オキナワの中年

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大城立裕「クルスと風水井」




 『群像』九月号に大城立裕の新作「クルスと風水井(ふんしーがー)」が掲載された。ここ二年ほど大城は『琉球楽劇集真珠道(まだまみち)』(琉球新報社刊)にまとめられた作劇に力を傾けており、また今月二十六日に行われた歌劇「歌ごころ月夜の人生」の初演準備など、多忙な期間中の執筆ということになる。はた目には全く関連の無い作業を並行して行うというのは、早い時期からの大城の個性とすら言ってよく、今さら驚くには値しないのかも知れない。しかし半世紀にわたる創作活動を経て、喜寿を目前にしながらの、このおう盛な創作意欲はやはり驚異的だと言えるだろう。
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 作品は国際結婚をした妻に先立たれた「永謙」のもとに、フィリピンから、妻の妹「マリサ」が訪れるというところに始まる。姉の残した長男「太郎」を養育するためである。題名の「クルス」はマリサが故郷を出発する際に、神父から与えられた十字架を指し、「風水井」は宜野湾市内に実在する井泉を指す。風水井は永謙の母「茂子」の信仰の対象であり、この題名は異文化接触というテーマをはっきりと示していると言って良いだろう。「ダメ」と「ダイジョウブ」というたった二語の日本語しか話せないマリサが、太郎に対するイジメや、学校の山羊が米軍基地に迷い込むという厄介な事件に対して奮闘努力する様子が、大城文学としてはかなり軽いタッチで描かれている。
 友好的、生産的な文化交流から、深刻な文化摩擦、極端な場合にはテロや紛争の火種になりかねないという「異文化接触」というテーマは、近年ごく一般的なものとなった。交通通信の飛躍的な発展と、避けることのできない経済のグローバル化。この二十一世紀的な状況の中で、異文化はどのようにであうのか。これは文学のみならず多くの領域における重要な課題であり、既にさまざまな議論が行われている。その中にあって「クルスと風水井」は、一見するとそれほど深刻な対立をもたない、軽いスケッチ風の作品にみえるかも知れない。しかし大城文学全体を見渡すならば、深刻な対立をはらまない日常生活を舞台としたため、異文化接触を細やかに描き得たこの作品は、重要な意味を持つのである。
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 大城が異文化接触に関心を抱いたのは昨日今日の事ではない。それどころか、半世紀に及ぶ創作活動の重要な柱の一つであった。たとえば本人が「初めての一人前の小説」として位置づける「二世」(一九五七年)という作品において、皇民化教育の象徴であった大麻(伊勢神宮のお札)と、キリスト教の教師の説教という、象徴的な対立が既に描かれている。芥川賞受賞作「カクテル・パーティー」(六五年)では、沖縄・日本(大和)・中国・アメリカに多元化し、「亀甲墓」(五九年)においては日米の対立の中に埋没した沖縄の土俗的な文化がとりあげられた。これらの作品においては、背景に戦争、もしくは占領というきわめて過酷な状況があり、いわばぎりぎりの異文化接触が描かれていたのである。
 その後書かれた膨大な作品群にいちいち言及する余裕はないが、「クルスと風水井」に描かれた、ごく日常的な小事件の意義を考えるためには、大城が描き続けた多様な異文化接触のヴァリエーションに思いをいたす必要があるだろう。
 マリサは当初、クルスに象徴される西欧的普遍主義をもって沖縄にやってくる。彼女が日本語を覚えようとしないのは、愛情があれば言葉は不要である、という信念に基づくものである。そしてその目には、風水井を拝む茂子はきわめて奇異なものと映る。このままでは普遍主義と、土俗との二項対立であるが、作品では太郎という存在、あるいは太郎をめぐる小事件を媒介として、新たな段階に移っていく。異なる文化を背景にもつ個人が、どちらかが一方的に歩み寄るのでもなく、また頑固に対立するのでもなく、自分の背景の文化をもう一度とらえなおすという試みを開始するのだ。
 このような事が可能になるのは、この作品に家族の日常という、もう一つの項目が存在するからだろう。例えば戦争のような大状況の中では、対立した異文化同士の歩み寄りの余地はほとんど無い。しかしこの作品のマリサと茂子には、太郎の幸福という、全く日常的な、しかしながら文化対立よりもはるかに重要な共通の目的があるのである。
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 この作品が発表された直後、不幸にして同時多発テロという、前代未聞の大事件が起きた。その多くの論点の中に、残念ながら異文化の深刻な対立という問題が含まれてしまっている。ここしばらくは、文化摩擦や文明の衝突という論点が、悲観的に語られる場合も少なくないだろう。しかし長期的にみるならば、今後われわれは、かつてのように特殊な状況ではなく、ごく普通の日常生活のなかで異文化と出合うのであり、その機会はますます増えていくだろう。「クルスと風水井」という作品が、そのような新しい時代の、一つの光明になることを祈りたい。




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