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朝の散歩では意外な人と会うこともあって、今朝もばったりとある人と会った。今朝はいつもより遅く、9時ごろだった。その人はどうやら仕事で我が家のほうに来て、道端にいた私が声を掛けた。 「ご無沙汰してます」 その人は誰だかすぐにはわからないようで、いぶかしげに私を見た。 「市議会議員のたにざわです」 「えっ?そのかっこうじゃぜんぜん分からないよ~」 なにせ、ニット帽を被り、あごヒゲ面で、しかも薄いサングラスもかけていた。こりゃそこらのあんちゃんだ。普段頻繁に会っているならいざ知らず、分かるはずもない。 で、しばし立ち話。話は選挙のことから市行政に対する不満にまで亘った。 きっとこんな時の方が本音に近い話が出やすいのだろう。偶然に感謝、だ。 国会じゃ厚生労働大臣の不適切発言で揺れているらしいが、あれって多分「機械」に例えちゃった時も瞬間的に「まずったなぁ」と思ったに違いない。だからその講演会の中でもくどくどと「たとえとしては適切でないかもしれない」とか「機械といってはなんだけど」とかって言い訳がましいことを言っている。 ここまで来るとセンスの問題でもあるが、押し並べて国会議員の物の見方では、機械的で統計数字的な言い方になることが多い。我々国民の生活がどうなるのかというより、消費税をほんの1%上げただけで2兆円、みたいな感覚なのではないだろうか。そこには生活実感がない。俯瞰的な目線ばかりだと、衛星写真で地球を見るようなもので、自分もその上にいることを忘れてしまうのかもしれない。 そもそも厚生労働大臣のあの発言は、子どもが欲しいけれど、できなくて泣く泣くあきらめた人だってこの世にはいるということを忘れている。 今日で1月も終わる。早いなぁ※人気ランキング投票に参加しています。 ↓ ↓ 人気blogランキングへ
January 31, 2007
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毎朝のBuddy君の散歩は途切れることなく続いている。ただ今朝はいつもより30分ほど遅く小学校の登校時間に重なった。Buddy君は大勢の子どもの集団に完全にビビっていた。回りをきょろきょろしながら警戒モード全開だった。 で、いつもの通り鴨川中央公園から鴨川緑道へとまわってくると、大石北小の門前では、校長先生と地域の「防犯ボランティア」の皆さんが、朝の声かけ運動をやっていた。登校してくる子どもに「おはようございます」と声をかける。「防犯ボランティア」の皆さんは総勢7人ぐらいだっただろうか。門の前に並んで「おはようございます!」とやっていた。 「選挙が近いなぁ」と連想してしまった。選挙の朝の駅頭挨拶とまったく同じ光景だもの。そんな連想の貧困さも嫌なんだけど…。 皆さんに朝の挨拶をしながら、ちょっと「焦り」も感じた。※人気ランキング投票に参加しています。 ↓ ↓ 人気blogランキングへ
January 30, 2007
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先週木曜日から始まった通常国会。今日は衆議院で政府4演説に対する代表質問が行われた。が、正直余り関心がない。私ですらそうなのだから一般の皆さんはまったく関心ないのではなかろうか。ニュースで取り上げられてもほとんど関心がわかないことだろう。 ただアベシンゾーは、この通常国会では前の臨時国会で強行した「教育基本法」の改正に引き続いて、教育職員免許、学校教育、地方教育行政の関連3法の改正成立を目指すことを明言したとの報道がある。教育再生がアベシンゾーの「生命線」だということだろう。 われわれ「大人」の社会では、これらの問題点をあまり感じないかもしれないが、子供の世界では確実に「こじんまりとした人間を作る教育」に変わるだろう。この国の指導層は「管理強化」が大好きだ。不祥事が発覚すると必ず“「管理を強化して」再発防止に努めたい”とコメントする。 管理強化で解決できる問題は、表面的なこと、対処療法的なことであって、根本的な問題解決には直接つながらない。民間企業でなぜTQC活動が行われるのか。製造過程での品質の均一化やサービスを高レベルで保つためには、「~してはいけない」ではなく「~したほうが良い」でなければ達成されないからだ。だからルール化も禁止事項ではなく行動基準として「~をする」「~をやる」となる。 成長過程にある子どもにはここがもっとも大切ではないかと感じる。大人が「だめだ」と言うよりも子どもに「それは自分にとって必要なことかどうか」を考えて、判断する訓練をすることが大切ではなかろうか。当然「やってはいけない」という“否定”の発想から、「こういうことをやろう」という“能動”の発想に転換しなければならない。 ところが「大人の社会」は、当然「してはいけない」という決め方で、できる範囲での自由が保障されている。法律だってそういう条文の書き方になっている。ところがこれをそのまま子どもの社会に当てはめると、それこそ自立的な判断が育まれることなく成長してしまうのではなかろうか。 子どもには自ら判断するという訓練が必要だと思うが、それを指導する教員を管理強化してしまうと自立判断を指導できるのだろうか。教育現場が萎縮することのない制度、仕組みの構築が大切ではなかろうか。※人気ランキング投票に参加しています。 ↓ ↓ 人気blogランキングへ
January 29, 2007
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今日も午前、午後と「新年会」が続いた。声を掛けてもらえるのはありがたいが、午前中からアルコールを勧められると、なにやらすごく悪いことをしているような気になる。断るのも悪いし、飲めば飲んだで「身上を潰す」みたいでよろしくない。私は晩酌などは一切しないし、それほど強い方ではないので、何か理由をつけては飲む、ということもない。 なのでこういう場合は、車で行ってそれを理由にお断りしている。もっとも今日の場合は、すぐに次へ移動しなければならなかったので、絶対に車で行かなければならなかった。 その会合の市長の挨拶で、バリアフリー化を含む上尾駅改修について、これまで言われていた総事業費約40億円、市の負担が36億円ということから、西口の整備も事業に織り込んで総額約60億円、だが「まちづくり」関係の補助金を当て込んで市の現金持ち出しは16億円に抑えられそうだという話をした。それ以外に市債として20億くらいは発行するらしい。「市議会にきちんと図っていない段階で議員の皆さんにはお叱りを受けるかもしれないが…」という付け加えもあったが…。さも決定したかのように聞こえちゃったんだもの、こういうのって私はよくないと思いますよ。 さて、この話を聞いていて思い出したのは、「広報あげお」2月号の特集記事だ。そもそもこの特集記事には、予定されている建設費など一切の金額が書いていない。費用については最後に市長のコメントの中に、「費用対効果を意識している」とひと言あるだけだ。だが、「費用対効果」を言うのならば、事業のコンセプトワーク、どんな町を作るのかという検討の結果がなければ、その費用が高いのか安いのか事業完成によってどんな効果が得られるのか、まったく見当がつかない。 この記事は、さも市民参加だといわんばかりの「研究会」「検討委員会」のメンバーや開催経緯などばかりを載せて、市民にとって必要な情報である総事業費、せめて概算くらいは掲載するべきなのにお金の話は一切触れないという、私からすればはっきりとミスリード、公正さを欠く記事だ。 で、今日の会合での事業費に関する市長の発言だ。たしかにこれまでの市の負担は約36億円だということに比べれば費用負担割合が減るのは良いことだとの評価があるかもしれない。だが、私が新たに疑問を持つのは、ということはこれまでの金額は一体なんだったのか、ということだ。 「総事業費40億、上尾市の負担はその9割、36億」という数字は噂でもなんでもなく、市の上尾駅整備室という部署が認めていた数字だ。ところが今回の市長の話はちょっと唐突だ。 交通バリアフリー法によって、バリアフリー化をしなければならない公共施設がはっきりと明記されていて、駅はエスカレーター、エレベータ、多目的トイレといった施設も必ず設置しなければならないことになっている。上尾駅には東口と西口側も使いにくいが一応エレベータはある。ところが、ホームに下りるそういった施設がない。また、ホームの幅も狭くラッシュ時間帯は人があふれんばかりになっている。こういう現状があるから、先に事業としてやらなければならないのは、実はホームへのエレベータ設置や拡幅整備ではないのかという声はよく聞く。 この「広報あげお」の記事の見出しが、「市民参加の駅づくり」と書いてある。ところが公表されたメンバーの中には公募の委員は一人もいない。また「バリアフリー化」が重要な目的と読める記事でありながら、身障者団体代表は1人しかいない。 駅の改修の必要性を強く訴える記事だが、駅がデザイン性の高いシンボリックなものに改修されたからといって、別に乗降客が劇的に増えるわけじゃない。新しい駅で気分がよいといっても、それで福祉が向上するわけじゃない。教育予算が増えることは絶対無い。つまり、「市民参加で理想の駅」というが、駅としては「理想的」かもしれないが、上尾の行政全体の中で、駅だけ理想を追求してどうなるのか、ということだ。生活に密着する施策こそ、まず理想追求すべきことではないのか。 それと、上尾市民全員が上尾駅を利用しているわけではない。北上尾や、原市では東大宮駅やニューシャトルの駅の利用者もいる。我が家の辺りでは桶川駅が最寄の駅になる。とすれば、受益者負担の考え方でやれという考え方も出てくるのではないか。 そうそう、広報に載っている検討会の会長と副会長はともに上尾市民ではないらしい。駅ビル計画断念が残念だと書いているが、いったい誰の金で作るのか忘れてないか。財政状況を考えれば事業計画はすべて「身の丈」であることが重要な用件になると思う。この記事では単に「20万都市にふさわしいかどうか」が事業のコンセプトだとしか読めない。予想図のような駅改修をする意味をもっと記事にするべきだ。 広報あげお2月号の駅改修の記事は極めて無責任な記事だ。※人気ランキング投票に参加しています。 ↓ ↓ 人気blogランキングへ
January 28, 2007
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県内の仲間の議員の後援会が主催する新年会に出席した。さすがに3ヶ月後に選挙を控えて盛り上がりをみせていた。その挨拶の中で、その自治体でも決算で黒字であるという表現が、市民感情に照らしてどうなのかという議論があったことが紹介されていた。 どこの自治体でも同じように、実質収支において歳入が歳出を上回れば「黒字」だというのだろう。だがこの表現は「だから良い」とは単純にいえないことに注意しなければならない。 上尾で言えば、17年度決算は、歳入が509億2700万円で歳出が489億6850万円で来年度に繰り越す金額が2億4500万円で差し引き残額が17億1300万円余りとなりこの分が「黒字」だということだ。 だが、「広報あげお12月号」の記事にあるように、市債を発行して得た現金が42億3370万円あり、これを加味しなければ25億2000万円の赤字になる。つまり借金しなければ25億円足りない決算だということになる。そして借金しすぎて余った分なのに「黒字」だというのか、という疑問も湧いてくる。 こういう現実で考えたなら、例えば商工会議所の新年会で市長の代理で挨拶した助役は「おかげさまで黒字になりました」と挨拶の中で語っていたが、「おかげさま」でもなんでもないことがちょっと検証すればすぐわかることだ。上尾市の財政はしいて言えば「貧しい中でも比較的バランスよくやっている」とは言えても「黒字」という言葉からイメージされるような「裕福さ」とは程遠い。 行政が発信する「言葉」はたいへんに重たいものだ。だから議会答弁や、事業計画も慎重に慎重を重ねて発信するものだと思っていた。だが、この黒字表現といい、広報12月号の決算記事の中にある「市民一人当たりの換算額」という図表だって、相当意図的なリードをしていると感じる。 ということも3月議会の一般質問で聞こうかな。※人気ランキング投票に参加しています。 ↓ ↓ 人気blogランキングへ
January 27, 2007
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例年になく暖かい日が続いている。朝のBuddy君の散歩の時も手袋をしないことが多い。明け方でも玄関においてある温度計は8℃程度はある。TVニュースはまったく雪の降っていない「雪祭り」会場の映像も流れた。どうなっているのか、我が地球は。 夏は暑くそして冬は寒くないと景気にもいい影響はないらしい。夏は夏の商品が冬は冬のそれが売れないと活気が湧かない。これだけ暖かければコートも要らない。そういえば今日は日が暮れてからもコートなしで歩ける陽気だった。とにかく寒くないのだから。 となれば、冬家電もあまり売れなくて安くなっている。で、今日はかねて懸案の「リビングこたつ」をとうとう買った。近所のホームセンターさまさまだ。椅子2脚とコタツ布団付きで、なっなんと1万5千円だった。大きさは天板が75cm×75cmなので小さいがそれでもインターネット通販などで調べても3万円程度はしていた。我が家のリビングにはこの大きさがちょうどいい。 これまで使っていた足の低いコタツは、天板の4隅をBuddy君がかじってぼろぼろにしてしまっていた。食事をしようと作っていたカレーを盛り付けてこのコタツに置いたところ、電話がかかってきて目を離した隙にカレーを全部なめられてしまったこともあった。たまねぎ入りなのに…。無事に今も元気だが…。 いずれにしてもコタツは買い換えなければならなかった。どうせなら足高の「リビングこたつ」をと考えていたのだ。懸案が解決してよかったよかった。 さて、新しいものを見ると犬の習性としてマーキングしたくなるらしい。さっそくこたつ布団にやってくれた。こればかりはどうにもこうにもしょうがない。しばらくは臭い消しスプレーの大量消費だな。
January 26, 2007
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政務調査費の不正支出問題が全国に広がっている。使途基準に照らして「不正」であれば大問題だが、使途基準通りなのに批判を浴びてしまうものについてはもう少し冷静な議論が必要だと思う。 隣のさいたま市では、妻が代表を務める有限会社内に議員事務所を置き、家賃や水道・光熱費として、政務調査費から月額7万7000円を同社に払っていたことがということが「違法である」として報道されていた。 さいたま市の政務調査費は議員1人当たり月額34万円が、所属する会派に対して人数分が支給される。条例の2条の規定で、無会派議員であっても支給されるようだ。「さいたま市議会政務調査費の交付に関する条例施行規則」第3条の別表に事務所費が支出項目としてあるが、その説明だと「会派が行う調査研究活動に必要な事務所の賃借料、維持管理費、光熱水費、公租公課、保険料、備品の購入費等の経費」の支払は政務調査費からできるということだ。つまり「会派」だ。 ということは会派の事務所ならばいいが個人の事務所ではだめだとなる。が、無会派議員の事務所費はどうやらいいみたいだ。わかりにくいなぁこれは。 わが上尾市議会ではどうか。 上尾市議会の政務調査費は1人当たり月額2万5千円だ。さいたま市とは一桁以上違う。わが上尾の1年分でもさいたま市の一月分にも満たない。その使途基準によると、事務所の賃料はどうやらだめみたいだ。もっともそれ以前に2万5千円という額では払えないが…。 その半面で、TVや新聞などでは、「地方議会の重要」もよく言われている。分権社会なんだから地方のことは地方で決めろというものだ。たしかに、市役所で行われている各種行政サービスや、国民健康保険料額や介護保険料額とその中身、というような全国的なサービスも自治体で決めている。だが、それらを議決する議会議員の質はどうか。 残念ながらあまりに低いと言わざるを得ない。さまざまな自治体で不正支出問題が噴出しているし、茨城県鉾田市では政務調査費を使った視察でのセクハラ事件も発覚している。 こんな事件を起こすからまじめに良心的に活動していても、地方議員は無償でやれと言う論調にまでいく。 たしかに地方議員は国会議員に比べてそれほど顔が売れているわけではない。私など地域のスーパーで買い物をしていても声をかけられたことはほとんどない。 それだけに緊張感が足りないのだろうか。あまりにも自律性がなさすぎる。 こういう実態では「金を渡すからいけないんだ」と言う空気になりやすいが、真の悪はこんな微々たる額の金などに見向きもせずに懐に溜め込んでいる、のだろう。それだけに、わずかな活動費すら取り上げられたら誰も地方議員などやる良心的な人がいなくなるのではと危惧している。 ちなみに、最近の会合などではこの政務調査費問題についてどうなのかと聞かれることが多いが、上尾は月額2万5千円だと言うとそのあまりの小額さに驚かれることが多かった。ある人には25万円の間違いではないのかとも言われた。 昔から「井戸塀」という言葉がある。政治の世界に入ると全財産をつぎ込んで気がついたら「井戸」と「塀」しか残らないという意味だ。3年やってみた私も確かにそうだなと思うところがある。 欧米に比しても格段に責任は重く守備範囲が広い地方自治体議員だが、このまま議員の質が悪いままでしかも待遇も悪ければそのうち成り手がいなくなると心配している。※人気ランキング投票に参加しています。 ↓ ↓ 人気blogランキングへ
January 25, 2007
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実は3月定例議会は、2月26日から始まる予定だ。その前2月2日には臨時議会が招集される。2月3日には恒例となった民主党上尾議員団の12月議会の「報告会」もある。それが終われば2月12日には民主党埼玉県連の定期大会もある。そして定例議会だ。なんとも忙しい。 その合間を縫って仕事もやらなければならない…。 噂によるとわが上尾市は、来年度からどうやら「不交付団体」になるらしい。これもいいのか悪いのか冷静な検証が必要だ。減税補填債や臨時財政対策債もどうなるのか確認しなければ。たしかこれらは普通交付税で元利償還金相当額が国から来ていたはずだ。 そんなこんなを調べていたらすぐ議会が始まるなぁ。1ヶ月をどう乗り切るか。焦る。※人気ランキング投票に参加しています。 ↓ ↓ 人気blogランキングへ
January 24, 2007
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昨日の日記に書いた「広く会議を興し、万機公論に決すべし」というのはいわずと知れた「五箇条の御誓文」の第1条の文言だ。明治元年戊辰3月14日の日付がある。あまりにも有名な条文で、学生の時には先生に「ここは試験に出るぞ」なんていわれた記憶もあるようなないような…。 この「五箇条の御誓文」の時代背景を考えると、慶応3年(1867)10月に大政奉還が行われ、12月9日には王政復古が宣言された。この「五箇条の御誓文」が出されたのは次の年の3月であり、同じ年に明治元年となった。「御誓文」は、新しい時代「明治」の到来を象徴するものであった。 この「五箇条の御誓文」では有名な第1条よりも、私には第4条のほうが気になる。 いわく「旧来の陋習(ろうしゅう)を破リ天地の公道に基くべし」とある。意味は、「古くからのしきたりに囚われず、世界に通ずる普遍的な道理に基づいて行動して行こう」ということになる。 「天地の公道」とは今で言う「国際法」のことで、当時は「万国公法」と言われた。よって、国際法に基づく国を作ってゆこう、という宣言でもある。 これぞ現代に生きる私たちこそが大切にしなければならないことではなかろうか。コイズミではないがまさに既得権を貪る人たちを「ぶっ壊す」ということにも通じる。 「何においても公の議論によって決め、古くからのしきたりに囚われず、世界に通ずる普遍的な道理に基づいて行動して行こう」これぞ私の政治信条そのものだ。 「故きを温ね、新しきを知る」 そういえば捏造番組「あるある~」は打ち切りになるそうだが、今回の不祥事を「打ち切り」で終わらせていいのか。「不二家」に比べてもその償いは軽く感じられる。捏造された情報でどれだけの人が振り回されたことか。私からすればその罪は「不二家」よりも何倍も重い。※人気ランキング投票に参加しています。 ↓ ↓ 人気blogランキングへ
January 23, 2007
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選挙から一夜明けて宮崎県の東国原英夫知事誕生の波紋がいたるところで見えてきた。緊張の表情でTVインタビューを受けている新知事とは対照的に、各党の幹部のインタビューでは努めて表情を押し殺そうとしているように見えた。 22日夜現在では、各政党のホームページに宮崎県知事選挙について公式に言及したものは見当たらない。どう反応したものか悩んでいるのだろうか。自民党に至っては推薦候補が惨敗したにもかかわらず、その存在すら消してしまったかのごとくだ。都合の悪いことは無視するということをやってきたから政党は信頼をなくしたと思うのだが。 この選挙結果を受けて自民、民主をはじめとする各党は選挙戦略の見直しを迫られているという。その半面で、アベシンゾー首相は、「地方選は地方の未来を住民が決める選挙だ」と記者団に述べ、参院選への影響はないとの認識を強調したという報道もある。 今回の宮崎知事選挙は、ただでさえ不信が高まっている既存政党に対して、その不信をより大きくするものだった。これまでの政党や政治の枠組みの中で起こった「官製談合事件」での出直し選挙だったのに、政党はまたも官僚出身者しか擁立できなかった。 しかも「分裂」選挙になった。これでは市民の目には、既得権を持っている人たちと既存政党とが、政治をおもちゃにしているようにしか映らなかっただろう。変えて欲しいという市民の願望を託すことができる候補者は、東国原氏しかいなかったということだろうか。 もうひとつ残念なのは、我が民主党だ。独自に候補者を擁立できなかったことは、地方組織の実力、国会議員政党の限界が露呈したと思う。民主党の無力によって有権者の失望感が大きくなってしまったことだろう。 民主党はまず第1に地方組織を育てなければならない。国会議員主導ではなく大勢の人が参加できる議論の場を作り、議論を積み上げるという仕組みをつくるべきだ。だいたい今から140年も前に我が日本でもこういっている。「広く会議を興し万機公論に決すべし」 こんな基本的なことがなぜできないか。オリンピックではないがまずは参加してもらうことに意義がある。地方組織を強くしなければいつまでも「風まかせ」、嵐の中では船長が舵を放してしまうような政党から脱皮できるわけがない。※人気ランキング投票に参加しています。 ↓ ↓ 人気blogランキングへ
January 22, 2007
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注目されていた宮崎県の出直し知事選挙。“元”タレントの「そのまんま東」さんが中央官庁の役人出身候補を破って当選した。 タレントや有名人の知事を思いつくまま上げれば、横山ノック、田中康夫、…。そうか先日亡くなった青島幸男やそれこそ石原慎太郎なんていう人もこの「タレントカテゴリー」といえなくもない。 田中康夫さん以外は皆国会議員をやった上で知事になった。 政治の大切な要素のひとつに「手続きを厳格に行う」ということがある。ここが一般的には「無駄」とか「回りくどい」「分かりにくい」などいわれるひとつの原因だと思うが、そもそも代議制民主主義の最大の特徴が、時間と、ある意味お金もかけて、ルールをひとつひとつ丁寧に踏んで物事を決めるということがある。決まったことでも、手続きのルールを外れていたことが発覚すると無効になる。こういったことが議会の世界ではあたりまえだ。 ところが「市民派」というか、今までのやり方に苛立ちを持つ市民からの多くの支持を集めて当選した首長は、往々にしてこの手続きを軽く考えてしまうのではないかと思うときがある。 そもそも「手続き」を「無駄」だと主張して当選したのだから、実際に行政運営に携わってこの「手続き」に振り回されるのは納得できないかもしれない。支持した市民も、「手続き」=「今までのやり方」のように見えて期待外れに感じるかもしれない。 だが、こういった首長の出現も、これまでもずっと行われてきた「選挙」という正式な「手続き」によって正当に選出されたものだ。 「変える」ということは難しいし、成果がなかなか現れにくい。変えて欲しくない人も少なからずいて、その人たちも含んでの「市民」だ。できうる限り多くの理解、納得を得られる政治的な活動こそ評価の最大ポイントにしなければきっと頓挫するだろう。長い目で見る必要があるし、その意味では首長の「情熱」を常に確認することが大切だ。 で、今回の宮崎県知事選挙では、既成政党はどうだったのか。きっと談合による出直しということや、保守分裂ということで、既成政党が信頼を集められなかったということではないと強弁するだろうが、果たしてそうだろうか。 私はいまや政治は東西イデオロギー対立ではなく、中央政府vs地方自治体の時代だと主張してきた。地方分権というが、財源や権限はまだまだ納得できるものではないし、なぜか中央政府が財政再建すると、国民生活の豊かさが消えるという誰のための財政再建か分からない政策展開に憤りを感じてきた。 中央政府の「改革」によって、地方自治体は疲弊している。結局増税や、利用料使用料などを値上げして直接市民に負担を押し付けるか、市民が知らないところで議会も「共犯」になって起債して借金し続けるか、市民が“まあしょうがないか”と言えるくらいの市民サービスを広く薄く後退させて我慢をお願いするか、ぐらいしか手はない。 こういう現実に今のところ中央の既成政党は何の手立てもない。自治体間格差が広がり、社会の閉塞感、日々の生活に光が見えにくいにもかかわらず、景気は拡大だといい、史上最高益とか、それこそ上尾市の財政のように黒字だとことさら強調されると、生活実感との乖離に空しさしか残らない。 「そのまんま東」改め東国原(ひがしこくばる)英夫宮崎県新知事の「粘り腰」に期待したい。※人気ランキング投票に参加しています。 ↓ ↓ 人気blogランキングへ
January 21, 2007
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今年は8日が成人の日ということで休日の並びが悪く、今週から来週にかけてが新年会のピークだ。今日も午後そして夜と2つ出席した。 新年会では来賓として紹介してくれるが、祝辞を述べる機会があるわけでもなく、その意味ではなんとなくつまらなくもあるが、普段は話をする機会もない人たちと、いろいろな意見交換が出来るなぁと思って出席をしている。 話をする殆んどの人が、国や市の施策に対する不満を言うことが多い。今日は国保の保険料の算出に、上尾の場合は「固定資産税割」があることがおかしいという意見を聞いた。 不勉強な私は「固定資産税割」があることも知らなかったので、週があけたら改めて調べ直さなければならないが、なるほど確かに家を持っているかいないかで、国保の保険料が多くなったりするのはなんとも不公平な気がしなくもない。ちなみに隣のさいたま市では固定資産税割などというものはないということも言っていた。 特に年金暮らしの人は国保に加入しているはずだし、そういう人の保険料も「固定資産税割」があるのだろうから、その負担感はより大きいだろうと推察できる。 こういったことは上尾独自に決めることが出来るものだ。市民は日に日に負担が増える状況にあるのだから、せめて上尾が独自の判断が出来るものだけでも、市民本位の考え方に基づかなければならない。 明日も新年会が続く。このままでは年末から体重が3キログラムほど増えたままだ。そんなときの痩身情報には誰だって飛びつく。残念だがやっぱり納豆じゃ痩せないようだが…。踊らされた皆さん、ご苦労様でした。「痩せる」という事は要するに摂取カロリーよりも消費カロリーのほうが大きければ痩せるのだ。多分太古の昔から変わらない「真理」なのだろう。※人気ランキング投票に参加しています。 ↓ ↓ 人気blogランキングへ
January 20, 2007
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ニュースによると、アベシンゾー首相は、「共謀罪」を創設する組織犯罪処罰法改正案について、この25日から始まる通常国会で成立を目指すように、法相らに指示したということだ。 何でこの法律案をしつこくしつこく成立させたいのかというと、国際組織犯罪防止条約批准のために必要だということなのだが、2000年の国連総会で採択されたこの条約は、テロや組織犯罪の防止などを目的に、いわゆる共謀罪の設置を義務づけている。 批准国は昨年末現在で130か国に達しているが、日本は条約に署名したものの、批准していない。つまり今回の審議入り指示は、国際条約で定められたテロ対策を実現したいとの思いだという解釈が成り立つが、そもそもこれまでの共謀罪が7回も継続審議になってきた背景は、その際限ないに等しい適用範囲の広さに問題があった。 これまでの議論や国会答弁を整理すると、最も重要な問題は、話し合いをしただけで既遂の犯罪になるという点だ。例えば、万引きの相談をして、次の日実行をとりやめても、犯罪になるというのが共謀罪の考え方だ。 しかも、一般的に「組織的犯罪集団」と言えば、いわゆる暴力団やテロ組織のことだろうと思うが、政府案は、株式会社や市民団体、労働組合も対象にしているという現実がある。また、政府案では対象犯罪は619にも渡り、凶悪犯罪とは言えない文書偽造のような罪まで対象になっている。 これでは対象となる犯罪は条約で定める範囲を大きく逸脱しているといわざるを得ない。どうしても条約批准のために必要ならば、条約が本来定めている組織的犯罪に限定すべきではなかろうか。そうなると対象犯罪は306 にまで減るという。 だが、それよりも心配なのは、この共謀罪が、思想弾圧、そこまで行かなくても思想監視や圧力といったことに使われる恐れが大きいということだ。実際にアメリカでは、実体犯罪で無罪判決が出ても再度共謀罪で検挙するという手法で、イラク戦争への抗議行動の弾圧に使われてきたという。 強権的なコイズミ→アベ政権によって色々な市民負担が増えてきた。以前は行政改革といえば、行政の機構改革によって効率を上げて財政負担を減らすことだった。今の「改革」は如何にして国民負担を増やすかという策謀を国民にわからないように行う隠れ蓑の言葉だ。 その上、モノを言う自由さえも奪われてしまう可能性が高くなるとしたら、この国に住み続けようという意志さえも萎える。最低でも自由にモノがいえる社会だけは維持しなければならない。亡霊復活は絶対阻止、だ。※人気ランキング投票に参加しています。 ↓ ↓ 人気blogランキングへ
January 19, 2007
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幻想的な朝を迎えた。朝日が霧に煙る草原を登ってきた。冬の冷気が頬を刺すが、幻想的な朝日は神々しく、爽やかな気持ちになる。 今朝はすごい霧だった。Buddyくんの朝の散歩で行った鴨川中央公園が、まるで高原の朝のようだった。こんな景色をどこかで見たことがあるような気がした。多分きっとテレビの旅行番組だろうと思うが。 自民党の党大会で、中川秀直幹事長があいさつの中で、我が民主党の例のTVCMを取り上げて、「嵐の中で船長がかじを手放し、水夫が全部逃げ去り、幹部3人しか船に残らないような党に日本の未来を任せられない」と発言したとの報道があったが、これは私にしても結構納得してしまう発言だなぁ。 わが党の国会議員は私のような「地方議員」ごときの言うことなんかに耳を貸すとは到底思えないが、あえて感想を言えばあのCMはかなりいまいち。つまり3人で力を合わせてガンバってます、ていうことを伝えたいのだろうけれど、私ですら吹っ飛んでいく小沢代表を見て、健康問題を連想してしまった。 それと民主党は多士済々とは言うものの、小沢代表が吹っ飛んで左右から支えるのはやっぱり菅、鳩山だということはほかに人材はいないのだろうなぁ、きっと。 党の運営について、「他人事」という意識になっている自分はやっぱり“恥ずべき”だとは思っているんですが、意見を言う場面があまりにも少ないし、大会その他の党本部の動きについても総支部からはなんの報告もないし一体どうなっているんだろうか。※人気ランキング投票に参加しています。 ↓ ↓ 人気blogランキングへ
January 18, 2007
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今朝雨が降る前に、恒例となったBuddy君の散歩にいった。今にも雨が落ちてきそうな天気だった。散歩の行き先である「鴨川中央公園」では、毎朝ミニサッカーをしている小学生たちがいる。6人ほどだ。7時半になるとさっと引き上げていく。ちょうど学校の登校時間だ。こちらの散歩は途切れることがあっても彼らは毎朝やっているようだ。 帰り道では、小学校や中学校の通学時間になる。門の前では、校長先生や、防犯ボランティアのたすきを掛けたご婦人方が朝の挨拶、子どもへの声掛け、をやっている。どう見ても選挙運動のように見えてしまう自分の発想の貧困さが悔しい。 この朝の挨拶をやっているご婦人達は、どの顔も真面目で善良そうに見える。だからこういうボランティア活動にも参加するのだろう。この善良で正直な人たちは、選挙になると勧められるままに「与党」に投票してしまうのだろうか。 政府もアベシンゾーも前のコイズミも、国会議員の多くも、意識の上で国民とは「統計数字」でしかないのではなかろうか。税金が上がることや、社会保険料や医療費といった負担が増えること、これは統計数字ではない。1人あたり年間何千円かの負担がほんの少し増えるだけと政府与党は言うが、つまりは生活が縮小するということだ。 東京などの自治体では税収が過去最高となったとの報道もあるが、これなどいい例で、法人税収が伸びて、個人税収が伸び悩んでいるということだから、まったく喜ばしいことではない。民主党は不当な人件費抑制にもっと斬りこまなければ、存在意義を問われる。 私は市議会議員になる前に、衆議院総選挙の開票立会人をやった。何万という票の1枚1枚にそれぞれの思いを込めて候補者の名前が書いているものを目の当たりにした。自分のときも同じように、2540もの人が私の名前を書いてくれた。 統計数字も得票も、決して統計数字ではなく、その先には生活の営みがあり人々の意志がある。「政治」とはまさに「生活」なのだけれども、現実の営みにまで思いが行き渡らなければ、期待はすぐに不信にかわるだろう。※人気ランキング投票に参加しています。 ↓ ↓ 人気blogランキングへ
January 17, 2007
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民主党大会が行われていた。今回はそれこそどこからも事前の案内さえもなかった。報道の範囲でしか知らない。私は民主党に所属する地方自治体議員なんだけれどもなぁ。正直こんなものかと呆れている。何が「政権交代」だ。ぜひ“自らを信じて”頑張っていただきたい。党員サポーターにはどういう広報の仕方をする気だったのだろうか。いずれにしても民主党って不思議な政党だ。 民主党の地方自治体局という部署から、代表や幹事長その他の会見要旨はメールで送られてくる。が、このようなイベントなどの通知は一切ないに等しい。当然議案書などの資料も一切ない。規約改正といったことも大会では議決されたようだが、未だ私は中身を知らない。私は民主党という組織に所属しているはずなんだが・・・。 大会という以上、出席して議決権を持つのは「代議員」だと思うが、誰が代議員で、その代議員は「地域の民主党員の声」をきちんと集約した上で大会に臨んだのだろうか。私はまったく知らないしわからない。民主党…不思議な組織だ。 報道によれば、例の「ホワイトカラーエグゼンプション」の法案は、通常国会への提出を断念、ということになるようだ。だが、これは「提出」を断念したのではなくて、「通常国会」への提出を断念しただけだ。参議院選挙が終わって、その後の臨時国会には高い確率で、提出されるに違いない。 税制改革、つまり増税論議だって参議院選挙後に行われるに違いない。過去これまでもずっとそうだった。国民はそのことを忘れてはいけない。 政治に対してあきらめの気持ちを持つと将来に必ず禍根が残る。民主党も頼りないが、それでも何とかしなければならない。必ず選挙に参加して欲しいと切に願っている※人気ランキング投票に参加しています。 ↓ ↓ 人気blogランキングへ
January 16, 2007
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今日は午後から民生委員推薦会が開催され出席してきた。 民生委員は、民生委員法(昭和23年法律第198号)に基づき、社会奉仕の精神を持って、常に住民の立場になって相談に応じ、及び必要な援助を行い、社会福祉の増進に努めることを任務として、市町村の区域に配置されている民間の奉仕者ということになっている。 また、すべての民生委員は、「児童福祉法」によって、児童委員も兼ねている。また、民生委員・児童委員の中には、児童福祉を専門に担当し、活動する「主任児童委員」がいる。任期は3年で、給与の支給はないが、交通費などの実費は支給される。 民生委員は、都道府県知事又は政令指定都市若しくは中核市の長の推薦により、厚生労働大臣が委嘱する。知事等の推薦は、市町村に設置された民生委員推薦会が推薦した者について、地方社会福祉審議会の意見を聞いて行われる。つまりどこの自治体でもこの民生委員推薦会はあって、今日は上尾市の推薦会が行われた。 上尾市では、市議会の福祉消防常任委員会の委員長と副委員長がいわば「充て職」で推薦会の委員長と副委員長になる。その他には、民生委員協議会の代表や、区長会連合会の代表、障害者団体や他の学識経験者など計14名で構成されている。 上尾市の推薦会規則によると、会議の非公開と委員の議事に関する守秘義務が規定されており、今日の会議の内容もここに書くわけには行かないが、だいたいこの手の会議にそんなに議論の余地があるわけでもなく、ものの1時間ほどで終わった。 帰ってきてから、議会報告を仕上げた。急いで作った割にはそこそこのできばえだ。印刷して今週から地道に配布しようと思う。今週は朝から晩まで忙しい日が続くが…。※人気ランキング投票に参加しています。 ↓ ↓ 人気blogランキングへ
January 15, 2007
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お昼前に伺った支持者のお宅でついつい話しこんでしまった。昨年亡くなった恩人とも懇意にしていた人だ。久しぶりにいろいろな話をする中で、夫人から面白いカレンダーを2ついただいた。 2つともポスターのような大きな1枚の紙に、びっしりと細かくカレンダーが印刷してある。ひとつは2001年から2100年まで21世紀100年間のカレンダー、もうひとつは、1920年(大正10年)から2020年(平成32年)までの戦前戦中戦後100年カレンダーだ。 合計180年分のカレンダーを眺めていると、単なる数字の羅列ではなく歴史の奥深さと未来への希望を感じる。歴史上の大事件があった日も、何気ない日常の日もすべてがあい等しく平等だ。 明らかに自分がもう生きてはいないだろう時期のカレンダーを眺めれば、このころの社会はどうなっているのか今の政治状況を考えれば言いようのない不安を覚える。 間も無く42歳になる自分の年齢を考えれば、すべてに“無限”を感じていた若かりしあのころとは異なり、残りの時間が見えてきて、いささかあせる。 日々じっくりと、やると決めたこと、やりたいことはしっかりと取り組みたい。そんな決意を新たにしたカレンダーの話。※人気ランキング投票に参加しています。 ↓ ↓ 人気blogランキングへ
January 14, 2007
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年が明けてから毎日のように街宣車が我が家の回りを通る。春の統一選挙が近づいてきて、上尾では県議会議員選挙が行われるために、各陣営が車を走らせているのだ。が、この時期は寒いので窓を閉め切っていて、どこの陣営だかなかなか分からない。他党陣営も我が方も同様だ。 色々と考えての音量とか文章、しゃべり方、車のスピードなんだろうから、特に注文はないが。 朝のBuddy君の散歩は3日坊主にならずに結構続いている。だが、やっぱり朝は結構寒いので、バーゲンのステラタウンでニットの帽子を買った。1000円だった。夏からあごにヒゲをたくわえているのだが、ニット帽は結構似合う。と自画自賛。 夕方には髪を切りに行った。お向かいに床屋さんが開店してから、気楽にいけるようになってとても良い。32、3歳のオーナーと24、5の店長と、20そこそこの青年という3人は、見た目は今時の若者風なのだが、気さくで面白い連中だ。彼らと話をしているだけで結構気晴らしになる。値段も安く、確か1800円だったと思ったが、顔そりもきっちりやってくれる。 少しだけゆっくりした1日でした。※人気ランキング投票に参加しています。 ↓ ↓ 人気blogランキングへ
January 13, 2007
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今年に入ってから新しいビジネスを立ち上げようと、パソコンの前にいることが多い。もともと時間管理が下手なので、遅々として予定通りには進まないが、それでも時間があれば画面を見つめている。 で、最近は肩凝りが結構ひどくなりつつある。じっとしていると首の付け根から背中、腰にかけてダルさを感じる。 昨年の夏以降、毎月必ず通っていたカイロプラクティクに行っていない。急な日程変更のために予約を取り消してから、なんか足が遠のいているのだ。こういうのはあまり良いことではない。 肩凝りの原因の1つとしてよく言われることが、「近視」や「眼精疲労」だ。私は極度の近視だ。視力は両目とも0.01程度で、コンタクトレンズを入れて、1.0程度まで見えるのでなんとか日常生活には支障がない。普段ずっとコンタクトレンズのためか、私が超ど近眼だということを殆んどの人が知らないらしいが、そうなのだ。 眼精疲労を大別すると、生理的疲労と病的疲労に区別できる。生理的疲労とは、健康な人でも視作業を行なうと疲労感があるというアレで、これは、どちらかといえば心地よい疲労感で、休めばこの疲労感はなくなる。 これに対し病的疲労は、一定の休息によっても十分は休息は得られず、疲労が蓄積されるといういわば病的な疲労のことだ。この病的な疲労を特に「眼精疲労」と呼んでいる。小学校高学年から老人まであらゆる年代層に起こる。 眼精疲労の症状は、代表的なものの1つが肩凝りだが、その他にも、めまいや頭痛、頭が重いといった感じ、鼻の付け根に感じる不快感や圧迫感、がある。ひどくなると視力障害や胃なんかも調子が悪くなったりする。 なんかどれもこれも当てはまっていそうな感じがする。どこかでリフレッシュしなければ。明日の土曜日は少しゆっくりしたいなぁ※人気ランキング投票に参加しています。 ↓ ↓ 人気blogランキングへ
January 12, 2007
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ホワイトカラーエグゼンプション制度導入に一生懸命取り組む厚労省。与党内でも反対が多いようだが、所詮は参議院選挙までで、秋の臨時国会では無条件で成立するだろう。 「ホワイトカラー」という言葉を辞書で確認すれば「雇用従業員のうち、知的・技術的労働や事務・販売の仕事についている者。」となっている。この場合のカラーは“色”ではなく「襟」だ。白い襟のシャツを着ている労働者、要は「作業着を着ていない」労働者ということを指している。 それに対して現場や工場で働く人は「ブルーカラー」と呼ばれる。作業着は青いから、だ。 「ホワイトカラーエグゼンプション」については、最近は結構報道されているのでこれまでの経緯と目論みを簡単に書くと、雇用環境が急激に変化している昨今、これまでの裁量労働制やフレックスタイム制などだけでは対応が不十分だとして、2004年3月、小泉内閣がホワイトカラーエグゼンプションの導入を決定した。これを受けて2005年4月に厚生労働省の「今後の労働時間制度に関する研究会」が発足、2006年からは労働政策審議会で議論を深め、2007年をめどに労働基準法の改正案を国会に上程する予定だということらしい。で、この25日から始まる通常国会に法案提出したいらしい。 経営者、財界団体である日本経団連も労働時間規制の緩和を主張してきた。2005年6月に「ホワイトカラーエグゼンプションに関する提言」を発表した。それによると、現行の専門業務型裁量労働制で働いている者は、無条件でエグゼンプト(適用除外)とし、それ以外の業務についても、年収400万円以上であれば、法令で定めたり、労使協定を結ぶなどしてエグゼンプトに追加できるとしている。 これに対して、労働組合の連合は「アメリカのエグゼンプション制度がそのまま日本に導入されれば、不払い残業が野放しになる」などと猛反発している。また過労死弁護団連絡会議も「過労死が減らない状況にあるのに、逆に長時間労働を助長する制度は導入すべきでない」との反対声明を発表した。 この制度を導入しているアメリカの公正労働基準法は法定労働時間を1週40時間と定めており、それを超えて労働者を使用する場合には、通常の1・5倍以上の割増賃金を支払うことを使用者に義務づけている。 ただしコンピュータの関連専門職や外勤セールスマンなど特定の職種や職務で、一定の要件(俸給水準要件など)を満たしている労働者は規制から除外されており、週40時間を超えて働いても割増賃金はもらえない。業務の裁量性が高く、労働時間の長さと成果が必ずしも比例しないと見なされるからだという。 このホワイトカラーエグゼンプション制度を語るときはだいたいこんな流れで、太字の部分が大きな理由として語られる。が、こんなのは経営の側の理屈のみでしかない。だいたい成果と賃金がきちんと見合っているかをどう検証するのだろうか。それは公正なのだろうか。誰が担保してくれるのだろうか。疑問だらけだ。 そもそも政府がこの制度を早くに導入したいのは、日本の財界がどうのこうのという理由よりも「アメリカの圧力」があるからなのだ。 2006年6月に発行された日米投資イニシアチブ報告書には、アメリカ政府の要求であることがはっきりと書いてある。日本国政府に対し「労働者の能力育成の観点から、管理、経営業務に就く従業員に関し、労働基準法による現在の労働時間制度の代わりに、ホワイトカラーエグゼンプション制度を導入するよう要請した」と記載されいる。 つまり日本政府はアメリカに言われたからそれこそが世界のあたり前の制度だと日本国民を騙してまで強引に導入したいのがこの制度なのだ。 アメリカが世界的に進めるグローバル資本主義導入の一環、簡単に言うとアメリカの仕組みを世界中に広めることによってアメリカ企業が儲かるようにしようということに他ならない。アメリカ政府は我が日本における自国企業の収益性・効率性を上げるために、アベシンゾーをはじめとする親米保守派に圧力をかけたのだ。 アメリカの制度イコール世界の制度ではない。考え方、価値観、社会観、なにもかも違いがあるわけで、個人の生き方に関わる「働き方」まで、アメリカの制度をそのまま多少焼き直して導入できるほど単純ではない。日本人は何を理由にモチベーションを保ってきたのか。ろくに働いたこともない2世3世国会議員たちが、アメリカの言うがままに「美しい国」を破壊している。※人気ランキング投票に参加しています。 ↓ ↓ 人気blogランキングへ
January 11, 2007
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上尾市商工会議所の賀詞交歓会に出席した。昨年は7日に開催されていたが、今年は週末との関係で10日になったようだ。 市長は欠席だった。なんでも自身の後援会行事と重なってしまったらしい。この賀詞交歓会が昨年と同様日程だと思っていたのだろうか。ちょっと話がしたかっただけに残念。 代理で助役が挨拶したが、ここでも実質収支が黒字だったことをことさら強調していたが、私の周りで聞いていた人は、「何で黒字なんだ」といった雰囲気だった。無理もない。商工会議所の賀詞交歓会なのだから市内のさまざまな業種の、決して大きくはない規模の会社のトップが出席している。会頭の挨拶でも、景気回復の実感が伴っていないことにも触れていた。 なのに行政が黒字でしかも17億円という金額だったら、普通は「減税しろ」ということになるだろう。17億円という金額は、1世帯あたりに単純換算すると年間2万円弱になる。 商工業者は日々大変な苦労をして少しでも黒字になろうとして頑張っている。その頑張ったなけなしの「黒字」から容赦なく税金を取って、その結果が黒字だと、ことさら強調するのは、さまざまに負担が増えている市民の顔を思えば腹立たしくなる。 政治の本質は、税金として得た社会の富の「再分配」にある。政治家の役割は徴収と分配の「適正」を図ることだ。ということは、ことさらいわゆる社会的弱者に対してこそ、政治が重点配分しなければ、豊かな笑顔の絶えない美しい国にはなるはずもない。 その意味で行政が実質収支の黒字を強調して言うことは、現実にはそのやろうとする施策の方向が市民の側を向いていないと証明しているようなものだ。大石の消防署の件も、上尾駅の改修も、上尾駅東口の再開発も、本当に市民のためになるのか、そこまでの費用を掛ける意味はあるのか。 議会答弁によると、大石の消防署は、支所、図書館との複合施設にしなければ建設費で4億円から5億円の節約が図れるし、上尾駅改修では予定総額約40億円の内、約9割36億円が上尾市の負担になるし、上尾駅東口再開発事業では予定されている総事業費約100億円の内、市の補助金が7億とも11億とも言われている。 その半面で、定率減税の廃止に伴い、社会保険料も含めて市民負担は確実に増えている。医療費も、子育て費用も何もかもみんな増えているのだから、その中身について評価と検証を市役所が積極的にしない以上、それこそ市民税の減税をしてくれなければ、黒字というのは市役所が「お小遣い」を得たのと同じになってしまう。 3月議会でやりますか。※人気ランキング投票に参加しています。 ↓ ↓ 人気blogランキングへ
January 10, 2007
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正月早々から、昔で言えば「尊属殺人」が連続して発生している。なぜだろうか。渋谷で発生した兄ちゃんが妹をバラバラにした事件は、最近の報道から推測するに、気が強いはっきり物言う妹と、浪人中で挫折感いっぱいの気優しい兄ちゃんとの間に起こった悲劇だということか。 妹にとっては、他の人に言うのと同じようにはっきりと、兄ちゃんにとっては辛辣に妹に言われて、とうとう「怒りのコップ」から怒りがあふれたということなのだろう。 最近の若い人の発言には、歯に衣着せぬというより相手を思いやらない辛辣な発言が多いように感じる。受け取る側も辛辣さに対して心をあえて鈍くして、ところが突然自らのコントロールが利かない状態になって、大事件に発展してしまうのではないか。 12月議会では、教育問題についての質問もしたが、時間がなくて再質問のときに用意した原稿はほぼ全文割愛した。こういうことが言いたかった。 「そもそも教育とは何か、何を教えることなのか。究極的には私は“恥”の概念を教えることではなかろうか、と思います。つまり、最近の若い人たちには“みっともない”という心が欠けているのではなかろうか、とそんなことを思ったりします。 道路端に座り込んだり、服をだらしなく着てみたり、それがどうしていけないのか、ということから説明しなければならないので、先生も大変な労力なのだろうと思います。 まして最近は親世代でも、この「恥」の概念が欠けてきたのか、例えば、旅行に行くので子どもを預かって欲しいと、保護者に言われたという先生の話しを聞いたことがあります。当然特異な例なのでしょうけれども、非常識極まりない話です。 その半面で、こういったこと子どもが増えてしまうだろう責任の一端がやはり教員の側にもあるであろう事は指摘しなければなりません。面白い調査結果を見ました。 大学の心理学の先生が、全国の児童生徒約5万人を対象に、教師や同級生との関係などを問う「QUテスト」と呼ばれる心理テストをおこなって、その分析の結果、学級の特性といじめとの相関性が浮かび上がってきたというものです。先生が教え子に友だち感覚で接する「なれ合い型」の学級でいじめが生まれやすいこと。また、こうした「なれあい型」学級では、教員が子供に引きずられ、いじめを防ぐどころか加担する恐れもあるということです。 報道などで目にするいじめのメカニズムでは、加害者側の資質や教師の指導力不足に直接の原因が求められがちですが、この調査を行った大学の先生は「主に教師と教え子の関係で決まる学級集団の全体的な特性に注目すべきだ」と指摘しています。 この調査では、学級を大きく2つに、「なれ合い型」と教師が厳しく指導する「管理型」に分類しているのですが、98年と06年を比べた場合、なれ合い型の学級は小学校で倍増して半数近くを占め、管理型は半減だそうであります。さらに、小学4~6年生のアンケート結果を詳細にみると「長期間いじめを受けてつらい」という子供の所属学級は、約半数がなれ合い型で、管理型は3割強だったということであります。 中学校では管理型が主流だということですが、それでもなれ合い型は倍近くに増えたということです。 次に、教員の教え子への接し方には(1)有無を言わせず従わせる指導タイプ(2)子供の言い分を尊重する援助タイプ――があるということで、アンケートによると子供の満足度の高い学級の教員は状況に応じて両方を使い分けるということだが、(1)に偏ると管理型、(2)に偏るとなれ合い型ということに言い換えられるわけです。 なれ合い型では、当初は教師と子供が良好な関係を保つかに見えるが、最低限のルールを示さないため学級はまとまりを欠き、子供同士の関係は不安定でけんかやいじめが生じやすい。教師の「○○してよ」という友だち口調の指示を誰も聞かなくなり、放置すれば人間関係の秩序崩壊から学級が崩壊するという。 また、運動や勉強が得意だったり、けんかの強い子供が学級をまとめ、教師が頼りにするケースも多いということのようで、その子供や取り巻きが特定の子供をいじめの標的にし、学級全体が同調した場合、なれ合ってきた教師が止めるのは困難で、逆に助長や加担の恐れもあるということであります。こういった点からも教員のスキルアップの重要性がますます増しているといえます。 そういったことをさまざまに考えると、『おとなが変われば子どももかわる』という標語も単に標語としておいておくのではなく、その精神や考え方を、日々子どもたちと接する中で活用しなければならないのではなかろうかと思います。まさに私たちおとなの戒めなのだろうと思います。」 今の社会や教育に欠けているもの。それは「卑怯」とか「恥」の概念に他ならない。無垢な乳幼児期から、次第に人間としての社会性を身に付けていく。その過程で「卑怯」や「恥」「みっともない」という概念を教えていくこと。これこそが教育が担うべきものだろう。だからこそ「教育再生こそが救国する」と私は言いたいのだ。 教養を得るにはある程度の理屈ではない「つめこみ」が必要だ。漢字が解らなければ本が読めないではないか。円周率は“3”ではなく“3.1415926535…”という無理数であることを知らなければ、数学の神秘も不思議も、この“π”を巡っては紀元前2000年の古代バビロニアまでさかのぼる研究の歴史にも、なによりも世の中に「割り切れないものがある」ということにも、つまり物事の本質とは何かということにも気が付けないではないか。 家庭と小学校での教育をどうするのかが最大の問題だ。我々の世代は少々怠けてしまったのかもしれない。※人気ランキング投票に参加しています。 ↓ ↓ 人気blogランキングへ
January 9, 2007
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成人の日の今日、上尾市消防出初式が行われて出席してきた。屋外で行われる行事だけに昨日の強風が今日も続く天気予報だったので心配していたが、さほどのこともなかった。風がなかったので、コートは着ずに上着の中に使い捨てカイロを背中に3枚、お腹2枚貼り付けて臨んだ。 ところが暖冬だけに日差しが思いのほか強く、カイロを纏っていると汗ばんでくるほどだった。昨年に比べると本当に暖かい。式は天候に恵まれてよかったが、異常に暖かい冬もどんなものだろうかと心配になる。冬は寒いほうが夏は暑いほうが、景気にも健康にも良いに決まっている。…と思う。 式典は1時間ほどで終わって、観覧に来た一般市民のまえで救命訓練の展示なども見せていた。 式の中では、例によって来賓が祝辞を述べるのだが、その後に来賓一人一人の名前も紹介する。毎回毎回、出席市議会議員全員とか、歴代の消防長とか、市の特別職を紹介するのだが、今年は出席した市の部長級幹部職員の名前まで一人一人紹介した。だいたいこの人たち全部が来賓という考え方が理解できない。 私は、すべての出席者の名前を呼ばなくてもいいと思う。だいたい議会は代表して議長が祝辞を述べているし、「市議会議員の皆さん」でかまわないのではないか。その他の皆さんも同様でかまわないのではないか。 消防職員も団員も1時間立ち続けている。観覧に来ている一般市民も同様だ。それならば式典は早くに切り上げて、消防のPRに、より多く時間を割くイベントにしたほうが現実的だろう。 それと、百歩譲ってどうしても一人一人の名前を紹介しなければならないのだとしたら、せめて敬称のつけ方くらいわきまえて欲しい。市の特別職や部長達にまで「~様」と言っていた。この場合同じ市の職員なのだから、外部に向かって「~様」と言うのはおかしいだろう。 民間の新入社員研修では、外部の人に向かってはたとえ社長であっても呼び捨てで言うのがあたり前だと教育される。社外に向かって自社の人間をいわば敬称つきで呼ぶのはみっともないからだ。そのジョウシキから考えれば、市の職員まで「~様」というのはヒジョウシキだ。 ただ、相対の場面でもないとなかなかそうもいかないことがある。まさに「式典」の場面がそうだ。そういう場合には、役職を後につけてせめて「~様」呼称だけは避けるべきだ。これは議員であっても同様だ。「○名前○議員です。」と言えばよい。同じように「○名前○×部署×部長です」と紹介すれば良い。 今回は防災協定を結んでいる長野県上田市の消防団長と副団長が出席していた。こういう人は「~様」で良いのだ。 以前秘書をしていたときに、こういうイベントなどで紹介をするときは敬称の付け方には大変に気を使った。双方に失礼のないように、だが、外部の人たちがどう見ても「仲間」だという人にまで「様」をつけると、ジョウシキを疑われて組織の信頼を損なう恐れがあった。 そんな経験を思い出した。※人気ランキング投票に参加しています。 ↓ ↓ 人気blogランキングへ
January 8, 2007
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今朝はしっかり散歩をした。まだ路面は濡れていたが泉が丘通り、鴨川中央公園から鴨川緑道を通って井戸木公園を抜けて帰ってくる。大した距離ではないが。 で、明日がハッピーマンデーで本当の「成人の日」だけれど、日曜日の今日「上尾市成人式」が行われて出席してきた。全国的に少子化が叫ばれる中、今年は2300人余が対象者だそうだ。昨年と比べてもあまり減ってはいないようだ。 相変らずの出身中学校別に席に座り、先生を招いて花束贈呈をするのはいいのだけれども、自分が私立中学に行ったせいか、こういう企画にはこの歳になっても疎外感を感じる。もし自分がここに成人としていたら・・・と考えてしまう。多くの参加者が盛り上がればそれでいいということでもあるまいに。少数意見の尊重も考えないと大人ではない。 世間でいう荒れた子どもはいなかったが、市長の祝辞や、来賓の挨拶のときは結構騒がしかった。だが、先生がスピーチをすると心なしか静まるのだからそれはそれでビックリだ。幾つになっても先生は先生だとも言うが、まさにそれを目の当たりにした。 風の強い1日になった。結構な被害も出ているらしい。高崎線、宇都宮線でもダイヤが乱れているという報道があった。気温も下がってきて寒くなった。 明日は午前中消防出初式だ。しかも晴れる。消防本部の屋外で行われる。寒いことを予想して使い捨てカイロを買ってきた。貼り付けるタイプのものだ。明日は上着の中はカイロだらけできっと暖かい。・・・はずだ。※人気ランキング投票に参加しています。 ↓ ↓ 人気blogランキングへ
January 7, 2007
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今日は日中1日雨模様だった。夜も8時くらいになってようやく上がって雲間から星も見えたりした。が、この時間から晴れてきてもBuddy君の散歩は難しい。結局朝の散歩は2日目で頓挫、夜もできずに「規律よい生活大作戦」は早くも前途多難の幕開けだ。言っときますが私が悪いんじゃないよ。天気のせいだからね。これだけははっきりしておきたいのデス。 埼玉新聞のトップ記事は、「高崎線・宇都宮線」の東京駅乗り入れが頓挫している、という記事だった。高崎線・宇都宮線利用者には「夢の実現」だったはずなのだが、沿線住民の反対でなかなか事業計画が前に進まないらしい。なんでも2009年開業予定だったらしい。工事着工から開業まででも4年程度はかかるようなのでもはや時間切れだ。 上野から秋葉原の間は、引込み線が今もあるからそこを走らせて、秋葉原から東京駅までは東北・上越新幹線の高架の上にもう1階層作って、そこを走らす予定だ。たしかに新幹線の橋脚にはもう一段上に作る予定の形になっている。 サラリーマンだった10年ほど前には、毎朝上野駅で乗り換えて通勤していた。すさまじい混雑だった。新幹線の橋脚を見ながら“東京駅まで乗り入れたら楽になるな”と思いながら乗車率220%をまさに「耐えて」いた。埼玉県民にとっては混雑緩和と同時に「乗換え」がなくなることによる負担も大きく減る。 沿線住民の反対については理解できなくもない。地上から20メートル以上の高さになるようで災害時の安全性だとか、騒音といったことが言われているらしい。 騒音だのということについては田舎に住んでいるものからすればいささか違和感がある主張だ。とにかく都会の喧騒はすさまじい。あの界隈での鉄道の騒音とはどれほどのものなのだろうか。神田駅のガードのうるささはこれもまたすごいものだ。できたのは今から80年ほど前のことで鉄骨に響いて話なんてとてもできないほどうるさい。 高さで言えば常磐線の三河島駅も高いし、それこそ総武線秋葉原駅と同じくらいになるだろうか。色々と困難があるのだろうが、なんとか早期着工、開通をお願いしたい。※人気ランキング投票に参加しています。 ↓ ↓ 人気blogランキングへ
January 6, 2007
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一昨年の11月以来、「自宅兼事務所」の“イエローハウス”に転居してから、仕事の始まりや終わりがなんとなくずるずるとしてしまっている。特に外出の予定が夕方からなんていう場合には、ずっと部屋着で過ごすこともままある。朝、起き抜けにパソコンに向かい、メールチェックやさまざまな作業を始めることがある。 それではいけないと思い今年は仕事始めとした今日から、朝起きて着替えてBuddyの散歩に出て、何とか9時からオフィスに入って仕事をするという生活に改めることにした。本来9時からは“臨戦態勢”でなければならないよな。 で、今朝は7時に起きて、それこそ起き抜けにそのままBuddy君を30分ほど散歩に連れ出し、9時からはオフィスで作業開始となった。ところが昨年は殆んどオフィスで仕事をしてこなかったためもあって、実際にはまず「かたずけ」から始めざるをえなかった。ほんとうなら年末にやるべき大掃除が今日だった。 で何とかかたずいて作業と思ったらもう夕方だものなんとあっという間の時間でしょう。1日の作業効率とタイムマネージメントの重要性を再確認した。簡単にいえば、1日の時間割を作ってその通りに動けるようになろう。まるで小学生の夏休みだけど。 あれもこれも、やるべきことやりたいことが山積みで結局何もできずに終わることが、「実現」「達成」の大きな障害になっているように感じる。私はやることの具体化と時間管理が今以上にきっちりとなれば、きっと満足いく成果が得られるだろうと感じる。 で、今年はちょっときっちりとやってみようと思う。朝起きて散歩に行って・・・。天気予報によると明日は雨らしい。2日目からもうすでに朝の散歩はできない。自然にも負けないぞ。※人気ランキング投票に参加しています。 ↓ ↓ 人気blogランキングへ
January 5, 2007
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昨年に引き続き4回目の参加だ。年頭の行事の一つ、「上尾市新春懇談会」に出席した。懇談会実行委員会なる組織と、上尾市の共催という体裁を取っているが、要するに「市」がやっている行事だ。 今年も参加者は概ね470人を超えるくらいだったらしいが、どういう人選でこういう出席者になったのか、よく分からない。市のホームページを見ると、一般の人の参加は「先着50名まで」となっている。どちらにしても「22万分の470」だからな。 しかもスピーチの中には、「上尾を代表するリーダーの皆さん」とのたまったものもあった。・・・なんだろうなこの違和感は。 参加者は、市長以下市の幹部職員、部長とか次長といった肩書きの人たちと、事務区長。ここまでは私の切り分け方だと市執行部側だ。それ以外には、各レベルの議員、国、県と我々市議会議員、農業委員といった選挙で選ばれる人たち、それ以外はまぁ市内各種団体ということだが、要するに市から補助金を貰っている各種団体だということだろう。 主催者の挨拶にも、市長の挨拶にも、割と政策的なことが含まれていた。例えば暮らしやすさの順位が上がったとか、上尾駅改修や東口再開発のことなどだ。だけどねこれらの懸案は、議会でも色々と意見のあるところだし、特に駅改修についてはこれから議論が活発化することだろうから、こういうおめでたい席であんまり既成事実のような発言はいただけないなぁ。これでは来年は出席することを考えてしまう。 !。そうか来年は選挙に通らなければ呼ばれないんだった。チャンチャン。※人気ランキング投票に参加しています。 ↓ ↓ 人気blogランキングへ
January 4, 2007
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早くも明日が仕事始で、3日の今日までがお休み気分で過ごせる。もっともお向かいのお煎餅屋さんは元旦から、以前私の事務所があった部屋の隣の床屋さんは今日からお店を開けている。その意味では「正月」というよりも「いつもの休日」という空気が感じられてしょうがない。 私も、特に部屋を掃除したわけでもなく、いつもと変わらず、ただ少し長い休日を過ごしている。 さて、とはいえ年頭に当たってはやはり今年の活動を整理しなければならない。大げさに言えば「目標設定」をする。これは「将来の夢」とはちょっと違う。 目標と「夢」との違いは、ひと言で言えば実現性の違いなんだろうと思う。夢は漠然とこうなったらいいなというぐらいだろうか。実現するために何をしたらいいのかもわからない漠然とした、しかし望んでいることなんだろうと思う。 それに対して「目標」は努力して手に出来るであろうこと、達成するための“階段”が具体的に描けること、しかしちょっとの努力では達成できずまさに“達成感”が得られること、といったあたりが目標の意味とその設定の基準かなと思う。 今年は何をしようか。自分は年末にはどうなっていたいのか、それこそ選挙もあるしね。 なにはともあれ健康で元気よく毎日を過ごすこと。そして今年も途切れることなくこの日記を書くこと。これが基本だ。※人気ランキング投票に参加しています。 ↓ ↓ 人気blogランキングへ
January 3, 2007
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あまり正月という感じがしない。 確かに普段の休日と異なり、町は閑散としている様にも思うが。最近は2日から普段どおりの営業をしているお店も多いので、別段正月だからどうということもない。近所のファミリーレストラン駐車場はどこもけっこうな車の数だしね。 で、正月気分が乗らないためか、今年は年賀状の作成がとうとう年を越した。・・・それどころかこれから作る。早々にお送りいただいた皆さん申し訳ありません。 1月2日は大石地区にある「八合神社」の歳旦祭がおこなわれる。今年も参列した。今年は例年になく暖かくて、拝殿に上がっても寒くなくて助かった。昨年は雨、一昨年は、大晦日に大雪でとにかく寒かったから。 祈ることといえば「無病息災」に尽きるなと感じた。何せ昨年は本当に冷たい世の中になったと感じることばかりだった。今年はこれから、定率減税の廃止で税金が上がるだけでなく、それに伴って社会保険料も自動的に上がることになる。負担が多くなるのだ。私が一体何をしたんだ!!と怒りたくなるかもしれないが、国政選挙の結果そういう道を選んだのは私たち「国民」であることも確かだ。 今年は「選挙の年」だ。統一自治体選挙、夏には参議院選挙や埼玉知事選挙、そして暮れには我が上尾市議会議員選挙がある。選挙の結果で我々の生活が変わってくる。今年はきっと実感する。※人気ランキング投票に参加しています。 ↓ ↓ 人気blogランキングへ
January 2, 2007
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年が明けた。2007年、新しい年はどんな1年になるのか。 2007年といえば、団塊の世代の大量退職が始まる。いわゆる「2007年問題」というアレだ。大量退職時代はどんな世の中になるのか。歪がどう現れてくるのか、想像もつかない。 よく言われることに、医療や福祉の負担に現役世代が耐えられなくなるということがあるが、そんなことよりも何よりも、最近の付け焼刃な制度いじりに国民はすでに結構な嫌気が差していて、さまざまな制度に対しての信頼が失われつつあることのほうが問題だ。格差社会といわれるが、階級社会が定着しつつあるという認識に改めなければ、すべて絵に描いた餅だろうと思う。 階級社会と書いたが、もはや日本は「格差社会」から「階級社会」へ移行しつつあると感じている。そして各階層の固定化が進みつつあると思うのだ。「勝ち組」「負け組」というような全体の話ではなくて、社会の支配層とそれに連なる層、正規雇用になれずにいるがそれでも何とか収入のある層、正規雇用だ何だという以前にとにかくその日の収入があればいいという層、といった分かれ方でしかもその各層の中で「勝ち組」「負け組」ということになってきているのではないか。 昨年末12月18日の日記で「プアホワイト」に触れたが、これなども「階層の固定化」が生み出した意識の暴走なのだろう。自らの努力が報われたと実感できないがためのフラストレーションのはけ口なのだ。 アベシンゾーの「再チャレンジ」なんちゃらにはとうてい期待できそうもない。階層の固定化は夢や希望すら奪ってしまう。 今年も全力で頑張ります。ご愛顧のほどをよろしくお願いします。※人気ランキング投票に参加しています。 ↓ ↓ 人気blogランキングへ
January 1, 2007
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