司馬史観では日清戦争は祖国防衛
福井雄三氏(大阪青山短期大学准教授)の日本海新聞投書2/6を感銘し披瀝さしていただきます。
司馬遼太郎の代表作「坂の上の雲}がNHKのスペシャル大河ドラマとして、昨年11月29日ついにスタートした。第一部の第4回(昨年12月20日放映)を見て、」私はそのあまりにも原作を無視したストーリーに驚いた。
要約を次に掲げよう。
香川照之扮する正岡子規が、日清戦争の従軍記者として大陸の戦地に赴く。
戦場の近くの村に駐屯する日本軍をとりまく村人の中から、赤子を抱いた1人の老人が現れ、つかつかと歩み寄り、赤子を両手で高々と掲げ、鬼気迫る形相で次のような呪いの言葉を浴びせかける。
「この子の父親はおまえたちに殺された。
この子が大きくなれば、必ずおまえたちに復讐する日がやってくるぞ!」
言葉のわからない子規は、近くに立っていた通訳将校に、この老人は何をしゃべったのかと尋ねる。
この将校は無言で答えない。
そこで子規が再度尋ねると、彼は困惑した苦りきった顔をして
「この老人は、自分たちは日本軍を大歓迎する、と言っておるのだ」と答えた。
それを聞いた子規はまなじりを吊り上げて
「嘘だあ!」と絶叫する。
「この老人はこれほど怒り狂った形相をしているではないか。そんなことを言うはずがない。本当は何と言ったのだ。本当のことを言え!」
としつこく食い下がる。
だが、この通訳将校は無言のまま立ち去り、あとには怒りと絶望の表情を浮かべた子規がたちつくす。
原作の「坂の上の雲}には、このような場面はまったくない。
NHKの作り話である。
子規は当事の日本の青年がほとんどそうであったように、熱烈な愛国主義者であった。
病躯を押して従軍記者に自ら志願したのも、自己の人生で遭遇した日清戦争という歴史的大事件を、わが目に焼き付けておきたいという、愛国熱に浮かされてのことだった。
これは子規だけではない。
当事の日本の知識人たちはおしなべて、愛国的情熱に駆られて日清戦争に熱狂した。
当事の日本を代表する啓蒙思想家であった福沢諭吉も
「自分が生きているうちにこのような快事にめぐりあうとは、なんという幸せであろう」と、喜びの気持ちを素直に表明している。
私はもともと、世上に流布しているいわゆる「司馬史観」なるものに批判的な立場であり、これまでさまざまな機会をとらえて、その誤りを指摘してきた。
だが、このたびのNHKの姿勢には、ほとほと呆れ果てて二の句が継げない。
私はこの件に関してだけは、あえて司馬遼太郎のために弁護してやりたい。
NHKが原作を無視したこのような作り話をドラマ化するのは、司馬遼太郎に対する冒涜であり。彼の名誉を毀損するものだと。
「司馬史観」では、日清戦争を侵略戦争とはとらえていない。
日露戦争と同様に、国家の命運をかけて戦った祖国防衛戦争という位置付けである。
そして、この両戦争を雄々しくも健気に戦い抜いた、明治の可憐な日本国民こそが、坂の上の雲を見つめてひたすら歩み続ける、明治の青春群像のイメージに重なり合うものであった。


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