オキナワの中年

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又吉栄喜「落とし子」


2001/06/30 


 「すばる文学賞」の選考委員となり、専業作家としての位置を確立しつつある又吉栄喜の新作「落とし子」が、『すばる』七月号に掲載された。
 「豚の報い」で芥川賞を受賞した後、又吉文学は比較的安定的なものであった。すなわち、都市生活経験のある青年が、女性的な存在を媒介として、再び共同体と和解するというのが基本的な枠組みである。「陸蟹たちの行進」ではその背後に米軍基地の問題が加わり、後述するようにこれは重要な問題をはらんでいるのだが、この時点では基地はあくまでも背景であって深刻な断絶は生じなかった。また「海の微睡み」では青年が本土出身者となったため、結末の破局を迎えることになるのだが、従来の女性の魅力はいかんなく発揮されており、変化は緩やかであったとみて良いように思う。
 ところが今回の「落とし子」はここ数年の作風から大きく逸脱している。ある意味新しい世界を描こうとする野心作であり、それゆえ従来の又吉ファンの中には首をかしげるものも多いに違いない。
 作品は本島から三百六十㌔東の「K島」を舞台とし、そこに隣接する「クバ島」は米軍の演習場になっている。三百二十五人の島民たちは、米軍から支払われる七億五千万という巨額の分配金によって生活している。
 物語の中心となるのは、立ち入り禁止のクバ島を訪れた敬雄(たかお)という青年が、睾丸(こうがん)が肥大化するという奇妙な病にかかるという出来事である。肥大化した睾丸は、女性から性的な刺激を受けると黄金色に輝き、またその間は異常な怪力の持ち主になる。
 敬雄の病がクバ島の汚染によるものであるらしいことを危ぐし、それをひた隠しにし、分配金による安定した収入を維持し続けようとする村長。その友人で、敬雄の症状に関心を持つ医師。村長と対立し、敬雄の病から、米軍依存の状況を打破しようとする、敬雄の父弦一。この三者を中心に、閉ざされた島の中で敬雄の状態に関心を持つ女たちが絡んでいく。
 この作品の潜在的なテーマは多様である。まず基地収入に依存するという状況が、人々に与える深刻な無気力感である。また鳥島の劣化ウラン弾をほうふつとさせるような、米軍演習場の、何があるのか分からないという不気味さである。村長と唯一の専門家である医師の態度は、真実をひた隠しするという行政に対する不信感のメタファーになっているとみることもできよう。これら基地にかかわるテーマ性だけでなく、敬雄が個人的に抱える女性や自らの虚弱さに対する劣等感や、閉ざされた島の独特の性意識など、肥大化した睾丸の背後にはさまざまな要素がある。
 だが率直に言えば、単独の作品としての「落とし子」は失敗作であると言わざるを得ない。まず何よりも目取真俊の「水滴」の存在である。もちろん身体の一部が肥大化するという寓話(ぐうわ)的な手法は目取真の専売特許というわけではないのだが、「水滴」の場合は沖縄戦という語り得ぬものを語るための、ぎりぎりの状況で選択された手法であった。これに対し、演習場の汚染は現在進行中の現実であって、寓話的な枠組みで処理するにはあまりにも生々しい問題である。また労働を伴わない基地関連収入という毒についても、現在の又吉のユーモラスな文体によって描かれると、これはこれでいいのではないか、という感じがしてくる。結局は多様な問題性は、奇妙な病に対する関心に取って代わられてしまい、本来ショッキングなはずの「父殺し」という結末もおとぎ話のような印象しか与えないのだ。
  このような時どうしても引き合いに出されるのが、又吉自身の「ジョージが射殺した猪」(一九七八年)である。個人としては善良な米兵を追いつめる軍隊・戦争というものを、ぎりぎりに追いつめられた文体で描き、ほとんど遊びはなかった。又吉はやがてそこを離れ、独特のユーモラスな文体によって、芥川賞を受賞することになる。オバアやオジイ、あるいは女性たちの会話によって展開されるユーモラスなズレが、近代的・男性的な合理主義をいつの間にか相対化してしまう。ここ数年の又吉の作品において、この細部の面白さが重大な柱になっていたのは確かである。そしてそれが調和的な世界をしっかりと支えていた。が、その実績が、再び基地や戦争といった現実的なテーマを取り上げるとき、大きな困難となって立ち現れたのではないだろうか。
 先に述べたとおり、少なくとも単独の作品としての「落とし子」においては、テーマと作品世界がかみ合っていない。しかしこの一作のみで判断を下すのは早計であって、「ジョージが射殺した猪」の世界と「豚の報い」の世界とを統合し、そこから新たな世界が生み出されるための産みの苦しみであるとするなら、また、そのようなことが可能であるとするなら、この作品は結果として重要な分岐点となる可能性もあるといえるだろう。



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