多摩理場放送局

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・理髪と理容



 平安時代の元服の儀式に加冠、理髪の所役があって「故実拾要巻九」に次のように教えている。『「理髪とは、一々作法有て髪の末を切を理髪と言うなりー」、「加冠」とは「元服せらるる童形に、冠を令蒙を言也」、加冠の役、鳥帽子を取ってかぶらせ申す人也。引入(ひきいれ)とも言う、理髪の役髪を結ひ、髪をはやす(切ることを反対にいう意味言葉)人也、上記二人役め他に、能冠と言う所役もあって、上記両役の補助者とみられる。下級武人の元服には冠は用いないけれども(引入)「理髪」はあってその式を行った』とある。

 日本では「理髪」と言う熟語が知られるようになるのは明治12年に「理髪人」と記した営業鑑札が発行されるようになってからで、さらに明治34年3月に「理髪営業取締規則」が、警視庁令第ト11号で公布されて公的にハッキリされます。

 現在の「理容」と言う熟語が公的に確立されるのは、昭和10年12月警視庁令第29号「理容術営業取締規則」によってからでした。ただし「理容」と言う言葉の使用され始めるのは大正以前にさかのぼり、東京市京橋の遠藤波津子理容院があり、昭和4年(1992)に国際理容協会、大日本理容協会などが設立されており、すでに業界では一部に新しいニュアンスを表現している人達もありました。


「理容師」
 明治の10年代に「理髪店」と統一され、今で言う「理容師」および「美容師」を総称して「理容師」と呼ばれていました。昭和32年理美容分離により現在の「理容師」「美容師」となりました。当時の美容は髪を束ねる(結う)、化粧が主で、明らかに髪切り、顔剃りを主とする理容とは異なっていた。「理容」と「美容」の細かい違いは「理容と美容の違い」にて。


「師」と「士」
 理容師の「師」は技術の習得に師弟関係があった為で、平成12年の理容師法改正時に学校教育改正(昼間部1年制から2年制、通信部2年制から3年制)に伴い、基本的なことは学校で習得できるということから「士」への変更の声が揚がりました。しかし、理容の技術は学校教育では不十分、知識で行える職ではなく、技術修練、向上による技術者ということでそのまま「師」を使い続けることになりました。



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