宇宙の根源的秩序
全体は個々の中にひそみ、個々は全体の模型なのである。
この意味において、人は小宇宙であり、この物質界は、すなわち全大霊界の模写なのである。ゆえに現界をうつし世というのである。
宇宙の三元について考えてみよう。
霊のみにはあり得ず、体のみにでもあり得ぬ。
ここに、霊体が結合してはじめて力を生じる。
これはちょうど、父母が結合して、はじめて子を生じる理とひとしい。
すべて、この世に『存在』という事実が生じるのは、たえざる相反する二元の結合(わるくいえば争闘)がおこなわれているからだ。
昼夜、寒暑があって、はじめて動植物は発生、生育することができ、口と肛門とがそなわっているおかげで、人は生きているのであり、善悪美醜があいまじわっているために、われらに生活意識があるのである。
苦もなく楽もなく、悲しみもなく喜びもなかったら、われわれは、生きているのか、死んでいるのかわからなくなるであろう。
この相反する、二元の結合作用が、無限に複雑かつ円滑になっていくことが、すなわち、この世が無限に進化していくことである。
ただし、ここに間違ってならないことは、体を使うのは霊であって、けっして、霊は体によって支配されないことである。
外見上、体によって影響は受けているが、それは霊自体が、いったん体に宿ってその反射を受けているまでである。
口があるから肛門があるのであって、肛門があるから口があるのではない。
すなわち、善のための悪、美のための醜、肯定のための否定なのである。
霊のための体であって、体のための霊ではない。
これは、宇宙の根源的秩序である。
人間は縦に祈る事によって、より多く神愛、神知、神力を受けることができ、横に実行することにより、はじめて神の容器としての自己を鍛錬し、拡大していくことができるのである。
祈りと実行とは、霊と体との関係のようなものである。
生きがいの探求 出口日出麿