昨日の川内村民の一時帰宅の様子をニュースで見ていて、懐かしい風景ばかり探してしまいました。
川内村へは秋に紅葉を見に子供達と出掛けたのが最後で、「ひとの駅かわうち」でギャラリーを見学し、川内の湯隣の直売所で地元のキノコを買い、子供は地元で売り出したばかりの古代米アイスを食べ「ラムレーズンみたいでおいしい~!」と絶賛、それから足湯に入り、いわなの里で釣堀を楽しんでいわなを炭で焼いて食べ、唯一の喫茶店「ダノニー」でピザを食べて過した楽しい一日を思い出した。
テレビに映る風景を見ながら「ここ知ってる!ここ通ったよね!」とはしゃぐ子供と裏腹に、防護服を着たまま村に降り立つ人達の心境が伝わってきて胸が締め付けられました。
この村に最後に行った(通過した)のは震災の翌日の12日午後、朝6時半ごろ町民全て川内村へ避難指示が出てから渋滞が続き14時頃最後のバスが夜ノ森を出るときに、バスの後ろを自家用車で村へ避難しました。
普段なら車で20分位の道のりですが、すでに渋滞も無かったにもかかわらず倍の40分位掛かりました。
普段は人気も少なく車にもあまりすれ違わない、のどかな風景ですが当日は村に入ると道路と空き地に鮨詰め状態の車と人(マスクなし)があふれ出していました。
民家の庭にも沢山の車が有り、きっと親戚を頼って来た人もいるんだなぁと少しうらやましく思い眺めていました。
もしかして私達ここに入れないかも・・・予感は的中し避難先は全て一杯で「三春町へ行ってください」と紙に書かれた指示書を手に持った方々点在し、「三春町までどの位かかりますか?」の問いに30キロは無いと思うけど・・・と言われ、三春町まで行って家までの帰りのガソリンの心配をしていました。少しでもガソリン入れたほうがいいかな?でもガソリンスタンドも長蛇の列だし・・・昨日満タンにしてきたから大丈夫かも?くらいの気持ちで川内村を後にしました。
そのときは直ぐに帰って来れるのに、なんで遠くまで避難しないといけないの?とやるせない気持ちで三春町に向かいましたが、まさか一時帰宅という形でしか自宅に帰れなくなるとは思ってもいませんでした。
今回の川内村の方々は70センチ四方袋に何を詰め込んでこれたのでしょうか。
そんな小さな袋に人生の大半を過した思い出の何が入るんでしょうか?
安全重視なのはわかります。一時帰宅に同意書を(自己責任で立ち入る旨を)一筆書くようですが、国は万が一の状況になったときの逃げ道をこんな時まで冷静に構想する時間はあったんですね。怒りを感じます。
立ち入り禁止命令が出るまで多くの方が自宅に何度も帰り日用品を持ち帰ったと聞きました。そのときは国は何の配慮もせず、10キロ圏内でも防護服も着ず私服でマスクもしない人が自動販売機でジュースを飲む人を見かけたと友人に聞きました。
今まで無防備に20キロ圏内に何度も立ち入ってきた方々と、今回本当に初めて帰宅する人の保障の差は何がどう変わってくるのでしょうか?同じなんでしょうか?不思議です。
帰宅した時はパソコンを持ち帰りたいと思っていましたが、ディスクトップのモニターとハードの一体型なので無理かもしれません。子供の写真など沢山入っていたので電源が来ていればUSBに落とせるますが・・・。
今回の一時帰宅で自宅全てが入る大きな袋が欲しいって全員が思っているはずです。それも同意書なしの罰則なしの自家用車で!
昨日母が二人だけのときポツリと「家の周りの景色が目から離れないんだわ。目を瞑らなくても見えてしょうがないんだわ。今頃ホントだったら庭に沢山の花咲いていたべね。惜しいね。」って
お母さん私も同じだよ。
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