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バンガロールでの滞在は2週間でした。シンガポールに移動してオフィスに出社してから日本に帰りますのであと3泊。さて出国チェックの話。すでに少し説明してきたのですが、入国以上に面倒でした。出国チェックはインド軍が行い、融通が利きそうにありません。スパイスがついたお菓子は持ち出す事ができませんでしたし、いちいち小さなパッケージまで開けさせられるなど簡単には通してくれませんでした。やはりここでもカメラがネック、かなり質問されました。パソコンのほうが値段は高いのに…出国チェックの後、免税店でお金を使いたかったのですが、インドらしいものは少なくほとんどがアメリカン。小さな空港ですから仕方が無いですね。支払いはドル(一応ルピーも利用可能)特に買うものも無く、結局シンガポールで大半のルピーをシンガポール・ドルに変えることになりました。一応、よくあるマグネットとキーホルダーだけ買いましたが他のお土産はどれも大きく重く、3日分の鞄、クリーニング・フル活用で乗り切ってきた私には収納場所が無く、とても買えませんでした。このまま帰国するならともかく、まだシンガポールに行くのですから。バンガロール空港のラウンジは「たいしたこと無い」と聞いていたのですが意外と楽しく、インドのスナックやカップヌードルが食べ放題。カップヌードルは日本でも最近手に入るマギー。ただのカレーヌードルではなくインド風でおいしかったです。ただホテルから空港までの移動が予想より早かった、つまり予定していたラッシュがなかったのでラウンジ滞在時間が長く、日本語の新聞なども無いですから退屈でした。幸いマレーシアの同僚が後から来たので(私より1時間遅いフライト)雑談しながら時間をすごしました。さてこれで、もうこないかもしれないインドを後にしました。
Mar 6, 2011
宿泊の最終日、仕事から帰ってみればベッドの上に置いてあった私の名前が刺繍されたクッションはプチ・サプライズでした。うれしいのですが持って帰るのは大変、収納に苦労しました。しっかりしたクッションで、今でも家で補助枕にして使っています。空港に向かうためホテルの部屋を出ますとこの2週間掃除などを担当してくれていたホテルのスタッフが二人並んで待ってくれていました。そして素敵な笑顔でのあいさつとともに大きなキャンドルをお土産にくれました。これまた収納に困る巨大さ、心遣いはありがたいのですが…。2週間の出張に3泊用のキャリーバックとデイバックだけできて、その中にパソコン2台と巨大なカメラ及びレンズを入れているほうが悪い(笑)服はクリーニングの連続で乗り切ったのですが、こんな高級ホテルでも料金はシンガポールより圧倒的に安く、3分の一程度の値段だったでしょうか。シンガポールだと一回のクリーニングで5000円から10000円飛んでしまいますからね、高いです。日本もですけどね。そんな時は思わず自分で洗ってしまいます。インドでは会社持ちにしても心が痛まない程度の値段でした。帰りはホテルのリムジンです。片道6000円ですからインドにしては驚異的な高額。タクシーだと2000円程度と聞きました。しかし安全最優先、会社からはホテルのリムジンを使うように指示されていましたから気兼ねなく使います。会社が安全に超神経質なのは理由があるのですが、それは私たち従業員にとって良い事です(屋台やレンタカーが使えないなど悪い事もあります)。片道約1時間、大阪であれば財布を持つ手が震えてしまいそうな距離ですから、まあ6000円でも悪くは無いです。空港まで送り届けてくれて荷物を空港のチェックイン・カウンターまで運んでくれます。一瞬の贅沢でした。さていよいよ出国です。
Mar 4, 2011
アジアは今、いろんな国が発展してきました。マレーシアやシンガポールに始まり、インド、フィリピンなどはITでの飛躍が著しく、これらは既に発展途上国の領域を外れてきています。韓国や中国も言うまでもありません。もうひとつ、目覚ましい発展に驚くのはベトナムです。なぜ驚くのか…ご存知の方が多いとは思いますが、ベトナムの歴史は平和ではありません。フランスの占領に始まり、日本の大東亜共栄圏、アメリカとソ連の長期にわたる代理戦争、結局社会主義国に落ち着きました。しかし中国やソ連のような極端な社会主義ではなく、融和的な社会主義路線を取ります。日本は民主主義ですが多くの公共事業を持つ国であり社会主義的な色彩も強いのでベトナムは日本に近いのかもしれません。ベトナム出身の友人が何人かいるのですが(結婚式に招待されたほど…行けませんでしたが)誰もがみんなフレンドリーで、付きあいやすく、国民性が日本人のように柔らかいのです。ベトナム戦争があったのに…なんて言えば日本では第二次世界大戦があったのに…と言われるでしょうか。中国との国境を持ちフランス支配を受けた事で中華フレンチと言う特別な料理スタイルを持ちますし、多くの世界遺産を持つ国ですから観光旅行に行ってみたい場所です。いつか必ず…それまでは日本でベトナム料理屋さんでも行って気持ちを高めておきます。写真はインドのベトナム料理店。
Mar 2, 2011
週末のホテルの過ごし方、時間はたっぷりあります。インターネットはつながりますが、さすがに部屋にこもってパソコンはもったいないと感じる世代です。庭はジャングルのようになっていますから、文庫本を一冊持っていろんなところで読んでみる事にしました。さすがインド、ホテルの中にも小さなヒンドゥー寺院があります。ただしちょっとガネーシャがかわいすぎる?インドでも神様をアニメ風に描いたりするのでしょうか。そんな寺院の前で本を読むと神聖な気分にはなりますが、なぜかちょっと落ち着きません。こんな事をしていると失礼にあたるのではないかと思って。バンガロールの気温は25℃くらい、日陰やプールサイドでは少し寒い位です。そこで太陽の真下、強い日差しの中にあるベンチで本を読んでみました。皆さんの予想通りまぶしい…。でも正直、日差しが気持ち良くて本も読まずにしばらくの間、座っていました。やはり部屋のベランダが一番だったかな?
Feb 28, 2011
人生で初めての経験はいろんなところに転がっています。インドでの初体験は何か。出張先の週末、休日をホテルから一歩も出ることなくすごすなんて初体験、ある意味、贅沢。ただ「旅行Blogを書いているのになにごとか」とは皆さんに怒られそうです。まあそれほど外に出るのが嫌になる交通事情がここインドに広がっていたのです。インドでの滞在、心配していた料理はシンガポールより食べやすく、2週間程度であれば楽しめます。水だけに注意しておけばスパイスが効いたカレーが好きな日本人には料理天国かもしれません。インド人は基本的に丁寧で優しいですし、物価が安くお金を使うところが少ない町は抜本的なエコかもしれません。インドで困った日本とのギャップ、交通事情が一番として買い物ができる場所が少ないのはエコでありながらコンビニ慣れした日本人には厳しいですね。英語が通じるようで聞きづらいのも困りました。その理由はやたらと早口の上、発音が少しおかしいからです。ホテルの部屋でゆっくりしていれば、交通事情にも英語の苦しみからも解放されますが、やはり海外まで来て安い物価のインドで買い物の機会が無いのは寂しいですね。あと海外でも見られるようにしてほしいぞ、Show Time(わかる人向け)
Feb 26, 2011
いやぁ、最近文章を書いていないので焦ってしまいます。一度Blogが途切れると書かなくなりそうだし。しかしこんなことでプレッシャーを感じても意味がありません、落ち着いて気軽な日記…もう読みにくくてもいいので(笑)書き続ける事が頭のストレッチです。落ち着く場所って人それぞれですね。私はタバコを吸わないので落ち着いてゆっくりする事が少し苦手です。それだけに落ち着く時間と言うのはとても貴重で、私にとっては贅沢の一つでもあります。自宅ではソファーの片隅が好きなのですが、あまりにもそこに居続けるので(この文章を書いている今を含めて)ソファーの皮がはげてきました。会社の朝は他の人より早めの出勤なのでパソコンが立ち上がるまでの時間がホット落ち着く一瞬です。そのあとは仕事に追われる一日になりますし、昼休みも休んだ気にはなりません。日本の12時はシンガポールの11時、昼休み中でも気楽のネットワーク・ミーティングをしかけてきます。落ち着こうと焦っている自分が一番嫌になる(笑)
Feb 24, 2011
懲りもせず、インドまで来て訪れたハードロックカフェ。バンガロールのハードロックカフェはカフェ部分が広いのに、ショップが小さくてプチ・ショックでした。このビーフ料理が当然のハードロックカフェでベジタリアン・フードを頼むインド人、そしてベジタリアン・フードを提供できるインドのハードロックカフェ。すごい。味は…いつもの味。私にとっては…です。大阪にもあるので年に一度は行きますからね。慣れた味はインドのような個性が強い食事ばかりの国では安心して食べられる食事でした。その割には頼んでいる料理がかなり個性的ですね。おいしかったですよ。いつものように家族の分を含めて大量にTシャツを買いました。さすがにバンガロールのロゴのハードロックTシャツは日本では少しレアなのでうれしかったですね。今時ハードロックのTシャツを着ている人自体がレアですが(笑)いいんです、趣味とはそういうものです。バンガロールの観光はこれで終わりです。ホテルに戻ります。
Feb 22, 2011
インドに突如現れたアメリカ?バンガロールの繁華街、ガンジーロードにはファストフードのマクド(牛肉あり)、ヨーロッパや日本のブランドショップ、世界各国のレストランがあります。治外法権ではありませんがヒンドゥー教文化の届かない範囲です。私たちは一つのデパートとスーパーを回り、その後におみやげ屋さんに向かいました。まるで日本の都会、東京というより大阪の繁華街を歩いているような雰囲気です。女性でもカジュアルな服ばかりで民族衣装はほとんど見かけませんでした。日本人にとってはかなりすごしやすい場所では無いでしょうか。デパートはもちろん爆弾チェックがあり、大きな荷物を持ち込むこともできなければカメラも使えません。カメラが使えても写すことは無かったでしょう、インドの民族衣装を売っているエリアを除けば日本のデパートと品揃えがほぼ同じで、あまり珍しいところはありません。数少ない珍しい売り場といえば額や鼻等に貼るタイプの飾りが大量に売られていました。しかも安い。私の家では使わないだろうと買って帰らなかったのですが、娘がノートなどをデコレーションするときに使えたような気がして、少し残念でした。ものすごく凝った装飾でもインドでは50円程度、シンガポールでも買えますがかなり高額になってしまいます。スーパーではスナック菓子を買いました。ただこのスナック菓子をもって帰ろうとしたところ、インドの出国チェックでストップ。スパイスが使われたお菓子は国外に持ち出せないのだそうです。結局捨てることになりとても残念でした。インドのスナック菓子はとてもおいしいと以前書きました。シンガポールではかなり高額なのですが、インドのスーパーでは激安。でも安いからといっても捨てるには日本人のもったいない精神から言っても忍びなかったです。幸い空港のラウンジに同じお菓子が置いてあって味見だけはできました。お土産屋ではガネーシャの木彫り人形を買いました。子どもたちの学業お守りです。他にも膨大な数の木彫りの人形、凝ったもの、神様も多く面白いことに日本の神様とほとんど形が変わらない神様までいました。とても楽しかったのですが、基本的に日本の繁華街とかわるところが少なくあまり書く事がありません。
Feb 19, 2011
パレス見学が終わり買い物と食事に出かけます。向かう先はバンガロール最大の繁華街、ガンジーロードです。インドの人口は10億を超えたといわれています。国土面積は他の大国にかなわないものの、居住できる場所が多く、暑くても寒くはならないので人口増加があっても土地には困らないような気がしています。ただ移動手段が限られるので、利便性の高いところに集中するのは仕方が無いですね。食料はベジタリアンが多いことから広大な農作地を必要としますが、他の国に比べれば水が豊富で土地もあります。少なくともバンガロールではあまり食料に困ることはなさそうです。太っている人もアメリカほどではないものの少なくありません。パレスからガンジーロードへの道のりは高級と思われる住宅街です。多くが一軒家で、コンクリートの家が立ち並びます。那覇市の首里城近辺をドライブしているような気分になりました。コンクリートの家が多く、熱帯の植物が生えているからかもしれません。日差しが沖縄と同じく高い位置から照りつけているからかもしれません。土地は広いのですが、いろんな場所に野良牛?がいます。ヒンドゥーで牛は神と同様に扱われることからあまり所有されている、つまり家畜やペットになっているとは思えません。牛肉が食べられるのは本当に限定されたレストランだけというインドですが、肉自体、鶏肉と羊くらいしか食べないためベジタリアンが多くそのため生ごみが牛にとってはおいしい食料、カラス以上に生ごみを荒らす牛を見かけ、それが車の移動を妨げている場合もありました。ただ、牛は賢いのか(イギリスのフォーレーではそうでもありませんでしたが)あまり車道には出てきていませんでした。広い土地でも牛がいるとかなり狭く感じるのが不思議です。
Feb 17, 2011
椅子に座る習慣は人間の進化の象徴の様に感じます。もちろん高度な進化ではなく、人類の割と初期段階の進化です。「快適に座るための物を作る」それが椅子です。床に座るという行為は日本ではつい最近まで残っていました。そんな日本人でも既に床に長時間座ることは難しく、和室でも掘りごたつ式でなければ持たない人が増えてきました。人間は椅子に座ることに対して適応しつつあります。そして椅子は、特に近年大きな進歩を遂げました。オフィスで座る椅子は体にあわせていろんな部分が調整可能です。日本は昔から畳に座る事が原則だったためか椅子はかなりいい加減でした。特に私が小学校低学年の頃に座っていた椅子はひどいものでした。ヨーロッパやインドは昔から椅子に座る習慣がありました。そのため、古い椅子でも何らかの目的を持って作られています。玉座の用に威厳を示すもの、ファッション性のみが追求されたもの、一方で長期間座るため通気性がよく体が疲れない構造になっているもの。腰痛が日本人の国民病に近い理由は床に座ること、そしてそれ以上に椅子の文化に遅れがあるからでは無いでしょうか。シンガポールの上司が日本に来たとき、オフィスの椅子に驚いていました。シンガポールでは10年から20年前に使っていた機能しかない「質の悪い椅子だ」というのです。これでは体に痛みが出ると日本の産業医と交渉していました。その結果、周りの人はそのままなのに私の椅子だけ高機能になってしまい、少々肩身の狭い思いをしています(笑)しかしそれほどシンガポールと日本でも椅子に対するこだわりに差があるのです。上司が「家の椅子も見せろ」といってきたのには困りました。幸いそれだけは回避できました。家の椅子にシンガポールの基準を満たすものは存在しないからです。夜に家で仕事をしている事はわかっているので会社の金で買ってもいいとまで言っていましたが…日本のウサギ小屋にビジネス用の椅子は入りません(爆)インドの椅子は古くても座り午後地がよさそうですし、ホテルの部屋やベランダの椅子も快適でした。日本のホテルも見習って欲しい。
Feb 13, 2011
インドとヨーロッパ文化の融合についてはもう書き飽きました。少し違った側面で考えて見ます。既に悪い予感がされている方もいらっしゃるかと思います(笑)ヨーロッパ文化こそ世界の文化の破壊者です…なんて書いた瞬間にこのページから脱出される方が多いかもしれません。強制的であれ受動的であれ、ヨーロッパ文化は世界文化の勝者です。その理由は「便利だから」でしょう。ただ、一方的な文化的支配ではなく地域文化との融合が起こっています。インドでもそして日本でも同じです。今日はアメリカ大陸で起きたような強制的ヨーロッパ文化支配については考えません。日本の例で考えてみれば「衣食住」のほとんどで日本文化を残しながらも西洋化が進んでいます。この場合は西洋化=グローバル・スタンダード、世界的な大量生産により高品質なものが安価に手に入ることを意味しています。ファストフードを中心とした洋風の食事は短時間で調理でき気軽に食べられます。和室だけの家は減り、フローリングの部屋でソファーに座ってすごす人が増えました。和服なんて着ている人を見かければカメラを持って追いかけてしまうほど貴重です(笑)それでもご飯中心の和食、畳の和室に座布団、浴衣や和服など日本の文化はしっかりと残っています。インドに目を向けてみますと、宗教的な背景があってヨーロッパ文化、もしくはアメリカ文化は限定的な流入にとどまっています。男性はほぼ全員ワイシャツにスラックスですが、女性は半分以上の方が民族衣装を着ておられます。食べ物はカレーが中心、スナック菓子まで含めて西洋風の料理を見つける事が少々難しいほどです。一方で建物は最も西洋化が進んでいるように感じます。正確に言えばインド風の建物とはどのようなものでしょうか。学生の頃に習ったインドヨーロッパ語族という言葉を覚えていらっしゃるでしょうか。インドとヨーロッパは文化圏として昔は一つだった予想できますが、間にアラブ勢力が割り込んできたのでしょう。バスコ・ダ・ガマが再びインドを目指すことから「インドとヨーロッパは違う文化圏」という印象を持ちますが、元をただせば一つのグループだったのかもしれません。つまりこのヨーロッパ風に見えるインドの建造物はもともとインド風なのかも知れません。そういう意味でインドの場合は「ヨーロッパとの分離と再融合」という言葉のほうが正しいのかもしれません。このインドヨーロッパ語族に含まれる言葉はロシアを含むヨーロッパの大部分、アメリカ大陸、及びオーストラリアを支配し、アフリカの半分以上を支配しています。日本を含むアジアが英語教育に苦しんでいる事は残念ですが、日本語という文化が残っていることには先人の「日本文化を守る」戦いに感謝しています。
Feb 11, 2011
「外に出てみようか」そう言い始めたのはガイドさんでした。あまりに私と同僚のマレーシア人が写真を撮影しながら楽しそうな顔をしているのでサービスしてくれるようです。ただ、これは彼の話術で誰でもみんなを外に連れて行っているのか、本当に例外的な措置なのかはわかりません。二階の子供部屋からベランダに出てみます。外に出てみればやはり西洋のお城です。あまり要塞と言う雰囲気はありません、まさにアミューズメント・パークにあるような軍事的な守備力を感じる事が出来ない平和の時代の要塞です。インドと言えば多民族国家であり、パキスタンとの紛争もありますが、パキスタン国境から遠いバンガロールは平和な街なのかもしれません。目の前には屋根が壊れたすでに使っていない建造物がありました。一つは植物園のようになったテラスであり、もう一つは食堂(もしくはキッチン?)だったそうです。今は観光地となったパレスですが昔はもっと多くの人たちが従事し、生活をしていたのかもしれません。「急いで戻りましょう」演技かどうかわからないガイドさんに急かされ屋内に戻ります。
Feb 9, 2011
くだらない文章をつけながら(笑)宮殿の内装を見ていただいています。明確に西洋の城郭に影響を受けた内装が印象的でした。インドはイギリスの植民地でした。シンガポールや香港ほど強烈ではないものの、インドにもイギリス文化の強い影響が残っているのでしょう。しかし宗教の面で屈しなかった事は明確です。キリスト教的な装飾、つまりキリスト教の神の絵や神を印象付けるような模様さえもありませんでした。そのほとんどが幾何学的な模様でした。一方で紋章と言うようなヨーロッパらしい「飾り」は熱狂的に取り入れています。イギリス以外に影響を及ぼしている文化があるような気がします。正確にはインドが発祥で広がっているのかもしれません。アジアの様な中華系の影響は全く見られない一方で中東の宮殿で見かけるような窓の形、模様が見かけられます。スペイン南部にはイスラム圏の影響が強く残っていますが、イギリス植民地なのにスペインのような印象を感じるのはそのせいかもしれません。まだまだ宮殿の紹介は続きますが、一度外に出てみます。
Feb 7, 2011
歴史を今の基準で考えてはいけない…これは鉄則です。政治、差別、戦争など重い話は当然としてハンティングという小さな文化にしてもそう…と言いたいところですがハンティングは今でも行われています。日本でも理由が何であれ今でも行われています。ここでハンティングの是非を議論するつもりは無いのですが、どうも時代の覇者はハンティングが好きなように感じます。日本でも鷹狩りというと戦国武将から明治維新の志士まで娯楽としていた日本の覇者のハンティングです。写真を見る限り、インドらしいハンティングの獲物は象や虎です。獲物は椅子などになり宮殿のいたるところにおいてあります。かなり趣味が悪い…。でも、海外の人から見た時日本人の「魚拓」の趣味はどうか、尾頭付きの魚の料理を気味悪がる西洋の人からすれば悪趣味なのかもしれません。だからといって日本の魚拓が悪いわけではなく、文化と言うものはお互いに理解する必要があるように感じています。捕鯨の問題につながるのかもしれません。面白いのはインドが宗教上ベジタリアンの文化であることで、それなのにハンティングはするのです。しかもガネーシャは象の頭を持った神なのに象は格好の獲物になっているのです。日本でも鹿(春日大社)や牛(天満宮)は神獣であるにもかかわらず食べるのですから同じかもしれません。
Feb 5, 2011
私の祖母の家には神棚がありました。特に祈ったり拝んだりするわけではなく、まるで家族のような存在でした。両親の家には仏壇があります。その前で騒ぐ子供たちを「礼儀として」叱ってえしまいます。このように物に神が宿る考え方が偶像崇拝です。ヒンドゥー教ほど神様の数が多い宗教は無いかもしれません。日本も八百万の神とは言いますが、そのほとんどに名前は付いていません。インドでは徹底的に名前がついています。ゲームや漫画の影響もあって日本人も多くの神の名前を知っていますが、正確には仏教にも多くの神が流用されています。仏教にはヒンドゥーの影響が少なくありません。多くいる神々の中で、どの神を信仰するか…つまり家庭に招くのか私は知らないのですが、聞くところによるとやはり人気、不人気があり、ある程度は信仰する神を自分で選べるようです。マハラジャの家ともなりますと、いろんな神々の絵があり中には神と王が並列のような立場の絵までありました。皆様はどのような神を選びますか?
Feb 3, 2011
何事にも好き嫌いというものはあります。私は特に好き嫌いが激しく、それが悪い癖です。芸能人でも嫌いな芸能人が出てくるとすぐにチャンネルを回してしまいますし、子供並みに嫌いな食べ物が多く、家内が料理に困っています。好きなものも「はまってしまうほどに」激しかったのですが、この年齢になるとさすがにそこまで好きになる事は無くなったような気がします。それでも写真には好きな被写体があります。人の背中、夕日、沖縄の海、ヨーロッパの建物、連続する模様、そして影。連続する模様はいろんなところにあります。床、壁、天井…。一番好きなのは人に踏まれてへこみ、少し薄汚れて日焼けした床の模様です。なぜか…それは子供に「なぜカレーライスが好きなのか」という質問をする事と同じくらいに人が理解できる回答は作れません。影は言うまでもないですね、写真は光と影を写すもの。晴天の空と同じほど影が無ければ写真は映えません。
Feb 1, 2011
恰幅の良いサングラスをかけた裕福そうな男性、この写真は誰だと思いますか。彼がバンガロール宮のマハラジャです。庶民的な雰囲気で素敵ですね。この宮殿には鍵が掛かっているドアがたくさんあります。そこから向こうは彼の居住空間なのです。観光客全員にガイドがついているのは、誤ってマハラジャの家に入ってしまうのを防ぐ事が主目的のようです。ドアに近付くだけでガイドはかなりピリピリします。強烈なカーストと言う差別制度を忘れてはいけません。マハラジャは正確な表現ではありません。ラージャがカースト上の正確な表現なのですが、「我こそが王の中の王」としてマハラジャと名乗ったようです。また私の世代にとって、マハラジャは忘れられない言葉で…わかる人は同世代ですね。写真の彼も正確にはラージャです。世界の中でも制度や法律として差別と言うものは無くなりつつありますが、実際には日本でも天皇家が特別扱いされるように、王家が何らかの力を持つ国は少なくありません。オランダやイギリスは王国ですし、アジアでもタイなどはそうですよね。シンガポールも実権は…なんてこれ以上書けば入国禁止になるのでやめておきます。どこの国でもそうですが王家が庶民の格好をする事がはやっているのでしょうか。
Jan 30, 2011
大奥、江戸幕府の長期繁栄を支えたシステムです。日本には奥様と言う言葉がありますが、日本の家庭を支えてきたのは歴史的に女性です。差別だとは思っていません。日本の繁栄を支えてきた世界に誇れる素晴らしい日本文化です。奥様は家庭をコントロールするだけではなく、子孫の教育を管理します。旦那はそのシステムを支えるため労働に集中し、世界に類を見ない「小遣い制度」を確立したのです。家庭の会計は奥様が握っていました。王族繁栄のため、男性に必要とされる事は「好色」かもしれません。特に世襲時代の王族は子孫が途絶えれば内紛や内戦が発生しかねません。国民の平和のためには必要な性格だったのです。Blogなので写真は控えますが、この宮殿には女性の裸の絵画がたくさん飾られています。ガイドさんは「マハラジャの趣味です」と誇りを持って、何度も説明していました。素晴らしいマハラジャだと言う意味なのでしょう。草食系の男子、すでに死語かもしれませんが日本に未婚や少子化の傾向が続いています。インドやシンガポールから帰ってきたとき日本は活気が無いと感じる事があります。子供が少ない(シンガポールも子供は少ない)、若者より中高年に元気があるなど日本らしい…大阪らしい傾向なのかもしれませんがやはりさみしいです。もともと日本は男女平等だったのに西洋的な差別意識で女性の地位が上がりバランスが崩れたのかもしれません。男性に元気が無い、女性から差別を受けていると意識している男性が多いと言う現象が今日本では発生しています。日本人男性は小さな王国の主としてマハラジャを見習うべきでしょうか。
Jan 28, 2011
美術館なのか歴史博物館なのか。バンガロールの宮殿には沢山の展示物があります。数は多いのですが統一性は無く無造作で、個人の趣味を並べているように感じます。しかし写真には歴史があり、王族らしい大胆さも感じます。戴冠式、イギリス風のパーティ、象や虎を仕留めたハンティングの写真。普通の写真もあります。家族の写真、子供の写真、特に子供の写真たくさんあり、子供が好きなマハラジャである事がわかります。マハラジャにとってこの宮殿はBlogのようなもの、自慢の写真をカテゴリー別に並べて来場者に見てもらっているわけです。写真って皆さんに見ていただけるので撮影する気になるのですよね。自分のためだけですと、ある程度は取りますがこれほど、一日に5枚…年間1700枚ほども撮影し続ける気分にはなれません。印刷するのは一回の撮影で5枚ほど、その残りの500枚ほどはBlogが無ければお箱入りです。これほどBlogが続いているのも皆さんが見に来てくださるおかげです。いつもありがとうございます。
Jan 26, 2011
家系を示す紋章を掲げたくなるのは人間の本能だったのでしょうか。日本には家紋があります。家系を示すのですが、私の実家のあたりには「女紋」つまり女系の血族で引き継がれる家紋もありました。私の家は桔梗紋です。今では結納の時くらいしか見かけないでしょうか。その結納自体も減ってしまいましたね。インドの王家の紋章、バンガロールのマハラジャの紋章は…どれでしょう。いつくか種類があってわかりづらいですね。ただよく見ていると、二頭のゾウの上にライオンが載っている紋章が一番多いようです。その紋章の中心にいる双頭の鳥もいろんなところで見かけます。もしかするとこの双頭の鳥の部分が紋章かもしれません。ただこのマハラジャの紋章はイギリス、西欧の紋章に強い影響を受けているように見えます。日本の家紋のような強い独自の特徴は無く、色合いのみが特徴的ですが、イギリスの紋章の形状と酷似しています。中央の双頭の鳥が本来の紋章かもしれないと思ったのは、本来のマハラジャの紋章をイギリス風に装飾しているように見えたからです。ただし、象がいるところはインドらしいですね。
Jan 24, 2011
マハラジャは間違いなくヒンドゥー教徒です。ステンドグラスはキリスト教文化であり、宗教色が強い存在です。インドの文化とステンドグラスが融合すればどうなるのか、その一つの回答がこの建物に見る事ができます。不思議な幾何学模様が連続しています。ステンドグラスの模様はほとんどが曲線で、その模様は花や植物の形になっているようにも見えます。床の模様も、壁の装飾も、ランプの曲線もすべてが同調しているように見えます。色合いは黄色が基調になっているように感じます。なぜ黄色なのか、高貴な色なのでしょうか、それとも単にカレーの色なのでしょうか(笑)窓は上方に向けて狭まる形になっているものが多いようです。これはキリスト教スタイルであるのですが、単にデザインとして、特に気にすることなく取り入れたのでしょう。インドには既に10億からの人がおり、ヒンドゥー教徒が80%程度を占めるため、今は仏教とより人口が多い世界第3位の宗教になっているのだそうです。服装や食事にはこだわりのある宗教ですが、西洋文化の取り込みにはあまりこだわりが無いようです。イスラム教徒の大きな違いかもしれませんね。あ、イスラム教もマレーシアなどを見ると寛容です。クリスマスにはクリスマスツリーが町にあふれかえっています。
Jan 22, 2011
日本の住宅の電燈は室内を昼のように明るくするためにあるように思います。一方で海外では目的が違うような気がしています。日本の蛍光灯が疑似的な昼を演出するのに対し、海外のランプは夜を装飾する事にとどめているような気がするのです。もちろん、海外でもオフィスは日本のように明るくしていますが、家では夜という時間を楽しむ照明になっているようです。キャンドルほどの明かりしか放たないランプが作る影は、たとえ一人の夜でも話し相手をいくつも作ってくれそうです。こんな大きな屋敷で、このような薄明かりしかなければ自然と家族の温かさを感じるだろうし、一人であれば理系の科学者であっても霊の恐怖におびえてしまいそうです。日本人の忙しい生活スタイルは夜の明るさにあるからではないでしょうか。これほどに夜が暗ければ仕事などできないし、テレビも読書も短時間で疲れてくるでしょう。お酒を飲んでゆっくり会話を楽しむのが一番有効な一時になるのかもしれません。ワインの色が綺麗に見える照明なのかもしれません。残念ながら世の中はインターネットにより日本人に近い夜までも忙しいライフスタイルが一般的になりつつあるようです。
Jan 20, 2011
日本のように夜も明るい国に住んでいると、西洋風の宮殿の暗さには辟易とします。日本の家庭が明るいのは今に始まったわけではありません。日本では壁の一面から光を取り込める「障子」という文化がありました。太陽の光を楽しむ縁側と言う文化もありました。日本人は昔から太陽が好きでした。一方で気温が高いインドは、光を遮断し生け垣などにより室内の温度を下げる必要がありました。このパレスは、明らかにイギリス植民地時代にイギリス建築の影響を受けているようです。建物の中は昼間だと言うのに暗く、薄明かりを維持する程度の照明が黄色く瞬いています。コンピュータの国と言う印象が強いインドで、これほど電圧が低く電力供給が不安定であることには驚きますが、自然と省エネが進んでいるのかもしれません。信号に止まるとエンジンを切るインド人(信号が長いせいもありますが)オフィスも照明の管理は徹底されており、細かい消灯が行われていました。しかし日本人にこの暗さはつらいですね。特に写真撮影には手ぶれが激しくて厳しいです。
Jan 18, 2011
入場料金だけであれば200ルピー(約400円)、写真を撮影するのであれば更に500ルピー(約1000円)なのでしっかりと写真を使わしてもらいます。ただ入場料金の200ルピーですが、ガイドが一緒について回ってくれる1時間程度のツアーですから高いとは感じません。写真代金は日本の場合のように撮影禁止にされるより、私にとってはありがたいシステムです。建物に入ると壁に飾られた沢山の紋章が目につきます。その中には象の頭も。さてこれらの紋章について考えてみる前に、いくつか言い訳を…。写真を撮影するときにできるだけ雰囲気を崩さないためにフラッシュは使っていません。その為、暗い室内ですから多少手ぶれが発生しています。またアングルや風景の切り取り方も甘くなっています。ガイドの方がいるのは良し悪しで(なぜガイドが必要なのかはまた別の機会に説明しますが)写真撮影の間は気にせず待ってくれるのですが、やはりこちらが焦ってしまいますし、ガイドの話を聞かないと悪いのでどうしても写真に集中できません。いつもはゆっくりと自分のペースで、しかも同じルートを2回は回るのでどんなに暗くてもピントの合った写真が撮れるのですがどうしても甘くなってしまいました。さて、写真が今一つである言い訳もしたので先に進みましょう。
Jan 16, 2011
リトルインディア、私が経験する事の出来る最もインドに近い場所でした。この時までは。まさか数カ月後に本当のインドに出張するなんて考えてもいなかった頃の一日です。インドとはこのような場所だと信じていました。しかしインドを訪れた後の今、ここリトルインディアはインドと大きく違う事を知っています、何が違うでしょうか。道路…インドの道路の大穴は私たちを異文化に陥れる風穴です。インドで歩道が歩けるなんてことはありません。シンガポールのインド街のような観光地化されたヒンドゥーの地ではなく、彼の地…インドは街のにおい、街を歩く牛、服装からして他の国では真似のできないヒンドゥーの国なのです。いろんな意味でスパイスがきつく効いた国で好みが分かれます。一方でシンガポールのリトルインディアは誰でも気軽にインドを疑似体験できます。大阪の下町にある、ユニバーサル・スタジオのアメリカが本当なのか、疑似体験なのかという風に問えばわかりやすいでしょうか。今だから言えますが、ここはインドではありません。私達、近代的なアジアの都会にする住空間から連続した空間です。平均的な日本人の観光客にはインドよりリトルインディアの方がお勧めできます。交通事故の不安はないですし、食事のバリエーションも多いですし、水も安全、インドより過度に演出されたヒンドゥー社会が待っています。ふと、イギリスでオペラ座の怪人のミュージカルを見ていた時、隣にいた日本女性が「劇団四季の方が良かった」と言った時の感覚がよみがえってきました。本物より少し私たち日本人向けに加工されていた方が私たちにとって「優しい環境」なのでしょう。ただし観光地が多いシンガポールの中でリトルインディアが観光地かと言う疑問はありますし、本当にインドが好きな旅行上級者にガッカリ・エリアであることは間違いなさそうです。本格カレーを食べに行くところ…と言う程度の場所でよいかもしれません。
Jan 15, 2011
バンガロールパレス、バンガロールのマハラジャの住む宮殿です。「住んでいた」宮殿ではありません。インドではカースト制度が今でも残り、カーストでいうラージャ(王)は今でも健在ですし、その中でも特に大きな勢力を持つ国の王であるマハラジャも健在です。バンガロールのマハラジャが今でも住むバンガロールパレスです。インドは連邦国です。国内には主要な言語だけでも15ヶ国語以上あるらしく、英語が今でも広く使われるのは公用語であるヒンディーよりも一般的な共通語だからだそうです。各地域はアメリカのように「州」と呼ばれ、バンガロールがあるのはカルナータカ州です。各州の自治権は強いようで、マハラジャは日本語にするとき「藩王」と呼ばれるようです。私にはこの「藩」という表現の方がイメージしやすいように感じます。マハラジャに実権は無いようですが、日本のかつての大名とは違い、今でもお城に住み大きな経済力を持っているようです。日本の大名が城に住んでいませんが多くは地方郵便局(郵便貯金)を経営しており大きな資産を持っているように、マハラジャも何らかの経営権を握り安定した収入があるのかもしれません。もしくは天皇家のように税金で生活しているかもしれません。そんなツタの絡まる宮殿で暮らすマハラジャの生活を少しのぞいてみましょう。
Jan 14, 2011
これからバンガロールのマハラジャの宮殿、バンガロールパレスを紹介していくのですが、まずはそこまでの道のりを紹介します。インドで働くベンダーさんが観光案内をしてくれることになりました。バンガロールにそれほど多くの観光名所は無いのですが、宮殿にだけは行ってみたかったのでお願いしました。バンガロールは600万人を超える大都市、大阪に匹敵する街です。彼は市内にそれほど詳しいわけではありませんでした。クラクションが鳴らされまくっている大通り、道の真ん中に堂々と止まって隣のリキシャーの運転手に道を聞いています。後ろからは嵐のようなクラクション、バイクが横の隙間をすり抜けています。クラクションの洪水に青くなっていた私は背中にたくさんの冷たい目線が突き刺さるようなクラクションを鳴らされて全く気にしていない彼に驚きましたが、さらに彼の次の言葉に腰を抜かしそうなほどでした。「ドライブはストレス解消になって楽しいなぁ」。解脱の境地かと思いました。同乗者の私たちがストレスで倒れそうなのに、当事者の彼は運転を楽しんでいるのです。「会話も楽しかった」彼はリキシャーの運転手に道を聞いているだけではなく無駄話をしていたようです。さて、日本人が幸せなのかインド人が幸せなのか…どちらだと思いますか?
Jan 12, 2011
料金より高額な料金を請求されることは予想ができていました。それでも一度は乗っておきたい、そんな魅力を持っているのがリキシャーです。先に言わせてもらえれば、大した距離でもないのに日本円で400円も取られてしまいました。相場は50円程度です。金額は大した事がありません。タクシーの方が圧倒的に高いですから。ただドライバーの言い訳が面白かったので紹介しておきましょう。行き先としてホテルまでお願いしたわけですが、まず彼はホテルの場所を知りませんでした。走り出したのは良いのですが方向が違っていたので説明すると、運ちゃんは信号で隣に止まったバイクに乗っているおばちゃんに確認、やっと方向が分かったようです。そこでUターン。Uターンしたとはいえ余分に走った距離は100m程度です。どうにか到着したので、私はチップでも払おうとお金を用意していました。その時、彼が追加料金を請求してきたのです。その理由は「Uターンしたから」。もう少しましな理由は思いつかないのかと驚きました。道を間違えたのもUターンしたのもドライバー、Uターンしなくても普通に左折2回で帰ってこられたし…プロのドライバーらしからぬ失敗をしておきながら恥ずかしげもなく請求できるものだと感心しました。ああ、おもしろかった。こうでなくては旅の気分が盛り上がりません。ただシートベルトがないのに思ったよりスピードが出るのでちょっと怖くて、出張中には使いづらい交通機関です。
Jan 10, 2011
インドではいろんな場所で落書きを見ます。ただしその落書きには尋常ではない気迫が感じられます。ヒンドゥーの神や寺院が微細な書き込みで仕上げてあるのです。以前も書いたのですが、インドではヒンドゥー寺院をあまり多く見かけません。しかし街の至る所に神様がいるのです。落書き、屋根の上、車の中…。生活の一部であり、まるで友人か隣人のように崇めると言うよりは共存しているのです。インドの寺院を見かけないと同時に、インドではあまり神に向かって祈る人を見かけません。イスラムの方たちはいたるところで祈られていますし、日本人もお地蔵さんにお祈りをする子供の姿を見かけます。しかし宗教が生活に強い影響を与えているインドで祈ると言う行為をあまり見かけないのです。人前で祈ることはしない宗教なのかもしれません。日本でも昔、仏像を彫る事が忠誠心の表れだった事があります。このあまりに丁寧に書かれた落書きのような神の姿は宗教的な行為なのかもしれません。そして丁寧に描かれた絵が汚されたり痛めつけられたりしている姿は見かけないのです。日本のような信仰心の薄い人種でも神社マークにだけは悪戯をできないのですから、不思議ではないのですが。さてここまで歩いてきましたが、午後は宮殿見学に連れて行っていただく約束になっていますから急いでホテルに帰ります。
Jan 8, 2011
私には毎日24時間あります。冷静に考えれば無駄な時間が多いのに、常に時間に追いかけられ、圧迫されています。日本人は「忙しい」という言葉がステイタスのようになっており、忙しくないと何か不幸のような感覚に襲われることはないでしょうか。「お忙しいそうで…」という言葉はお世辞にさえなるのですが、奇妙な国ではないですか。インドは、多分なのですが、5000年と言う歴史の流れの中で今でもみんなが生きています。工事を始めれば終わることは考えない、一か所に座ってしまえば何時間も時間が過ぎる…本を読むでもなく、ゲームをするでもなく、ただ自分の周りで起こる雲の進む速度のようにゆっくりとした時間の流れを感じながら時間を過ごす。それが幸せなのかもしれません。日本人として、そのような時間の流れに嫌悪感を持つ人もいるかもしれません。受験生の親など子供が放心しているといらつく?日本の忙しさに疲れている人であれば、インドの体に優しい時間の流れに浸れば抜けられなくなるのかもしれません。この頃になれば、私もインドでのゆったりとした時間の流れを楽しむ事が出来るようになっています。それでもバーではパソコンを開き、部屋ではBlogに書き込みをして、町中ではカメラのファインダーの中から街を見ているのです。インドになじむには年を取り過ぎてしまった、いえ、まだ日本の生活に疲れ切っていないのかもしれません。
Jan 6, 2011
インドの街並み、マクドナルドもコンビニもスターバックスもありません。知っているような店は何もないのです。あるのはパラソル一つで作られた小さな露天ばかりです。その露天、ジェネラル・ストアと言うらしいのですが、スナックやガムか飴のような、小袋に入ったお菓子と思われる商品を大量につるして売っています。街角には花屋さんを良く見かけます。ヒンドゥー教のお供え物としてシンガポールなどでは首飾りのような花をよく見ます。バンガロールではそんな首飾り状のお供え用の花は一度も見かけませんでした。代わりに花籠のような花束を多く、日本の彼岸の花とは違ってカラフルな花ばかりです。家に飾る花ではないのでしょう、通りすがりの女性たちはほとんど目もくれません。店先に男性がたむろしている場合が多く、割り込んで行って何かを買うにはもう少しインドになじまないといけません。巨大なカメラを持って入る込む事が出来ないコミュニティである事は以前にも説明しました。そうはいっても親切な人が多いですから、買う事自体に問題はないでしょう。ただ、なんとなくコミュニティを崩したくない雰囲気なのです。井戸端会議ならぬ、店先会議の場所のようなのです。ただし活気を持って喋っているようには見えません。それがインドの日常なのでしょう。
Jan 4, 2011
あけましておめでとうございます。本日実家より戻ってまいりました。今年もよろしくお願いします。インド人と仕事をした人でしたら間違いなく同感してもらえるインド人のわかりにくい動作があります。それは Yesの動作です。Yesの動作として日本人の頭を下げる「うなずく」行為も世界の人にとってみれば珍しくはあるようですが、それでもうなずくと言う行為はYesを表すグローバル・スタンダードの一つであり、誤解される事はありません。インド人はYesの時に首を左右に振ります。つまり私たちにとっては、いえグローバル・スタンダードとしてのNo、断っているときの動作なのです。最初の一週間とても困りました。何を言っても反対される、インドの人はなぜ日本人の言う事にここまで反対するのか、これは差別かはたまた経済戦闘の前触れか…と思ったら、ずーっと彼らにとってはYesだったわけです。2日目で分かったのですが(一日目の苦労は本当にたいへんでした)、結局一週間してもまだ慣れていません。このYesの動作がNoに見える難しさは、町中に出て行く事を難しくしています。理解はできましたが本能的にはNoに見えます。しかも私の動作が変えられません。Yesの時に首を横に振ろうと思うと、首の筋肉が痙攣しそうか、それどころか首の骨が折れるのではないかと言う難しさなのです。つまり私はYesの意思を伝える事が出来ないまま街に出て行くことになるわけです。まあそんな些末な癖など問題にならないインド文化の激流がホテルの外にはまっているのですけどね。
Jan 2, 2011
少年の頃…プールの飛び込みが大好きでした。泳ぐ事より飛び込みでした。水泳を習っている小学2年生の娘に水泳のスピードではとてもかないませんが、飛び込みだけでは今でも勝てます(爆)男の子はいろんなダイビングをしますから、友人に怪我は多かったですね。NO DIVINGと書いておくことは無駄ではありませんが、どれほどの子供が守ってくれるか…一方でダイビングという単語には少し嫌な感覚がまとわりついています。簡単なところではアトラクションやスカイダイビングなど。「なぜ人は高いところから落ちたがるのか…」毒かもしれない山のキノコを食べる人と同じほど私にとっては不可思議な行動です。スキューバ・ダイビングを誘われただけでもぞっとするのです。しかし世の中は私とは反対の意見が多く「度胸がない人、付き合いの悪い人」と言われてしまいます…Noと言える日本人を目指します(笑)日本が不況な事、またアメリカのグローバル・スタンダードが日本の文化を駆逐しているストレスからダイブ、飛び込み自殺をされる方が少なくありません。私の周りにもおられます。友人や親族と言うほどの身内からは出ていないのが救いではありますが、苦しみながらでも誰でもが幸せに生きていける日本にする努力が必要です。「清水の舞台から飛び降りつもり」でチャレンジする事もエキサイティングな人生に重要なのは確かです。それでもやはり高いところから落ちるのは嫌で、プールくらいの心地よいダイビングのスリルがちょうどいい。
Dec 28, 2010
日本では高価な果物となってしまったマンゴー、なぜそんなことになってしまったのでしょうか。宮崎県知事の商売が上手だったのでしょうね。インドでは日本よりはるかに安い値段でマンゴーが手に入るようです。種類もたくさんあってパイナップルサイズの巨大なマンゴーも販売していました。数万円もするような日本のマンゴーを食べた事のない私が比較する事は出来ないかもしれません。しかし少なくとも私にとってインドのマンゴーは十分に美味で、日本で食べた事があるマンゴーのどれよりもおいしかったのです。100%マンゴージュースは500CC程度もあるのに200円程度でした…太りますが。なぜインドのマンゴーを輸入しないのか、それこそ農業保護に対する関税が設定されているのか…正直わかりません。このマンゴーを日本にもって来て500円で販売したら十分に利益が出るだけ売れるはずですけどね。なお他のフルーツもおいしかったです。なかでもイチジク。フルーツが好きではない私は1年分のフルーツを食べたかもしれません。
Dec 26, 2010
バンガロールはインドのデカン高原にある高地の都市です。気温は一年を通して25℃から27℃程度しか到達しないそうです。インドらしくないですよね。一方で年間を通して気温が下がる事もほとんどありません。そのせいか、気温が低い割には熱帯系の植物が多く育てられています。バンガロールがインドの庭園都市と言われるのは植物が多く育てられ、複数の植物園があるからです。休日にはその植物園まで足を延ばしてみたかったのですが、ホテルが植物園と遜色ないほど緑に覆われているため、タクシーをチャーターしてまで植物園に行く動機が無くなってしまいました。熱帯の花の特徴はいくつかありますが、その一つとして、すごい勢いでつぼみをつけて咲いて散っていく種類が多いように思います。ハイビスカスなどはその代表的な種類ではないでしょうか。ハイビスカスは日本でも冬だけに気をつけていればいつまでも何年でも元気に咲いてくれる樹木です。バンガロールのような気候には適した花かもしれません。もう少し広いホテルの庭を散策します。
Dec 24, 2010
出張でインドに滞在したのは2010年6月の2週間でした。もう2011年になろうとしていますね。出張の合間の土日、休日を紹介しますが…その前に。旅行前、VISA取得の苦労話をしておきます。私たちの会社で少なくとも日本からインドに行った事がある社員は少なく、インドのビジネスVISAの取得方法がわかりませんでした。日本人の場合、あまりVISAの取得に苦労する事はないので油断していた事も確かです。次にイギリス人とマレーシア人にインドVISAの取得方法を聞いたのが間違いでした。旅行会社に聞きましょう。必要もない資料を山ほど手に入れてしまいました。先方会社の社長による招待状、私が勤める会社の社印、しかも個人のビジネスVISAに社印ではだめだといわれて「はらはら」。またインドでの行程の細かいスケジュールを作るのも面倒でした。海外の方たち、中国人やマレーシア人が日本に来る時の難しさを体感しました。結局VISAが手に入ったのは出国の3日ほど前、最後はかなり心配しました。さてそんなインド滞在も1週間が過ぎました。食事には慣れて、ホテルの中にいる分にはそれなりに楽しくなってきました。ただ二万円も両替していたのに使う場所がなく、ルピーをもてあまし気味。週末は少し出かけてみようというきっかけになっていました。先に結果を言えば土曜日で力尽きたのですが。
Dec 22, 2010
散歩した時間を調べてみれば驚いたことに50分程度でした。3時間くらい歩いたのではないかと思うほど疲れました。交通事情も原因ですが、単調な道のり、インド人の歩く速度があまりに遅く、歩調を合わせるのに疲れることなども原因でしょう。正直なところ個人旅行でインドに来るのであれば若い時の方が良さそうです。変化への柔軟性、運動神経、そして強い免疫力も必要のような気がします。今回は本当にホテルに恵まれたと思っていますし、会社には感謝しています。会社はホテルを選択するためにかなり細かいチェックをしてくれていますから、安全面や快適さで心配はありません。インドは本当に好みの別れる国だとは思っています。まず食事は基本的にカレー味なので、カレーがだめな人、ベジタリアン・フードが苦手で魚や肉がないと苦しい人には厳しい国ですね。あと、あくせく動く日本式のビジネスになれている人にとって年功序列よりカーストが優先されるインドにはなかなかなじめないでしょう。インドの紹介にちょっと疲れてきたので、少し日本の紹介に戻ります。
Nov 26, 2010
大した距離を散歩しているわけではないのですが、やたらと時間がかかっています。嫌な汗も流れています。暑いから…多少それもありますが、それ以上に道が渡れない事による冷や汗です。とにかくどうやって渡ったらいいのか理解できません。きっと何らかのルールなり、わたり方があるのだとは感じています。そもそもインドの方は歩く速度がかなり遅いようです。交差点でもゆっくりと歩かれています。また悠久の時間がインドを支配しているようにも見えます。今考えてみれば大きな交差点はわたる場所ではないのでしょう。日本の感覚から言うと交差点の近くに信号があるものです。しかしどうもインドでは交差点から離れた場所、どちらかと言うと大きな建物の前に地下道や簡単な横断歩道など人が渡れる部分があるようです。皆さんその場所を知っているのでゆっくりと遠回りして渡るのがどうやら正しいようです。それでもインドの交通ルールになれるまでに半年はかかるような気がします。
Nov 24, 2010
雨季の晴れ間と言う事もあって、(鼻がやられて帰国してから耳鼻科のお世話になったほど)埃っぽいインドにあっても青空は綺麗でした。でも夕焼けでもないのに少し赤茶けて見えたのは気のせいでしょうか。モンスーンの時期だけあって白い綺麗な塊の雲が頭上を通り過ぎて行きます。経済的な厳しさもあって、インドの方たちは車が信号で止まった時にエンジンを切ります。それでもやはり渋滞があるせいと古いタイプのトラック(ほとんどがTATA)が黒い排気ガスを出していますから環境面ではあまり良いとは言えません。それでも東京よりもきれいな青い空は湿度が低い、高地の気候が影響しているのかもしれません。基本的に空の写真が多いのは、地面の様子がかなり荒れているからです。見た目は完成しているのに、地面がむき出しのマンション風建物。道は穴だらけですし、いたるところで人が座り込んでいます。何をしているわけでもなくただ座り込んでいて、30分後位に往復して戻ってきてもまだ座り込んでいたりします。30分くらいで不思議に思う私の時間感覚の方がおかしいのかもしれませんけどね。
Nov 22, 2010
インドに来て少し楽しみにしていたのがヒンドゥー文化に触れる事、しかし寺院にいたってはシンガポールより数が少ないように感じました。これは多分勘違いです。生活に宗教が溶け込んでいるため、小さな寺院がいたるところにあるようです。今回紹介する寺院は道の中央にぽつんと立って住職さんのような方が一人おられました。インドに来て驚いたのはキリスト教会やイスラム教モスクが少なくない事です。特に真っ黒な服で顔まで隠す厳格なイスラム教徒の服装(ニカーブと言います)はマレーシアより多く見かけました。それでもヒンドゥー教徒の比率は高く、カースト制度は強く残っています。今でも名誉殺人(カーストの違うカップルを両親が殺してしまう風習)は年間で数千件発生しており、後を絶たないようです。カーストは就職先も決めてしまいます。結婚は自分の村の中で相手を見つける事自体が禁止され、恋愛結婚はほとんどなくて、親が相手を決める完全見合い型のようです。最近は恋愛結婚も少し出てきたようですが、名誉殺人が増加する原因になっています。ヒンドゥーは仏教に近い宗教です。多神教ですし、多くの神を仏教と共有します。しかし仏教に比べれば教えは厳格で、カースト、ベジタリアンなど非常に厳しいルールがあります。一方で子供を抑制すると言う考え方がなく、とにかく子沢山、インドの人口はすでに中国を越えたと言われています。今の日本人にはとてもついていけない宗教です。
Nov 20, 2010
インド女性の服装は繁華街を除けば、基本的にサリー風の民族衣装ばかりです。思った以上に民族衣装比率が高い事には驚きました。しかしよく見ると、どうやら簡易型があります。見た目はサリーとよく似ているのですが、簡単に着る事が出来、行動もしやすそう。簡易型はパンジャビ・スーツと言うそうです。貞操を重んじるインドにあって、女性は基本的に肌を露出しません。腕も脚もすべて隠れています。ただしイスラムのように顔や頭を隠すことはなく、半透明のスカーフの下は不思議と腹出しルックです。パンジャビ・スーツは基本的に短めの丈のシャツにズボン、その上に長いスカーフという組み合わせのようです。このサリーやパンジャビ・スーツは大阪並のカラフルファッションで、細かい装飾が多いのです。インドの方はベジタリアンが多いのに、脂っこい食事が多いせいか量が多いのか体格の良い女性が多いのですが、サリーは体格を隠してくれるし体形が変化しても調整が効きそうなので着ていて楽そうに見えました。しかし夜は寒いのでは?特におなかが…
Nov 18, 2010
インドの散歩が難しい理由はいくつかあります。まずは、野良犬が多い事。こんな都会なのでさすがに狂犬病は少ないでしょうが、事情がわからない以上、やはり注意しなくてはいけません。本当の事を言えば狂犬病なんてそれほど気にしているわけではなく、単に犬が苦手なのです。次に歩道が整備されておらず歩きづらい事。あちらこちらに大きな穴があいているので、いつ落とし穴に落ちるかもわかりません。車道を歩いた方が安全です。しかし車、特にリキシャーがやたらと歩道寄りを走るし、路上駐車もしていますから車道を歩くのもかなり怖いのです。私は注意しながらできるだけ歩道を歩きました。もう一つの問題は信号です。基本的に歩行者用の信号はありません。横断歩道には消えてしまいそうな薄い線と、少しギャップになっていて車がスピードを落とすようになっていますが、交差点などは常に車が行きかいます。人は車の隙間を歩くのですが車はウインカーも出さずに車線変更しながら50km/h程度で走っているのです。さらにその間を多くのバイクが縫うように走っているのです。歩行者がいても誰も速度は落としません。車はクラクションを10連続程度で鳴らしながら私に迫ってくるのです。インド人の後をついて渡るのですがつまずきでもすれば確実にひかれます。しかしそんな車道を平然と渡るインド人は少なくないのです。命をかけた駆け引きが交差点では常に繰り広げられています…私にしてみれば。
Nov 16, 2010
写真撮影の欲望は強いのですが、通勤途中に見る交通事情の厳しさと、滞在しているホテルの周りに魅力のある存在がない事、そしてタクシーを捕まえるのが非常に困難であり道に迷うと戻るのが難しい事。ホテルの外に出ようと言う気分はどうしても起こりません。だからと言って2週間ホテルに缶詰めと言うのもどうか…治安状態も今一つ分からない中、偵察気分でホテルの周りだけを歩いてみることにしました。ホテルの前は競馬場、その向こうには公園のようなものがありそうです。さすがに日が暮れる前には帰りたいので今回はそのあたりが限界でしょう。歩いての横断が困難な道路、運よく地下道を見つけました。将来は地下鉄の駅になるようです。地下道を通れば競馬場の前に抜ける事ができました。訳のわからないピーナッツは売っているし、日本人だとわかるのでしょうが日本語で声をかけてくる人がいるし…実にインドらしい、私にとっては新鮮な光景です。競馬場の入り口は開いているし、ガードマンはいますが特に入ってはいけないと言う雰囲気もなさそうだったので足を踏み入れてみましたが…何もありませんでした。
Nov 14, 2010
テロの話は先日しましたが、インドのテロは高級ホテルの外国人を狙うのが一般的、そのために高級ホテルやオフィスの警備は厳重です。ホテルのゲート、入口で厳重な爆弾チェックが行われます。車であれば車の下やトランク、エンジンルームまでチェックされます。ただしチェックの間にガードマンは始終にこやかで毎回のように飴ちゃんを差し出してくれます。エントランスの入り口には厳重な荷物検査の装置があります。ただしこれを使ったのは到着の時だけ、もしくは大きなパーティがあるときだけのようです。こちらのホテルはこの地域で最も高級なホテルの一つですし、大きなパーティ会場を持っているので国賓クラスの来客も多いようです。エントランスのチェックも宿泊2週間目にもなればかなり簡単になってきました。金属チェック用のゲートだけを通ると荷物は見る事もなくなりました。今回散歩に行く時はどうなのかと思えばやはり同じ、一応簡単なチェックはありましたがあいさつ程度でした。でもタクシーのドライバーは毎回厳しくチェックされるのでいつも舌打ちをしていました(笑)
Nov 12, 2010
タジ・ウエストエンド・ホテルには素敵なプールがありました。ただ誰も泳いでいません。休日来てみたところ子供たちが3人ほど泳いでいました。きっとステータス・シンボルとして設置されているプールであって、実用的ではないような気がします。理由は明らかです。真夏でも気温が25℃程度までしか上がらないのです。しかも夜は10℃台に下がってしまうのです。仕事の終わりに泳げるタイやシンガポールとは異なり、ここでは仕事終わりどころか休日でさえも年間を通してほとんど寒くて泳げません。北海道の夏より寒いのです。休日の一日、子供たちが泳いでいても、両親は普段着でプールに入る格好ではありません。子供はどこでも寒さに強い…そして風邪をひくのです。寒さよりも遊びが優先なのでしょうね。私の娘も同じ行動をとるような気がします。ただプールに入らないのであれば、プールサイドの風は涼しく読書などを楽しむことができそうです。私は水着など持ってきていないのでそのまま散歩を続けます。
Nov 10, 2010
外の喧騒を考えるとこの庭の静けさは驚きます。とても贅沢です。ご存知の方が多いと思いますが、インドはパキスタンとの関係に長い間問題を抱えています。テロは決して多くありませんが、皆無とは言えません。死者が160人を超えるムンバイのテロは有名ですが、ここバンガロールでも何度かテロがあり、私たちが訪れる2カ月ほど前にも起こっています。そんな国際紛争がある中で、テラスのベンチに座り小説を読むと言う事は贅沢なのです。なぜならインドのテロは外国人が集まるところ、高級ホテルやクラブが狙われるからです。ホテルの沿道のガードがいかに強固なのか想像ができます。武装ガードマンの数は10名を下回りませんし、荷物チェックの厳しさもよくわかります。先日も書きましたが虫の少なさは驚くばかりで、セミやコオロギというような虫の声が響かないので一段と閑静です。インドの高地にあるバンガロールですから、気温は20℃を少し超えるほどしかないのですが、真夏のような角度から照りつける太陽は肌を焼きそうな強さですから感覚にギャップがあります。さらに木陰となると結構寒い、休日に本を読むときは木漏れ日の当たるところで読んでいました。
Nov 8, 2010
仕事から早めに帰ってきました。まだ会社のネットワークにつないで、仕事をしなければいけなかったのですが、もったいないほどに晴れていたので初めてホテルの外を散策してみることにしました。その前に少しホテルの中を歩いています。以前少し紹介しましたが、宿泊しているタジ・ウエストエンド・ホテルはいくつものコテージに別れており、それぞれが森に囲まれています。曇りの日にはあたりを暗くしてしまう木々ですが、思い切り晴れますと大きな木の葉が緑のシェイドを作ってくれます。インドでこれだけ緑に囲われているのですから当然心配ですよね…何がって…虫が。このホテルのすごいところはほとんど無視を見なかった事です。掃除をしている人たちの姿をあまり見ることはないのですが、床は綺麗に反射するほどに磨かれており、庭にはほとんど落ち葉を見かける事さえありません。こんな日に部屋で仕事をしているなんて人生の無駄遣いにも程があります。
Nov 6, 2010
ユダヤ教を祖とするイスラム教やキリスト教は一神教です。また偶像を作らないイスラム教にいたっては偶像自体を毛嫌いする傾向にあります。イスラム教と近いところに発生したヒンドゥー教は一方で多神教、実に多くの神様が存在し日本でも有名な神様、仏教と共通の神様も少なくありません。事実、仏様もヒンズー教の下位の神様なのですから。そして神様の偶像が大好き、お土産として大量に売られています。日本で有名なのは象の頭を持つガネーシャ、猿の顔をしたハヌマーン、ゲームに頻出の破壊神 シヴァと漫画で有名なシヴァの妃 パールバティ、世界を維持するヴィシュヌ、日本では帝釈天となっているインドラなどがいます。他にもたくさんの神々がいますが、どうも流行というかインドでも好き嫌いがあるらしく、例えば創造主ブラフマーなどはあまり人気がないようです。そんな神々の中で私が一番好きなのはガネーシャ、学問と商売の神様です。商業大国となりつつある今のインドでも人気の神様でいたるところで見かけます。お土産品としても圧倒的にガネーシャが多いのですが、これは他の神様の場合見分けがつかないせいかもしれません(笑)今は私の家にもインドから来たガネーシャが一体います。
Nov 4, 2010
先日インドの物乞いの話をしましたが、一度死んだように固まっている子供を抱いた母親が来ました。さすがに私も悩みましたし、夜寝られなくなりました。翌日、その子供は元気で動いており、昨日は単に変な格好で寝ていただけだったので安心したのですが…。物乞いのために子供を誘拐する(子供を抱いていた方がたくさんもらえる)という犯罪は国際的な問題です。今回は多分違うのでしょうが、インドでもあるようです。貧富の差はあるものの、どうやらインドには水と食べ物に少し余裕がある雰囲気を受けました。もちろん、インドの都会部だからかもしれません。物乞いの数は少ないのですが、町中を見ていると学校に行くことができない子供たちがいるように見えます。靴を履いていない子供もいます。幹線道路沿いはクラクションの音がうるさいためでしょうか、小さくて家の形をなしていないあばら家が多く並んでいました。高級住宅は幹線道路から離れた場所にあるようです。日本のマンションのような豪華なアパートや庭付きの大きな家なども見かけることができました。日本とは異なりカーストという就職を制限する壁があるインド、日本のような逆転劇は難しいのでしょう。ITという最新技術にはカーストが影響しないそうで、誰でも就職できるのだとか。IT産業の町、バンガロールには他の町よりもチャンスが転がっているようです。
Nov 2, 2010
クラクションに対して一考察。日本でクラクションは多くの場合、敵対的です。喧嘩になる事さえあります。これは何も日本だけではなく多くの先進国に共通で東南アジアでも同じです。基本的にはグローバル・スタンダードとしてクラクションは緊急時用か喧嘩を売る時に使います。日本の交通事情に慣れていますと、クラクションの音を聞いただけで動悸がしませんか?クラクション自体がストレスになります。しかしインドでは明らかにクラクションが「挨拶」です。タクシーで約40分の通勤、その間にドライバーは30回程度クラクションを鳴らしていました(ただし一回で連続3回鳴らすので、正確には100回程度)。どのような時にクラクションを鳴らすのか目を凝らして見ていました。するといくつか法則がわかってきました。相手との距離感を測るために用いている、ドップラー効果というか蝙蝠の超音波状態です(笑)またウインカーの補助と言えるかもしれません。近づいている事をクラクションで知らせているのです。リキシャーの後ろをよく見れば「クラクションを鳴らさないで」と書いてある場合が多いのですが、鳴らす側も鳴らされる側もお構いなしです。
Oct 31, 2010
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