全10件 (10件中 1-10件目)
1
ホームページの時代から数えれば私は12年間ほど投稿を続けています。911の事を書いた古いページに今でもアクセスする事ができました。違うページに飛んでしまいますから、興味がある方がおられれば。もし興味があれば稚拙ではありますが、この時の文章からわかる事、それはこのような大きなテロリズムを初めて見た私は混乱しているとしか言えません。また当時、日本の政府が初めて自衛隊を海外派遣しようとしていた時代だったように思います。少なくとも私はそのような行為に驚きました。少なくとも私が書いている意見に関しては今でも一貫性があるように思い、少し安心しました。もう10年なのですね。
Sep 11, 2011
画像ジャズとバーボン・ストリートとプリザベーション・ホール。ニューオリンズはジャズ発祥の地としてあまりにも有名です。どのようにしてジャズが生まれてきたか…そんな話は他の人に任せることにして、とにかくデキシーそしてジャズはこの町から自然に生まれた心の叫びです。日本で言えば演歌であり、今風に言えばアフリカン・アメリカンの方たちが演奏するラップ・ミュージックでしょう。とにかくメッセージ性の強い音楽です。デキシーはアメリカ南部の陽気さを強く表現しています。そしてジャズも強い活力にあふれる音楽です。私はロック派で、あまりジャズは聴きません。特にモダン・ジャズは理解が困難です。しかしスイングなどは好きでCDを何枚も持っています。バーボン・ストリートはそんなデキシーや少し古いタイプのジャズに触れることができる夜の街です。ニューオリンズの治安は誉められたものではありませんが、この界隈だけであれば不安なくナイト・ライフを楽しむことができます。バーボン・ストリートの店はオープンですから、店の外で友人と語りながら漏れてくるデキシー・ミュージックを楽しむだけでも古きよきアメリカを堪能できます。一方でジャズは今ではニューヨークが本場となりニューオリンズから離れていっています。「ニューオリンズにジャズの血を保とう」という気持ちがそのままホールの名前になっているプリザベーション・ホール。毎晩、懐かしいジャズを演奏してくれる素敵な場所です。しかしプリザベーション=保存にはいくつかの障害があります。まずは演奏者の高齢化。私が訪れたとき既に大きな問題でした。そして今回のハリケーン、カトリーナ。正直、この看板が残っているかさえ不安です。プリザベーション、今こそ多くの人が力を一つにしなければいけないときかもしれません。
Sep 9, 2005
ハリケーン、カトリーナの影響ですっかり廃墟と化してしまったニューオリンズ。とても悲しいことです。ニューオリンズはアメリカの中では数少ない歴史のある街。植民地時代のフランスやスペインの面影や文化が残る町、ジャズ発祥の街でもあります。この写真はそんなニューオリンズの町並み。どの家にも二階部分に大きなベランダがあり、椅子と机がおいてあってビールなどを楽しんでいたようです。こんな町並みはどうなったのでしょうか。暑い地方だけあって一階部分は出入り口が広く少々構造的に弱そう。ひどく痛んでなければいいのですが。
Sep 8, 2005
ハリケーンはニューオリンズを直撃しました。私がニューオリンズを訪れたのはもう10年も前の話です。アメリカの中では古い町で、メキシコ湾に面した暑くて雨が多く湿度も高い日本人が好きになる町です。カフェ・デ・モンドのベニエはここが発祥の地でした。食事がまずいアメリカでここだけはおいしい事も特徴です。ザリガニのバケツ食いなんてここでしかできません。ミシシッピ沿岸と言うことでトム・ソーヤ気分が味わえる素敵な街です。ニューオリンズ近辺は湿地帯で、水はけの悪い街です。それだけに今回の洪水は復旧時間がかかりそうです。私が勤める会社の工場がこのエリアに二つありますが、そのうちの一つが巨大で、ニューオリンズの近くにあります(だから私も出張したわけです)。こちらは稼動を再開しつつありますが、アメリカでの石油製品や、原油価格の高騰はどうしても避けられない、そんな意味で世界中に波及する被害となったようです。もう一つの工場は長期停電の影響で連絡さえ上手く取れない状態だそうです。幸い、会社の同僚の安全は確認できたそうですが、周辺で亡くなられた方は多いですし、復旧見込みが立たない上、治安の悪化も心配です。一日も早く素敵な街に戻ることを祈っています。
Sep 2, 2005
グアムについて書くことなんて無いといいながらすでに6回目(笑)。裏話って書いてみるといくらでもねたがありますねぇ。グアムのホテル街は町全体がデューティーフリー・ショップ。ホテルから店まではタクシーを使っても無料なのです。ただし、店が閉店している時間帯は料金を取る、しかも日本より高めなのです。店が閉店している間はバスも無い。使いたくなくてもタクシーを使わなければ移動できない。上手い商売です。グアムのタクシーの運転手はなぜか平均年齢が高いのです。とにかく60歳は若いくらいで、多分みんなそれ以上、手などが震えていて「私に運転させてくれー」とか叫びたくなります。しかも片言の日本語でしゃべりかけてくるため、わかりにくいこと。だいたいタクシーの運転手の会話はわかりにくいことが多い、長崎が一番ひどかった(日本じゃん!)。次にシンガポールで出会ったサイボーグ009に出てくる中国人のような運転手。その次がグアムの全運転手です。英語の勉強を英会話から入った私にとって、英語と日本語が混ざると極端に聞き取りが難しくなります。日本と英語を使い分けるときに自分でも「カチッ」て音が聞こえてきそうなほど頭の中で切り替わるんです。英語と日本語が混ざると頭の中でカチカチカチカチ言っている。教訓、レンタカーの方が良いかも。
May 16, 2005
グアム長い間ヒルトンに宿泊していました。ヒルトンのデューティーフリー・ショップは普通の売店も兼ねています。暑いグアムですから脱水症状にならないよう、飲み物には細心の注意を払いましたので、私は日に2~3度この売店を訪れました。この売店の兄ちゃん、すこしルパン3世が入っているのですが、ヒョロヒョロしているうえ風に流されるかのようにうろうろしていて、いい加減そうに見えるのに綺麗な日本語でしっかりした対応をしてくれます。しかもよく気を使う。「日本語が使えて、気も使う」このようなケースでは間違いなく私と彼の間で言葉の問題が発生します。私が英語で話せば彼は日本語で返してくる。私が気を使って日本語を使うと、向こうも気を使って英語を使ってくる。お互い意味は通じているのですが、他の人が見ればものすごく不思議な光景だったはず。結局彼とは最終日までこのような会話を繰り広げてしまいました。一方で私の両親は英語が全くだめ。この場合、グアムでは問題が発生しません。プラネット・ハリウッドのような英語しか使えなさそうな店でさえも、店員が日本語を理解できる。店員が理解できているのに両親が「訳して」なんて言うもので、仕方がなく翻訳する。でも店員はわかっていて、もうメモを書いている。通訳をしている私はまるでピエロ。「グアムでは日本語!」を徹底した人が勝ちです。かなり薄れている記憶を無理矢理たどり「グアムで英語が使えなくて困った場所」を探してみました。そして最後に思い出したのがこの売店のにいちゃんだったわけです。
May 13, 2005
パタヤは例外だったと思います。わずかな自由時間しかなかったのにあれだけ書くことがありました。実はまだまだ書くことができるのだけれど打ち切ったぐらい。異世界、という表現が適当で、はまった人は抜け出せない場所です。「想像を超えた」世界でした。一方でグアムについてあそこまでの長い日記を書く事はできません。自由時間は圧倒的に多かったし同じ南の島でも沖縄であれば書くことが膨大にあるのにどうしてでしょう。グアムは理想的ではありますが意外性がないのです。「南の島の楽園」、このように表現するとこれ以上書くことがなくなってしまいます。グアムは結局、日本とアメリカが共同で仕上げた人工的な楽園であり、結果として面白さがなくなっています。歴史はアメリカのGo West、日本の軍事攻撃等で破壊され、存在しません。一方でそんな日本とアメリカが育て上げた楽園にはまってみるのも良いでしょう。リラックスした時が過ごせます。Web Pageに繰り返し書いているように、この特殊な時間間隔を過ごせることがグアムの魅力です。でも次のように聞かれるとどうでしょう。「グアムに住みたいですか?」と。私はオーストラリアや沖縄であれば喜んで住みたい、シンガポールにも喜んで行きます。イタリアであれば移民したっていい。タイは自分に自信が持てないものの、嫌とは言わないです。でもグアムには住みたくない。イギリスにも住みたくありません。寒いから(笑)。ニューヨークも東京もあまり好きではありません。都会過ぎるから。それではグアムには何故住みたくないのでしょう。私は田舎にも住みたくない。落ち着きがないというか変化が少ない事に耐えられない。このグアムの特殊な時間間隔は1週間であれば楽しいでしょうが、1ヶ月いると気が狂うか自分がだめになるかどちらかです。つくづく日本人なのだと思います。これって裏話かなぁ。
May 10, 2005
グアムもちろんパタヤほどではありませんが、グアムにも風俗店がたくさんあります。特に「ストリップ」というカタカナが目立ちました。アメリカ本土で風俗というとチキンな私にとっては怖くていけない場所ですが(本当かなぁ、それよりNYを除く他の都市で見たことがない)、グアムは「日本文化圏」といえますので随分と惹かれてしまいました。看板を見るたびに目が泳いでいたかもしれませんが、家族がいますし、両親までいますし、神聖な結婚式できている。もちろん行く事なんてできませんし、看板を熟読するわけには行きませんので、どんなことが行われているかさえ確認できませんでした。写真さえありません。ただプールに行けば女性はもうストリップ状態(ゴメンナサイ)。みんな、大胆な水着でした。頭ではわかっているのですよ、見てはいけない・・・と。でも頭で気がつく前に、両の目玉が動いているのです。私にとって本当の問題はカジノがない事。ドックレース場はあったので行きたかったのですが、昼間に泳いだりして体力を消耗し、ドックレース開催の時間にはもうベッドで倒れていました。ホテルから少し距離があったことも難点で、グアムは安全とはいえアメリカですから夜中に徒歩での外出は少々気が引けます。日本は賭博大国で、博打は日本の文化ですから、ギャンブルを気軽に楽しむことができない事は海外旅行の一番寂しいところ。私が海外勤務を嫌がる本当の理由です(笑)。パチンコって本当にすばらしい文化ですね。他にも本物の銃を使った射的場、アメリカン・ステーキ・ハウスなど「海外にあこがれる日本人用の施設」が目白押し。グアムに「はまる」日本人が多いのは納得がいきます。
May 6, 2005
グアム確かにグアムの結婚式は理想的でした。良かった点を少し曲がった目で(笑)説明します。まず家族一同が誰に反対されることも無く、堂々と海外旅行できることでしょう。結婚式というと会社の休みを取りやすいし、特別休暇までもらえます。結婚する夫婦より2日も長くグアムにいたなんて、言わなければ会社にはわからないことです(笑)。次に当事者より傍観者であることがいい。当事者は忙しく、雰囲気を楽しむ暇は無いでしょうが、当事者の知人が来ないことから恒例の「ビール注ぎ」は不要で、綺麗なグアムの景色とゆっくりとした時間の流れを楽しめます。グアムなんて観光する場所がなく、一番の魅力は「ゆっくりできること」でしょうから至福の時です。難点といえば演出が少々派手すぎるところです。そもそも経営団体は日本の会社で、案内は日本人。牧師と歌い手さんを除けば、後はカメラマンを含め日本人だらけです。日本の経営ですから、日本人の理想の結婚式を熟知しているわけで、いかに理想に近い結婚式にするか、いやいやここまでするかという演出をします。若いカップルは喜ぶかもしれませんが、落ち着きのあるカップルであれば恥ずかしい領域まで行って、(照れ)笑いの絶えない結婚式になりますよ。ある意味、「なんとかプレイ」みたいな…(笑)。しかし本当に娘が泣かずに寝てくれて良かった。ちなみに披露宴のときも娘は熟睡し、花束贈呈という重要な役目は息子一人が担当いたしました。息子はかならずこんなときに大騒ぎでしたから。
May 4, 2005
グアム私が大好きなWebページを運営されている「わかつきひかる」さんから、グアムについて日記に書いてないというコメントをいただきました。あれ?そうだったっけ?というのが一番の印象です。そういえば画像管理を見てもグアムの写真は少ないのです。(「過去の履歴を見ろよ」といわれそうですが・・・。)グアムについてはWebページのほうにも書いているし、こちらと重複すると「ぼけてきたか?」と疑われそうですから、家内にも言えない、どちらかというとわかつきさんに喜んでいただけそうな話題を中心に「裏話」として書いていきます。連載ではなく、飛び石にします。既に10日分以上の日記を書き溜めであるので、それらもPostしたいし…まず今日はマッサージについて。グアムでマンダラ・スパに行ったときの本音です。うわべの話はWebページを見てください。部屋から電話でマッサージ師を予約します。マッサージ師の性別は予約のときに指定できるのですが、家内がいる部屋からの電話で「女性をおねがいします」とは言えないでしょ。マンダラ・スパに向かいマッサージ師の来場を待っていると来たのは「男かよ」。男性のマッサージ師が嫌いなのは(女好きということも否定しませんが)力があるためか控えめに押すからです。このときも事実控えめでコリが取れずに不満でした。しかし「男かよ」とおもったのは私だけではなく、マッサージ師も明らかに落胆の表情。マッサージルームに向かう間はなんだか暗い雰囲気。まあ互い様ですな。日本では「水虫の人はフットマッサージお断り」という冷たい(?)ところが多く、少し水虫がある(痕跡程度と主張しておきたい)私にとってはフットマッサージに行くことができません。その後ろめたさから今回もフットマッサージをしてもらうときに、「せめて男の人でよかった」と感じたのは私だけでしょうか。ちなみに彼の奥さんは日本人だそうで、「マッサージで知り合ったの?」と聞くことまではできませんでした。綺麗な英語で会話は楽しかったですよ。女性には人気がありそうでした(笑)。
Apr 29, 2005
全10件 (10件中 1-10件目)
1