ラッキィセブンティライフ

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栗はめば集---(わが母の記)



 夏痩せの母をおもう長女の、純に成長した文字の、女にしてはあまりにも簡略で活淡たる便を巻頭に、次が長男の、これはまた打って変わって漫文的に面白おかしく微にいり細にわたって書きなぐった大学生のなぐり。
 それに次男の文。生まじめでむっつりやの高校生の、まこと字は性を現すのか几帳面な文字のハガキ。
 続く二女のハガキには郷里の祖母の元にいる中学生のたどたどしい文字に、母ちゃんの顔が車窓を遠のく帰省の日のバス内での感傷が綴られている。

 ”文通に五日のいとま雁来紅”
 北の国に学籍をおく長男からの便りを受け取ると、消印の日付にあわせ指を折る癖がいつのまにかついている。

 ”コスモスや 待ちたる文の2通ほど”
 長女と次男のハガキが同じ日に届いて並べて貼られている日の私の句集から。

 二女のハガキが隣あわせに幾枚も並べてはってある。
 あの頃は、帰省の度合いがとても繁かった。
 長女のハガキが遠のいているのは、もう都の空気に馴染んでの安堵感であろうか。

 月末には、型にはめた様に北からのハガキは送金の返信。
 校長会のの翌る日は、決まって父に会えた喜びと、会えぬ日の心残りと。
 これは、二男から父への便り。
 めくる程に、めくる程に連綿として感慨はつきぬ。

 うれしい時、わびしい時、われを忘れて眺めて手がふとふれた箒に、破れた夢からあわてて仕かけていた現実の掃除へともどる。

 くりはめば第2集、第三集と続くころは、いま膝元にいる小さい三人の子の文がどんなに成長して、又母の眼を楽しませてくれるだろうか。
 ひそかに秘めた私の手文庫の中で、限りなく夢は夢を生んでいく。
                          都呂々村   きぬ

                             (母の文集より)
父親が作った”くりはめば集”をめぐる思い出。
今に思う。千路に乱れるわが想い。
不孝の限り、もうしわけなし。
やすらかなれと祈るほかなし。


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