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"菜翁が旨"さんのほほ~ぇむ健康ペ~ジ
元気をもらった駅前食堂”杯一”の女の子たち(S40~41年頃)
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国鉄中央線、西荻窪駅前、正確には、西荻窪駅東の踏み切りのそのまた東の線路沿いの道の南側の北向きのところに”杯一”という食堂があった。
”菜翁が旨”さんは、ある時期、毎日、朝夕、ここで食事をしていた。
「おはようございまぁ~す。」
毎朝、店に入ると、元気な大きな声をかけてくれた。
「行ってらっしゃぁ~い」
食事を終えて店をでるときには、こう、声をかけてくれた。
この店には、集団就職で上京した、おそらく、東北出身の女の子達が数人働いていた。
この食堂は、会社指定の食堂であった。
毎月、会社で給料天引きで、一ヶ月分の食券を買い、その会社指定の食券が使える食堂であった。
住みかは会社の寮、食べ料分は食券に変わっている。
万が一、月の途中ですっぴんになってしまっても、寝ることと食べることは確保されている。
今、考えてみても、いいシステムだったと、感心する。
なんせ、当時流行っていたジャズ好きの同僚なんかには、同好の志でバンドを作るためにダンパ(ダンスパーテイ)を開いてパー券を売ったり、給料を溜め込んだりしながら、楽器を買い揃えたりすることに必死だった者たちもいたくらいだから・・・
私も、ダンスは大阪時代に、梅新(梅田新道)交差点のビルの一室にあった「清交クラブ」で、ラ・クンパルシータに代表されるラテンを踊ることを目差して習っていたことがあるが、ウォークとスクエアーを修了して、ブルースに入って、ライトサイド・シャッセやレフトサイド・シャッセからクォーター・ターンズやナチュラル・ターン、リバース・ターン、クロス・シャッセあたりになってから、女の子と組んでリズムに乗って踊ることが難しくて、ナチュラル・ピヴォット・ターンましてやアマルガメイションに至っては全くお手上げで、ついには、申し込んでもダンスの相手になってもらえる女の子がいなくなって、始めから終わりまで、壁際に立ちんぼうっぱなしになってしまうはめになり、挫折を余儀なくしてしまった次第であった。
さて、話を戻して・・・
荻窪駅、西荻窪駅、吉祥寺駅近辺の、社員寮のある駅付近に、一箇所づつ、会社の食券が使える指定食堂があった。
夕方の仕事帰りに立ち寄ると、
「おかえりなさぁ~い」
食事を終えて寮に帰るときには、
「おやすみなさぁ~い」
まるで、自分の家で食事をしているようであった。
外国の家庭を訪れると必ず「Stay at your home.」と言われるそうである。
この「杯一」という食堂は、それほど暖かみがあった。
そして、この店の女の子たちは、全くよく働いていた。
例えば、朝は、大・中・小から選ぶごはん、味噌汁、豚汁、納豆、焼き魚、煮魚、生卵、目玉焼き、卵焼き、冷奴、お新香、のり、おひたし、やまいも・・・など々のなかから、一人最低でも五品は食べる。
それらを、一人の女の子で、常時5,6人の客を、注文から・配膳・勘定(計算からつり銭渡し)までさばいていた。
客は、自分の食べた分の勘定はしっかり計算しているので、間違えるわけにはいかない。
特に、朝は、客の時間帯が集中している。
そして、菜翁が旨さん達のように、会社の食券を使う客もいる。
そして、乗車率日本一の中央線快速電車の自分の乗る時間に間に合うように食事をしている客ばかりである。
当然、目の回るような忙しさである。
それでも、必ず、挨拶をしてくれた。
この女の子たちの働きぶりには、頭が下がり、そして、毎日、沢山の元気をもらっていた。
昭和39年、すぐ近くの空の下で、東京オリンピックがあったが、その、もの騒がしさは、「杯一」の喧騒にかきけされたのか、伝わってこなかった。
みんな、必死で生きていくために、それどころではなかったのである。
※ ※ ※
会社の寮といっても、会社が木造アパート一棟をを借り上げて、一人三畳を目途に入室していた。
各室とも、トイレ・炊事場つきであった。
今と違って、休日は日曜日と祭日だけであった。
休日には、3人が交代で素手でこれも自分が縫ったタオルの雑巾で自分達のトイレの掃除を済ませてから、「杯一」へ朝飯で食べてから、めいめいの自由時間をすごした。
おかげで、今でもキッチンのシンクの排水口や三角コーナーは勿論、水洗ではあるが、トイレ掃除も、いまだに素手で行っている。
ゴム手袋なんぞ履けば汚れが残っていても感触がわからないと思う。
その上、少しでも破れれば、結局手を濡らすことになる。
時には、ボタン付けは勿論、繕いをすることもあった。
こんなとこでも、小学生のころの家庭科の時間に縫った雑巾で職員室の美人の女の先生の机の下の雑巾がけを競った経験が生きているのであった。
そう、「杯一」は年中無休の食堂であった。
インスタント・ラーメンなど食べる者は一人もいなかった。
※ ※ ※
残業で遅くなって”杯一”が閉まっているときには、
その隣に、お茶漬け専門の店があった。
この店のおじさんは、無口であった。
全くといっていいほど喋らなかった。
なにも言わずにいつもの茶漬けを出し、
菜翁が旨さんもなにもいわずに食べて、勘定をはらう。
杯一の喧騒とは、全く正反対の店であった。
そして、不思議と心が落ち着く店でもあった。
当時東京在住の菜翁が旨さんが買った
中央線電車内乗り継ぎ切符
(昭和36年)
パンチは「新宿~立川」
※ ※ ※
こんな折に、真新しい沖電気・八王子工場での
OKITAC5090コンピュータ
の設計・開発に係わって通っていたころ、三鷹駅、例の三鷹事件で有名なあの三鷹駅で、朝のラッシュ時の通勤電車が駅に停車してドアが開いた瞬間に、満員の車両からこぼれだされて駅のホームにスッテン・コロリとお尻をついて両足を開いて倒れること光景がよく見受けられたものであった。
特に、ミニスカートの美人が倒れた時など、すかさず駅のアナウンスが『見たかぁ~、見たかぁ~』
満員の電車の中の客が一斉に駅のホームを見ようと、電車が傾くほどであった(笑)
それはともかく、日本一の超満員電車にも、こんな光景があったのだった。
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