"菜翁が旨"さんのほほ~ぇむ健康ペ~ジ

家族の健康は食べ物で決まる?



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ガンも含めて、年老いてからの病気の原因の大半は、その人の長年の食事にある。
   …と、いっても過言ではないだろうか?
事故や感染症や遺伝性の病気はさておくとして・・・

1.便利な加工食品は、毒にもなる。

  加工食品は、たくさん売れるようにするために、万人の嗜好に適するように作られているので、塩味や砂糖味や化学調味料を使いすぎている傾向がある。

  さらに、原価を引き下げるために、人口甘味料など、安くて少ない使用量でよく効くものが使われやすい。

  (菜翁が旨さんが砂糖など手に入らない戦後の子供の頃、人工甘味料のサッカリンとかズルチンがわが家でもぼたもちや餡餅などの 小豆餡 あずきあん に使うために台所の『 はしり 注1 』の上の子供の手の届かない棚に小さな缶に入って置いてあったことを覚えている。

   戦後の甘味といえば、田舎のどこの家でもそうだったが、わが家でも親父が砂糖黍を作ってくれていた。
   まるで、真夏の暑い太陽の日差しは砂糖黍の甘味と交換してくれているようだった。
   その甘味がたっぷりの砂糖黍の茎を噛んでしがんで、アリもまたいで通るくらいに汁を吸い取っていた子供の頃を、昨日のように思い出した。
   子供の頃の砂糖黍の素朴で本物の味が、重ねる よわい とともに甦ってくるようである。
   本物の味といえば、塩も入浜式塩田で作られた、海の惠の豊富な塩であった。)

  それにもまして、腐敗を防ぐために食品添加物を使用することが多い。

  食品添加物そのものは、その一つ一つについては安全性を確かめた上で許可されているが、長年に亘って三百種類を越す添加物をいろんな食品から摂って口にし続けた場合、その組み合わせと自分の体内でどんな生理的・化学的反応が起こるかは、誰にも分からないことである。

  ましてや、スパイスを筆頭に穀物や肉類などの外国産の数多くの食品には、 放射線照射 が行われている。

  その基準や照射線量などは、知るすべは無いに等しい。

  その上さらに、それらを加えたり組み合わせたりして加工された食品ともなれば・・・もう、お手上げである。

  できる限り、加工食品を口にする機会を減らすことこそ、徐々に身体をむしばんで、死にいたらしめる病にかかる機会を減らすことであろう。

  そして積極的に、 やまい に対する抵抗力をつける食べ物を摂ることである。

  自らの手で、自分自身や家族の命を縮めないようにだけは、避けるべきであろう。

  どうすればよいのだろうか?

  自分自身や家族の命を縮めないようにする工夫こそ、最も、大切である。

  命の源泉の食べ物を、他人の手に委ねない工夫こそ、家族の命を守る唯一の手段であろう。

  ※   ※   ※

きれいなバラには トゲ がある。

美味 おい しさのなかに、身体を 蝕む むしばむ かも知れない物質を含んだ食べ物は、数十年もの長い間に、静かに身体を むし ばんでいる
のではなかろうか?

  ※   ※   ※

  わが家の菜園で採れた、ジャガ芋やタマネギなどの保存性のある野菜は、季節が 移ろう うつろう と、自然に発芽する。

  発芽防止の薬剤を使用していないことの あかし である。

  ※   ※   ※

一つ 少肉多豆
二つ 少塩多菜
三つ 少白多黒
四つ 少食多噛
五つ 少糖多酢
六つ 避煙鮮気
七つ 少袋多芋
八つ 少肉多魚
九つ 少怒多笑
とう を 少車多歩


注1."はしり"・・・"流し"ともいっていた。勿論、木製であった。
   今でいう、キッチンのシンクに相当するものである。


こんなこと、 しょせんは、田舎もん爺じいのたわごとか?


2.自分の身体が、今、何を食べたがっているかを、きちんと知って、食べる習慣をつけることが大切です。

テレビのCMやら料理番組やら料理本やら情報誌やら友人・知人やら、参考にすることはあっても、振り回されることなく、自分の主体性を持って、食べる習慣をつけることが大切である。

  主体性を持たずに、食、本能のおもむくままに食べる長年の習慣がついてしまうと、食べすぎや栄養の偏りを起してしまい、病気の芽が出ていても気付かずに過ぎてしまい、手遅れになりやすい。

  「主体性を持って食べること」とは、自分が食べたいものを食べることでは決してない。
  本能のおもむくまま、そして、五感を喜ばせる食べ物ではなくて、年齢や運動量に応じた肉体の維持・活動に必要なものを食べることである。

  年齢に不相応なものを食べ過ぎ続けることが、病気の大きな原因であるとさえ、言われている所以です。

  ※   ※   ※

ここでいう『健康』とは、今日・明日の目先の健康のみならず、『未来の健康を意識すること』である。

  ※   ※   ※

  野菜作りのコツは、野菜がして欲しいことをしてやることである。
  例えば、青い葉っぱの色が薄くなっておれば、肥料を欲しがっているサインであり、茎の根元が風で揺れておれば、土寄せをして欲しいサインであり、葉っぱがしおれていれば、水を欲しがっているサインである。
  そして、野菜作りの上達のコツは、野菜がこれらのサインを出した時直ぐに、手をかけてやることである。

  人の身体も同じで、病から逃れるために身体が欲しがろうとしている食べ物を、病のサインを出したことを捉えてすぐに、食べること、あるいは、食べることを止めることである。

  例えば、疲れたときに梅干を食べたくなるように…

  疲れたときに梅干を食べたくなるのは、クエン酸などの有機酸を身体が要求しているからで、クエン酸は疲労物質の分解や血液の酸生化を中和するのに効果があり、さらにカルシウムの吸収をよくする作用もある。

  カルシウムが欠乏すると、イライラしたり怒りっぽくなって、平常心を失いやすくなる。
  キレやすい子供が多いことも、カルシウム不足が原因、などと言われているくらいである。

  そして、また、喫煙は、腸でのカルシウムの吸収を阻害するといわれている。

  話がそれたが、もっとも、最近では、防腐剤の入っていない酸っぱい梅干は、家庭で漬け込まないと手に入りにくくなっているようですが…。

  その上、さらに、『疲れたときに、梅干を欲しがること』すら、無くなってしまった昨今ですが・・・。

  カルシウムの少ない土壌の上に住んでいる日本人は、食べ物からのカルシウム摂取量が昔から変わらないのに、外国人の食生活を真似て肉食が増え続けて、体液が酸生に傾いて高血圧症や心筋梗塞を起しやすくなってしまうことがないように心がける必要があります。
その上さらに、動脈硬化までも加わると…。


  ※   ※   ※

  野菜でも、肥料のやりすぎや水のかけすぎは、野菜を枯らしたり腐らしたりするだけである。

  ジョロで水をかけた時に、茎の根元がゆれておれば、土寄せをしてやるとトタンに生育がよくなるのと同じである、人の身体も・・・


『四十二の厄年』

四十 しじゅう がったり』  等々

四十歳は、体力のみならず、身体の内外の節目になるという、いわれです。

昔の成人病検診、今のメタボ検診も四十歳が身体の節目であるがゆえの検診です。

自分の健康に関心をもち、食生活を見直すきっかけにしたいですね。

  ※   ※   ※

こんなよけいなお節介、 しょせんは、田舎じじいのたわごとか?


3.一物全体食がよい。
わが家では、つい最近までは、さばなどは、一匹まるごとか買って、キッチンで、かしらをはね、二枚におろして、煮付けていた。
  近頃では、魚屋で二枚におろして下さい、というと、必ず、えっ?三枚じゃないのですね、とわざわざ、念を押されるようになった。
  「骨の髄までしゃぶる」と言う言葉があるように、骨の髄は血液が生産されるところだから、身にはないリンや鉄などのミネラル、ビタミン類や良質の脂肪等が含まれている。

  菜翁が旨さんが子供の頃は、近くの川で獲った魚は頭も「しがんで」食べて、喉を通らない骨だけを吐き出していた。
  ちかごろでは、一旦口の中に入れたものを吐き出すような、こんな食べ方をすることは家庭の中でも、無くなってしまったが…
  「しがむ」という習慣を子供の頃に経験していると、食べ物を口の中で味わうという習慣もついているので、食べ物の腐敗が始まっているかどうかを味わう(?)ことも出来るので、食中毒に遭遇する危険性が少ないという有利性がある。

  いわしなどは、今でも頭から尻尾まで食べてしまうことがある。
  頭を切り落としたいわしを店先で見ると、違和感を覚えることがある。
  サンマなども、頭を切り落としたものが焼かれて皿に乗って目の前に現れると、やはり、美味しさが感じられない。
  やはり、皿にのる魚は、「おかしらつき」が好みである。
  さすが、サンマの頭を「しがむ」ことは、もうしていないが…

  その上さらに、骨の髄には食欲をそそるうま味、風味がある。
  骨髄は人だけでなく、魚も、血液製造装置であるから、ミネラル、ビタミン、良質の脂肪が沢山含まれている。
  寄せ鍋などの鍋料理で、魚を骨ごと入れると一段と美味しいものになる。
  それは、骨髄には、食欲をそそる風味があるからだ。
  豚骨や鶏がらのスープが美味しいのは骨の髄のうま味があるからだ。

  煮干、丸干し、しらすにメザシやわかさぎ・・・
  このくらいの魚は、たいがいのひとは、骨まで食べられるが、サンマやいわしなどの魚は、わた(内蔵)も骨も食べるようにするのがよい。
  小骨などは、よく噛めばのどに刺さらずに通過してしまう。

  海の浅いところを泳いでいるこれら青背の魚は、水圧がかかっていないので骨が柔らかく、骨の髄まで食べるのに適している。
  しかし、骨を食べるようにするには、少しばかり骨が折れそうだ。
  から揚げにでもすれば、お年寄りや小さなお子さんでも、美味しく食べられそうである。
  簡単にオーブンか、冬ならストーブの上ででも焼けば、香ばしい香りが漂い、 酢橘 すだち を搾ってかけて食べるとお酒の肴にもってこい、か…

  浅海の青背の魚は「骨まで愛して」、食べるとよい、ということですかね。


骨を焼く    トパーズさん
お邪魔しまぁす。
私が子供の頃、祖母が秋刀魚を食べた後の骨をこんがり焼いて食べさせてくれた事を懐かしく思い出しました。
確かに、身には無い、旨みが凝縮しているように思います。(2011.11.06 03:52:24)

Re:骨を焼く(11/03) 菜翁が旨さんさん
カルシウムの骨への沈着は夜、寝ている間に行われるそうです。
夕食に食べたサンマの骨を焼いて夜食に食べる…昔の人は、医学の知識がなくても理にかなった生活をしていたのですね。
医学・科学の進歩した時代を生きている現代人は、理に反した生活をしている部分が多いように思えます。(2011.11.06 10:18:57)



いらぬお節介、 しょせんは、田舎爺じいのたわごとか?



4.旬の野菜がよい。
旬の山菜・野菜はもっとも生長の盛んなときであり、細胞分裂も旺盛で、ビタミンCや酵素の含有量が最も多くなる時期であり、欧米人より腸の長い日本人にとっては、最も適した野菜の食べ時です。

  旬の野菜は、旬を外れた野菜より栄養成分が格段に優れている、ということが分かっている。



4.水は命の みなもと 。遠くの水より、近くの水がよい。
人の身体の成分は、60%が水分(細胞内液=40%・細胞外液=20%)(新生児は80%、幼児は70%)、残り40%は骨などの固形成分だそうです。
  まさに、 水は命の源 ですね。
  それだけに、先祖代々使っている身近な水が最も安心できて身体に良い水です。

  火山国である急傾斜の山の多い日本は、降った雨の殆どが、24時間以内に海に流れ込んでしまうそうです。
  それにもかかわらず、川の水が年中途切れることのないのは、山の木々をはぐくんでいる土や落ち葉やが溜めこんで、地中を通って濾過してミネラルを加えて美味しくして、少しずつ吐き出してくれているからです。
  それだけ、日本の川の水はきれいで美味しい水だということです。
  日本の川の水が汚れてきたないのは、人が汚しているせいで、自然のままの水は本来世界でもっともきれいな水だといえそうです。

  「ある夕方、一人の若者が放浪にくたびれて、 故郷 くに の小さな町に帰ってきて、ある家の庭の横を通りかかると、一人の老人がホースで芝生に水を撒いていた。
若者が垣根にもたれて水滴がほとぼしるありさまに見とれていると、老人がよってきて、ホースの口をさしむけ、『一杯いかが』といって若者にのませてやる。
若者が飲み終わって口を拭いていると、
  老人は、
  『何といっても 故郷 くに の水がいちばんだよ。』
  といって若者のそばから去っていった。」
                 (開高健「白いページ」より)

  レトロな街並みや田舎の暮らしにあこがれるのは、実は日本人の身体が、古い時代の美味しいかったであろう水や、田舎の自然の中の美味しい水を恋しがっているのかも知れません。

 めだかの棲む小川、いや、水の中に素顔をつけて目を開け遊べるような小川の水。
  めだかだけでなく、川草に影に隠れて川えびや小鮒がたくさん棲まる小川の水。
  小川の砂地のところには、しじみが棲む小川の水。  

  少なくとも、日本人の体質には日本の水が、一番よく合うということでしょうね。



5.特に野菜は、身近で採れたものがよい。
食べ物、とくに野菜は、近くの水で育った、旬の野菜がよい。

  成人の身体は60%が水分で、特に40%は細胞内液である。
  特に、新生児は80%、幼児は70%である。
  それだけに、自分の体内の水と飲料水と野菜の水は水源が同じか近くであることが健康であるためには大切である、といえる。

  植物は、昼間は光合成により炭酸ガスを取り込んで酸素を出している。
  夜は、逆に、酸素を取り込んで炭酸ガスを出している。
  従って、夜の間に酸素と水分をたっぷりと取り込んだ朝露のついた、光合成を始める日の出前の新鮮な身近な野菜が一番よい、ということである。



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