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本日、くまもと有機フェスタのこんにゃくづくりにスタッフとして参加しました。 スタッフといっても昨年一度きり参加しただけで、作り方はうろ覚え・・・Iさん指導の下、こんにゃくづくりスタート こんにゃくいもはこんな形。子供の頭くらいの大きさ。重さは約1.8kg。 1)こんにゃくいもはまずゆでて、皮を剥き、小さく切る。 2)ミキサーにかけて滑らかにする。昔はミキサーもないから、石臼でぺったんぺったんついていたそうです。この時、いもの茹で汁を加えます。大きなたらいを用意しておいて、ミキサーにかけたものをたらいに広げ、茹で汁を加えながらこねこね。いもの3倍量の茹で汁を3回くらいにわけて加えていきます。茹で汁が全部入ったら灰汁を加えてさらにこねこね。ゆずの皮を刻んだものを入れると風味がよくていいですよ~ 灰汁は今回大豆の殻を燃やしてつくったもの。そば殻灰汁が一番固まりやすく、稲藁灰汁ではなかなか固まらないそうです。 ちなみに、一般に売られているこんにゃくは「こんにゃく粉」に水酸化カルシウムを加え固めたものです。こんにゃく粉は中国からの輸入物がほとんど。こんにゃく芋は関税率が高いため、粉に加工され輸入されています。 3)弾力が出てきたら、丸めて40分ほどゆでます。今回はこね方がうまくいかず、丸めてゆでた時にバラバラに崩れるものが多かった・・・。こね方がいのち。 昔の人に、こんにゃくいもから「こんにゃく」を作ってみようと思ったいきさつをぜひ聞きたいものです。1kgが4kgの食べものになるわけですから、おなかも満たされるし、食料難の折には夢のような加工食品だったのかも!? 灰汁はなかなか入手が難しいので、今度は水酸化カルシウムでも作って見たいと思います。
2010年11月21日
「今を大切に生きる」って結構むずかしい。 例えば、仕事や学校で嫌なことややらなければならないことがたくさんあったりすると、気持ちは仕事や学校のことで頭がいっぱいで、今ここにある時間をうわの空で過ごしてしまう。今ここにいるのにそこにあるものを感じることができないし、大切にできない。 そんなとき、「スローライフ」にあこがれたりもするけれど、結局他の誰かのスローライフは、イコール自分にとっての「今を大切に生きる」生き方ではない… 自分にとっての「今を大切に生きる」生き方は、例えば仕事をしているときは仕事に集中できる。学校で勉強しているときは勉強に集中にできる。食事をしている時は食事に集中できる。…というように、その時々に「集中」できると、ここにいる「今を大切に生きる」ことになるんじゃないかと思います。 いつ、どこで、だれと、どんなことをしたいのか、より具体的に「暮らしの時間」の過ごし方をイメージすると、その時々に「意味」や「目的」が出来て「集中」でき、そして「今を大切に」できるような気がします。
2010年11月12日
今月のキラキラセットが届きました Kさん夫妻の野菜たちです。愛情いっぱいに育っているせいか、野菜たちも誇らしそうに箱に収まっています。 味もまた格別。特に赤サラダほうれん草は生でバリバリ。食べ出したらとまりません。 冷蔵庫に入れる前に一本、二本とつまんでいると、目ざとく見つけた息子が「ずるい俺も!」と横入りして食べていくほど… ラディッシュは、Naoさんに教えてもらったピンクのスープにしていただいてみようと思っています。さといもは炊き込みごはん、やわらかそうなニラは…など、考えていると楽しくなります~
2010年11月10日
栄養士会が主催する講演会で足立香代子先生のお話を聞いてきました。 テーマは「カーボカウント」 食べものに含まれる炭水化物量=「カーボ」を把握しながら血糖コントロールをする方法です。 最近わかってきたのは、「糖尿病」と診断がついていない人や、肥満でない人(BMI25未満)、また空腹時の血糖値が正常な人でも、食後に血糖値が急上昇する「食後高血糖」の人がとっても多いということです。いつもは高くなくても、血糖の乱高下が激しいことで動脈硬化が進行することがわかっています。 足立先生は実際に、同じ職場の糖尿病と診断されていない人で、食べもの、食べ方を変えて血糖値の変化を見る実験をされていましたが、何を食べても食後の高血糖が見られなかったのは20歳代の人だけでした 食べもの、食べ方によっては誰でも食後の高血糖のリスクはあると言うことだと思います。この食後高血糖の予防に、カーボカウントは有効な方法のようです。 ただ、誰でもカーボカウントを厳密に行う必要はありません。でも、ぜひ押さえておきたいポイントがありましたので紹介しておきます。 その1 ほぼ炭水化物のみの食べものを単品で食べない 「おにぎりだけ」「パンだけ」は血糖が上がりやすい。 「おにぎりだけ」より「おにぎりに目玉焼き」 「パンだけ」より「パンにバター」の方が血糖は上がりにくい。 その2 油を減らし過ぎない。 油で血糖はほとんど上がりません。肥満がなければ、(BMI25未満) 1日に大さじ5~6が目安。(肥満があれば大さじ3程度) 特にオレイン酸の多いオリーブオイルを推奨 その3 油、たんぱく質をつかったおかず、野菜を先に食べる。 コース料理と同じです。はじめに前菜(野菜類)主菜(肉や魚)〆にごはん 炭水化物が油と絡まることで吸収を緩やかにする効果がある。 野菜類の食物繊維も同様の効果。 その4 油、たんぱく質、炭水化物を一緒に食べる。 食事ごとにごはん、肉、魚、野菜などのおかずをそろえて食べることを意識するこ とがやはりベターなようです。 ちなみに、炭水化物を極端に制限した「炭水化物抜きダイエット」ではありません。 あれは短期間では体重が減り、効果があるように見えますが、長期的には筋肉量も代謝も落ち、リバウンドしやすくなります。ご注意を~
2010年11月06日
ちょっと前に弓田さんのルネサンスごはんの本を紹介しましたが、これにのっている炒飯がシンプルでとってもおいしいです。 玉ねぎ、ニンジン、れんこん、しいたけ、ピーマンなどをみじん切りにして先に炒めて取り出しておき、同じ中華なべでひき肉と卵を一緒に入れてそぼろ状に炒め、先に炒めておいた野菜とごはんを合わせてひたすら豪快に強火で炒める。味付けは塩と醤油です。パラパラ感があって香ばしい炒飯ができますよ。 本日は息子の見学旅行でお弁当の日。リクエストがあったので炒飯弁当にしました。 ついでに先日作ったコロッケも添えたから、ちょっと油ギッシュな弁当に… でも、完食して「また作って!」といわれたらやっぱりうれしいものですね。
2010年11月05日
11月1日放送されたクローズアップ現代の「微生物とつながる農業」をみました。 環境保全型農業を推進していくカギとなるのが、人間の農業の営みと、植物の営みをつなげる微生物たちであるという話。微生物のことはまだ1%くらいしかわかっていないということですが、生物多様性を重視しなければならないという話はCOP10でも取り上げられています。 農薬や化学肥料を使うことで安定的に農作物を供給できるようになったわけで、その恩恵があるから今日の豊かな食生活の基盤が築けていることはまぎれもない事実です。ただ、その一方で害のない虫や微生物まで殺したり、土壌の養分が偏ったりすることで環境破壊もすすみました。 食べものも、健康食品としていろんなサプリメントが取り上げられますが、植物の一部分を抽出してからだに入れたとき、どのような代謝を経て、からだに作用するのかははっきりとわかっていないはずです。からだという小宇宙で営まれている生物多様性を重視した食べ方をすることが大事なんじゃないでしょうか。 生物多様性を重視した食べ方って…?? と考えてみると、結局は主食の穀類に主菜の肉や魚や卵、副菜の野菜や豆類や海藻類を食べ続けるっていうことなんじゃないでしょうかね。そしてその中身、材料は、生物多様性を重視して生産されたものを選んで食べるっていうことだと思います。 食べることからできる「環境保全型農業」の推進です。
2010年11月04日
しょうがシロップをつくりました。 ほぼ日刊イトイ新聞の作り方を参考にしました。カルダモン、クローブ、シナモンなどの香辛料が効いていて、とってもおいしいですよ。後、残ったしょうがは今乾燥中。こちらはしょうがチップにしていただくつもりですが、乾く前にちょこちょこつまみ食いしてだいぶ減りました 先日作った手作りのお茶も今日、初めて飲みました。でも味はいまいち… 最近は、先日お茶摘みをさせていただいた船本さんの作った青柳茶を飲むのが夕食後の定番となっていたため、息子も「全然違う!青柳茶がいい!」ときっぱり。 手作りを楽しむことと、手作りが生活に定着することは違いますね。 しかし、たとえおいしくなくても、作ってみて初めてプロの偉大さを実感させられます。 しょうがシロップのほうは冬の定番として、定着しそうな予感です。
2010年10月31日
6月に、1ヶ月間入院、手術、自宅療養をしていました。 子宮内膜症の一種である「卵巣チョコレートのう胞」が見つかったのが昨年末の子宮ガン検診。普通アーモンドくらいの大きさしかないはずの卵巣が、右側だけ卵くらいの大きさになっており、しかも骨盤に癒着したりしていました。幸い緊急性はなく、腹腔鏡手術でキズも少なく、簡単な手術で済みましたが、今回のことで自分のからだのことついて改めて考えさせられました。 私が長年気になりながらもほぼ放置してきたも同然だったのが からだの「冷え」 特に足腰の冷えが強く、冬は靴下をはかないと寝れないほどです。 保温することは、それなりにしてきたつもりですが、そもそも「冷えないようにするため」の養生はしてこなかったんですよねぇ。 よく「からだを温める食べもの」とか「冷やす食べもの」とか区別することがありますが、根本的にはどんなものが入ってきてもそれを使うのはからだ。特に燃やしているのは筋肉です。この筋肉を動かすことをしなかったらいつまでたっても「冷え」は解決しない… という結論に達し、冬に向けてジョギングを始めたのが8月末。 以前はウォーキングをやっていたこともあったんですが、なかなか続きませんでした。そもそも毎日時間がない。短時間で筋肉を温めるまで動かすにはウォーキングでは強度が足りないと思ったので、短時間ジョギングを始めました。 出勤前に近くのグラウンドで2km走る。走ってみたらウォーキングよりも短時間で、ずっと爽快感があるんですね。これがいわゆる「有酸素運動」特有のエンドルフィン効果。ちょっと息が上がってきついかな~という強度があってはじめてこの快感ホルモンが分泌されるんです。すると「楽しい♪」から次の日もまた走りたくなる。そんな感じで雨が降らない限りは毎日の日課になっています。 これから冬本番。冷えの抜本的対策となるか!?また近くご報告します~
2010年10月30日
今年は6月に手術し、自宅療養していたため田植えができなかったのですが、稲刈りは参加することができました。 …といっても、残念ながら本日は雨 そこで、少し雨足が強まる前に、自宅で掛け干しできる程度、それぞれ刈らせていただきました。 来月、足踏み脱穀と唐箕をつかって脱穀、精米をみんなで体験したいと思います。 それまではみなさん、自宅でじっくりかわいがってくださいね
2010年10月24日
料理の本とかたくさんありますが、結局どれも、家庭の食として定着しない私です。でも最近、何度も繰り返し作っている料理本がこれ。新版 ごはんとおかずのルネサンスこんぶ、いりこ、厚かつおぶし、大豆や刻みアーモンドなんかを水に一晩どかっとつけこで、ひじきなどの乾物や根野菜、こんにゃく、きのこなどをあく抜きせずに加え、砂糖もみりんも使わず、基本的には醤油と塩の味付けでコトコト煮込む料理が多いんですが、とっても簡単なうえに素材の味がコラボレートして深い味わいになります。忙しい朝でも、とにかく前の日にだしになる材料を水に入れて仕込み、翌日切った食材を入れてコトコト。その間に洗濯したり準備したりしていたら、いつの間にか出来ています。海と大地のミネラルもたっぷり!天然のサプリメントです。この本のいいな~と思うところは、「砂糖やみりんを使わないためにする料理法」ではないところです。いろんな食材の持っている味を組み合わせることで生まれる味わいには、結果的には砂糖やみりんを使う必要がなくなるというところが気に入っています。いろんな料理を並べるような、バラエティー豊かな食卓にはとてもできませんが、一品の中の食材をバラエティー豊かにすることならできそうです。そして季節ごとに旬の素材の一品を極めて、それが子供にとっての「うちのかぁちゃんの味」になれば最高です。「かぁちゃんの味」として極められるように「またこれかい!」と言われても、しつこくしつこく、作り続けていきたいと思います。
2010年10月22日
10月16日(土)に、八代市泉村の船本製茶工場で晩茶づくりをさせていただきました。 晩茶は遅く摘んだ茶葉を使用するため「晩茶」といわれるそうですが、新茶が摘まれた後にまた新芽が出ていて、とてもきれいな新芽を摘ませていただきました。 摘んだ葉を束にまとめて釜で40~1時間ほどぐつぐつ煮ます。枝と葉が分かれたものをざるに上げて乾かす。 水分を取るために4~5日乾かします。カビないようにこまめにかき回すのがポイント。また、2日目にくらいでよく乾いてきたら、煮た汁を霧吹きで吹きかけるとつやが出ていいそうです。完成するためには、さらにそれから袋に入れて2~3ヶ月熟成が必要。今回は半乾きの状態でいただいてきたので、現在我が家のベランダで乾燥中です。 船本さんが作られる「青柳茶」など、たくさんのお茶も飲ませていただきました。今まで味わったことのない豊かな香りがほわ~と広がります。このお茶は「釜炒茶」で、中国より300年にわたって伝えられた技法で作られているとのこと。ちなみにこの釜は、今では船本さんと、阿蘇波野村の方しか使われていないそうです。今まで特にお茶にこだわりがなかった私でしたが、今まで「おいしい」と飲んでいたお茶とのあまりの違いに愕然としました。 ちなみに、今回は同じ茶葉で、紅茶作りも体験させていただきました。 こちらは生葉を天日に1時間ほどさらして、茶葉をもみます。ひたすらもみ続けること約1時間。同じ茶葉なのにまったく違う香りにつつまれました。その後、濡れタオルで覆って日のあたるところで発酵させます。その後、110~120℃にホットプレートなどの上で乾燥させて出来上がりとのことでしたが、今回は気温が低かったため、お世話いただいた方に仕上げていただき、後日いただけることになりました。こちらも楽しみです♪
2010年10月17日
今年は稲刈りで終わらず、続きをやりました! Nくんのおばあちゃんとおじいちゃんを先生に「納豆」と「しめ縄」作りです。 納豆作りは、それぞれのうちで大豆を1合ずつやわらかく煮てくることからスタート。 やわらかさは味噌と同じで指でつぶせるやわらかさです。 この大豆をくるむための藁づとを編みます。 30~40cmに切りそろえた藁を紐を通して編んでいきます。 この藁づとに、煮た大豆を再び人肌より少し温かい程度に温めなおし、市販の納豆を少し だけ混ぜます。 この大豆を温度が冷めないうちに藁づとへ。 藁づとをさらに新聞紙でくるんで、温度が人肌程度をキープできるように、カイロを入れ、 さらにバスタオルでくるみ、段ボール箱に入れて新聞紙で隙間を埋めます。おばあちゃんは 1升の大豆で11本の藁づとを仕込むそうで、このくらい量があれば、藁づと同士で保温効果 があり、米袋に籾殻を入れて、その中に藁づとを沈めておけばカイロとか使わなくても十分 保温できるそうです。 こうして保温した藁づとを丸2日寝かせると、納豆が完成 私は今まで、なんとなく藁づと納豆って独特なにおいがあってちょっと苦手なイメージ だったのですが、この納豆は少しだけ混ぜた市販の安定した納豆菌と、藁の常在菌が うまくコラボしてすごくおいしい納豆ができますよ。できた納豆は塩を少し加えるだけで 十分おいしい! さらに! 納豆を作ったこの日、おじいちゃんに藁でしめ縄綯いを教えていただきました。 市販のしめ縄って、米が実る前の青い稲を刈り取って作られているって知っていましたか? それもそのはず…今の藁って、雨風で収穫前に倒れないように品種改良され、昔よりずいぶ ん太くて硬くなっているんですよね。 この藁をおじいちゃんにトントンと編める程度までやわらかくしていただきました。 しめ縄作りの様子は夢中になりすぎて写真を撮るのを忘れていたのですが、 おじいちゃんが簡単そうに綯っていくのに比べて、すごく難しい… 結局ほぼおじいちゃんに手伝っていただいた状態で完成! そして昨日、我が家で飾り付けをして玄関に飾りました。 今年は田植えからしめ縄まですごく充実した実りを実感させていただいたことに大感謝! みなさま、よいお年をお迎えください
2009年12月31日
先日、総指揮・監督てんつくマンの最新ドキュメンタリー映画「107+1 ~天国はつくるもの~ 奇跡は起こり連鎖する」を見てきました。 生と死、貧困、環境破壊… 日常と隣り合わせにある現実から目をそむけずに、出来ることから動き、つながり、 楽しみにながら、笑いながら大きな動きに変えていく人たちの姿に あっという間の2時間でした。 映画の終わりに、てんつくマンが「忙しいは心を亡くすと書くでしょ。」 と言っていましたが、本当にそうだな~と思いました。 日常のあわただしさの中で、目の前のことしか見えず、大事なことを忘れかけている… そんなことを教えてくれる映画です。 「子どもの世話や仕事で自分のことどころじゃない、忙しい!」 と思っている人こそぜひ、見て欲しい映画です。 熊本では近々 11月20日(金) ウェルパル熊本1F会議室 10時半 開場 11時~13時 上映会 大人1000円 こども無料 で上映会があります。親子で見れるスペースあり! qt.bird(アットまーく)softbank.ne.jp 中山さんまで。 今後も、全国各地で上映会があるそうですからきっと身近なところで 見るチャンスがあるかと思いますので、ぜひ足を運んでみてください。
2009年11月07日
楽しもう会でいつもお世話になっていたKさん夫妻が農園を去って半年。 Kさんとの交流は続いていますが、農園に出向く機会はめっきり減ってしまいました。 私にとって、自分ひとりで畑を管理するのはものすごくハードルの高いことだったのですが すでに自分で市民農園を借りているばんばんさんやnahokoさんの後押しもあって 8月末から農園の片隅を「野菜いっぱい農園」と名づけてお借りしています。 早速手はじめに、みんなでダイコンやら小松菜やらを蒔いてみたのですが まだ気温が高く、夏の虫たちが悪さをして見事に全部やられてしまいました。 もうぼちぼち涼しくなってきたかな~と思ったので、 先週末、息子と一緒に白菜とブロッコリーの苗、にんじんの種まきをしてきました。 しばらくきていなかったので、草だらけ… お隣のMさんが、手押しの耕運機を出してくれて、耕やすのを手伝ってくださったり もう立派な畑になっている同僚の看護師Yさんが声をかけてくださり これまた立派なごぼうを収穫させてくださったり 久しぶりに土にまみれました。 Mさんにいただいた今年最期のプチトマトは、ドライトマトにして Yさんからいただいたごぼうは、炊き込みご飯とごぼうチップスにして食べました。 気持ちもからだも浄化されたような気がしますね。 免疫力も高まったかも
2009年10月31日
ついに…うちの息子のクラスもインフル流行で学級閉鎖になりました。 期間はとりあえず今週火曜日から金曜日までの4日間。 状況が悪ければさらに長引くでしょう。 うちの子は元気で、休みになってかなりハイテンションですが…当然冬休みは短くなります ところでこのような場合、共働きで仕事をしている人は突然 「仕事1週間休みます。」はかなり厳しいですよね。 我が家の場合は隣の実家にお世話になっています。 …というより、日々、隣の実家なしでは暮らしが成り立たないのが現状です。 保育園のように、仕事の都合に合わせてお迎えに行けるわけでもなく、 夏休み、冬休みも当然のことながらやってくるわけで… 長期休暇は学童保育を利用してはいますが、それも定時で下校ですし。 本当に助かっています。 余談ですが、夫も含め、義母、義兄、義妹、みんな今まで一度も インフルにかかったことがないらしい。 潜在的な免疫があるのか??? 不思議です。
2009年10月28日
今年も稲刈りに参加させていただきました。 開口一番、田んぼの主Mさん曰く「今年の米はちょっと自信があるんです。」 お昼にいただきましたが、味も抜群!実りに感謝です。 手馴れた手つきで稲を刈り取る子ども達。成長を実感! そして母は強し。 私たちが今回収穫させていただいたのは「ヒノヒカリ」 横の方に植えた黒米や赤米は まだちょっと収穫には早い。ただ、こちらは風で倒れている稲が目立ちます。 ヒノヒカリと比べると、背丈も高いし、藁も細い。 でも、こちらの黒米や赤米のほうが原種に近いそうです。現在の稲は、コンバインで 刈り取りしやすく、また雨風に負けないようにずいぶん品種改良されているんですね そこでふとした疑問が… 私たちが普段食べているお米の藁って、ものすごく太い。 これで「しめ縄」とか編めるんだろうか… Mさんに聞いたところ、しめ縄専用の田んぼをつくっている人がいるらしい。 しかも…しめ縄用は稲が実る前に刈り取られているらしいです。 なんか複雑ですなぁ… 今回、刈り取った稲は、それぞれ1~2束ずつ持ち帰り、架け干しすることにしました。 それを来月持ち寄り、足踏み脱穀機と唐箕(とうみ)にかけて脱穀する予定。 そして12月には、残った藁で藁づと納豆を作る予定です! できれば赤米の藁をいただいて、来年用のしめ縄も作れたらと思います。 師匠は栗拾いでお世話になったNくんのおじいちゃん。宜しくお願いします~
2009年10月24日
…の後に続く言葉は?責任…をとる 責任…感責任…を負う 責任…がある辞書で「責任」を引いてみると、「当然果たさなければならない義務や任務」「失敗や損失に対する責めを負うこと」とある。「義務」や「任務」という言葉は、拘束感が強い。一方で、「この範囲はやる」けど「それ以外はしない」というニュアンスも感じてしまう。おまけに「責められる立場を任される」なんて…ずいぶんネガティブじゃありません?最近、ある人からこんな話を聞きました。「責任とは、立場を引き受け、 自分ができる範囲で何ができるかを考え行動すること」英語で、責任とは「responsibility」「Response=応答、反応」+「Ability=能力」ということらしい。なんだか背筋が伸びました。どこにいても、誰といても、どんな立場でも、その時の自分のベストを尽くしているか?振り返らなにゃならんと思いました。
2009年10月07日
私は小さいころからわりと「ほめて育てられた」と思う。まぁ、ある程度の年齢になれば、それがさほど秀でたものではなかったことにも気がつくのだけれど、親から自信をつけて育てられたことはよかったと思っている。…が、ひとつだけ。例外があります。それは「運動」に関すること。特別ダメだしを受けたわけではないけれど、「うちの家系は運動は得意じゃない」と言われてきたためか、運動に対して感心や、少しでも向上したいと思ったことがなかった。なので、小、中、高、大学を通して、クラブや部活動等でも「運動」に向き合うことなく大人になりました。そんな私が…こともあろうか今年、「運動」を人に教える立場になってしまいました。私の職場で開いている健康教室のひとコマです。そういうことになった以上、このままではいかんということでフィットネスクラブにも顔を出しました。例えばエアロビクス。エアロビクスの教室はALL鏡張り。いつも通っている人たちが楽しげに踊りまくるその横で、ワンテンポ遅れてついていけない私…そしてそんな姿も全身鏡に映ります。「いやだな~、もう来たくないな~」そういう気持ちになりました。でも、その経験からわかったことがあります。運動が必要な人こそ、フィットネスクラブの敷居は高い。運動が好きな人は、運動をする必要性なんていう理屈はいらないはず。だけど、運動が苦手で、避けてきた人ほど、本当は運動が必要。現に健康教室に来る人たちはこのタイプの人がほとんどです。運動のハードルが高かった私は、運動が得意でない分、運動の敷居が高い人たちの気持ちはよくわかる。そんなわけで、「何で運動が必要なのか」「運動すると身体はこんな風に変わる」「誰でも出来て続けられそうな運動は何か」そんなことを考えながら、仲間と一緒に教室を運営しています。そして私も、「働きながら、このくらいならできそう」な筋トレや、10分ウォーキングをできる範囲で実行中。運動や筋肉のことも、勉強してみるといろいろと面白い発見があるものです。その話はまた今度!
2009年10月04日
…というものがあるらしい。「自分の関わったのはここまで」「あなたが言ったからこうしただけ」だから私は悪くないと主張する人が最近増えているらしい。う~ん。私はどうだろう。私の場合、友人関係や職場関係では常に「調和」を心がけている。違う意見をもった相手でも、一端は受け止めて、調和を試みる。一端は長いものにも巻かれてみる。「人に流されやすい」そんな自分が嫌だなと思うこともあるけれど、巻かれて調和をはかりつつ、自分の意見もいうように心がけている。そのほうが、結果的には自分の意見も受け入れてもらいやすいようだ。「私は悪くない」まず自己主張ありきでは、人間関係ではあきらかに損をする。私は経験上、そう思っている。だけど…親や夫、子どもなど、とても身近な人になるとそうはいかない。外と家とで違うのはなぜだろう?身近な人ほどお互いに「感情」をすぐ口に出してしまっているような気がする…「感情」がぶつかりあうと、「自己主張」がぶつかりあう。「私は悪くない、悪いのはそっち」とつい、言いたくなってしまう。「自分を殺して相手にあわせる」はよくないけれど、「感情」をすぐ出す前に、「調和」を心がけるようにしたい。これからは特に、家族が少し離れて暮らすようになるからこそ。それはとても大事なことのような気がします。
2009年10月03日
ハンコ部長カキノジン氏の「がりがりはんこ部」に参加しました。 もう何度も参加されているnoharaさん夫妻のハンコ部での作品を見てあこがれての参加です。自分の掘りたいハンコの下絵を持ってきて、石に転写、ひたすらコツコツガリガリ彫ります。今回、私は息子のHARUの顔ハンコをつくりました。 カキノジン氏は大阪在住のホリプロ(絵ハンコ作家)さん。このハンコ教室もあえて「教室」と呼ばず「ハンコ部」というところがカキノさんの人柄を物語っていますね~。雰囲気がゆるやか~で、ピリッと光る笑いのセンス。そして漂う気品。また行きたいです。次に行くまでに、家族の似顔絵でいくつかハンコを作ってみたくなりました。 似てますか?
2009年09月28日
10月から、夫が福岡へ単身赴任することになりました。 いろんな捉え方があると思いますが、 同じ職業人として 私はちょっとうらやましいです。 期間限定で(…現時点でははっきりいつまでとは決まっていないのですが…) 新しいメンバーと新しい地で、仕切りなおしてスタートできるチャンスですから。 この際、我が家も家族関係をここで一度仕切りなおし、 週末家族体制を整え、お互いが気持ちよく過ごせる関係と環境を 作っていこうと思います。
2009年09月27日
秋の味覚、「栗」ひろいを堪能してきました。 今回、お世話になったのは同僚Nくんのおじいちゃん、おばあちゃんの大切にされている栗園です。栗ひろいは初めてだったのですが、本当にとっても美しい栗園で、栗も絵に描いたようにきれいな栗でした。 「私は栗の木を見ているのが好きなんです。」といわれるおばあちゃん。栗の木の剪定をきちんとされることで、日の光が入り、風通しもよくなるとのことで虫もあまり発生しないそうです。拾った栗はほとんど、虫が入っているものはありませんでした。 落ちた栗はイガイガにくるまれていますが、靴の裏で押し広げるようにあけて、中の栗を取り出します。だから子どもも安心して素手で栗ひろいができました。 しかも本日のお昼は豪華にバーベキュー。Nくんのおうちは養豚もされていて、そのお肉も食べさせていただきました。お世話になった上に、手作りの栗団子や露地栽培のすいかなどもいただいて、大満足の1日。ありがとうございました~。おばあちゃんに教えていただいたのですが、栗は皮を剥いてから一晩水につけてあくをぬき、冷凍保存するといつでも使えるとのこと。今日はたくさん採らせていただいたので、これからいろいろ使い道を考えたいと思います。
2009年09月23日
みなさま、お久しぶりです。シルバーウィークはどこも車で大渋滞のようですね。私は水俣の愛林館で企画された「田助手(たすけて)」に参加してきました。 棚田の広がる水俣市の山間地息にある愛林館で行われる「田助手」は、減反政策や高齢化で耕作できなくなった棚田の草を刈るボランティア企画です。草がはやしっぱなしになっていると、いのししの絶好の身の隠し場所になり、米を生産している他の棚田を荒らしてしまうことになるそうです。このシルバーウィークはこの「田助手」に参加する人が入れ替わり立ち代り、草をひたすら刈り続けます。 草は電動の草刈機で刈ります。草刈機は直径20cmくらいの丸い草刈刃が高速回転する非常に危険な機械です。初挑戦でしたが、かなり慎重に、かつ安全な扱い方を丁寧に教えていただいたので、とても楽しく作業ができました。 参加されていた方々とも、前日からいろんな話ができてとても充実した2日間でした。また、友達を誘って参加したいと思います。お世話になりました~
2009年09月22日
雪で開催が遅れていた1月の楽しもう会を先週2月1日(日)に開催しました。 今回はしいたけのコマうち体験。コマうちだけなら雪がふっても、原木を伝承館に持ってきていただければできたのですが、今回はどうしても「現場」にこだわりたい理由がありました。 国産が注目されるようになり、原木しいたけをいただくことはもはや当たり前になりつつあります。ですが、私自身「おいしい!」以上に深く考えたことはありませんでした。それに、コマうちすればどんどん出てきてすぐ食べれるものと思っていたんですね。伝承館で丸太を持ってきてもらい、それにコマうちするだけだったらたぶんまだそう思っていたんじゃないかと思います。 今回お世話になったAさんは、菊池の山間部で干ししいたけとお茶を生業にされています。Aさんにまず案内されたのは、日当たりのよい山間の傾斜面。ここには伐木されたクヌギの丸太がたくさん並んでいました。 「しいたけの菌は生きている木にはつきません。」 木を切る=死んでいるではない。 伐木された丸太は、1年ほど枝や葉をつけたまま乾燥させます。伐木時期が重要で、木が冬眠する寸前で、水を地下から上げず、また栄養分を幹に十分蓄え、春の芽吹きに備える紅葉がはじまったころが最適だとか。 「木を切る前に、幹のところに少し傷を入れてそこに耳をあてます。すると「シュシュシュ」と木が水を上げる音がする。この音が1分以上聞こえるようであればその木はまだ葉を枯らして冬を迎える準備をはじめていないということだから、まだ切るのは早いっていうことなんですよ。」とAさん。 そうして乾燥させた丸太に、今回コマうちさせていただくことになりました。 木にドリルで穴を開けていただいているところに、しいたけの菌がついたコマを打ち込んでいきます。中には「親方」の称号まで与えられるほどはまっていた子も… ちなみに「こまを打ったところからしいたけが出てくる」わけではありません。これから丸太全体に菌が流れ込み、樹脈にそってしいたけが出てくるそうです。コマうちされた丸太は「ほた場」といわれるところに運ばれ、ここで2年、3年としいたけが出続けるまで栽培されます。Aさんはこのしいたけを乾燥させ、干ししいたけにされるわけです。 Aさんのほた場 私はよその「ほた場」を見たことがなかったのですが、他のほた場を見た人いわく、すごっくきれいで感動した!とのこと。 Aさんにそのことを尋ねると、「たくさん量をとろうと思えば、もっと間隔を狭めたらいいんだけど、しいたけが気持ちよく過ごせるようにと思ってるから…」と笑って答えられました。 お昼に外でのっぺ汁(熊本の郷土料理です。根菜たっぷり温まります。)をつくり、とれたてのしいたけの炭火焼をいただきました。 子ども達はコマうち以外でも、森をかけまわり、かえるの卵を発見して春を感じたりと大興奮の半日を過ごしたようです。コマうちだけではなく、しいたけの育つ場所で、そこの空気や大地に触れながら体験ができたこと、Aさんの生業である「農」への姿勢を肌で感じたことは大きな収穫でした。 そして今年も、みんなのぴかぴかの笑顔のために、人と人をつなぐお手伝いができたらこの上ない幸せです~
2009年02月08日
早いもので今年も残すところあと2日になりました。今年はブログに力を入れる余裕がなくてずいぶん失礼も多かったことと思います…スミマセン…でも、見てくださっている方々に背中を押していただいて、たのしもう会だけは、毎回遅ればせながら、更新させていただくことができました。ありがとうございました。 さて、今日は、先日14日(日)の今年最後のたのしもう会で障子の張替えに挑戦したことをご報告します! いつもこの活動の拠点にさせていただいている伝承館では、今年大きな変化がありました。それは、たくさんの有志の方々のご協力で畳が新しくなったことです。畳表には、筑後市で減農薬で栽培されている井口さんの「灯芯草」という品種のい草が使用されています。 その畳にふさわしく、障子も、今年伝承館でお世話になったみんなの手で張替えて一新させようというのが今回の趣旨です。 まずは古い障子紙を剥がす作業から。 梁が壊れた部分はタコ糸で補修。ものを大切にする知恵の伝承ですね。 紙をはっていきますが、のりも手作りで。今回は小麦粉を練ってのりをつくりました。 少しずつぬって、障子紙をはっていきます。 みんな真剣です。「ぴんっと張るのがなかなか難しいな~」 そして完成!時間はかかりましたが、貴重な体験をさせていただくことができました。 今年はみなさんにとってどんな一年でしたか? そして来年はどんな年になるのでしょう。 世の中いろんなことがありますが、こんな時代だからこそ、かえって本当に大事なものや、残し継ぐべきものが、見える時代になっていくのではないかと思います。 無いものねだりより、あるものを生かす視点へ 今年も1年ありがとうございました。 皆様、どうぞよいお年をお迎えください。
2008年12月30日
11月24日(祝)に、念願だった楽しもう会での味噌作りに挑戦しました。 昨年のちょうど今頃、こにくまさん主催の米米(まいまい)クラブでお世話になって初めて味噌作りに挑戦しました。麹は仕込んであるものを購入したとはいえ、大豆と塩があれば、思っていたよりもずいぶんと簡単に出来ることを知り、まさに目から鱗。「来年は絶対楽しもう会でみんなでやりたい!」ということで今年実現することができました。 今回も、地元のお醤油屋さんで麹を事前に注文。九州といえば麦麹を使った「麦味噌」が主流ですが、東京出身のKさん夫妻はどうも麦味噌になじめないらしい…Kさん曰く「どうも麦味噌はあますぎる」確かに塩分が控えめな麦味噌は、大豆の甘みがより残る味噌なのかもしれません。これで育った私たちはよくわからないのですが、味噌といえば「米味噌」味噌汁としえば「赤だし」で育った人からすればうなずける話です。そういうわけで、今回は麦と米の麹をあわせた「あわせ味噌」にすることにしました。 まずは作業に取りかかる前にお味噌について考えてみよう!ということでお味噌クイズをやりました。 「味噌はどんな料理に使う?」「味噌は何からできている?」「味噌はできるまでにどれくらいかかる?」「3ヶ月も外においているのに、腐らないのはなぜ?」「麹って何からできているの?」 「え~!カビを食べるの?」などなど、子ども達の驚きの声も上がる中、あらためて考えてみると、大人も無意識でいたり、知らないことがたくさん。第一、味噌はそのほとんどが大豆なのですが、「米みそ」だの「麦みそ」だのと聞いていると、「大豆」なんて言葉は全然出てこないわけで、知識として「味噌は大豆から」なんて言っていても、実感としてはやはり、作ってみないと湧かないものだなと思ったりしました。 今回大豆はそれぞれの家庭で煮たものを持ち寄ることになっていましたが、第一の関門「大豆をやわらかく煮る」ところをクリアしなければなりません。これは圧力鍋を持っていないとなかなか厳しいものがあります。不合格だった人は少し追加で煮てもらうことになりました。 大豆が煮えれば後は子どもたちの大好きな「こねこね」タイム。こねこねしながら大豆をペースト状にしていくわけですが、少し大豆の形が残っているところがあるのも手作り味噌のよさでもあります。 よく練りあがったら、端のほうに寄せて、麹と塩をよーく刷り込み合わせていきます。硬さの調整で煮汁や水を加えていきますが、ここからが力仕事。みんな気合が入ります。これが「手前味噌」のよさですね。人はそれぞれの「乳酸菌」を持っています。だからその人の手が入ることでその人の乳酸菌などが入り、その家庭独自の菌がブレンドされることでその人、家庭の味噌の味に仕上がっていくのだそうですよ。ちなみに女性のほうが母乳を出す関係もあって、乳酸菌が多いのだそうです。出産前、また子育て中のお母さんが混ぜる味噌はまた格別ですね。今回の参加者のお母さんも、12月に出産を控えた方もいらしていました。出来上がる味噌が楽しみです。 味噌作りをみんなが終えてしまうまで、外ではKさんが男の子連中を引きつれ羽釜でご飯炊き。お米は前回みんなで収穫した「たのしもう会」のお米です。 味噌は食べられるまでに3ヶ月くらいかかりますが、今日は冬瓜の味噌汁と、みんなの手が入った新米でいただきます! 今回の味噌作りも、いろんな家庭が集まることで、我が家だけでなく、いろんな人、仲間の手が入った手前味噌になりました。やってみると意外と簡単。でも、買うのはもっと簡単だから、1人で、1軒で「味噌をつくるぞ!」というのも師走の忙しい時期、ちょっとハードルが高いかもしれません。でも、日にちと場所を決め、みんなが集まってやるとそんなハードルも少し低くなるような気がしました。 来年もまた、みんなでみんなの「手前味噌」ができるといいなと思います。
2008年12月07日
我が家のバケツ苗と、Mさんのところで稲刈りして持ち帰ってきた一株をあわせて約1合強のお米は、今朝、ごはん3杯分に炊き上がり、家族3人の胃袋に収まりました。 稲刈りは10月18日、抜けるような青空の元で行われました。 子ども(実)をたくさん授かった稲穂たちです。そのまま食べてもほんのり甘い。 稲刈り用の鎌は刃がギザギザしていて、株元を持って軽く引くだけで子どもの力でもザクザク刈ることができるんです。その感覚が何とも心地よい♪ 刈ったお米の脱穀、乾燥は今回、機械を使いましたが、1~2株ずつはそれぞれで持ち帰り、掛け干しすることになりました。 実は、私は「掛け干し」を「陰干し」と勘違いしていました。 掛け干しは、稲穂を下に向けて軒下などに掛けて干すという意味で、株元の養分を、お米に余すことなくいきわたらせるという目的があるようです。 2週間ほど干したのち、先日HARUと2人で脱穀、もみすりに挑戦。 茶碗をひっくり返して稲穂を引っ張るとぱらぱらとお米がはずれていきます。 当然ながら、籾殻(もみがら)と米が入り混じった状態…うちわを使って軽い籾を飛ばし、選別。2年前に唐箕(とうみ)という道具を使って餞別したのを思い出しました。(その時の様子)原始的なんだけど、効率的。 籾摺りはネットで調べてたどり着いた「ボールとすり鉢」を使う方法。なぜかボールは江川卓氏のサインボール。価値を知らん人が使うとこんなことになります…。(だって硬球はこれしかなかったからね)でも、実用的なことに使われて本望かも。摺っては「フー」っと息を吹きかけて籾殻をとばし、また摺る。その繰り返しで顔じゅう籾だらけに。しかも摺った籾って結構鋭くて、顔を洗おうとしたら、なんと皮膚に細かく刺さっていました。ごしごし洗いなんてしたら傷だらけになる感じ… 後でわかったことですが、みんな瓶に入れて棒で突いたりとか、手で摺ったりしてこの籾摺りで相当苦労した模様。これが一番効率的な方法だったらしいです。結局江川氏のサインボールはその後、noharaさんのところまで派遣され、活躍しました。 今朝、圧力鍋で炊かれ、ご飯として食卓にのぼりました。 ごま塩を少しだけふって大事に大事にいただきました。とってもとっても甘くておいしいごはん。田んぼのいのちから私たちのいのちになるまでのお米の旅、完結編。こんな体験をこれからも、少しずつみんなと重ねていけたら素敵だな~
2008年11月09日
またまた更新が遅れてしまいましたが、9月21日に「農と食を楽しもう会~稲かり直前企画・田んぼの観察会~」を行いました。 昨年までは、田植えをして、その後いきなり稲刈りというパターンだったのですが、苗をもらい、家でバケツで育ててみるとその成長過程でも無意識だったいろんなことに気づかされました。今回は、そんな「普段気がつかないこと、無意識でいること」をあらためて意識してもらうことをねらいに、観察会に入る前にグループワークを設けました。 まず、みんなに好きな食べ物をどんどんあげてもらって、その中で、「毎日食べても飽きない食べもの」について考えてもらいました。「俺、あめ玉だったら毎日でもいけるな~」という声もある中、「じゃぁ、毎日それしか食べられないといわれたらどれを食べるか?」に話が発展。結局残ったのは「ごはん」と「水」と「牛乳」でした。 ちなみに牛乳は、子どもたちの意見。理由は「毎日給食で出てくるし、毎日飲まなくちゃいけないんだよ。」とのこと。水は、「のどが渇いたらがまんできない。」ごはんは?と聞くと、「お米を食べないと力がでない。」とか「お米を食べなかったらすぐおなかがすいてしまう。」という意見でした。 力の元になる栄養がたくさん入っている食べ物はごはんだけではないけれど、よその国に頼ることなく、身近な農家の人たちが作ってくれる作物で、みんなが主食として十分食べられる穀類は「お米」だけだということ、今はよその国の安い食べものがたくさん入ってくるからお米を食べる回数も、量も減ってきていて、そのためにお米を作っている人たちもだんだん減ってきているという話。子ども達も頭をひねりながら考えてくれた後だっただけに、神妙な顔で話を聞いているようでした。 その後、雨脚が強まるなかで、田んぼの観察会に入ります。 観察ポイントは3つ1.自分たちが手植えした田んぼと、お隣の機械植えしてあった田んぼとの違い。2.どんな生きものがいるか?3.1本の稲にお米が何粒育っているか? 手植えした後は、隣と比べるとちょっとさみしいというか、スカスカしている印象があった私たちの手植えの田んぼ。今は、隣と区別がつかないほどびっしりと成長しています。「隣よりも株と株の間隔が広いね。」という意見も。お世話してくださったMさん曰く、「間隔を広くすることで、風通りもよくなり、養分も行き届きやすくなるようです。」とのこと。最終的には植えた本数は少なくても、たくさん分蕨して1本1本がしっかりした稲に生長し、大粒の米を実らせるようです。 この1本の稲にお米が何粒育っているのでしょうか?それぞれグループごとに予想して、数を数えてもらいました。 結果1本の稲に約100粒のお米が実っていることがわかりました。 1本の稲に100粒。では、1株で何粒のお米が実るのでしょう? 実は、1株で実るお米は約1000粒。1000粒のお米は重さにして約20gです。ということは、お米をごはんにすると、1杯はお米3000粒分(=3株分)ということになります。 この3株=1杯ぶんのお米が育つと、その周りではどのような生きものたちがいるのでしょうか? 残念ながら、今回、雨脚が強かったため、生き物の観察が十分できませんでした。その中でも元気に飛び回っていたのがやはり「カエル」たちです。稲を刈るころになると、田の生きものたちは徐々に姿を消すといわれます。青々とした稲は子孫を残すために種(米)を実らせる。その種を狙ってすずめなどの鳥たちがつつきにやってくるのもこの時期です。田んぼという舞台で、生きものが育ち、食べたり食べられたりを繰り返しながら今も、昔もこれからも、命はつながっていく…それをずっと代々見守って来たのがお百姓さんたち。お米と生きものとお百姓さんの関係。私たちが食べものとして米を選んで食べるということは、お米そのものと、そこで生かされている生きものと直接繋がることでもあるわけです。環境を守るために日本人のほとんどの人たちが参加できること。それが日本の米を食べる続けることなのかもしれません。 次回10月はいよいよ稲刈りになるわけですが、その前に、お米をおいしく炊けるようになろうということで、今回からたのしもう会では「羽釜」を購入、みんなで釜戸でごはんをたくことにしました。 実は伝承館では、今もKさん夫妻が愛用している五右衛門風呂が現役で活躍しています。「羽釜も五右衛門風呂も理屈は一緒だよ。」とKさん。子ども達は五右衛門風呂でもおおはしゃぎ。 出来たてごはんと共に、今回参加者に呼びかけたのが「我が家のキング オブ ごはんの友を一品ずつ持ち寄ろう!」という企画。集まったおかずを見て驚いたのが、みんな使っている食材がほとんど一緒(笑)時期はずれの生野菜を持ってきている人は1人もいませんでした。旬や季節に寄り添うことをテーマに取り組んできたことが、みなさんそれぞれに伝わっているようで、スタッフ一同うれしくなったひと時でした。 いよいよ来月は稲刈りです。台風がこのまま来ないことを祈りつつ、大勢で手狩りするのが楽しみです。
2008年10月06日
ブログには食農活動関係ばかりをUPしていますが、私の日常の仕事の大半は、健診センターで健康診断の結果が出た後の相談業務です。 受診者は40~60歳代の方が多いですが、U-40の受診者に多い、気になる事例を紹介します。 36歳女性のSさん。出産経験あり。検査結果はすべてA判定(優良)私「結果はすべてA判定でしたが、何か健康上気になることはありませんか?」Sさん「痩せませんね(笑)」身長150cm、体重52.7kg。出産前は49kgだったとのこと。確かに少し増加しているし、同じ女性として気持ちもわからんでもないですが健康体重で考えると問題なしです。ただ、A判定をよくよく見てみると、糖尿病の検査として行う糖負荷試験で、ちょっと気になる数値を発見。糖負荷試験とは?空腹状態で75gのブドウ糖が入ったジュースを飲んでもらい(激甘ですが、炭酸が利いているので、サイダーと思えば結構いける味)1時間後、2時間後に採血して、血液中の糖分を調べる検査です。Sさんの場合、空腹時は80mg/dl、1時間値143mg/dl、2時間値126mg/dl。健診の種類によって判定基準も一律ではないですが、厳しい基準で見ても、空腹時100以下は正常だし、2時間値も140を切っていれば判定は正常と出ます。私「妊娠中に糖尿病に関して何か指摘されたことはありませんか?」Sさん「そういえば、妊娠中はおしっこに糖が出て、何度か再検査したことがあります。」おしっこの糖は血糖が170mg/dl以上ないとなかなかでないのです。Sさんの場合、妊娠中は、特別甘いものを食べなくても、普通の食事で170以上を超えていたのだと思われます。 血糖を下げるために働くインスリンは、すい臓から出ていますが、日本人はもともとすい臓の機能があまり強くない人が多いので(もともと農耕民族だし、カロリーの高いものを食べる機会がほとんどなかったから、強いすい臓は必要なかったのでしょう。)血糖値があがりやすいのにくわえて、脂肪が増えるとさらにインスリンの効きを悪くする阻害物質まで出てきます。妊娠中はいわば「肥満負荷試験」をしているようなものです。体脂肪が増加したときに糖が出やすい人は、出産後もそのまま体重が増加したままだと、インスリンの分泌が悪いうえに効きも悪いという状況下に置かれ、すい臓は、弱り目に祟り目、10年、20年後と経過していくうちに疲弊して、インスリンの出がいよいよ悪くなり、糖尿病へと移行していく確率が極めて高くなります。 そういうわけで、Sさんは、健康体重ではありますが、やっぱり体重は少し落としたほうがよいということになります。「妊娠中のときは糖が出て気になったけど、妊娠中毒症にならなかったからよかったのだとしか思っていなかった。そういうことだったら今から注意しようと思います。」といわれてSさんは帰られました。 今、特定健診で話題となっているメタボリックシンドローム。内臓脂肪を減らせば改善されると期待されている項目の中に、血糖値も含まれますが、60代以上になると、痩せても血糖はなかなか改善しません。それは長年のすい臓酷使の結果、脂肪がとれて阻害物質が出なくなっても、すい臓自体が弱ってしまっているから。「もっと早く、自分の体のことを知っておけばよかった。」健診結果が出た後に、30代や40代の早い段階で、体質や経過も踏まえて体の仕組みまでお話が出来るのはほんの一握りです。大半の方は結果通知が後で送られてきます。「A判定」を見たら間違いなく「私は健康」と思うし、それ以上考えることはないでしょう。 健診をうければ健康になれるわけではありません。健診結果から自分の体のことを知ってどう生かすかまで理解して初めて意味があるものになります。その橋渡しをするのが私たちの役目であり、プロとして期待されるところだと思っています。 最後に糖負荷試験ですが、できれば30~40代のはやい段階で一度はしてほしい検査です。(両親が糖尿病の傾向がある方は特に!)また、HbA1c(ヘモグロビンA1c=糖化ヘモグロビン)という検査項目は最近よく実施されるようになっていますが、これも5.2%以上ある人は早めにすい臓をいたわってあげてくださいね。
2008年09月03日
6月にMさんの田んぼで田植えをさせていただいたときに、余った苗をもらってきて、バケツで育てています。 バケツに職場からもらってきた生ごみリサイクルの栄養たっぷりの土を入れ、田植えの時と同様、苗を真ん中に植え付け。 それを見た隣の母いわく 「なにそれ、波平さんたい。もちょっと植えんと育たんどた~い(笑)」 それが今ではここまで成長しました。 花が咲き始めています。Mさんによると、花の寿命は3日ほどで、その3日間に大雨や台風があれば、受粉率がさがり、不作になるとか。。。 田植えは今年で3回目でしたが、田んぼが自宅や職場から離れていることもあって、間がどうなっているのかわからずじまいでした。自宅で1株でも育ててみると3ヶ月の成長ぶりがダイレクトにわかります。 母が「HARUは生きものとか好きだもんね~将来どうなるんだろうね~」 というので、 「行く頭があれば、九大の農学部の剛史さんのところに行けたらいいけどねぇ。どんな人に出会えるかで人生変わるからね~。」 なんて話をしていた30分後に1本の電話が… 「もしもし?たなひろさん?佐藤剛史ですが、今から菊池でワークショップやりますよ。」 またまたシンクロ現象。不覚にも2日前にご連絡いただいたメールを見逃していた私…。急遽JA主催の食と農のワークショップに参加させていただくことになりました。 剛史さんのポリシーは 「正義・正論で人は動かない。面白たのしく世の中を変える。」 前回のブログにも書きましたが、「こうあるべき」的正論は世の中にあふれていますが、あらためて問われると「どうしてそうなのか?」ということを自分の言葉で考えようとしていない、誰かの意見を無意識に自分の意見として同化させてしまっていることがたくさんあるような気がします。 肩肘張らない、無理しない。でも逃げずに向き合う。それをみんなで考えながら「自分だったらどうするか?」「自分のために、誰かのために自分は何が出来るか?」ファシリテーターはオーケストラの指揮者のような存在かもしれません。 ファシリテーターのことを知って1年。剛史さん、そして奥さんの倫子さんのワークショップに参加させていただくたびにその魅力にはまっていきますが、実力は当然ながらまだまだ及びません…が、目標になる人がいることで、日々試行錯誤しながらも前進できることに大感謝です。
2008年08月31日
暑かった夏ろそろ終わる気配ですね。私にとっての夏の一大イベントである、「医食農夏期セミナー」職場で29年続いている事業で、今年も39名の方にご参加いただいて、2泊3日共に同じ釜の飯を食べつつ有意義な時間を過ごすことができました。セミナーの真ん中に当たる2日目には、公開講演会を開いているのですが、(ちなみにセミナー参加者以外の人も、この部分は無料でお話が聞けます。)今年の講師は宇根豊(うねゆたか)さんでした。宇根豊さん1950 長崎県島原市に生まれる1973 福岡県農業改良普及員となる1978 減農薬運動を提唱・普及1988 新規参入で就農2000 福岡県庁を退職。農と自然の研究所設立「農薬?とんでもない、無農薬、せめて減農薬でなくちゃ」今現在、この食に対する価値観を多くの人が持っています。日本の農業人口は3%。そんな中、食料自給率は40%「先進国中ダントツ最下位?これはいけない、なんとかしてもっと自給率あげなくちゃ!」でも、こんな問いを投げかけられたら…みなさん何と答えますか?「有機・無農薬栽培、安全安心の食料を確実に輸出するという国があれば、日本に農業はいりませんか?」 「何が起きても絶対に、裏切ることなく確実に食料を輸出するという国があれば、日本に農業はいりませんか?」こんな答えも返ってくるかもしれません。「遠くから食料を輸入すると、輸送に莫大な燃料が必要だ。環境にもよくないぞ!」フードマイレージという考え方もありますね。では、「環境に負荷をかけない輸送手段が開発されれば、日本に農業はいりませんか?」ここまでくるといたちごっこなのですが(苦笑)でも普段私たちがまっとうで当然のことだと思っている思考や発言を、自分自身は本当はどう考えているのか、なぜそう思うのか、ほとんど考えずに、誰か(偉い人とか有識者とか)の発言を無自覚無意識のうちに同化させてしまっていることにまず驚かされます。農業の価値を考えたとき、食べものの安全、安心、必要量の安定供給以外に何があるのでしょう?宇根さんの問いは続きます。「赤とんぼは好きですか?」会場では大半の人が「好き」と答えました。一部、「何とも思わない」という人たちもいます。嫌いはゼロでした。「なぜ好きなんですか?」という問いに「なんとなく、風情がある。」「昔を思い出す。」「夕焼けこやけの赤とんぼ♪」と答える客席。心の中にある赤とんぼの思い出や風景があるようです。私たちが「風情があるな~自然っていいな~」と思っている四季折々の景色の大半は百姓が作っているんだ!というのが宇根さんの主張です。日本から農業が消えれば、食料は確実に輸入できたとしても、赤とんぼは確実にいなくなります。なぜならトンボの99%は田んぼで生まれているからです。赤とんぼとの特別な関わりもなく、大人になればとんぼを見ても「何とも思わない」安全安心に興味はあっても、身の回りの自然が少しずつ消え、季節感が消えていくことに抵抗感はないかもしれません。農の価値が食べものの安全、安心、安定供給だけですか?といわれたときに、「なんとなく違うな~」というもやもや感があるかないか、そのあたりが最後の砦かもしれませんね。普及員という指導的な立場であった宇根さんが、一方通行ではなく、お百姓さんたちと共に田んぼに入り、生きもの調査を行って、害虫、益虫、ただの虫の分布を調べ、田んぼの生態系を知り、必要上に使われていた農薬を減らす運動を地道に展開されたことが、今日の減農薬、無農薬栽培の農産物の流通につながっていることはいうまでもありません。その裏側にはお百姓さん自身の農薬による深刻な健康被害、それでもなお、売れなくなったら生活が立ち行かないからとその事実に目をつぶってきたつらい過去と葛藤も見えてきます。しかし私を含め、残り97%の消費者はあまりにも目の前の食べもの以外、その向こう側のことを知らなすぎることを改めて痛感しました。最後に宇根さんはこういわれました。「生きもの調査なんてこざかしいことかもしれないれど、農へのまなざしを取り戻すきっかけになれば」「まなざし」科学が発達し、世界が情報で繋がって昔の何十倍、何百倍の速さと量の情報を私たちは手にすることができるようになりました。そしてその情報に、より詳しい人たちの集団ができ、より専門的に分化することになります。例えば私の職業は管理栄養士。その中で、専門職として果たせる役割や使命とはなんだろうと考えたとき、この食べものが体にいいとか栄養があるとかないとか。それ自体を知っている、身につけていることを、知らない人たちに向けて情報を振りかざすことではなく、食と自らの体とのつながり、また食が農や自然へつながっているということに、まなざしをむけ、気づくきっかけとなって初めて生かされることなのかもしれません。今回私の中に一番大きく響いた言葉でした。
2008年08月23日
皆様ご無沙汰しております~。7月の農と食を楽しもう会のご報告です。前回はMさんの田んぼで田植えを体験させていただきました。ここKさんの畑は2ヶ月ぶり。5月に見たあの青々とした麦たちは、今回思いがけずこんな形での再会となりました。みんなで麦を踏み、Kさん夫妻が収穫して完成した「養生うどん」この小麦にできる限りかかわりたいとの思いから、お二人は機械を使わず、一株一株大切に手刈りしたそうです。その後、無農薬小麦しか扱わず、昔ながらの製粉機でゆっくりと時間をかけて外皮ちかくまで製粉をしてくださる製麺所にお願いし、水と自然塩だけを加えてこのうどんが完成したとのこと。今回はこのうどんの試食と、夏ならではの一品「ざる豆腐」をみんなで作る体験を企画しました。作り方はネットやふるさと食の名人集などをみても様々な方法があるようですが、今回は昨年、「棚田食育士初級講座」で水俣市久木野の食の名人Nさんに教えてもらった方法で挑戦。一晩つけておいた大豆をミキサーへ。どのくらいの固さまでミキサーにかけるかは、Nさん直伝の「100数えたくらいがちょうどよか。」にしたがって忠実に再現。大体2分間くらいでしょうか?その後、大鍋に移して、火にかけて、沸騰する直前で2回差し水をします。火が通ると、青臭いにおいから甘い豆乳の香りに変わります。濾して、豆乳とおからに分けるのですが、今回は濾し袋として「手ぬぐい」を活用しました。最近は何かの景品として「手ぬぐい」をもらうこともほとんどありませんが、これをふきんにしたり、古くなったら裂いてはたきにしたり、怪我をしたら包帯代わりに使われたり、切れた下駄の鼻緒の代用などなど用途が多かったとか。無駄のない日本の知恵のひとつですね。豆乳は70℃~80℃でないとにがりを入れても固まらないため、再度火にかけます。おからはこのあと卯の花に変身しましたが、市販のものよりも大豆の味がずっと残っていて「おから」というよりもご汁の「呉」と言ったほうがいいくらい。味付けは薄くても、おいしい卯の花になりました。豆乳ににがりを加えた後、10分ほど蓋をして蒸らしたものを、下にボールをしいたざるに固く絞った先ほどの「手ぬぐい」の上にそっと広げます。「さらさらしとる」「ほんとに固まるの?」ゼリーや寒天のように固まったものがでてくると想像していた子ども達はとても不安げでしたが、やがてこんな豆腐が完成しました。うどんも豆腐も、はじめは何もかけずそのままでいただくことにしました。舌で味わうだけでなく、鼻から抜ける風味を一緒に味わう感じ。なんというか味が「立体的」なんですね。その後、お醤油バージョンでもいただきましたが、そこで今回使ったのが「生揚げ醤油」です。本醸造で発酵熟成されたものを過熱処理する前のお醤油でまさに「生きた醤油」です。九州のほうは特に甘い醤油が人気で、甘くない醤油は「鹹い(からい)醤油」と評価してしまう風潮があります。今回この醤油は確かに甘くはないですが、鹹くもない。これもまた味が立体的で奥が深いのです。今回も大人も子どもも初めての貴重な経験がたくさんできました。ところで、このところのブログ更新のとどこおりをご心配してくださったみなさま、ありがとうございます。毎年そうですが、夏はとても忙しくてあわただしく過ごしております。まさに「休む暇がない」状態…ところで、「暇」は用事のない時間のことを指すようですが「隙」とは物事と物事の間に横たわる時間そのものを意味するようです。その時間に人がかかわり心と手を尽くすことが「手間隙」今回挑戦した豆腐も、麦踏みからみんながかかわってできた養生うどんもそういう意味で「手間隙」がかかっているといえるでしょう。確かに今は「暇」はありません。でも、暇がないから「手間隙をかけられない」わけじゃない。忙しい中の「隙」をどういう気持ちで過ごし、かかわるのか…あらためて考えさせられる貴重な時間になりました。この企画があるから、日常のあわただしさに飲み込まれたり流されっぱなしにならずに立ち返ることができているような気がしています。ブログはこんな調子でぼちぼち更新ですが、引き続きお付き合いのほどよろしくお願いします~。
2008年08月02日
おひさしぶりの更新になってしまいました~。今月の農と食をたのしもう会「田植え」のご報告です。 私たちスタッフは今回で3回目になるMさん所での田植えですが、たくさんの子どもたちと一緒に参加するのは今回が初めて。心配していた天気にも奇跡的に恵まれて、日も照らず、雨もほとんど降らず、田植えには絶好の日和でした。 まずは恒例の自己紹介。そして、Mさんの農業のこだわりや、田植えをさせてもらう田んぼで、これからどのようにお米が成長していくのかについてお話をしていただきました。こういう前置きがあるのとないのとでは意気込みも全然変わってきます。大事な時間です。 いよいよ田植えの開始。まずは苗を田んぼに投げ入れます。そして中へ!一歩一歩、足並みをそろえて植えながら後ろに下がっていきます。意外だったのは小学生以上の子供たちのがんばり。きっと半分くらい植えたらリタイヤして遊びに夢中になるのではと思っていたのですが、最後まで植えきりました。午前中には作業を終え、お弁当タイム。地元で評判の「お米屋さんがつくる手作り弁当」を注文してみんなでいただきました。ここのお弁当のごはんにはMさんのお米が使われています。ここで紹介したのが、以前このブログにも書いた1杯のお米の値段の話。今回田植えをさせていただいた田んぼから6~7俵のお米がとれるとのこと。これは6~7人分の約1年分のお米に相当します。Mさんのお米は1杯24円。1kgあたり400円ですが、農協を通す一般的なルートだと、農家さんはこの半分のお金で取引するのだそうです。節約は大事なことですが、「何にお金を払うか」「どこに価値を置いて高い安いを判断するか」についてあらためて考えさせられます。また、今回初めて参加してくれた、栄養士仲間のNくんからはこんな感想をいただきました。「小さい子ども達と一緒に田植えができて、懐かしく感じました。今はみんな大人になって今は実家の田植えを手伝うのは僕だけですが、小さいころは、たくさんの兄弟やいとことこんな風に遊んだり、怒られたりしながら家族や親戚と田植えをやっていました。あの頃を思い出して心があったかくなりました。」 機械化とともに、時間も労働力も短縮され、その分多様な生き方を選択できる時代になりました。田植えの風景の写り変わりもそのひとつでしょう。そのときに置き忘れてきた暮らしや人とのつながりを、求めている人は確実に増えていると感じています。田植え体験は今、学校では増えてきているそうですが、学校だけではなく、親も子も、農家も、そして食べている人も一緒になって体験する機会がもっともっと増えればいいなと思います。 今回は、苗も少しわけていただきましたので、何人かでバケツ稲づくりにも挑戦する予定です。M農園たなひろ支部もがんばります~
2008年06月25日
前回のファシリテーター養成講座で学んだコミュニケーションの障害となる「アホになりますモード」このモードに突入すると、お互いの意見や感情だけがぶつかり合って、事実から脱線、逸脱してしまい、いいことなしの結果を招いてしまう…わかっていながら最近、息子の算数事件でこのモードに入りっぱなし。「ナベアツスパイラル」状態です。 HARUが小学校に入学してから早2ヶ月。本格的に「お勉強」が始まったわけですが、ぼちぼちテストの答案なども返ってきています。国語は「あ」とか「い」など、文字の練習や、簡単な文章の音読が中心なのですが、算数が…「20点」が連発で返ってくるのを私は想定していませんでした。確かに外遊びが中心の保育園だったし、幼稚園の教育事情がどうなのかよくわかりませんでしたが、それなりについていけるものだと思っていたので本当にびっくり。そして親子ともども「セルフエスティーム(自尊心)」が落ちまくり・・・。 最初は冷静に対応して教えていたものの、「何でわからんの~」と次第にいらいら。息子は息子でわからない自分にいらいら。私にも当たってくるし…ついつい口げんかになってしまいます。 でも、落ちついて事実を整理すれば事態も飲み込めてきました。 ■にあうかずをかきましょう。 「6は4と■」「8は7と■」 最近の算数は「考え方重視」みたいで、昔みたいにはじめから「4と2をあわせるといくつですか?」という出題はされないようです。 しかし… 疑問なのは、国語の進捗状況。国語はやっとひらがなを書いたり短い文章を繋げて読むのが精一杯で、その文章の意味するところまで到達していないのに、出題の意図がどのくらいわかるのだろうか。息子が言っていた「だって意味がわからんもん。」というのは算数がわからないという前に、「問題の意味がわからない」のだろうと思いました。 ちなみに今日もちかえってきた算数の宿題は 「きょうしつに 5にん います。 ひとり でていって、3にん はいって きました。そのあと、 4にん でて いって、 6にん はいって きました。いま きょうしつにはなんにん いますか。」 出題者につっこみをいれたくなるのは私だけ? 息子は「俺、算数わからんもん。」といっていますが、これで算数がきらいになってほしくないなと思います。(7個のお菓子を3人で分けていると即効「1個あまるじゃん」というあたりで安心はしていますが…算数の真髄はそこにありといいたい。) ゆとり教育の事情がだんだんとわかってきたような…小学生を持つ親のみなさん。そのあたりどうなんですか?
2008年06月05日
先週日曜日、2回目のソフトカイロプラクティックを受けました。今回は夫も一緒に施しを受けることに…。夫は朝起きて第一声が「ちょっと肩もんで」だったり、重いものを持つと何日か腰を曲げてあるかなければならなかったりするほどの問題児です。これはいろいろと指摘を受けるはず…と思っていたところ 先生曰く「肩も腰もそんなに悪くないですね。」 どうやら悪かったのは背筋だったようです。 「いつも寝るときにどんな姿勢で寝ていますか?」 言われてみれば、夫はいつもひざを曲げて横向きで寝ている姿を頻繁に目撃します。しかもテレビを寝そべって見ながらそのまま朝まで寝てしまっていたり…また、営業で運転時間が長いため、腰がいつも曲がったままになっており、筋肉が硬くなっているのだろうということでした。 他にも私と同様、首がずれているところを修正してもらったりしていたので、偏頭痛の改善に効果があればと思っています。 ところで、今回、夫に関して「絶対私より状態が悪い」と決め付けていたのですが、先生には「たなひろさんのほうがよくないですね。」とあっさり言われてしまいました。私の場合全体的に 「筋肉が少ない」 ということ。小さいころから運動という運動をことごとく避けて生きてきたため、筋肉が全体的についていない。こういう人は即骨に負担がかかってくるとのこと。今はともかく、10年後、20年後を考えると、どう考えてもこのままでいいはずがない… というわけで、毎日帰りがけにウォーキングして帰ることにしました。腕を軽く振りながら歩幅を広くして歩くと、全身がバランスを保とうとするので足だけではなく、全身の筋肉もバランスよくついてくると、先生も推薦されていました。 何事も「自分ごと」として捉えられないと行動は変えられない…次回受けるときに少しでも筋肉がついたと言われるように、日々低いハードルからチャレンジしていこうと思います。
2008年05月30日
本日は先週に引き続き、ファシリテーター養成講座<後編>です。 前編では「自分の思考を客観的に知る。」事実、意見、感情を区別し、ありがちな「意見、感情のスパイラル」に巻き込まれない(いわゆる「アホになるますモード」詳しくはこちら)など、ファシリテーターのあり方(態度、心構え)を学びました。 今回は実践編です。4~5人のグループに分かれ、議題についてファシリテーター役を交代しあいながらグループとしての「結論」を出すロールプレイをしました。 お題「学校週休2日制」「土曜半日制度復活」どちらを望みますか?1)情報、意見の共有化→拡散化 「週休2日制」「土曜半日制度」のいい点、悪い点をそれぞれ意見を出しあう。人の意見の批判はしない。ただし、あいのりOK。人の意見に乗っかりながら意見をさらに広げます。(拡散)この作業を通して「子どもの立場なら、休みがあったほうがゆっくり遊べるよね。」になるけど、親の立場からはどうなのかな。学校は?地域は?など、「主語が誰、何を指すのか」によってメリットもデメリットも全く逆になることに気づかされました。2)収束(整理、分類、重み付け)→結論 一端拡散した意見を収束させるのに必要なスキルとして、「整理、分類、重み付け」があります。私たちのグループは、主語を「親・子・地域」と「先生・学校」のどちらかに絞って分類してみることに。ここで1段階目のグループとしての「意思決定」の必要が出てきましたが、意見が満場一致で決定する必要はないとのこと。意思決定の種類のうち、合意形成(参加者が十分にお互いの意見を出し合い、意見を言った、話を聞いてもらったという満足感、納得感があることを基本に「こうしよう」という状態になる)によって主語を「先生・学校」にして分類することに決まりました。 あらためて分類してみると、先生、学校を主語にした場合「週休2日」は「授業日数、時間が土曜日半日制より実質的に減っても、生徒の学習意欲を促進させるようなファシリテーション能力などがあれば対応できるのではないか。ただし、先生がそれらをじっくり学ぶために費やす時間として土日を活用したくても、それ以外の学外活動などに時間を割かれているのが現状で、実際は授業日数、時間が減った分、子どもは時間当たりの学習量が増え、じっくり学べていない現状があるのではないか。」「土曜半日制」は「地域、学校、家庭を主語からはずしても、そのあり方が学校、先生のあり方に連動して影響を与える。周りが変わらない条件であれば、現実的にはこっちのほうがいいのかも。」という方向に意見が収束し、最終的には「理想は週休2日。現実は土曜半日制」という結論が導きだされることになりました。地域・家庭、学校が連動して影響を与え合うという点が「重み付け=優先上位」されたことが収束から結論に向かうひとつのターニングポイントになったようです。 ファシリテーターとして難しいと感じたのは「収束のワーク」合意形成が理想ですが、ファシリテーターが意図的に意見をまとめて収束させてしまいがちになります。一見「合意形成」されているかのようでも、大げさに言えば参加者全体がひとりの意見にマインドコントロールされ、あたかも合意形成であったかのような錯覚に陥る事も!?あらためて、ファシリテーターにはスキルを学ぶ前の「自分を知る」ワークがとても大切なのだなと思いました。 知れば知るほど奥が深い。集まった人たちも魅力ある方々ばかりでした。これもみちこさんの「人柄」がなせる業。今回もまた、「縁」という見えないパワーを感じずにはいられません。今後も機会があればまた、ぜひ参加したいと思います。
2008年05月24日
5月18日(日)に農と食をたのしもう会を開催しました。 前回のたのしもう会後、スタッフを中心にいろんな意見がだされました。参加人数が増えてきたこと。そのことでまとまりにくくなったり、はじめから終わりまでばたばたしすぎているのではないかということ。 言われてみれば確かに…。それに前日ファシリテーターの講座で聞いた「経験だけでは学べない。経験は分析することで学びになる。」という言葉も、当てはまるのではないかと。私たちのこの会はあくまで「体験」。以前にも書きましたが「体験」と「経験」は違うような気がしています。「体験」は積み重ねることで「経験」に近づける。「農作業」だったり、「食事づくり」だったりをばたばたと「作業」として終わらせるのではなく、ひとつひとつを意識してみる、またスタッフ側も意識してほしいポイントでの声かけをしながら、必ず最後に一人ひとりの「振りかえり」の時間をつくろう。始まる前にみなさんにそんな話をして、5月の会はスタートしました。 今月の畑は、大切に育てられた苗たちが無事に畑にデビューしていました。実りでうれしいのは今が旬の「グリーンピース」まずはみんなでひとつ選び、生で食べてみます。若めの豆は甘みが強い!大きくなったのはすこし苦味もあるかな~? 昼の「豆ご飯」用にみんなそれぞれ2~3房を収穫しました。 畑にデビューした苗たちは懸命に空に向かって伸びています。ミニトマトには小さな花がたくさん咲いていました。子どものひとりから素朴な質問「どうして花が咲くの?」「う~ん。どうしてかな~?実をつけるためかな?」突然の「なぜ?」の問いかけに私の頭は「アホになりますモード」に突入していたのか、ぱっとした返答もできず…。 その後麦踏みをした畑まで移動します。現在多くの畑では小麦は黄金色に実のって収穫の時期を迎えています。小麦を収穫した後、田んぼにして田植えという流れが多いので、その時期にあわせてあるようです。Kさんの畑では収穫までにあと1ヶ月くらいはかかりそう。それでも「麦踏み」を体験した1月からの成長振りには目を見張るものがあります。 麦畑の横には、ジャガイモ、だいこん、にんにく、たまねぎの畑が広がります。お昼のたまねぎの味噌汁とだいこんパスタ用に、たまねぎと大根、それににんにくを1個収穫させていただきました。 「ちょっとこっちに来て~。これなんの種だかわかりますか?」とKさん。集まって見てみると、菜の花がとうだちして種をつけているようにも見えます。根っこをたどってみると…「大根だ!」 「種のところを食べてみてください。どんな味がしますか?」といわれ、食べてみると「大根の味がするね~」と子どもたち。種もちゃんと「大根」を主張しています。 「さっき『どうして花が咲くの?』という質問があったけれど、大根も花が咲くし、こうして種をつけて子どもたちを残します。いのちは繋がっているね。花が咲かないと種もできないし、いのちをつなげていくことができない。私たちがだいこんを抜いて食べるということは、その大根は花も咲かせられないし、種もできないということです。私たちはそのいのちをいただいて生きているんだね。」 子どもはよく「なぜ?」「どうして?」といいます。それに対して、大人としてその場で何とか「答え」をだしてあげなくちゃとあせってしまいがちですが、花が咲いた後、どうなるのか、知識としては知っていると思っている「事実」をひとつひとつ確認していくことで「答え」が見えてくることに気づかされた一コマでした。 いよいよ食事作り。今日の献立は「豆ご飯」「たまねぎのお味噌汁」「大根パスタ」です。取れたてたまねぎには「目がしみる~」と涙なみだでみんな苦戦していました。大根はピーラーでむきます。 今回は「いただきます」「ごちそうさま」の意味を改めて再確認しました。たのしもう会は「もったいないの心、おもやいの心を大切に」がモットーのひとつ。「もったい」という言葉は「ものの本質」を意味することから「いのちを粗末にすること」を「もったいない」というようになったそうです。また、おもやいとは、「相手を思って分け合う」という方言。食べ物を分け合う、労働を分け合う、いろんな場面で「おもやい」という言葉はあてはまります。「食べ残しをしない」「独り占めしない」「お手伝いをする」してほしい行動に目を向ければこんな言葉で終わるのですが、「すること=経験」を意識化することで、振り返り、学んでもらいたい。そんな思いが通じだのか、みんなきれいに食べていたし、その後すぐに遊びに行きたがる子供たちも、きちんと最後までお手伝いする姿が見られました。最後はみんなで今日半日の振り返り。楽しもう会のセカンドステージは新しい何かをはじめることよりも、めぐる季節と共に繰り返しながら「今」を意識し、「気づく」ことに目をむけていきたいと思います。
2008年05月22日
ファシリテーター養成講座に参加しました。講師は剛史さんの奥様、ミチコさん。ミチコさんは、『人が自らの可能性を広げることができる環境づくりができる人材』を、地域、コミュニティーベースで育成することを支援する組織「エデュケーショナルサポートセンター(Edu)」の理事をなさっています。今回はそのEduが主催する講座の第一回目です。人は経験だけでは学ぶことができない。人は経験を分析することで学ぶことができる。「分析」というとなんだかちょっと冷たい感じがしますが、要は経験すること、したことを「意識化」する、振り返ることで、初めて経験から学ぶことができる、自分ごとに捉えなおすことができるということです。 経験は「事実」「感情」「意見」の3要素が混在した状態で存在します。分析するということは、それを紐解き、整理することです。ファシリテーターはこのうち「事実」に焦点をあて問いかけることで、相手が「感情」と「意見」を自ら整理することに一役買う役割を担います。 例えば、Aさんが「最近食べすぎて太ってしまって痩せたい。」と話したとします。この中に「事実」はあるでしょうか?「最近」 最近は1週間前なのかもしれないし、半年前かもしれない。「食べ過ぎて」 どのくらいの量を食べて食べすぎだと認識しているのか?「太った、痩せたい」 どのくらい体重が増えたことを太ったと認識して、どのくらい減らすことで痩せたと認識できるのか? このように、Aさんは「事実」を語っているつもりでも、それは人によって捉え方はさまざまです。ということで、Aさんの語る「事実」は「事実」ではなく、「意見」「感情」ということになります。 ファシリテーターはいつ?(When)どこで?(Where)誰が?(Who)何を?(When)どのように?(How)という4W1Hをうまく組み合わせながら相手に問いかけることで、「事実」を整理することを手助けする。そうすることで場面場面での意見や感情も数珠つなぎ式に具体化され、分析が容易になります。 日常でも、「話し合い」「会議」の場を経験することは多いと思いますが、そのときに「何か意見はありませんか?」という問いかけがよくなされます。考えてみると、これって収集つかなくなって当然の問いかけかもしれませんね。 話し合い、会議の目的は、問題解決の糸口や方法をみんなで考えること。そのためにはもちろん「意見」って必要ですが、現在起こっている「事実」に焦点をあて、みんなにとって共通する部分を整理する中で意見を出していかないと、個人の整理されていない「事実」「意見」「感情」がぶつかり合うだけで、次第にそれぞれが自分を守るために必死でつじつまの合わない「意見」「感情」を重ねてヒートアップしてしまう…。 だれしも思い当たる場面に遭遇した経験、自分自身もヒートアップしてしまったという経験はありませんか? 自分自身の「意見」や「感情」を積み重ねて自分を守ろうとする行為を「正常化バイアス」というそうです。いわゆる一線を越えると「アホになりますモード」これはセルフエスティーム(自尊感情)を守る上で大事なことでもあるそうですが、一方で、会議や話し合いの場で、このモードに誰かが突入してしまうと、その時点でまともな話し合いにはなりません。 ファシリテーターって特別な仕事につく人が身につけるものというよりも、人と人とのコミュニケーションを円滑にする技術としては必須だと思いました。 次回は1週間後。またご報告いたします。
2008年05月18日
今日は思いがけないご縁で、農民作家山下惣一さんの講演会に行ってきました。 日本人が「自然環境」だと思って眺めている風景は農の風景です。サラリーマンの職場が会社なら、百姓の職場がそこにある。百姓が自然と呼ばれる環境をつくってきたんです。赤とんぼだって9割以上が田んぼで生まれるんです。棚田の石垣の手入れをしたり、あぜの草取りをしたり。それはすべて農の部分であって、業ではない。業=米の値段にそれは入らんでしょう。 百姓というのはつくるときは楽しいんですよ。売るとき腹が立つ。つくるのが農で、金にはならん。売るのが業ですからね。業を中心に考えたら、種まきから金になるまでどれだけ時間がかかりますか?みかん山なら木を植えて実がなるのに10年かかる。そりゃ暮らしの時間を切り売りして直接金に換えたほうが効率がいい。今はさらに金を金で売り買いする時代ですよ。資本主義、いかに金を稼ぐかで勝負したら農業はつぶれます。 作って食べて暮らす。これが循環すれば生きていける。 昔、多くの人たちは百姓として、自分たちが暮らしていくための食べものをつくり、食べて生きてきた。余分にできた食べものを他の農を営む人とぶつぶつ交換することで、循環の環は少しだけ大きくなり、生きかたの幅が少しだけ広がったのだと思います。やがて、ぶつぶつ交換だったそれが「お金」でやりとりされるようになり、循環の環は加速度的に大きくなって…いつしか人は「お金」を追いかけ、「作って食べて…」が「稼いで食べて暮らす」に変化し、環をひたすら大きくすることに夢中になりはじめたのではないでしょうか。 稼いで食べて暮らし、その循環の環を大きくする。この環はいったいどこまでいけば「満たされる」のか。 作って食べて暮らす。生きる原点に気づかされる言葉です。
2008年05月13日
先日とある講演会でこんな話をされました。次にあげる先生の性格と技量を見て、生徒に人気がある順にならびかえよ。A.人徳があり、技量がある。B.人徳はないが、技量はある。C.人徳はあるが、技量はない。D.人徳もなければ技量もない。一番が「A」というのは、ほとんど一致するところだと思います。会場では2番目に「C」が多かったです。これもうなずける。問題は3番目と最下位。両方「人徳なし」は共通。では教えられる側が判断するときに、技量があったほうがいいのか、ないほうがいいのか。これは生徒側の経験値と心構えでずいぶん変わるものなのだそうです。もしも生徒がある程度の経験があり、「技術を学びたい」という意志が強ければ、人徳はともかく、「B」は高順位にくるはずです。しかし、生徒側の経験が浅ければ浅いほど、もっとも最悪なのは「B」です。なぜならば、「D」は「無視できる」また別の機会に別の出会いがあれば習得できるチャンスが訪れるかもしれない。しかし、「B」は技量があるので「無視できない」から、最終的に伝えられるべき技量そのものが「大嫌い」になる可能性が高いという話でした。この話と関連した話で、興味深いのが「脳の仕組み」の話です。大脳の一部である大脳辺縁系。この中の「扁桃体」という部分で、視覚・聴覚・味覚・嗅覚のさまざまな経験を統合して、「好き」か「嫌い」かを判断し、視床下部に伝わって「快」「不快」な情動、感情になって現れるそうです。「扁桃体」には、視覚・聴覚・味覚・嗅覚のさまざまな経験を統合した情報を元に、「好き細胞」「嫌い細胞」が作られ、これが判断基準となって、その人の「好み」をつくっていくという話。先ほどの「B」先生のように、B先生そのものを「嫌い」となれば、それが判断基準となって、「技」そのものを「不快」と認定してしまうということになるわけですね。食べものだって同じです。「農と食をたのしもう会」をはじめるようになってから、農作業、食事作りという直接的な「技」の部分だけではなくて、そこで「楽しめるか」、何を見て、触って、感じるかがすごく大事だということを感じていたのは、このことに通じているな~とあらためて気づかされました。「扁桃体」の「好き細胞」を作る情報を増やすにはさまざまな角度からの「体験」とその積み重ねによる「経験」が大事。 今、にがうりの「苦みのうまさ」は「好き」になれなくても、一緒に食卓を囲みながら、おいしそうに「にがうりの味噌いため」を食べるお父さんが好き。とか、みんなで収穫した時の草のにおいとか、風を感じるとか、料理したのが楽しかったな~とか、そういうたくさんの「情報」がきっとすごく大事なんだと思います。
2008年05月10日
GW初日は山で春を満喫しましたが、こどもの日の5日(月)は海の春を満喫してきました。 義母の実家宇土市の長浜は、この時期貝堀りが本業。潮が引く時間帯になると沖に出てあさり堀に行かれますが、私たち素人は浜辺ではまぐり堀です。 浜辺ははまぐり天国。…といっても昨年ほどではありません。昨年はなんと掘るというより拾うといっていいくらい、掘らなくてもそこら辺にごろごろとはまぐりが落ちている状態だったのですから…。でも、1時間半ほどでバケツいっぱいのはまぐりゲット。ちなみに、アサリはひとつも見つからなかった。貝は種類によって住む場所が違うようです。(たぶん砂の粒度の違いで…) 12時に沖に出たおじさん、おばさんたちが3時ごろに帰ってこられ、見てみると「だいたいこの量で30分かかるな」といって見せてもらったのがこれ。 なんでも、干潟を歩くだけで「ここらへんにたくさんいる」ということがわかり、そこを集中して掘るのだそうです。 あさりのほかにも、ビナとかニシとかアカガイなどをいただきました。サザエに似た形態の貝。しょうがじょうゆで煮付けて食べるとおいしい。 これはビナ それにしても、ここにくるといつでもウェルカムなおじさん、おばさんの人柄にいつもいやされます。引き戸の玄関をがらがらっと開けると、土間があって居間があって、「よう来たな~」といつでもご飯を食べさせてくれる(笑)山でも海でもどこでも我が家顔で走りまわれるHARU。本当にありがたいです。やっぱ私の人運はぴか一だなっ!
2008年05月06日
連休1日目。毎年恒例の「とうもろこし植え」で、親戚がいる阿蘇の産山村まで行ってきました。 軽トラの上でとうもろこし植え開始を待つ子ども達 夫のいとこがお嫁に行った先が産山村で、いとこのご主人Mさんは、生まれも育ちも産山という、生粋の産山人です。このあたりの人たちは、仕事のほかに、代々受け継いだ畑や田んぼ自給自足分の農作物をつくったりしている若い人たちも多いようです。Mさんもそのひとりですが、何をするにもフットワークが軽~く、いつ来ても、植えるばっかりの状態まで畑の土ならしが完了しています。。。私はここにくるたびに、とうもろこし植えのほかにも、産山の自然を知り尽くしているMさんの後ろをついてまわりながら、雑木林や草むらの中に入り込んでは野草についてもいろいろ教えてもらっています。 Mさん宅周辺はとなりのトトロの森のような自然がいっぱい。少し歩いたところにある、田植え前の田んぼのあぜで、せりつみをしました。 せり 私は小さいころ、毎年この時期になると家族で近くの田んぼのあぜに、せりや蓮華を摘みにでかけていました。その想い出がずっと残っていて、ここにはじめてきたとき、同じ風景が広がっているのを見て、とても感動したものです。私たちが「自然」として思い浮かぶものの大半は、田んぼではぐくまれるもので、米を食べなくなることで田んぼをつぶしていくことは、同時に「季節」をなくしていくことにもなるのだという話を、農と自然の研究所の宇根豊さんがされていました。今月のたのしもう会でも経験したように、「春」という時期は、基本的に「実り」の季節ではなく、そのかわりに豊富な野草を食べてきたのでしょう。今では野草は貴重品。Mさんがいわれていました。「昨年まではここにもたくさんのたらの芽があったのにな~。今年は誰か来てごっそりとられてしまっとるんよ。」 さて、農作業も終わっていよいよお昼。とってきたたらの芽をてんぷらに、せりをごま醤油和えにしていただきました。てんぷらをあげていると、いとこのNさんが「これも揚げて食べるとおいしいから」と、たんぽぽと、ふじの花、よもぎをとってきてくれました。 ふじの花 たんぽぽ 豪華な野草のてんぷら盛り合わせ ふじの花とたんぽぽには驚き!ほとんど苦味もなく、おいしかったですよ。よもぎは最近、近所でとってきててんぷらにして食べましたが、その時より苦味が少なかったように思いました。産山のほうが季節がひとつきほど遅いので、新芽で柔らかだったからなのか、土や水の違いなのかはわかりませんが…。それにしても豪華でしょ? 息子のHARUと、ここの子供たちは同じくらいの年なので、すぐ打ち解けて野山を駆け回ってどろだらけ。挙句の果てに、着替えも持たずに「帰らん!俺、泊まるけん。」と息子のみ緊急外泊が決定。子供たちにとっても最高のGWの幕開けだったようです。
2008年05月04日
以前から気になりつつ放置していたのですが、右足がずいぶん前から歩くたびに「コキッコキッ」と音が鳴ります。それが近頃足の付け根まで痛み出し、「こりゃいかん!」ということで、友達の紹介でカイロプラクティック整体を受けてみることにしました。 整体というとバキバキゴキッ!とかなり派手なものを想像しがちですが、私がお世話になったミチコ先生が施してくださったのは「ソフトカイロプラクティック」でした。しかも、体育大学を卒業後、スポーツインストラクターも経験されているので、筋肉のつき方やストレッチの方法まで丁寧に説明してくださり、自分の体の状況と、原因がよくわかりました。 結局私の場合、長年の姿勢の悪さから左足が短くなっており、その分右足に負担をかけていたことから右足の股関節にまで影響がでたようです。まずはそのずれを正してもらい、そのほかにも、右肩の肩甲骨が奥の方に埋もれていたりして、肩がバキバキに凝っているとか、首の骨と骨の感覚がかなり詰まってしまっているとかで、首を伸ばしてもらったり、あれやこれやと整えてもらって1時間があっという間に過ぎました。 まぁ、この状況も、生活習慣病のひとつですよね。当然のことながら、1回きりのカイロプラクティックで完治するものではないわけですが、日々の何気ない「癖」を本気で治そしてみようというきっかけになりました。 1.足を組まない 2.どちらかの足に重心をかけて立たない 3.背筋を伸ばす(猫背に注意) 後、お風呂上りの筋肉がほぐれている状態での、ストレッチを続けてみようと思います。 近々2回目を受ける予定です~。
2008年05月02日
農と食をたのしもう会をはじめてから1年がたちました。セカンドシーズンに突入です。 今月のテーマは「春の自然と畑に寄り添う」 楽しもう会で1年間、畑に通い続けて少しずつですが、気がつかなかったことに気がついたり、気になるようになったことのひとつが「旬」です。Y農園の4月は「芽吹き」の季節。苗たちが精一杯大地から顔を出して背伸びし始めたばかりです。Kさん夫妻はこの時期、あまり遠出をされません。というのも、まだ肌寒いこの時期に、風よけや保温の意味で使っているハウスの開閉をこまめに行ったり、水やりが欠かせないからです。ひとつひとつを大切に大切にわが子のように目をかけ手をかけ育てていらっしゃいます。 苗が土にしっかりと定着するまで風や突発的な霜などにやられないための一工夫 Kさん夫妻は、基本的にその季節に寄り添って自力で育つ野菜たちを見守り育てるというスタンスだから、野菜がない時期は本当にない。そこで今回はこんな時期だからこそ楽しめる野草のひとつ、よもぎを使って「よもぎまんじゅう」を作ってみました。 今回は私が以前からどうしてもやりたかった企画のひとつ。講師は「まんじゅうのプロ」こと伝承館で長年調理に携わって下さっているNさんにお願いしました。Nさんはまんじゅうの他にも、「あた(あんた)の分も作ってきたけん、たべなっせ」と毎年おすそ分けしてくださる「なば(きのこ)」やつくしの佃煮、川エビのてんぷらが大得意。伝承したい技をたくさんお持ちの方です。「こぎゃん80のばあさんば表に出してどぎゃんすっとな~あたしゃ来んけんね~」というNさんでしたが、たくさんの子ども達に囲まれて、いきいきとした表情でひとつひとつ丁寧に教えてくださいました。 小麦粉とてんさい糖、ふくらし粉、すったヨモギを加えます。 よもぎはこの時期少し固くなっていたので、Nさんが新芽の柔らかい時期に摘んで茹がき、擂って冷凍保存してくださっていたものを使わせていただきました。 子ども達殺到 生地を伸ばしてあんこを包む。 「ちゃんと包めよ~」「何とかなるって~」 蒸し器で蒸します。 今回の食事はいただいた竹の子でNさんに伝授してもらった味付けによる「竹の子のひこずり」とたかなごはん。味噌汁は植え付け用を拝借してみんな皮むきをしたサトイモを使いました。 今年も季節と畑に寄り添うことにこだわりながら、みんなで楽しい四季の想い出をつくっていきたいと思っています。よろしくね~!
2008年04月28日
先週日曜日に、毎年開催しているうちの職場の大きなイベントがあり、今年は安保徹さんが講演されました。 「病は気から」とは昔からよく言われています。安保先生は新潟大学で免疫学を専門に研究されている方で、「生き方、考え方」が免疫にどのような影響を与えるのかを理論的にわかりやすく説かれています。 特に免疫力の主役である白血球の話は興味深かったですね。白血球は顆粒球、リンパ球、単球という種類に分かれ、それぞれ違う形で免疫力を発揮しています。通常顆粒球6割、リンパ球が4割弱、残りが単球という割合で構成されるそうです。安保先生は自律神経の乱れが、顆粒球、リンパ球、の割合バランスを崩し、免疫力に影響を与えて、さまざまな病の原因になると言われています。 自律神経とは人間の体のさまざまな働き~体温を上げたり下げたり、ホルモン物質のさじ加減など、「意識していないのに勝手にやってくれている」オートメーション的な機能を引き受けている神経で、交感神経と副交感神経で構成されています。交感神経は外に向かって活動する場合に強く働く神経、逆に副交感神経は自らの疲労を癒す方向に働く神経といえるでしょう。現代社会はさまざまな理由から交感神経を過剰に働かせているために、「交感神経緊張症」に陥っている人が多く、この場合、顆粒球の割合が増加するそうです。顆粒球は怪我をしたときに「膿」をつくり傷口を塞ぐ働きをします。この顆粒球が増加することによって、胃潰瘍や、過敏性大腸炎、痔などの難治症状を作り出す要因になっているとおっしゃっていました。 また、「交感神経緊張症」は代謝を必要以上に高めることから、代謝産物であるコレステロールや尿酸の増産を招いたり、血管を収縮させることで血液の流れを悪くし、全身に酸素や栄養素が送り届けられにくくなる状況を作り出すことから、「低体温」状態を招き、冷えた血液にに乗っかって流れる、あふれた代謝産物が結晶化しやすくなって「胆石」や「尿酸結石」を作りやすくするともおっしゃっていました。 ちなみに、副交感神経が過剰に働きすぎると、リンパ球の割合が増え、抗体をつかってあらゆる異物を攻撃する反応が過敏になりすぎることで起こるアレルギー反応などを引き起こしやすくなるそうです。 すべてがこの理論で結論付けられるわけではないとしても、少なからず同じものごとに遭遇したときに、どのように受け止めるか、そのときの感情、心のあり方は人それぞれです。そのことが自律神経に作用し、免疫に影響を与え、体の症状としてあらわれるということが、すとんと「落ちる」納得できるお話でした。 今後、もっとくわしく本を読んで勉強したいと思います。
2008年04月25日
助産師 内田美智子さん。別の顔は「弁当の日」の宣教師。その美智子先生が火曜からうちの職場で断食にチャレンジされています。その先生からお昼ごろ声をかけられました。「剛史先生が、『断食中はミニセミナー開くと空腹がまぎれますよ!』っていうんだけど、みなさん、ご都合つくかしら。」えぇ!いいんですか?昨年11月に同断食ドックに参加された剛史先生も、断食中にファシリテーター講座を開講してくださいました。事前に美智子先生にも声をかけてくださっていた様子。ありがたいお申し出をいただき、今回も、職員向けに「ミニ講演会」をお願いすることになりました。美智子先生は福岡で産婦人科医であるご主人とともに30年、2500人以上の赤ちゃんを取り上げてこられました。感動の場面に立ち会う一方で、10代の子たちの中絶や性感染症など、数多くの性のトラブルにも直面されています。そんな思春期の子供たちの境遇の多くに共通しているのは、「ちゃんと食べさせられていない」ということ。今、出産した母親で離乳食を手作りしているのは約3割。残りの7割のうちの半分は、ベビーフードも買わず、離乳食も作らないのだそうです。バナナ、プリン、ヨーグルトなどのデザートや果物とミルクを飲ませ続けられる赤ちゃんたちは、とにかく「泣かないように、ぐずらないように」育てられます。生きるために必要な食をないがしろにされることで、大事にされていない、愛されていないと感じて育った子どもたちが何もできずに母親になっていく姿を見て、「食べることは生きること」と食育の必要性を強く感じられた美智子先生が、とびついたのが、「暮らし」「家族」に目を向けている竹下先生の「弁当の日」だったといいます。私は何度か美智子先生のお話をお聞きしていましたが、働きながら子育て真っ只中の母親には、「ずきん」と胸にささる話がたくさんあります。それは客観的に「そんな母親もいるんだ~」ではなく、自分自身が「後ろめたさ」を感じるところがある、思い当たるところがあるからだと思います。特に働きながら子育てしていると、「大変でしょう?」と声をかけられることが多いですが、ずばっと本質をついてくる人は身内といえども、いなくなりつつあります。「大変だから」とおもいやる気持ちから、おばあちゃんが、育児と家事を一手に引き受け、共働きの夫婦は家に寝にかえるだけという生活を繰り返す人も多く、実際にそんなおばあちゃんたちの中には今、うつ病で苦しむ人が増えてきています。暮らしの時間をなくし続けても、言い訳できるものがあれば、後ろめたさも感じませんが、時には本質に切り込んでくれる瞬間も必要。その役割を担う人がいなくなってきているような気がします。美智子先生の語り口には、現実を知っている人だけの「強さ」「厳しさ」があります。先生の講演では有名な、写真のスライドと共には流れる音楽。今や「内田方式」と呼ばれ、私も時々この手法を使わせていただくこともあるのですが、人の心を揺さぶり、感動を与え、涙を誘います。でも、それはやっぱり、「内田イズム」があってこそなのだとつくづく感じました。実家の横に引っ越してきてから、両親に甘えすぎずにすんでいるのは、ふと内田先生の顔が浮かんでくるからかもしれません。だから先生は今のままで「内田イズム」を伝えつづけてください!と話すと、にこっと「そう?じゃ、もちょっとがんばろうかな。」と笑顔で答えてくれました。
2008年04月23日
4月16日発売の現代農業増刊5月号「ギョーザ事件から何が見えたか」で、私たちの楽しもう会が紹介されています。会に参加してくれる人たちの中心は私も含め、子育て真っ只中の団塊ジュニア世代ですが、この世代は、自分たちが育ってきた環境、暮らし、親がしてくれていたことと、自分たちの子育てやその暮らしを比較してみたとき、どんなことを感じているのだろう、また、会に参加することで各家庭でそれぞれの気持ちや行動の面で何かしらの変化があるのだろうか。そんなところを聞いてみることから執筆が始まりました。集めてみると、これが予想以上。「たのしもう会」に参加するようになって、ただ食べる、農業を学ぶという観点ではなくて、そのコアな部分を子どもなりに理解しようとしているみたいです。「いのちを食べるんだね~」と話す娘の言葉は、いのちが生まれるとき、消えていくときを自分の中で受け止め、消化しようとして言葉を選びながら話しているように感じます。きっと体験するという簡単な部分ではなくて、その先のものを見ていると思います。それはおとなも忘れかけているもので、単純に1日3食食べさせて日々暮らすという単調なものになってしまっている「食」が、どれだけたくさんの人やいのちによって今、ここにあるのかを言葉にできない何かで感じているのだと思います。などなど。それぞれに執筆を依頼したくなるほどの中身の濃い文集ができあがりました。「これは一度みんなで共有したい!」ということで、3月のたのしもう会は、集まった参加者の声を元に、今年1年の振り返りをしながら、参加してくれる人たちがどんなことを普段考え、どんな気持ちでこの会に参加しているのかなどをゆっくり語る!ことを主な目的に企画しました。「エンパワーメント」という言葉をご存知ですか?一人ひとりが潜在的にもっている力=パワーを、人と人との出会いやその関係性によって引き出し、自分自身を変化させ、また自分との関係性によって周りのひとや環境が変化していくこと。ここで大切なことはお互いが「潜在的な力を持っている」ことを肯定しあい、それを知ろうとすることにあると思います。今の団塊ジュニア世代の親や子をひとくくりに「何も知らないし、わからないし、できない。」から食育が必要。というような一方向的教育スタンスに違和感を持つのは、ギョーザ事件や食品偽装などで見られる、生産者やメーカーは消費者を無知だと思い、消費者は生産者やメーカーを金儲けしか考えないと決め付ける関係にどこかしら共通点があるような気がします。私たちのたのしもう会に参加するスタッフや生産者、参加者は、それぞれの立場を超えて一人ひとりがエンパワーメントされ、それぞれの一歩を踏み出していると感じています。 現代農業増刊5月号 「ギョーザ事件から何が見えたか」
2008年04月17日
昔は生きるために必要な衣食住にまつわることが仕事であり、そのプロセスそのものが暮らしでした。そして現代、家族は多様な価値観の中で、それぞれが社会的なつながりをもちながら暮らすようになりました。言ってみれば「暮らしのグローバル化」それにともない、暮らしの便利さ省力化を手に入れた私たちが手放したもの。それは暮らしのプロセスにかかわる時間と、そこには必然だった家族としての立場や役割ではないでしょうか。 知人の上司Aさんは、この春小学校を卒業した娘さんに「お父さんは卒業式は来なくていい」といわれたそうです。さみしそうなAさんに、「娘さんもそういう年頃なんですよ。」と月並みな表現でしか反す言葉がなかったという知人の話を聞いて、この娘さんの中の「暮らしの中の父親像」とは一体どんなものなのだろうと考えさせられました. 帰宅がいつも9時を過ぎ、用意された食事を食べ、風呂に入り、テレビのニュースを見て寝る。朝起きたら出された朝食を食べ、身支度をして会社へ向かう。このパターンは家庭の中で、非常に多くのお父さんが繰りかえしている日常ではないかと思います。この場合の「暮らし」は「本人のためだけ」に繰り返されるもので、家族としての役割はそこにはありません。たまの休日に、子供と遊んであげたり、買い物に連れ出したり、それはそれで大切なことですし、子供にとっても大人になったときのいい思い出になるでしょう。ですが、それは非日常であり、暮らしのプロセスからは離れています。また、子供は子供で、暮らしの外では勉強、部活、塾、家庭の中ではお父さんと同じように「本人のためだけ」に繰り返される暮らし。それぞれが個としてだけ成立する「暮らし」を繰り返し、暮らしのプロセスそのものは「お母さん」だけにゆだねられる…そんな実態が浮かびます。 昨今、暮らしのプロセスそのものである「家事」を「時間」と「労働力」というものさしだけをあてて語られることが多いし、実際私も最近まではそうでした。家事は少しでも楽なほうがいい。お互い働いているのだから平等に家事を分担するべき。(分担という言葉自体「負担を分ける」ことが語源ですよね、多分。)しかし、どこまで便利になって、どこまで省力化できても、「時間」と「労働力」という2つのものさしだけでは、暮らしのプロセスのために使わなくなった「時間」と「労働力」をまた遊びや社会的な仕事など、別のところに当てるだけで、家事に対する「負担感」というものは変わらないし、仮に、1人が担っていた家事の「負担」を新たに「分担された側」からすれば、「やらないで済むならそれにこしたことないよな。」という本音をねじ伏せて理屈や道理上、納得せざる終えないでしょう。 昔の暮らしに戻ればいいとか、そういう非現実的なことを言うつもりはないですが、省力化された中でも、衣食住にかかわるプロセスに家族としての立場や役割をそれぞれが担うとき、初めて家族というまとまりができるのではないかという気がしています。家事を誰が担うか、負担を押し付けあうのではなくて、そういう観点から「家事」を捉えればいいのではないか。そのような話を夫に話したら、料理とは縁遠かった彼は最近、台所に立つようになりました。 このブログで何度も紹介している「元祖弁当の日」の竹下和男さんはいいます。「暮らしの時間は親子の絆を形成し、家庭が心の基地であることを子供の心に深く刻み込む役割を果たしていたのです。子供たちのかかわるいじめ、不登校、ひきこもり、摂食障害、窃盗、援助交際、薬物依存、傷害事件や殺人事件の多くの背景に、私は「家族」が「カ・ゾ・ク」となった現実があると痛感しています。」 世の中の家族がカ・ゾ・クに変化している。上記のような事件が、どこにでもある普通の家庭で起こっていることが裏付けられる言葉だと思います。「うちは関係ない」と無関心な人ほど問題は根深い?あなたの家族はカ・ゾ・クになりかけてはいませんか?
2008年04月14日
今日は息子の小学校の入学式。生後10ヶ月から5年間お世話になった保育園は私の職場の近くだったため、引っ越してきたこの土地にはまだ、お友達と呼べる人はいませんが、息子はその状況にあまり戸惑いを感じていない様子。親の心配をよそにはりきって小学校の門をくぐりました。 新1年生は107名。クラスは全部で4クラスです。ひとクラスは26名か27名。私も夫も、自分が小学校を卒業して以来足を踏み入れるこの環境に少々興奮気味です。式が終わると新しい教室へ移動。いろんな「お道具」が机の上に並べられています。教科書、ノート、引き出し、そして算数セット。「算数セット」あった、あった、ありました。しかもその中身たるや、20年以上前に私たちが使用した様式のものとほぼ同じです。お花の形をした磁石つきの赤、黄、緑のおはじきや、数の単位を繰り上げていくときに使う「棒」みたいなものとか…。ロングセラーなんですね~。と感心しつつ、ふと思い出したのが、息子が卒園した保育園で使われていたお道具箱。そこのお道具箱の柄は私が同じ年頃に幼稚園で使っていたものと同じだったのです。同じようにロングセラー商品であることは間違いないのですが、ただ、違っていたのは、園の考え方でさまざまなお道具は、個人購入ではなく、保育園のものとして世代から世代へ「共有」で使われていたという点。「下の子たちがまた使うから大事に使おうね」と想いあいながら何世代という園児が同じ道具を使い続けていました。そういうわけで、通っていた5年間で、道具という道具を購入したことがなかったのです。正直、小学校は義務教育ですが、お道具関係をそろえるのに結構な費用がかさみます。「算数セット」ねぇ…「共有する」って形も素敵だと思うんですけどね。 そして最後に記念写真の撮影。他のクラスの撮影が終わるまで、少し空き時間がありました。クラス内では同じ保育園のお友達同士で、すでに楽しそうにしている子どもたちもいます。息子はどうするのか、じっと観察していると、輪に入るタイミングをじっとうかがっている様子。そのうち輪の中の一人が「おもしろい顔芸」を始めました。そこですかさず自分の長年(?)暖めた顔芸を披露する息子。「笑いをとりに行くことに貪欲な息子」を見ながら、つくづく「笑い」の持つ、相手に対する心の扉をぱっと開け放たせる力って理屈を超えるような~と感心させられました。通りでこのアウェイ感に戸惑いを感じていなかったわけです。その後一気に打ち解けて輪の中に溶けこんでいったのは言うまでもありません。(調子に乗り過ぎないといいのですが…その点はちょっと心配) 何はともあれ、我が家の新しい生活はこんな感じでスタートしました。
2008年04月10日
「学生の頃、こんな先生に出会っていたなら…」と思える先生がいます。香川県の「元祖弁当の日」の竹下和男校長先生と「大学生の弁当の日」で学生の一生のhappyを本気で考え続ける九州大学農学部助教授の佐藤剛史さん。先日行われた「大学生による大学生のための食育ワークショップ」に参加しました。昨年夏の夏期セミナーで講師として来て頂いた竹下先生とは半年振りの再会。竹下先生と奇跡の女子高生mikoちゃんはこのセミナーで竹下先生と「弁当の日」に出会い、「生徒主導の弁当の日」を実践した最初の一人になりました。「弁当の日」には学校の授業の一環として子どもの力だけで作る「元祖弁当の日」1品持ち寄り形式の「九大方式」しがらみの多い学校の先生でもやる気があればできるという、遠足の日などを実践日にした「イナマス方式(初めて実践された稲益義宏先生の名前から命名されている)」などがあるほか、地域や公民館、職場、高校でもと、その取り組みは全国に広がっています。(こちらのブログも読んでね。)今回はこんな素敵なパンフレットが完成していました。この中にもmikoちゃんの取り組みが紹介されています。もしかしたらあなたの元にも、届くかも?「弁当の日ノススメ」竹下先生は弁当の日をさらに進化させ、学校で「鍋の日」を実践されているそうです。生徒たちが学期末にお世話になった先生を招いて行う鍋パーティー。3時間の授業枠をぶち抜きにして、「献立を考える」「買い物に行く」「鍋を作ってみんなで囲む」。次から次へと流される鍋の日のスライドショーが会場の驚きと笑いを誘います。鍋にたこを入れていたり、絶対火が通らないだろうと思えるほど分厚く大根を切って鍋に放り込む、買い物カートに買い物袋をのせたまま、学校へ押して帰ろうとしたりする生徒の姿も。しかし、先生はこう言われます。「子どもは失敗を補償されている生きものです。失敗する前に口や手は絶対だしません。」もちろん生徒も真剣です。「どんな風にしたら先生が驚いてくれるかな?感激してくれるかな?」そんな作戦会議を楽しそうにしている生徒たちの姿も、その笑顔もとても印象的でした。ただ、ひとつどきっとさせられたことがありました。グループワークで同じ班だった女子高生。彼女は竹下先生のスライドを見た感想をみんなで話していたときに「私はあのスライドを見ても笑えなかった」というのです。聞いてみれば「これまで家で鍋をしたことがない」とのこと。「したことがないから、きっと自分が作ってもあんなことをすると思う」でも彼女はいいました。「私もキムチ鍋が作ってみたいな。家族にも食べさせたい。」佐藤剛史さんとの出会いも昨年の夏期セミナーでした。その時初めて「ファシリテーター」という言葉に出会いました。大学生による大学生のための食育ワークショップは今回で4回目を数えるそうです。剛史さんはいいます。「大学生を中心とした食育イベントを行う際の基本哲学。ひとつは学生が主体であること。食育ワークショップはそこで学ばれるコンテンツも重要であるが、それを作り上げようとするプロセスも重要である。そのプロセスを通じて学生は企画力、マネジメント能力、コミュニケーション能力などを習得していく。大学の一般的な授業ではそうした能力を習得させることはできない。大学生はハマった時の力がすごい。大人ができないようなことも軽々とこなしていく。 そして2つ目は双方向、参加型であること。一方的に話を聞くだけではなく、参加者一人ひとりが考え、発言し、皆の意見を聞くように工夫されている。食育は先生の話を一方的に聞く、習得すべき内容が決められ、それを着実に学んでいく性質のものではない。時には友人同士が、大人が子どもから教えられることもある。 3つ目は純粋に楽しいこと。大学生は楽しむこと、楽しみを作り出すことの天才である。楽しくなければ長続きしないし、広がらない。そもそも食は楽しいものだ。この3つの基本哲学は行動につなげるためである。いくらいい話を聞こうが、知識を増やそうが、主体的でなければ、楽しくなければ、応援してくれる仲間がいなければ行動には繋がらない。行動に結びつかなければ食育は無価値である。」今回、大学生の弁当の日は「弁当の日~食べ盛りの君たちへ~」という一冊の本になりました。4月に発売予定とのこと。私は弁当の日をこれからも本気で応援し続けたいと思っています。ブログをみて興味がある方。ぜひご連絡ください。
2008年03月26日
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