インテリア
料理・食べ物
ドリンク・お酒
ペット
趣味・ゲーム
映画・TV
音楽
読書・コミック
旅行・海外情報
園芸
スポーツ
アウトドア・釣り
車・バイク
パソコン・家電
そのほか
すべてのジャンル
人気のクチコミテーマ
英語のお勉強日記
良いニュースでビットコインが暴落:…
(2025-11-17 13:47:38)
あなたの旅行記はどんな感じ??
帰路へ 楽しい旅ももうおしまい
(2025-11-16 22:43:16)
日本各地の神社仏閣の御朱印
周防國・長門國一ノ宮巡りday1(錦帯…
(2025-11-18 00:00:11)
© Rakuten Group, Inc.
X
共有
Facebook
Twitter
Google +
LinkedIn
Email
Mobilize
your Site
スマートフォン版を閲覧
|
PC版を閲覧
人気ブログランキングへ
無料自動相互リンク
にほんブログ村 女磨き
LOHAS風なアイテム・グッズ
みんなが注目のトレンド情報とは・・・?
So-netトレンドブログ
Livedoor Blog a
Livedoor Blog b
Livedoor Blog c
楽天ブログ
JUGEMブログ
Excitブログ
Seesaaブログ
Seesaaブログ
Googleブログ
なにこれオシャレ?トレンドアイテム情報
みんなの通販市場
無料のオファーでコツコツ稼ぐ方法
無料オファーのアフィリエイトで稼げるASP
ホーム
Hsc
人気ブログランキングへ
その他
Share by: