*予定日 2005年1月21日*
しっかり食べながら運動も忘れず
なんとか乗り切ったお正月。
臨月に入っても全くお産の気配がなく
もうすぐ予定日を越えそうだった1月19日の夕方、
突然その時がきた。
いつ入院してもいいようにその日も掃除をしていた。
ちょっと休憩しようと座った瞬間
あれ???
何かが流れてきてる・・・
「破水だ!!」
初めての妊娠で初めての破水。
ほんの1時間前に「まだ産まれそうにない?」
と質問してきた妹に
「まだやね~ん。破水だけはしたくないね~」
などとのん気なメールをしていたのが嘘のようだ。
病院のマザークラスで散々聞かされた
破水時の対応と心構え。
本で何度も読み返したページ「破水について」。
ぜ~~~~~んぶ、ぶっ飛んだ!!
(+。+)アチャー
なんとも情けない。
オロオロしてる間にもどんどん流れ出てくる。
バスタオルを股に挟み病院へ電話。
「入院の準備をして来て下さい」
自宅からすぐ近くの会社に勤務してる旦那が
私のメールを見てすっ飛んで帰ってきた。
「病院行くぞ!!」
私の初めてのお産が始まった。
夕方の渋滞に巻き込まれる一歩手前で
病院へ無事到着。
お腹に張りの具合を調べる装置を付けられる。
「いい張りが来てるね~」
・・・・・(-。-)......ン?
どこに来てるの?
痛みも張りも全く感じてなかった私。
院長先生の内診後
「破水しても陣痛はなかなか始まらないからねぇ。
翌朝までに陣痛がなかったら誘発剤を投与しましょう。
まぁ、陣痛室で今夜は過ごして下さい」
この言葉でお産は翌朝になるだろうと思い込んでしまった。
数時間後には激痛で苦しむことになろうとは・・・
陣痛室へ案内されたのは夕方18時。
ここはレストランですか?
と聞きたくなるほどの豪華な夕飯が運ばれた♪
「美味しそうなご飯やな~」
と羨ましそうな顔をしてた旦那は
先生の言葉から今夜はまだだろうと自宅へ帰った。
しかし、すぐに陣痛が来た。
痛くないうちに食べておこう♪
と箸を持って食べかけた時
ジワジワと押し寄せる痛みを知った。
これが陣痛??
さあ~始まった。
時間を計ればもう7分おきになってる。
(ご飯だけは全部食べてやる!)
と痛みの合間に箸を動かせ完食。
しばらくして痛みはあっという間に5分おき。
まだ我慢できる程度。
横になるよりも赤ちゃんの頭が降りてくる重力を考え
壁にもたれてベッドの上で座った。
だんだん痛みが強まるが
ゆっくり吸って ゆっくりはく
これを繰り返すだけでも落ち着くことができた。
20時頃、看護婦さんに初めて子宮口を見てもらう。
2センチ・・・
始まったばかりだし、そんなもんだろう。
しかし子宮口の開きを見てもらうのが
これほどまで痛いものだとは!!!!
お産を進めるにはとにかく動け!と
先輩ママからのアドバイスがあった。
しっかり水分を取り、2回トイレに行った。
その後、恐ろしく陣痛が進んだ。
21時半。3~4分おきの激痛。
ゆっくり吸って吐くのリズムが乱れる。
もうゆっくりなんて吸ってられない。
痛、痛、痛、痛。
いつまで続くんだろう。
看護婦さんを呼び見てもらう。
に、2センチ? まだ??!!
明らかにさっきより激痛なのに変わってない。
これがお産というものか。。。
翌朝までこんなのが続くんだろうか。
絶対耐えられん!無理、無理、無理。
横になって必死に耐える。
今までに経験のない激痛。
目をぎゅっと瞑り、歯を食いしばる。
腕時計を見たいが腕が上がらない。
見れても痛さで時刻を忘れる。
何分間隔かもう分からない状態。
あ~痛、痛、痛、痛
今思い出せば一番痛かった時だった。
母が心配して病室に入ってきた。
「大丈夫?・・・えらい痛そうやな~
陣痛ってそんなに痛いの??」
こんなに苦しんでる人間に
何をすっとぼけた事を聞くねん、このオカン!!!
だが、それも仕方がない。
母は1万人に一人とも言われる
無痛陣痛の体質だ。
その名の通り痛くない陣痛で
強い張りだけで私達兄弟3人を出産したらしい。
それも2時間くらいで。
この人は陣痛を知らない。
痛くて顔を見上げる事さえも出来ない私に
母はまだすっとぼけた事を言う。
「その腕時計かわいいね~どこの?」
あまりの呑気な質問に呆れて笑いまで出そうになったが
私もバカみたいに答えてしまった。
「す、す、スウォ・・ッチ」
もうどうでもよくなった。
「お母さん、悪いけど帰って。頑張るから。」
母が帰った途端、陣痛は限界に。
お尻から何か出そうな
何もしなくても出そうな
あの不思議な力が下半身を押してきた。
痛、出、痛、出、痛、出
痛、痛、痛、痛、痛、痛
看護婦さんに3回目の子宮口を確認してもらう。
「分娩台の準備しますね。9センチです!」
えーーーーーーーっ!!!!!!!!!
さっき2センチやったのに?
2回のトイレが良かったのか
母が来たのが良かったのか
もうどうでもいいが分娩台だ!
その前に旦那は?車で30分かかるのに。
私は話せる状態ではなかった。
携帯を発信させ看護婦さんに渡した。
「ダンナヨンデ」
口から出た精一杯の言葉だった。
分娩台に移動してすぐに子宮口全開。
夜勤2名だけの看護婦さんがバタバタしながら
「先生を 起こしてきて!
」
起こす??
もう時刻は夜中で日付が変わっていた。
何ヶ月もお世話になったいつもの先生ではなく
当直の全く知らない先生。
産めるならもう誰でもいいよ。
痛くてどうしようもなかったのに
こんな小さい事は鮮明に覚えている。
お尻から出てきそうな勢いに負けそうで
気付けば自分でお尻を押さえていた。
お産の体制が整ったらしく
いつ産んでもいい状態に入った。
が、まだ整っていない事がある。
旦那だ。
妊娠中、本当によく気遣ってくれた旦那。
産まれる瞬間をどうしても一緒に見守って欲しかった。
先生が子宮口に赤ちゃんの頭を確認した時、
旦那がやっと到着した。
間に合った・・・・
安心して産む事だけに集中した。
長く息を吐きながら
私の産みたい気持ちと子供の生まれたい気持ち
そして旦那の会いたい気持ちが一つになり
最後の激痛と共に産道を一気に通り抜けた。
旦那が到着して5分後の事だった。
2005年 1月20日 午前0:50
3024g まいちゃん誕生
初めて掛けた言葉 「よく頑張ったね、偉かったよ」
パパとママのところに 舞い降りてきてくれて ありがとう
■乱文を最後まで読んでくれて、ありがとうございます。