あたしはあたしの道をいく

2011.06.24
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 【中古】エッセイ・随筆 ≪エッセイ・随筆≫ ヴィーナスという子 存在を忘れられた少女【10P24Jun11】


以前読んだ『 シーラという子 』と同じ作者による、ノンフィクション。



著者であるトリイは、発達障害や知的障害を抱える子どもたちのための特別学級に配属。

『シーラという子』より前にあたるのか、後にあたるのかは分からないが、

『シーラという子』に出て来た理解の薄い校長ではなく、

支援学級で教職に就いた最初の頃に上司であったボブが校長として勤務している。

また、『シーラという子』に出て来た頼りがいのあるボーイフレンドは出て来ない。



この著書の中には、表題となっているヴィーナスの他に4人の子が在籍する。

いずれも、特別な支援を必要とする男児たちで、



毎日のようにケンカや小競り合いが起きている。



はっきり言って、これはキツイ。

多動や攻撃性って、すっごくキツイ。

それだけでキツイ。

なのに、そこへ理解力が乏しいというおまけがつく。


(オマケじゃなくて本命かもしれないけど……)



ヴィーナスは、このクラスに在籍する子の一人であるが、

全く自分の殻に閉じこもってしまっていて、反応を見せない。

全く喋らないだけでなく、自分の意思で動くということが出来ない。

いや、意思を見せるということが出来ない。



ただまれに、突然攻撃的になることがあって、



その時に見せる行動によって、能力的に出来ないのではなく、

喋ることも、走ることもできるのだ、ということだけは分かっている。



なぜヴィーナスは喋らないのか、反応しないのか。

トリイは何とかヴィーナスに生きた反応を示してもらいたいと、尽力する。

が、なかなか事態は好転しない。





それにより、たくさんのことが判明し、ヴィーナスは普通の子のようになっていく。



この本には、たくさんのテクニックが書かれていた。

たまには押さえつけることが必要なことも、

どうやって気を反らせることができるか、

意識を向けさせつづけることができるか。

詳細までは書かれていないけれど、これはすごい、と思うことが多々あった。



でも、それらのテクニックより、ヴィーナスの惨状より、

私が気になったのは、ジュリーという助手だった。



ジュリーはトリイの助手として配属され、クラス運営に関わる。

だが、トリイとうまく合わず、むしろ障害となっていく。



私の保育は、ジュリーそのものだ、と思った。

叱るべきところで叱れない。

一緒に楽しむべきところで水を差す。

理念だけは立派だけれど、実態が伴わない。



私なりに精いっぱい勤めて来た自信はある。

それはもう、新米保育士である私も出来る最大限に近いものだった自信がある。

でも、それは、保育として質を伴ったものだったかと言うと、

必ずしもそうではなかった、という気がする。

プロとして、厳しくしなければならない場面がある。

それを私は逃げていなかっただろうか。



ジュリーは、私そのものの気がしてならなかった。








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Last updated  2011.06.24 10:30:43
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