☆★☆季節の風☆Kazeのミステリ街道☆

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8回目・守護天使/9回目・ルームサービス

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前へ戻る…『小樽ー青森・失踪ルート 連載6回・7回』




--- ◇Kazeのミステリ街道 ---------------------


---------------------------------- 2006年10月19日号 ------


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◇北国商会の業務日誌・2『小樽ー青森・失踪ルート』
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連載8回目・守護天使

 明と一義は顔を見合わせ、ナオミの言葉を待った。
「まずは彼女が函館にいるとき、改装中のデパート前で、友達と待ち合わせしていると、上から鉄筋が落ちてきました。多数ケガ人が出て、ニュースにもなったとか」
「それで何ともなかったのか」一義は言った。
「その寸前、デパートの中から、麻子への呼び出しがかかり、中へ入ったからです。ところが、インフォメーションで電話を取ってみると、もう切れていました」
「目の前で、車が舗道に乗り上げたことがある、とも言ってたな」隆一が言った。
「その時も、だれかが背後から『逃げろ!』と叫んで立ち止まってた時のことです。事故に気をとられ、呼んだ人間のことは見なかったと」
「ふむ…しかし、すれすれのところで難逃れしたことなら、誰だってあるんじゃないか?」一義は腕組みをした。
「そんなことが2年に一度は起きていたみたいです。確かに、誰でも出会いそうなことです。ただ極めつけは、今年乗ったフェリーの話よ」
「それは?」
 明が訊いてきた。
「お盆のとき、彼女はしぶしぶ千戸市の実家へ里帰りをしました。できるだけ安く帰ろうと、夜、苫小牧からフェリーに乗った。一番安い席に乗って船酔いし、デッキに出ると、酒を飲んだ男たちがケンカしながらやってきて、麻子に目をとめて因縁をつけはじめ、しまいには海へ投げ落とそうとしたのです。男たちはしっかり麻子の口をふさいで、まったく声が出せなかったそうです。真夜中で、デッキにほかの乗客はいませんでした」
「いま船から落とされようというときになって、『人が来たぞ!』という声がし、奴らはサッと逃げたそうです。すぐさま船員が駆けつけたと言ってましたね」
 隆一が言った。
「なるほど。それだけ重なると、偶然ではありませんね。そのうえで、常に、事前に災難を予測し、彼女を救っている人物がいるのですね」
 明も言った。
「その通りよ。麻子は運が良かっただけと思っているけど」ナオミはうなずいた。
「わからんな。仮に、それが故意だとして、麻子を殺して、だれに何の得がある?それに、すみれと何の関連があるんだ?」一義が唸った。
「私達にもまだ分かりませんが…」ナオミは言った。
「これは、ひとえに7年前、私達の依頼人である麻子と、あなた方の妹、すみれさんが一緒に北海道から帰ってきたことに理由があるとしか思えません。まずは、麻子の守護天使を見つけないことにははじまらないわ」
「守護天使とは?」
「あ、麻子を死の淵から救っている人のことよ。その人さえ見つけることができたら、おおかたのことは見えてきます」
「何だ、いったい何が起こってるんだ、この土地で」
 一義はいまいましげに、グラスに残ったワインをあけた。
「青森のことだけでも大変だというのに!」
 飲み干したグラスを、テーブルに叩きつけた。
「グラスに当たり散らさないで」ナオミがたしなめた。
「きれいな、ムラーノ・グラスじゃないの。1個、ン万円よ」
「ふん、そんな女子供の好きなのはうといんだよ」
 一義は悪態をついた。明と隆一は苦笑した。

  ☆★

「飲み直すか。あの手の連中と渡り合うのは疲れる」
 部屋に戻って、隆一は冷蔵庫をあけた。中から、小樽の夜景がラベルになった白ワインのハーフボトルを取りだし、備え付けの紙コップにあけて一気に飲み干した。「完熟ナイヤガラ」という、甘口の白ワインは、しぼりたての葡萄ジュースのような味だった。
「戻ってきたら、急に腹が減ったよ。なんか頼まないか?」
 机に座ったままのナオミに、紙コップのワインを渡すと、彼女は黙って受け取り、飲み干した。
 すぐに、さっきから眺めていた、仮面のブローチに目を戻した。
「あの二人は、ブローチを見ても何の反応もなかったな。事件には本当に関係がないのかな」
「100パーセント無関係とは、まだ断定できないわね。財産問題がからんでるんだもの」
「すみれと、母親の妙子に渡る分、自分たちの財産は目減りするのは面白くないだろうさ。彼らが、事件を仕組んだ可能性だって、あるんじゃないか?その上で、僕たちから情報を引き出したいのかも知れない。どこまで知ってるか、ってな」
「ありうる話だわ。だから、仮面のことは言わなかった」
「これの送り主は、麻子の行く先々で危機から遠ざけている男と同一人物かな」
「まだわからないけど、きっと、そうよ」
「じゃどうして、その男が麻子を愛していると?」
 ナオミは隆一を見上げた。
「イタリア喜劇に詳しい?」
「大学で習ったけど、ほとんど忘れた。大衆演劇のコメディア・デラルテの主要人物なら、少しは憶えているよ。…なぁ、ルームサービスの時間が終わる前に、何か注文させてくれよ。ラウンジでロクに食べていないんだから、腹が減って明日の朝までに飢え死にするよ」
 もう、夜も12時近くになっていた。
「北海道に来てから、食べてばっかり」
「僕の脳細胞にも栄養が必要なのさ」
「はいはい。何かある?」
 隆一は、メニューのページを繰った。
「寿司と、あとはまたチーズの盛り合わせとサンドイッチのセットだな。カツカレーなんかもある。寿司、高いなぁ」
「観光地だもの。でも、小樽の寿司って高いと思わない?」
「千戸市で新鮮な寿司が安く食べられるのに、ここまで来て、こんなに高い寿司食うことないか。それよりエビフライカレーにしておくかな。どうする?」
「私もそれでいい」
 さっそく、フロントに電話してカレーと、シーザーズサラダ、あとは酒のあてになりそうなものをいくつか注文した。
『ありがとうございます。わたくし吉田が承りました。これで、フードの方はオーダーストップになりますが、ほかのご注文のほうはよろしかったでしょうか』
 マニュアル通りに聞いてくるフロントの女の子に、「ああ、それでいいです」と答え、隆一はさっさと電話を置いた。
「フードのほう、だってさ。すごい業界用語の羅列だな」
「そういえば、フロントで『ことばおじさん』をやるんじゃなかったの?」
「もういいよ、なんだか今日は疲れた」
「あら、そ」
「何か持って行って欲しいものがあるとかって言ってたな」
「いいわよ、あとで」
 ナオミは、仮面のひとつを持ち上げて言った。
「このまだら模様の衣装は、道化師のアルレッキーノね」
「ああ、これなら誰にでも分かるな。知恵の回る男だ」
「問題は、この豪華な羽根飾りをかぶった女の仮面よ」
「女のキャラクターと言うと、コロンビーナだろうな。いちおう、小間使いという設定が主だ。美しくセクシーで、賢く、男たちを翻弄する。衣装は質素だというが、売りものとなると、そうはいかないんだろうな」
「そこが問題なのよ」
「え、それは…」
 ナオミは、女の顔をした仮面を白熱灯の下にかざした。
「これ、麻子は『北一のヴェネツイア美術館で売っているもの』と言ってたけど、ぜんぜん違うものなのよ」
「はぁ?」
「あの人は、7年前の小樽でヴェネツイア美術館に行けなかった。だから、いままで気づかなかったのよ。製造元の刻印がないの」
「だったら、これは一体どこから出たんだ?」
「麻子の守護天使が、自分で作ったのだと思うわ」
 ナオミは微笑んだ。
「なんでそれがわかるのさ」
「コロンビーナの顔をよく見てみてよ。麻子ちゃんにそっくりじゃないの」
「そういえば…」
 隆一は、女の顔をした仮面を手にとってじっくりと見た。
「言われてみれば、ふっくらとした頬やセクシーな唇はまるで彼女だな」
「そして、コメディア・デラルテのお定まりといったら?」
「道化師のアルレッキーノは、コロンビーナを愛している」
「それって、いつもそうなの?」
「ああ」
 隆一は一息おいた。
「つまり、イタリア喜劇のコメディア・デラルテは、キャラクターの性格と行動パターンがすっかり決まっているのさ。だから、観客は物語の成り行きを、知りながら見物する。知恵の回る道化師アルレッキーノは、ペテン師でもあるが少々間抜けで、悪辣ではない。恋人のコロンビーナは元気で明るく、スタイルの良さで男たちをとりこにする。あとは金持ちで欲深いパンタローネや、優しいペドロリーノ…これはあとでピエロといわれるようになるんだ。これらのキャラクターを、いつも同じ役者が仮面をつけて演じ、コントもやって客を笑わせる」
「ふーん」
「即興劇だけど、この形態は、オペラや大衆演劇の土台になっていて、フランスの劇作家モリエールや、かのシェイクスピアも強い影響を受けているのさ。そういえば、フィギュア・スケートで荒川静香が演じた『トゥーランドット』も、コメディア・デラルテの手法を踏んだオペラだって、ネットで騒いでたよ」
「なーるほど、さすが隆さん」
 ナオミは軽く手をたたいた。
「いやそれほどでも。専門家じゃないから、このくらいしか分からないよ」
「じゃぁこれの送り主は、自分をアルレッキーノにたとえている、ということだわ」
「だろうな、でも何でだろう」
「もう忘れた?アガサ・クリスティーの短編で、コメディア・デラルテをモチーフに使った『戦勝記念舞踏会事件』で、アルレッキーノのことを『人の目には見えない妖精』と、言っていたじゃない」
「ははぁ、よく憶えてたな」
「だから、この人は常に麻子の側にいるのよ」
 ナオミはアルレッキーノをかたどったブローチを灯りにかざした。
「そして、麻子自身も知っている人…名前が分かれば、思い出すはずだわ」
 仮面の中には、アルレッキーノが3個もあった。そして、衣装を替えたコロンビーナが3つ、あとは顔を白く塗ったペドロリーノ(ピエロ)、というところね」
「ふぅ、ならばそいつはアルレッキーノというよりピエロに近いな」
 隆一は言った。
「アルレッキーノは、もっと奔放で人を喰った奴だろ?」
「だから、その人格はきっと本人の願望なのよ」
「しかし、気味悪いじゃないか。麻子を守りたいという気持ちはあるだろうけどさ、こそこそとまとわりついて、よけいに怖がらせている」
「名乗り出られない理由があるのよ」
「たとえば自分も悪党の一味だとか?」
「…それは違うと思うわ。この作品を見ると、よく分かる」
 ナオミは、麻子が微笑んでいるように見えるコロンビーナを指した。
「芸術品には、創った人の心がはっきり表れる。この人は、虫も殺せない人よ」
「まぁ、配色からして繊細そのものだ」
「感受性の強さと、優しさと神経質さが浮かび上がっている。私は思うんだけど、彼は単純に、麻子を好きでも、拒絶されるのが怖いのよ」
「ああ、それは分かるな」
「だけど、名乗り出られないなら黙って守っていればいいのに、どうしてこんなことをするのかしら?」
 ナオミが首をかしげた。
「自分が麻子を守っているという証を、形にして残したいんだろ。人知れず動いて、空気のように在り、ただ去るだけというのは、男にとってやりきれないものさ」
「ふふん」
 ナオミは笑った。
「隆さんは恋愛小説家になれるわね」
「ああ、いつも身を切られる思いをしてるから」
 隆一も言い返した。
「麻子の人間関係をもう一度、7年前のものから徹底して洗わないと。麻子自身が、思い出してくれたらいいんだけど」

<つづく>



--- ◇Kazeのミステリ街道 ---------------------


---------------------------------- 2006年10月26日号 ------


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◇北国商会の業務日誌・その2『小樽ー青森・失踪ルート』
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◇連載9回目・ルームサービス

「それと現在も、だな。麻子の人間関係は、大都会すすきのの中で、意外に狭い」
 隆一は言った。
「コンビニの『タイガすすきの店』と北大、アパートの往復じゃ無理もないか。毎日会うのは店長、そして昼は麻子よりずっと年長のパート女性3人が交替で出勤、夜は同年代か年下の学生バイトが入れ替わり立ち替わりやってくる。…あとは、出入りの飲料ルート配送業者、自販機の人、と業者関係ね。友達は、いつもコンビニに夜食を買いに来る女の子で、近くのスナックに勤めてると言ってた」
「彼氏はいないんだよな。いまは彼氏どころじゃないようだしね」
「従業員だって、女ばかりだし」
「だが、例の店長は絶対、麻子に気があると思うぞ。どんな奴かしらないけど、いまだって麻子の願いを聞き入れて、本部から来るお偉いさんに、麻子を正社員に推薦しようとしてる。さらに遅くなると、毎日のようにアパートに送る。下心みえみえだよ。いままで何もなかったと言われても、ちょっと信じられないな。そいつの顔、いちど見てみなくちゃな」
「あの子は店長の気持ちすら利用してるのよ。ステップアップのためなら、彼と寝てもいいくらいの覚悟はあると思う」
 ナオミが言った。
「流通業界は、ゼロからはい上がれるからなぁ。うまく渡り歩けば、実入りもいい。そこまでやる子なら、本社勤務だってできるかもしれないな」
 隆一はため息をついた。
「麻子は人を出し抜いて踏み台にしても、望んだものを勝ち取るわよ。隆さんがもし、このブローチの送り主だったら、いくら麻子を好きだからと言って、打ち明けることができる?」
 ナオミが訊いた。
「…無理だな。振られるに決まってると、思いこんでしまうだろ。『目に見えない妖精』と、麻子の気性はかけはなれてるよ」
「そうよね。そして彼は、麻子の行動をどこまでもよく知っている。今年、フェリーに乗ることまで知っていた。必ず、いまの人間関係の中に存在するんだわ。それさえつかめたら苦労はないのに!」
 彼女はテーブルを指で叩いた。
「なぁ、そのアルレッキーノ君は、すみれがどうなっているか知っているのかなぁ」
「どうかしら」
「やっぱり、すみれは、どこかでいい男に熱をあげて、一緒に暮らしてるんじゃないかな。親父が死ねば、いつかは遺産も入ってくる。まさか失踪宣告を出されるとも知らずにさ」
「…まだ言ってる。女の人が失踪すると、いつもそう言われるじゃない。だとしたら、いつ引っ掛かるのよ。あの時、麻子とすみれに声をかけた2人組の男とだって、たった1時間で別れてる。麻子と青森に帰ってくるまでは、すみれの様子はなにも変わっていなかったのよ。家出の計画すらしていない」
「やっぱり無理があるかなぁ」
「でも奇妙だわ…」
 ナオミは髪をまとめ上げた。
「すみれのことも、もっと知らないといけなかったわね」
 その時、カレーの匂いがしたので、隆一はドアへ飛んでいった。
 とがった前髪を長く垂らしたボーイが、ワゴンでルームサービスを運んできた。彼は丁寧に、部屋のテーブルに皿を並べながら、
「ルームサービスのほうは、いまでオーダーストップとなりますが、1階のレストランのほうでしたら、軽食でよろしければこれからもご利用いただけますので、ご来店のほうお待ちいたしております」
 と言い、割引券を置いていった。「24時間営業」と書いてある。
「ああ腹へった。まず食おう」
 隆一は、さっそくエビフライカレーを食べながら言った。
「このホテル、スタッフはまるでハンバーガーショップだが、サービスは悪くないな。食い物も旨い」
「そう、だから好きなの。とくに門限もないし、時間が不規則な私達には、助かる場所なのよ」
 二人はしばらく、無言でカレーを食べ続けた。テーブルの上のものをすべて食べ尽くしたころ、また電話がかかってきた。隆一が出た。
「俺だ」
 一義だった。
「さっきは酔って失礼したな。詫びと言うほどでもないが、お二人さんに寿司を頼んでおいた。小樽の寿司屋通りの店から、直接届けさせる。毒は入れてないから、心おきなく食ってくれ」
 一義はそう言っただけで電話を切った。礼を言う間もなかった。
「どうしたの?」
「お向かいさんから、寿司の差し入れだってさ」
「小樽の寿司が食べられるの?」
「本当は、食いたかったのか?」
「……」
 ナオミは無言で笑っていた。
「それにしても、これ以上入るかな」
「お寿司は別腹よ~」
「すっかり、寿司で懐柔されそうだな」
「あら、それとこれとは別よ」
「はいはいそうですか」
 話しているうちに、ドアを叩く音がした。
『寿司処タルナイですー』と声がして、隆一が開けたとたん、白衣を着て白いキャップをかぶった若い男が、「お待たせしました!!」と寿司桶を預けて去った。
「おい、桶ひとつだってさ」
「わぁ、おいしそう」
 ふたを開けると、新鮮な寿司の匂いがした。桶ひとつで、50カンはある。
「いまは食べ切れそうもないから、夜食用に少しとっておこうかな」
「そうだな」
 二人は最初に半分とりわけておき、さっそく小樽の寿司を食べ始めた。
「旨い!とくにウニとホタテ、ボタンエビの味は全然違うな」
「うん。何回か小樽に来てるけど、お寿司食べたのは初めてだわ」
「なんでさ。高いから食ってなかったの?」
「それもあるけど、千戸市も小樽も同じ港町じゃない。私達は、ウニなんか、浜にあがったばかりのを殻から取り出して食べて育った口でしょ。活きの良さはどっちも同じだろうから、わざわざここで食べることないと思ってたのよね」
「あ、それはあるな。でも、大学んときの友達に話したら、小樽の寿司は、食べればショック受けるって言われたことある。どことも違うって言ってた。ほんとだよ、とくにウニなんかはさ、味が濃くてとろけるみたいだな」
「やっぱり、その土地の名物は食べてみなければわからないのね」
 マグロもトロも、ネタが大きく脂が乗っていて、シャリの味は北国の人間が好む、甘みの少ない味付けだった。二人は無言で食べ続けたが、さすがに一人分食べたところでお腹がいっぱいになってきた。
「まだ半分も食べてないのに、もう食べきれなくなっちゃった」
「また、落ち着いたら入るようになるさ。ジャンプでもすれば?」
 手をつけないままの寿司を、涼しい場所に移そうとしたら、また電話が鳴った。こんどはナオミが取った。
「…そうですか、わかりました。いま行きますから」
 ナオミは答え、電話を切った。
「何だって?」
「フロントよ。道警の刑事が来てるって」
「もう?なんでここが分かったんだ」
「越智田先生には、ホテルのイニシャルをメールで送っておいたの。浜田っていう、知らない刑事だけど、とにかく迎えにいってくるわ」
「先生が連絡したのか?顔見知り程度だって言ってたのに、わざわざここまで、…それもこんなに早く来るなんて、どういうことだろう」
「さあね」
 ナオミが上着に片袖を通すと、ドアが何回も叩かれた。
「えっ、もう来たの」
 力強く、せっかちに叩き続ける。
「そんなに叩くと、ドアが壊れるわよ」
 ナオミは低く呟き、のぞき窓で確認すると、いったん隆一へ向き直ってニヤリと笑い、チェーンを外して、ドアを開けた。
 入ってきたのは、女の刑事だった。
 身長は、ナオミより5~7センチ高いくらい、小柄で少々筋肉質な体格だ。 髪をポニーテールにまとめ上げ、北国特有の、真っ白い餅のような肌に、色っぽい一重まぶたと、きりっと結んだ小さな唇がある。年頃は、30前後か。
 だが、刑事だから、もう少し行っているのかもしれない。
 グレーのスーツの、上着のボタンがはじけんばかりに胸が大きく、隆一は目が釘付けになった。
「はじめまして。道警少年課の、浜田 千花(はまだ ちか)と申します」
 彼女は入るなり、ハスキーな大声で挨拶をし、名刺をナオミと隆一に渡した。
「はじめまして。わざわざ…」ナオミがバッグから名刺を出そうとすると、
「白河さんのお名前は存じております。3年前の、高速道路の料金所から忽然と消え去った100頭の牛の事件、あの解決はお見事でした。ご一緒でき、嬉しく思いますわ」
 千花は言った。
「あれをご存じで?」
 ナオミが笑った。
「何?消えた100頭の牛って」
 隆一が首をかしげていると、ナオミが笑った。
「あなたが帰ってくる前の話で、私の名が初めて世に出た事件なのよ。…奇妙なケースだったわね」
「そりゃ、そうだろう。牛100頭じゃね」隆一は呟いた。
「越智田先生から連絡を受けたとき、たまたまデスクワークのため残っていたのです。お話は、だいたい伺いました。白河さんがかかわる事件なら、背景に凶悪犯が絡んでるとばかりに、札樽自動車道をぶっ飛ばして来たわ」
 千花の目は爛々と輝いていた。
「今回のケースは少々、複雑なんです。でも、少しずつ見当がついてきてはいます。だから裏付けがとりたいの。…そして、この事件の首謀者は、社会に野放しにしてはならない人物よ」
 ナオミは言った。
「わかりました。特定できたら、余罪でもなんでも引っ張り出して、とっ捕まえたいものだわ」
「まずはお寿司どう?さっき来たばかりで、手つかずのがあるわ」
 ナオミは、テーブルの上に寄せておいた寿司をすすめた。
「わっ、寿司処タルナイ!ここ高いんですよ。いいんですか、いただいて。いただきまーす!!」
 千花はまだたくさんある寿司をパクつきはじめた。
「ああ、おいしい~。お腹ペコペコだったんです」
「こんな時間まで残業していたのね」
 ナオミはいい、お茶を入れた。
「事件が多すぎて。明日はいちおうオフだから自由に動けます。まずは、お話聞かせてもらえますか?」
 千花は口を寿司でいっぱいにしながら訊いた。
 その様子がかわいらしく、隆一は名刺を見て言った。
「千花さんの名前は、千の花、と書くんだね。イタリア語で、ミッレ・フィオーリだ。無数の花がはじけんばかり、というところだね」
「はぁ?」
 千花はエビを頬張りながら、隆一をにらんだ。その表情には、「何この人」と書いてある。
「気にしないで。この人は可愛い女の人をみると、つい蘊蓄をたれたくなるんだから。その胸をあんまりじろじろ見たら、この場で逮捕していいわよ」
 ナオミは言った。
「服の上から見ただけでは罪に問えません。でも、度重なったら別ですけど?」
「そうか、失礼。僕は佐々木隆一です。ロマンを愛する男でね、つい口がすべる。よろしく」
「よく言うわ」
 千花は笑った。表情が、来たときより軟らかくなった。
「ミッレ・フィオーリなら知っています。ヴェネチアン・ガラスの工芸品、モザイクガラスのひとつね。私もネックレスを持ってるわ」
「千花さんも、ヴェネチアン・ガラスのファンなのね」
 ナオミが言った。
「ええ、行けるときには、北一ヴェネツイア美術館へ行ってぼーっとします。1階のミュージアムショップでアクセサリーを買っても、つける機会がなくって。でも、寝る前に眺めてるだけでも楽しいです」
「激務なんだね。出身も北海道ですか?」
 隆一が訊いた。千花はうなずいた。
「生まれは静内町です。開拓時代から、うちは警官の家系なの」
「それはすごい。道警には何年?」
 ナオミが口笛を吹いた。
「少年課に配属になったときから、5年になります。だから、北条麻子や、『タイガすすきの店』のスタッフ、あと麻子の友達とは、何回か口を聞いたことがあります。あのへんでは、ケンカも発砲も、なんでもありますから、聞き込みするうちにみんなの顔を憶えていくの」
「なるほど、じゃぁ心強いわ。…じつは、きょう青森から小樽に着たばかりなんだけど、思っていたより、状況は良くないのです。とくに、麻子は危険です」
「あの子がねぇ。そんなことに巻き込まれているなんて思いもしなかったわ。たしかに、見た目はハデだけど、私生活は普通ですよ」
 千花は箸をおいて口を拭いた。
「あ、食べちゃってからでいいわよ。ウニは一個だけ残してね」
 ナオミは残りの寿司を、かなり気にしていた。
「いえ、遠慮なく食べまくってしまって」
「お寿司を賄賂にして、あなたの協力を得たいのよ」
「こんな賄賂なら、毎日欲しいですわ。でも、さっそく樽ひとつのお寿司なんて、豪勢ね」
「実はこのお寿司、お向かいさんからの差し入れなんだけど…」
 ナオミは、今日小樽に来てからの状況を、簡単に説明した。
 千花は、真剣な表情で手帳に書き付けていた。
「まずこの件は、北条麻子が、自分が沢野すみれの失踪に関わったかのように、週刊誌に書かれたことに気づいたことから、掘り起こされて来たんですね。そして、沢野すみれは、7年前に、麻子と一緒にいちど青森に帰ってから、行方不明になっている。その時、沢野すみれの親である、青森の県会議員、島守よしみちは、財産の一部を愛人ですみれの母、妙子にかなりの額を残すと決めていた。そしてすみれにもね」
 千花は聞いたことを反復した。
「それが事件の発端となったのは確実よ」
「すみれ自身には、失踪する理由があるようには思えず、その兆候もなかったが、生存して北海道にいると、あなた方は踏んでいるのですね?」
「最初は麻子が言ったんだけど、私達もいまではそうと断定しています。彼女は、毎年、送られてくるこのブローチが、すみれからのメッセージだと思いこんでいたの」
 ナオミは、7個の仮面を千花に見せ、経緯を話した。
「なるほど、これはヴェネツイア美術館のものではありませんね。それどころか、小樽のどこでも売ってはいません。あなた方が、すみれが北海道にいると断定した理由は何ですか?」
「その謎は、この封筒の中にあるわ」
 ナオミは、バッグの中からクラフト封筒を出した。

<つづく>



--- ◇お読みいただきありがとうございます 感想をお待ちしています

次へ行く…『連載10回目』




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