群馬県桐生市柄杓山城址(桐生城)




この城は、南北朝の初め桐生国綱が三年の歳月をかけて築いたものという。
碑のあるところが本丸の跡で、後ろ北側に二の丸、三の丸があり、東に桐生川、南に渡良瀬川をめぐらし、西南の丸山と東南の浅間山に砦を構えてその間に新川を掘って要害掘りとし、東西の山地には物見山、その他の小さな砦を備えて万全の構えを示し、桐生実城と称された。
城主桐生氏は助綱の頃まで繁栄したが天正元年助綱の子親綱のときに築城以来二百二十年で金山城主由良成繁に滅ぼされた。由良氏は二代国繁のときに小田原の北条氏に味方して豊臣氏に敗れ、わずか十八年で常陸の国牛久に移されこの城は廃城になった。
昭和四十七年三月




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